映画は心意気だと思うんです。 第20回

冨田翔子さんが“わが心意気映画”を紹介してくれる連載。今回登場するのはダリオ・アルジェント監督の1985年の作品『フェノミナ』です。同作の主人公であるジェニファーが持つ虫と心が通じる超能力から、かつて冨田さんの身に起こった虫がらみの悲しい記憶が蘇り、さらにはジェニファーが見せる微笑みから、MLBで活躍中の大谷翔平選手が試合中に見せた微笑みが想起されていきます。
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『フェノミナ』

 

虫と微笑みの映画『フェノミナ』



文=冨田翔子

 
ある日、牡蠣狂いの友人が、『フェノミナ』を観に行こうと誘ってきた。正確には、牡蠣狂いの友人の同居人が、「『フェノミナ』は冨田の映画だから、一緒に行ってくるといいよ」とのことらしい。牡蠣狂いの友人の同居人の中で、私のイメージは一体どうなっているのか。それはさておき、私は『フェノミナ』のブルーレイを持っているので、牡蠣狂いの友人の家でお茶をしながら観ようということになった。

 
ウジ虫のビジョン
 
かくして、『フェノミナ』お茶会は開かれた。『フェノミナ』は、ダリオ・アルジェントの中でも大好きな作品だ。虫と交信できる主人公が、ハエによって遺体の場所へと導かれ、猟奇連続殺人事件を解決していくというマジカルなストーリーにも大感動したが、一方で容赦ない惨殺シーンや、主人公をウジ虫プールに突き落としたりする無慈悲さに度肝を抜かれた。さらに、世代的にJホラー育ちの私としては、恐怖シーンの始まりにいきなりメタル音楽をかけるという景気の良さも衝撃だった。他にも、主人公を演じたジェニファー・コネリーの際立った美少女ぶりとか、ラストの首切りサプライズまで、とにかく終始度肝を抜かれ続ける映画であった。
 
改めて、牡蠣狂いの友人と久しぶりに観てみると、今度はウジ虫の多さに驚いた。どこもかしこもウジ虫が湧いている。主人公は時折、虫の目のビジョンを通して遺体の姿を透視したりするのだが、本作にはウジ虫ビジョンまで登場する。虫の目線が登場する映画はあると思うが、それがウジ虫となるとかなり珍しいのではないか。そもそもウジ虫って目が見えているのだろうか? 遺品の手袋にもウジ虫、犯人の家の床にもウジ虫、一見清潔に見えるバスルームのタオルにもびっしりウジ虫。いくらなんでもそんなところに湧くのだろうか。いや、ありえないハッタリをかますのも映画だ。そしてそこにこそ心意気ポイントを感じるものなのだ。
 
ちなみに特典映像には、「蛆(ウジ)のための音楽」制作の裏側みたいなメニューがあって、本作のサウンドを手がけたゴブリンのクラウディオ・シモネッティが話しているのだが、彼は「メインテーマは」としか言っておらず、どこにも蛆のための音楽とは言っていない。一体どうしてメインテーマがウジ虫のテーマになってしまったのか。でもこの映画は確かにウジ虫で始まってウジ虫で終わる映画なので、間違ってはいないのである。


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『フェノミナ』

 
微笑み
 
『フェノミナ』お茶会の前に、ケーキ屋に立ち寄り、牡蠣狂いの友人はシュークリーム、私はキャロットケーキを選んだ。その時は深く考えていなかったのだが、結果、ウジ虫が湧いた生首を観ながらティータイムをすることになった。ホラーが苦手な友人も、「うわあー」とか言いながらも楽しんでいるようである。気合が入った造形は当時ならではの肌触りで、リアルとはまた違う趣がある。
 
映画では寄宿学校にひとりでやってきたジェニファー(ジェニファー・コネリー演じる主人公の名前がジェニファー)の周りで、いろいろな事件が起きていた。夢遊病のジェニファーは、夜な夜な犯行現場に吸い寄せられ、犯人とニアミス。その頃、私はいささか映画への集中力を失い、牡蠣狂いの友人宅にいる猫の気を引こうと奮闘していた。猫好きの私だが、なぜか猫に全く好かれない。しかしこの猫は違って、これまで出会った中で唯一向こうから私の方に寄ってきて、膝の上に乗ったりする奇跡の猫なのだ! 私が『フェノミナ』を友人の家で観ようと提案したのも、半分は猫目的であったことは秘密である。
 
ところが、この日はどうにもツレナイ。なんとか膝の上に乗せようと奮闘するのだが、スルリと逃げられてしまう。牡蠣狂いの友人曰く、暑いのでこの時期は寄ってこないのだという。確かに、さっきからやたらフローリングの上で腹ばいになっている。
 
そんなことをしているうちに、画面のジェニファーは、彼女の異質さを訝しんだ寮の生徒たちに取り囲まれ、いじめられていた。もみちゃくされながら「やめて!やめて!」と叫ぶジェニファー。すると、ジェニファーは立ち止まって振り返り、目に涙を浮かべながら「みんな愛してる。大好きよ」と微笑む。窓の外には彼女に応戦するように、大量のハエが集っている。それは、ハエに向かって言った言葉かもしれないけれど、目の前にいる自分を排除しようとする相手に対し、微笑んでみせるジェニファーの心意気。それまで彼女を執拗にからかっていた周囲も、微笑む彼女を固唾を呑んで見守るしかない。微笑みには、人を黙らせる力がある。私は牡蠣狂いの友人に「微笑みよ! これからは微笑みの時代なのよ」と力説した。すると友人は「あんた、それを早くboidマガジンで書きなさいよ」と、5ヶ月以上滞っている原稿のことを突かれてしまった。これには私も黙り込むしかない…。
 
そして私は猫に微笑みかけてみたが、その裏にあるよこしまな考えを嗅ぎ取られたのか、完全に無視されてしまった。心から微笑むのは難しい…。

 
3つの悲劇
 
『フェノミナ』の冒頭、寄宿学校へと向かう車内に入り込んだハチを、ジェニファーが優しく手にのせ背中を撫でるというシーンがある。これひとつとっても私には衝撃の絵面だったが、さらにウジ虫を指先にのせるシーンもある。虫嫌いの私からしたら信じられないが、かつて私はジェニファーのように、虫への愛情を注いだときもあった。
 
1つ目の悲劇は、幼稚園の時。毎年夏になると、死んだセミが道端にひっくり返っているのが不憫で、拾って草の上に置いてあげるというのが私の日課だった。周囲の大人たちも、微笑ましく見守っていてくれたことだろう。そんなある日、幼稚園の運動会から帰ると、マンションの通路でまたセミがひっくり返って息絶えていた。いつものようにそれを掴んだのだが、それはセミではなく巨大な蛾だった。白い鱗粉まみれになった私の手を見て、母は発狂気味に洗面台へ私を連れて行き、死ぬほど手を洗わされた。その日を境に、私は二度と死んだセミを掴まなくなってしまった。
 
2つ目の悲劇は、小学生になったばかりのころ。学研の付録に、アリ飼育キットなるものが付いていた。透明で平たい容器になっていて、土を詰めてアリを入れると、巣を掘る様子が観察できるというもの。面白そうだと思い、まずはアリを捕まえるため、私は小さな容器を持って公園に向かった。今思えば、エサは砂糖とかにすればよかったのだが、私が選んだのはハチミツだった。その結果、容器に足を踏み入れたアリたちはミツに足を取られてしまい、ハチミツで溺れ死んでしまったのだった…。私はがっくり肩を落として帰途に就き、その飼育器が使われることは二度となかった。
 
一番の悲劇は、小学4年生のとき。学校にサツマイモを栽培している畑があり、草むしりをすることになった。すると、土の中からミミズが現れ、「気持ち悪い」とクラスメイトたちがスコップでミミズを裁断するように叩き始めた。「ちょっとかわいそうなことしないでよ!」と、ミミズを助けようと思った私は、手で掴んで塀の向こうにポイッと投げた。ところが、塀の向こうにトラックが止まっていて、トラックの屋根の高さと畑の位置が同じだったため、ミミズはそのトラックの屋根に着地してしまった。時刻は14時、炎天下の直射日光で、トラックの屋根はまさに焼けた鉄板状態。ミミズは身体をくねらせながら、黒焦げになって死んでしまったのだった…。この凄惨な事態に、さっきまで元気にスコップを振り回していたクラスメイトも呆然、回りの生徒もドン引きである。ミミズはしゃべらないが、私には断末魔の叫びが聞こえた気がした。私はしょんぼりと家に帰り、ことの顛末を母に話したが、何と声をかけられたか全く思い出せない。翌日学校に行くと、先生から「冨田さん、昨日のことで休んじゃうかと思ったわ」と言われ、休まねばならないほどひどいことをしてしまったのだ!とまた落ち込んでしまったのだった。
 
以来、私の虫への善意は悲劇を招くだけで、愛情を持つことはやめた。あの頃、嬉々として手のひらに乗せていた芋虫やカブトムシの幼虫などは、そのうち見事に気持ち悪い対象となり、すっかり虫全般が苦手になってしまった。そんなわけで、『フェノミナ』のジェニファーを観ると、いつもこの3つの悲劇を思い出し、少し苦い気持ちになるのだった。


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『フェノミナ』

 
■オオタニサンとペレ
 
そんな『フェノミナ』を観る前、久しぶりに会った牡蠣狂いの友人に「最近何が楽しいか?」と聞かれ、しばし考え込んでしまった。そういえば最近、そんなに楽しいと思えるものがない。 しかし、いつも楽しそうにしている人なら心当たりがある。毎日同居人がメジャーリーグで見ているオオタニサンだ。ある試合でのこと。前日、ピッチャーとして登板するも、大量失点で降板となってしまったオオタニサンは、その日は前日の借りを返すかのように2打席連続でホームランを打つ大活躍。そして同点で迎えた9回裏、フォアボールで一塁に出たオオタニサンは、2塁への盗塁を狙っていた。よく分からないがここで2塁に進んでおくと、とても有利らしい。すると、1塁ベースに居るオオタニサンは、口元に微笑みを浮かべているではないか! 私は仰天し、「なんでオオタニサンは、こんな大事な局面に微笑んでいるのか!?」と同居人に尋ねた。すると、「野球が好きだから、楽しくてしょうがないんだよ」と言う。なんということだ! 余裕とは違う、奇妙な微笑みを浮かべるオオタニサン。その後、本当に盗塁に成功し、さらに味方のヒットでホームベースに激走、ぎりぎりセーフで見事チームをサヨナラ勝利へ導いてしまったではないか。滑り込みセーフと確信した瞬間、両手を上に挙げて喜ぶオオタニサン。のんきすぎる感想だとは思うのだが、なんだかとっても楽しそうだなあと思ったのだ。一塁から飛び出す時を、今か今かと待っている時のあの微笑み。大の野球ファンの同居人をニワカ精神でおちょくりたい私だったが、あの微笑みの前に一瞬で黙りこくり、あとはもうオオタニサンの一挙手一投足に夢中である。
 
話が飛躍するが、2007年のフランス映画で『アンダルシア』という作品がある。移民の青年が、自らのアイデンティティーと自由を求めて旅に出る話なのだが、彼はサッカーの神様ペレの大ファンで、伝説の試合について熱く語るシーンが登場する。縦横無尽にプレーしゴールを決めるペレを、身振り手振りを交え熱心に解説しながら、「ペレはそのとき、ボールそのものであり、フィールドであり、サッカーそのものだ。体重すらなくなってしまうのだ」みたいなことを、青年が熱くまくし立てる。実際の試合映像も差し込まれるのだが、彼の熱い講義の後だからか、確かにフィールドを走るペレはまるで飛んでいるかのようだ。他のシーンはほとんど記憶がないのに、この印象的なペレの話だけは、忘れることができなかった。
 
まさにその試合のオオタニサンは、このペレと同じだと思った。あまりに自由に球場を駆け回るオオタニサンは、きっと野球そのものになったに違いない。『アンダルシア』の青年は、どこの地にもなじむことができなかったが、旅の終わり、荒野を何も持たずに歩いていると、ふわりと一瞬地上から浮いて、映画は幕を閉じる。その時、彼はやっぱり口元に小さく微笑みを浮かべていた。きっと彼は自由になり、世界に浸透することができたのだろう。
 
私は同居人にいつも「浮ついている!」と言われるが、いつか本当に地上から少し浮いて微笑んでみたいと思うのだ。


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フェノミナ PHENOMENA
1985年 / イタリア / 116分(インテグラルハード完全版)/ 監督・脚本:ダリオ・アルジェント / 原案・脚本:フランコ・フェリーニ / 出演:ジェニファー・コネリー、ドナルド・プレザンス、ダリア・ニコロディ、ダリラ・ディ・ラッツァーロ、パトリック・ボーショーほか


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『フェノミナ -日本語吹替音声収録4Kレストア版-』
Blu-ray好評発売中
価格:7,800円 (税抜)
発売元:株式会社ニューライン 企画協力:株式会社フィールドワークス
販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング
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冨田翔子

エンタメWebサイト編集部勤め。好きなジャンルはホラー映画。心意気のある映画を愛する。