妄想映画日記 その114

樋口泰人による2021年3月11日~20日の日記です。実家への帰省、修理したカートリッジで聴くレコード、映画『アメリカン・ユートピア』(スパイク・リー監督)『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』(スー・ウィリアムズ監督)『犬は歌わない』(エルザ・クレムザー、レヴィン・ペーター監督)といった話題とともに、boidの新事業や新企画の話もちらほら。
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文=樋口泰人


3月11日(木)
どこで調子が狂ったのかやたらと眠い。しかし早起きは早起きなので、仕事部屋でうっかり寝てしまってもまだ午前中だったりするから驚くが、仕事が進むわけではない。ぼんやりしながら2日連続の渋谷。本日は迷わない。某所で青山と会い、今後の話など。ご機嫌老人の茶飲み話みたいなものなのだが。話題は火事と汽車。どこかで花開くことを願って。
帰宅後は湯浅湾の『脈』の発売記念ライヴのときに出演してもらったA VIRGINの昨年末にリリースされたアルバムを聴く。ジャケットとは裏腹のハードコア。もちろんジャンルとしてのハードコアではなく、音がガツンと硬いのだ。岩のような何かが足元にある。よく見ればジャケットだって思い切り不愛想で柔らかく変容しつつしかし変えようのない何かが写っている。ばかでかい音で聴きたい。テレビでは震災10年ということで、さまざまな報道がされている。

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3月12日(金)
ここにきて更に調子悪くほぼ廃人状態で、歯医者に行き、整骨院に行った。歯と腰は順調に回復している。ダメなのは主に目と耳と頭で、まあそれはいつものことなのだが、2日前くらいまでは特に問題なかったわけだから、気持ちの持ちようなのか。
夜は、青山から借りたジョセフ・ロージー『夕なぎ』。エリザベス・テイラー圧巻。こういうのに驚いてばかりいても仕方ないのだが、とはいえ驚くばかり。これを観たら『地獄の黙示録』のマーロン・ブランドなどおこちゃまでしかない、とか言いたくもなる。感情は映画には映らないと言われるが、まさにここに感情そのものがひとつの物体となって映し出されている。一瞬一瞬で大きく変貌するそれは、いみじくも「人生は記憶の産物」と言い放つ。一歩前のわたしは今のわたしとは違う。エリザベス・テイラーはどんな心構えでこの役を演じていたのか。そんな彼女に冷酷に対応するリチャード・バートンとの会話は、怪物と死神との対話という赴き。死神は、「人生には大波が岩に打ち付けるドーンという響きが時々聞こえてきて」みたいな話をするのだが、あああれはいったい何について話していたのか。すでに記憶の彼方である。大波打ち付ける岸壁に建てられた豪邸の陽光溢れる真っ白なテラスでふたりは闇の話ばかりをしていた。この映画は公開当時どんな受け取られ方をしたのだろうか?

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3月13日(土)
朝からすごい雨で当然調子悪いのだが、午後からはめちゃくちゃな雷が鳴り始める。猫も目を丸くしている。黒猫のほうはデスク下に避難して暗がりの中の影となっている。耳の調子も最悪でレコードを聴く気にもならなかったのだが試しにA VIRGINをかけてみたらこれがまた見事にはまって盛り上がる。鳴り響く雷の音も楽器の音のひとつとなり、足元から脳天へと突き抜けていく。ギリギリまでそぎ落とされたというよりも、単純に少ない音、少ない言葉の中で生きることを貫いているシンプルな強さが、聴く者の心を解きほぐすのだ。その後ロージー祭を続けようと思ったがひどく調子悪く挫折。

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3月14日(日)
山梨へ。母親からさすがにそろそろ来てほしいという要請もあり、4カ月ぶりの実家。しかし朝のデパ地下はすごいね。夕飯のおかずでも買ってと思っていたら、結構な人だかり。緊急事態宣言も有名無実ということか。いずれにしても腰は痛い。電車の座席は何とかならないのか。甲府から身延線に乗り換え地元の駅に近づくと乗客がどんどんいなくなり、数駅前からは乗客わたしひとり。完全にゴーストトレインの様相を帯びてくる。本当にまあこういった路線をまだ運営してくれてありがとう。駅前だってとうとう何もなくなって電話ボックスがひとつ。

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実家付近は天気も良く適当に暖かくてのんき極まりなし。JRの駅から30分ほど、実家まで歩こうと思ったが荷物があったので断念。母親は足腰はさらに弱ったが、内臓と脳は年齢なりにまだ順調、といったところ。もしかするとこのまま私より長生きするのでは? とさえ思えた。頼まれた買い物をしに大通りに出るのだが、もう店らしい店はないに等しい。近所のコンビニもなくなり、銀行も隣町へ、夏には農協も統合されてなくなるようだ。10年後、この町はどうなっているのだろうか。

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3月15日(月)
母の指令で信用金庫、銀行などを巡る。私用では役場へも。実家から2キロくらい離れた場所にあるので、地元の人たちは当然車で行くわけだが、こちらはもちろん歩き。上り下りがあるのと、とりあえず車がそこそこ走っているので、ぼんやりとよそ見しながらのんきに歩いているわけにはいかない。本当に体力があれば、そういうゆっくりな動きもできるんだろうけど。気が付くと結構一生懸命に歩いていて、その余裕のなさにちょっとしょんぼりする。それなりにきついときや焦っているときにも、どこかご機嫌でゆったり構えていられたらと思っているのだが、簡単ではない。とにかく用事は片付ける。しかし動けない老人たちは、ネットだってできるわけないし、こういった金の出し入れなど、今後どうやって行くのだろう。その他洗濯や布団干しなど。

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夜、帰宅。浅川さんから修理済みカートリッジが届いている。列車の椅子による腰痛やメニエルによるめまいも含め疲れてフラフラだったのだが、とにかく聴く。やはり緊急時代替用のカートリッジとは比べ物にならない。今回は単に修理ではなく、ほぼ新しい改造カートリッジにしてくれたのである。したがって、壊れる前の改造カートリッジとも格段の違い。浅川さんによれば「ピアノ線+鉛玉のバランサーの他、チップ土台の上に芥子粒大の鉛が接着してあります」とのこと。芥子粒大の鉛が見た目にかわいいのだが、とにかくそれぞれの音域が澄んで聴こえ、しかも力強く厚みも増している。このところ耳鳴りがちょっとひどくなり音を聴く気持ちが少し萎えていたのだがこれで俄然力が入る。グッドヴァイブレーションは体にもいい影響を及ぼすね。とはいえめちゃくちゃ疲れていて、倒れるように寝る。

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3月16日(火)
起きた時からめまい全開で、数カ月ぶりにめまい止めを飲む。ボーっとしながら各所に連絡、そして整骨院。骨盤のゆがみの話。とりあえずだいぶ楽になり、現状では万全の態勢で数カ月ぶりの試写。半蔵門の試写室まで、四ツ谷駅から歩く。とにかく体を動かさないとめまいはとれない。試写などもってのほかだが今日のは特別ゆえ。スパイク・リーが撮ったデヴィッド・バーン『アメリカン・ユートピア』。
ジョナサン・デミの『ストップ・メイキング・センス』の続きのようなステージものだが、デミは他界、トーキング・ヘッズの他のメンバーとは今はどうなんだろう、相当悪かったとは思うのだが。ちょっと寂しいが新しい仲間たちがいる。デヴィッド・バーンのライヴでもちろん語りの中心はデヴィッド・バーンなのだがその周りに集まった人々の声の映画でもあった。後半コーラスが分厚くなってその中からデヴィッド・バーンの声が浮かび上がってくる感じにドキドキした。
映画として作られた曲の構成に目を向けると、タイトルロゴの「UTOPIA」の文字がさかさまになっていることがすべてを表しているだろう。アメリカが掲げたユートピア、そしてユートピアになるはずだったアメリカ。それらが今はすべてそうならずそうならなかったアメリカをわれわれは生きるしかない。そのことへの怒りと、しかしそれゆえに更なるユートピアの夢はあるという希望。そのふたつの重なり合いの中からデヴィッド・バーンの声が聴こえてくるということになる。コーラスは怒りと希望の声でもある。この映画の曲の構成もこういった意図が反映されているのではないか。すでに発売されている『アメリカン・ユートピア』とは収録曲が違う。権利問題はじめさまざまな事情があるはずなので、そこに本当に意図が働いているかどうかは実際のところはわからないのだが、いずれにしても最後から2番目に演奏されるアルバム未収録曲のあのスネアのリズムが始まるとトーキング・ヘッズのファンは涙腺崩壊するんじゃないだろうか。
万全の態勢で臨んだ腰は、後半で悲鳴を上げて、体勢変えつつもぞもぞしっぱなし。帰宅する頃にはメニエルの具合もあって意識朦朧。夕食前に寝てしまった。

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『アメリカン・ユートピア』
5月7日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、渋谷シネクイント他全国ロードショー



3月17日(水)
とりあえずぐっすりと寝た。めまい止めの効果なんだろうけど。おかげでめまいもなくなり耳も意識もすっきり。ちょっと前に買ったのだけどいまひとつピンと来ていなかったフィオナ・アップルの昨年のアルバムを聴く。パーカッションの音の消えていく感じ、弱まっていく空気の振動のようなものが伝わってくる。部屋の中が小さな振動で満たされていく感じ。ジョン・ブライオンから離れてからは、音数が減って彼女のむき出しの声が良く聞こえるようにはなったのだけど、どこか寂しくもあった。だが、ああこういうことかと、消え入りそうな音を聴いて思った。まあ、寂しさには変わりはないんだけど。レコードだとDisc2に収録されている曲たちの柔らかな震えに身体が反応している。

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しかしそこそこ調子のいい日にはやらねばならないことが盛りだくさんで、各所連絡。マジで大変。いくつものプロジェクトが同時進行しているのでバラバラに飛び散りそうになる心を今ここにつなぎ留め、いくつもの別々のものがどこかでひとつの大きな動きになることを夢見る1日。夜は仕事がらみで『パラサイト 半地下の家族』をついに観た。いやもう本当に今更なんだけど。ゴージャス感は各所にあった。それは監督自身のゴージャス感でもあり韓国映画の今が持つ、例えばスタジオやスタッフの技術的な洗練ということにもつながるのかもしれない。無茶苦茶な映画だったけど、狂った人は出てこなかった。コントロール不能な人と言ったらいいか。ただ洪水シーンの俯瞰ショットで、逃げ惑う人々の周りを1、2メートルくらいの謎の水生生物の黒い影が水中を旋回しているのには笑った(わたしの見間違い???)。つまり監督が一番狂っているということになる。その意味ではカンヌはグランプリではなく監督賞を授与するべきだったのではないかと思った。それも含め妙にテンションが上がって眠れない。


 
3月18日(木)
体調は1日おきによくなったり悪くなったりという感じで昨日の奇妙なテンションの高さのおかげで本日はぐったり。地味に地味に。めまいを起こさぬよう。猫と日向ぼっこするがよいという連絡も来る。とはいえいくつかの約束もあり、新宿へ。わたしは酒が飲めないのでゴールデン街も2丁目もほぼまったくいったことはないのだが、本日は5丁目。この辺りは普通に人が住んでいる気配もする。オーディオユニオンはこんなところに引っ越していたのか。いやもうたぶん、だいぶ前に引っ越していて私が知らなかっただけか。天気も良かったのでぐるっと散歩をした。待ち合わせの喫茶店には猫もいた。写真を撮りたかったが妙に照れてしまいやめた。
帰宅後はクランプスで気分を上げてみた。ラックスが亡くなってもう何年たつだろう。

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その後、『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』オンライン試写。2014年の香港の雨傘運動のときに世界的にも注目された香港のアイドル、スーパースターという彼女のことを、わたしはほとんど知らなかった。とはいえ彼女の名前をタイトルにしたこの映画は、彼女を知るためのドキュメンタリーではなかった。かつて『アメリカン・ギャングスター』を観たJay-Zが「ここにいるのは自分だ」みたいなことを言って同名のコンセプトアルバムを作ったと、そんなエピソードがあったが、この映画を観た人たちはみな、ここにいるのは自分だと思うことになるだろう。「今日のステージを見て初めて彼女の孤独がわかった」というようなことをプロデューサーだったかが語る。そのときすでに、彼女はパッケージされたプロフェッショナルという衣装を脱ぎ捨てている。何も持たないただの個人、小さなひとりの人としてステージにいる。声は微妙に小さく、そして震え、涙が出ると歌えず、音程も揺れる。「歌えないからみんなも一緒に歌って」と、ステージ上のパフォーマンスではなくここにいる小さな人を助けてほしいと訴える。イギリスから中国へ返還されて以降の香港が抱える問題を巡る運動や活動のシーンが次々に流れ、そこにいる人々の表情や声が彼女の声とともに伝えられる。『バーフバリ』はインドの民衆の声が作り上げた夢の巨人とも言えるような、事実人々が「バーフバリ、バーフバリ」と唱えるとそこにバーフバリが現れるような構成になっていたと思うが、彼女の場合は夢の巨人ではなく単にそこにいる現実の小さな人のまま小さな人として、運動と活動の現場にいる。だから人々も彼女も大きな夢を語る必要がない。大きな国を夢見る必要もない。この小さなかけがえのなさだけを頼りに、その孤独とともに人々がつながっていく。信頼と愛が伝播する。そしてそこから生まれる言葉や歌は、これまでとは違う大きさを持つことになる。そんな映画だった。

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『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』
2021年6月、シアター・イメージフォーラムにて公開決定! 


 
3月19日(金)
久々のケヴィン・コインを聴きながらの事務作業、各所へ連絡、各所からの連絡であっという間に午後。ただ懸案事項には光が見え、前向きな気持ち。抱えているプロジェクトの話は公式に告知されないと書けないのだけど、光が見えた時はすぐにでも誰かに話したくなるね。毎日こうだといいのだけど。

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午後からはAmericoの大谷由美子さん、boidマガジンの編集者の黒岩がやってきて、大谷さんへのインタビュー。Voice Of Ghostの一大事業である配信ページ「Ghost Stream」にAmericoの最新動画(井手くんが監督)を載せるにあたって、Americo史を語ってもらうのである。これまでリリースしたディスクやテープそれぞれを年代順に。基本的な姿勢は一貫しているので大きな変化はないのだが、その間、世の中があまりに変化したために逆にこの一貫した姿勢が貴重なものとして見えてくるのではないか。そんな意味合いも込めてのインタビューである。動画は26日から配信開始、インタビューはたぶん4月に入ってからまとめて公開、ということになると思う。boidからAmericoのファースト・アルバムを出して、もう13年が経つ。
夜はオンライン試写のつもりでいたのだが、連絡事項多くてたどり着けず。

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3月20日(土)
最近はこの日記を翌日に書いているのだが、このところもう前日のことさえまともに思い出せない。昨日わたしはいったい何をしていたのか? 何を考えていたのか? でもさすがにうますぎる牡蠣を食ったことは忘れようがない。1年前のこのくらいの日記を読んでいただけたら、ああ、あの牡蠣だと思ってもらえるかもしれない。大分の海岸で自生する牡蠣を、boidマガジンにも連載している冨田翔子の義母が収穫して送ってくれたもの。昨年はチーズ事件というのが起きて、それは冨田さんの連載に詳しいが、今年は牡蠣飯がメイン。もう幸せすぎる時間であった。信じられないくらいの美味しさ。と、ここまで書いて思い出したのが、牡蠣飯のために出かけるまでは、現在制作中の工藤冬里さんのボックスセットの確認その他でバタバタしていたのだった。30年以上前の音をまとめて現在に差し出すわけだから、いろんなことが起こるしだから面白いしでも慎重に進めないといけない。わたしのようなうかつな人間には向かない作業なのだが、まあ、うかつだからこそできることもある。5月19日発売。

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夜は『犬は歌わない』オンライン試写。原題「SPACE DOGS」。宇宙犬ライカの話からスタートするモスクワの犬たちのドキュメンタリーなのだが、モスクワの犬たちに関する説明がない。ただこういう犬たちがいる、ということだけが、「まるでタルコフスキーが監督したディズニー映画」「別の惑星で撮ったような魅力的なビジュアルに満ちあふれている」という宣伝コメントのような画面の中に映し出される。それと60年代宇宙開発競争時代に実験に使われた犬たちのいくつもの記録映像。こちらも見知らぬ惑星で撮られた映像のようにも見える。一方、そこに映されている現実がある。そのふたつの落差。過去と未来と現在とがぐしゃぐしゃになり、「おいどうするんだよ」と犬たちが無言の視線を向ける。あの犬たちの目と猫の姿は観た人の心に一生傷を残すだろう。その傷跡から幽霊となった犬たちが現れ、街を徘徊する。そんな見えない犬たちをとらえた幽霊犬のドキュメンタリーのようでもあった。どこまで行っても決して物語化されえない、物質としての幽霊、永遠に消えない塊が、そこに映っていた。

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『犬は歌わない』 2021年6月よりシアター・イメージフォーラムほか全国ロードショー!



樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。3月末にオンライン映画配信ウェブマガジン「GHOST STREAM」をオープン。4月16日(金)~22日(木)に京都みなみ会館で「【boid sound映画祭】キング・オブ・カルト特集」、23日(金)~29日(木・祝)に「爆音映画祭 in ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場」が開催。