妄想映画日記 その139

年初にして今年の仕事の予定がすでに目一杯詰まってることが判明した樋口泰人の2022年1月16日~31日の日記。『戦慄せしめよ』(豊田利晃監督)ほかのboidsound上映の音調整や、試写で観た『スパークス・ブラザーズ』(エドガー・ライト監督)『MEMORIA メモリア』(アピチャッポン・ウィーラセタクン監督)『やまぶき』(山崎樹一郎監督)などについて記されています。
表紙.jpg 47.75 KB



文=樋口泰人


1月16日(日)
疲れ果て、ほぼ寝ていた。午後から『ハウス・オブ・グッチ』。実話というのがすごいとしか言いようがない。責め続けるレディ・ガガ。受け続けるアダム・ドライバー。同じリドリー・スコットの『最後の決闘裁判』でもそうだったが、アダムはほぼただそこにいるだけ。映画というより80年代テクノを聴きにきた、という感触。ユーリズミックスが流れたあたりが白眉だったか。でもやはりドナ・サマーか、というかジョルジオ・モロダーということか。グッチ家のことはまったく知らなかったのだが、名家には生まれたくはないねと、これは誰もが思うはず。だがそれよりも、物体としての「家」の物語として奇妙な魅力を放っていたように思う。そしてここでも車が速く走っていた。凍りついた山道を走るバイクにもドキドキさせられた。リドリー・スコットは頑張っている。でも上映時間が少し長すぎる。90分くらいで観たかった。

 


1月17日(月)
事務所にて山崎樹一郎監督と『やまぶき』の宣伝・配給経費についての打ち合わせ。金はない、ということはよくわかった。その中で何をするか。わたしへの負担もものすごく大きいということもよくわかった。
その後、映画美学校にて『やまぶき』の内覧試写。年末に最終版が仕上がったわけだからスクリーンで観るのはほぼ全員、これが初めて。オンラインのモニタ画面ではわからなかった表情の微妙な変化、視線の動き、空気感がその肌触りとともに感じられ、明確には語られない彼らの思いや、行動の原理を、はっきりと受け取ることができた。多くの出来事を詰め込みすぎかというくらい詰め込んだ物語だが、ああこれくらいでいいのだという落ち着きと言ったらいいのか、映画が映画であることを生み出す土壌の香りのようなものが漂う物語だった。16ミリでの撮影、ということも大きいのかもしれない。編集のリズム、カットのタイミングの潔さが、次々に展開する物語を支えていた。そしてほぼだれも脛に傷を持たない者はいない大人たちを見つめる若者たちの強い視線が、こちらの身体をも貫き通した。それはかつての「ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ」みたいな言い方ではない、つまり、大人たちへ向けての反抗の視線ではない、ひたすら自分とその足元を見つめる、そしてその足元の大地を貫き地球の反対側を見つめ、そしてさらに地球を半周して我々の背後から新たな明日を見ようとするような視線であった。簡単に言えば、わたしを信じて、という視線。ではないかと思う。これに乗るかどうか。わたしは乗る。それだけのことだ。

『やまぶき』メイン写真 (C) 2022 FILM UNION MANIWA SURVIVANCE.jpg 34.87 KB
『やまぶき』 2022年秋より、全国順次公開

 
 
1月18日(火)
鎌倉へ。あまりの仕事山積みで、湘南新宿ラインのグリーン車でパソコンを開きながら行く、という仕事のできる人みたいなことをしてしまった。というか、鎌倉までの1時間、座れなかったら腰がやばい、ということもあったのだが。グリーン料金1000円は果たして高いのか安いのか。
鎌倉では、江藤淳さんの遺族を訪問し、Voice of Ghostで夏から発売する「江藤淳全集」の契約をした。予定では何年かがかりで100冊ほど。すべてKindleでの発売である。いったいなぜboidがと思う方がほとんどだろう。まったく結びつきはない。わたしだってまともに読んではいない。今更江藤淳、と思う方も多いはずだ。読み尽くして卒業した方、その次のステージに行かれている方も多いと思う。だが、気がつくと著作の多くをもはや読むこともできない。古本屋では高い値段がついている。どうして当たり前のように読むことができないのか。読みたいとき、必要なときに読めないのはどうしてか。あるいはまた、老人になってから江藤淳に出会ってもいいではないか。年寄りでなくてはできない読み方もできるではないか。とかなんとか、いろんな思いはあるもののほとんどは偶然の所作。その流れにあまり逆らわなかった。果たして全作読めるかどうか、のんびり付き合っていけたらと思う。
その後、恒例の中華街。いつものあの店である。しかしシャッターが降りていた。まさかコロナで、と一同青ざめたが、定休日だったことが判明。致し方なし。第2候補の同發本館。昔からときどき食っていた店なのだが、やはり美味い。満腹で帰宅し風呂に入ろうとしていたら井手くんからラインが届く。「ロビーにいます」
いったい何が、と思ったら新文芸坐のboidsound調整の日であった。すっかり忘れていた。いつもならカレンダーに記録しておくのだが、今回はいつも連絡が遅れて焦る井手くんにすぐに連絡したことですっかり安心してしまっていた。カレンダーにもメモにも何も記録が残っていない。ああ。とにかく池袋に走る。
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』と『ジャッリカットゥ/牛の怒り』。『MONOS』は井手くんが大半はやってくれていたので、確認と微調整。松本爆音の時に配給の方が観て呆れ、それが新文芸坐でのboidsoundに繋がったのだが、とにかく音の映画。山岳を移動するゲリラの若者たちを取り巻く環境音が主役。その音の中で彼らの何かが反応して行動を起こすと言いたくなるような、無意識と意識が混在して混沌となりあらゆる場所から人間の身体を刺激する。
『ジャッリカットゥ』も同様。生きていることのすべてが音とつながっている。人々が昆虫のように生きている。牛に群がるハエの視線で撮られた映画と言ったらいいか。ハエになることのできる人だけが作ることのできる映画。
ということで、疲れ果てた後のあり得ないような音の刺激で元気になった。疲れと元気が一緒になってどうしたらいいかよくわからない。

2022-01-18 16.40.49.jpg 134.81 KB


2022-01-18 17.05.49.jpg 71.12 KB
 
2022-01-18 17.06.40.jpg 91.09 KB


2022-01-18 17.17.25.jpg 77.94 KB




1月19日(水)
昼過ぎ、そろそろ事務所に行こうと思って準備をしているところにHP制作の岸野くんから電話。2時から岸野くんとboid通販ページ大リニューアルの打ち合わせ予定だったのだ。もう事務所に着いていると言う。あれ、1時だっけ?  とまあ、昨日の今日なので動揺しまくりだったのだが、今回は岸野くんの勘違い。2時集合だった。いつも間違うわけじゃない。自慢にはまったくならないが。とにかく打ち合わせも済ませ、各所連絡連絡連絡。気がつくといろんなことがギリギリのスケジュールである。と言うか間に合わない。深夜過ぎまで働く。


 
1月20日(木)
昼夜逆転生活が再び始まり、朝6時前に寝て、11時くらいに起きる。そうなるともう、昼はバタバタである。あっという間に3時前になり、慌てて半蔵門の試写室へ。エドガー・ライトが監督したスパークスのドキュメンタリー『スパークス・ブラザーズ』。4月公開だそうだ。2時間20分くらいの長さがあると聞きちょっとビビったが、観始めると真ん中少し前くらいか、ジョルジオ・モロダーの話が始まる辺りから語りのノリが良くなる。こちらが映画に引き込まれ始めると言ったらいいか。スパークスの変態性がじわっと浮かび上がり始めるのである。ああこのまま『アネット』だと、カラックスを観た人なら誰もが思うだろう。カラックスは静かに狂うこのスパークスに、おそらくずっと付き合ってきたのだ。ドキュメンタリーの中では彼らが出会ったのは2013年だったかのカンヌ映画祭と語られていたが、そんな現実の出会いなどものともしない出会いがすでに80年代に起こっていたはずだ。そんなことを感じられるだけでも貴重な作品、ということになる。わたしも含め、エドガー・ライトには拒否反応を示す人もかなりいるはずだが、これはそういったこと関係なく、映画と音楽との出会いの映画として受け入れられてくれたらと思う。

TheSparksBrothers_1.jpg 57.25 KB
『スパークス・ブラザーズ』 (配給:パルコ ユニバーサル映画 )
4月8日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、渋谷シネクイント他全国公開 



1月21日(金)
朝まであれこれやっていたおかげでぎりぎり午前中、という時間の起床。だるい。連絡事項山積みで、原稿は後回しとなりとにかく各所連絡。そして夕方は渋谷へ。昨年から持ち越しになっている一大事業の打ち合わせ。あとは資金を集めるだけ、というところまではきているのだが、その資金額がboidの規模を超えすぎていて集めるにも集められない。どうしたものか。でも可能性はないわけではない。疲れてはいるが諦めたわけではない。
夜は、このところのバリバリの営業マンみたいな働きのストレスからか、通販のレコードをあれこれ買ってしまう。


 
1月22日(土)
平日の頑張りによって土日は原稿書きにほぼ専念できる。だが起きてみると隣の布団では黒猫がこの体勢なので途端にダレる。

2022-01-22 12.44.13.jpg 88.36 KB


しかしそれでも気を持ち直し、別府の原稿に取り掛かる。今回の梅田くんの展示、上映をまとめて記事にするのである。だが東京に戻り10日がすぎたというのにまだ心も身体も完全に別府にある。なんだろうこの感じ。もはやあの時間と空間の断層の間から抜け出せそうにない。ならばこのままそこに、という原稿になる。別府の罠なのか梅田哲也の罠なのか。まだあの匂いと熱気と蒸気から離れられない。気がつくと朝になっている。

2022-01-22 19.11.59.jpg 50.6 KB



 
1月23日(日)
昼過ぎから再び別府。一歩も外に出なかった。しかしそれでも腹は減るから不思議だが、まあ東京と別府を高速で行ったり来たりしているわけだからそりゃあ腹は減る。地獄に潜り山頂にのぼり熱いお湯に浸かる。そして更にはアルゼンチンの沖合へと意識は飛ぶ。『回路』や『A.I.』まで観直してしまった。配信はこんな時に便利である。『回路』の最後、役所広司さんはこんな唐突な現れ方をしていたのだっけ? 恐ろしい。爆音かboidsoundで今年は是非やらねばと心に決める。深夜2時過ぎ、ようやく原稿が終わる。もちろんこれで別府から離れられたわけではない。


 
1月24日(月)
久々に一気に長文を書いたので完全に腑抜け状態。ぼんやりしながら事務所に行き、あれこれ連絡とバイトの細井さんと打ち合わせ。長居してもぼんやりするばかりなので、夕方早めに帰宅する。パソコンに向かおうとすると目が拒否反応を示すので、本を読んだ。


 
1月25日(火)
終日自宅作業。といっても昼近くに起きるわけだからあっという間に夕方である。暮らしが夜型になるとこれが虚しい。若い頃は夜中はいろんなお楽しみがあったわけだからそれでもまったく問題なかったのだが、今となっては夕飯を食うと大抵眠くなってひと眠りのはずが気がつくともう夜中で、一瞬元気になるがまた眠くなる。捗るはずの仕事が滞るばかりである。そのうちにしなければならない連絡も忘れ、思い出したところだけに連絡するわけだからすべてがまだら。そのまだら加減が伝わってくれると少しやりやすくなるのだが自分でもそれはコントロール不能でちゃんと連絡する時は案外ちゃんと連絡しているので、時々仕事のできる人にも見えて余計始末が悪い。しかしまあとにかく、本日はこれだけはしておかねば、ということはやった。
夕方はズームで打ち合わせもしたのだが、色々整理しながら話してみると、今年はもう目一杯であるということもわかってきて動揺する。覚悟を決めて色々思い切れば、いろんなことがうまく回りだすのではないか、そんな思いに囚われて、つまり人をちゃんと雇うとか事務所を引っ越すとかということになるのだが、それはそれで一大事なので、いやちょっと落ち着け落ち着けと言いながら寝る。


 
1月26日(水)
ここのところの体調不具合は花粉の始まりのせいということにしている。くしゃみと鼻水がひどく、睡眠中は鼻の中が乾いて呼吸が苦しく眠りが浅くなる。ただ、もしかして、ということで新しくした腰のためのマットレスが割と身体にフィットして、腰はだいぶ調子いい。全体としては腰は良くなって嬉しいが花粉と低気圧と寒さで身体が重くて仕方ないという相変わらずの状態。事務所では『宝ヶ池の沈まぬ亀』の表紙違いオリジナル未発売ヴァージョンの各所発送作業。この手触りが最高なのだが、発売ヴァージョンではそこを諦めた。友人たちのみこちらをいち早く。みなさんあれこれ騒いでその結果売れてほしい。2016年から2020年夏までの濃厚かつ軽やかな5年間。発送係は井手くんと細井さん。
そこに宮崎くんもやってきて今年製作の映画の話と『MADE IN YAMATO』の宣伝打ち合わせ。5月末公開なのだが、そこから逆算するともうぎりぎりの進行になりつつある。その後結城もやって来て打ち合わせが進む。

26日.jpg 81.63 KB



 
1月27日(木)
京都、大阪へ。コロナがやばいので延期にしようかと思っていたのだが、映画の公開は待ってくれないということで予定通り。昼夜逆転中なので、体調はさっぱりせず。ぼんやりしていると時間ばかりが過ぎる。京都には15時過ぎに到着予定が17時前くらい。今年の予定などを話し、いくつかの企画をお願いし、大阪へ。夕方の新快速はやはり混んでるね。でも早い。
大阪は「まんぼう」が明日から実施されるということで飲食店もギリギリ遅くまでやっていたので心配していた夕食は問題なし。シネマートはバレンタインデー仕様なのだろうか。これが終わるとどんな電飾になるのだろう。

2022-01-27 21.27.23.jpg 133.9 KB



『レイジング・ファイア』はとにかく、ドニー・イェン。すごすぎる。痛すぎる。そしてそれを切れ味良く見せていく撮影と編集。いったいこんな撮影を街中でどうやったらできるんだと思っていたら、最後のクレジットのところで見せられるメイキングでは、オープンセット撮影とCG合成の結果であることが分かる。しかしそれにしても、という計り知れない身体性。映画全体がドニー・イェンの身体になったかのような。シナリオはマッチョ満載だが、もうこれはこれでいいような気がしてきた。




『戦慄せしめよ』の整音作業には本当に頭が下がる。和太鼓の音の録音、整音はものすごく大変と文字では簡単に書けるが、録音するだけではなくこの映画の場合はマイクが映ってはまずいわけだからマイクの位置も限られる。それに単にいい音にするのではなく、いったいそれは誰が聴いているのかカメラは何を観ているのかも考慮に入れなければならない。直径2メートル近くありそうな大太鼓をたたくシーンでは、太鼓に張られた皮の震えも伝わってくる。いわゆる和太鼓の音に、太鼓に張られた皮がぶるんと震える乾いた音が重なる。つまりその皮の震えが空気を揺らしたその波がわたしの身体を揺らす、といった感じ。聴いているうちにこちらの身体も太鼓に張られた皮のように揺れ始める。その揺れを呼吸する。小さな金属をたたく小さな音のシーンでもヴォイスパフォーマンスのシーンでも手拍子のシーンでも、それは同じである。配信だとこういった呼吸感は絶対に味わえない。

image1.jpeg 126.14 KB
『戦慄せしめよ』  全国順次公開中


 
1月28日(金)
あまり眠れずとりあえず起きたもののぼーっとするばかりでコーヒー飲んでみたがダメ。今回はさすがに鶴橋行ってキムチ買い出しとか、そんな元気はまったくない。各所連絡はした。昼は関西支社長一家とカレーを食った。滅多に食わない欧風のやつ。なにやらやたらと美味そうで、つい、カツカレーにしてしまった。と言っても和風のカツカレーとは大違いでびっくりした。フルーティーと言ったらいいのか、カレーの爽やかで深みのある味わいと分厚いヒレ肉の柔らかな口溶けがたまらなく、ついバクバク食ってしまった。
その後、boidの今後についての整理を支社長と。前半で相当しっかり準備しておかないと、後半は大変なことになる。というか誰か雇わないと多分やっていけない。面白いことになるのは確実なのだが。膨らむ期待に比例する冷静な対応が求められる。帰りの新幹線の中でやることがあったのだが寝てしまった。

2022-01-28 13.06.14.jpg 69.66 KB



 
1月29日(土)
疲れが出て昼まで寝た。やはり1日ぼーっとしていた。原稿のための映画を観たりもしたのだが、原稿の扉は開かない。景気付けにウォーカー・ブラザーズを聴く。ああ、この感じで世界の果てまで連れてって欲しいのだが。
そして勢い余ってスコット・ウォーカーまで手が延びるのだが、こちらはもうわたしを置いてきぼりする寸前である。そのままにしておいたら誰もが忘れてしまう世界の記憶をこの2枚組のレコード盤にとことん詰め込んでこちらの胸を打ち続ける。胸が割れ骨が割れてその中を流れる髄液のひとつぶひとつぶをその忘れられた記憶で満たすまで音は止まない。わたしの外側とそしてわたしの骨の内側から聞こえてくるこの響きと共に、映画はあるはずなのだ。





1月30日(日)
朝4時くらいに寝たのだが、9時前に目覚める。せっかくだから起きることにして、午前中に買い物。トースターが壊れて、焼いたパンが焦げ焦げカラカラでああ度をこすとこんなことになるのかと今更思い知らされるくらいなことになっていたのだ。いろんなタイプがあって迷ったのだが、これまで使っていたトースター専用のものではなく、簡単なオーブンとしても使える横型のものにした。
昼飯を食うとさすがに眠くなり昼寝後、アピチャッポンの『MEMORIA メモリア』。今回は通常の試写はなく、オンライン試写のみということで、こうやって日曜日でも観ることができるのは平日に余裕がない身にとっては非常に助かる。だが観てみると、これはこの画質でこの画面で観るものではない。先日の別府の梅田くんの作品とものすごく似たことをやっていてニヤニヤしてしまったのだが、梅田くんのものが別府という場所を使ってそこに漂う未来の時間をも含めた歴史とその風景を今ここに次々と呼び寄せるものだとしたら、『メモリア』は今ここでそれを聴いて観ている人間の身体を徹底して詳細に見つめ、その音を聴き取ろうとするものだとも言えて、その徹底した詳細さはそれこそ8Kとかの高解像度の画面に包まれて観ないとこちらには感じとれてこないものだと思えたのだ。撮影はどの程度の解像度でされたのだろう? 上映はどうなるだろうか? 今ここにあるものを徹底して見つめるというカメラのリアリティのあり方がこれまでのアピチャッポンの映画とは違い、見えないものは映さないというアメリカ映画的な立場になっているだけに、その時間のかけ方、細部の映し出し方の繊細さをフォローする装置が必要なのではないか。しかしジャームッシュにしてもアピチャッポンにしても、ティルダ・スウィントンを使うとどうしてこうなるのか。よほどおかしな人なのかティルダ。そして例によって音は面白く爆音でいつかと思うものの、この映画の最大のポイントになる音がかなり極端な音になっているので難しいかも。

MEMORIA_メインPhoto_Credit_Sandro Kopp©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF-Arte and Piano, 2021.jpg 64.42 KB
『MEMORIA メモリア』(配給:ファインフィルムズ)
3月4日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、
ヒューマントラストシネマ渋谷他にてロードショー


 
1月31日(月)
久々の事務所出勤なので早起きを。と思っていたのだができず。いつものように10時30分くらいの目覚めで12時過ぎてようやく活動開始、というパターン。もうちょっと目覚めがシフトしてくれたら事務作業は捗るのだが。各所連絡が追いつかず。事務所がほとんど冷凍庫。エアコン、ヒーター全開だが効かず。仕事半ば、凍えて帰宅。色々のやり残しが地味に重荷となり、気分が優れない。1月はずっとこうだった。そしてわたしが考えている以上にやり残したものは多くて重い。という思いばかりが身体中に膨れ上がり、いつか耐えられなくなる日がくると思うとさらに耐えられなくなる。という焦りで居ても立ってもいられなくなる。

2022-01-31 11.19.53.jpg 61.99 KB




樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。4月18日(月)、ニュー風知空知にてアナログばか一代「おい、青山聴いてるか?!」を緊急開催。