妄想映画日記 その116

書いたはずの日記が残っておらず何を書いたかも忘れてしまう樋口泰人の2021年4月1日~10日の日記。そんな忙殺される日々のなかアナばかファンにおなじみの浅川満寛さんの千葉・外房の家を訪ねたことや、映画『ビーチ・バム まじめに不真面目』(ハーモニー・コリン監督)、『ザ・ライダー』(クロエ・ジャオ監督)、『クー!ギン・ザ・ザ』(ゲオルギー・ダネリヤ監督)、そしてリリース間近のエクスネ・ケディの新譜などについて綴られています。
表紙.jpg 90.82 KB



文=樋口泰人


4月1日(木)
新しいプロジェクトの初顔合わせの日をいつにするか尋ねられて4月1日と答えたら、わざわざエイプリルフールにするとはと呆れられたのだが、何も考えていなかった。自分の都合だけで答えたわけだが、とにかくスタート。11時に集合して19時くらいまで。どうなるかわからぬ部分も多いがこうやってわいわいとやれているだけでまずはめでたしということだ。今回のメンバーで仕事をするのは初めてだが、なんだか何年も前からこの日が設定されていたような、そんな感じさえした。おそらく最後までこの感じは変わらないだろう。


 
4月2日(金)
千葉の外房に暮らすアナログばかカートリッジ改造人、爆音ハウスに住む浅川さんのところに行く。引っ越して数年、遊びに行く行くと言いながら全然行っていなかったのがようやく。予想では林の中の一軒家、隣の家まで1キロくらいあって、うっかりするとキョンと鉢合わせる。というものだったが、表通りはまだ街として成立しており、海もすぐ近く、元畑の空き地と川に囲まれた一軒家で川を挟んで向こう側にも空地の向こうにも隣家はあり、わたしの実家のあたりよりずっと住みやすそうな場所だった。確かにキョンをはじめとする小動物がどこから出てきても不思議ではない。庭先にも音楽が漏れ聞こえてきている。漏れ聞こえる、というか……。 

4月2日_1.jpg 74.15 KB



4つの部屋すべてにオーディオセットが組まれていた。どれもブランド品ではなく、1000円とか3000円で買った壊れた機材を改造したものばかりだから、見た目はつぎはぎだらけのぼろ機材である。だがそこから極上の音が生まれる。いわゆるオーディオマニアのコレクションが足元から崩されていく。ひとつは映像鑑賞のためのセット、あとの3つは爆音サウンド用。天井から下がったひょうたんスピーカーやだるまスピーカーが思わぬ味付けをしていて、前方からドカンと押し寄せてくる音の波を天井からの波が優しく震わせ、部屋全体が音に包まれる。この感じはどこかで聞いたことがあると思ったら、YCAM爆音だった。そりゃ気持ちいい。1日中ここに寝転がっていたら楽園。こんな音の中にいたら東京での労働がばからしくなる。というわけで今後の仕事のこともありつつただただぐうたらしたのだった。

4月2日_2.jpg 82.24 KB


4月2日_3.jpg 114.26 KB



車で5分くらい行くと海岸。漁港もある、猫もいる、岬の上には神社もあってその両側に海と町が広がる。1週間前は新潟の暗い日本海を眺めていたのに不思議な気分だ。街道沿いのスーパーには漁港で水揚げされた魚も並んでいてあきれるくらいの格安値段がついている。当然夜は刺身三昧となるのであった。深夜3時くらいまでで、酒飲みふたりで日本酒一升半空けていた。もちろんわたしはお茶にて。

4月2日_4.jpg 83.74 KB


4月3日.jpg 187.71 KB




4月3日(土)
楽園というか異界というかわたしの日常とは全くかけ離れた場所から帰還。しかし腰はしっかりやられた。夜はついに『ビーチ・バム』を観る。マイアミあたりが舞台となっているのだが、まあここも楽園と言えば楽園、しかし異界感の強さが半端ではない。登場人物たちのほとんどがラリっているということもあるのだが、彼らの言葉をはじめすべてのものにディレイがかかっているような、あるいは今そこに見えているもの自体がディレイされたものであるかのような、つまりそこにある「生」の時間が前後に引き延ばされてわれわれは居場所を失う。われわれが生きる「現在」という場所を作り上げているシステムがそこではゆっくりとあからさまに崩れ去っていくのだ。だからここに映されている信じられないくらいの金持ちと結婚した詩人のやりたい放題のエピソードは、金持ちだからできることではなく、今すぐわれわれ誰にでもできることでもある。いや、できるとかできないとかということではなく、システムによって仮構された場所の緩やかな崩壊の跡に残った生きる場所で生きるだけなのだから、単に好きにやればいいのである。それをやったら死んじゃうかもしれないが、貧乏なわれわれはそのあたりをうまく切り抜けつつ。YCAM爆音でやったら最高だろうなあ。音が天上から降ってきて目の前の風景を楽園に変える。その楽園こそ我々の生きる場所である。ラリッてなくても酔っ払ってなくても楽園はここにある。そんなことを思わせてくれた。

beachbum.jpg 68.19 KB
『ビーチ・バム まじめに不真面目』 (提供:木下グループ/配給:キノシネマ)
4/30(金)よりキノシネマみなとみらい・立川・天神ほか全国順次公開



4月4日(日)
不調なところをだましだまし使っていたIT機器がいよいよだましが利かなくなってきた。6年目のiMacはアマゾンプライムとネットフリックスを観ることくらいにしか使えず、アップルTVはアプリは開いても動画を観ようとすると動かなくなってしまうという本末転倒。iMac自体を工場出荷状態にしてシステムを入れ替えてまっさらな状態から始めてもダメ。ワードやエクセルなど、開くまでにトイレに行く時間はたっぷりあるし、文字入力が安定するまでに数分間は我慢しなければならない。基本的にメインマシンとして使っているVAIOのノートブックは動作はまだまだ順調なのだが、しかし電池が1時間も持たなくなってしまって外での作業ができなくなってしまった。電池交換しか方法はない。そしてiPhoneはホームボタンがまったく機能せず、仮のホームボタンアプリを入れてしのいできていたのだがいよいよiPhone自体の動作もおかしくなってきた。それぞれをまともに買い換えたら50万くらいかかる。とてもじゃないがここでそんなに金かけられないし、iPhoneに10万以上とかさすがにやめてほしい。ということで、ついに、Macから離れることにした。確か1992年、LCIIが発売されたころに買ったのが付き合い始めだから約30年。メモリ4M、ハードディスク80M、という今からは考えられないスペックの時代からの付き合いだったが、まあ、もう十分。スマホ本体も機種を選ばなければ格安なのがいくつもある。VAIOは電池交換に出し、家のデスクトップは中古のWindowsマシンにすれば数万。もういい歳なのでパソコン使って大したことはできない。人を頼って生きる。
『ノマドランド』が話題になっているので見逃していたクロエ・ジャオの『ザ・ライダー』を観た。なんだろう、冒頭から泣きそうなこの感じ。撮影や風景の美しさということでもなくストーリー解説にあるような夢を断たれた現代のカウボーイの悲しみというようなものでもない。世界に対する姿勢そのものがもたらす悲しさと言ったらいいだろうか、実在の人物たちに起こった出来事を本人たちが役者として演じているということのもたらす2重の悲しみが、もはや可能性のかけらもないこわばった痛みを優しく包む。発達障害なのか主人公の妹の誰に向かって発話しているのか不明瞭な、今ここでようやく彼女のことを見つけた世界中の人々の不明を恥じいらせつつ新たな世界への視線の獲得に向けての小さなエネルギーとなる不思議な発音の魔法のような言葉によって開かれたカメラの目によって示された世界がそこにあるのだ。かつてヴェンダースがジョン・フォードやラオール・ウォルシュの西部劇で生きる男たちの小さな動きや持続する運動の中に読み取った荒野の呼吸のような微かだが確実にそこにある空気の流れによってとらえられた人々の姿が映されていた。「物語」というシステムによってはじき出されてしまった世界の当たり前の姿。ケリー・ライカートの映画にも通じる何かが映っていたが、ライカートの映画のようにゴダール映画の唖然とするような省略でいきなり車から放り出される男や、車が行き交う公道を当たり前のように馬に乗ってやってくる女はいなかった。でもそれは誰にでもできることではない。
 


 
4月5日(月)
再開後の日記はいつも翌日に書いているのだが、4月7日の現在、6日の日記を書こうとしたら4月4日(日)までしかない。5日の分がないのだ。1日書き損ねたということなのだが、書いた記憶はある。しかし何を書いたかはまったく憶えておらず、ではさて月曜日の日記を書き直そうとしても月曜日に何をしていたのか憶えていない。でも確かに整骨院に行った、整骨院に行ったことくらいしか書くことがないと思いながら書いていたことも思い出したが書かれていない。保存し損ねたということはなく、ワードは開きっぱなしなのだ。物理的にも記憶の中でも私の4月5日が消えている。今でもここでもない場所を不安とともに漂っていた。そんな変なしこりのような記憶の塊だけが残っている。


 
4月6日(火)
IT関係経費をできる限り抑えようと、スマホのキャリアは1年間無料の楽天モバイルに変えるため阿佐ヶ谷の楽天ショップに向かったのだが、無料契約の締め切りが7日までで、当然もう店頭の相談予約はいっぱいで受け付けられないと言われた。みんな考えることは同じである。ネットでやればできるかと自宅に戻るが今度はMacのブラウザからは証明書類のスキャンデータがまったくアップできない。そうこうしているうちに、いくつものプロジェクトの作業が進み各所から連絡、連絡、連絡。自分にできることは限られているので、ものづくりの最後の仕上げのときはまったく役立たずでしょんぼりする。気持ちは沈むばかりでもはやキャリアを変えようという気力もなくなって、楽天は放置。ゆっくりとしかしはっきりと世間についていけない老人になっていくのが実感される。

4月6日.jpg 86.67 KB




4月7日(水)
boidのお知らせ発送作業。不意の助っ人も現れていつもに比べると驚くほどあっさりと終了した。あいさつ文をプリントアウトしたもののコピーを井手くんに頼んで、戻ってきた井手くんが青ざめているので何かと思ったら、隣のマンションのごみ捨て場にあった袋がガサゴソと動いていると。完全にやばい話なので、どうなったかは秘密。井手くんは時々こういった変な出会いをする。わたしは一日中ボーっとしていた。まあ、さまざまな連絡でボーっとしている時間はなかったのだが。夜、昨日の日記を書こうとしたら一昨日書いたはずのものがなくなっていて、「書いた」という記憶自体も捏造かもしれないという不安もあって一昨日のことを思い出そうとするがぼんやりするばかり。だが日曜日の日記はしっかり書かれているので、月曜日(一昨日)に自分が存在していなかったということだけはなさそうだ。



4月8日(木)
何となく気分が良かったので、今のうちに面倒な作業をやってしまおうとスマホのキャリア変更、機種変更の手続きをした。相変わらずこういうのにめちゃくちゃ時間がかかるね。忙しい時にやっていなくてよかった。でもよくわかったのは、楽天モバイルみたいに1年間無料、みたいな派手なやつでない限り、あとはどこも軒並み同じ、大差なし。まあだから結論から言えばあたふたせずにそのまま契約更新が正解。iPhoneからandroidに替えたため夜はアプリのインストールや設定で大変だった。それに加え、調子に乗って重い荷物をもってあちこち歩いたために、腰と肩を想定以上にやられていた。気が付いた時には階段をうまく上れていない。めちゃくちゃ痛い。さすがにまずいので湿布薬を買って貼った。重い荷物というのは聴かなくなったりレコードとダブっているCDなのだが、これを売ってジェリー・ガルシアがらみの2枚を買った。ディラン&デッドのライヴは80年代の終わりに初めて手に入れたCDで感慨深い。その翌年だったか、初めてサンフランシスコに行ったのだった。下水の蓋にまでデッドのマークが刻み付けられていて(おそらく工事の際に現場の誰かがいたずら書きをしたのだろう)呆れたのを今も覚えている。もう1枚はトム・フォガティも参加しているアルバム。レーベルがFantasyということもあってサンフランシスコ繫がり。どちらも馬鹿でかいスピーカーで聴きたい。かなわぬ夢だが、妄想は広がるばかりだ。そしてディスクユニオンから出す工藤冬里さんの9枚組ボックスの、ボックス周りがついに校了。デザインの宮くんは大変だったと思う。あとは中身のブックレットを残すのみ。

4月8日.jpg 93.25 KB




4月9日(金)
腰は回復したのだが肩がよりひどくなりもう首が回らない。めまいの気配もする。落ち着いて文字を読んだりすることができない。たまたま午後から整骨院を予約していたので、腰の治療から肩の治療へと急遽変更してもらう。
夜は渋谷へ。某作品を劇場に設置されている機材のみを使って音量を上げ調整して上映、というboid sound上映の準備である。宣伝の関係上まだその内容を書けない。もどかしいが致し方なし。井手くんのサジェスチョンのおかげでバウスの爆音に近い音になった。音が天井=天上から降ってくる。夜の渋谷は金曜日にしてはめちゃくちゃ人が少なかった。


 
4月10日(土)
さすがに疲れてボーっとしていた。昨日届いたEXNE KEDY AND THE POLTERGEISTSのアルバムのテスト盤を聴いた。昨年発売された井手健介と母船のセカンドアルバムでタイトルとなった「EXNE KEDY AND THE POLTERGEISTS」は実在していたのである。ついに掘り起こされた、70年代の幻のミュージシャン「エクスネ・ケディ」の74年のライヴ音源の奇跡のリリース。母船のセカンドアルバムはほぼこれをもとにして、井手くんが自らの音として世に出したものだが、実はこちらが本家。アルバムには当時のツアーフライヤーやポスターのミニチュアも付録に付ける予定。音のほうは埋もれていた無許可録音のライヴ収録テープを修復し、リマスターしたものだから、通常のライヴアルバムとはかなり雰囲気が違う。まさに会場全体から音が出ている、その響き合う音の雲のなかからエクスネ・ケディと仲間たちの声や演奏が届けられる。そんな雰囲気。音の雲とは音の妖精の会話、というふうに言い換えられるかもしれない。世界中に広がり世界を包み込んでいる普通なら聞こえない幽かな音たちがこの会場に引き寄せられて、とりとめもなく交わす会話。その響き合いの中からエクスネ・ケディが現れて、現れると同時にそれぞれの声の主のもとへと拡散帰還していく。つまりこのアルバムを聴いてもエクスネ・ケディは誰かわからず、いや、聴いたゆえにますますエクスネ・ケディが何ものかがわからなくなる。逆に言えばエクスネ・ケディはどこにでもいて誰でもあるということになる。だから母船のセカンドアルバムは、EXNE KEDY AND THE POLTERGEISTSが作った『EXNE KEDY AND THE POLTERGEISTS』というアルバムなのだ。そんなことを思いつつそのアルバム・ジャケットを見れば、すべて合点がいくだろう。そして21世紀に突如として現れた「このエクスネ・ケディ」が70年代に戻って行ったライヴの記録が今回のアルバムである、という回りくどい説明になる。こんなんで果たして売れるのだろうか。本当はまだ告知しちゃダメなんだけど、日記だからいいや。いろんなことが書けないことだらけなんでね。

4月10日_1.jpg 36.61 KB


4月10日_2.jpg 86.82 KB


4月10日_3.jpg 93.23 KB



夜は『クー!キン・ザ・ザ』。『不思議惑星キン・ザ・ザ』と同じ監督によってリメイク(?)されたアニメ版である。輝ける未来だったはずのものが輝ける未来の夢の残骸としてSFの中で描かれるようになったのはいつ頃からだろうか、というような考察をかつてフィリップ・K・ディックの小説の文庫版の中で読んだ記憶があるのだが、詳細は記憶の彼方である。いずれにしてもこの映画を観れば誰もが、いや未来はいつも夢の残骸であったのだと思うのではないか。あらゆる輝ける未来の中に、このような残骸が埋め込まれている。いや、残骸が夢見たものこそ輝ける未来であって、その残骸の夢の記憶が現在に埋め込まれているに過ぎないのではないか。『宇宙戦争』にしろ『ターミネーター』にしろ『マトリックス』にしろ、SF映画の多くが描いてきたのは、そんな時間の逆転と循環だったはずだ。われわれはもう、誰もがエクスネ・ケディであることを気づいてもいい頃だ。

kinzaza.jpg 52.02 KB
『クー!キン・ザ・ザ』(提供:パンドラ+キングレコード)
5/14(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー!



樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。オンライン映画配信ウェブマガジン「GHOST STREAM」をオープン。