妄想映画日記 その131

樋口泰人の2021年9月16日~30日の日記。京都みなみ会館とシネマート心斎橋でのboidsound上映、さらに札幌爆音映画祭での音調整の模様が記録されています。また、ヴィム・ヴェンダースのレトロスペクティヴで本邦初劇場公開となる『夢の涯てまでも ディレクターズカット 4Kレストア版』や、『CHAIN / チェイン』(福岡芳穂監督)、『N・P』(リサ・スピリアールト監督)についても。
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文=樋口泰人



9月16日(木)
昼過ぎに京都在住の倉茂くんと会って、来るべき某書籍のデザイン打ち合わせ。倉茂くんがプリントアウトした実寸サイズのサンプルを見て、文字の大きさを決め、写真の入れ方などを確認する。500ページを超えるページ数。印刷費がどれくらいになるか。表紙のデザインなど、本全体のイメージは、手ざわりが良く少しクラシックな感じでというめちゃくちゃ大雑把なリクエスト。つまり倉茂くんにお任せである。まあ、毎度のことなのだが。
その後、zoomにて助成金会議。21時からはみなみ会館にて『カネコアヤノ Zepp ワンマンショー 2021』『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』『ストップ・メイキング・センス』の調整。『カネコアヤノ』はみなみ会館の場所と見事にマッチして、これ以上ないくらいの音になった。声と息遣いに皮膚を触られる感じ。ずっとここでやり続けるといいんじゃないかという話にもなった。
『サン・ラー』は思わぬ発見あり。スタンダードサイズで2チャンネルの作品だと、スクリーンに合わせて黒幕を閉じると、スピーカーからの音を見事にふさいでしまうことになるのだ。多くの映画館では視覚優先でこの形で上映しているのではないだろうか。スクリーンの裏側にあるスピーカーが現在一般的な16:9のスクリーンサイズに合わせて配置されていてそれを動かせない以上、ヨーロピアンビスタやスタンダードサイズのスクリーンに合わせて幕を閉めてはいけない。客席にはモコモコとこもってしまった音が届くことになる。頭ではわかっていたけど、つい閉じたまま調整を始め、ようやく気が付いたわけである。したがって今回はシネスコサイズのスクリーンのまま、幕は全開での上映ということにした。音も全開。みなみ会館の天井も開いて土星と繋がった。
『ストップ・メイキング・センス』は前回来た時に調整していたので今回は確認のみ。気になったところをちょっとだけ修正して、『ストップ・メイキング・センス』上映の集大成と言えるような音になった。頭と心と身体が緩みながら痙攣して無意識のダンスを始める。素晴らしすぎる。

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9月17日(金)
昼からzoomにて助成金会議。そしていよいよboidsound映画祭の本番も始まり、15時30分からの『アメリカン・ユートピア』の上映前に挨拶をするのだが、挨拶後は再びホテルに戻りzoom。そして17時40分の『Reframe THEATER EXPERIENCE with you』の際も同様。みなみ会館斜め前のホテルにしておいてよかった。そして上映終了後21時からは『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』『最後にして最初の人類』の調整。
『デニス・ホー』はYCAMでの上映前にも話したのだが、ひとりの歌手が自分と世界との関係を変えることによって新たな歌を歌い始めるまでのドキュメンタリーとも言えて、「ビカミング・ザ・ソング」という邦題ではサブタイトルになっている原題が、非常に重要な映画である。彼女の元にやってくる人々の声、街の音、世界の動きが彼女を通して「歌」になる。彼女の行動が、歌を呼び寄せると言ったらいいか。『バーフバリ』と逆の構図。人々の声が作り上げた「バーフバリ」ではなく、「デニス・ホー」がそこにいることによって見えてくる人々の姿。その姿と声を世界中に伝えることのできるような音に、という意図。
『最後にして最初の人類』は『サン・ラー』と同様の問題。1:1.66のヨーロピアンビスタサイズに合わせて幕を閉じるとスピーカーが半分以上隠れてしまう。よってこれも幕は閉じずスクリーンは全開。例によってティルダ・スウィントンのナレーションも音楽の一部となって身体を包み始めるともう意識が現実からどんどん離れていく。この映画に関しては、ナレーションの字幕はつけず、テキストはプリントアウトしたものを配布、みたいなことのほうがいいんじゃないかとさえ思う。一般の興行ではなかなか難しいだろうけど。

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9月18日(土)
今日こそ助成金の最終申請作業をやってしまうと、昼からzoom。みなみ会館とホテルの往復。ホテルの従業員の方たちはいったいどう思っただろうかとちょっと心配するくらいな感じでの往復であった。ということでたぶんこの日に申請終了したのではなかったか。
夜は『映画:フィッシュマンズ』。フィッシュマンズの音は映画館での上映向きと言ったらいいのか、その場のノリでぐいぐい押してくるような音ではなくて、音の反響、共鳴がベースにある音と音との関係性の広がりの中で聴こえてくる音なので、何度調整しても気持ちいい。ベストな調整というのはなくて、その場その場がベストと言いたくなるような、聴き手との関係がはっきりとある。毎回、それを再確認しつつの調整。以前はできていた最後のライヴのドキュメンタリーをまた上映出来たらと思うばかり。

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9月19日(日)
昼間何をしていたか記憶にないので、もしかするとこの日もまだzoomで、この日こそ最終申請だったのかも。夜の『アメリカン・ユートピア』の上映にはいしいしんじさん一家がやってくる。久々に会ったひとひくんは小学校5年生になったとのこと。どうやらいしいさんより『アメリカン・ユートピア』を気に入っているらしい。これが何度目かの鑑賞で、身体を揺すりながら観ていたとのこと。いったいどんな若者になっていくのか。
その後『幸せをつかむ歌』の調整。調整なのでポイントポイントを確認してみていくわけなのだが、もう、それだけで泣きそうになる。むちゃくちゃいい。最後のライヴシーンはもう完全に号泣。ブルース・スプリングスティーンの曲でこんな気持ちになるなんて、もちろん演奏は違うわけだけど、いったいどういうことか。飛ばし飛ばしとはいえ彼女の時間と思いの積み重ねを見てきた果てのこの歌、ということもあるのだが、どこかこの歌そのものの力にやられた感もある。今この画面から聴こえ観えてくるこの歌、この演奏、この表情そのものに心をつかまれる。逃れようがないこの感じ。われわれはこれを受け継いで広めていかなくてはと、自分のやるべきことがまたひとつ増えた気がした。かつての「爆音アンストッパブル・ツアー」のように「幸せをつかむ歌ツアー」をやるしかないのか。

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9月20日(月)
昨夜の『幸せをつかむ歌』の余韻のままさわやかな気持ちで、みなみ会館に出向き挨拶をして、大阪へ。シネマート心斎橋で『サウンド・オブ・メタル』『fOUL』『ショック・ドゥ・フューチャー』『白頭山大噴火』のboidsound調整を。京都ではほとんど街に出ず、ホテルとみなみ会館の往復のみだったので、心斎橋の人込みに戸惑う。ホテルそばで関西支社長とその息子に会い、息子の成長ぶりに驚く。生まれた時から落ち着き払っていたのだが、1年半後はさらに大人びて、こちらを見ながらニヤッと笑う。通常の1歳半の子供とは絶対にとれないコミュニケーションが、こちらの意図とは関係なく開始される。いつもは使わない回路が開いたと言ったらいいか。
ホテルで少し休んだ後シネマート心斎橋。バウスで爆音をやっていた10年以上前なら深夜の調整も「お楽しみ」という感覚だったが、今や体力的にそうはいかない。だがもちろんお楽しみには変わりはない。『サウンド・オブ・メタル』はつい、冒頭のライヴシーンに力が入りすぎてしまった。思い切りの迫力シーンだが、ここの音量を上げすぎたり、耳鳴りがするくらいのガツンとくる音にしてしまうと、後半の、耳の代わりに音を感じる装置を付けた時の音があまりにノイジーすぎて、映画を観に来た人には耐えられないのではないか。もちろんある程度はノイジーで、聴きたくない音を無理やり聞かされている感じがないと、主人公の感覚はつかめない。そして装置を取り払った後の静寂と、その際に視覚から伝わってくる音のイメージが際立つようなノイズであることが何よりも大切。ということで何度も行ったり来たりしながら、その感触を確認した。
『fOUL』は20年以上(30年以上?)前の音源だったりするのと、カメラのマイクなどで簡易的に録音された音も混じっているのとで、そう簡単には迫力あるライヴの音にはならない。音量を上げると耳に痛い。だが、あれこれ試すうち、ちょうどいいバランスを見つける。いったんそこが決まるとあとは何とかなる。映画館がライヴハウスになったような音になったと思う。めちゃくちゃ気持ちいい。
『ショック・ドゥ・フューチャー』はアナログシンセの音をどれだけ会場に響かせることができるか。その他のシーンに影響が出ず、しかもシンセの音の震えが皮膚を震わすくらいにできたらということで、やはりこれも繰り返し同じシーンを再生しながら調整、確認した。若者たちの現在、中年・初老の男たちの過去と未来とが絡まり合って太い物語の流れを作り出す映画が自ら発した音のような震えを意識した。
『白頭山大噴火』はパニック映画というくくりになるのか、とにかく大爆発大破壊の連続でもあるので、これは迫力重視。でも人の声はちゃんと聴こえるように、そして劇場の機材を痛めないように。普通に映画を観にやってきて、これくらいの爆発、破壊の音が聴こえてきたら大満足ではないか。
というわけで終了は午前4時過ぎ。夜明け前。まだ暗い心斎橋の街を歩きホテルに戻った。

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9月21日(火)
朝まで仕事だったにもかかわらず早めに起きてしまったので、せっかくなので鶴橋へ。キムチあれこれ購入。毎週買い出しに来たい。帰宅後は当然、キムチとともに夕飯。

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9月22日(水)
ついに公開されるヴェンダースの『夢の涯てまでも ディレクターズカット 4Kレストア版』を観る。4時間47分。もう15年以上前にドイツ版のDVDをもらってときどき観ていたのだが、字幕が付いたものは初めて。字幕なしだと、冒頭の導入の部分がものすごく長く感じられ、その長さが退屈でその退屈さがとてもよかったのだが、字幕がついてはっきりと伝わってくる物語とともに観るてみると、案外最初からいろんな展開がある。こんなにサクサクといろんなことが起こるのかとそれはそれで面白く観たのだが、いや、これを初めて観た人にとってはやはりこれでも全然物語が進まない退屈な流れと観られてしまうかもしれない。だがそういう映画なのだ、キンクスの「デイズ」の速度を2、3倍に引き延ばしてコステロが歌うその時間の停滞の中に浮かび上がるおぼろげな日々の風景の悲しさが、映画全編に貼りついている。登場人物それぞれがそれぞれの長い長い時間を過ごして何かの偶然であるいは否応ない事情により集まったオーストラリアの砂漠の中で、かけがえのない時間を過ごしそして再び別れ別れになっていく。だたそれだけ。コステロによって引き延ばされた「デイズ」がオーストラリアの砂漠に凝縮されて登場人物たちの「デイズ」セッションとなってぼんやりした時間が一瞬はっきりと輝き永遠となる。ただそれだけの愛すべき映画。あの瞬間の彼らのほほえみをわたしは一生忘れない。
 
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『夢の涯てまでも ディレクターズカット 4Kレストア版』 
11/5(金)~12/16(木) Bunkamuraル・シネマほか全国順次開催の
 「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも」にて上映




9月23日(木)
山口から栗が届いたので栗ご飯を食った。

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9月24日(金)
自宅作業の一日。猫たちは相変わらずだった。

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9月25日(土)
原稿を書いていた。ヴェンダースについて。


 
9月26日(日)
『1日1杯 脳のおそうじスープ』という本を買ってみた。パソコンでもあるのだが、メモリにたまったゴミをいったんクリアにする、リフレッシュ作業のためのスープのレシピが載っている。CPUをいくら上げてもメモリの動きが鈍っては台無し、という話。作り方は簡単で、いったん作ったらそれを冷凍して保存しておき、必要に応じて取り出してお湯をかければ出来上がり。そのほかにも、それを使った様々なスープが紹介されている。想像以上にうまい。でも最低2週間は続けないとダメなんだそうだ。それが難しい。

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9月27日(月)
札幌爆音のためのPCR検査を受けた。同じ歌舞伎町の検査所だったのだが、夕方はあまり人もいず、前回のような「いやここでコロナに感染するよ」というような危うい気配はなかった。
そして福岡芳穂さんの『CHAIN / チェイン』。とにかく地理歴史がまったくダメで何も覚えられず、大学入試も社会科系の科目の代わりに数学で受けられるところしか受けなかったわたしは、幕末や明治のさまざまな出来事やそこに関わり激しく生きた人々のことにまったく関心がなくて固有名もほぼわからないのだが、歴史に名を遺す彼らがまだ20代のまっすぐな目をした若者で、ただひたすら自身の体で感じ、呼吸した空気に身を切られるようにして生きていたのだ、ということはこの作品ではっきりと感じることができた。その切実さとそれゆえの緊張感。彼らの姿を正面から、あるいは対峙するふたりをどっしりととらえたカメラから伝わるひりひりとした冷気は以前どこかで観たことがあると調べてみたら、『シコふんじゃった。』のカメラマンであった。そのふたつの作品に共通するのは、物語に流れる太く深い歴史とそれを観るわれわれが生きる今という時間の消滅点のような場所とのあり得ない形での接合、と言ったらいいか。この映画に現在の京都の風景が映り込むのは意匠でも冗談でもやけくそでもなく、堂々とした必然なのだと思った。

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 『CHAIN / チェイン』 
 2021年11月26日(金)テアトル新宿、12月10日(金)京都シネマ、ほか全国順次ロードショー


 
9月28日(火)
札幌前の事務所作業で終日バタバタと。夜になって札幌から、トラブルの知らせ。急にあたふたとなるが、とにかく落ち着いて、作業の手配をした。


 
9月29日(水)
昼から、某プロジェクトのzoom会議。今後のための大切な作業になっていくのだが、まあ、口で言うほど簡単なことではない。これまでもっと早くちゃんとこういうことをやっていればと思うばかり。
同時に、昨夜の作業無事終了との知らせもあり。夕方、武蔵小杉までブツを受け取りに行った。これで札幌爆音は無事開催できる。
イメージフォーラム・フェスティバル2021で上映された『N・P』は変な映画だった。吉本ばななの原作をベルギー&日本ハーフの女性が監督をした。という説明をわざわざ入れておきたいような、言葉と性と死の間に立つような映画だった。映画自体もセリフやナレーションすべてが字幕。無声映画とは違う、確実にそこで「声」が発生し、声と声との関係が生まれていることは観ればわかる。あるいは周囲の物音や音楽が、彼らの関係と存在を伝える。画面に現れる字幕のフォントと言うか形自体に違和感はあったのだが、その違和感も含めて、それを観るわれわれの「今ここ」の輪郭を削り取っていくような映画だった。

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『N・P』 2022年日本公開予定


 
9月30日(木)
札幌へ。昨年12月以来の羽田。あの時も寂しかったが今もまだ寂しい。利用する方としてはこれくらいが楽でいいのだが、これではまったく商売にはならない。これくらいで商売になる方法はないんだろうか。何かを根本的に変えたら、いつもこれくらいで普通にやっていける。そんな気がしてならないのだが。
新千歳空港はさらに寂しかった。とはいえ景気づけにいつもは帰りがけに寄る立ち食い寿司屋に寄った。カウンターが半分くらいに狭められている。ネタの数も半分くらいか。それでもうまい。季節外れだが、ニシンや北寄貝、季節の秋鮭、サンマなどを堪能する。
札幌の爆音会場、札幌市民交流プラザ hitaruではすでに準備完了。久々の『レ・ミゼラブル』をまず調整して音のベースを決める。この会場の歌声は強すぎず広がりすぎず絶妙なバランスで聴こえてくる。『カネコアヤノ Zeppワンマンショー2021』は2チャンネルなのだがある音量と中音域の調整の微妙なバランスがうまく決められると全体にふわっと音が広がる。会場が歌い出すと言うか。歌い手の息遣いや身体の動きが作り出す空気の揺れも伝わってくる。
本日分の調整が終わりホテルに向かおうとすると、なんと思っていたのとは全然違う場所にあるホテルを予約していたことが判明。いつも結局この場所になり、そのたびに変な空気を感じるので今回はここだけは避けて会場の近くか札幌駅周辺ということで決め打ちして予約したはずなのだが、なぜかやはり今回もいつもと同様な場所になっていた。いくらなんでもこれはないだろう、ここを避けることが今回の大きなテーマだったのにどうしてそこを予約してしまったのか。いまだにわからない。毎回何かに騙されているような気がする。とかなんとか主催者の小野さんに「きっとこれは小野さんの罠であるどうしてくれるんだ」とぶーぶー文句を言いつつホテルに向かったのだが、最終日とはいえまだ緊急事態宣言中ということもあり、街はぼんやりと暗かった。ほとんどの店舗がすでに閉まっていてまともに食事もできなかった。ぼんやりとした不安を抱えたまま眠りも浅く、9月が終わった。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。11月26日(金)~28日(日)にまつもと市民芸術館 小ホールで「爆音映画祭2021 in 松本」を開催。