- 2023年04月20日
- テレビ
Television Freak 第78回
家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんによるTV時評「Television Freak」。今回は「少年の夢」をテーマに、4月に放送が開始されたドラマ『らんまん』(NHK)、『だが、情熱はある』(日本テレビ系)などについて論じられています。
「少年の夢」のゆくえ
文・写真=風元 正
大谷翔平とともに「二刀流」という言葉が使われる時、「子供の頃からエースで4番」という昔のオロナミンCのCMソングを楯にして抗いたくなる。少年野球の世界では、運動神経抜群で運動会の花形になるような子が打って投げて走って活躍する方が当たり前だった。甲子園ぐらいまでは、「4番ピッチャー」のワンマンチームで予選を勝ち上がる場合も多く、たくさん補欠たちが居並んで応援するような野球名門校とぶつかって敗けても、少人数で爽やかな戦い方をするので拍手されたりする。巨人の坂本勇人などが素質的にはそのタイプの代表であり、昔の選手ならば桑田真澄だが、だんだんポジションが投打で専門化してゆくのはもっぱら「大人の事情」による。
WBCのメキシコ戦で、大谷が2塁打を打った後に投げたら息が上がり、微妙に制球を乱して、「さすがに人間だったか」とこちらはほっとしたけれど、大して乱れずに済んだのは体力と鍛え方が違うからだし、登板イニングが短かったからでもある。毎日野球するプロ球団では優れたピッチャーは貴重で、投げる専門なのは、走ったら疲れて打たれるとか、スライディングをすると怪我しやすいとか、もっぱら消耗を防ぐという現実的な理由があるにすぎない。一方、4番ピッチャーで出場して投打で活躍できた試合で味わう「全能感」は至上であり、「少年の夢」であり続ける。
私は松井秀喜のメジャーリーグ入りとともにV9巨人と似た洗練を体現していたジョー・トーリ監督のヤンキースに夢中になったクチであるが、あの頃の最高の選手はむしろ、怪鳥ランディ・ジョンソンや“クッキーモンスター”デヴィッド・オルティーズのような、怪物的な大きさの身体を、やっとこさ野球という小さな球を扱う競技に適応させている選手であり、ずっとゴジラと呼ばれていた松井も含めて、どこかで異形の者の昏さを感じた。
しかし、身長193 cmもあるのにスポーツ万能型のまますくすく成長した大谷のバランスのとれた体躯にはまったく昏さはない。社会人野球の選手の父とバドミントン選手の母から受け継いだあの手足の長さが技術の肝で、打者・大谷はあらゆる選手を苦しめる外角低めの速球に、ベースからやや離れて立ってもバットが届く。だから、顔の近くの内角高めの速球という投手にとっての最大の武器が無効化されてしまうのだ。ガリガリだった高校時代から、質のいい筋肉を身に着ける努力を科学的な計画に則って続け、圧倒的なパワーを身に着けたから可能なスタイルである。投手としても、抜群の球威を生かす小技を毎年開発し続けているのが立派であり、精神的に安定している点も大きな長所だ。
小学校の花形選手は、体が早く固まってしまうために上のレベルでは挫折しがちである。ダルビッシュ有も高校時代はガリガリだったが、それゆえ伸びしろが大きかった。大谷の同級生で、高校時代は打たれる気がしなかった名門・大阪桐蔭のエース藤浪晋太郎が、アメリカに行って、ストライクすら投げられず、身体的な成長も乏しいのを見るにつけ、複雑な心境になる。大谷翔平は、「少年野球」の理想をプロの最高レベルで実現した、世界の野球史上はじめての選手なのである。
ちなみに、ラーズ・ヌートバーの成長過程を紹介するヴィデオを見たら、アメリカではアメラグやバスケットなどさまざまなスポーツを経験しながら自分に合った種目を選ぶことを再確認した。「エース4番」が花形という価値観は野球人口が圧倒的だったかつての日本だけだろう。ピカピカの「野球少年」がアメリカを倒して、試合後は両軍握手という物語に日本人が熱狂するのは納得がゆく。
大谷を苦しめそうなのは、あの体重を支える膝や、速球を投げるために酷使する肘、あるいは坂本も苦しむ腰痛など、関節への負担だけである。しかし、今のところ大丈夫そうだ。私の心配はむしろ「野球資源」の涸渇で、目を惹く選手がものすごく減っていることだ。WBCでも、飛び抜けた選手はメキシコのレフトで一番、ランディ・アロザレーナくらいで、決勝のアメリカチームのリリーフ陣の球威のなさにはがっかりした。野球界に貧しさが目立つこの状況では、「二刀流」大谷翔平はしばらくメジャーリーグを席捲し続けるだろう。
日本野球に科学的練習が滲透した時代に育った大谷翔平と、AI将棋の進歩とともに出現した棋士・藤井聡太は、間違った努力は一切せず、飛び抜けた資質を最短距離で開花させたという点で似ている。どちらも《ネオテニー(=幼形成熟)》的ではない「大人」に成長しているのも斬新だ。しかし、翳りがない代わりに人間的にクリーンで完璧すぎてとりつく島もない。20代という頭脳や身体能力が最高の時期に完成した選ばれし民に、今後はどんな成長の物語が残されているのか。
私は、大谷と菊池雄星が卒業した花巻東高校の野球部監督・佐々木洋さんが行きつけという一関の鮨屋に行ったことがある。ネタが大きく、新鮮で、とんでもなく安く、しかもステーキやトンカツまでメニューにあった。近頃、都会のリトルリーグ出身のエリートから、あまり出世する選手が出ないのも示唆的であり、東北の豊かさも大きいのかもしれない。
『らんまん』が快調で朝が楽しい。南方熊楠でも柳田国男でもなく、「少年の夢」である植物愛を貫き通した植物学者・牧野富太郎という選択が絶妙である。幕末から明治、大正、昭和にまたがる94年間の人生で、ずっと現役を続けたのは驚異的で、博物学というジャンルには特別な力が備わっているという気もする。成長した天才子役という新しい在り方を示した代表格の神木隆之介もはまり主役で、あくまでフィクションとして自由さも確保し、余分なことを書かずに毎日見ることにする。浜辺美波はやはり、明治の和服美少女が似合う。
美しい『牧野日本植物図鑑』は子供の頃から憧れていて、あの本が土佐の大きな造り酒屋を一軒潰して成立したのか、と思うと感慨深い。自家で醸造をするというのは、金銭だけでなく科学的な知見も自然と備わる環境でもある。造り酒屋の家から文学者や科学者が出る例は多く、文化的な豊かさを支えていた。牧野は本草学から植物分類学への転換期を体現した人で、手書きの絵を武器にした職人的技術者であることも魅力である。多少デフォルメしてもかまわないので、どうして牧野富太郎のような人がこの世に現れたのか、ドラマと書物を通して半年間、学んでゆくつもりである。
『だが、情熱はある』は、山里亮太(南海キャンディーズ)と若林正恭(オードリー)という人気芸人の伝記ドラマ。2人は若手時代からずっと気になっていた。どちらも平均的な家庭で生まれて大学まで進学したのに、「何物かになる」ことを夢見て芸人を目指すという進路選択の大胆さに興味があった。そして、山里が出たNSCに入る若者の心理も知りたい。スポーツや音楽ならば子供の頃から練習し、素質のあるなしは早い段階で判断できるし諦めもつく。しかし、芸人の才能はどう見極めるのか。あれだけ同期生がたくさんいれば、みんな売れっ子にならないのは自明なのに、それでも学校に行く。
昔の例として、たとえば横山やすしは、旅回りの芸人と旅館の仲居さんとの間に生まれた私生児で、他家に養子に入り、少年時代に素人漫才番組で鳴らして、漫才作家・秋田實に弟子入りしたのだから、いかにも芸人になりそうな来歴である。しかし、戦後生まれの生育環境はどんどん均一化しており、社会の多様性も薄れている。その中で「面白い人」が誕生するためには、学校でカリキュラムを学ぶことが必要らしい。
山里と若林は、どちらも知的な構成力が目立っていた芸人で、新人の頃はそれがちょっと鼻についた。しかし、芸に「勉強」の痕跡が薄れて自然になり、頭の回転の早さと多方面への配慮が生きるようになる。2話見た時点でも、天性の才能をそのまま伸ばして、というプロセスではないのはよくわかった。内村光良などはスポーツ万能で勉強もでき、地元の熊本では「神童」と呼ばれる存在で映画学校出だから、微妙に個性が違う。
山里役の森本慎太郎と若林役の髙橋海人は「青春」を好演していて、春日俊彰を演じる戸塚純貴が授業中、髙橋に黙って襟足を切られているのが愉快である。驚いたのはヒコロヒーで、何をしてもひねくれた思考で褒める山里の母親役が板についている。性格俳優の道があったのか。山里と若林は、大学の創作学科出身の作家のような新しいパターンの芸人であり、その秘密がドラマによって垣間見れることを期待したい。
『ジョブチューン~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』を見ていると、最近の企業間競争の厳しさがよくわかる。町中華への愛着から避けていた「餃子の王将」につい入り、すぐさま軍門に下ってしまい、いつも頼む回鍋肉についての超一流料理人の評価にドキドキしたが、全員合格でほっとした。気合が目立った商品開発責任者の池田勇気さんは学生時代4年半バイトして入った看板社員で、自社のHPで「私は学生時代、野球をしていたのですが、王将の店長は野球の監督が試合をつくるのと同じように、自分で考えながら店舗をつくっていくことができるんです」という発言をしている。
「餃子の王将」に限らず、登場するどのチェーン店も、全国津々浦々で日々同じレベルの商品を大量に提供するためのオペレーションに命をかけている。いつも感心するのはコンビニスイーツの開発者で、値段、品質管理、パッケージ、運搬など、多くの制約に立ち向かいながら、スイーツ専門店に足を運ぶ余裕すらない人に思いを馳せて商品を企画する方々が、いい評価を得て涙しているとこちらまでもらい泣きしそうになる。ローソンのスイーツ開発担当の吉田祐子さんなど、何人かの顔を覚えてしまった。オペレーションが高度になればなるほど、最後の仕上げに必要になるのは個人の力である。
たまたま、最近テレビで瞥見した、突出した「個」のイメージが面白くて列挙してしまった。一方で「虚構」側はどうしても嘘臭くて、実話には勝てそうにない。『羽鳥慎一モーニングショー』に玉川徹が復活したら、善かれ悪しかれ番組がイキイキするのも「個」の力。ただ、気になるのは、時代が下れば下るほど牧野富太郎のような暢気さが失われていることである。牧野富太郎の存在感も長寿が肝であるが、もろもろどうしても物足りないのは、オロカな昭和生まれとして、近代史最強のキャラクターである昭和天皇のような息の長そうな人の姿を見ないのが原因ということに思い至った。
昭和天皇はクラゲの研究者で、江ノ島水族館に行けば観察していた海の生き物を見ることができる。その水槽は「コスパ」や「タイパ」のような言葉とは無縁の世界であり、90年近い生涯で、胸中にずっと「少年の夢」が息づいていることを国民はみな知っていた。もとより、昭和天皇は功罪相半ばする御方であるが、善と悪のどちらも深い体験を持っておられることも魅力である。あの上品な老いは、井伏鱒二や笠智衆も実現しており、私の「少年の夢」は、恥ずかしながら、ああいう大人になって老いを迎えることだった。
ところが、かなり若い頃すでに、決してああいう成熟はできないことに気づいてしまった。自分自身についてはもう、素質がなくて生まれた時代にも限界もある、としか言いようがない。そして、大多数を占めはじめた1980年代以降生まれの世代にとっては、昭和天皇的な存在に触れる機会すら失われており、とりわけ日本では、若い頃だけが黄金時代、という価値観が幅を利かせている。