妄想映画日記 その149

3月前半も休養なしで、山口にて僧侶たちと焚き火を囲み、大阪・シネマート心斎橋と京都・京都みなみ会館にてboidsoundの調整を。そして『やまぶき』の山﨑樹一郎監督の第4回大島渚賞授賞式へ出席した妄想映画日記です。
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文・写真=樋口泰人



3月1日(水)
山口へ。ぐずぐずしていたら羽田着が遅くなってしまった。まあ、いつも通りということでもある。羽田で昼飯を食ってから搭乗という予定はいったい何だったのか。機内では『青山真治クロニクルズ』のための、最後のキャプション原稿を書き上げ宇部到着後すぐに皆さんのもとへと送る。これですべてのページが出来上がった。これだけの人間がかかわり、ページ数も増え、なるべくいろんな写真や資料をということでやっているとどうしたって最後はぎりぎりの作業になる。何とかなってよかった。あとは最後の修正作業のみである。ホテルでひと休み。ついでに温泉に入ろうと思ったのだが転寝してしまった。

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夜は廃屋でのイヴェントである。どう説明したらいいのかよくわからないのだが、とにかくYCAMのそばにある一軒家が解体されていく。その過程の中で行われるイヴェントということになるのだが、さまざまな場所でさまざまな活動を行っている人たちがそこにやってきて、山口の人たちと話す。家の解体の進み具合や天候気温などによって、会場の環境が変わる。その変化もまた「場所」の持つ時間として受け取りつつ場所や時間の持つ意味について語り合い感じあう、というような趣旨らしい。解体初期のころのイヴェントと、すでにだいぶ日数が経った本日とでは、家の姿もだいぶ違う。もはや外側の壁がなかった。外は雨。外側の壁にあたる部分にはビニールシートがかけられ、一応の冷気除けにはなっている。室内は焚火。雨漏りがする。なんと屋根瓦もすでに取られてしまっているのだという。焚火の方はどうなることやらと思っていたら、焚き木用の竹が盛んに燃え始めてからは熱いくらいだった。集まったのはなぜか僧侶の方ばかりだった。一体どういうことなのか。告知の仕方の問題なのか、このイヴェントの方向性の問題なのか。それぞれの自己紹介もしつつさまざまな話をした。途中からはわたしの人生相談みたいにもなった。曹洞宗の寺の方も来ていたので、青山が書いた親鸞をめぐる小説(未発表)のことや死期を間近に控えた青山の様子についても話した。あっという間の3時間。その後は例によってわたしと同じ名前の店「泰人」(タインチュと読む)で美味しい魚を食った。
 
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3月2日(木)
朝から足湯。好きで入ったわけではなく、YCAMの年間カタログの記事のための案件だった。しかし、朝の空気は予想以上に冷たく、多分あと20分くらい浸かっていたら全身が温まったはずなのだが、案件が終わったら終了で、半分寒いまま。まあでも、足元はほかほかである。そのままYCAMで今年の爆音の打ち合わせ。今年はYCAM20周年ということで盛沢山の企画、と思っていたのだが予算的にはそうもいかず。でもいつもより1日多い。その増えた1日をYCAM20周年記念爆音ベストセレクションの日にできたらという話。映画の場合権利切れが多数で、果たして思うようなプログラムができるかどうか、欲望と現実の差は大きい。しかしそれゆえか欲望は果てしなく広がる。

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そして大阪へ。シネマート心斎橋で『トップガン マーヴェリック』『バニシング・ポイント』のboidsound上映のための準備。『バニシング・ポイント』はモノラルなので、センタースピーカーひとつからしか音が出ない。それはわかっていたので、今回はそれだけでどこまでやれるかという実験でもある。リマスターされて音は格段に良くなったのだがそれでもシーンによって話し声の質感の差がかなりある。これを均一にすることはできない。その差が耳障りにならぬよう、そして音楽と車の暴走が絡み合いそれを観る自分の視覚がどこかで変容するぎりぎりのポイントを見極める。スクリーン2は前と後ろの差がかなりあるのでそれをどうするか。爆音的なものを期待する人にとっては最前列は最高の席だが、かつてのファンの方が一番前で観たくて座ってしまったらしんどいだろう。そこもまたぎりぎりのポイントを探る。まさに「バニシング・ポイント」を探る作業となった。
それにしても『トップガン マーヴェリック』の音はとんでもない。通常のboidsoundのレベルにボリュームを上げただけで映画館の機材が壊れるレベル。これを毎日何度も上映し続けたシネコンの機材はどうなっているのか。というかそもそもそこまで音量を上げてない。とにかく通常のboidsoundより音量を下げつつ微調整。ひとつのスピーカーからしか音の出ない『バニシング・ポイント』と違ってあらゆるスピーカーからバランスの取れた音が出てそれが作り出す空間の中にがっつり閉じ込められる。もともとのバランスがいいので、戦闘シーンの中でも話し声がすっと耳に入ってくる。こういうバランスを絶対に壊さないように、というのが音を上げた時の基本である。
それやこれや面白がってやっていると夜は更けるばかり。

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3月3日(金)
さすがに疲れがたまり始めぼんやりしながら各所連絡というのはリトルモアから出る『青山真治クロニクルズ』が本日入稿で河出書房新社から出る『青山真治アンフィニッシュド・ワークス』は校了。あまりの忙しさの中の作業だったので不安ばかりが募りそれが的中する案件も出てあたふたしているうちに昼飯を食い逃し京都に着いてからようやく蕎麦を食ったが高い。観光地値段である。それに対してとやかく言う元気もなくさらに連絡やら事務作業をしているうちに寝てしまい夜は友人と食事なぜか裸のラリーズの話で盛り上がる。まさに世界レベルの反響が起こっていて驚くがそれは驚く方がどうかしている昔からラリーズはそうだったのだと久保田麻琴さんに怒られそうだ。
久々のみなみ会館。アンプのメンテナンス、サーバーの取り換え(新規購入)のため、半年以上boidsoundがやれなかった。サーバーはCP950という以前の750の上位機種だが今はこれがスタンダード。イコライザーの設定も細かくできるし、すでに普通に出てくる音がきめ細かい。すべてのミニシアターが950に変えたらboidsoundの必要はなくなるんじゃないかとさえ思える中での『グリーン・ナイト』。どれくらいの音量レベルが妥当なのかと徐々に音量を上げていく。セリフはうるさくならない。これくらいの音量ならいろんなシーンで驚きつつ楽しく観られるのではないかというところまでたどり着いたのだが、そこに来るとなんだか全体の音が平板になってただでかいだけに聞こえてくる。ある音域を少し下げてもらうと音が動き出し目の前でぶつかり合い響きあい映像に埋め込まれていたいくつもの層が立ち現れそれぞれがそれぞれのさまざまな物語を語り始める。多分これを『ライオンキング』と2本立てでboidsound上映したら、観た人はしばらく別の人生を歩むことになるだろう。そんな上映をしたい。
そして『アメリカン・ユートピア』。以前にもみなみ会館でboidsound上映をしているのだが、機材が変わるとゼロから。そしてこちらもいくつも楽器のそれぞれの音の輪郭が絶妙な強さと繊細さで聞こえてきて、彼らのアンサンブルの面白さがおそらくライヴより確実に強く観客を揺さぶることになるはずだ。ライヴで観るのとも家で観るのとも違う、映画館という場所で音を調整して観ること独自の面白さ醍醐味である。これまで何度も観た人にも是非観てほしい興奮の一夜だった。

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3月4日(土)
連絡事項や心配事絶えずであまり眠れず、午前中から各所連絡。新幹線の車内でも延々とで、本当にもうこういう作業はやめにしたい。というかできない。おそらく各所連絡が負担にならない元気な人だったら何のことはない作業なはずだとわかっていてもできないものはできないわたしにこんなことをやらせるのは本当に間違っているという呪いがすべて自分に戻ってきて体調はどんどん悪くなる。
 


3月5日(日)
休養に充てようと思ったが休めず。事務作業など終わらず。ぼんやりとした不安が身体に充満する。
 


3月6日(月)
胃腸の調子最悪でぐったりしたままの月曜日。山口からすごいしいたけが届き興奮して食欲は戻る。夕方からは今年後半の大きな案件の打ち合わせ。やれば面白いに決まっているのだがどうやったらうまくいくのか、その「どうやったら」が難しい。予算があるなら話は別だがboidの案件に予算があるはずはない。どうしてboidに金をくれないのかそうしたらめちゃくちゃ面白いことが次々に起こるのにと世間を呪っても仕方ないので地味に助成金を申請したりクラウドファンディングを企画したりするわけであるがタイミングが難しい。少しでもいいやり方を。いったん開催時期の変更を提案することにする。帰宅後はしいたけステーキを食した。
 
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3月7日(火)
心配事はほぼ解決したはずなのだがぼんやりとした不安は消えず。その不安に駆られるように仕事に励むが本当はやらなければならない明日締め切りの原稿にはまったくたどり着かず。午後からはリトルモアで『青山真治クロニクルズ』の校了作業をやる予定が大幅に遅刻してしまった。まあ、最後のチェック自体はわたしは役立たず。何か起こった時のためだけにいる、という感じ。これだけの人数がかかわり、膨れ上がった内容を1年でよくまとめたとは思う。ずっと青山と一緒の1年だった。今後もずっと一緒に居続けるだろうと思える作業になった。この本にかかわった多くの人がそんなことを感じたと思う。
 


3月8日(水)
午前中はまだまだ山積み仕事で昼から銀行。その後某映画の宣伝会議がありそして夜のアナログばかのために下北沢に向かう。昼飯を食い損ねたのでまだ間に合うちょっとだけでも腹に入れようとそばを食っていたら「日付間違えてます?」「始まってますよ」というメッセージが届く。19時からだから18時30分過ぎくらいに行けばいいやと思っていたら、その時間がスタートだった。慌てて会場へ走ると湯浅さんと谷口くんしかいない。直枝さんも遅れていたのであった。まあ、致し方なし。デヴィッド・クロスビーである。わたしはバーズとニール・ヤングくらいしかレコードを持っていないのだが、こうやって聴くととめちゃくちゃ面白い。メロディではなく繰り返されるリズムの酩酊感。それなりの家柄のLAのぼんぼんでしかこのリズムは刻めない。世界からの逸脱感とそれでも余裕で暮らしていける豊かさが作り出す世界の揺れ。これからデヴィッド・クロスビーを聴くためにこれまでちゃんと聴いてこなかったのだと言い切れるほど運命的なものを感じた。ジェファーソン・エアプレインのアルバムで参加した曲もよかった。松本の蚕カレーとジェファーソンとバーズの話をした。なんでその3つが結びつくのか、来た人にしかわからない。どんどんアナログばかになっていくそのばか度がヒートアップするにつけぼんやりとした不安が消える。次回は1973年特集。絶対にこれは盛り上がる。2回連続でやろうかという話にもなる。72年から74年の間に何かが起こった。映画ではかつて『リュミエール』が73年の世代特集をしたが、音楽もまた73年に何かが起こったのだ。スティーヴ・エリクソン的な2つの世界がそこで出会ったというか。触れ合うべきではなかったはずのふたつの世界が当然のように触れ合いそれ故世界はさらに混迷を増しその濁流は今ここをも脅かしているのに誰も気づいていないそんな場所から見る1973年。そしてエクスネ・ケディが翌年に来日する1973年。
 


3月9日(木)
今日こそは昨日締め切りだった原稿を書こうと何も予定を入れず朝9時過ぎから動き始めたのにもかかわらず各所に連絡をしていたら19時くらいになってしまった。原稿、一文字も書けず。書けないのではなく書く時間がなかったということなのだが。
 


3月10日(金)
大久保の法務局に行かねばならないのでいつもの新高円寺ではなくJR高円寺に向かっていると駅前の喫茶店トリアノンのところにドトールの看板。ついにトリアノンがドトールになるのかと思ったら2階にドトールができていた。しかもカタカナ表記。「ドトール珈琲店」である。運営が違うのだろうか。

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そして法務局から事務所に向かう途中で事務所そばの成城石井で買い物をしたときに何かが足りないことに気づく。法務局によって取り寄せた印鑑証明やら登記簿やら、その他家にいるときに振り込もうと思っていた請求書やら、整理しなければと持ち帰っていた振り込み済みの請求書やらとにかくboid関係の書類あれこれを入れたトートバッグがないのである。どこかに置き忘れた。法務局ではない。そのあとに寄った高田馬場駅前の銀行ATMが怪しい。とにかく戻る。戻ったが当然のように何もなく、それでもと思いATMの電話で問い合わせると銀行の職員がやってきて銀行内に案内されいくつかの質問をされた挙句、トートバッグを渡される。そのやり取りの中で、わたしがどこの銀行のカードで現金を引き出したのかも把握されていることがわかる。つまり誰かが持ち逃げしてもおそらくすべて映像の証拠が残っているということで犯罪防止には役立つし今回のような場合は本当に助かるのだが、それが行き過ぎたら簡単にあらゆるものが監視されている息苦しい世界になるわけだしおそらくそれは避けられないと思えるので、その中でいかにばかになるか。正体のつかめない予測不能のばかになるか。そんなことを考えた。ますます中原が求められる。
事務所では久々に岩井くんと長話。この行き詰まりをどうするかという漠然とした話だったのだが最後には何となく今後のやるべきことが見えてくる。これもまたばかにしかできない。
夕方もまた高円寺経由だったので、夕暮れのトリアノンとドトールのツーショットを撮ってみた。
そして五所さんからはちくび珈琲も届いた。

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3月11日(土)
相変わらず調子は悪い。夜は梅本さんの逝去10年ということで『サッシャ・ギトリ 都市・演劇・映画』の増補新版出版記念のパーティ。それまでに原稿を仕上げようとするものの、体力がついてこない。書くことはわかっているしほぼまとまっているのに、じっと座っていることができないのである。座っている体力がない。いつものことでもあるがひどい。今後は原稿を書く身体を作っていかねばと思う。
そして渋谷へ。とにかく人がすごい。こちらが弱っているということもあるだろうが、コロナ前よりひどくなっているのではないだろうか? 道玄坂を上がっていくだけで10回くらいは世界を呪った。
会場は神泉駅のそば。たどり着いてみて以前やはり坂本安美たちと来たことのある店であることが判明。旧知の顔たちで満員である。同じ人だらけでもこちらはなぜか落ち着く。落ち着くどころかどんどん気分が良くなってくる。流れている時間が違うのだろう。あっという間に時間が過ぎる。アナログばか一代をやっているときにどんどん気持ちが盛り上がってくるのとどこか似た、自分が時間の中に溶けだしていくような感覚。無理してでも来てよかった。
しかし帰宅すると耳鳴りがひどくなっていてなかなか寝付けなかった。仕方ないので原稿を仕上げた。
 
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3月12日(日)
浅い眠りの後は目覚めたものの体が動かない。ぼんやりとしたままずいぶんの間やり残していた家の中のあれこれを片付ける。この1年、部屋の掃除さえまともにできなかった。まったく余裕なし。疲れ切っていた。というようなことを振り返る余裕ができた。しかしなんとも身体が動かず、昼寝をして散歩に出た。例の「ドトール珈琲店」でのんびり本でも読んでやろうというつもりもあったのだが、行ってみると道路わきの看板メニューのところに若者たちがたむろしている。なんだろうと思い2階に上がると階段脇に並べられた椅子に入店待ちの人々が。ああ、休日のカフェを甘く見ていた。
 


3月13日(月)
15時に事務所で今後の企画についての打ち合わせ。それまでは各所連絡とこれまでの作業の整理。だいぶ追いついてきたが余裕はない。夜はまず下高井戸シネマにて山﨑くんの『新しき民』のトーク立ち合い。自主製作で時代劇を作るという無茶はもう今はできないかもしれないが、その無茶は『やまぶき』にも引き継がれている。『やまぶき』の大島渚賞受賞でその無茶の道が別方向へと開いていってくれたらいいのだが。いずれにしても今の日本で自力で映画を作るというのは無茶以外の何物でもない。

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そしてショーン・ベイカーの『レッド・ロケット』。最初から映画(フィクション)を観ている気がしない。あまりに素のまま過ぎる俳優たちの顔つきのせいだろうか。ああこんな映画観たくないといきなり思う。こんな人たちと暮らすのは嫌だ。そんな思いを吐き出さられるだけ吐き出させられるのが前半。そしてようやくああこれはフィクションなのだと思い始めたのは確か『ブギー・ナイツ』だったかの話を主人公がし始めた時だったか。フィクションのスイッチが入ると物語も次々にいくつもの道を示し始め、そこから広がる可能性が彼らの現在に逆流しその時間の循環の中でテキサスの荒れ果てた土地を豊かなものに変えていく。かつて観たサーフィン映画でテキサス湾でのサーファーのシーンがめちゃくちゃ印象に残っている(『ステップ・イントゥ・リキッド』)。テキサス湾でサーフィンができるような波は来るはずがないのだが、石油輸送の大型タンカーが起こす人工の波でサーフィンをするのである。タンカーが走る限り同じような波は起こり続けサーファーはどこまでもその波に乗る。通常のサーフィンの場合、常に違う波がやってきてひとつの波に乗れる時間は限られている。しかしタンカーサーフィンの場合は同じ波が延々と続く。その退屈をサーフィンするのである。おそらくこの『レッド・ロケット』の舞台となったテキサス湾沿いの町の住人たちも、そんな退屈を生きているのだろう。何かが始まりそうで特別なことは何も始まらず何かが起こったとしても日々の退屈の中に吸収されていく。境も壁もなくただどこまでも広がっていく空間の中に人々は閉じ込められていて簡単に出ていくことができるはずなのに出ていくことはできない。映画の死と誕生を見るような映画だった。

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『レッド・ロケット』 © 2021 RED ROCKET PRODUCTIONS, LLC ALL RIGHTS RESERVED.


 
3月14日(火)
大島渚賞の授賞式。『やまぶき』の上映・公開は本当に大変だった。宣伝予算を聞いただけでどの会社も手を引くはずだ。あれこれやりくりしながらようやくここまで来た。監督、スタッフも大変すぎたと思う。そんなことも含め、本当によかった。会場で皆さんの挨拶を聞いていて涙溢れた。年齢のせいで涙もろくなっているのか。打ち上げもあったようだが、わたしはもう十分。皆さんにおめでとうを言って帰った。東京駅から歩いて帰りたい気分だった。
 
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3月15日(水)
諸事情あり西新宿の都税事務所へ。2年に1度くらいの割合で出向いてはいるのだが、80年代は輸入盤屋巡りで通いなれた西新宿も2年に1度だとさすがに戸惑い迷い続ける。だがそのあたりの風景がまったく新しくなったということではなく逆にほとんど変わらない昭和の終わりの空気感に戸惑い迷うと言いたくもなる時間の淀みの中に自分の身体が溶け出していく。新宿税務署に行くときもそんな気配はいつも感じていたが、この辺りはさらにそれがはっきりとする。今ここで映画を撮ったら絶対に面白いことが起こる。普通にはあり得ない時間が流れ出し観る者たちを過去にも未来にも連れ出していく。西新宿でぼんやりするその何もない時間の中で、いったいどれだけ豊かな時間に触れることができるだろうか。どれだけの映画を生きることができるだろうか。そんなことを思った。ああ、侯孝賢のドキュメンタリー『HHH:侯孝賢』をまた観たい。あの映画の中で故郷の高雄の街を案内する侯孝賢の姿は一生忘れることができない。

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『レッド・ロケット』 
4月21日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほか全国ロードショー 
監督:ショーン・ベイカー『タンジェリン』『フロリダ・プロジェクト真夏の魔法』
脚本:ショーン・ベイカー、クリス・バーゴッチ
撮影:ドリュー・ダニエルズ『WAVES/ウェイブス』
美術:Stephonik 
編集:ショーン・ベイカー
出演:サイモン・レックス、ブリー・エルロッド、スザンナ・サンほか
2021年/アメリカ/英語/130分/カラー/シネスコ/5.1ch/原題:Red Rocket/R-18+/日本語字幕:岩辺いずみ/提供:トランスフォーマー、Filmarks/配給:トランスフォーマー 
Twitter:@redrocket_jp 
Instagram:@transformer_jp 
公式HP:https://transformer.co.jp/m/redrocket/ 

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。