カンで勘づくドイツ映画

明石政紀さんによるバンド「CAN(カン)」についての特別寄稿第2弾。この春に掲載した第1弾の記事「カンで感ずる西ドイツ」では、カンが活動した1960年代末~70年代末の西ドイツの音楽の土壌や文化的背景を紹介してくれましたが、今回はカンが楽曲を提供した映画に関するお話です。バンドの創設メンバーであるイルミン・シュミットが元々映画音楽の仕事をしていたこともあり、カンは活動初期から多くの映画・テレビ映画の音楽を作っていました。そのカンの映画関連の仕事について明石さんが詳しく教えてくれます。
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カンで勘づくドイツ映画

 
 
文=明石政紀
 
 
昨年2020年のかんかん照りの夏のある日、突如として22年ぶりにドイツのバンド、カンについての原稿を頼まれ[*1] 、カンづいていたここ一年だったが、ついついカンづきすぎて「カンで勘づくドイツ映画」とのタイトルを思いついてしまった。思いついてしまったのでどうしようもない。なんとかこのタイトルに見合う内容を記そうとしてみたのだが、なにせタイトル優先。内容がないようなものになっているかもしれないが、そのへんはご容赦いただけると幸いである。

 

 
缶、感、勘 ―― カンで勘づくドイツ映画
テレビをつけてみる。すると映画をやっている。ちょっと観てみただけで、これがペドロ・アルモドバルの映画であることがすぐわかる。調べてみたら『抱擁のかけら』(2009)というタイトルであることが判明、画面からなにやら聞き覚えのある音楽が流れてくる。これ、なんだっけ?・・・なんだと言えば、かんだである。なんだかんだで、カンである。こうしてこれがドイツのバンド、カンの「ビタミンC Vitamin C」という曲であることを思い出し、ついついついでに、これがかつてサミュエル・フラーの映画『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』(1973)に使われた曲であることも思い出した。
またテレビをつけてみる。すると映画をやっている。ちょっと観ただけでは、だれの映画かわからない。調べてみたらトラン・アン・ユンの『ノルウェーの森』(2010)という映画であることが判明、画面からなにやら聞き覚えのある音楽が流れてくる。 これ、なんだっけ?・・・なんだと言えば、かんだである。なんだかんだで、カンである。こうしてこれがドイツのバンド、カンの「雨女 She Brings the Rain」という曲であることを思い出し、ついついついでに、これがかつてトーマス・シャモーニの映画『大きな灰青色の鳥 Ein großer graublauer Vogel』(1970)に使われた曲であることも思い出した。
そういえば、カンってけっこう映画と濃厚接触が多いなと思いながらも思い出してみると、このバンドには『サウンドトラックス』なる自作映画音楽を集めたアルバムがあったし、カン最大のヒット・チューンも、テレビ映画『ナイフ Das Messer』のためにつくられた「スプーン Spoon」なる曲だった。そもそもカンの発起人たるイルミン・シュミット氏は、現代音楽に積極的に取り組んでいた期待の新進指揮者だったというだけではなく、音楽家人生を通じて映画音楽の仕事をしてきた人。かつてフォン・カラヤンやサヴァリッシュ、あるいはフリッツ・ブッシュといった錚々たる面々の登竜門となったアーヘン市立劇場の楽長として指揮者キャリアをはじめていたシュミット氏が、声望も高給も見込まれるこの道を捨て、フリーの音楽家としてやっていくとすれば、映画やテレビの音楽の仕事は重要な収入源となるはずだった。本人の言によれば、すでに学生時代から映画音楽でお金を稼ぎ、短編映画を40本ほどこなして、この仕事に必要な技術を学んでいったとのこと[*2]
カンというバンド自体も、シュミット氏の現代音楽と映画音楽のふたつの分野の知己関係から生まれたと言ってもよく、ベーシストのホルガー・シュカイ(それに最初期メンバーだったフルート奏者のデイヴィッド・ジョンソン)は一緒にシュトックハウゼンの現代音楽講座で学んだ仲だったし、ギタリストのミヒャエル・カローリはそのシュカイが連れてきた若者、フリージャズのドラムス奏者だったハンス・“ヤキ”・リーベツァイトは映画音楽の録音セッションで知りあった間柄だった[*3]。彼らが最初にこなした具体的な仕事も映画音楽だったようで、ホルガー・シュカイはこう回想している。「ぼくらにとって大きかったのは、カンを結成する前にすでにイルミン(・シュミット)が映画音楽の仕事を抱えていたことだ。ぼくらにはまだ自前のスタジオはなかったけど、一日集まり握手を交わして、すぐやるべき映画音楽の仕事があったんだ。お金にはほとんどならなかったけど、とにかく仕事があったんだ」[*4]
というわけで、もともと映画音楽の仕事をするためにつどった音楽家の一部がそれとは違う目的でバンドとして常態化、独自の音楽を追求するようになったのがカンということになる。そして前述のとおり、バンド結成の言い出しっぺ、イルミン・シュミットは映画音楽の作り方、組み込み方をじゅうぶん心得ていたプロフェッショナルだったし、それまでの職や活動を放棄して前途もわからぬカンというグループに参加した面々にとっても、確実にお金の入ってくる映画、とくにテレビ映画の仕事は大きな収入源になったと思われる。またテレビ映画は、カンの音楽を西ドイツ一般家庭のみなさんに知らしめる絶大な媒体ともなった。
さてカンが活動したのは、(後年の一時的再結成をのぞけば)1960年代末から1970年末の約10年間。これは西ドイツ・ロックの最盛期、いわゆる「クラウトロック」の時代であったと同時に、西ドイツ映画の最盛期、いわゆる「ニュー・ジャーマン・シネマ」の時代でもあった。両者のあいだの密で継続的なコラボとしては、フローリアン・フリッケとそのバンド、ポポル・ヴーが、友人ヴェルナー・ヘルツォークの映画の音楽を一手に引き受けていたことがよく知られるが、カンの場合は特定の監督にこだわることもなく、「ニュー・ジャーマン・シネマ」のレッテルにこだわることもなく、とくにその活動期の前半にはつぎつぎと映画やテレビの仕事をこなしていった。カンほど映画に音楽をつけていった「クラウトロック」・バンドはほかにいなかったと言ってもいいくらいである。
まあ「クラウトロック」とか「ニュー・ジャーマン・シネマ」といった総称は、メディアが(ことによっては後づけで)身勝手につけた十把一絡げのレッテルで(レッテルというのはそういうものである)、ものづくりをしている当の本人たちにとってはどうでもいいことだろうし、けっきょくのところ存在するのは個々の作り手の個々の作品だけなのだが、とにかくここではカンがいわば見境なく音楽を提供したからこそ知りあえる映画という、呆れるほど単純な切り口を用い、該当する映画を観られる場合は観、観られない場合はそのまま観ず、ことによってはカンという媒介記号を用いなければ、その存在に勘づきもしなかった映画、それもわたしの思うところ西ドイツがもっとも「熱かった」時代のいくつかの映画に、ほんのちょっとばかり目を向けてみようというのが本稿の主旨である・・・、と記してはみたものの、これらの映画では、キューブリックやファスビンダーの一部の作品にみられるように、音楽と映像が背反していわば複雑骨折しながら対位法的に同期し、多層効果をもたらすという特筆せざるをえない使い方がされているわけではないし(とはいってもこれはカンのせいではない)、自分でもこの原稿を書きすすめようかどうしようか迷ってしまったが、少なくともわが国では、カンと映画という話題は、音盤紹介などでついでに触れられる程度にすぎなかったようではあるし、まあこのようなものを書いてもいいかもしれないと思いなおし、とにかくこんなどうでもいい前置きなどさっさと切り上げ、さっそくカンで勘づいてしまったドイツ映画の話をはじめることとしよう。

 

 
さてカンがカンと名乗るまえ、イルミン・シュミットとカンの音楽家たちは「インナー・スペース・プロダクション」を名乗り、三本の長編映画の仕事をした。そのうち二本は、それぞれいかにもそのころらしく’68年革命とセックスにまつわる映画、三本目は近未来テレビ番組をテーマにしたテレビ映画である。
 
 
『アギロクとブルッボ Agilok & Blubbo』
 
最初の一本は、写真家でもあったペーター・フレーデリク・シュナイダーの監督・脚本・撮影による白黒映画『アギロクとブルッボ Agilok & Blubbo』(1968/69)。先述のホルガー・シュカイが触れている「すぐやるべき映画音楽の仕事」とは、これのことである。シュカイによれば「典型的な1968年アングラ映画で、ぐらぐら揺れるカメラとかそういう感じで、テーマは自分の道を行くというもの」とのこと[*5]
お話はプチブル資本主義社会にうんざりしたアギロクとブルッボというふたりの若者が、革命の予行演習をするのだが、そこにグっとくる魅力的な女の子が登場、革命思想なんかさっさと忘れて、この娘にぞっこんになってしまうというものらしい[*6]
とはいっても筋だけわかっていてもなんの意味もないし、同じ筋でも何百万通りの描き方ができるし、わたしは観たことはないし、これ以上言えることも何もない。言えることいったら、これが当時の西独サブカルチャーのカルト・スター的存在だったロージー・ロージー(=ローゼマリー・ハイニッケル)の数少ない主演作のひとつだということくらいである。
サウンドトラック盤[*7]のジャケットでマシンガンを抱えた挑戦的なお姿で映し出されているのがこのロージー・ロージーで、カンになる前のカンの面々の演奏にのせて「カメラ・ソング Kamera Song」なるチューンも歌っているが、ここで聴かれる音楽も、やっぱりカンになる前のカンという感じだし、全体のサイケな曲調もバンドの要求というより、あきらかに映画の要求である。
ちなみに調べてみたら、主人公の若者二人組の片割れ、アギロクを演じるロバート・ウォーカー・ジュニアは、往年のハリウッド・スター、ジェニファー・ジョーンズの息子さんであることが判明、そのうえ継父は往年のハリウッド・プロデューサーの代名詞的存在、デイヴィッド・O・セルズニックというあまりに強力な家庭背景を持っていたようだが、本人は俳優としてあまりに強力な存在になることはなく[*8]、ヨーロッパにやってきて出演したのがこの映画だった。

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『アギロクとブルッボ』サウンドトラック

 
『ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラKamasutra – Vollendung der Liebe』
 
二本目はコービー・イェーガーの『Kamasutra – Vollendung der Liebe(カーマスートラ―愛の成就)』(1969)。タイトルからしてエロスの匂いがむんむん漂ってくるこちらの映画、1969年晩秋に『ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラ』とのタイトルでわが国でも公開されたとのこと[*9]。当時国際的に儲けられる西ドイツ映画と言えば、なんといっても『女体の神秘』(1967)や『完全なる結婚』(1968)といったいわば成人向け性教育映画で、おそらくこのインドの性の聖典を掲げた映画もその延長線上にあったのだろう。
粗筋を読んでみても、性的にこわばっている西洋人カップルと、性愛行為の精髄をカーマ・スートラに従って実践する開放的なインド人カップルが対比されているとのことで、さもありなんといったところである。それはともかく、この手の映画の性教育形式を借りてセックス・コメディ化させたのが1970年代の大ヒット・シリーズ『女子学生㊙レポート』で、この西独エロ映画の最盛期が、奇しくもその対極にあるような「ニュー・ジャーマン・シネマ」の最盛期と並行していたのはきわめて興味深い現象である。
わたしは残念ながらこのカーマ・スートラ映画を観たことがないのだが、そのクラブ・シーンだけはオンライン動画で観ることができ、ここではカンを名乗る前のカンの面々がクラブのバンドとして登場、「わたし、自分の夜鳴鶯を隠しているの I’m hiding my nightingale」と意味ありげなソングを歌うクロアチア出身のシンガー、マルガレータ・“エティ”・ユーヴァンのバックをつとめ、これもやっぱりカンになる前のカンだと思いきや、この曲のあとに、カンの初代シンガー、マルコム・ムーニーが歌う「There Was a Man」(アルバム『ディレイ 1968』に収められている「Man Named Joe」の別ミックス)が出てくるところで、わたしの知っているカンのサウンドにぐっと近づいてくる。この映画で聴かれる音楽も、このクラブ・シーンを除けば、エキゾな色調が押し出され、これはカンがやっていた贋作エスノ・シリーズ(EFS)の先駆のように思えるかもしれないが、別にそのような意図があったわけではなく、エキゾなインドの秘儀と絡めた映画の要求から生まれたものだったのだろう。むしろここで注目すべきは、カンの創設メンバーで、グループの「ロック志向」を嫌って結成直後にグループを去ってしまったデイヴィッド・ジョンソンのフルート演奏を拝見できることかもしれない。
出演者のなかでとくに目を引くのは、1966年の話題の西ドイツ映画『それ Es』(ウルリヒ・シャモーニ)の主演男優ブルーノ・ディートリヒで、例のカンになる前のカンの登場場面も、不機嫌な面持ちのディートリヒがクラブに入場するカットからはじまる。

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『ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラ』サウンドトラック


とにもかくにも『アギロクとブルッボ』と『ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラ』の二作、40年もあとにサウンドトラック盤が発売されたことでもわかるとおり、むしろカンになる前のカンの面々が音楽同伴したということで後世に記憶されているようで、映画としては忘れられた存在と言ってもいいらしく、フランクフルト・ドイツ映画インスティトゥート/映画博物館(DFF)の包括的かつ信頼のおけるドイツ映画情報サイトfilmportal.deでも、クレジットが記載されているだけ。粗筋もコメントもいっさい付記されておらず、「この作品をご覧になった方はコメントをしてください」とコメントされていることからも推察されるように、映画として記憶している人はきわめて少ないようである。
 
 
『百万長者ゲーム Das Millionenspiel』
 
インナー・スペース名義でカンが音楽を担当した映画のなかで、わたしが唯一全編観ることができたのは、三本目の『百万長者ゲーム Das Millionenspiel』(トム・テレ、初放映1970)。それも初放映日からきっかり半世紀後の2020年10月18日、50周年再放映で観ることができた。
これはカンの地元、ケルンのWDR(西部ドイツ放送)が製作した語り草と化しているテレビ映画。テーマ音楽は、このドラムスはヤキ・リーベツァイトなんじゃないかと思わず思わせる反復ビートのインストゥルメンタル・チューンで、疾走感たっぷり。音楽が疾走感たっぷりなのは、逃げまくる主人公が走りに走るからである。
「百万長者ゲーム」というのは架空のテレビ・ショウの名で、応募者が生死を賭して逃げまくり、一週間、追手の銃撃を逃れて最後まで生き残れたら百万マルクを獲得して大金持ちになれるというもの。まあでもドイツ・マルク建ての「百万」なので、日本円の感覚でいうと「億万長者ゲーム」と言ったほうがいいかもしれない。
それはともかく、過激化するテレビ娯楽を、娯楽性たっぷりに描いたこのテレビ映画、ご丁寧にも冒頭にこの危険なゲームが法律に反していない旨のアナウンスが付され、本物のテレビ司会者がこの架空の番組の司会もおこない、気の利いたサイケなフェイク・コマーシャルも定期的に挿入され、この架空の番組が本物の番組だと早合点したせっかちな視聴者も出たらしく、50年後の今観てもおもしろい。
この映画、同じようなテーマを扱ったシュワルツェネッガー主演の『バトルランナー』(1987)の先駆的作品ともされており(たとえばショウの余興として踊りが入るところなんかそっくり)、テレビ映画と舞台の演出家として知られた監督のトム・テレにとっても、主演のイェルク・プレーヴァにとっても代表作的存在となったが、原作となったロバート・シェクリーの短編「危険の報酬」(1958)に絡む権利問題のいざこざで30年ほど再放映ができなかったという、いわくつきの作品でもある[*10]。このへんの原作権利問題による長年にわたるお蔵入りは、ファスビンダーのテレビ映画『マルタ』の一件を思い起こさせるものがある。
主演のイェルク・プレーヴァは声優としても知られた人で、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』(1971)、『バリー・リンドン』(1975)、『シャイニング』(1980)の三作品におけるドイツ語版の声の主演者でもある。キューブリックが『時計じかけ』のドイツ語版のプレーヴァの声を大いに気に入り、その後の『バリー・リンドン』と『シャイニング』もこの人が吹き替えることになったとのことで[*11]、それぞれ吹替対象がマルコム・マクダウェル、ライアン・オニール、ジャック・ニコルソンと違うので、こりゃちょっと問題なんじゃないかと思って観てみたら(というか、聴いてみたら)違和感はないし、見事なものである。そのうえ三作とも吹替版演出は、ヘルムート・コイトナーと並ぶ戦後期ドイツ映画の双璧的監督だったヴォルフガング・シュタウテ。シュタウテはキューブリックのたっての希望でこの仕事を引き受けたという[*12]

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 『百万長者ゲーム』
 
 
『ギャングの巣のカッコーの卵 Kuckucksei im Gangsternest』
 
それはともかく、それまでインナー・スペースと名乗っていたグループは、カンと改名、カンがカンになって最初に映画音楽と関わったのは、フランツ・ヨーゼフ・シュピーカーの『ギャングの巣のカッコーの卵 Kuckucksei im Gangsternest』(1969)のようである。
とはいっても、わたしがこの映画で知っていることと言えば、ファスビンダー女優として知られるハナ・シグラが主演した初の非ファスビンダー映画だということくらいで、粗筋を読んでみたところ、シグラが三人のならず者ギャングを手玉にとるというお話らしいのだが、残念ながらわたしはこの映画を観たことはないし、今のところ観る機会も得られないし、観られたとしてもほんの一部でなんの感想も記せない。
ちなみにハナ・シグラが『ギャングの巣のカッコーの卵』の撮影でオーストリアに行っていたときは、ちょうどファスビンダーが長編第二作『出稼ぎ野郎』をシグラの出演で撮ろうとしていたとき。でもファスビンダーは、シグラがどこで何をしているのかまったく知らず、ラジオで呼びかけてもらうなど、あらゆる手を尽くして彼女を探し出し、出演してもらったとのことである[*13]
監督のフランツ・ヨーゼフ・シュピーカーの名は、どこかで聞いたことがあると思いきや、ミュンヘンで撮影されたスタンリー・キューブリックの『突撃』(1957)で助監督をしていた人であった。シュピーカーは、ニュー・ジャーマン・シネマ第一世代のアレクサンダー・クルーゲやエトガー・ライツ、あるいはジャン=マリー・ストローブと同世代で、ヒトラーが政権を握った運命的な年1933年の生まれ。クルーゲやライツと同様、かのオーバーハウゼン宣言(1962)の署名者のひとりで、初の長編『荒馬乗り有限会社 Wilder Reiter GmbH』(1967)で期待の監督として注目されながらも、この『ギャングの巣のカッコーの卵』と『樫の葉とイチジクの葉 Mit Eichenlaub und Feigenblatt』(1968)で興行的に失敗、その後はほぼ短編だけ撮って44歳で早死にしてしまった。本作で使われたカンの曲は「盗人 Thief」で、これはカン解散後の1981年にリリースされた初期録音を集めた後づけアルバム『ディレイ1968』で音盤発表された。

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『ギャングの巣のカッコーの卵』
 

 
 
音盤『サウンドトラックスSoundtracks』
 
それはともかく、それまでインナー・スペースと名乗っていたグループはカンと改名、カンがカンになると『モンスター・ムーヴィー』、すなわち自然にお通辞すると「怪物映画」なるシネマづいた題名のアルバムを発表したのだが、これは期待に大いに反して映画とは関係なかった。というわけで、次のアルバム『サウンドトラックス』もやはりシネマづいた題名ながら、前作と同じように映画とは関係ないものであろうと高を括っていたところ、今回も期待を大いに裏切られ、本当にカンの映画音楽を集めたものであった。
本盤にはゴホン、ゴホン、五本の映画のカンの音楽が収められているのだが、これらの五本の映画を製作順に挙げると、
 
イ)『大きな灰青色の鳥 Ein großer graublauer Vogel』(トーマス・シャモーニ、撮影1969・公開 1970)
ロ)『色情愚連隊 Mädchen mit Gewalt』(ロジェ・フリッツ、撮影1969・公開1970)
ハ)『デッドロック Deadlock』(ローラント・クリック、撮影・公開1970)
ニ)『早春 Deep End』(イェジ・スコリモフスキ、撮影・公開1970)
ホ)『クリーム ― シュヴァービング・レポート Cream - Schwabing Report』(レオニダス・“レオン”・カペタノス、撮影1970・公開1971)
 
と、なる。
 
 
ペーター・プシゴッダ Peter Przygodda
 
さて、これらゴホン、ゴホン、五本の映画のうち、イ)『大きな灰青色の鳥』、ロ)『色情愚連隊』、ホ)『クリーム』の三作の編集をおこなっているのはペーター・プシゴッダである。プシゴッダと言えば、『都市の夏』(1970)から『パレルモ・シューティング』(2008)にいたるヴェンダース映画の編集者としてとりわけ有名だが、ほかにもフォルカー・シュレーンドルフやラインハルト・ハウフなどの作品もいくつか手がけているし、カンにとっても映画界とのつなぎ役として重要な存在となった人だ。
プシゴッダ本人の監督作には、カンのコンサート・ドキュメンタリー『カン Can』(1972)がある。これは地元ケルンのシュポルトハレでおこなわれた芸人の余興を交えたカンのステージの模様を収めた映画。プシゴッダと同様ヴェンダース映画で国際的に知られるようになったロビー・ミュラーも撮影で参加したこの作品、ほかのカンのコンサート映像と決定的に違っているところは、スタジオにおけるカンの面々の凝ったポートレートやコンサート前後の会場の様子などが組み込まれて構成され、立派な「映画」になっていることである。ステージで演奏されるカンのヒット・チューン「スプーン Spoon」の過激なライヴも、にわかにはこの曲だと気づかないほどすばらしい。
プシゴッダはイルミン・シュミットの親友でもあったそうで、シュミットが英国の音楽ジャーナリスト、ロブ・ヤングと著したおそらくもっとも重要なカン本『All Gates Open: The Story of Can』(2018)[*14]も、2011年に69歳で亡くなってしまったプシゴッダに捧げられている。
よく誤ってプルツィゴッダと表記されるプシゴッダの綴りはPrzygoddaで。ドイツ人にしては変わった名前に思えるかもしれないが、これはシュカイやシグラやナクシンスキー(クラウスとナスターシャのキンスキー親子の本来の名字)と同じようにポーランド語の姓。だからドイツ語話者も、ポーランド語風にプシゴッダ、あるいはプシュゴッダと発音するようである。ドイツ語圏ではこのようなスラヴ系の名字を持つ人はけっこう多く、ウィーンがイェリネクやチェルニーやプロハスカといったチェコ語姓の宝庫だとすると、ベルリンはポーランド語姓の宝庫で、わたしのアパートの元管理人はヴァルチェフスキーさん、税理士はミエシュチンスキーさん、近所の金細工師はオマンコフスキーさんといったぐあい(ドイツ語話者は、短母音言語ポーランド語の語尾「スキ」を「スキー」と伸ばして発音する傾向にある)。ペーター・プシゴッダもベルリン出身である。
・・・失礼、余談がすぎてしまった。それでは予断を許さぬ『サウンドトラックス』の各映画ついて少々。

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『サウンドトラックス』
 
 
『大きな灰青色の鳥 Ein großer graublauer Vogel』
 
トーマス・シャモーニの映画『大きな灰青色の鳥 Ein großer graublauer Vogel』(1970)でテーマ音楽的役割を果たしているのは、カンのブルーなソング「雨女 She Brings the Rain」。ヴォーカル、ベース、ギターだけで演奏されるカンとしては禁欲的なこのチューンは、この映画のためにつくられたものではないそうだが、ぴったりきたので使われたとのこと[*15]。映画用に新たにつくられたのは、ラジオ短波ノイズやホルガー・シュカイの特徴的なベースが多分にフィーチャーされる反復性付帯音楽で、こちらのほうがカンの映画音楽技法をうかがえる音楽なのだが、本アルバムの収録対象外となり、後年、埋蔵音源集『ザ・ロスト・テープス』で「灰青色 Graublau」として音盤デビューを果たすこととなる。
映画の筋立ては、いちおう世界支配を可能にする公式を知る科学者たちを追う一群の人間たちの追跡劇ということになっているが、ストーリーのほうはほとんどどうでもよく、とりとめのないスケッチのような映像が積み重なっていくところがこの本作の魅力だといっていいし、それは図式化したストーリーテリングからの解放を求める当時の風潮を反映したものでもあった。撮影はファスビンダーの初期映画で知られるディートリヒ・ローマンだが、ここではローマンが、自分のスタイルを押し通すファスビンダーにはやらせてもらえなかったことを、存分にやっているという感じである。
題名の『大きな灰青色の鳥 Ein großer graublauer Vogel』とは、科学者たちが使う暗号文の一節で、アルチュール・ランボーの詩「ボトム Bottom」ドイツ語訳からとられたもの。この「ボトム」が、音盤『サウンドトラックス』のジャケットで映画タイトルとして用いられているのは、それがこの映画の仮題だったからで、音盤発売のほうが映画のロードショー公開に先行していたのである[*16]
それまでTVドキュメンタリーを撮っていた監督のトーマス・シャモーニは、兄のペーターも弟のウルリヒも映画監督という有名なシャモーニ兄弟のひとり。『大きな灰青色の鳥』は、この人の劇場用長編劇映画の第一作であり最終作でもあり、よってトーマス・シャモーニに触れられるときに必ずといっていいほど挙がる映画であり、監督としてのこの人の名は本作一作で後世に記憶されていると言っていいほどである。
独伊共同製作でつくられたこの映画、この種のアヴァンな作品としては予算もかなりかかっており、ファスビンダーも自分の長編デビュー作『愛は死より冷酷』の総製作費に相当する額を、シャモーニは電話料や飛行機代、出演者探しといった準備費用だけで使ったと回想している[*17]
出演陣は、当時トップモデルだったジルヴィー・ヴィンター、本作と同系統の新ドイツ映画『アカプルコまで48時間 48 Stunden bis Acapulco』(1967)で長編デビューを果たした監督にして俳優のクラウス・レムケ、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』に出演したばかりのウンベルト・オルシーニ、役者臭さのない新手の役者として新ドイツ映画の空気を体現していたマルクヴァルト・ボームといった時代の匂いを如実に嗅がせてくれる俳優たちで、ヨーロッパで最後の映画を撮り終えたばかりの伝説的監督ローベルト・ジオドマク(ロバート・シオドマク)もカメオ出演している。
シャモーニは、旧態依然とした既存映画業界に対抗して、新ドイツ映画の作り手たちがつどって1971年に旗揚げした自主配給組織「フィルムフェアラーク・デア・アウトーレン」の原動力的存在でもあった。この配給組織については2008年、『切り返しショット―映画作家たちの出立  Gegenschuss- Aufbruch der Filmemacher』(ドミニク・ヴェセリー)というドキュメンタリーもつくられ、これは撮影当時まだ存命だったシャモーニ(1936-2014)をはじめ、当時の当事者たちの回想で綴られる映画。そのエンド・クレジットに音響同伴するのもカンの音楽で、それはカンの実質的最終アルバム『CAN』の冒頭を飾る示唆的タイトルのチューン、「すべての門は開かれ All Gates Open」だ。
トーマス・シャモーニ本人の映画創作活動のほうは、『大きな灰青色の鳥』が大きな反響を呼んだにもかかわらず、次の企画は頓挫、三作ほどテレビ作品を演出し、いくつかの映画の脚本家や製作者をつとめたあと、1980年代のはじめには映画界から退き、もともとの生業だった美術の世界に戻ってしまった[*18]

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『大きな灰青色の鳥』
 
ちなみに本作の主役のひとりに扮しているクラウス・レムケは、その後WDR(西部ドイツ放送)の白黒テレビ映画『美しく短き人生 Mein schönes kurzes Leben』(1970)を監督、これにカンが出演しているとのことである。この映画、わたしは観たことがないし、観る機会もえられてもいないが、カンの面々がカフェの場面で登場、プロモーターとおぼしき男にギャラの支払いを求めて暴力沙汰を起こし、そのあとバンドのライヴ・ステージの模様が映し出されて主演女優クラウディア・リトマンのヴォーカルを交えながら演奏を繰り広げる、という抜粋シーンだけは観たことがある。

 
『色情愚連隊 Mädchen mit Gewalt』
 
『大きな灰青色の鳥』とほぼ同時期に撮影されたのは、ロジェ・フリッツの『Mädchen mit Gewalt』(1970)、邦題を『色情愚連隊』という(日本公開1971)。
それにしても、なんとおぞましい邦題だ…! こんなものを観たら、わたしも色情狂と化してしまうのではないかと危惧しながら恐る恐る鑑賞してみたのだが、いっさいそのような事態にはいたらず、それどころかまったく色情も欲情もさせるところのない映画であることが判明した。
原題の「Mädchen mit Gewalt」が意とするところは「女の子、力づくで」といった感じ。だがかつてわたしはこれを「暴力少女」と誤訳していた。その元凶は真ん中のちっちゃな前置詞「mit」で、これは具備の意味でも手段の意味でも用いられ、わたしは前者の意だと勝手に思いこんで、Gewalt (暴力、腕力)を備えたMädchen(女の子)のことだと捉え、どのような暴力を具備した女の子の映画なのかと秘かにあらぬ想像を膨らませていたものである。ところが後年、じっさいに映画を観てみたらまったくのお門違い。そのうえ原題には「Mädchen: Mit Gewalt」、「Mädchen…nur mit Gewalt」といった別表記もあることを知り、これらの表現なら「mit」が手段の意であることが一目瞭然、正しく「女の子、力ずくで」と訳せたのだが、当時はこの映画を観る機会もなく、このような別表記も知らず、とんでもない誤訳をしてしまったと大いに恥じ入り、このような紛らわしいタイトルにはじゅうぶん気をつけるよう肝に銘じたものである。そのうえつい最近、本作がかつてわが国でも公開され、『色情愚連隊』との口にするのも憚られるような邦題が付されていたことも知った。
さてこの映画、原題意の「女の子、力ずくで」から想像がつくとおり、女の子がレイプされるお話なのだが、物語はそれだけでは終わらない。むしろ、そのあとのほうが本筋と言っていい。こんな話である。
これは基本的にヴェルナー♂、マイク♂、アリス♀の三人劇。
会社の同僚ヴェルナー(クラウス・レーヴィッチュ)とマイク(アルトゥア・ブラウス)は親友同士。盛りのついたオスのようなこのふたりの最大のお愉しみはガールハント。仕事が終わるやいなや女の子をひっかけまくっている。ある日、ふたりは小柄で可愛いアリス(ヘルガ・アンダース)という娘と出会い、彼女を無人の採石場に誘い出し、ヴェルナーがアリスを(それも彼女が上に乗った騎乗位で)レイプする。警察に届けて告訴してやると憤るアリスに対して、ヴェルナーの相棒マイクは、そんなことをしても警察でも法廷でも根堀り葉掘り訊かれて言いたくないことまで言わされるぞ、プライバシーなんかまったく無視されて、しまいには精神的にレイプされることになるぞ、などと脅し、彼女を思いとどませる。マイクは、今度は自分の番とばかりアリスをレイプしようとするのだが、アリスに恋心のようなものを抱いてしまったヴェルナーが立ちはだかり、ふたりの男はお互い相手を殺しかねないほどの暴力行為に及ぶ。アリスが火のついた棒でヴェルナーを脅す場面もあり、力関係は物語の進行とともに微妙に変わっていく。最後に不審な焚火を発見した警察がやってくるのだが、アリスは事実を告げず、男たちも何も明かさず、それで映画は終わる。ちなみに「女の子、力づく」でという原題は、アリスが自分をレイプしたヴェルナーを「あんた、力づくじゃないと、女の子とできないんでしょ」と責めたてる台詞からとられている。
それにしても救いのない暴力的な話だ。舞台の荒涼とした採石場と同じように、登場人物たちの心もすさんでいる。使われるカンの音楽も「Soul Desert」、すなわち「魂の砂漠」。マルコム・ムーニーのしわがれたシャウティング・ヴォーカルと、メタリックでメカニカルなヤキ・リーベツァイトのドラムスが特徴的なこのチューンは、まさにこの行き場のない登場人物たちの心と共振している。なお映画ではこの曲の長いヴァージョンが数か所に分けて用いられているが、アルバム『サウンドトラックス』に収められているのは短縮版だけだ。
監督のロジェ・フリッツは、もともと写真家で、イタリアでヴィスコンティの助手をしていたこともある[*19]。監督としては『女の子、女の子 Mädchen, Mädchen』(1967)、当時わが国の女の子のあいだで絶大な人気を誇っていた美形男優レイ(モンド)・ラヴロックが出演していたせいか日本でも公開された『透き通った夕暮れ』(1968)、そして本作と、当時の妻だった童顔女優ヘルガ・アンダースを主演に据えた「女の子」三部作を撮ったことで知られている。そのなかでもこの『色情愚連隊』は、おそらくもっとも評価の高いフリッツの監督作だ。
この人は俳優でもあり、そのうち監督業をやめてしまったせいもあるのだが、役者としてのキャリアのほうがずっと長い。まずオムニバス映画『ボッカチオ’70』(1962)のヴィスコンティのエピソードで、ロミー・シュナイダーの猫を探すドイツ人の召使を演じたのを皮切りに(映画のなかでも、おふたりはドイツ語で会話を交わしている)、1960年代後半にはハンサム男優としてスウィンギング・ロンドンならぬスウィンギング・ミュンヘン映画『ジェット・ジェネレーション Jet Generation』(エックハルト・シュミット、1968)などに主演、後年ファスビンダー映画にも出るようになり、たとえば『ベルリン・アレクサンダー広場』(1980)ではハナ・シグラの伴侶、『リリー・マルレーン』(1981)ではハナ・シグラを取り調べるゲシュタポ高官に扮している。
フリッツは本作のDVDコメントで、この作品を撮るにあたりサム・ペキンパーの影響を受けたと言っているが、その後奇しくもペキンパー本人の『戦場のはらわた』(1977)に俳優として出ることになり、上官マクシミリアン・シェルに弱みを握られて最高に卑劣な行為におよぶお髭の副官を演じているが、この映画には本作の色情コンビ、クラウス・レーヴィッチュとアルトゥア・ブラウスも出演、映像上で両人とのリユニオンを果たしている。
レーヴィッチュ、ブラウス、フリッツはみな1936年生まれの同年輩。2002年にこの世を去ってしまったクラウス・レーヴィッチュは、ロジェ・フリッツと同じようにその後ファスビンダー映画に出演するようになり、『あやつり糸の世界』(1973)に主演、『四季を売る男』(1972)、『デスペア』(1978)、『マリア・ブラウンの結婚』(1979)などで重要な役を演じ、ハリウッドではクリント・イーストウッドの東西冷戦ハイテク戦闘機映画『ファイヤーフォックス』(1982)でソ連の将軍に扮している。
アルトゥア・ブラウスが主演したのは、ファスビンダーならぬヴェンダースの『ゴールキーパーの不安』(1972)。ここで主役のゴールキーパーを演じることになったのは、ブラウスの元棒高跳びの選手というスポーツマン履歴と関係あるのかどうかはわからないが、それはさておき、ハリウッド映画では、ポール・スコフィールド演じる美術狂のドイツ軍大佐が最高に屈折していてすばらしい『大列車作戦』(ジョン・フランケンハイマー、1964)で、レジスタンスの闘士バート・ランカスターに撃ち殺されるスコフィールドの部下に扮している。
そのころ監督ロジェ・フリッツの妻だったヘルガ・アンダースは、エーファ・レンツィやザビーネ・ジニエンなどと並んで西独1960年代後半の新世代女子を象徴するような存在で、フリッツを監督につくられた本作を含む上述の「女の子」三部作、あるいは『タトゥー Tätowierung』(ヨハネス・シャーフ、1967)などで知られた小悪魔的な女優だったが、1986年に38歳で早逝してしまった。

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 『色情愚連隊』
 

『デッドロックDeadlock』
 
ロジェ・フリッツの『色情愚連隊』と同じように、荒涼きわまりない場所を舞台に死闘が繰り広げられるのが、ローラント・クリックのネオ・ウェスタン『デッドロック Deadlock』(1970)。カンの「魂の砂漠 Soul Desert」が音楽として使われるフリッツの映画の舞台が、砂漠のような採石場だったとしたら、こちらの舞台は本物の砂漠。監督のクリックによると、『デッドロック』も人間の心の砂漠がテーマとのこと[*20]。そしてこの映画も『色情愚連隊』と同じように、三人の登場人物の揺れ動く力関係のドラマである。というわけでこの二作、基本線でよく似ているが、『デッドロック』のほうが設定にしろ、映像にしろ、登場人物にしろ、ずっと「シネマ」している作品だ。
そのうえわたしの感じるところ、カンがつくった映画音楽のなかで、映画との一体感が一番高いのがこの『デッドロック』である。だがこの映画の音楽づくりの裏には、わたしのような怠け者だったら絶対体験したくない大変な経緯があったらしい。
当初監督のクリックは、自作のどうしようもないような音楽をつけようとしていたらしく、それを見えるに見かねたポスト・プロダクションのスタッフが、カンのイルミン・シュミットに連絡してみるよう提案、クリックはさっそくカンのスタジオを訪れ、どんな音楽にしてほしいかべらべら喋りまくったのだが、いっかな要点を得ず、このお喋りにもう我慢がならなくなったイルミン・シュミットが、こちらに任せるか、それともそちらでやるか、と決断を迫り、けっきょく任せてもらえることになった。だがすでに公開日も決まっていて残された時間はわずか。シュミットはその日の夜、カンのメンバーに主旨を説明して最初の録音セッションをやり、翌日の早朝そのテープを持ってクリックの編集スタジオのある西ベルリンに飛び、音楽を映画に組み込む作業をし、寝る暇もなく本拠ケルンに帰ってまた録音セッション。また早朝ベルリンにテープを持っていき、こんな生活を五、六日続けていたところ、とうとう身体が赤信号を発し、前後不覚となって卒倒、病院に担ぎ込まれたという[*21]。これで、その苦労が報われなかったら映画と同じように空しい心の砂漠を感じたことだろうが、幸いなことに、これはカンが供したなかでもたぶん最高の映画音楽となったのである。
この話でもわかるとおり、カンの映画音楽の作り方は、この道ではプロだったイルミン・シュミットがまず監督と話し合ったり映像を観たりして主旨をつかみ、それをメンバーに伝えて録音セッションをやり、うまくいったら、そのテープを編集して映画に組み込むというプロセスを踏んでいたようである。カンはリーダーなし、ヒエラルキーなし、全員同権というデモクラチックなバンドだったから、本来ならメンバー全員が雁首揃えて監督と話しあったり映像を観たりなどし、全員合意のもとで音楽をつくるのが理想形なのだろうが、これはあまりに非現実的で、たいていは期限が迫っている映画音楽の仕事をこなしていけなかっただろうし、メンバーもこの件に関してはそれでいいと思っていたらしい[*22]
とにかく映画の冒頭からしてテーマ音楽が映像にぴったりみっちり組み込まれており、その長く引き延ばされるギターの旋律はトランペットで吹いてもよさそうな感じで、おそらくマカロニ・ウェスタンの音楽を意識したものなのだろう。このチューンは劇中の変奏を経て、最後に物語にひっかけたとおぼしきテキスト[*23]を歌うダモ鈴木のシャウト・ヴォーカルを伴って再登場することになる。
そしてアフロ・アメリカンのマルコム・ムーニーのドライで縦に切り込むヴォイスを伴う『色情愚連隊』の音楽のあとに、イースト・アジアンのダモ鈴木のウェットで横に流れるヴォーカルが付き添う『デッドロック』のテーマを聴いてみると、歌声担当が変わったことによるカンの音楽的感触の変化がじつによくわかる。
主人公たちの争奪の対象となる札束がわんさとつまったジュラルミンケースに、シングル盤がポツネンと入っているというのは、じつにシネフィルな設定だが、このシングル盤が砂漠にポツネンと建っているあばら家に置かれたジュークボックスで再生されるというのは、さらに輪をかけてシネフィルな状況だ。この盤に収められている曲という設定になっているのが第二のテーマ音楽「タンゴ・ウィスキー・マン Tango Whiskyman」で、歌謡曲風味のあるこの曲、当時わが国でも大流行した「黒猫のタンゴ」のノリがあり、ひょっとするとそれに触発されている部分もあるのかもしれないなどと秘かに思う今日のこの頃である。
本作『デッドロック』は、女ひとりが男ふたりに食い込む『色情愚連隊』とはちがい、男三人のあいだで繰り広げられる男組パワーゲームで、女性もふたり、すなわち口のきけない魅力的な娘と、彼女の母親の狂った中年女も登場して強烈な印象を残すが、その設定でもわかるとおり、このふたりの女性は考え感じる人物というより、よりシネマ度の高い雰囲気を盛り立てるための、効果的な装置としての役割のほうが大きいように思える(唯一の男の脇役である奇抜な行商人にしても同じだ)。
娘役のマシャ・ラベン(この映画ではマシャ・エルム=ラベンと本名でクレジットされている)は、このあとヴェルナー・シュレーターの『爆撃機パイロット』(1970)やファスビンダーの『あやつり糸の世界』(1973)といった隠れた名作に主演、とりわけ後者では男物映画『デッドロック』では観ることも聴くこともできない挑戦的なお姿やハスキーで物憂げなアルトの声を披露しているが、そのほかの出演作は数作しかない。それもそのはず、この人は1970年半ばに役者稼業から身を引いてしまうからだ。
主役の三人の男のうち年輩ギャング、サンシャインに扮するスコットランドの俳優アントニー・ドーソンは、難なく殺せると思ったグレース・ケリーごときに逆に殺されてしまう殺し屋(『ダイヤルMを廻せ!』(1954))、難なく殲滅できると思ったパルチザンごときに逆に自軍を殲滅されてしまうイタリアの将軍(『ネレトバの戦い』(1969))といった脇役で知られる人で、この『デッドロック』は唯一の主演作かもしれない。とにかく薄汚れながらもスリムでダンディな姿、皴の刻まれた精悍な顔、サディスティックな歪み方といい、ここでのドーソンは最高にかっこよく、この人の代表作と言ってもいいのだろう。ちなみに名前が紛らわしい映画監督のアンソニー・M・ドーソンはまったくの別人で、こちらはイタリア人アントーニオ・マルゲリーティの偽名である。
若僧ギャング、キッドを演じるマルクヴァルト・ボームは、けだるく投げやりな雰囲気を漂わせ、演技なのか常態なのかわからない反役者的な役者で、まさに新時代を象徴するような俳優だった。1970年前後のこの時期、この人の映画俳優としてのキャリアは頂点に達し、本作のほかルードルフ・トメーの『探偵 Detektive』(1968)、『紅い太陽』(1970)、『スーパーガール Supergirl』(1971)の初期三作につづけて主演、前述の『大きな灰青色の鳥』やファスビンダーの『聖なるパン助に注意』(1970/71)にも出演している。この人の名はファスビンダー映画の脈絡で挙げられることが多いが、じつは大きな役を演じたのはこの『聖なるパン助に注意』くらいで、あとは顔見せ程度の出演にすぎなかった。むしろファスビンダー俳優として重要なのは、映画監督でもあった兄のハーク・ボームのほうで、少々山羊を思わせる容貌と得難いキャラクターを持つこの人は、『マリア・ブラウンの結婚』(1979)、『第三世代』(1979)、『リリー・マルレーン』(1981)といったファスビンダーの後期映画で特異なバイプレーヤーとして重宝されたものである。
廃坑管理人役のマリオ・アードルフは、おそらくこの三人の主演者のなかでもっとも有名な存在だろう。アードルフは、『悪魔が来た夜 Nachts, wenn der Teufel kam』(ローベルト・ジオドマク、1957)や『スキャンダル』(ロルフ・ティーレ、1958)といった戦後西ドイツ映画の名作から60年以上にわたり無数の作品に出演、衰退のない驚異的なキャリアを重ねてきた人だが、マルクヴァルト・ボームとは反対に演劇伝統の強いドイツによくみられる演技が過剰になりがちな旧派の俳優でもある。というわけでこの人の場合、この映画やファスビンダーの『ローラ』(1981)のように役柄がぴったり合っているときはいいのだが、その演技があまりに押しつけがましくなることがあり、たとえばスタティックな素人俳優が大挙して出演するストローブ/ユイレの『階級関係』(1984)では、そのあまりに役者臭い芝居で職業俳優の「醜態」を晒してしまったものだ。
それはともかく、個々の俳優の特質に応じたこの三人三様の姿が、この砂漠映画の作劇の軸となっていることも確かである。
監督のローラント・クリックは、同時代のニュー・ジャーマン・シネマに背を向けた人のように思われているかもしれないが、じつはクリックが批判していたのは、助成金獲得のために「芸術」を掲げる一部の映画の作り手たちと、その観客を無視した姿勢だった。彼らは、「娯楽性」の高いクリックの作品が国際映画祭で成功を収めてしまうと、自分たちに助成金が回ってこなくなると文句を垂れたそうである[*24]。たしかにニュー・ジャーマン・シネマの興隆が、公的助成金や公共テレビ放送の資金援助を背景にしていたことはよく知られるところだが、助成金を出させるために審査委員会に気に入られるような「芸術的映画」、たとえば「文学映画」の企画ばかりが提出されるようになると、まったくの本末転倒で、これはファスビンダーも批判していたことだった[*25]。かたや、自分の活動が助成金なしでは成り立たないアーティストがいることもたしかで、わたしもかつてそういう人たちの集まりに同席したことがあるのだが、芸術上の話はほとんど出ず、今どこそこの文化基金やフェスティヴァルでこういうテーマをやるとお金が出るとかそういう話題に終始し、この人たちも大変なんだなと思ったことがある。
異郷の異境を舞台にしたこの『デッドロック』、クリックの映画のなかでも例外的な作品で、ほかの異郷ものはアメリカ競馬のドキュメンタリー『ダービー・フィーヴァー USA Derby Fever USA』(1979)だけ。そのほかはみな地元ドイツを舞台にした映画で、殺風景な郊外都市を舞台に幼い少年が退屈しのぎに乳児の妹を殺してしまい、家族ぐるみでその隠蔽をはかるというショッキングな長編デビュー作『坊や Bübchen』(1968)、薄暗く寒々しい大都市ハンブルクで、社会の最底辺にうごめく若者が現金輸送車強奪にはしる『スーパーマーケット Supermarkt』(1974)、閉塞した壁の街、西ベルリンを舞台にデニス・ホッパーが破滅型音楽マネージャーに扮する二年がかりの作品『ホワイト・スター White Star』(1984)などがあるが、これらの映画の根底に横たわっているのは、やっぱり『デッドロック』と同じように「心の砂漠」のようである。
クリックが「ニュー・ジャーマン・シネマ」の監督かどうかという議論は不毛だと思う。なにせニュー・ジャーマン・シネマというのは、便宜上の呼称にすぎず、人によってどの監督のどの作品をそれに含めるかは異なるし、確たる定義はないし、以前のものとはさまざま意味で異なる60年代後半から80年代初頭くらいまでの映画とでも大雑把に考えておいたほうがいいかもしれない。ただひとつ言えるのは、クリックは西ドイツ新映画の監督のなかでも1930年代はじめ生まれの強烈な映画語法の革命家(クルーゲ、ストローブ)と1940年代生まれの強烈な「作家映画」の作り手(ファスビンダー、シュレーター、ヘルツォーク、ヴェンダース)の狭間に陥ってしまった、1930年代末生まれの中間世代に属するということだろう。カンのシュミット、シュカイ、リーベツァイトも属するこの世代の監督には、クリックのほかにも、わが国でもかなり知られているフォルカー・シュレーンドルフやルードルフ・トメー、わが国ではほとんど知られてないミヒャエル・フェアヘーフェンやペーター・フライシュマンなどがいるが、これらの人々の作品は、一目観ればだれの作品かわかるほどの強い個性は具備していないものの、迎合ポピュリズムを拒み問題意識を持ちながら通例の娯楽性も兼備したもので、とりわけ日本では無名のフェアヘーフェンやフライシュマンといった人々の映画は、再発見されてしかるべきかもしれないと思う今日この頃である。
中東戦争中、散発的な戦闘がつづいていたいわゆる「消耗戦争」のあいだにイスラエルのネゲヴ砂漠で1970年の1月から3月にかけて、つまり砂漠の気候が極端にならない時期に全編ロケされた本作『デッドロック』の撮影を担当したのはローベルト・ファン・アッケレンである。ファン・アッケレンは、このあと撮影監督から映画監督へと転身を遂げ、マシャ・ラベン主演の『天使たちの喘ぎ』(1972)、デルフィーヌ・セイリグ主演の『最後の叫び Der letzte Schrei』(1975)、あるいは女優グードルーン・ラントグレーベのブレイク作となった『別れの朝』(1983)といった映画をつくることになる。
さてこの『デッドロック』、製作から半世紀ほど経った2021年、ようやくわが国でロードショー公開されたので、幻の作品と思われがちだが、本国ドイツではまったくそんなことはなく、何度もテレビで放映され、意外と身近な映画である。それどころか少なくともわたしの知るかぎり、カンが音楽を担当した映画のなかで、もっともTV視聴ができる確率の高い作品で、しばらくベルリンというドイツの街に寝起きしていたわたしが『デッドロック』をはじめて観たのもテレビ、二度目に観たのもテレビ、三度目に観たのもテレビだった。ところが四度目に観ようとしたところ、突然炎のごとくテレビ受像機が火花を散らせて壊れ、よんどころなき事情により観られなくなってしまった。ようやくよんどころなき事情により阻まれていた四度目の機会を得られたのは、ベルリンのテレビ受像機のまえではなく、東京の四谷、それも本邦ロードショー公開の5年半ほどまえ、2015年末に挙行された上智大学ヨーロッパ研究所ドイツ映画ゼミナールにおける上映会でのことであった。大会場が満員となった本作の本邦初公開の立役者は、当時この大学の学生だった藤原理子さんで、この人がいなければ本作がこの東洋の離れ小島でこれだけ多くの人に知られることはなかったかもしれない。藤原さんは、わたしのように知っていても面倒くさいので知らないふりをする利己的な輩とは大いに異なり、力を惜しまずドイツ映画の紹介につとめ、その殊勝な姿勢にわたしも少なからず感銘を受けたもので、節分でもないのにこのような拙文を書いているのも、それに少々触発されたせいかもしれないなどと思う今日この頃である。そして情報に疎いわたしに、この上映会が挙行されることを教えてくださった関口太郎さんがいなければ、よんどころなき事情により阻まれていた四度目の鑑賞は阻まれたままであっただろう。おふたりに感謝したい。

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『デッドロック』

 
『早春 Deep End』
 
『早春』とは言っても小津安二郎の『早春』ではない。イェジ・スコリモフスキの『早春』(1970)である。イェジ・スコリモフスキの『早春』とは言っても、もともと「早春」という題だったわけてはない。もともとの題は「ディープ・エンド Deep End」である。つまり、深みにはまって抜けられなくなってしまうという映画である。それも感情の深みにはまって抜けられなくなってしまうということであり、主人公が働いている浴場のプールの深みにはまって果てるという映画でもある。それにしてもどうしてこんなに含みのあるタイトルが、『早春』という春の目覚め的青春情緒風の邦題になってしまったのか?
どうもわが国では情緒に訴える邦題が横行しているようで、昨今のドイツ映画をみても、たとえばフォン・ドナースマルクのアカデミー外国語映画賞受賞作「他人の生活 Das Leben des Anderen」(すばらしいタイトルだ!)は、劇中に出てくるピアノ・ソナタの題名に因んだ『善き人のためのソナタ』というモラリスティックで感傷的な邦題に変えられてしまったし、クリスティアン・ペッツォルトの「不死鳥 Phoenix」は、ラヴ・シーンの湿ったセリフのような『あの日のように抱きしめて』という日本公開名になってしまった。要するに原題は、その意とするところがなんなのか想像力を駆使することができるものなのに、邦題は持つべき感情や情緒を規定する、柔和ながらも、なにやらひどく押しつけがましいタイトルなのである。
そこには日本の今も変わらぬ問題が隠されているような気がする。日本では想像力を駆使できるような間接的なタイトルではなく、一から十まで規定してしまう直接的な題名が好まれているようにみえるし、わたしもそういう曖昧なタイトルを自分の書名にしようとしたところ、編集者に、それじゃダメだ、テーマが一目でわかる題名にしろと言われた経験がある。つまり日本というところは想像力を働かせなくてもいい社会、いや働かせないほうがいい社会、つまり一から十まで言ってもらえ、それに従っていればいい社会のような気がするのだ。
とは言いながら、ひとつだけ確実に言えることがある。わたしに邦題をつけさせてはいけないということである。わたしに邦題をつけさせたら、想像力を存分に駆使させるばかりか酷使させるものとなり、どんなに大ヒットする可能性のある映画でも、売れない作品になってしまうであろう。
それはさておき、ポーランド人監督イェジ・スコリモフスキが西側に渡ってつくったこの映画、舞台はロンドンだし、主演のジェーン・アッシャーもジョン・モルダー・ブラウンも英国人なので、てっきりイギリス映画だと思っていたら、どうもそうではないらしい。
ほかに出てくる役者は、ジェーン・アッシャーとつきあっているいやらしい教師役のカール・ミヒャエル・フォーグラーも、浴場のボイラー係役のディーター・エプラーも、ドイツ映画で拝見したお顔だと思っていたら、じつは出演者の大半はドイツの俳優、より正確言えばドイツ語圏の俳優である。じっさい配役表をみてみると、英国人の役者は主役のほかは、美少年モルダー・ブラウンに迫る欲情客、いや浴場客(元グラマー・スターのダイアナ・ドース)やジェーン・アッシャーの底意地の悪いフィアンセ(クリストファー・サンドフォード)といったほんの少数で、モルダー・ブラウンの両親も元彼女も、いけすかない浴場の出納係のおばさんも、ポルノ映画館の支配人も、この映画館の手入れをするロンドンの警官も、みんなドイツの俳優が演じているのだ。のっけから登場する浴場の経営者役、カール・ルートヴィヒ・リントからしてドイツ人で、この俳優兼舞台演出家はあの往年の大指揮者ブルーノ・ヴァルターの娘さん、ロッテの夫だった人である。そのうえ撮影のチャーリー・シュタインベルガーもドイツ語圏のオーストリア人、プロデューサーのヘルムート・イェーデレもドイツ人で、ミュンヘンの大映画会社ハヴァーリア・フィルムの当時の社長(本作の製作はその系列会社のマラン・フィルムということになっている)。つまりこの映画、英国の会社が出資参加していようと基本的にはドイツ映画、より正確に言えば西ドイツ映画と言ったほうがいいのだ。
撮影の大半もミュンヘンでおこなわれ、主人公が働いている浴場シーンは、ユーゲントシュティールのミュラーシェス・フォルクスバートという美しく豪華なミュンヘンの浴場の内部に美術班が加工を施し、うらびれて薄汚れたロンドンの大衆浴場に化けさせたうえで撮られたもの。撮影場所は、屋内はじつはミュンヘン、外は本当にロンドンというのが基本だが、もちろん例外もある。野外の緑地は誤魔化しがきくので、モルダー・ブラウンが駆けっこに飛び入りする公園は、ロンドンならぬミュンヘンの有名なエングリッシャー・ガルテン、かたや屋内プールの場面は、ミュンヘンのプールがあまりに豪華すぎ、とても設定に見合うようなシケた感じにできなかったので、ずっと地味なロンドンのプールを使って撮影された。
さらに撮影時にはドイツ人俳優にあらかじめイギリス英語の発音を教示、吹替えのときに唇の動きがシンクロするようにし、彼らの台詞を英人俳優に本物のブリティッシュ・イングリッシュでアフレコさせてイギリス人に化けさせるという凝りようで、こうした「映画的騙し」を駆使して、この英国的きわまりない映画が生まれたわけだが、映画というのは観客が気づかないうちにいろいろと操作されている「騙しの芸術」なので、このようなトリックはまさに王道である。主演者のジェーン・アッシャーも後年、そのころまだ英語もろくに話せなかったポーランド人が監督し、映画自体はドイツ製なのに、こんなに心底イギリス的な作品が出来上がってきてびっくりしたと回想している[*26]
監督のスコリモフスキは、最初からキャット・スティーヴンスとカンの音楽を使うことに決めていたらしく[*27]、スティーヴンスの曲はオープニングおよびエンディングに同伴、かたやカンは途中に出てくる歓楽街のシーンに付き添う音楽を提供している。それが永劫反復性グルーヴという、カンのイメージを代弁しているようなあの名曲「マザー・スカイ Mother Sky」だ。このチューンはベートーヴェンの七番と並び、わたしにとって座右のダンス・ミュージックで、三年に一度はこの曲で腰を揺らすのを常としている。
それはともかく「マザー・スカイ」が同伴するのは、ロンドンの(当時の)歓楽街ソーホーの総計10分を超えるシーンで、音楽はこの長いシーンをつないでいく膠の役割をつとめている。そしてここほど、屋内は偽ロンドンのミュンヘン、外に出ると本物のロンドンという本作の映画的トリックが存分に発揮されている箇所はないだろう。
まずジェーン・アッシャーをストーキングしているジョン・モルダー・ブラウンが、会員制クラブの受付に向かうシーンで、カンの「マザー・スカイ」が流れはじめる。ここは屋内なのでミュンヘンのセット、モルダー・ブラウンと問答をおこなう感じのよい受付のお姉さんに扮しているのもスイス・ドイツ人のアネ=マリー・クスターで、奇しくもクスターはこの『早春』と前後して、亡命チェコ人監督ズビニェク・ブリニフが西ドイツで撮った女の子早春映画『オー・ハッピー・デイ O Happy Day』(1970)に主演している。そしてこの場面は、手持ちカメラの名手として知られたチャーリー・シュタインベルガーの見事な360度回転長回し映像が披露される箇所でもある。
さて受付のお姉さんと問答を繰り返しているうちに、モルダー・ブラウンの恋慕の対象ジェーン・アッシャーがフィアンセを伴って登場。自分の姿を見られたくないモルダー・ブラウンは身を隠し、外に飛び出る。外は本物のロンドン・ソーホー地区。映画ではモルダー・ブラウンがほんの数歩で外に飛び出すが、じっさいには屋内のミュンヘンと屋外のロンドンのあいだには900kmほどの距離があり、これを踏破するにはおよそ130万歩が必要である。
とにかく外に出たモルダー・ブラウンは、恋慕対象ジェーン・アッシャーがクラブから出てくるまで待つことに決め、ホットドッグを食べて時間をつぶす。ここは本物のロンドンだから出てくる俳優もみなイギリス人で、ホットドッグ売りに扮しているのはピンクパンサー・シリーズで知られる中国系英国人バート・クウォーク、モルダー・ブラウンにホットドッグをおごらせるお姉さん二人組も英国人、呼び込みをするエロショップの男どもも英国人である。
そうこうするうちにモルダー・ブラウンは、ジェーン・アッシャーにそっくりの等身大ヌード看板を盗み、それを抱えて、ある娼婦のお部屋に迷い込むのだが、ここは屋内なのでまたまた900km彼方のミュンヘン、娼婦を演じるのもロンドンならぬウィーンの女優ルイーゼ・マルティーニである。ここでカンの音楽は一時停止、片足にギプスをして歩けないこの娼婦が遠隔操作でレコードをかけると、またカンの音楽がはじまり、この奇妙な訪問場面のあと、モルダー・ブラウンがジェーン・アッシャー似の裸体看板を抱えて外に出てみると、そこはまたまた900km彼方の本物のロンドン。
モルダー・ブラウンはジェーン・アッシャーを地下鉄駅に追いかけ、自分もなんとか電車に乗り込んだところでカンの音楽はお役目ご免となる。地下鉄は屋内なのでミュンヘンになりそうなものだが、これは本物のロンドン。チューブと呼ばれるロンドンならではの地下鉄は誤魔化しようがないし、当時のミュンヘンにはまだ地下鉄は走っていなかったのだ。ちなみにモルダー・ブラウンが地下鉄に駆け込み乗車したあと、カメラが注視するポーランド語の新聞を手にしている不愛想な男は、監督イェジ・スコリモフスキその人。これはポーランドの共産党独裁を逃れて西側に渡ってきたスコリモフスキが、ポーランド共産党の機関紙を読んでいるという、あまりに皮肉なジョーク・シーンである。
この映画、基本的にはストーカー物なので、脂ぎったおじさんがジェーン・アッシャーみたいな美人をストーキングするという設定にしたら、すごくいやらしい話になるのだろうが、この映画は、おばさん方がこぞって色目を使う可愛い美形ティーンエージャーのジョン・モルダー・ブラウンが、綺麗で気さくなお姉さん同僚ジェーン・アッシャーに片思いをしてストーキングするというお話なので、全然いやらしくはならない。どうしてそうならないかの原因追及はさておくとして、その意味では、これはメルヘンのようなお話である。それも純愛がオブセッションに嵩じて悲劇で終わるメルヘンである。
 
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『早春』

 
『クリーム―シュヴァービング・レポート Cream – Schwabing Report』
 
『早春』が、カンが音楽を提供したもっとも有名な映画だとすると、『クリーム―シュヴァービング・レポート Cream – Schwabing Report』(1970/71)は、もっとも無名な映画だろう。これはポール・マザースキーの1980年代の諸作、すなわち『ハドソン河のモスコー』、『ビバリーヒルズ・バム』、あるいは『パラドールにかかる月』の共同脚本家として知られるアメリカ人レオニダス・“レオン”・カペタノスが、ミュンヘンで撮った映画[*28]
お話は、ミュンヘンで金持ち女に囲われていたジゴロのイタリア人青年が純情そうに見えた小娘に恋し、自立を目指すのだが、この小娘が欲するのも金にあかせた豪勢な生活であることが判明、けっきょくは元の木阿弥、希望を失ったこの若者は自殺してしまうというもの。「明かりをつけないで、ひとりにしておいて Don’t turn the Light on, leave me alone」と銘打たれたカンのタイトル・ミュージックは、じつに魅力的なのだが、どうしたことか映画のほうには魅力も生気も感じられない。ちなみに「シュヴァービング・レポート」という副題は、当時西独セックス画のはやりだった「女子学生㊙レポート」や「主婦㊙レポート」など「○○○レポート」にあやかったものである。

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『クリーム―シュヴァービング・レポート』


 *

 
はてさて音盤『サウンドトラックス』の五本の映画のあと、カンは二作の殺人犯罪捜査ものに音楽をつける。双方とも西ドイツのお茶の間で絶大な人気を誇ったテレビ映画で、受像機の前に座った一般家庭のみなさんに、カンの音楽を一躍知らしめることともなった。
とはいっても正直なところ、『将軍たちの夜』や『フレンジー』などの例外はあれど、わたしは殺人犯罪捜査ものに惹かれたことがない。どうしてだろう、どうしてだろうと頭をひねってみたところ、こういう物語を進めていくにはまず死体が必要で、屍になった人間は、いくらその生前の姿に触れられようとけっきょくのところはストーリーの起点をつくる駒にすぎず、べつに人間の尊厳とかそういう御大層なことを言いたいわけじゃないのだが、いくらフィクションであろうと、人間がその存在を停止する死というものが駒に使われると、なんだかちょっとばかり悲しい気持ちに襲われてしまうからだ、ということに気がついた。それはともかく、カンが音楽をつけたおかげで、わたしは『ナイフ』と『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』というふたつの殺人犯罪捜査ものを知ることができた。
 
 
『ナイフ Das Messer』
 
カンの音楽を、一躍西ドイツのお茶の間のみなさんに知らしめたテレビ映画『ナイフ Das Messer』(初放映1971)。この推理サスペンス三部作『ナイフ』にカンが提供した曲は「スプーン Spoon」。ナイフとくればスプーンである。人を殺せるナイフではなく、人を殺せないスプーンである。そしてこの「スプーン」は、記録的高視聴率を記録した『ナイフ』のおかげでカン最大のヒット曲となった。
とはいっても監督のロルフ・フォン・ジュードーは、カンの音楽が気にいらなかったらしく、「もっとコマーシャルな音楽がほしい、こんなアヴァンギャルドな音楽なんかいらない」と、のたまったそうだが、製作元であるWDR(西部ドイツ放送)のプロデューサー側はこの「アヴァンギャルドな」カンの音楽を高く評価し、監督を説き伏せて使わせたという[*29]
それにしても「アヴァンギャルドな」ものをもくろむ監督の意図が、売れ行き優先のプロデューサーに阻まれるという話はよく聞くが、これはまさに逆のパターン。それもそのはずプロデューサーのペーター・メアテスハイマーは、先述のテレビ娯楽批判テレビ映画『百万長者ゲーム』の製作担当で、ファスビンダーの『マルタ』や『あやつり糸の世界』、『八時間は一日にあらず』や『ベルリン・アレクサンダー広場』といった「アヴァンギャルドな」テレビ映画を製作することになる人だし、そのうえ当時の西ドイツには商業放送がなく、製作元の公共放送WDRが忌まわしい視聴率競争に巻き込まれることなく製作がおこなえたという事情もあった。とにかく当時のWDRは、ファスビンダーのほかにも後述するサミュエル・フラーの『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』など後世に残るテレビ映画を製作、ヴェンダースの初期諸作にも共同出資、はじめて西ドイツのお茶の間レベルでナチのユダヤ人虐殺の議論を巻き起こさせたアメリカ製テレビ・シリーズ『ホロコースト』(1978)の放映を敢行するなど、スタッフもテレビがどんな社会的影響を及ぼすべきか熟考して企画をつくっていったらしく、このへんはかつてのゲッベルスの放送・映像プロパガンダを半面教師にした西独メディアの「良心」とも呼ぶべきもので、公共放送だからでできたことでもあったはずだ。
とはいってもこの『ナイフ』、そのような社会意識変革の意図はなく、1960年代から70年代にかけて西ドイツのお茶の間で絶大な人気を誇った英国人フランシス・ダーブリッジの脚本によるサスペンス推理シリーズ、いわゆる「ダーブリッジ・フィルム」の一巻として製作されたもので、視聴者の受けを大いに狙ってつくられた作品であることも確かである。要はこういうものも必要だということだ。
「ダーブリッジ・フィルム」の例にもれず、本作も登場人物は英国人、舞台も英国で、ドイツの俳優がドイツ語の台詞で英国人に化けているのだが、ドイツを舞台にした英国映画でも英国人が英語の台詞でドイツ人に化けていることを鑑みれば、映画のトリックとしてはべつに異例でもなんでもなく、外見はドイツ人も英国人も基本的には区別がつかないし、日本人が中国人や韓国人と区別がつかないのと同じだと考えればいい。しかしながらモンゴロイドのヨーロッパ人もコーカソイドの東アジア人も、これらの混淆も多数存在することを鑑みれば(そういうわたしも金髪碧眼のアフリカ系モンゴロイドである)、このような単純な発想は成り立たないと考えたほうが妥当だろうが、まあとりあえず便宜上そういうことにしておこう。
お話の発端は、ウェールズで発見された刺殺死体。凶器は香港製のエキゾなナイフで、これがタイトルの所以。殺されたのは英国秘密情報部の連絡員。というわけで秘密情報部の腕利きエージェントが事件の真相を探るべくウェールズの現地に潜入、その過程で疑わしい人物が次々と登場し、さらにふたりほど死人が出、最後に意外な真犯人をお縄にするという典型的なサスペンス推理ものである。
出演陣は豪華だ。これは当時ドイツきっての国際スターだったハーディ・クリューガーが10年ぶりに出演した自国作品だったし、第三帝国時代の冒険映画スターとして知られたルネ・デルトゲン、1950年代戦後復興期の「ハイマート・フィルム(故郷映画)」の象徴的女優ゾニア・ツィーマン、1966年の映画『プレイガール Playgirl』(ヴィル・トレンパー)で新世代女子のシンボル的存在となったエーファ・レンツィ、1967年の映画『悪魔のようなあなた』(ジュリアン・デュヴィヴィエ)の東洋人召使役が異様な印象を残したペーター・モースバハー、あるいは先述の『色情愚連隊』の色情野郎クラウス・レーヴィッチュと、役者は揃っている。
ところがこれだけ役者が揃っていても、創意あふれるカンの音楽が音響同伴しても、映画のほうはいっかな創意にあふれず、最後まで犯人を明かしませんでしたよといった感じの、常套的でなんだか冴えないルーチンワーク的な作品なのだ。これはどう考えてもカンの「アヴァンギャルドな」音楽に抵抗感をあらわにした監督のせいなのだろう。

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『ナイフ』
 
 
『ベートーヴェン通りの死んだ鳩 Tote Taube in der Beethovenstraße』
 
同じ西独TV犯罪ものでも、映画を観ることの喜びを感じさてくれない創意あふれぬ『ナイフ』とは対照的に、こちらは映画を観ることの喜びを感じさせてくれる創意あふれる『ベートーヴェン通りの死んだ鳩 Tote Taube in der Beethovenstraße』(初放映1973)である。これはサミュエル・フラーの唯一のドイツ映画。それに音楽同伴するのは、ヴォーカルのダモ鈴木氏が「ねえ、あんた、ビタミンCが欠乏しちゃうよ~」と歌うカンの名曲「ビタミンC Vitamin C」とその変奏。『ナイフ』でカンの「スプーン」がシーンの必要に応じて変奏とともに使われたように、ここでも音楽の使い方は基本的に同じである。
『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』は、1970年から現在まで半世紀以上つづいているドイツの驚異的長寿TVシリーズ『犯行現場Tatort』のなかの一話[*30]、それもこのシリーズ25作目記念の型破り作品として企画されたもので、ヨーロッパ映画人のあいで語り草となっていた型破り的アメリカ人監督サミュエル・フラーが外国人としてはじめて起用され、例外的に台詞は英語、放映はドイツ語吹替えで、本来の主人公であるドイツ人捜査官は物語から早々に退去、その代わり飛び入りのようなアメリカ人私立探偵が主役をつとめ、語り口も描き方も映像も何もかも型破りで、型にはまったものを求める多くの視聴者には型破りすぎて大いに不評だったようだが[*31] 、再放映や劇場上映が繰り返されるごとにその評価が高まっていった。よくある話である。
お話は監督フラー自身の脚本によるもので、国際的な恐喝組織をめぐる錯綜した物語。『ナイフ』のように物語の仕掛けに寄りかかって無難に進めていく映画ではなく、物語をこう描きたいという強い意志と態度で見せていく挑戦的な映画である。つまり粗筋に落としこんでしまうと、大したことのないストーリーなのだが、映画そのものとしては大したことのある作品なのである。まあこの世の名作というのは、けっこうそういうものかもしれない。
主要舞台は当時西ドイツの首都だったボン、そしてその近くの大都市ケルン。映画自体もルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンの生地、ボンのベートーヴェン通りにおける射殺ではじまり、同じくベートーヴェン通りにおける別の射殺で終わるのだが、ベートーヴェン・ファンのフラーらしく、ルートヴィヒ・ファンのベートーヴェンハウスも登場、有名なケルンのカーニバルを再現したシーンも出てくる。
主演女優はなにやら疲れた美人のお姉さんといった感じのドイツ人クリスタ・ラングで、この人は監督サミュエル・フラーの妻。主演男優もフラーの『クリムゾン・キモノ』(1959)に出ていたグレン・コーベットで、やっぱりなにやら疲れた風情。お互い惹かれ合いながら裏切りあう、このおふたりのなにやら疲れた雰囲気に、カンの憂愁なビタミンC欠乏ソングはなにやらよく合っている。
それに対し、たぶんもっとも悪の活気にあふれる主要出演者は、国際恐喝組織の黒幕に扮するアントン・ディフリングだろう。この人の冷酷そうなお顔は一度見たら忘れられない類だが、どうしてそれが忘れられない類の顔なのかはとりあえず棚上げにするとして、ディフリングは、そのお顔を生かした冷酷なナチ将校役として英米映画で重宝された存在でもあった。とはいってもディフリング本人は、ユダヤ系にして同性愛者というナチ体制下における最悪の二重苦を抱えて英国に亡命したドイツ人。妹さんのジャクリーンも英国で彫刻家として有名になった人である。
さらにシネフィルづくしのこの映画では、映画評論家で後年監督業にも手を出すハンス・C・ブルーメンベルクが私立探偵コーベットの協力者役、あの見事な『ダーヴィット David』(1979)などの諸作で知られる映画監督ペーター・リーリエンタールが黒幕ディフリングのモンテカルロ連絡員としてテレビ画面に登場、後年『最前線物語』(1980)でフラー映画にふたたび顔を出すことになるステファーヌ・オードランがクリスタ・ラングのお友だちとして一緒に踊り(そこで流れる音楽は、『デッドロック』でマリオ・アードルフがベル・リラで叩くエヴァグリーン「ラ・パロマ」)、撮影はワイダの『地下水道』(1956)やポランスキーの『水の中のナイフ』(1962)などで知られる亡命ポーランド人の達人、イェジ・リプマンである。

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『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』



 
そして西ドイツのお茶の間を席巻したこのテレビ映画二作のあと、映画音楽家としてのカンの活動は徐々に減退していく。

 
『カルロス Carlos』と『ゴモラ最後の日々 Die letzten Tage von Gomorrha』
 
1971年から1973年にかけて、カンの音楽はシラーの戯曲『ドン・カルロス』をネオ・ウェスタン化したハンス・W・ガイセンデルファーのテレビ映画『カルロス Carlos』(1971)に使われたそうだが、わたしはこの映画を観る機会を得られていないので、どの曲がどう使われているのかは何も言えないし、資料を調べてもわからない。観られないものに無理やりにコメントしてもしかたがないので、観られたらまた何か書くことにしよう。ちなみにこの忘れられてしまった映画、出演陣はジェラルディン・チャップリン、アンナ・カリーナ、ベルンハルト・ヴィッキー、ゴットフリート・ヨーンとかなり豪華である・・・いや失礼、ついつい前言に反して観られない映画にコメントしてしまった。
ヘルマ・ザンダース=ブラームスがWDR(西部ドイツ放送)の委嘱でつくったテレビ映画『ゴモラの最後の日々 Die letzten Tage von Gomorrha』(1973)のほうは近未来SFのようで、ファスビンダーの近未来SF『あやつり糸の世界』の主演女優マシャ・ラベンが主演した数少ない映画でもあるし、撮影もディートリヒ・ローマンなので、観たみたい気がするのだが、いまだに観られる機会は得られていないし、今後もその機会が得られるかどうかはわからない。なおここで使われている音楽は、カンの『アンリミテッド・エディション』に収められた「ゴモラGomorrha」とは異なるものとのこと[*32]

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『カルロス』
 
 
『都会のアリス Alice in den Städten』
 
ヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』(1974)は、前述の『早春』と並んでカンが音楽をつけたもののなかでもっとも知られている映画かもしれない。とはいっても『早春』に使われた「マザー・スカイ」が、カンならではの反復性グルーヴ・チューンだったに対し、こちらの『都会のアリス』の音楽は、ブラインドで聴いたらカンだと勘づく人はまずいないだろう。どうしてこのような音楽になったのか、それはカンがこの映画の音楽をつけることになった経緯を追ってみればわかる。
ヴェンダースは、もともとこの映画にカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのインストゥルメンタル・チューン「カラーズ・フォー・スーザン Colors for Susan」を使おうと思っていたのだが、どうしても権利がとれなかった。そこで編集をやっていたペーター・プシゴッダに相談してみたところ、プシゴッダは旧知の仲だったカン/イルミン・シュミットを推奨、さっそくヴェンダースとプシゴッダはミュンヘンからケルンへ車を飛ばしてカンのスタジオを訪れ、映画の概要を説明、ヴェンダースが使いたがっていた「カラーズ・フォー・スーザン」を聞かせた。さらに編集終了の日程が迫っているため音楽が至急必要である旨を告げ、カンが超特急でつくったのがこの音楽だった [*33]。というわけで、ヴェンダースが思い描いていた「カラーズ・フォー・スーザン」に触発され、同じようにギター・アルペッジョを基調に、叙情的で物思いに耽るような雰囲気を映画に付与する曲になったわけで、これはまさに、カンが映画音楽家として監督の要望に万全に応えたプロの仕事だった。だからカンの音楽に聞こえようが聞こえまいが、そんなことは二の次だったのである。
わたしはヴェンダースの映画世界に惹かれる口ではないが、この人の初期映画はいいと思っている。後年のように映像美をあまりに見せつけ、そのねっとり優しい抱擁で人を窒息させてしまうところがないからかもしれない。初期映画のなかでも、『都会のアリス』はすばらしいと思っている。ファスビンダーやシュレーターのような優れた女優演出家とは言いがたいヴェンダースが、珍しく女優演出に成功した作品のひとつだからかもしれない。これはヴェンダースのアルター・エゴのようなリューディガー・フォーグラーと九歳の少女アリスの放浪劇で、このアリスに扮するイェラ・ロットレンダーの自然体がほんとうにすばらしいのだ。この映画は、九歳のイェラによって救済されたと言ってもいいくらいである。そして当時九歳だった救済者イェラ・ロットレンダーは、今やお医者さんとして患者を救済しているそうである[*34]
ちなみにこの映画には、ファスビンダーの『四季を売る男』(1971/72)の主演者ハンス・ヒルシュミュラーが警官役でゲスト出演しているのだが、この人が制服姿でタイプライターに向かっている場面は、『四季を売る男』で主人公が自分の警官時代を回想するシーンとそっくりである。というわけでこのシーン、どうみても『四季を売る男』への引用オマージュなのだが、『都会のアリス』のヒルシュミュラーは、警察を不祥事でクビになる『四季を売る男』のヒルシュミュラーとは大違いで、警官としての仕事をまっとうし、フェリーに乗船しているアリスを発見、それが母親のもとへ赴くアリスの列車旅行のきっかけとなる。そして、アリスを乗せた列車の車窓からパノラマ風景へとカメラが引いていくエンディングの航空撮影シーンも、ジャン=ピエール・メルヴィルの『仁義』(1970)の冒頭に出てくる列車シーンの引用オマージュのようである。

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『都会のアリス 2Kレストア版』 

 
『オイロギャングEurogang』とその後
 
1970年代の半ば以降は、カンの映画音楽活動が減退してしまい、1975年9月から76年2月まで放映されたSWF(現SWR、南西ドイツ放送)製作の刑事物6話シリーズ『オイロギャング Eurogang』で、カンの「ハンターズ&コレクターズ Hunters and Collectors」がテーマ曲として用いられた程度だった。アルバム『ランデッド』に収められたこの曲がシングルカットされたのは、このテレビ・シリーズでの使用と大いに関わっている。
イルミン・シュミットは、グループとしてのカンが終局を迎えた1970年代末、ふたたび個人名義で映画音楽をつくるようになるのだが、カンの面々(とくにシュミットと同じ南仏在住だったミヒャエル・カローリ)はセッション・ミュージシャンとして録音に依然として参加、カンは解散したというより、映画音楽のための任意の集合体だったカン以前の状態に戻ったと言ったほうがいいのかもしれない。
それにしても、2001年に早逝してしまったミヒャエル・カローリだけではなく、ここ数年のうちにヤキ・リーベツァイトもホルガー・シュカイも亡くなってしまった。今やカンのコア・メンバーのなかで存命なのは、80代を迎えることができたイルミン・シュミットだけである。

 
 
*1 原稿を頼んできてくださった松山晋也さん(『カン大全』)と前田龍一さん(日本経済新聞「鑑賞術」)に感謝したい
*2 Kunststiftung NRW (Hg.): von Zahn/ Czukay, Liebezeit, Schmidt: Can. Köln: Dumont 2006(以下Kunststiftung NRW), S.33
*3  同上
*4  Kunststiftung NRW, S.35
*5  同上
*6  https://www.kino.de/film/agilok-blubbo-1968/
*7  日本では『アジ郎とブル坊』なる、なかなか気の利いた邦題でリリースされた(Disk Union UPG038)。
*8  Robert Walker Jr. - Biography - IMDb
*9  https://eiga.com/person/138681/
*10  Filmrechte: Ein Millionenspiel | Telepolis (heise.de)
*11  Jörg Pleva gestorben | filmportal.de
*12 Eva Orbanz/Hans Helmut Prinzler (Hg.): Staudte. Berlin: Edition Filme im Wissenschaftlichen Verlag Voker Spiess 1991, S.260
*13 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』第一巻、boid 、2013年(以下ファスビンダー)、174頁
*14  Rob Young/Irmin Schmidt: All Gates Open. The Story of Can. London: Faber & Faber 2018(以下Young/Schmidt)
*15  Young/Schmidt, p.107
*16  https://www.filmportal.de/film/ein-grosser-graublauer-vogel_f43d6d68bfe449b8a9037d4b55166361
*17 ファスビンダー、295頁
*18  https://www.schamoni.de/die-schamonis/thomas-schamoni/biografie/
*19 ロジェ・フリッツの人生履歴については、本人がWDR(西部ドイツ放送)のラジオ番組『Erlebte Geschichten : Roger Fritz』(2004年10月3日放送)で詳しく語っている。これはWDRのサイトhttps://www1.wdr.de/radio/wdr5/sendungen/erlebtegeschichten/rogerfritz100.htmlで聞くことができる。
*20  Roland Klick über seinen Film "Deadlock" - "Das menschliche Drama dieser Welt" (deutschlandfunkkultur.de)
*21  Young/Schmidt, p.133/134
*22  Young/Schimdt, p.131/132
* 23 “When we fool don’t know how to build the new room, we could choose too along with the sunshine...”
*24  https://www.youtube.com/watch?v=_H6kHjYNpc4
*25  Der Spiegel、1977年7月11日号
*26 ローベルト・フィッシャー(Robert Fischer)のメイキング映画『Starting Out: The Making of Jerzy Skolimowski’s Deep End』 (2010)
*27 同上
*28  https://waltermagazine.com/community/people/leon-capetanos/
*29  Young/Schmidt, p.171. 
*30 おそらくTVシリーズ『犯行現場Tatort』のもっともイコン的な作品は、ういういしい15歳のナスターシャ・キンスキーが主演する『危険な年頃 Reifezeugnis(原題意:卒業証書)』(ヴォルフガング・ペーターゼン、1977)だろう。この映画はキンスキーにとっても監督のペーターゼンにとっても大ブレイク作となった
*31 Kampf gegen Keller - DER SPIEGEL
*32 Young/Schmidt, p.221
*33 前掲書, p.221/222
*34 Dr. Yella Rottländer | Kantonsspital St.Gallen (kssg.ch)
 
 
フィルモグラフィ
 
『アギロクとブルッボ Agilok & Blubbo』
監督・撮影 ペーター・フレーデリク・シュナイダー
脚本 クラウス・レーア、ペーター・フレーデリク・シュナイダー、ウルリヒ・シュピナーケ
音楽 イルミン・シュミット/インナー・スペース・プロダクション
編集 ペーター・フレーデリク・シュナイダー、エーリカ・ヴィルデ
出演 ローゼマリー・ハイニッケル〔=ロージー・ロージー〕(ミシェル)、ロバート・ウォーカー・ジュニア(アギロク)、クラウス・レーア(ブルッボ)
製作 ハンス・ヴェヴェルカ/西独イムス
公開 1969年
(白黒、96分)
 
『ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラ Kamasutra – Vollendung der Liebe』
監督 コービー・イェーガー
脚本 コービー・イェーガー、P・D・シェノイ、ジョージ・ウィルソン
撮影 リヒャルト・R・リンメル
音楽 イルミン・シュミット/インナー・スペース・プロダクション
編集 ペーター・ハーロース
出演 ブルーノ・ディートリヒ(マイク)、バーバラ・シェーネ(アンケ)、パーシス・カンバッタ(ナンダ)、フランツィスカ・ブロネン(ヘルガ・ブローマイアー)、リチャード・アボット(ペーター・ブローマイアー)、プレム・ナース(ラージ)、ジェイ・クマール(ディリプ)、ファリアル・カリム(アーシャ)、ヴィル・クヴァトフリーク(ナレーター)
製作 リヒャルト・R・リンメル/西独コンティフィルム
公開 1969年/日本公開 1969年
(カラー、91分)
 
『百万長者ゲーム Das Millionenspiel』
監督 トム・テレ
脚本 ヴォルフガング・メンゲ(ロバート・シェクリーの小説『危険な報酬』による)
撮影 ヤン・カリシュ、ルドルフ・ホラン
音楽 インナー・スペース・プロダクション
編集 マリー・アネ・ゲアハルト
出演 イェルク・プレーヴァ(ベルンハルト・ロッツ)、ディーター・トーマス・ヘック(司会者ティロ・ウーレンホルスト)、ディーター・ハラーフォルデン(追撃者ケーラー)、ヨーゼフ・フレーリヒ(追撃者ヴィッテ)、テオ・フィンク(追撃者ヘンゼル)、フリードリヒ・シュター(プロデューサーのムーリアン)、ペーター・シュルツェ=ローア(ディレクターのツィーグラー)、アネマリー・シュラディーク(ロッツの母親)、エリーザベト・ヴィーデマン(シュタインフルトさん)
製作 ペーター・メアテスハイマー/WDR(西部ドイツ放送)
放映 1970年
(カラー、95分)
 
『ギャングの巣のカッコーの卵 Kuckucksei im Gangstarnest』
監督・脚本 フランツ・ヨーゼフ・シュピーカー
撮影 ペトルス・シュレンプ
音楽 ハンス・レーパー、カン
編集 バーバラ・モンドリー
出演 ハナ・シグラ(マリア)、ヘルベルト・フックス(ロード・カプット)、ライナー・バーゼドー(フリッツ)、フィリップ・ゾンターク(フランキー)
製作 ヴィリー・ベニンガー/西独O.F.オリオン・フィルム、西独シネマ80
公開 1969年
(カラー、89分)
 
『大きな灰青色の鳥 Ein großer graublauer Vogel』
監督 トーマス・シャモーニ
脚本 トーマス・シャモーニ、ウーヴェ・ブラントナー、ハンス・ネーファー、マックス・ツィーグラー
撮影 ディートリヒ・ローマン、ベルント・フィードラー
音楽 カン
編集 エリーザベト・オーロフ、ペーター・プシゴッダ
出演 クラウス・レムケ(トムX)、ジルヴィー・ヴィンター(ルーバ)、マルクヴァルト・ボーム(ビル)、ウンベルト・オルシーニ(モレッリ)、オリヴェラ・ヴーチョ〔=オリヴェラ・カタリーナ〕(ディアーナ)、ロルフ・ベッカー(ルネット)、ベルント・フィードラー(カメラマンのクノッケ)、ルーカス・アマン(チンクエ)、トーマス・ブラウト(G.O.G.I.O)、ヴァルター・ラーテンガスト(ベロッティ)
製作 トーマス・シャモーニ/西独TSフィルム、伊プローディ・チネマトグラフィカ
公開 1970年(ベルリン映画祭)/ロードショウ公開 1971年
(カラー、92分)
 
『美しく短き人生 Mein schönes kurzes Leben』
監督・脚本 クラウス・レムケ
撮影 ベルント・フィードラー
音楽 カン
編集 リースグレート・シュミット=クリンク
出演 ミヒャエル・シュヴァンクハルト(ミヒャ)、クラウディア・リトマン(ジャネット)、ジルヴィー・ヴィンター(ローレン)、ジルヴィア・ケクレー(ノーラ)、カン
製作 ペーター・メアテスハイマー/WDR(西部ドイツ放送)
放映 1970年
(白黒、67分)
 
『色情愚連隊 Mädchen mit Gewalt』
監督 ロジェ・フリッツ
脚本 ユルゲン・クノップ、ロジェ・フリッツ
撮影 エーゴン・マン
音楽 カン
編集 ペーター・プシゴッダ
出演 ヘルガ・アンダース(アリス)、クラウス・レーヴィッチュ(ヴェルナー)、アルトゥア・ブラウス(マイク)
製作 ロジェ・フリッツ/西独ロジェ・フリッツ・フィルムプロドゥクツィオーン
公開 1970年/日本公開 1971年
(カラー、98分)
 
『デッドロック Deadlock』
監督・脚本 ローラント・クリック
撮影 ローベルト・ファン・アッケレン
音楽 カン
編集 ジェーン・ザイツ
出演 アンソニー・ドーソン(サンシャイン)、マルクヴァルト・ボーム(キッド)、マリオ・アードルフ(チャールズ・ダム)、マシャ・ラベン(ジェシー)、ベティ・シーガル(その母コリナ)、ジーグルト・フィツェク(行商人エンツォ)
製作 ローラント・クリック/ローラント・クリック・フィルムプロドゥクツィオーン
公開 1970年/日本公開 2015年(上智大学)/日本ロードショー公開 2021年
(カラー、94分)
 
『早春 Deep End』
監督 イェジ・スコリモフスキ
脚本 イェジ・グルーザ、イェジ・スコリモフスキ、ボレスワフ・スリク
撮影 チャーリー・シュタインベルガー
音楽 カン、キャット・スティーヴンス
編集 バリー・ヴィンス
出演 ジェーン・アッシャー(スーザン)、ジョン・モルダー・ブラウン(マイク)、カール・ミヒャエル・フォーグラー(教師)、カール・ルートヴィヒ・リント(浴場の経営者)、ダイアナ・ドース(浴場の女性客)、エーリカ・ベーア(浴場の出納係)、ディーター・エプラー(浴場のボイラー係)、クリス・サンフォード(スーザンのフィアンセ)、アネ=マリー・クスター(ナイトクラブの受付係)、バート・クウォーク(ホットドッグ売り)、ルイーゼ・マルティーニ(娼婦)、イェジ・スコリモフスキ(地下鉄の乗客)
製作 ヘルムート・イェーデレ/西独マラン・フィルム、英ケトルドラム・フィルムズ
公開 1970年(ヴェネツィア国際映画祭)/日本公開 1972年
(カラー、92分)
 
『クリーム―シュヴァービング・レポート Cream – Schwabing Report』
監督 レオン(=レオニダス)・カペタノス
脚本 レオン・カペタノス、エルンスト・リター・フォン・トイマー
撮影 カール・ケーニヒ
音楽 カン
編集 ペーター・プシゴッダ
出演 サビ・ドア(フランコ)、ロルフ・ツァッハー(ジョージ)、カタリーナ・コンティ(エーリカ)
製作 エルンスト・リター・フォン・トイマー/西独トランス・グローブ・フィルム
公開 1971年
(カラー、85分)
 
『ナイフ Das Messer』(テレビ連続シリーズ全3部)
監督 ロルフ・フォン・ジュードー
脚本 フランシス・ダーブリッジ(ドイツ語訳マリアネ・デ・バルデ)
撮影 ディーター・ナウイェク
音楽 カン
編集 ヴォルフガング・リヒター
出演 ハーディ・クリューガー(ジム・エリス)、ルネ・デルトゲン(フィリップ・クーパー)、ゾニア・ツィーマン(ミセス・コービー)、ペーター・モースバハー(ドクター・ホール)、エーファ・レンツィ(ジュリー・アンドルー)、シャルル・レニエ(秘密情報部極東部長ジョージ・ベイカー)、アレクサンダー・ケアスト(グリーン大佐)、カーリン・ヒューブナー(メアリー・ジョーンズ)、クルト・ベック(不動産業者トム・クリフォード)、ハンス・ユルゲン・ディートリヒ(執事ジョン・ミラー)、クラウス・レーヴィッチュ(フランク・バットマン)
製作 ペーター・メアテスハイマー/WDR(西部ドイツ放送)
放映 1971年
(カラー、第一部55分/第二部65分/第三部70分)
 
『ベートーヴェン通りの死んだ鳩 Tote Taube in der Beethovenstraße』
監督・脚本 サミュエル・フラー
撮影 イェジ・リプマン
音楽 カン
編集 リースグレート・シュミット=クリンク
出演 グレン・コーベット(サンディ)、クリスタ・ラング(クリスタ)、アントン・ディフリング(メンズーア)、エリック・P・カスパー(チャーリー・ウムラウト)、ステファーヌ・オードラン(ステファニー)、ジークハルト・ルップ(クレシーン)、アレックス・ダルシー(ミスター・ノヴァク)、ウィリアム・レイ(ミスター・ルティーニ)、アンソニー・チン(ミスター・フォン)、ハンス・C・ブルーメンベルク(フリッツ・シュピンデル)、ペーター・リーリエンタール(カルロス)
製作 ヨアヒム・フォン・メンガースハウゼン/WDR(西部ドイツ放送)、バヴァーリア・フィルム
公開 1972年(エディンバラ国際映画祭)/日本公開 2015年(ぴあフィルムフェスティバル)
(カラー、ディレクターズ・カット版123分)
 
『カルロス Carlos』
監督・脚本 ハンス・W・ガイセンデルファー
撮影 ロビー・ミュラー
音楽 カン、エルンスト・ブラントナー
編集 ヴォルフガング・ヘーディンガー
出演 アンナ・カリーナ(クラーラ)、ジェラルディン・チャップリン(リーザ)、ゴットフリート・ヨーン(カルロス)、ベルンハルト・ヴィッキー(フィリップ)、トマス・ハンター(ペドロ)、ホルスト・フランク(リゴ)
製作 エルンスト・リーゼンホフ、ヘルムート・ハフナー、グンター・ヴィッテ/WDR(西部ドイツ放送)、BR(バイエルン放送)
放映 1971年
(カラー、102分)
 
『ゴモラ最後の日々 Die letzten Tage von Gomorrha』 
監督・脚本 ヘルマ・ザンダース=ブラームス
撮影 ディートリヒ・ローマン
音楽 イルミン・シュミット/カン
編集 ヨハネス・ニッケル
出演 マシャ・ラベン(メリー)、マティーアス・フックス(カレ)、エルンスト・ヤコービ(プルトーニウス)、コンスエラ・ニール(リーリト)、ディーター・ボルシェ(ブルース)
製作 フォルカー・カナーリス/WDR(西部ドイツ放送)、バヴァーリア・フィルム
公開 1974年(サンレモ国際映画祭)
(カラー、100分)
 
『都会のアリス Alice in den Städten』
監督 ヴィム・ヴェンダース
脚本 ヴィム・ヴェンダース、ファイト・フォン・フュルステンベルク
撮影 ロビー・ミュラー
音楽 カン
編集 ペーター・プシゴッダ
出演 リューディガー・フォーグラー(フィリップ・ヴィンター)、イェラ・ロットレンダー(アリス・ファン・ダム)、リーザ・クロイツァー(アリスの母リーザ)、エダ・ケッヒェル(アンジェラ)、ハンス・ヒルシュミュラー(警官)、ジビレ・バイアー(フェリーの乗客)
製作 ヨアヒム・フォン・メンガースハゼン、ペーター・ジュネー/WDR(西部ドイツ放送)、西独フィルムフェアラーク・デア・アウトーレン内フィルムプロドゥクツィオーン1
公開 1974年/日本公開 1988年
 
『オイロギャング Eurogang』(テレビ・シリーズ全6話)
監督 ミヒャエル・ブラウン、ハインツ・シルク、エーバーハルト・ピーパー
脚本 デトレフ・ミュラー、ハインツ・シルク
撮影 イモ・レンツ
編集 ジークフリート・ケール、ペトラ・リーゼンフェルト
出演 ヘルムート・ランゲ(カール・ハーガー)、アルフ・マーホルム(グロマー)、ティル・エアヴィヒ(ポサート)、エーラート・ボーデ(レルヒ)、マンフレート・ツァパトカ(ベトリヒ)
製作 ウルス・エプリーニウス、ハンス・ヒルシュマン/SWF〔=現SWR〕(南西ドイツ放送)
放映 1975~76年
(カラー、各60分)
 
 


明石政紀

著書に『ベルリン音楽異聞』、『ポップ・ミュージックとしてのベートーヴェン』、『キューブリック映画の音楽的世界』、『フリッツ・ラング』、『ドイツのロック音楽』、『第三帝国と音楽』、訳書にファスビンダー『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』全3巻および『映画は頭を解放する』、ボーングレーバー『ベルリン・デザイン・ハンドブックはデザインの本ではない』、ヴァイスヴァイラー『オットー・クレンペラー』、サーク/ハリデイ『サーク・オン・サーク』、ケイター『第三帝国と音楽家たち』ほか。賞罰なし。