妄想映画日記 その115

映画配信サイト「GHOST STREAM」がオープン、 京都と東京・お台場で4月に開催される2つの爆音イヴェントも迫り、突如大忙しとなった樋口泰人の2021年3月21日~31日の日記。各所への連絡に明け暮れるなかで観た映画『海辺の彼女たち』(藤元明緒監督)、『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』、『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』(アンドレアス・ドレーゼン監督)についても。
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文=樋口泰人


3月21日(日)
なまぬるい強風と雨のため、1日中引きこもり。休みなのか仕事なのかよくわからない状態のまま、なんとなく作業は進む。
ベトナム人の不法就労者を主人公にした『海辺の彼女たち』という映画を観た。『犬は歌わない』が繊細に構成されたフィクションのようなドキュメンタリーとするなら、こちらは繊細に構成されたドキュメンタリーのようなフィクションということになるだろうか。まさに海と陸の境界線が混じり合う海辺の映画である。日本とベトナム、男と女、プロと素人など境界線はどこにでもあり、しかしそれはもはや互いが互いを侵食し合う曖昧で流動的な場所として人々の暮らしや立場をよりぼんやりとしたものにしていく。監督が日本人ということもあるのだろうか、オーディションで選ばれたという主人公のベトナム人たちの顔つきも表情もどこか日本人ぽくも見え、例えば携帯電話でのベトナムの家族との通話も普通に行われるし、偽造の滞在証明書なども金さえ出せば作ることは可能だ。こわばった悲しみに表情を曇らせ続ける主人公は、その悲しみの表情はどこか凡庸な悲しみの表情でもありそれ故にただそうあるしかない現実を生きる人の表情のようにも見える。それゆえ人の気配のない北海道の雪の漁港で働きその周辺を動き回る彼女たちの姿は、『犬は歌わない』の宇宙都市のようにとらえられたモスクワの風景の中をうろつく犬たちのようにも見える。かつて映画の物語の中心にあった境界線を越えるという行為は今や曖昧に広がる境界線としての海辺を生きるという現実にとってかわられているかのようでもある。ああ、ロバート・クレイマーならこういった題材をどんなふうに映画化しただろうか。そんなことも思うが、そうではない別の映画の誕生の可能性をこの映画は見つめているようでもあった。

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『海辺の彼女たち』 5月1日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開



3月22日(月)
朝からめちゃくちゃ眠い。眠いというか起きていてもずっとまどろみ状態というか。心ここにあらず。かといってどこかにあるわけでもない。まどろみながら各所連絡。それなりに大量。歯医者と整骨院も。帰宅したころはふわふわ。何もできない。こんな時はこれじゃないかと思い立ち、アレサ・フランクリンの72年の教会ゴスペル・ライヴのドキュメンタリー『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』を観た。シドニー・ポラックが監督に起用されてライヴ映画を製作しようとしたものの映像と音のシンクロができず(カチンコを使えなかった)、完成が断念されていた作品の完成版。教会ライヴを行うにあたっての関係者に取材をしたドキュメンタリーではなく、ほぼ音楽ライヴ作品ということになる。映像を見ているとまあ、これじゃあカチンコうてないよなという状況。いったいカメラ何台回ってるんだ。しかもどう見てもそれぞれ勝手に動き回って好き放題、という感じ。ゴスペルの合唱団、進行をするジェームズ・クリーブランド牧師はゴスペルの父としても知られる人で余裕しゃくしゃく。こちらも好き放題ともいえる感じの丸出しの自分を画面に見せている。ライヴと言っても通常のライヴではなく教会を録音スタジオに近い状態にしてそこに観客も入れてライヴ録音という体裁なので観客数はそんな多くはないのだが、ミック・ジャガーやチャーリー・ワッツの姿も見え、いずれにしても観客たちも地元の教会だけあってリラックスムード。そんな中でアレサ・フランクリンの表情だけがこわばっている。自分のルーツではあるものの今はゴスペルではなくポピュラー音楽をやっているわけだし、しかもクリーブランド師も父親であるC.L.フランクリン師も目の前にいる。父の前で成長した姿を見せようとする娘の緊張感のようにも見えるがどこかが違う。こんな表情はその他の映像で見たことはないし歌声からも聴こえてきたことはない。とにかくこの表情を観るためだけにこの映画を観に行っても損はしない。もしかしてカチンコがうてず音と映像をシンクロさせることができなかったという当時の技術的な問題はいいわけで、アレサのこの表情がこの映画の公開を許さなかったのではないか? そんなことさえ思う。あくまでも教会、ゴスペル、ソウルの父権性の強靭な枠組みの中にいるアレサ・フランクリン。そこから脱することの困難な戦いの傷跡が、このこわばった表情に現れているのではないか。

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『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』 (配給:ギャガ)
5月28日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国ロードショー  


 
3月23日(火)
朝からめちゃくちゃ働いた。各所連絡ずっと。税理士も来たので経費計算なども。夜は無理やり映画を観ようとしたが断念。結局各所連絡に明け暮れる。いくつかのプロジェクトの作業が佳境ということなのだが、これらの仕事を終えたからと言ってその報酬を受け取れるわけではないところが問題で、売れなかったり動員が悪かったりしたらそれっきりである。このダメージがね、人格も身体も変えるくらい大きい。まあだからどうだということでもなく、ときどきそんなネガティヴな気持ちになるだけである。

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3月24日(水)
各所連絡の連鎖で脳が妙に覚醒して眠れない。冴えてる部分とボーっとしてる部分とが折り重なってさらに気持ちはそぞろになる。当然早く目が覚めるわけだが気持ちがいいわけではない。まどろみとも違う。眠りと覚醒に引き裂かれたまま本日も各所連絡打ち合わせ。吉祥寺に行った。水曜日なのでピワンは休み。吉祥寺に行くのに水曜日の確率が8割くらいあるような気がしているのだが気のせいだろうか。バウスの社長の本田さん、その後井手くんと会う。帰宅して各所電話、メール。予定ではほとんどのプロジェクトがこの時期には準備終了のはずだったのだが、どれも佳境。本日も映画は観られず深夜になる。

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3月25日(木)
もろもろあって新潟へ。かつてない経験の7時間。夜は夕食難民になった。

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そして京都みなみ会館のboid soundホラー特集の告知開始。これまで何度かやって来たものの、まとまった特集を組み、ひとつの企画として打ち出すのは初めて。みなみ会館スタッフの希望もあってホラー特集となったのだが、こうやってタイトルが並ぶと迫力あるね。『マングラー』や『ゴースト・オブ・マーズ』がまだできてよかった。こういう企画を一緒にやってくれる映画館がいくつも出てきてくれると嬉しい。

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3月26日(金)
昨年の夏くらいから準備してきたboid/Voice Of Ghostの配信ページがようやくスタートした。トップページのあいさつにも書いているように、まだ方向が決まっていない。ゆっくりとあれこれやりながら、結果的に道ができてくれたらいいと思っている。したがって最初は見えない形の踏み台というかベースになってくれて、今後の可能性を広げてくれる作品、先行き見えないものに協力してくれる身近な人たちの作品から。通常の配信システムに引っかからないようなでたらめな作品が集まってくれたらと思っている。3年後くらいに、なんだかおかしなサイトになっていてくれないだろうか。本当は1か月に1作品くらいはアップしていきたいのだけど、そう簡単にはいかない。もうちょっとゆっくりとしたペースになりそう。
同時に、4月下旬のお台場の爆音映画祭の準備最終作業が続いている。チラシの直し、イヴェント出演者の写真の手配など。ようやくここまでこぎつけた。シネコンでの爆音映画祭が新体制になったこともあり、チラシのイメージも一新、内容も少しバウスの頃に近くなったはず。みなみ会館の特集も含め、この感じをじわっと広げていけたら。数字だけじゃない爆音の面白さを、まず自分たちが満喫するところから何かが始まる。Kindle作業も続き、ファスビンダーは第2巻までほぼ終了。あと1巻。そしてフラー自伝。『恐怖の映画史』は、黒沢さんと篠崎の最終確認作業が終わればいよいよ販売開始である。それらもろもろの連絡が飛び交う中でコーヒー難民になりながら、昼飯は某所でステーキ丼。ランチで食すには少し高いのだけど、これを東京で食ったら一体いくらになるのかと呆然とするくらいな代物で、胃袋がうっとりしたままの午後。しかし東京を離れて動いていると、メールを読み飛ばしたり、連絡を忘れたり、東京に戻ったら送付すると連絡した書類の送付をその場で忘れてしまったりと、いろんなことが起こる。この日はそれなりの金額の請求書が届いていないという知らせ。貧乏な会社はこういうことを忘れたらいけない。先日は、A社への支払いをB社に、B社への支払いをA社にしていて、ともに親しい会社だから笑って済ませられたが、そうはいってられない場合もきっと訪れる。夜は某所で鳥の唐揚げを。いったい新潟まで来てどうしてこれをと思いつつ、一緒に注文した塩おにぎりの美味さにうるうるする。米がうまいというのは本当に素晴らしい。他に何もいらない。確か前回の新潟でもそう思ったのだった。

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3月27日(土)
米どころの米菓子はマジでうまいのでつい、新潟駅の新幹線口のお土産売り場で米菓子をあれこれ買ってしまう。欲望としてはこの3倍なのだが大人なので適度に。それでニコニコしていたら、新幹線の中で食す予定だった塩にぎりなどを買い忘れ、無駄に荷物を抱えたまま空腹の帰路。ようやく2時間くらいの移動に腰も慣れてきた。これなら映画館での映画鑑賞もできる。2カ月半くらいかかった。帰宅後はボーっとしていた。ちょっと前、須川(善行)くんのフェイスブックで知った久高島のCDが届いていた。解説によれば「島国国家・琉球国の人々は、島が孤立しているとは考えずに、逆に海でもって諸国と繋がっていると考えた」とのこと。その「繋がり」が詰め込まれたアルバムだった。だが12年に一度行われているというこの儀式は、このCDに収められた1978年のものを最後に途切れてしまっているという。もしかすると島の神々たちも旧来の形式にとらわれず、このCDのような形での繫がりに、自分たちの身体を移行させたのではないか。案外そのあたりは人間たちより神々たちのほうがさっぱりしているような気がしてならない。そんなことを思わせる音と響きとリズムが詰まったアルバムだった。

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3月28日(日)
雨が降らぬうちにと散歩がてら阿佐ヶ谷に買い物に出かけたら途中で土砂降り。昼飯を食うとさすがに疲れていて昼寝をしたのだが、目覚めてもまだ13時30分くらいで、なんだか得した気分になるもののそれで何ができるわけではない。
オンライン試写で『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』。東ドイツのボブ・ディランと呼ばれていたゲアハルト・グンダーマンの伝記映画ということなのだが、時代的には80年代後半から90年代初め。東西統一後の92年がこの映画の現在時制で、そこで起きる出来事から不意に過去へとさかのぼり、時代を行き来しながら物語は進行する。しかし自分がリアルタイムで生きてきた時代の、映画やテレビの報道の中では見慣れた場所の風景が、「ある時代の風景」としてこうやって切り取られるのを観ると何とも言いようのない気持ちになる。30年以上前。監督はわたしより少し下だがほぼ同世代。若き日の自分があこがれていたミュージシャンの映画を過去の時点に戻って今やそのミュージシャン(グンダーマン)の年齢をはるかに追い越した者としてその姿を描く。そのような時間のスリリングな錯綜の産物としての大人の物語になっていた。つまりグンダーマンは当時の大学生があこがれたミュージシャンとしてのオーラはなく、昼は褐炭採掘場で働く労働者であり音楽と家庭との両立を楽しみつつもうまくやり遂げることのできない旧時代の男であり、その上でのスターでありまた秘密警察への協力者でもあったというすっきりとは説明のつかない絡み合いの中で生きている男として描かれていた。もちろん秘密警察への協力という最大の裏切りが焦点となるわけだが、彼がなぜ協力したか、その結果どうなったかというような現在の視点からの彼の評価付けにはこの映画は興味を示さない。では何かというと彼とともに生きられるかどうか、という周囲の人々の判断と行動ということになるだろうか。30年以上前の物語だがあくまでも今も進行中の生きている物語として解決不能の問いの中で、映画の中の人々が生きていた。彼とともに生きることとはどういうことかを、彼らが実践していた。だからうまくやれたとかやれなかったとか判断の良し悪しとか、もはやどうでもいい。ただ彼とともに生きるという行為自体が素晴らしいと思えるような映画だった。個人的にはゴダールの『ドイツ零年』だったか、そしてヴェンダースの『さすらい』でも観ることのできた巨大すぎる工作機械、掘削機械がもうちょっと「ヤク」(2月27日の日記参照)になってくれていたらという残念な点は残った。

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『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』 5月15日(土)より渋谷ユーロスペース他全国順次公開


テレビでは『孤独のグルメ』の再放送をやっていて、いったい何年前なのか日ノ出町の中華屋が舞台。見たことのある店内とメニューだったが、とにかく美味そうでウルウルしていたら、やはり日ノ出町に行ったときに時々行く中華屋だった。でも店員たちはあんな若くないし何かが違うとブツブツ言っていたら、店員たちは本物じゃなくて役者が演じてるだけだと、あまりに基本的なことを妻から指摘された。本編終了後に久住昌之さんが同じ店を訪ねるコーナーがあり、そこには当たり前のように見知った顔が映っていた。
その後『恐怖のメロディ』の主演女優ジェシカ・ウォルターが亡くなったというニュースを見かけていたため、再見しようと思っていたのに脳内ではいつの間にか『愛のそよ風』に変換されていて、ブルーレイが動き始めた時に気づいたのだが、あの冒頭の歌が聴こえてくるとそりゃあもう止められなくなる。金持ち中年男と彼の半分の年齢のヒッピー娘とのそよ風のような心の触れ合いをうっとりしながら観ていたのであった。

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3月29日(月)
各所連絡でほぼ1日が終わる。湯浅さんと電話。昨年から機材がいくつも壊れ、仕入れ直したりして、いくつものステレオセットができたと。レコードを聴くのが楽しくて仕方ないという中学生みたいな話をした。久々に湯浅宅にレコードを聴きに行くことにする。


 
3月30日(火)
無駄に早く目が覚めて眠れなくなり起き上がったのだが、一日中眠くボーっとしていた。でもさまざまな連絡が飛び交う。とてもじゃないがついていけないのだが、ギリギリやらねばならないことはやったはず。気力体力が落ちてきて自分のペースでできないことはまったくできなくなってきているのだが、もちろん自分のペースでできないことから仕事は押し寄せてくるわけだから、自分のペースでしかできない仕事がどんどん追いやられて結局自分のペースもくそもなくなるわけである。1日、何をやっていたのかよくわからない。阿佐ヶ谷に散歩に活きつつ、例の「翠海」とは別のお気に入りの中華屋で、のっぴきならない事情によりふかひれあんかけ炒飯というのを食った。見かけ以上に優しい薄味で非常にありがたかった。

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3月31日(水)
2月と違って31日まであるのはありがたい。欲を言えばもう数日欲しい。だが数日増えても同じことを言っているに違いない。私くらいの年齢になると周囲の知り合いたちは金持ち貧乏にかかわりなくそれなりに時間の余裕もできて、自分のための時間を過ごしている気配が見える。気が付くと自分だけがいつまでもあれやこれやバタバタとしているような、そんな疑心暗鬼がむくむくと湧き上がるのだが、周りから見るとマイペースのご機嫌おやじに見えるのだろうか。いずれにしても、あまりにいろんなことが重なりすぎて、もう少しひとつのことに集中したいと切に願うばかりの日が続く。本日はお台場での1年2カ月ぶりの爆音映画祭開催の告知。本来なら2月に予定していたのだが緊急事態宣言のために延期、そして延びているうちに内容も変わり結局最後までバタバタした。だがメインビジュアルといい、上映ラインナップやイヴェントも、2カ月延びたおかげで新しい爆音映画祭を打ち出せるものになったと思う。自分の中でもすっきりとした気持ちで向き合える。個人的にはカネコアヤノ作品ができるのは今後の展開も含め、非常に楽しみ。そして同時期に話があったもうひとつの別のバンドともやり取りが始まり、次回はこちらのバンドの作品を上映することになるはず。という妄想が頭の上をくるくる回り始めるくらいにはわたしの身体も動き始めたということか。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。オンライン映画配信ウェブマガジン「GHOST STREAM」をオープン。