妄想映画日記 その117

樋口泰人の「妄想映画日記」その117は、京都みなみ会館で開催されたboid sound映画祭「キング・オブ・カルト」特集のため京都に滞在、その帰路に岐阜に立ち寄ってうなぎも堪能した2021年4月11日~20日の日記です。
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文=樋口泰人


4月11日(日)
こういう仕事をしていると土日も祝日も仕事が付いてくる。自ら断ち切るしかないのだが、わたしが断ち切ったとしても誰かが働いているかと思うとそう簡単にはいかない。始末が悪いのは緊急の仕事があるわけではなくただひたすらぼんやりとした不安とともに過ごす週末である。しかも何が不安かもはっきりとせず、誰かに連絡を取り忘れているかもとかやっておかねばならない仕事があるはずなのに果たしてそれが何なのか思い出せず「あるはず」ということ自体が極めて怪しい、それも含めての不安である。完全に自分の問題ではある。このところずっとそんな不安が重しとなっている。したがって解決のしようがない悲しい日曜日。昼は整骨院に行き、肩と首の施術を受けるがこれがかつて経験したことない痛みを伴った。肩も腰もそれくらいひどいことになっているとのこと。
その後『ノマドランド』。いろんな人の感想はきいていて、『ザ・ライダー』も予習で観たので大体何が面白くて何が足りないかも何となく把握していた。確かに把握通りの面白さと物足りなさもあったが、しかしやはりあまりに寂しすぎるこの生き方を進んで選び取る人々が確実にいるアメリカという国と風土に圧倒された。フランシス・マクドーマンドはわたしとまったく同い年である。そんな年齢の近さもあって「わたしにはこれは絶対にできない」というリアルな思いがのっぴきならない悲しみとして画面から直接降り注いでくる。その一方でわたしが感じる過酷さと裏腹ののんびりした時間もそこにはあって、それを豊かな時間と言ってもいいのだけれど、これは確かにわたしの求めているものだという思いも沸き上がる。彼女は死にたいわけではない。あくまでもそうやって生きたいだけである。現代社会への不満や怒りが彼女を駆り立てているわけではない。ホームレスではないハウスレスだと彼女は言う。ホームはある。移動する車とともに彼女のホームも移動する。その単純さの中にあらゆる過酷さとあらゆる豊かさが詰め込まれている。プロテスタント的な勤勉さとも荒野を目指すヒッピーとも違う何かが彼女を動かして、『デッドマン』とも違う生死の境目にわれわれを運ぶ。彼女の仲間のノマドたちも含め、基本的にある程度の年齢まで働いたうえでこの暮らしを始めた人たちばかりであることも、その「違い」の要因だろう。われわれがこれまで観てきたアメリカ映画の荒野とは違う「荒野」がそこに映されていた。映画がやるべきことは、この「荒野」をわれわれの住むこの場所に重ね合わせて描くような作業ではないかとも思った。いずれにしてもクロエ・ジャオの次回作がすでに楽しみになっている。

 


4月12日(月)
土日でできる連絡事項を緊急のもの以外は月曜日に回しているので月曜日は朝から気ぜわしい。しかも、月曜日にやろうと思っていてすっかり忘れる作業が多発している。さすがにこれは大人としてどうかと我ながら情けなくもなるのだが、ならば土日を無理して休まず普通に仕事すればいいではないか。しかし再び土日になるとやはりここは休んでおかないとという繰り返し。解決策として月曜日にやる作業を書き出してひとつひとつやっていくわけだがとはいえすでに書き出しのときに忘れていることがあるのではないかという不安も満載である。だから週末のぼんやりした不安はさらに増幅されてそれなりにやるべきことをやっているのに何もやっていない気分だけが残る。これまでは気力と体力で乗り切ってきた問題が、それが衰えた今ただの未解決の問題として目の前に突きつけられている。なすすべなし。
とはいえ翠海。友人2名と極上の中華を堪能した。心から幸せになる。しかしその終わり、事務所からの連絡で、わたしが同じ荷物を別のショップに発注していて、すでに届いていた荷物と同じものが別のショップから届けられたということが判明。生協に2週にわたって同じものを発注して冷蔵庫が満杯になってしまう実家の母親を思い出す。しかし違う店に違うものを発注していたはずが、どうして同じものが届くのか。もはや自分が一番信用ならない。というのはいつも渋谷や青山や九段下辺りで迷子になるとき必ず思うことなのだが。

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4月13日(火)
朝から整骨院。首の調子はまだまだ悪い。それにつられて腰も再び。メニエルも含めもうすっきりすることはないのだ。そんな思いの1日。税理士から「中小法人・個人事業者のための一時支援金」申請のための資料をもらう。では、ということでHPを見るとやたら手続きが煩雑である。昨年の持続化補助金のときとは大違い。簡単に想像つくのは持続化補助金申請の際に不正支給を受けた人たちがいて、その防止策としての手続きが増えたということなのだろう。それは仕方ないことだとも言えるが、だが、それによって本当に必要としている人たちにとってのハードルは上がる。わたしなどHP見ただけでぐったりである。それでもとにかく必要だから何とかするわけだが、ネットを見ると、申請代行の会社のPRが飛び交っている。困っている人、この煩雑な手続きに対応できない人は、こういう代行会社にお願いすることになるわけだが、したがって受け取れる額は彼らへの謝礼の分当然少なくなる。
視点を変えると、国全体の予算から見れば、不正申請により支払うことになった額と、今回の手続き強化のために必要となった経費(多くの人材や関連機関への報酬など)とでは、いったいどれくらい違いがあるのかという疑問がわく。だったら、である。困っている人たちが苦労してつらい思いで申請すること、そしてさらにそのために申請代行業者が支援金の一部を作業料として受け取ってしまうことを考えると、とにかく面倒な手続きなしにざっくり渡す、というのでいいのではないかと思ってしまう。困っている人をこれ以上困らせない。まずはそこからスタートできないか。手続きを煩雑にすればするほど、それに対応できるような余裕のある人や、それをうまく利用できる人たちだけがその恩恵を受ける。不正申請はますます巧妙になり、手続きはさらに煩雑になる。こういった負の循環に、そろそろさようならを言ってもいい時期だと思う。まあ、その前に自分のほうがさようならを言われそうな体調の悪さでもある。雨の降りそうな日はつらい。


 
4月14日(水)
夕方までバタバタとあれこれあって、京都へ。どうもこのところ京都に行く日は雨である。今日も家を出るときはそれほどでもなかったので傘も持たずに出たのだが、いったん事務所によるため高田馬場で降りたら結構な降りになっていて、仕方なく傘を買った。折りたたみ傘を持ち歩けばいいのだが、どうも好きではないのだ。なんだろう。ちゃんとしたお気に入りの折りたたみ傘を買えば違うのか。今度試してみよう。
京都は慣れているはずなのにそしてホテルも駅そばで迷うことはないのに見失う。同じアプリなはずなのにandroidのグーグルマップの見え方がどうもフィットせず、方向がまったくわからなくなってしまう。現在地から向かっている方向も画面には出ているものの身体的な理解とはかけ離れている。頭ではわかっても身体が言うことを聞かない。ホテルすぐそばのところで自分勝手にぐるぐる回っている自分はいったいなんだろうかと思う。いや、ホテルがね、暗い中では目立たないんですよ。これが。暗く沈んだ大きな建物にしか見えない。よく見るとでかい木製の扉に名称も書いてあるし、近くで見れば分かるくらいの光の看板も出ている。この時期の京都でこのクラスのホテルでカプセルホテルより安いかと思われるまさかの値段で泊まれたのでここにしたのだが、老眼鳥目の人間にはもはや存在しないくらいのシックな佇まいであった。部屋も広く風呂も広くて快適この上なし。つい、ボーっとしてしまい、みなみ会館への集合時間を間違えて30分の遅刻であった。
マリオ・バーヴァ2本と『悪魔のいけにえ』の調整をやった。バーヴァの2本は時代が時代だけにモノラル2チャンネルで、『呪いの館』はマスターの音源が悪い。古いフィルムの音がそのままデジタル化されたということだろう。したがってこちらは無理せず、耳障りにならぬよう、しかし絶妙にバランスがとられている静かな音のシーンの背景の音たちが画面の中で見事なダンスを踊る感じで。大きな音のところはもともとの音が割れてしまっているが、それはそれでひび割れた時間の音を聞くという塩梅。『血ぬられた墓標』は『呪いの館』より時代は古いのにしっかりリマスターされた音。こちらもやはり、大きな音のシーンよりもそろそろ何かが起こる、気づかないところで起こってしまった、というような「予感と決定」のシーンでの音の揺らめきがこちらを現場へと運び込む。共同監督をいくつかやってきたとはいえ、単独での監督デビュー作ですでにこの洗練、というのはやはりスタジオの力ということなのだろうか。『悪魔のいけにえ』は5.1チャンネルで。こうやって見事にリマスターされた美しい音を聴くと、かつてのモノラルの印象とはまったく違うのだが、やはりそれはそれであきれるくらいに素晴らしい。70年代、80年代の映画も次々に4Kデジタルヴァージョンが作られているが音までオリジナルのマスター音源からリミックス・リマスターしている作品はあまり多くなく、もちろんここは予算の問題もあるので強くは言えないのだが、何とかならないものか。とにかく『悪魔のいけにえ』は何度上映しても何度見てもそのたびにまったく新しい何かに観えてくる。

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4月15日(木)
工藤冬里9枚組ボックスのブックレットの入稿・校了日ということもあって、朝から各所と連絡を取りつつ、夜まで作業を進める。夜には無事入稿のはずだったのだが、もちろんこちらの思惑通りにはならない。わたしのように大雑把な人間は最後の仕上げのときはまったくの役立たずなので、とにかく事態の進行に任せるのみ。みなみ会館での調整作業をしている間も、入稿のための最終確認作業は続く。ちょうど音調整作業が終わりを迎えるころブックレットも入稿となったのだが、なんとその後もうひとつ問題が出たために修正を加えて再入稿という、本当に皆さまお疲れさまそしてありがとうございました。
みなみ会館の調整は『マングラー』『ゼイリブ』『ゴースト・オブ・マーズ』。とにかく音がいいと元気が出る。朝からのデータ確認などで神経をすり減らしていたのだが、調整が終わるころにはまだいくらでも調整できるくらいな感じになり、昨日分も再確認した。いつもの爆音の大迫力というのとは違うが、こんな感じで普通に映画を観ることができたら人生得した気持ちになる。それにしてもここにきての新型コロナ感染拡大で映画館の動員が激減しているという。もはや「自助」とか言っている場合ではない。もし自助するとしたらわれわれ自身がわれわれが生きていくシステム自体を変えるしかない。新型コロナ問題が解決したとしても、そこを変えない限り同じことだ。


 
4月16日(金)
3月後半からいろんな作業が重なった疲れがはっきりと出始めている。お台場が終わるまであと2週間。果たして乗り切れるのかどうか。雨模様のせいもあって目もしょぼしょぼ、ぼんやりとしたまま夜。夕方からはみなみ会館でのboid sound映画祭キング・オブ・カルト特集が始まる。新型コロナの再拡大以降、映画館の動員があからさまに落ちているということなので心配していたのだが、何とか無事。この状況の中では大健闘というという数字だった。そして『イレイザーヘッド』と『ロスト・ハイウェイ』の調整。リンチの音はもう、とにかくすごいのだが、あまり調子に乗りすぎると映画館の機材を痛めるので、そこだけを心配していた。慎重に、音量を上げたり下げたりしながら、無理のない程度で映画が一番面白くなるような音量を探る感じ。しかし今こうやって見ると、『ロスト・ハイウェイ』のパトリシア・アークエットは最高だね。なんか、リンチの全作品に彼女がいるような気がしてきた。逆か。リンチの作品を貫く「魔女」がそれぞれの作品のそれぞれの女優として現れている。

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4月17日(土)
友人に誘われて西陣のパンケーキ店。見た目とは違いもったりこってり感はなく、するするといつまででも食っていられそうな爽やかさ。さすがに使っている油とか小麦粉とか砂糖とかが全然違うんだろうねえ。しかし結構な雨で歩くのもままならずみなみ会館まではタクシー(もちろん西陣から歩いてみなみ会館へ行くつもりはまったくなかったが)。

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boid sound映画祭は、今回の新型コロナと雨の影響の割には上出来という動員数で少しほっとはしたが、これでそれらの影響がなかったとしたらいったいどれくらいの数の方たちがやってきてくれたかということの保証はまったくない。結局いつも、その場その場での賭けのようなものだ。いつまでたってもそういう不確かさには慣れることはない。いや、慣れては来ているのだが、その一方で、気力と体力がすごい勢いで落ちてきているのだ。本日もそれを実感。『悪魔のいけにえ』の音声トラブルでのショックは、今後のいい勉強にもなったがいつまでも消えないトラウマとして残った。お客さんたちからは温かく声をかけていただいたが、音はやはり武器になるね。怖い。そしてブルーレイ上映は今後できる限り少なくしていかねばという教訓。
『ゴースト・オブ・マーズ』上映後は篠崎とのトーク。火星のシーンの撮影はセットではなくロケ撮影で、先住民族のかつて住んでいた場所を使いその土地を赤く染めて行ったのだという。その話だけで様々な方向へと思いが広がる。アメリカの歴史、先住民族たちの呪い、フィクションとしての映画。今や忘れられた歴史が、ただの荒れ地を赤く染めるという人工的な操作によって、まさに今ここで起こっていることとしてよみがえる。われわれのこの現実に「火星」というフィルターを挿入することで見えないものが観えてくるという映画の役割は、まさに『ゼイリブ』でも行われていたことだ。カーペンターはそんな映画を一貫して作ってきた。そして『ゴースト・オブ・マーズ』ではその中でさらにさまざまな要素が絡まり合って物語を語り始める。もう一度すべてのカーペンター映画を観たくなった。
その後GWの怪獣映画特集の中で『シン・ゴジラ』をboid sound上映するというので調整。みなみ会館の音のベースは開館時にいくつもの映画を試してわたしが調整したものだから、普通に音を上げただけでも映画に合わせた微調整だけで済む。『シン・ゴジラ』もあっさりと音は決まった。これで十分喜んでもらえるはず。それやこれやですっかり疲れ果て、めまいも始まったのでめまい止めを飲んで寝た。


 
4月18日(日)
晴れたり強い風が吹いたりパラパラと雨が降ったりと変な天気だったが昨日の大雨よりまし。上映は順調に夜まで。五所さんとのトークはとにかくネタが『ロスト・ハイウェイ』なので、迷路に迷い込みながらのものになったが、その分、今後のためのヒントがいくつも見つかった。この映画のリアルはどこにあるのか、ここで描かれるふたつの世界とは何か、どこにもたどり着かない時間と果てしない先の消失点まで見通せる視界、カメラがそこになければなかったことになってしまう誰にも振り替えられることのない無名の人の行為、そしてその始まりと終わりがねじれて繋がる語りの構造から見えてくるもの。五所さん曰く『ロスト・ハイウェイ』はそれが作られた25年後の今の教習所の教習用動画、なのだそうだ。間違えばこのようになってしまうことを教えられ、しかもそれは相手のせいだけではなく自分にもそれを引き込む要因があることを教えられる構造になっているらしい。その現状をどう考えるか? それはどこか『ロスト・ハイウェイ』のふたつの世界の関係としても考えることはできないか? そんな宿題が課されたトークでもあった。


 
4月19日(月)
みなみ会館での映画祭は木曜日まで続くが、わたしの仕事は日曜日で終了。本来なら本日の夜はシネマート心斎橋に行って某作品の音の調整を行う予定だったのだが、大阪の新型コロナ陽性者数のあまりの増加で中止に。さすがにほっとする。そしてやはり5日間の作業で思った以上に疲れた。これまで通りにはやれない。とはいえお楽しみもなくてはと名古屋に立ち寄りいつものように関市のうなぎ。今回はこのために東京からも友人がやってきて、しかし新型コロナ感染拡大の影響でもしや休店しているのではという疑惑も湧き出て、わたしは帰るついでだし、もうひとりは地元だしで休店でもほぼ問題ないのだが、わざわざ東京から出てきて休店なら大笑いだと、ひそかにそれも狙っていた。何しろ開店していてもまったく電話がつながらない店なので、やっているのかいないのか確かめようがないのである。それでも東京からやってくるという食いしん坊加減にも呆れるのだが、それくらいうまいというのも確かである。いずれにしても行くしかない。
たどり着くと見事店は開いていた。自然と歓喜の声が沸き上がるのだが、なんとテイクアウトのみ。もちろん以前空族のイヴェントの際にみんなでここに立ち寄り、その後大阪に向かう空族に大阪チームへの土産を託したところ、冷えてもめちゃくちゃうまいと感謝されたことを考えれば、まったく問題なし。天気も良い。あとは車を止められる公園を探せばよいだけである。しかし昨日までの京都のはっきりしない天気が嘘のようだ。見上げると山のてっぺんに城がそびえる公園の木陰でのうなぎとなった。肝焼きが信じられないくらいうまい。炭火で焦げた苦みと混ざって口の中に幸せが広がる。うなぎは弁当の蓋で蒸されたために、本来のばりばり感はないが、それとはまた別のおいしさ。こんな日があってもいい。その後は山に登りリスに餌をやり、城から下界を見下ろすなど。すっかりリフレッシュしたがロープウェイを使ったにもかかわらず山の頂上近くのロープウェイ駅から城までの登りでさえ大変だった。戦国時代の武士たちはこの山の上の城を攻略するためにはるか下からこの坂を上り上からの攻撃を切り抜け戦いを挑んでいったのである。いくらなんでもあまりに無茶すぎる。頑張らないほうがいいという本日の教訓。

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4月20日(火)
1週間のハードワーク(昨日は除く)の後なので、ゆったりと。身体もボーっとしている。とはいえ各所からさまざまな連絡が入る。一番大きな連絡が、緊急事態宣言が出そうで、そうなると映画館にも休業要請が出る可能性があるため、お台場の爆音映画祭の前売り券が売れなくなり当日券のみとなる、というもの。こればかりは致し方ないのだが、例えば今回の映画祭のタイムテーブルは、3回のやり直しを経ている。すべてコロナ関係の影響によるもの。経済を回すにしろ感染を防ぐにしろ中途半端な規制をしてそれを途中でコロコロ変えられるのは現場のダメージが大きすぎる。しかもこちらには補償も出ない。老体を鞭打つにも限界がある。もう働けない。というか働かないよわたしは。飢え死にするまで美味いものを食う覚悟。
それはそれ、みなみ会館で久々に『ロスト・ハイウェイ』を観てしまったおかげでアメリカの音楽が聴きたくなった。ロニー・ブレイクリーとエミルー・ハリスが心に染みた。果てしなく広がるアメリカの風景の悲しさと豊かさが彼女たちの声とともに心を震わせた。デヴィッド・リンチの音楽と言えばだれもがアンジェロ・バダラメンティを思い浮かべるのだろうが、わたしはいつも実際にはリンチの映画には流れていないこれらカントリー系の音楽を思い浮かべながら観ている。というか「ロスト・ハイウェイ」自体がハンク・ウィリアムズなわけだし。意識しなかったがともに75年のアルバム。そしてインナースリーヴと裏ジャケの写真にも共通点が。ロニー・ブレイクリーのはマッスルショールズだが、エミルー・ハリスのはどこだろうか? 心はすでに75年のアメリカに飛んでいる。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。オンライン映画配信ウェブマガジン「GHOST STREAM」をオープン。