潜行一千里 ILHA FORMOSA編 第1回

ついに空族による連載「潜行一千里」再開です!「ILHA FORMOSA編」として2020年より台湾へ潜入したレポートをお届けします。詳細不明の作戦名『蘭芳公司(らんほうこうし)』のメンバーはカーツヤ、トラツキ、ヤンG、リュウの4名。2008年に映画祭で出会ったダンさんや名物の檳榔についての報告です。

文・写真=空族


カーツヤからの報告
 
2020年1月××日
 

檳榔の木が密生するジャングルを切り裂くような一本道を、車は私たちを載せ疾走している。先ほどようやく台南市に入った。左手首の耐衝撃性多機能ウォッチに眼をやると、台北を出発してから約4時間の道のり、コンパスの針はほぼ南を指し、高度計は海抜約30メートルといったところだ。熱帯気候地帯に分類される台南市だが、1月の夕方ともなるとさすがに肌ざむ…いや寒い。この季節、バンコクですら場合によっては長袖が必要になるというのを考慮した上での今回の台湾用装備だったが、この様子では現地調達が必要になりそうだ。ビーサンの出番はないかもしれない。
 
私たちは司令部より新たに発せられた作戦命令を受け、本日より台湾に潜入を開始した。作戦名『蘭芳公司(らんほうこうし)』。詳細は未だ明かされていないが、この第一次先遣任務にあたる隊員は以下の者(すべてCN・コードネーム)である。
カーツヤ(私)、トラツキ、ヤンGは、『バンコクナイツ』作戦から引き続きの馴染みであるが、今回あらたにリュウが加わることとなった。このファッキン・ニュー・ガイ(FNG)のリュウ、ゆとり世代の若造が地獄の任務にどこまで耐えうるのか甚だ疑問である。しかしこの若造、司令部よりの密命を受け、我々に先んじて一年間台湾への単独潜入をしていたというのだから見どころはありそうだ。
 
「リュウ、おまん言葉の勉強もしたっつこんけ?俺はタイ語学校2年も行っただぞ?」
「あ、今はアプリとかで結構いけちゃうんで勉強とか時間勿体ないっす。完全同時通訳時代も近いですしね」
 
そして、甲府中心で以前従事していたという運転代行のバイト経験が発揮されるのかリュウの運転技術はなかなかのものだ。しかも異国の地で道に迷うこともないとは、もはや今は未来…。まぁしかし元トラックドライバーの私から言わせれば―。フッ、やめておこう。思えば私たちは「イルカ世代」などと呼ばれていたが、あれは一体なんだったのだろう。
 
話が逸れた。私がマジックアワーに染められつつある窓外の景色を眺めていると、トラツキがリュウに命じて車を停めさせた。薄暮の中、ちょうど電源が入り点滅しはじめた、あの一目でそれとわかる放射状のネオン。そこは台湾名物、檳榔屋の前だった。
 
「ビンロウちゃんを買おう!」
 
檳榔を“ちゃん”付けで呼ぶなど、この世にトラツキしかおるまい。それを聞いたことをきっかけに、私の中に次々と記憶がよみがえり始める―。そう、ここで台湾と私たちを結びつけるきっかけとなった昔話をしておくことにしよう。

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檳榔屋を象徴する放射状のネオン

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一袋50元(約250円)に10粒ほど

時を遡ること2008年。それは、高雄国際映画祭に『国道20号線』が招待され、現地報告をするために訪台した時のことだった。上映会場の前でタバコを吹かしていた私とトラツキに、ひとりの男が声をかけてきた。
 
「はじめまして。今回通訳を引き受けましたダンです」
「あ、はじめまして、よろしくお願いします。えっと、日本の方?」
「台湾人です。大阪に6年住んでたことがありまして」
 
という彼に、来てくれたことへの礼を述べると、ダンはネイティブのような関西弁でこう言った。
 
「なんでも引き受けると思われたら心外ですわ。作品見させてもうてヤバい思たから来たんすよ。しょーもない映画ならお断りですわ」
 
と言って、口から赤茶色の液体を地面にびゅっと吐き出した。よく見るとダンの口の中は赤茶色に染まりくちゃくちゃと何かを咀嚼している。これだ! 早くも辿りついたぞとトラツキとアイコンタクトで確認し合う。とても気が合いそうだ。
 
昨日高雄に到着してから街を散策していると、とにかく路上が赤茶色のシミだらけなのだった。しばらく観察していると、そのシミは街を行き交うおっちゃんおばちゃんの口から吐き出されている液体によるもので、それは“檳榔”と書かれた看板の店で売っている木の実のようなものによる、という事までは判明していた。ビン・ロウと読む、ような気がする…スマホはまだない。どこかで聞いたことがあるが…とにかくそれを食っているおっちゃんたちの目は血走っている…!あれを食ってみたい…我々はウズウズしていた!
 
「あ、食います?」
「是非!(間髪入れず)」
 
ダンは檳榔の入ったビニール袋を差し出しながら、
 
「今どきの若いのはよう食いよらんのですわ、汚いとかぬかしよって。だから俺はあえてフォーマルな場所でも食うてやるんすよ」
と言いながら、映画祭会場の入り口に赤茶色の液体をびゅっと吐き出している。きっと大人物に違いない(笑)。私たちはダンから貰った檳榔の実を掌の上に見つめていた。小さな木の実が何かの葉っぱで包まれている。
 
「口の中に入れて押しつぶすようにゆっくりと咀嚼してください。汁が出てきて唾液と混ざるんで、それを口の中に溜めて―」
 
ううう…甘にがい…そして青臭い…つまり不味い…もう耐えられない…吐き出したい…そう思っているとダンが、
 
「溜まった唾液を吐き出してください、呑まんように」
「あ、呑んじゃった」とトラツキ、
「え?! 呑んでもうた??」
 
と、ダンが慌てる素振りをみて、トラツキもウウウと慌てだす。みると…トラツキの目がどんどん細くなっていく…。
 
「ううう! ヤバい! 喉が! 喉が締まって! 息がー!」
 
え? なになに? どうしたの? 私は恐ろしくなって口の中に溜めていた唾液を全部吐き出した。果たしてそれは台湾中の路上にできているシミと同じ赤黒い液体だった。トラツキの顔は青ざめ汗が滲みはじめている…こ、これは一体…。
 
「まあ、そこらへんにでも座りましょうか。あはははは。だから呑んだらあかん言うたでしょ(笑)。檳榔食う時は、最初の一発目の唾液は吐き出して、その後ジワジワ出てくる汁を呑んでいくんですわ。まあ俺くらいベテランになると最初から全部呑んでまうんすけどね。あはははは」
 
ダンは笑っているが、私が心配そうに眺めていると、やっと落ち着きを取り戻したトラツキが、
 
「あーびっくりしたぁ、なんか喉の中が締まってきちゃって、このまま息ができなくなるんじゃないかと…いやぁ冷や汗かいた」
 
と、笑っているからホッと胸を撫でおろした。しかし、このトラツキという男、酒が一滴も呑めないかわりに酒以外のモノは果敢に摂取しようとする悪癖がある。檳榔にしても、初っ端からこんな思いをしたにも関わらず、“檳榔ちゃん”と愛おしそうに呼び、以来追い求めることになるのだった。
 
「そういやカーツヤさんトラックの運ちゃんやねんて? 運ちゃんといえば檳榔や」
「そうなの?」
「檳榔はコーヒーの十倍はバキッとくるもんで運ちゃん御用達ですわ。かつては国道沿いにガラス張りの小屋がいっぱい立ってて、そん中ではセクシー姉さんらが檳榔売ってくれてんねんけど、運ちゃんは車横付けして降りんでも買うことができるっつー寸法や。檳榔の効き目や味も店ごとに違うて、みんなそれぞれお気に入りの店とお姉ちゃんがおる」
「今すぐそこに買いに行きたいです!」
「それが残念なことに規制規制でセクシー檳榔屋も今ではほとんどなくなってしまいましてん…」
「……」
「…今から舞台挨拶ですやん(笑)。あ、二人とも明日はフリーなんちゃいます? よければ俺の地元遊び来ぇへん? 俺、台南から来てるんすけど、ここから電車で一時間くらいやし。台南の国道沿いならまだ少しはセクシー檳榔姉さんも見られるんとちゃいますか」

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今はなきセクシー檳榔屋さん(ネットより引用)

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現在もその名残が少しだけ


こうして我々は翌日、台南市へ行くことになったのだった。ダンが駅まで迎えに来てくれ、彼らが地元の仲間たちと手作りで作っている基地に連れて行ってくれるという。将来的にはゲストハウスのようなものにしたいとのことだ。ダンの運転する車に揺られながら、道々、彼が若いころ暴走族だった話や、大尊敬する人生の師、アクンのことなどを話してくれた。アクン師は漁師で、ダンはこの人から海のすべてを学んでいるという。
 
基地に着くと、そこにはダンの仲間であるユイちゃんとカイくんがいて、私たちはここで彼らと運命的な出会いを果たす。このふたりは今後、幾度となく登場してくるので、ここでの詳述は避ける。その後は皆で海に入って遊んだ。なにより印象深かったのは、海を沖まで泳ぎ海岸を振りかえったとき、その景色が完全なるトロピカルのそれだったこと。私はそのときはじめて、台湾が熱帯に位置する南国だということを知ったのだった。しかし、この九州ほどの大きさの島が、熱帯などという一言では片づけられない想像を絶する自然を有していることを思い知るのはまだかなり先のことになる。

以来、ダンと私たちの友情は深まっていった。2011年の原発事故後に起こった東京での反原発デモには台湾からも人々が駆けつけたが、ダンも多くのパンクバンド仲間らと共にやってきてサウンドデモに参加した。その際は東京の私の部屋に泊り、ちょうどその年に公開された、『セデック・バレ』の美術部として、カイくんが参加していた話などをしてくれた。いま思えば、その時はじめて私は台湾原住民の存在を知り、その後ダンが度々Facebookで原住民について触れているのを目にするようになったのだった。私たちは互いの近況をFacebook上で確認し合っていた。
 
すると、ダンはあるとき台湾を徒歩で一周する巡礼の旅に出た。私はその姿をFacebook上に見ては応援のメッセージを入れ、彼はその度に返事をくれた。
 
「いまは台湾の東海岸、台東県を歩いています。ここいらは原住民のひとらが多く住んどって彼らの多くは現場労働者として働いてます。それは差別があって他に仕事がないからです。いま僕はセデック族の村に世話になってるんやけど、彼らは今でも首を狩ってやりたい思とるいうてますわ」
 
ダンはお遍路をしながら各地で反核の運動に参加したり、時には台東の海岸開発の反対デモに参加していた。以下にダンの投稿を引用する。
 
【みなさま。台湾へようこそ。空港を降り、まずあなたは台北など賑やかな都会に行き、屋台料理やグルメを楽しむでしょう。もちろん都会は便利で旅しやすいかもしれませんが、もし余裕が出てきたら台湾の裏側も行ってみてはいかがですか。
この島には世界にも誇る豊かな山と海があります。3000メートル級の山には熱帯から寒帯までの森林があり、湿地や黒潮は多様な海洋生態系を生み出しました。そうだ! 台湾の東へ行くのだ! 海や山と近付きたくなったら、ぜひ東海岸に行ってみてください。
台湾の東に暮らすのは原住民だけではなく、この地が好きで棲み着いたニューカマーも少なくない。ここには都会では感じられない人情味があり、台湾中、世界中から来た人々と、自然との共存の知恵を持つ原住民は、現代版のネイティブ文化を創り出しています。
しかし残念ながら、我々の誇りの東海岸はすでに財閥、大金持ちグループ達に狙われています。大地、海は本来誰にも属さないものなのに、彼らはそれを金儲けの道具に過ぎんと言わんばかりに、堂々と原住民の伝統領域に侵入してしまいました。
台東駅から車で北へ走って15分、杉原湾という海辺の小さな集落があります。ここにある広い砂浜はカニの休憩所、ウミガメの産卵地、海底にはサンゴ礁群もあります。杉原は古くから地元の原住民、アミ族の生活の場であり、政府ができた現代になっても、誰でも出入り自由の公共海水浴場として、台東県民に親しまれてきました。しかし、今やこの地は「美麗湾」という名の巨大リゾートホテルに占拠されています。
9年前、美麗湾リゾート村開発案は、環境アセスメントなしで工事が始まりました。建物の枠ができた後環境アセスメントをやり始め、その内容もずさんなものでした。地元の原住民は財閥相手に訴訟を起こし、去年(2012年)、裁判所は住民側の勝訴を言い渡しました。ここまでは円満な話ですが、なんと、美麗湾側も台東県庁も判決を完全無視! まったくオープンする気満々で工事を進めているという。
もしこのようなことが許されたら、この国の司法は存在する意味があるのか。美麗湾が破壊したのは自然だけではなく、法律、人間の心、全てズタズタに壊されてしまったのではありませんか。
お願いがあります。このような会社に我々の声を知ってもらうために、一緒にボイコットをやりませんか。台湾を旅する時、旅行会社に用意されたチェーンホテルより、現地の民宿やホステルはもっと素敵な旅にふさわしいのです。台湾のローカル経済の復興はあなた方の判断に委ねられています。厚い人情を持った台湾ローカル民と直に触れ合うチャンスにもなりますよ。台湾の最も美しい風景――人! と共に、東海岸を守りましょう!】
 
【今日台東県での美麗湾大飯店の環境「再」アセスメント、残念ながら通ってしまいました。県庁前に500人の反対市民が集まって警官とぶつかり合ったが、その声は密室内に届くはずもなく。。。
 
そこには大きな大きなホテルが今立っている。これからはお金を払った人じゃないと入れない海になる。地元の人はホテルの清掃員や警備員として働くことになる。カネカネカネカネカネカネ、原住民だってカネくらいほしいです。都会で出稼ぎなんかしたくない。正直、賛成する地元のアミ族もいるというのは現実です。いったい何を持って「原住民」と言えるのか。血? 文化? アイデンティティ? ここの「地元の原住民のおばさん」はテレビで叫んだ。「よそもんは出て行け。我々の苦労を知れ」。
 
もちろん、ずっと地元で反対してるアミ族の方、スーリンさんという人もいます。この前の巡礼の時もすごくお世話になった素敵な方です。あの海は元に戻れない。少なくとも生きてる間にその風景は見られないだろう。
 
どうしたらいいのか、自分にできることはないのか。情報拡散、もうこういうことだけしてても、もはや何もしてないのと同じだ。
 
だから歩くんだ。だから祈るんだ。他の人にどう言われようが。これは今の自分にできることだ。
 
すべての原住民に悟りと気づきが訪れますように。壊された自然に新たな命が生まれますように。地元の方々に本当の幸せが訪れますように、と。そしてこの声があの海に届きますように。】

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杉原海岸に建設されてしまった美麗湾大飯店の前で(ダンのFacebookより) 

こうして、ダンは新聞記事でもとり上げられているように二度目の台湾一周巡礼の旅を終えた。その後はしばらく互いに連絡をとることもなかった。するとある日、ダンのFacebookが彼自身の訃報によって更新された。2013年7月。海での事故だった。

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ダンの二度の台湾一周巡礼を伝える記事(ダンのFacebookより)

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まるで原住民の戦士のような生前のダン 

時を戻そう。今、私の目の前では、イルカ世代のトラツキが、氷河期世代ヤンGとゆとり世代リュウに檳榔の食べ方をレクチャーしているところだ。ヤンGは顔をしかめながらも期待を込めた表情で咀嚼を続けている。さすがだ氷河期ヤンG…。

と、その時、リュウは檳榔を吐き出した。
 
「うぇっ!俺、ダメっすこれ! うぇっ! ぺっぺっ!」
 
私はゆとりのリュウに鉄拳制裁のひとつも喰らわせ、貴様は一年間檳榔も食わずに台湾でなにをしとったんじゃボケ! それで貴様は台湾のナニをか分かったつもりになっとるんかいカス!!! と叫びたかったが、とはいえ、歳の差が大きいので、向こうからはざっくりと “昔の人たち”、“昇り龍世代”などと括られているかもしれないが、細かくいうと実はイルカ世代の私たちなので、そんな暴言を吐いたりはしないのだ。心の中で願うばかりである。
 
「あははは。無理することはないさリュウちゃん。ほら、この水で口をゆすいで。私だってコーヒー呑めるようになったのは30過ぎてからだった。さ、そろそろ行こうか。ダンのお墓まではもう少しだ。ところで疲れていないかい? 元トラック運ちゃんの僕が運転代わるから安心して後部座席で休むといいよ。道案内だけお願いね?」
「アプリに住所打ち込んであるんで」
「そ、そうだったね」
運転手が私に変わったところでカーステレオから矢沢永吉が流れ出した。助手席のヤンGからのたむけというわけだ。私は削った命の重さで勝負してやるぜ! とアクセルを踏み込んだ。

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 檳榔兄弟 ヤンGとカーツヤ

私たちが司令部より発せられた新作戦、CN『蘭芳公司』のために台湾入りしたことはすでに述べたが、つまるところ作戦名以外はまだなにも決まってはいない。ともかく、2008年の高雄映画祭以来12年振り、ダンが亡くなってから7年という時を経て、ようやく再び台湾を訪れることができたのだ。我々は今作戦をダンのお墓参りからはじめることにした。そしてダンが繋いでくれた仲間たち、先ずはユイとカイを頼ることにしよう。おそらく、そういうことだったのだ。
 
私は檳榔を一気にふたつ口に放り込み噛み砕くと一度も唾液を吐き出すことなくすべての汁を呑み込んだ。すると体の中心からもりもりと皮膚を破らんばかりに熱がこみ上げてくる。先ほどまで感じていた寒さは一瞬で吹き飛び全身から汗が噴き出してくる。
…オーヴァー



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ダン(本名 陳炯霖)の墓前にて 合掌 
 

空族

“作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する”をモットーに活動を始めた映像制作集団。毎回、常識にとらわれない長期間に及ぶ独特の映画制作スタイルをとり、作品ごとに合わせた配給、宣伝も自ら行なう。2017年にタイ・ラオスでオールロケを敢行した『バンコクナイツ』(監督・脚本:富田克也、共同脚本:相澤虎之助)が公開。他の近作に『サウダーヂ』(富田監督)、『バビロン2 ‐THE OZAWA‐』(相澤監督)、『チェンライの娘』(富田監督)など、著書に『バンコクナイツ 潜行一千里』(河出書房新社)がある。