妄想映画日記 その168

新年明けての樋口泰人の「妄想映画日記」更新は12月後半の日記です。抗がん剤を止めて、爆音映画祭の下見を兼ねて高知県立美術館で開催された甫木元空監督のライヴと個展へ。少しずつ調子を取り戻し、リム・カーワイ監督とビクトル・エリセ監督の新作を見たり、梅田哲也個展へも行けたようです。
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文・写真=樋口泰人



12月16日(土)
昨夜のアナログばかの流れで高円寺北口のあづま通りにある中古レコード屋「ヨーロピアンパパ」に行った。確か80年代からある昔ながらの中古屋でおしゃれな中古レコード店に慣れてしまった若者たちにとってはハードルが高いかもしれない。狭いところにごちゃごちゃとこれでもかといろんなものが押し込められている。通路も人がひとり立つともう通れない。後戻りがきかない店である。しかしその中にお宝が眠っている。昨夜のアナログばか一代でかけたルー・ロウルズやロレイン・エリスンなどはこの中に眠っていた。1枚780円の胸いっぱいの幸せである。本日もシングル盤も合わせて15枚ほど仕入れて税込み9,800円だから1枚当たり650円ほど。1日本盤の見本盤でなおかつ東芝の赤盤。昨夜シェールの新譜の盤を見た湯浅さんが「東芝の赤盤みたいな色だね」と思わずつぶやいたのを思い出したがとにかく見本盤なので盤はきれい音もいい。極楽まで一直線である。それが780円。やれやれ物の値段とは何かという大いなる謎に答えはない。
会計を済ますと福引券を9枚くれた。商店会か何かの年末のサービスらしい。その場で9枚を開封していくとなんと3000円のあたり券も出て、合計3300円のレコード券がもらえたのだった。昨夜ここを宣伝したお礼だな、ということでありがたく受け取った。
 
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12月17日(日)
昨夜は仕入れたレコードをあれこれ聞いているうちに時間が経ち当然寝るのも遅くなり見事に寝坊。高知への飛行機の時間にギリギリである。相変わらずと言えば相変わらずだが高知の気温を調べたら最高気温10度とあっていやこれは寒い完全冬支度で行かねばと厚着をして走ると汗だくである。なんと1本前の電車にと思い乗り換えを急ぐのだが気が付くと湘南新宿ラインのホームにいる。いや、お台場に行くのではなく羽田だと言い聞かせそれでも大崎までは山手線に乗るよりこのまま湘南新宿ラインに乗ってしまったほうが早い幸いすぐに列車がやってくる。大崎の到着時間を見ると品川に向かう山手線との乗り換えがうまくいけば品川で1本前の羽田行きに乗れるこれに乗れば安心だと身構えて階段を駆け上がるのだが山手線が運転時間調整とのことで遅れ残念ながら間に合いそうにない。羽田で走らねばとあきらめた。
しかしである。あきらめたところで落ち着いてチケットを確認するとなんと1時間勘違いしていたことが判明した。まだ全然余裕で昼飯を食う時間もある。これもまた相変わらずだとあきらめて昼飯を食おうとうろうろしているうちに乗り遅れないように気をつけねばとそれはそれで何となく気ぜわしくもありいったいどうして自分は落ち着いてゆったりと構えることができないのかとしょんぼりしつつしかし焦って走ったせいかどうも気分がすぐれず腹は減っているが食べられそうなものがない。こういう時は蕎麦ということで食ってみたのだがなんと蕎麦のつけ汁が酸っぱいのである。あり得ない酸っぱさ。蕎麦屋の問題ではなく自分の味覚の問題であることはすぐわかるのだがわかったところで解決はしない。酸っぱいそばをとにかく胃の中に流し込んでの高知となった。
予想通り寒い。震えながら県立美術館に向かったのだがわかってはいたものの川沿いで周囲に何もないので風もビュービューと吹き体感温度はマイナス5度くらい。震えながらホールへと向かうと入口前ではファンの方たちがこの寒さの中ですでに並んでいる。バウスだったら中のロビーで待ちましょうと言えるのだが公的な建物なのでこちらの勝手にはいかない。しかし何とかならないものか。あと90分ほど。皆さん大丈夫だろうかと心配はしつつわたしは案内されるままに中へ。前野くんは半そででリハである。ここのホールは能の舞台もあって生音でも十分伝わるからいろんなことができる。逆に言うと爆音上映は音が反響しすぎて調整が難しくなるだろう。その確認のために来たのだが果たしてどこまでやれるかスピーカーの配置などを含め明日の打ち合わせのためのアイデアがぐるぐると頭の中を回る。
ライヴはふたりの対比が見事だった。前野くんの強い声、甫木元の小さな声の変化。そのふたつがセットになって足元を揺らす。いつ何をしでかすかわからないぎりぎりのところまで自分を持って行ってしかし冷静に歌う前野くんの姿はたとえて言うなら誰だろうと考えていたのだがなかなか思いつかず。最後に客席に向かってステージを歌いながら降りていく姿を見たときにアレックス・チルトンの姿が重なった。機材が壊れてPAから音が出なくなり仕方ないというかPAなくてもこれができるさそのまま生で来客たちと歌ったライヴアルバムが出ていたが、まさにあんな感じの生きていることと歌うことと自分が自分であることと自分が他人と混ざることとが一体となった音楽がそこにあった。そしてその後の甫木元が歌った前野くんの「愛はボッき」で涙腺崩壊で極寒の高知の夜は更けていくのであった。鰹の塩たたき、にんにくのぬたをわさび代わりにつけた鰤その他の刺身の数々も最高であった。打ち上げに同席した本業はカメラマンの手相見の山崎さんにみんなで手相を見てもらったのだが、わたしは運のいい人の塊みたいな手相&したがって今後何やっても困らない好き勝手生きてOK&長生きもするとのお墨付きを得た。まあ、実際どうなるかわからないがとりあえずまあわがまま言わせていただくことにする。
 
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12月18日(月)
午前中はまず昨日のライヴの会場で1月の爆音の機材とセッティングの確認。今回はこれがメインの作業だったが来てよかった。機材チームとわたしとの認識に信じられないくらいの違いがあった。このまま本番だったら大変なことになった。とにかくその認識の違いを修正、予算はないがそれに合わせてこちらの要望を聞いてもらった。
そして甫木元の展示「窓外」を見た。『はだかのゆめ』で見慣れた風景が、ある時間軸と共に70枚ほど並べられていく。ハーフサイズで撮影したとのことで、すべてが2枚一組の写真になっている。その組み合わせ、そして並べられている写真の流れによってこちらの視覚が次第に変化していく。いったいこれはいつだれが撮ったのかそして今それを観ているわたしは誰なのか。それを観ている何ものかの視線に乗り移られたのかそれとも自身が何者かに変容したのか、とにかく視線の主体の思うまま時間の旅が始まった。最後の海の写真のことを昨夜前野くんがしきりに語っていてそのことをすっかり忘れたまま海の写真にたどり着きハッとしてさらに遠い場所へと意識は飛んだのだが、そのちょっと前にあった雪の写真ですでに意識はどこでもない場所へと舞い上がっていったのだった。ああこれは『エリ・エリ』の最後で窓の向こう側の浅野忠信の静かな動きをじっと見つめる視線そのものだ。あの時もゆっくりと雪が降ってきたのだった。これは映画版、小説版、展示版『はだかのゆめ』の完成でもあり「青山真治クロニクルズ展」の完成でもあるなと勝手に確信した次第。
その後は夢心地。腹は減ってるのだがまだ意識がこの地上に戻ってこず、主人のいない肉体もゆらゆらと街を徘徊するばかりであった。昼食はいくつかの候補の店があったのだがうろうろしているうちにひろめ市場にたどり着いてしまい市場内での食事になった。食事中に財布を床に落としていて、周りにいたすっかり出来上がっていた地元の人らしきおばちゃんたちに「わたしらいい人だからいいけど、うっかりしてると持って行かれるよ」と笑いながら指摘される。確かに言われるまでまったく気付いていなかった。そんなわけで運の良さをここでも地味に発揮しつつ帰路に就いたのだった。東京は寒いと言われていたが高知に比べたら楽勝だった。
 
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12月19日(火)
朝から病院へ。6週間ぶりの採血と検査、担当医との面談。血液検査は問題なし、抗がん剤の辛さと症状を伝えると医者は無理してやることないのでやめましょうと。前回も似たような展開で、でもあまりにあっさりと言われたのでいやいやせっかく2回もやったのだから続けますよと言ってやったのだがさすがに今回は無理である。1月末に術後半年ということで造影剤を使ってのCT検査などをするまではいったん中止。1月の検査の結果次第で薬を変えて再開するか、あるいはそのまま経過観察に入るかが決まる。とにかくしばらくはあのつらさが訪れることはないのだが特別晴れやかな気持ちになることもなくつまりまだ味覚異常や吐き気や鼻からの出血が続いていて気持ち悪いのである。簡単ではない。
簡単ではないのだが、とりあえず友人たちと待ち合わせ深川付近の某寿司屋のランチ。酢飯のおかげで口の中の酸っぱさや不味さが一時的に吹き飛ぶので寿司だけは食えるのである。1,500円なので通常のランチレベルの値段なのだがこれがなかなか素晴らしい。こういうのが普通に食えるのは本当にありがたい。人生が変わるほどのうまさを求めているのではない。普通に生きるためのエネルギーでもある普通のうまさと丁寧な仕事がそこにあればもうこちらは十分に幸せである。特別なことをしたいわけではない。

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12月20日(水)
疲れていた。7時間ほどぐっすり寝たが寝足りず、昼寝もしたはずだ。夜はリム・カーワイ最新作『すべて、至るところにある』を観た。これまでのリムくんの映画の集大成というふうにも見えるし「バルカン三部作」の最後にふさわしい作品とも言えるのだが、何よりもまず旧ユーゴスラヴィアの記念碑「スポメニック」にやられた。2年くらい前にヨハン・ヨハンソンの『最初にして最後の人類』を観たときにこんなところに死ぬまでに一度は行きたいけど無理だろうなあとあきらめていたのだがあきらめてないというか、行きたいところに行くことを何の躊躇もなく(いや、実際は大変な作業だったとは思うのだが)実行できる人がここにいたと、それだけで感動してしまった。リムくんがスポメニックを知ったきっかけは何だったのか、今度会ったときに尋ねてみよう。そしてこれは完全に個人的な感想なのだがうらやましいとともに「私の代わりに行ってくれてありがとう」という感謝の気持ち。わたしが行かなくても誰かが行くそれでいいのだというわたしとあなたとが溶け合う視線をこの映画は持つ。ためらっていたスポメニックの写真集も思わずポチってしまった。いったいそのスポメニックがこの映画とどう関係があるのかということはパンフレットに書くのでそちらにて。すべて、至るところにあるのは空間だけの問題ではなく時間の問題でもあるということが、リムくんの映画の太い流れであることはここでもはっきりと示されている。

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『すべて、至るところにある』英題:Everything,Everywhere
2023|日本|カラー|DCP|5.1ch|88分
アデラ・ソー(蘇嘉慧)、尚玄、イン・ジアン(蔣瑩)
監督・プロデューサー・脚本・編集:リム・カーワイ
撮影:ヴラダン・イリチュコヴィッチ 録音・サウンドデザイン:ボリス・スーラン 音楽:石川潤
宣伝デザイン:阿部宏史
配給:Cinema Drifters 宣伝:大福
©cinemadrifters
2024年1月27日(土)よりイメージフォーラム他全国順次公開
公式サイト

 
 
12月21日(木)
疲れは続く。さらにひどくなったと言うべきか。やはり先週からの遠出は無茶だったと今更思っても疲れは取れない。事務所の荷物整理をやったのだが途中何度も立ち眩みがして息も絶え絶えだった。荷物は各所に発送、処分などして半分くらいは片付き作業をするスペースはできたもののまだまだ気合を入れての整理が必要で気が遠くなる。ただとにかくそこで立ち止まっているわけにもいかず新文芸坐に向かうわけだが、その前に食った沖縄そばの味がしない。まだまだ塩味が感じられないのである。高知に向かうときの羽田で食った蕎麦がダメだった時の衝撃からあまり変わっていない。ああこれは当分麺類はダメだなとしょんぼりする。しょんぼりしたもののきっと2、3日したらまた麺類が食いたくなるだろう。すでに頭の中では美味しい麺類の味がぐるぐると渦巻き始めている。
新文芸坐委の甫木元&松浦トーク。松浦さんがいきなりこの映画の不穏さについて話し始める。ああ松浦さんもきっとこの映画に移って=映っているのに見えないものに触れたのだ。そして話が進むうちに場内もまた、映っているのに見えない何かで満たされてくるのだった。観に来ていた坂本安美も誘い、皆さんで心地よいひと時を過ごす。酒が飲めたらこういうときはさらにいい感じで自分を見失うことができるのだろうと酒飲みがうらやましくなる。
 
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12月22日(金)
疲れは続くものの昼から染谷くん峯田くんに何年かぶりで会う。さまざまな映画の話。俳優の方たちはみな、こんな話をそこかしこから聞いて体の中にため込んでそれを肉体化していくのだろう。単なる無駄話の時間でもあるのだが、だがこういった時間が必要なのだ。
その後税理士との面談。さまざまな数字を見つめての2時間ほど。終了後池袋に向かおうとすると風景がおかしい。気づいたときには足元がふらついてまっすぐ歩けない。メニエルのめまいである。かろうじて地下鉄の駅にたどり着きアルコールがまったく入っていない酔っ払いの人として地下鉄に乗り池袋の街を歩きしかし腹は減った。とはいえ何も食う気が起きず仕方ないので文芸坐そばのヴェローチェでひと休み。アールグレイとホットドッグを頼んでみたのだが、アールグレイは問題なしホットドッグはケチャップの存在を忘れていてそれだけでぐったり来たのだが何とか腹の中におさめた。トマトソース系がまったくダメなのである。とはいえとにかくひと息ついたことでようやくめまいは落ち着き、新文芸坐。甫木元の声はまさに昨日の松浦さんが呼び出した不穏なものたちもすべて引き連れてさらに新しい場所へと向かうはかない力の集合体のようなものになっていた。青山から渡されたというエレキギターの響き、ファズのノイズがそんな声にまとわりつき、まるで新文芸坐の会場全体が歌っているようであった。
新文芸坐の音の良さについての話もした。これは音響システムのセッティングの良さでもあるのだが、一番は、機材を入れ替えた際に新しくなったDCPとアンプとをつなぐドルビーのサウンドプロセッサ、CP950。これは特別なものではなく、今、映画館のサウンドシステムを入れ替えればこれになるというデフォルトのシステムである。現状で多くの映画館で使われているのがCP750と呼ばれるひとつ前の型で、今はCP750は製造中止、新しい映画館や機材を入れ替えた映画館は必然的にCP950になる。そんな当たり前の機材なのだが、750と950では本当に大違い。呆れるくらい繊細な表情を音が見せる。映像で言うと2Kと8Kくらい違うと言いたくなるような体感具合。プロセッサに付属しているスピーカーのチューニングをするアプリのイコライザーの細かさもおそらくそれくらい違う。あまりに細かすぎて、以前京都みなみ会館がシステムを新しくしてその後のboidsound調整の時はわたしも機材担当者もそれに対応できずとにかく750の時の大雑把なイコライジングで調整を行ったのだった。それでも十分。レコードを聴くときどうしてもスピーカーやアンプをどうするかを気にしてしまうが実は一番大事なのは音の入り口であるレコード盤に触れるカートリッジであるというのがアナログばかの前提であるのだが、このプロセッサの進化はたとえて言えば映画におけるカートリッジが格段に進歩したというわけである。新しいシネコンの音がいいのはまずはそのせいである。ミニシアターもプロセッサを新しくしたら呆れるくらいの音になる。新規オープンとなるナゴヤキネマ・ノイの仁藤さんにみなみ会館で遊んでいるはずのCP950を仕入れることはできないかと連絡を入れなければ。このところ各所でミニシアターの再建のためのクラウドファンディングが行われているが、そこで集まった資金のほんの一部(100万円以下で仕入れられるはず)をプロセッサ購入に充てたら、まさに「再建」にふさわしい音になるのだが。
そういえば新文芸坐からの帰りがけ、すれ違った3人組の男性たちから「NRQ」との発話が聞こえ振り返ってしまった。NRQのライナーの話をしていたようだ。牧野くんに教えてあげなければ。

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12月23日(土)
昼過ぎまで寝ていた。河村康輔くんの個展が本日までだったので行くつもり満々だったが全然無理。元気な日についはしゃいでしまうので他の日の反動が大きすぎるくらいにはまだ体力は回復していないということを改めて実感する。夕食後も椅子に座ったまま2時間も寝てしまった。
その後、発売が84年だから約40年ぶりに聞くミニマル・コンパクトの『デッドリー・ウェポンズ』。1,000円くらいで売っていたのでどんなだったか興味本位で買ってみたのだが40年前の空気をも十分引きずりつつまだまだ新しい。タキシードムーンのブレイン・L・ライニンガーとピーター・プリンシプル、それからアクサク・マブールのマルク・オランデルがサポートして思わぬ空間が出来上がっている。当時、インディーズとはいえ現在より全然ましな制作環境があったことが音からも十分伝わってくる。そういえばアクサク・マブールの新譜が出ていた。

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12月24日(日)
1日ダラダラしていると夜になってもなかなか寝る気にならず結局そのダラダラが翌日に持ち越しとなり休養になっているんだかどうなのか。ぐずぐずしているうちに朝食が終わるともう正午すぎで何もする気にならない。まあいくら何でもということで15時過ぎにようやく腰を上げ吉祥寺に行ってみたのだがあまりの人の多さに早々に退散した。帰宅後は再びめまい。味覚は少し戻ってきた。食後は2時間以上眠った。
 
 
 
12月25日(月)
朝食が酸っぱい。何を食っても見事に酸っぱい。いろんな不味さや苦さが消えて酸っぱさが残ったということか。昼は喉の手術をして本日退院という友人と退院祝いランチをしたのだが、その友人も手術後であらゆるものが酸っぱいと言っていて、普通ならおいしいランチを食えるカフェなのだがふたりとも単なる酸っぱいランチになってしまった。その後病院で人工肛門関係の報告確認などして帰宅したら3時間も昼寝してしまい、気づくと18時。ネットを見ると山口の爆音やアナログばかほかいろんなイヴェントの常連の沼さん死去の知らせ。やりきれない。本当に、空気と言うか風景と言うか当たり前のようにそこにいる存在だった。3年ほど前から病気をしていたのは知っていたが、それでも毎回顔を出して「体力がなくなって…」みたいな話をお互いにしていたのだが。最後は9月の爆音だったか、いや2月に山口に行ったときか、あるいは昨年の爆音か。もうすでに記憶があいまいでぼんやりとしている。でもいつもそこにいた。それだけは確かである。だから今後もいつもそこにいる。
 
 
 
12月26日(火)
本来なら山梨に行って施設に入所した母の顔を見る、という予定だったのだがまだ体調戻らず取りやめる。しかしさまざまな連絡事項がたまり、昼くらいから各所連絡したのだが途中で疲れて昨日に続き3時間の昼寝。未連絡多数。夕食後もまた2時間寝てしまった。
その後ビクトル・エリセ『瞳をとじて』。『マルメロの陽光』以来31年ぶりの長編ということになるとのこと。内容もその31年間の時間がそのまま広がっていると言ったらいいか。そしてその31年を作り上げたその背後にある長い長い歴史と今後の果てしない歩みとがその時間の背景に広がり、われわれは主人公の映画監督が22年前の撮影途中に消えてしまった主演俳優を探す旅に付き合いつつ、彼らの歴史や映画の歴史、彼らの未来や彼らの子供たちの未来そして映画の未来や人類の未来を旅することになる。基本的には主人公たちの会話で進む物語にもかかわらず時折思わぬところで誰も人のいないショットが当たり前のように映し出される。しかしおそらくそこには誰か人がいたはずなのだ。そしてもしかするとこれからそこに誰かが居つき新しい暮らしを始めるかもしれない。もちろんそれはこちらの勝手な妄想にすぎないのだが、そのさりげない無人のショットの雄弁さに引きずられて再び画面に登場する人物たちの語りに耳を傾けてしまうわけである。だからいつまででもそれを聞いていられる。これから31年間聴き続けてもいい。わたしの31年後、もしかするといやもうこの世にいないはずだがしかしそれでもこの世にいないものとして彼らの語りを聴き続けたい。
同じカンヌ映画祭に最新作を出品したヴィム・ヴェンダースはこの映画をどんな思いで観ていただろうか。『PARFECT DAYS』を未見なので何とも言えないが、『瞳をとじて』は70年代のヴェンダースが『パリ、テキサス』の主人公のようにどこか誰も知らぬ場所と時間を旅してまるで未来から戻ってきたかのように作った映画と言えなくもない。この映画とヴェンダースの70年代80年代の類似だけではなく、当時のヴェンダースの中に巣くった「映画」の魂がそこからさまよいだしふらりとエリセのところに立ち寄りエリセが当たり前のようにそれと対話して作られた奇蹟のような映画と言ったらいいだろうか。今のヴェンダースがつまらないということではまったくない。たんにそうやって「映画」の魂のようなものを受け入れたり呼び寄せたり立ち話をしたりすることができる人がいるというだけの話だ。それができないわれわれはただそれを観るだけである。それを観るだけでまるでそこにいるような気持になりいや本当にいることになるのだが、つまりこの映画の無人のショットで映されていない誰かとはそこにいたかもしれないいることになるかもしれないわれわれなのだと言いたくなる。だからきっとわれわれはこの映画をわれわれが死んでも観続け聴き続けることができるのだろう。

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『瞳をとじて』 原題:Cerrar los ojos 英題:Close your Eyes
2023年/スペイン/カラー/ビスタ/4K/5.1chデジタル/169分/字幕翻訳:原田りえ
配給:ギャガ
監督・脚本:ビクトル・エリセ 『ミツバチのささやき』 『エル・スール』 『マルメロの陽光』 出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレント 『ミツバチのささやき』
© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.
2月9日(金)TOHOシネマズ シャンテ 他 全国順次ロードショー

 

12月27日(木)
妻の誕生日である。毎年年末のバタバタの中なので27日なのか28日なのかよくわからなくなり結局どうでもよくなるのだが今年はちゃんとスケジュールを立てた。梅田哲也くんがワタリウムで行っている展示を観に行こう、そのついでに久々にまい泉に行ってとんかつを食ってみようという話になったのである。予想はしていたのだが、10年ぶりくらいのまい泉は激込みであった。半分くらいが明らかに観光客。驚きながら注文をするわけだが、突然の電話で梅田くんたちがまい泉前にいるとのこと。11月だったかに大阪で会い損ねたから会うのは1年ぶりくらいか。大阪でカレーを食って以来。子供たちも成長してびっくり。時間の流れが混乱を始める。それについ先日、2年前の別府の記事を新たに整理したばかりで、あの幾重にも重なる時間の提示の中にこちらは再度足を踏み入れたばかりである。どうやら東京で私に似た人と何回もすれ違ったと子供が言っているらしい。あちこちに樋口さんはいると答えたとのことなのだが、確かにそんな気もする。そういえばこの辺りで、子供時代の梅本さんにあったという話を以前この日記にも書いたことがあるのだが、おそらくこの辺りもまたそんな時間の層が重なり合って混乱する場所なのだろう。梅田くんたちはこれから大阪に戻るということでまた大阪でという話。戻るととんかつと牡蠣フライが運ばれてきていて今の状態でどれくらい味わえるかと試したところ、いやまだまだ先は長い。食べられるか食べられないかということで言うと食べられる。だが味はわからない。漬物とキャベツは美味しくいただいた。牡蠣フライもタルタルソースをつけず単に塩を振りかけただけで食べたらもっとおいしく食べられたかもとタルタルソース好きのわたしにとってはもう残念過ぎることを後から思った。
ワタリウムの展示は昨日の『瞳をとじて』ではないが、まさにそこに映っていないもの見えないものを聴く、感じる試みであった。冒頭の暗い部屋の中の気配はこれまで梅田くんがやってきた展示のそこかしこに感じることができたいつかあったものこれからあるものの気配が身体に触れ、背後を抜け、頬をなで、天井から降りてくるような感触。その後のいくつかのアナウンスはまるで別府の空から聞こえてきたかつてそこで聞こえていたかもしれないアナウンスのようでもあり、しかしそれがこうやって実態をもってそこにいる、その手の届きそうな距離感の絶対的で残酷な距離が今回のテーマのひとつのようにも思えた。それは途中で判明するのだが、道路を挟んだ向こう側の人々との面会。そして自分たちも最終的にはその場所に行くのだが、そこでは聴こえないはずのワタリウム会場内の音が聴こえる気がしたのはなぜか? いずれいなくなってしまうわれわれがかつて間近で聴いたはずの音を絶対的な距離を経てから幻聴する。この立場の移行。あの別府の空から降りてきた声のある空間へとわれわれを連れ出す試みと言ったらいいのか、『インターステラ』の主人公の状況は特別なことではなくわれわれが常にそうある当たり前のことなのだとそれは告げる。そして『コンタクト』の主人公の一瞬の果てしない旅の後の日常へとわれわれを降りたたせるのである。つまりわれわれはその後、届かない声を聴く、届かない声を届けるがそれは誤配される、われわれが聴いた届かない声は誤配された声かもしれないという「リミッツ・オブ・コントロール」の果てを生きることになるのである。
 
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撮影:後藤秀二

梅田哲也展
wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ
会場:ワタリウム美術館 + 空地
事前予約制
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1期:2023年12月1日[金]→ 2024年1月14日[日]
2期:2024年1月16日[火]→ 2024年1月28日[日]
公式サイト


 
12月28日(木)
抗がん剤投与をやめたのだから少しでも体にいいものをと健康食品関係を毎日いろいろ観ているのだが、当たり前だが高い。高くなる理由もわかるしそれだけの金で未来の健康を買うのは安いとも言えるのだが、やはり高い。自分の健康がこういった具体的な数字で金額として示されてしまうのが嫌なのか、あるいはその健康が保証されているものではないというあやふやな在り方が嫌なのか、体が欲している健康とそれらの食品が示す「健康」との間の距離、そしてそれをつなぐ金額との違和感が、それらを購入するまでには至らせない。わたしの場合、おそらく食事よりも睡眠と運動なのだということは十分わかっている。
夕方からは来年から始まるboidラジオ「Voice Of Ghost」の初収録。斉藤陽一郎とYCAMの今野恵菜との3人で進めていく。たまたま今野恵菜が年末の帰省でこちらに来ていたのでboid事務所での収録となったのである。第1回は1月半ばに配信。boidの今後や3月からのboidマガジンの有料化以降の展開、それに伴うこのboidラジオの未来などをワイワイと。だらっと聞いてもらえたら。そしてそのまま忘年会に突入、なぜか東京にいるYCAM関係者が集まったりして謎の集会となったのだがとにかく鶏の水炊きは美味しくいただけた。
 
 
 
12月29日(金)
予定では山梨に日帰り、施設に入所した母親の顔を見に行くことになっていたのだが起きられず。朝食が12時過ぎという始末で頭もぼんやりして体が片側に傾いている感じ。結局昼寝もしてしまい、夕食後にさらに寝てしまう。あんまりな1日に、せめてこの日1日を生きた証をと願ったものの何があるわけではない。数年前に森永泰弘くんがイサーンで録音したケーンの巨匠ソムバット・シムラの演奏がついにレコードになったのでそれを聴き、心を空に飛ばす。ケーンて、英語だとバンブー・オルガンて言うのか。日本の笙はなんと言うんだろう。左耳の耳鳴りがひどい。

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Sombat Simla “Master Of Bamboo Organ – Isan, Thailand”
 
 
 
12月30日(土)
またもや昼寝をしすぎてしまった。昼寝というか……。散歩はした。まっすぐ歩くのに力がいる。
夜は10時過ぎにようやく起き上がり、ティナリウェンからの流れでサハラのバンド、ンドゥ・モクターと表記するのかエムドゥ・モクターと表記するのか。21年のアルバム。マタドールからリリースされていてびっくり。80年代はポスト・ニューウェイヴのゴシック系のバンドとかをあれこれリリースしていた印象が強いのだが。だから雑に聞くといかにもな白人のロックとサハラの音とのエキゾチックな融合、という感じにも聞こえてしまうのだが、背後に響く小さな音の広がりに心を震わせる。どういうミックスをしているのだろう。空間がどんどん広がっていったいどこから聞こえてくる音なのかがよくわからなくなる。空間というよりも時間が広がっていく感じか。いったいこれはいつ演奏されたものなのか。『AFRIQUE VICTIME』というタイトルからは歴史の背後に消えていった数えきれない人々の姿がぼんやりと浮かび上がる。曲の背景の小さな響きの数々はそんな彼らの聞こえない声、ということになるのか。中ジャケの写真がいい感じである。ここからは彼らが今生きている現在の時間が伝わってくる。

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12月31日(日)
いつもの年は大みそかにその一年を振り返るようなことはほとんどないのだが、今年はさすがに振り返ってしまった。いろいろありすぎたので致し方なし。夜は映画を観ようかとも思っていたのだが、テレビの前でそのままダラダラと過ごした。いろんなことができずいろんなことを諦めたこの一年の最後はこんないつ終わるともわからないダラダラがいいかと思ったのだった。世界のゆがみとの終わりのない戦いが待っている。
その後、昨日の続きでニジェールのバンド、エトラン・フィナタワ『DESERT CROSSROAD』。サハラの伝統楽器とエレキギターが混ざり合い、加速する資本主義に自分たちの暮らしを奪われてしまった部族の悲しみや郷愁などを歌う。いつ終わることのない歌。それが彼らの戦い方である。いくつかの歌で聞こえてくる手拍子がそこかしこで響き始める。持たざる者の音、すべてを奪われた者の音と言ったらいいのか。いつかこの音が世界を覆う。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。