妄想映画日記 その164

樋口泰人の「妄想映画日記」10月後半の日記をお届けします。前回よりも抗がん剤のクールからの回復が遅いために無理な予定を入れず、その日暮しのような生活も楽しみながらの日々のようです。中原昌也さんのお見舞いに行ったり、ミラクルズやラベルを聞いたりも。
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文・写真=樋口泰人



10月16日(月)
朝から思い切り調子が悪い。無理やり歯医者に行った以外ほぼ何もできず。あらゆることが上の空である。午後以降はほぼ横になったまま、23時過ぎてようやく起き上がるというひどい状態だった。ひたすら薬明けを待ち望む。
 
 
 
10月17日(火)
とにかくこの2日間がひどい状態だったので、午前中無理やり散歩に出る。最後の1週間、少しでも気分を変えて貼りついた吐き気を振り落とそうという目論見。高円寺駅すぐそばの小さな市場の八百屋、魚&肉屋の価格破壊ぶりには毎回驚かされるが、久々に中をのぞいた魚屋&肉屋には唖然とした。魚は港のそばの道の駅並みの価格。見た目も新鮮でぷりぷりしたやつがスーパーなどの3分の1くらいの値段。思わず、焼き魚用と刺身を買ってしまったのだが、呆れたのは肉。豚肉1キロが480円とか、ありえない金額で鶏肉も同様。さすがにこちらはいったい何を食わされてこの肉になったのかと思うととてもじゃないが買えなかったが、いよいよ年金しか収入の道がないとなったら迷わず買うだろう。食い盛りの子供たちが何人もいる一家とかは、どうしたってこれになるかもしれない。ただ普通に考えたらどうやってもこの価格にはならないのだ。いったい仕入れ値はいくらなんだろう。
というわけで夕飯は刺身と焼き魚で何とか吐き気をやり過ごした。ここまで来たらいかに気持ちを前向きにさせるか、それ次第。どうやったって吐き気の中で食うしかないのだから「まずい」と思ってしまったらその時点で終了。ただ刺身のツマの千切り大根を食ったときだけは気持ちが吐き気に負けた。どうしてこの刺身のツマはダメなのか。理由を考えても始まらない。とにかく一口噛んだ瞬間にダメなものはダメとなるのである。潔く諦める。
 
 
 
10月18日(水)
滞っていた各所への連絡をした。ただすればするほど更なる連絡事項が出てくる。きりがないので適当なところで切り上げる。しかし夜は疲れが出たのかどう頑張っても食べる気にならず、果物とプロテインドリンクでやり過ごした。思い切り具合が悪い。
 
 
 
10月19日(木)
昨日よりまし、ということで事務所に行ってみた。その途中、試しに昼食を外でと思い、しかし通常の量は絶対に食べきれないのと普通の味付けだと口の中に充満する胃液の嫌な味に負けてしまうだろうということで、軽く食える立ち食い蕎麦にしてみた。しかし一口目からぼんやり。立ち食いソバの濃い味付けでも味覚がまったく反応しないのである。途中から拷問。いったい何を食えばいいのか。
そんな状態だったので事務所はさっさと切り上げる。そこにあまり良くない知らせがいくつか来てさらに気分は暗くなるが、それ以上に鼻水がすごすぎてそれどころではない。体中の水分がすべて鼻水として出てしまうのではないかという具合で、花粉症を抗がん剤が強力にバックアップしている。気が付くと喉が渇いている。しかしこうやって鼻水として外に出てくれているうちはまだいいのだ。そうでないときは喉の方に落ちてくる。これが、口の中の胃液とまじりあって尋常ではない気持ち悪さなのである。妻にはもう薬を飲むのを止めたらと言われるが、いや、これはこれでいいこともあるのだと秘かに思っている。どういうことかと言えば、こういったことのおかげで生活や仕事やこれまでの人間関係を変えることができる。いい機会が訪れているのだ。それを逃す手はない。久々のビッグウェーヴには乗る。それだけのことだ。
深夜、80年代に働いていた高円寺のレンタルレコード屋のオーナーが脳出血で倒れリハビリ中との知らせ。わたしも含め周りがバタバタと倒れていく。あまりに立て続けに周りの人間が倒れるので、最初のうちは「お祓いを」と思っていたが、ここまでくると「いや、そうではなく、単に年齢のせいなのだ」と思えてきた。戦前生まれの世代なら80歳が見えてきたあたりでこんな感じになっていたのが、味の素や人工調味料などで育ったわれわれの世代以降は彼らよりもずっと弱く、倒れる年齢が10年ほど早まっている。そのうち日本の平均寿命は短くなり70歳代に落ち着くのではないだろうかとも思うが、いや、倒れてぎりぎり生き残ったわれわれがヨレヨレになりながらズルズルと長生きするのかとも思う。いずれにしても残りはご機嫌でいきたいものだ。
 
 
 
10月20日(金)
いよいよ口の中と胃の調子が最悪になってひたすら耐えるのみ。何をしたのかも憶えていない。各所にいろんな連絡はしたはず。夕方以降はひたすら寝ていた。
 
 
 
10月21日(土)
あと数日したらとにかくおいしく食事ができるという淡い希望と、とはいえ今は何を食ってもまずいし口の中の酸っぱい匂いが食欲のすべてを持ち去って何も残らないという現実とが渦巻いて身動き取れず。散歩はした。抗がん剤服用の最後の数日はマジでつらい。辛さを紛らわすため、boid事務所の引っ越し先をネットで探している。とにかく事務所の冬の寒さは尋常ではない。エアコンもその他の暖房器具も、ブレーカーが落ちるギリギリまで使って、なおかつダウンやコートを着ながら仕事をしないと寒さにやられる、という状況。毎年冬が来る前に引っ越しをと思うものの忙しさに紛れて全然実行できなかったのだ。今年こそ。体力はないが時間はある。しかも事務所はものだらけで事務所というより整理されてない倉庫と言いたくなるような混乱ぶり。それらの荷物を整理処分するいいきっかけにもなる。荷物たちには本当に申し訳ないが、思い切らない限り次には進めない。ということで新事務所候補地を探してみたものの可能な予算より数万以上は出さないといい場所は見つからない。エレベーターなしの5階、という物件は出てきたのだがさすがにつらすぎる。というか、予算に合う部屋の広さに合わせて荷物を整理する。これが目的だったのではないか。いつの間にか欲望が現実を忘れさせてしまう。ニール・ヤングが録音スタジオとして使っていたロサンゼルス郊外の閉館した映画館の必要以上の広さを思い出す。あれを広いと感じるかこれくらいがちょうどいいと感じるか。いや、ならば田舎に住めばいいのか。いよいよ空き家になりつつある山梨の実家問題の解決にもなるという声も聞こえてくるが、しかしあそこは車がないと生活ができないのだ。
 
 
 
10月22日(日)
朝から体調最悪で、夜の『はだかのゆめ』の甫木元と磯部くんとのトークに顔を出すのはあきらめ、各所にその旨連絡。あとはひたすら寝ていた。夜、妻が仕入れてきた静岡からの釜揚げシラスを使ったシラス丼がおいしく食べられたのが救いだった。
 
 
 
10月23日(月)
昨日青森の友人から届いたりんごがめちゃくちゃうまくてテンションが上がる。千雪という種類で東京では見たことがない。甘すぎずすっぱすぎずバランスが取れたシャープな味。抗がん剤の服用もあと1日だから、とりあえずこれを食ってやり過ごすことにする。しかしそれ以外の食事に関しては、ここまで来ると完全に詰んでいる。いくつか食べられるものがあり、同じものを食べるしかない。いろいろ試しているがダメなものはダメ。いずれにしてもあと1日。2月には半年間の投薬も終わり、その後人工肛門からの復帰手術も終わりリハビリも終わったころには、山梨の実家をリフォームしてそっちに拠点を移すかとか、そうしたら日の当たる暖かい部屋で仕事もできる、レコードもでかい音で聴けるとかいろんな妄想が渦を巻く。しかし人は転勤や進学などではなく、どういうときにどういうきっかけで、自ら進んでそれまで住んでいた場所から遠く離れた場所へと移るのだろう。今度、湯浅さんや浅川さんにインタビューしてみよう。しかしそんな妄想が過ぎて夕方の歯医者の予約をすっかりぶっちぎってしまっていた。
 
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10月24日(火)
抗がん剤第2クール終了で気持ちは前向きになっているのだが、体内に蓄積された抗がん剤の量は最大ということで、副作用もピーク。口の中がすっぱくなりすぎて、もうこのまま治らないんじゃないかとさえ思えてくるし、とにかく何を食べてもだめ。午前中、散歩に行った以外ひたすらじっとしていた。
 
 
 
10月25日(水)
第1クールに比べて第2クールは体力の回復もあって体はそこそこ動いたのだが、胃腸は激しくやられた。YCAMの時には自分でも驚くくらい元気だったのでそれくらいは動けるだろうという予測のもとに今回の休憩期間の予定を組んでしまったのだが、大間違い。多分しばらくは何を食ってもまずいままだ。果たして元に戻るのかどうか。にわかに自信を無くすくらい調子が悪い。YCAMに行ったときは初日の夜にはおでんの大根しか食えないということでおでん屋に行ったのだが、本日おでんを食ってみたら大根がまったくダメ。薄味がまったくわからないだけでなくただひたすら口腔内の不味い味わいが増幅するばかり。果物だけが頼りという1日であった。
夜はDOMMUNEのジョン・ゾーン特集を観た。本来ならわたしも出席しているはずだったのだが、抗がん剤の服用が終わったばかりで体調に不安ありということでイメフォの山下くんに代わってもらったのであった。でも早めに決断しておいてよかった。今日の調子ならまったく無理。それに山下くんの丁寧かつ具体的な説明を聞くと、たとえ体調が良くてわたしが出演して説明するよりはるかに分かりやすく、あらゆる意味で山下くんに代わってもらってよかった。もちろん坂本安美にお願いするというのがまずあったのだが、なんと足の骨折中。わたしの周りの病人&けが人の多さに本当に呆れる。
そして侯孝賢。公式に認知症のため映画製作から引退の告知がされた。何年か前からその話は聞いていてがっくりしていたのだが、1年ほど前、スー・チーと一緒の写真と共にテレビドラマの製作みたいな話がネットに出ていて、おお復活するのかと喜んだものの写真に写る姿があまりに痩せこけていて弱弱しく心配していたのだった。
Indie Wire の記事
昨年、いくつかの映画がリバイバルされたが『ミレニアムマンボ』と『百年恋歌』『好男好女』が上映できないのが寂しい。いろいろ思い出がありすぎてまだ全然言葉にならない。
 
 
 
10月26日(木)
残念ながら味覚異常も吐き気も治らない。このまま治らないのではないかとさえ思い始めるが気が付くと食べ放題のご機嫌食いしん坊になっているのだろう。我慢の1日。
 
 
 
10月27日(金)
予定ではもう、ご機嫌でうまいものを食っていたはずなのだが、まったくままならない。おかげでいくつかの予定をキャンセル、歯医者だけは行った。ようやく物がちゃんと噛めるようになる。物理的な体勢はすべて整ったのにもかかわらず、薄味のものを食った瞬間口の中を荒らしている胃液が暴れだし吐き気全開。果物と、濃い味付けのものでやり過ごす。妻がイノヤマランドのライヴで北海道に行ってしまったので、本日から4日間は猫さま当番である。東京国際映画祭も始まっているが、触れることもできない。まあ猫さま当番がなかったとしても今後はライヴやイヴェントや映画館に行ったりすることは、簡単にはできなくなるはずだ。ただでさえ出不精なのに、外に出なくていいいろんな言い訳の材料がいくつも出てきてしまっている。せっかくなのでこれをきっかけに生活自体を変える方向をずっと考えているのだが、ということをすでに何度も書いている気がする。ぐずぐずとではあるが、それくらいには今後の変化を楽しみにしていて、いろんなものを失ってもあまり気にならない。
 
 
 
10月28日(土)
病気が発覚して以来ネット上に載せられている病気関係の記事を折に触れて読んでいるのだが、本日は食事に気を付けたり生活を健康的なものに変えたりするよりも、とにかくストレスをなくすのが一番、という記事。どうやら、食事や生活で病気になったり回復したりするのは10パーセントから20パーセントくらいで、残りは全部ストレスというデータのことも読んだ記憶がある。そういえば病院の担当医も、食事は気にせず好きなものを食うこと、自分のペースで過ごすことを第一に指示してくる。とはいえ酒だけは飲みすぎるなとは言われたがそれはまあわたしにはまったく関係ない。とにかくお気楽、ご機嫌に、自分のスタイルで生きる。だが東京にいるとそのために半端ないストレスが生じることになる。簡単ではない。
散歩に出ると町中にコスプレの人々がうろうろしている。ああ、ハロウィンかと思ったら高円寺フェスだった。駅前の広場に作られたステージにはアイドルたちが次々に上り、お狐さまたちのパレードも始まった。いったい高円寺では何が起こっているのかと名古屋の友人に画像を送ったら、どうやら大須でも似たようなことが行われているらしく、似たようなお狐さまたちの画像が送られてきた。いったい日本はどうなっているのだろうか。しかし昼食の仕入れをしようと思って外に出たのについ久々の中古レコード店に入ってしまい、700円くらいで売っているものだからついいろいろと買ってしまった。ミラクルズの63年のアルバム『The Miracles Doin’ Mickey’s Monkey』。同年の前作『The Fabulous Miracles』もそうだが、アルバム全体から当時の勢いが伝わってくる。いくつものヒット曲ともしかするとヒットしたかもしれない曲の可能性のかけらが織りなす見事なアンサンブル。そしてそれ以上にまるでライヴアルバムのような、スタジオ全体の空気が揺れるその揺れがこちらの心を揺さぶるダイナミズムは何なんだろう。1本のマイクで録音したのではないかとさえ思ってしまうようなこの全体感と言ったらいいのかひとつひとつの音ではなく音楽がひとつの塊として身体を包み込む。その「Whole Lotta Love」な感じ……。デジタル録音では絶対にありえない何か、そこにはいないはずの何かまでも巻き込んでの演奏にうっとりするばかり。まあこれもまたこちらの妄想と言えば妄想にすぎないのだが。そんなわけで散歩をして飯を作り飯を食って音楽を聴いたら1日終了。吐き気は少しましになってきた。第1クールの脅威の回復には遠く及ばないよたよたの回復。



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10月29日(日)
母親が施設に入り、実家に住む人がいなくなってから数か月。妹と妻が片付け作業をやってくれているのだが、遅かれ早かれこの実家をどうするか問題が浮上する。売れるような土地だったらいいのだが、実家のある場所は夏は暑く冬は寒い、しかも誰もがイメージする田舎の風景とも違う中途半端さで車がないと身動き取れず子育てするにもわたしの母校ももうすぐ廃校になるらしく不便極まりない。つまりどうやっても売れない。隣の家も同様な問題を抱えそれでもということで家を取り壊し土地を売りに出したのだがどうやっても売れず結局は町に寄付をしたとのこと。家の取り壊しもただではなく数百万はかかるわけだから、つまり土地も家も消えそのために数百万円も消えてしまうというわけである。放置された家が多いのもこういった事情によるのだろう。ならば解体する金でリフォームして、boidの倉庫にしたりわたしの避難場所兼仕事場にしたりするのはどうだろうと思いいたり、実家すぐそばにある母親の実家に暮らす叔母と従妹にそれらや家の現状保持のための相談やらをしに日帰りで山梨へ。ついでにこのあたりで映画を撮影するらしい某監督作品に我が家を貸し出す話も出て、プロデューサーもやってくる。わたしも昨年からの体調不良で実家に戻るのは10か月ぶり。家の中はだいぶ荷物が片付けられていて、つい数か月前までは人が住んでいたという生活の名残の温かさと今後はもう住む人がいないという残酷な静けさがまじりあってもはや自分の力の及ばない世界がここを覆ってしまおうとしているその最後の時間に立ち会った奇妙な悲しみが心の隅をよぎった。そういえば東北大震災の後1か月も経たぬうちに福島に行って「帰還困難区域」に迷い込んでしまったとき、つい1か月前までは普通に人が住んでいたその町の静けさにああまるでロシア映画の町のようだとソクーロフやタルコフスキーの映画を思い浮かべていたのだが、まさにそんな感じ。果たしてリフォームしたところでこの小さなしかし決定的な悲しみは消えるのかどうか。それとともに生きるのも悪くはないと思うが、いつかその小さな悲しみの強さに体が蝕まれていく予感はすでに満載である。もちろんそうなったらそうなったでOK。それは誰にも簡単にできるわけではない貴重な体験となるはずだからやはりリフォームは悪くないアイデアであるとますますリフォームへと心は傾く。だが問題はその資金をどうするのか。いつものことなのだがまずはここで躓くことになる。
しかし日帰り山梨は病人にはなかなかしんどい。我が家では猫さまたちが腹を空かせている。

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10月30日(月)
抗がん剤服用期間中はその日その日で体調が大きく変わるのでほぼまったく予定を入れずに暮らしていて、つまり完全なその日暮らしなのだがそれが思いのほかというかこれこそ今わたしがやるべき暮らしであるとしか思えない気持ちよさで、その爽快感が副作用の辛さを上回り始めている。だから抗がん剤はドクターストップがかかるまではどんなにつらくとも続ける強い意思はあって、普段はいろんなことに動揺しまくり臨機応変と言えば聞こえはいいがただただひたすら軟弱なだけのわたしが、これに限ってはゆるぎない確信とともに動いている。その意味ではこれまで生きてきた中で今が一番元気というかいろんなことが吹っ切れたまま生きているのではないかとさえ思っている。何も予定を立てないで堂々と生きる。まあ、1か月後に何と思っているかはまったくわからないのだが。
とはいえ2週間の休止期間中はついつい予定を入れてしまいああこんなはずじゃなかったとぐずぐずと愚痴を言い始めたりするのだが、本日は以前から休止期間中に一度はと約束していた、入院中の中原見舞いで朝からバタバタした。どうやら病院食がまったく口に合わないらしく差し入れの食べ物を喜んで食っているらしいのでいったい何を持って行こうかと悩んだ末に、boid事務所のそばにある高田馬場のとんかつの名店「ひなた」のカツサンドにした。そのための予約電話も先週末に入れておき、わたしにしては珍しくてきぱきと準備をしたものの、高田馬場経由で病院に行くのはだいぶ大回りになり乗り換えも増えるため予定時刻に病院にたどり着くには何時に家を出たらいいのかとか途中で何かあったらどうしようとか、朝からそわそわしていたのだった。こんな時に頼りになる妻もまだ北海道だし猫たちは常に腹を空かせているし。副作用がようやく収まってくるとそれに伴って気持ちが急く。友人たちと話をしていてもいつもより半テンポ早く言葉が出てくる。これは一体どういうことか。明らかに違うのである。おそらく他人から見たらこのスピード感が「元気」という風に見なされてしまうのだろう。思ったより元気だと会う人ごとに言われる。
見舞いは確か週に1回、1回に2名までで15分間というそれなりに厳しい条件が付く。今回は阿部(和重)くんと一緒に。阿部くんもわたしも直接中原に会うのは1年ぶりとかそれくらいではないか。病院とつないだオンラインでは何度か話してはいるがこうやって直接会うのとはやはり全然違う。たとえ体が思うように動かなくてもそのこと自体には悲観的ならずその中で無駄かもしれないが無駄ではないかもしれない思考を巡らし体が動いているときとは違う形で世界を押し広げる。そんな絶望と希望悲観と楽観とが入り混じったしかしそれでもさわやかに新しい一歩を踏み出している中原が今ここにいるという空気を感じることができる。阿部くんと一緒にこれから企画の話もしてあっという間の15分。コーラがご所望ということで、面会後は1階のコンビニでコーラを買い、担当看護師に預けた。病院はまだ新しく、中に入ると私が入院していた佼成病院と似たような風景なのだが、外回りは全然違う。都会の中に突然現れた森の中にある病院と言ったらいいのか、いくつもの棟があり、それらのうちのひとつはまだ新しいのにもかかわらず測り知れない歴史も感じさせ、これ黒沢さんに見せたらさっそく映画に使うんじゃないかとさえ思えるような風情。果たして設計者は何を思ってこのビジュアルにしたのか。もちろんそこまで大げさに「旧館」を装っているわけではなくそこから先はこちらの幻視に近いもではあるのだが、とはいえこちらの視覚を刺激する何かがそこには確実に埋め込まれている。中原、ずっとここにいればいいのにとも思った。まあ、現実にはそんなわけにはいかないのだが。
その後は事務所に行こうとしていたのだが、昨日の山梨日帰りの疲れが出てきたので帰宅して昼寝。そして夜は某所でうなぎを食った。まだ味覚は半分ちょっとくらいしか戻っていないのが確実に実感されたもののうなぎのおいしさはわかった。特に他ではみかけないうなぎの一夜干しはなかなかの味であった。もう今回の休止期間は味覚が完全に戻ることを期待しないという覚悟はできた。そう思えば何とかなる。

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10月31日(火)
歳をとると疲れがタイムラグを伴い、おそらく日曜日の山梨日帰りの疲れなのだろう何とか起き上がったものの眠い。とはいえ嫌な眠さではなく心地よい疲れとともにある眠さで何もなければそのままうとうとと転寝しながら1日を過ごすことになるわけだが、束の間の抗がん剤休止期間でもありようやく何とか副作用も切れてきたため、事務所で人に会う予定をあれこれ入れてしまっていたのだった。メインは銀行との面談。最近は銀行の話になるたびに言っているのだが、零細企業は大手都市銀行に口座を作ってもいいことはなく、何はともあれ信用金庫などの小回りの利く銀行にすべきである。ちゃんと相談に乗ってくれるし提案もしてくれる。「こんな助成金があるんで使えるんじゃないですか」というような助言もあり、例えば新宿区の小さな助成金など普通に働いていたら簡単に見落としてしまうような助成金をありがたく受け取れたりする。小さなことだが、普段の仕事の中での必要経費の何割かがそれで補えるとなるとこれは助かる。不便なのはキャッシュディスペンサーの数が少ないことくらいか。とにかく今回はboid事務所引っ越しの相談。銀行との取引のある不動産屋を当たってみてくれるわけだが、ついでに、空き家の処分に困ってるところとかないですかねというような地域情報をお願いしたりもした。とにかくboidの冬は寒い。この事務所だけ別の国なのではないかとさえ思う。あらゆる暖房を全開にしてダウンを着て震えながら仕事をする。毎年冬を前に今年こそ引っ越そうと思うのだが引っ越し料金のことを考えると簡単には決断がつかずぐずぐずともう6年以上。今年はいい機会である。病をきっかけにこれまで決断のつかなかったことをひとつひとつ変えていく。引っ越し料金はきっと何とかなる。それよりもまずは皆さん元気でご機嫌で暮らすことを優先で。
アラン・トゥーサンがプロデュースしたラべルの74年の作品『Nightbirds』。この絶妙なアレンジ。メインのボーカルも含め、それぞれの声や音が際立ちぶつかり合ってそこから大きな変化が生まれるというようなものではなく、それぞれがただ単にそこにありそのことがお互いを関連付けその連なりの風景がこちらの耳を刺激する。音と音との間の何もない空間に吹くそっけない風が頬をなでる。その風の通り道がわれわれの歩むべき道をそっと示すと言ったらいいのか。アラン・トゥーサンが触れている「歌」の意志が声や音に乗り移って全体像を作り上げる。1曲目の「Lady Marmalade」から心を鷲づかみ。いやそんな乱暴なやり方ではなく丁寧に作られた薄い皮膜が心を包み込んでわれわれを見たこともない風景のもとへと連れていく。夢見がちがおっさんは、ついついウルっとなってしまうのだった。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。