妄想映画日記 その133

樋口泰人の2021年10月16日~31日の日記。映画『夜を走る』(佐向大監督)や『クライ・マッチョ』(クリント・イーストウッド監督)、高崎での爆音映画祭、boidsound上映の音調整で訪れた大阪・京都での滞在などについて綴られています。
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文=樋口泰人



10月16日(土)
映画を観に行こうと思っていたのだが、無理だった。



10月17日(日)
秋の競馬のシーズンということもあって、古井由吉さんの競馬原稿をまとめた本をぼちぼちと読んでいる。もちろん読んだからと言って馬券が当たるようになるわけでもないし、新しい競馬観がひらけるわけでもない。ただときどき、古井さんの目がドローンに乗って競走中の馬と騎手の間近に寄ってその表情をとらえるようなそんな描写があって、ひたすらその幽体感=遊体感を楽しんでいる。この日は3歳牝馬の日本一を決める「秋華賞」があったのだが、わたしは何をしていたのか、まったく記憶にない。


 
10月18日(月)
午後から来年製作予定の某作品のための打ち合わせ。シナリオはほぼ完成。前半から後半への思いもしていなかった転換に動揺したのはわたしだけではない。ここにもまた、ドローンに乗って時間を超えさまよう魂を見つめる瞳があった。
シナリオは若干の直しを経て11月には完成、いよいよキャスティング、ロケハンが始まる。


 
10月19日(火)
事務所でもないどこかで何かをしていたはずだがカレンダーにメモもなく写真もない。だが夜の阿佐ヶ谷に行くために自宅からでも事務所からでもない経路で行ったことだけは憶えている。ではどんな経路だったのか。PASMOのデータを探れば出てくるに違いないのだが、地下鉄の窓口に持っていけば調べてくれるのだろうか。
いずれにしても久々に阿佐ヶ谷中華。おすすめメニューが一新されていた。一新されてもうまいものはうまい。

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と書いて数日。ようやく思い出した。佐向大の新作『夜を走る』の試写を観たのだった。したがって、新高円寺→新橋→阿佐ヶ谷という経路。しかしこの日は『夜を走る』の試写のことを朝、佐向から連絡がくるまですっかり忘れていて、同じ時間に別の予定を入れ、しかもその別の予定が阿佐ヶ谷の予定にもかぶさっていて、阿佐ヶ谷の予定を少し遅らせてもらっていたのだった。つまり、トリプルブッキング。慌てて「別の予定」をキャンセルし、新橋へと向かう、という大人としてどうか、という1日。
しかし佐向の映画はいつ見ても奇妙なサバービア感が漂う。当たり前のようにそこで育ったものでしか出しえないのどかな荒廃感と言ったらいいのか。おそらく意識はしているのだろうが、まるでまったくの無意識のうちに撮られてしまったかのような『ディア・ハンター』的な鉄くず工場。これ見よがしに鉄鋼の鈍い光を映し出すわけではない。その場所自体がこの映画のアイコンとなるような輝きや暗さを示すわけでもない。ただたまたまそこにあるだけといった何ともない風情で佇むそれは、その漠然とした軽さゆえに、あらゆる映画的な試みを台無しにしかねない危うさである。何がそう思わせるんだろうか? それにしてもこの登場人物たちそれぞれの居心地の悪さは何だろう。誰もがそこにいるようで誰もそこにいない空虚が画面全体に広がる。映画の始まりは洗車シーンだった。このときすべてが洗い流されたのか。いったいここでは何が起こっているのか。そんなことを考えながら見ていたら、最後思わぬ反転が起こり、こちらの存在そのものが脅かされることになった。ああ、わたしはいったいどこにいるのか。身体を離れた心が虚ろなまなざしを世界に向ける。不意に太いギターの音が鳴り響く。映画の中でそれだけが確かな存在だった。浮遊する魂の停泊地のような映画と言ったらいいのか。いったい何人の死者や殺人者がそこを訪れたのだろう。

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2022年公開予定『夜を走る』のロケ地 (提供:佐向 大)


 
10月20日(水)
午後から新企画のためのzoom会議をしていつものように助成金申請チームに怒られてしょんぼりしつつ『クライ・マッチョ』試写へ。クリント・イーストウッドはスタッフに怒られてしょんぼりするとかあるのだろうかとかなんとか、公私混同と言うか現実とフィクション混同と言うか、とにかく我を失いながら観始めるといきなりイーストウッドが怒られている。でも、しょんぼりはしていないな。今回は再びメキシコに行って、友人に依頼された友人の息子を国境まで連れ戻す「運び屋」となり、しかしメキシコのギャングに狙われる標的を護送するという意味では「ガントレット」にもなるし、またその息子の願いをかなえるという意味では白馬に乗った「ペイルライダー」にもなる。物語の途中、馬の調教シーンで一瞬白馬が映された時はさすがに涙腺が緩んだ。その場にはまったくふさわしくない「白」という色だったのだが。『スリー・ビルボード』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『キック・アス』などのカメラマンと新たに組んでの作業は、こういったところに現れていたりするのだろうか。
ツイッターには以下のようなコメントを書いた。
「『クライ・マッチョ』。だれもができることをやり、必要に応じて受け取る。そんなマルクスの教えの美しさを、まさかイーストウッドがこんなかたちで見せてくれるとは。デヴィッド・グレーバーが生きていたらなんと言っただろう。コロナ禍で作られたこの作品に流れる時間の流れの緩やかさは、イーストウッドに向かって『前に進むよ』と語った子供の未来に捧げられたものだろう。まわり道や寄り道や後戻りをしながら、ゆっくりとではあるがわれわれは前に進む。ただそれだけでいい。迷い戸惑い優しさに心をときめかすこと。
そのときめきが世界を作るのだ。などと呟きながらうるうるしていたら、『ハリウッドで泣き言を覚えてきたのか』と、助成金申請チームに怒られた。はい、せっせと働きます。
しかし、製作のアルバート・S・ラディは『ゴッドファーザー』や『ロンゲスト・ヤード』や『ミリオンダラー・ベイビー』のプロデューサーでもあり、イーストウッドと同い年。90歳のふたりが、多くのスタッフ、キャストの支えを得て作り上げた映画、ということになる。映画の中で主人公を助ける女性のほほえみが何とも言えず、こちらもそれにつられて微笑んでしまいそうになったのだが、あれは、90歳の老人ふたりを支えたスタッフやキャストたちのほほえみでもあったのだな。そんなことを妄想した」
昨年90歳を迎えたご老体がいまだに馬に乗る姿を大画面で観られるとはと、ゆっくりと馬を走らせるその姿にやはり涙腺は緩みっぱなしだったのだが、その姿はもはやそこに本当にあるのかあらゆる人々の妄想の産物なのか見分けはつかない。イーストウッドはマカロニウェスタンに出演し始めたころから幽体としての姿をスクリーンに晒してきたわけだが、さらにその幽体自体を自身も含めてあらゆる人々の遊びの対象として緩やかに形作り始めている。ゆっくり走る馬に乗った何ものかのまなざしを通してわれわれはその世界を見る。ただそれだけのことでわれわれの世界は広がり、何かが確実に変わる。微笑みが生まれる。

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『クライ・マッチョ』 2022年1月14日(金) 新宿ピカデリーほか全国ロードショー


 
10月21日(木)
高崎へ。新幹線に乗って仕事をしようとしたらパソコンがない。落としたとか置き忘れたとかではなく単純に自宅に置いてきてしまった。いつもは電源ケーブルや仕事の資料を忘れたりするので今回は気を付けてまず、スーツケースにそれらを入れて安心してしまった。あまりのことに唖然とする。こんな事かつてなかった、いよいよこういうことが次々に起こっていくのだろう、早く爆音も井手くんに引き継がねばとさすがにしょんぼりした。しかしこれは後から思い出したのだが、すでに先日の山口の帰りでも、アテンド車の中にパソコンだけ置き忘れて届けてもらったではないか。もはやこういったことは日常ということである。しょんぼりしていても何も変わらない。
爆音の調整作業は順調に進んだ。『オアシス:ネブワース1996』『アメリカン・ユートピア』『ストップ・メイキング・センス』『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』。オアシス以外は何度もやってきた作品だし、オアシスも思った以上に音のバランスが良かった。ファンたちのインタビューもオアシスの音楽の一部のようになっていた。全国の映画館にこれくらいの音響機材が設置され、それぞれの担当者が作品に合わせて音の調整を行えるようになったら、どこかで確実にわれわれの暮らし自体が変わるのではないかと妄想する。
終了後、ホテルに戻って普通に寝たのだが、深夜3時に目が覚める。うまく寝付けずぐずぐずしていると耳元の空気がすぅっと動く。あ、と思ったとたんに「やだ」という女性の声。しかもその声が耳元で物理的に聞こえてくる前に、頭の中では「やだ」が発話され始めていた。つまり「やだ」と言われることが空気が動いた瞬間にわかって一瞬後に「やだ」の声が聞こえてきたという次第。まあ、ただそれだけのことなのだが、いったい何だったんだろう。声はめちゃくちゃいい声(女性)で、このまま一緒にいたいと思った。だから「やだ」だったのだろうか。

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10月22日(金)
調整2日目も順調に。高崎の爆音映画祭はラインナップの中に必ず1本はフィルム上映を入れるという縛りがあって、今年は三隈研次の『座頭市物語』。10年ほど前に作られたニュープリントで。とはいえちょっと前までなら10年前のニュープリントって、事実ではあってももう10年も経てばフィルムは相当くたびれて、お世辞にも「ニュープリント」とは言えない。だが映写してみるともう映像も音もびっくりするくらい「新しい」のである。つまり、ニュープリントは作ったもののほぼ上映する機会がないままの10年。デジタル化の影響以外に考えられないのだが、とにかく生まれたてのフィルムの音と映像を堪能した。クリアなモノラルサウンドが増幅され、客席を包み込むように広がる。虫の声、川の音、風の音などが今そこにあってそこから聴こえてくるような不思議。「映画」という生き物を観ているようだった。
『海の上のピアニスト』は、こちらも「毎年1本はクラシック音楽の流れる作品を」という縛りの中で、この作品はクラシックではなくジャズで微妙なところなのだが、ただバンドではなくピアノ演奏で、「クラシック音楽」の枠を思い切り広げて「大人の音楽」と強引に解釈しての上映。音の大きさではなく小さな響きや繊細な音の変化を楽しむ上映と言ってもいい。その割に物語はしっかりとベタなお楽しみも各所に堂々とちりばめられていて、ジュゼッペ・トルナトーレの人気はこういうところにもあるのだとようやく認識した。
最後は『ゼイリブ』。上映のたびに「今観るしかないじゃないか」という思いがこみ上げてくるのだが、もうこれがどれだけ続いているのか。簡単には世界は変わらないし、このサングラスほど単純な装置も世界には存在しないが、それでもこの映画をこうやって上映し続ける。とにかくそういうことだと思う。
夜は本番。オアシスの映画には、おそらく電気館は初めてに違いないと思われる若者たちが大勢集まった。
そして再び深夜3時。目覚めるとホテルの廊下の奥のほうで昨日とは違うもっと若い女性の声が「中原さん」と呼ぶ。昨夜は確実にそこにいない人の声が、しかも確実に目覚めているときに聞こえてきたので、これはもうまぎれもない本物とおもえたのだが、この日の「中原さん」はそれに比べると自信はない。そんな気がする、というより少し強いくらいかな。その分不安は募る。

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10月23日(土)
上映中は滞りなく終了。音楽映画は観終わった方たちの笑顔がいいんだよね。なんか、いいことした気分になる。
夜はすぐそばのアーケード内の路地にある焼き肉屋。ずっと気になっていた店なのだが、ひとりでは入る勇気がなかったので、みなさまを巻き込みつつ。どこからどう見ても昭和の焼き肉屋。どうやらおいしいらしく予約が必要という電気館スタッフの判断で予約してもらってよかった。確かに店内満席。家族連れから酔っ払いの方々までさまざまなジャンルの方たちが集っている。肉は最近の流行からは独立して昭和の漬け込み肉。ああ、これがうまい、口の中に何十年か前の時代の空気が広がる。子供のころこんな肉は食えなかったのになぜこれが高度成長期の昭和の香りだと脳は判断するのか。とにかくあっという間にあれこれ平らげた。電気館の片づけをやってきたスタッフが到着したころには、われわれはほぼ一通り食べつくしていた。漬け込んだホルモンがうまくて追加注文。

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10月24日(日)
『アメイジング・グレイス』の上映開始直ぐに音が途切れる。今回は無事終了かと思ったのだが、まあ、簡単にはいかない。バックアップ機材によるリカバーが完了するまでの10分ほど、この映画についてのトークで時間を繋ぐ。これだけカメラが会場に入っていて、映像に映っているカメラマンたちを見る限りそれぞれがそれぞれのタイミングでカメラを回しているようだから、それは編集作業が大変ですよね、という話。音とのシンクロは今だってそう簡単なことではない。しかし何度観ても、教会の神父やアレサの実父の顔つきがすごすぎる。思わず自分の人生を振り返る。
バックアップ機材のおかげでその後の上映は何事もなく無事終了。『ゼイリブ』はまだまだ上映し続けたい。そして最後にみなさんととゼイリブ記念写真を撮った。楽しい数日だった。

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10月25日(月)
出張明けの事務所出勤は、その間に溜まった事務作業の山との格闘である。疲れもありボーっとしているうちに夕方になり、来年の企画の打ち合わせ。新しい場所での新しい企画。地味に少しずつ。


 
10月26日(火)
事務所で昨日の続きをやろうとしたのだが元気なく、自宅作業。猫たちはそれぞれ思い思いの時間を過ごしている。

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そして夕方には大阪へと向かう。途中、新幹線が止まったりしてハラハラしたがギリギリ心斎橋に到着してみたら、シネマート心斎橋が入っているビッグステップ・ビルの表がこんな感じになっていた。ハロウィン仕様。さすがに緊急事態宣言も明けたとあって、前回来た時よりも人通りは多い。実はひとつ心配事があって、この日はプロ野球セ・リーグのヤクルトが負けて阪神が勝つと、阪神の逆転優勝目前ということで心斎橋あたりはとんでもないことになっているのではないかと、でも優勝したわけじゃないからまだ大丈夫か、とかあれこれ考えながらの大阪だったのだが、結果はその逆で、ヤクルトが勝ち阪神が負けた。そしてあっさりヤクルトが優勝した。40年来のヤクルト・ファンのわたしは心斎橋のコロナにかこつけたしょんぼり感をニヤニヤして眺めていたわけである。まあでも、もう阪神が優勝しても大騒ぎにはならないのか。いったい何十年前のイメージでモノを考えているんやおっさん、とかなんとか言われそうである。

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シネマート心斎橋では『ジャッリカットゥ 牛の怒り』と『殺人鬼から逃げる夜』の2本のboidsound調整を。『ジャッリカットゥ』は場面の転換と音の転換の速度と回転が速くて唖然とする。それぞれとんでもない、あるいは気持ちの良い音が出て、「これから」というところで次のシーンにあっさりと移る。音もまったく違う音へといきなり変わる。不意打ちの連続のようなものでリズムが作られ、大した話ではないと思われる話がものすごいことのような様相を呈して本当にものすごいことになる。凶暴さと静謐さとゴリゴリとした現実と微かに変容し続ける異界とがまったく交じり合わずそれぞれの場所にありながらぶつかり合い砕け散ると言ったらいいのか。われわれの知らない共存感にあふれた映画だった。
『殺人鬼から逃げる夜』は、殺人鬼に狙われてしまったろうあの主人公が、「聞こえない」「しゃべれない」という通信手段の断絶の中で、いかに偏執狂の殺人鬼から逃れるのかという太い物語が展開されるのだが、背景につけられた音が奇妙に繊細で柔らかい滑らかさを持っていた。韓国の音楽事情にはまったく詳しくないのだが、音楽はファン・サンジュン、音響監督はソン・ユンオンとイ・インギュ。おそらくふたりの音響監督の力によるものだろう。ものすごい音になっているわけではないのだが、こういう音響が無理なく作れる環境にある映画監督たちは幸せである。あーでも、もう固有名をどんどん忘れていくから、彼らがかかわった作品に今後出会っても、まるで初めて知ったかのような反応をするだろうなあ。


 
10月27日(水)
昼までぐったりしていたのだが、boid大阪支社長から連絡があり、やはり鶴橋へと向かう。本日はさらに鶴橋から15分ほど歩いたところにある生野のコリアンタウンへ。『パチンコ』の主人公たちが住みついた場所である。鶴橋とはまたちょっと違う、圧巻の風景。怒涛のキムチ攻撃。ウルウルしつつ、ソルロンタン定食を食った。ひたすら満足。次回は鶴橋在住の知り合いに、絶品の鮑粥の店に連れてきてもらおう。ソルロンタンの店がそうだったのかもしれないのだが、鮑粥は時間がかかるため要予約だったのだ。
boidの今後の予定などの確認作業などをして、わたしは京都へ向かう。鶴橋から近鉄を乗り継ぐとみなみ会館最寄り駅の近鉄東寺へたどり着くことができる。本日から3夜連続でジム・ジャームッシュ作品のboidsound調整である。

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10月28日(木)
京都駅の南側にはおいしい焼き肉屋や韓国料理屋がいくつかあって、昼はそのうちのひとつへ。ユッケジャン定食を堪能。いずれにしても京都駅南側は一般的な京都のイメージとはまったく違う生活感と荒涼感があり、わたしにとっては非常に居心地がよい。
ジャームッシュ作品の調整は順調に進む。やはり『デッドマン』以降の作品は、おそらく予算の問題だとは思われるのだが音に時間と金を費やす余裕ができたのだろう、聞こえてくる音の表面がきめ細やかでなめらかで、その上でざらついていて浮遊感と安心感が同居する。ここにあるにもかかわらずここではない場所への移動の切実さが痛みというより癒しとして伝わってくる。そのままそこに浸っていたいと思ってしまうのはいいことなのかどうなのか。

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10月29日(金)
昼は友人の実家である某鰻屋に。西本願寺からさらにだいぶ西へ行った、京都の中央市場の近くである。市場のそばということなのか、観光地化されてしまった京都の中心地にはない古くからの生活感が時間の流れの中で古びていったその時間の厚みと残酷さと優しさを感じさせてくれるような街並み。おいしい鰻ともどもまた来たい。帰りにすっぽんスープをもらった。
夜の調整は、試しに初期作品をやった。音数が少ないのと、かつて観たときのそこに流れる「歌」の印象が強いのとで、こちらの思いほどの音は出せないのではないかと思っていたのだが、それはそれでまた別の味わいを感じることができた。小さな音では感じられない街の「気配」のようなものが、ときどきすっとスクリーンから立ち上がってくる。かつてそこで生きていた人たちと一緒に映画を観ている気分になる。
調整終了は日付の変わった午前3時近く。外に出るとパトカーが停まっていた。

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10月30日(土)
東京へ。来年boidで配給公開する『MADE IN YAMATO』のプレミア上映が、フィルメックスで行われる。上映には間に合わないが、その後の監督トークには間に合う、ということで東京駅から有楽町朝日ホールへと向かう。とはいえ対面のトークではなく、5人の監督たちは別の部屋に待機して、カメラに向かって話す。それが会場のスクリーンに映し出されるという、現場にいるのにオンライン・トークである。おかしな感じではあるのだが、客席からの質問に対する監督たちの応え、そして監督同士のやり取りなどが普通に面白くて、こういった言葉たちも映画の一部として多くの人に伝えたい、という気持ちになった。つまりパンフやらチラシやら読み物などを俄然作る気持ちになってしまったのだが、自ら貧乏に向かって歩を進めるスイッチが作動したということである。

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10月31日(日)
さすがに疲れていた。選挙には行った。

 
 

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。11月26日(金)~28日(日)にまつもと市民芸術館 小ホールで「爆音映画祭2021 in 松本」を開催。