Horse racing watcher 第4回

40年にわたって競馬を嗜んできた風元正さんがその面白さや記憶に残るレースについて綴る連載「Horse racing watcher」第4回です。今回は最近若手の台頭も著しい騎手に着目。外国人騎手と日本人騎手の騎乗スタイルの違い、日本で活躍する2人の外国人騎手が強い理由、そして風元さんにとってのアイドルだという安藤勝己騎手の名騎乗などについて、詳しく解説してくれています。
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幽霊の声



文・写真=風元 正

 
縁あって、森美術館の「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」に通う事になった。Chim↑Pomの歩みを振り返る事は、そのまま21世紀の記憶を確かめる事につながる。お母さんになったエリイさんの機知と好奇心全開の明るさに接していると、存在の未来が拓かれる気になる。おもちゃ箱をひっくり返したように愉快で真摯な展示にぜひ足を運んで頂きたいし、「ビルバーガー」大好き、とかいいながら、実は六本木という街の寂れ方に愕然としている。若い頃はさんざん呑んだのに……。デートのついでに展覧会へ、という軽さが失せた。マンボウという魚の名前のような規制が鬱陶しい。
小欄の担当者に「馬の写真とか載せたかったのに」とボヤいたら、「競馬場に人を入れなくてもネットで馬券は売れているから、観客が戻るのは最後になるんじゃないですか」と自分で毎回書いている話で返された。担当者の反応により、競馬場の客は不要という現実が改めて目前に迫ってくる。ただふらっと出かけてターフの上を走る馬たちを眺める、というかつての当たり前が贅沢になってしまった。オグリキャップやディープインパクトを見るために集まった10万人の観衆はどこへ消えた。
パンデミックも2年を越え、人気のない街が当たり前になった状況が今後にどういう影響を与えるのか。感染症と戦争に勝つのは簡単ではない。


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日本競馬は不思議な活況を呈していて、ブリーダーズカップのマルシュロレーヌ、ラヴズオンリユー、香港でのラヴズオンリユーというGⅠ勝利に続き、サウジカップではダンシングプリンス、ステイフーリッシュ、ソングライン、オーソリティが重賞を勝った。GⅢだが賞金は90万ドル。日本で重賞を勝つより楽で儲かるから、当然、目標にする馬が増える。凱旋門賞のような、日本馬に血統的適性のないコース以外ならば、世界の有力馬と互角以上に戦えることがはっきりしてきた。
サウジで4勝を達成した騎手はC・ルメール。当たり前のように勝つのがすごい。この人はフランスでリーディングを争えるだけの資質を備えていたが、毎日世界中を飛び回るヨーロッパ競馬の生活が嫌で、週に2日だけ騎乗すればいい日本への移住を選んだ。こちらでも毎年夏休みと冬休みをとっているから、徹底している。さほど重要なレースのない冬場はいつもヤル気を見せないのだが、サウジに行けば本気になるのは流石である。
馬か騎手か。競馬では常に問題になるが、長年の苦闘のあげく、私は「馬10人10」という結論に達した。どんないい騎手でも、駄馬に乗って勝つことはできない。馬主や調教師も勝つためにはいい騎手を乗せたい。どっちもどっちで、単純にどのレースでも強い馬に腕達者な騎手が騎乗していて、騎手リーディングの順位がそのまま馬券購入の目安になると考えるに越したことはない。今のファンは賢くて、みなさんそういう買い方をしている。
同時に、騎手の腕の差が大きいことも明白である。私に騎手の騎乗技術について考えるきっかけを与えてくれたのは外人騎手と地方騎手だった。とりわけ大きかったのはアンカツ、安藤勝己の存在である。笠松の怪物オグリキャップの地方時代の主戦として全国に知られ、地方競馬との「交流元年」となった1995年に笠松のライデンリーダーで報知杯4歳牝馬特別に勝ち、当時のトレンドだった地方馬交流競走の常連となってしばしば穴馬を馬券圏内に持ってきてファンの注目を集めた。私の方もちょうど狭き門だったPATの加入権が当たり、全国の馬券が自宅のPCで買えるという夢の泥沼にはいった頃で、アンカツの馬券を買ってグリーンチャンネルを必死で見ていた。
すると、とりわけダートのレースで、馬群内側の逃げ馬の真後ろに位置することが多く、直線に入ったら隙間をみつけて先頭に立ち、全身で馬を促す独特の派手なフォームで追いまくってゴールまで保たせる。俗に「インのポケット」と呼ばれ、距離損が少なく有利なので新人騎手などは容易に入れないポジションと知るが、地方からの新参者でもアンカツは平気の平左で馬群に突っ込んでゆく。私は、アンカツの騎乗を観察する事により騎手の技術を学んでいった。
同じ時期、今は日本で騎乗しているM・デムーロや世界最高の騎手であるランフランコ・デットーリとかが来るたび、いきなり1日何勝もする、という出来事も続いていた。そこで日本の騎手は下手なのか疑惑が浮上したのだが、謎が解けてみれば簡単。JRAの、安全確保のために騎手は柵から1馬身分コースを開ける、という暗黙のローカルルールが原因だったのだ。ちなみに、馬群の隙間を作ったら叱られるヨーロッパ競馬では、有利なインを開けるなど考えられず、初来日した騎手たちは「いったいこの連中は何を考えているのか」と一様に驚くそうだ。必ず開くとわかっていれば、インでじっと我慢していればいい。
とはいえ、イン狙いにはリスクが伴う。コースが開いたら一瞬で反応しないとすぐ馬群は詰まり、何もできないまま終わってしまう。でも、デットーリなどは小さな隙間を見つけたらガッと馬体を突っ込んで隣の馬を弾き飛ばす。これもアンカツが活字にしていた話だが、向こうの騎手は太腿で馬体を挟み込んでビクとも動かず、手綱を軽く操作するだけで馬を動かすことができる。最小限の動作で済むから、反応も早い。ところが、日本人は足が短く内転筋が弱いので、馬を両足だけで抑えつけることができない。馬の首を肘で挟んでコントロールするしかないが、するとどうしても馬上で盆踊りをするような追い方になり、無駄な動作が多くなる。アンカツや名手・岡部幸雄も同じ盆踊りスタイルだ。
アンカツは向こうの騎手に、「オマエの乗り方だって正しい」と慰められたらしい。ただ、馬上からいきなり飛び降りる有名な勝利の儀式「デットーリジャンプ」や、ゴールの瞬間手綱から手を放して両手を広げるデムーロの「飛行機ポーズ」などは、農耕民族の日本人にはとうてい無理である。ちなみに武豊は身長が170cmあって手足が長く、馬を動かす可動域が広いという圧倒的な長所がある。50キロ以下という体重制限のせいで追うための筋肉がつかないのは難だが、ヨーロッパの競馬界でも高く評価されている。
 

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パンデミック前の日本競馬は、短期免許で稼ぎに来る綺羅星のごとき外人騎手の稼ぎ場だった。主導したのは世界有数の金満牧場であるノーザンFであることはいうまでもない。競馬の繁栄の基本は、安定して施行され賞金が支払われることだ。高額賞金の力で血統も改良され日本は競馬先進国の仲間入りをして、デムーロとルメールという2人の優秀な外人騎手も日本での騎乗を選んだ。デムーロがイタリア競馬を脱出した理由は、イタリア経済が低迷して賞金が安い上に支払われなかったりするからだ。
ところが、日本に定住すると話は違う。短期免許の時はお客さんだったからインが開いたのに、通年騎乗になると邪魔されて、コースを締められるようになった。頭がスマートなルメールはすぐイン突きを止めて外側から安全運転で抜け出すスタイルに変換したが、日本人の排他的な島国根性が察知できなかった陽気なイタリア人デムーロは、ヨーロッパ標準の短期免許時のスタイルを長く変えなかったので、他馬に前を塞がれて失格を繰り返して自滅した。最近はようやく落ち着いて外から交わすスタイルに変えたが、かつての爆発力は薄れている。
ルメールは追うアクションが小さく、フランスでは馬主から人気が出なかった。しかし、道中折り合って力を溜める技術は目覚ましく、コースロスなく馬群から抜けてきて最後まで馬が伸びる。派手さはないが一切無駄がなく、何より馬に負担をかけないからノーザンF序列NO1ジョッキーの座を長く保っている。クールに見えるルメールの恐ろしさを知ったのは2019年のNHKマイルCだった。1番人気のグランアレグリアに騎乗し、日本人NO1ジョッキーでノーザンF序列の1番手を争う川田将雅のダノンチェイサーが手応えの悪いグランの後ろからすごい手応えで伸びてきた瞬間、思い切り馬体をぶつけて勢いを止めた。どちらもノーザンF生産のグランとダノンは5着と6着で共倒れしたが、ルメールは1番人気の馬で負けるならば、川田を勝たせたくなかった。ルメール、川田は最善のコースを選ぼうとするから近い位置で走っていて、常に小競り合いが行われている。
短期免許の外人騎手が来なくなったこの2年は、横山一族の台頭が騎手地図を大きく揺るがしている。かつての障害騎手・横山富雄の息子の名手・典弘はもう54歳。息子の和生と武史が騎手となり、同じレースに騎乗して父が手取り足取り教えることによって、2人はものすごく伸びた。典弘が「天才」と評する武史は、デビューから徹底的に内ラチから離れず距離損を避ける基本に忠実な騎乗を続けて、前が開かない失敗も重ねつつ飛躍的に力をつけた。追うアクションが力強く若さの勢いがある。
弟の武史が伸びるに従い、くすぶっていた和生も台頭し、今はローカルで見事な馬場読みを披露し、勝ち星を重ねている。障害の名騎手・横山義行の息子・琉人は血縁ではないようだが、どこかで繋がりがありそうで、横山一族4人がレースで揃ったら誰かが馬券に絡む。身長が伸びてはまずい競馬界では、人間の方も血統が強い影響力を発揮する。今年の新人も、調教師になった元騎手の角田晃一の息子で、兄の大和も騎手の大河が初騎乗から2連勝という快挙を成し遂げ、度肝を抜かれた。前に同じ記録を達成した福永祐一の父は騎乗中の事故で今も車イス生活の洋一。父が「洋一が乗ると不思議に走った」(安田伊佐夫)天才で比較されて可哀そうだった福永祐一も2年連続ダービーを勝って名声を盤石にした。祐一は努力の人で、レースの日は必ず馬場を歩いて伸びるコースを確かめ、正確にそこを抜けてくる。若い頃は非力だったが、木馬に乗って鍛錬して筋力をつけ、見違えるくらい逞しくなった。
騎手がレース中何をしているのか。たとえば、アンカツがザッツザプレンティに乗って勝った2003年の菊花賞は、何十回も見た名騎乗である。菊花賞は3000mの長期戦で、京都競馬場を2周する。アンカツは、長い直線でバテるから「決して仕掛けてはいけない」とされる2周目の3コーナーで仕掛けて後方から先頭に立った。重要なのは外から勢いよく捲ったことで、馬群の速度が最も緩む辺りだったので全体が圧迫され、インの絶好位にいたM・デムーロ騎乗のネオユニヴァースはずるずると下がる。ザッツザプレンティは、瞬発力はないものの長く脚を使える馬で、アンカツは早仕掛けの技で有力馬の位置取りを悪くしてギリギリ先頭を守った。競馬仲間の演劇評論家・矢野誠一さんは「アンカツは汚い乗り方をするからイヤだね」と言うが、私は普通なら勝てない弱い馬を勝たせるこすっからい騎乗が好きである。アンカツは私の1歳上で誕生日が同じ。こちらも誕生日が同じで2回り上で同じ丑年の色川武大さんと並び、私のアイドルである。
 

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8月だったからもう半年もたってしまったが、高橋三千綱さんが亡くなった。『九月の空』で芥川賞を受賞してかつては文壇の寵児だった人。小説だけではなく、かざま鋭二のゴルフ漫画原作などでも活躍していたから、華やかさが失われた時期はない。私にとっては競馬場だけで会う人だったが、古井由吉さんも気を遣っていたし、スターとして敬意を払っていた。ところがこのお方、γ-GTP400代を叩き出し、肝硬変、食道がん、胃がんを次々に宣告されながら、10年以上、あまり治療をせずに酒も飲み続けて生きたのだ。「無頼」と持ち上げようとした坪内祐三の方が先に向こうへ行ってしまった。
私は競馬の後、1度だけ呑んで、席上で思い切り持ち上げたら、本を送って下さるようになった。とても感じ易く少年のまま大人なったハンサムで、常に自分がここにいるのは間違いではないか、という含羞を湛えていた。静かに笑い、酒を口に含むたびに嬉しそうにする。頂いた『ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病』を読んだら、医者のいうことは一応聞いているものの、治療はほっぽらかして好き放題の暮らしをしていて、あれなら本望だろう。西村賢太のみが文芸誌に追悼が出ないことを嘆いていて、その点はまったく賛成だ。三千綱さんこそ文学者である。世間から追放された日陰者が集まって、喧嘩しながらお互いを尊重し、死者は大切に弔ったのがかつての文壇だった。しかし、パンデミック下ではお別れの会すら開けず、死者はすぐさま忘れられてゆく。でも、この世を動かしているのが生者だけとタカをくくるのがすべての間違いの元である。
アンカツ、私は安藤さんと呼んでいるのだが、感嘆したのはお手馬のキングカメハメハが屈腱炎を発症した時の態度だった。安藤さんは「カメ」と呼び、NHKマイルCとダービーを、堂々と大外を回し邪魔だけしないでくれ、という騎乗で楽勝した近年の最強馬の1頭。しかし、秋初戦の神戸新聞杯は楽勝した後、屈腱炎を発症し引退に追い込まれる。凱旋門賞に最も近かった馬。安藤さんは無理な騎乗をしたせいでと自分を責めたのか、半年以上不振に陥り、私はなんともいえない無垢さを感じていた。今の安藤さんは、愉し気に競馬の魅力を伝えていて、いい人生を送っておられると思う。
ウクライナでの出来事も、ヨーロッパやアメリカに虐げられてきたロシア人たちの長年の怨恨が爆発した可能性が高く、すると今流通している言説はほとんど無効となる。近年、各地で民族の情念が噴出しているようで、上っ面の解説はどこへも届かない。そして私には、ついに大好きなタラバ蟹を諦める日が来てしまった。しかし、もう春。桜の蕾は膨らみ、パンデミックのお陰で澄む夜空の月は冴え返っている。世界は美しい。Chim↑Pomのみなさんに倣い、《Happy spring !》と呟きながら、幽霊からのかすかな声を聞こう。ついでに大川慶次郎さんの予想でも伺ってみるか。いよいよ、春のG1シーズンがやってくる。

 夜の梅少年の旅まだ半ば



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風元正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。