Television Freak 第61回

家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は現在放送中の連続ドラマから『俺の家の話』(TBS系)と『君と世界が終わる日に』(日本テレビ×Hulu共同製作)を、そして3月6日に放送されたドキュメンタリー『ザ・ヒューマン 止まらない男~噺家 柳家小三治』(NHK BS)を取り上げます。
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(写真:風元 正)


「ただ生きてるだけ」



文=風元 正


蓮實重彦の新書『見るレッスン』の、レース中の長距離ランナーにいきなり近寄って給水するが如き身振りの練達の口上にノセられてデヴィッド・ロウリー『さらば愛しきアウトロー』とケリー・ライカート『ライフ・ゴーズ・オン』を観た。どちらも唸る仕上がりの映画だったが、とりわけライカートのみずみずしい映像に魅かれた。アメリカ中西部のモンタナが舞台で、4人の女性がさまざまな不如意に振り回されながら日々を生き抜く姿をオムニバス形式で描き出す。トランプ元大統領を支持した州の物語と知れば興趣はより深まるとして、背景に映り込むロッキー山脈を擁する豊かな自然が、まったく人々の救いになっていない、というクールな視線に心が動いた。
必要あって『略称 連続射殺魔』を観た。永山則夫の生きた「風景」を追う足立正生・松田政男は、知らぬ間に「美しい日本の私」の自然を映し出してしまった。永山とロマン主義的に連帯しようとする心情が図らずも現れているわけだが、犯罪者の人権など無視される現在に至っては、責められないが甘い。ライカートの方は、アルツアイマーの老ミュージシャンから、一時流行った後はガラクタ扱いの地元の切り石を、うんざりする夫の制止を無視し無理矢理買おうとするジーナ(ミシェル・ウィリアムズ)の行動も見ても、自然美から距離を置くことが意図的な選択と知れる。川辺でジョギング中のジーナの横顔が画面にすっと現れる瞬間には身震いしたし、寂れゆく土地で暮らす普通の人々の映像でしか捉えられないごつごつした輝きが多彩なショットで捉えられている傑作。こんなリアリズム小説が読みたかった、と力を込めたらマイリー・メロイの小説が原作だった。

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(写真:風元 正)



『俺の家の話』は、宮藤官九郎脚本らしい多彩な技が繰り出されていて、論じようとすればフックはいくらでも出てくる。能の宗家に生まれた主人公の観山寿一(長瀬智也)は能とプロレスの間で悩むが、ロラン・バルトを持ち出すまでもなく、どちらも様式に従った動きを客に見せる点では同じで、「体幹」が2つの「芸道」の間を結んでいたりする。『カラマーゾフの兄弟』と家族構成が相似している読みも出ていて興味深いが、つまりは大家族の介護問題とリアルに向き合う物語であり、「老い」を明るく描いている点が素晴らしい。
増量してプロレスの試合を実際に演じ、コーナーから高々と飛ぶ長瀬智也の存在感は目覚ましい。「いただきます」が似合う長兄。「人間国宝」である偉大な父・観山寿三郎(西田敏行)が老いてゆく苦しみを感情豊かに演じていて、いちいち腑に落ちてしまう。芸養子の観山寿限無(桐谷健太)に、「俺、能よりプロレスが好きかも」と告白するシーンには爆笑してしまった。長瀬のように自然に年輪を重ねている俳優は稀有だろう。風呂の中で父親のたっぷり肉のついた身体と向き合うシーンは常にスリリングだが、いつか直面する現実である。最初は子供として、次には親として。現在のすべてをさらけ出す西田も凄みがあり、野菜の名前を思い出せないシーンなど真に迫っていた。
「謎の介護ヘルパー」志田さくらを演じる戸田恵梨香も、普段の彼女よりはシンプルな役柄なので、小悪魔的な誘惑者を自由奔放に伸び伸び愉しんで演じている。潤んだ大きな瞳に吸い込まれそう。寿一の息子・秀生(羽村仁成)の学習障害も能という救いが見いだされ、多動も「能死体」というLINEの記述で笑い飛ばされる。妹の長田舞を演じる江口のりこも芸達者だし、「このスープに命かけられるか」「ラーメンが好きじゃないからかな」と名言連発の自称ラッパー兼ラーメン屋O.S.D(秋山竜次)もいい味出している。「最後の家族旅行」というテーマは身につまされるが、「オーガニックコーヒー」を振る舞う農作業姿の田中みな実や常磐ハワイアンセンターで登場するスーパー銭湯グループ「潤 沢」のたかっし(阿部サダヲ)の作詞家名「なかにし“札”」など見所がテンコ盛りだが、どの家でも起こりうる身近な問題から離れない点に着目したい。長州力、武藤敬司などの異形の面々も笑いと涙で抱擁する、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』に連なるTBSホームドラマの王道に接するのは久々だ。
とはいえ、観山寿三郎に残されている時間はそう長くなく、やがて記憶も消えるだろう。重いテーマをどう語り切られるか、目が離せない。

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金曜ドラマ『俺の家の話』 TBS系 金曜よる10時放送



ある瞬間から世界が一変し、周囲が敵だらけになってしまう。『君と世界が終わる日に』の場合は、プロポーズ直前、トンネル滑落事故に遭って閉じ込められてしまった青年・間宮響(竹内涼真)が命からがら逃げ出したら街はゾンビだらけで、三浦半島を舞台にサバイバルの日々が始まる。災害やテロが日常化したからなのか、似た設定のドラマが増えている現象に考え込んでしまう。ある年齢に達すれば、実人生はサバゲーそっくりだし、社会はゾンビみたいな存在ばかりという諦念に至るが、若者ですらもリアリズムに徹しないと生き延びられない難所に差し掛かったのか。
もっとも、響は仲間を徹頭徹尾大切にする熱い男で、喘息の少女・三原結月(横溝菜帆)の薬を入手するために命を懸ける。同級生の警察官・等々力比呂(笠松将)が弱者を切り捨てても一刻も早くゾンビから逃げようとする際、いつも対立する。仲間はどんどん脱落し、ゾンビ化したら殺さなければならず、「何が正しいのか分からない」ところまで追い込まれてしまう。しかし、離れ離れになった最愛の人である研修医・小笠原来美(中条あやみ)との再会だけは常に可能性を探り、別行動も辞さない。
特徴的なのは、「ゴーレム」になってしまった存在と平然と縁を切れず、苦境に陥る登場人物が多いことだ。ショッピングモールで出会った女優・中越美亜(芳根京子)も、平然とスパイになることはできるが、ソンビ化したかつての恋人を捨てることはできずに死を選ぶ。来美も、自分のせいでゾンビに噛まれた少女を殺した男に復讐を誓う。仲間のユン・ミンジュン(キム・ジェヒョン)がゾンビ化しても同じ反応。ゾンビとの戦いより、生き残りの人間同士の内ゲバの方が主眼になってゆく傾向が日本的と思える。
「ゴーレムウィルス」を開発しようとする研究者・首藤公貴(滝藤賢一)の狂気は進み、弟のミンジュンと別れてまで研究に献身するユン・ジアン(玄理)も裏切り、特殊な遺伝子を持つ来美に未来を託そうとするが、彼女は響が必死で自分を探していることを知らない。響の母を巡る首藤との因縁が物語を大きく動かし、絶望的な状況に光が見える望みが少しだけ感じられる。逃げ延びた先の猿ノ島で出会った首藤の元部下・御前崎(宇野祥平)が何を知っているのかも気になる。響たちを「テロリスト」と呼ぶ駐屯地の自衛隊の武力にもどう対抗するか、お互いを「許せない」、敵が敵を呼ぶ展開を毎週見ながら、心情はシンクロしている。

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日本テレビ×Hulu共同製作ドラマ『君と世界が終わる日に』 
Season1は日本テレビ系 日曜よる10時30分放送
Season2はHuluにて3月21日(日)より配信開始



『ザ・ヒューマン 止まらない男~噺家 柳家小三治』は2020年冬から21年頭の「人間国宝」のドキュメンタリー。80歳になってパンデミックに直面し、頸椎の痛みやリューマチに苦しみながら、しばらく休まざるを得なかった高座に再び上がる。カンが鈍り、口癖のように「大丈夫かな、できるかな」とぼやく。旅は負担だし、起居もままならないが、疎開先だった第二の故郷・仙台では俄かに生色を取り戻し、「生きてましたね」というマクラから始める。つい、涙腺が緩む。
「一生懸命やれたからよかった」と歓び、たくさんのスタッフに挨拶する師匠の後ろ姿。つまらなそうな顔をしているが、落語でも何気ない日常の一言でも突き抜けた笑いを誘う名人であり、媚は一切ない。カメラを入れるのも、勇気が要ったことだろう。新年の高座での一言「長い目で見てこういう年はめったにある年じゃありませんから、じっくりと味わってお過ごし頂きたい」は、誰でも口にできる境地ではない。
「粗忽長屋」のサワリが出てきたが、やはり至芸。「やっぱりお客さんがいなくちゃ」というご尊顔はずいぶん元気を取り戻していて、高座に上ることで衰えを別の力に変えてゆく。「今やれることをやっている。だけどやれることは何かというと、やりたいことをやろうとしている」「ただ生きてるだけだよ。見てて分かったろう」と名言の宝庫なのはいつものこと。いつまでも高座に上がり続けて頂きたい。




コロナ禍の日々、いつの間にか筋力が落ち、ついに長時間走るのが無理になって20年ぶりに泳ぐことにした。初日、まずゴーグルのゴムがぶち切れてブランクを悟り、25m泳ぐのでやっと。2回目はなんとか50m続いたが、マスクをして水に入って呼吸ができずパニくったり、妻に「しっかりしたら」とせせら笑われてしまった。にしても、前総理から目立つ政治家の「しっかりと」という言葉は気に障る。「想定外」の流行が収まったらまだ妙な言葉が跋扈して、都知事も「ギアを上げる」とか似たような語法の徒だが、いかに形容詞的な表現で事態を動かそうとしても、具体は伴わず現実を変える力は持たない。どんなにいい加減でも、「しっかり」やってます、と返されればどうにもならない。
「鬼畜米英」とか「欲しがりません勝つまでは」みたいな七五調のスローガンも同じことで、狙いは雰囲気作りだけ。戦中は連合軍側との圧倒的な戦力差をゴマかすために仕方ないか、と受け取っていたが、では、今は何が事実に基づいた表現の邪魔をしているのか。「令和」はどちらの漢字も形容詞で動詞がないから危うい、と見抜いた古井由吉の慧眼が懐かしい。小林秀雄ならば「美しい花がある。花の美しさなどという様なものはない」と喝破するところだろうが、大先生の表現もポエティック過ぎて伝わらない。
言葉の乱れは国の乱れ。名詞と動詞が備わる科学的精神に則った日本語で社会が運用される日が来るのだろうか。戦中と変化なしがわが国の定めならくたびれるけれど、いやしかし、小三治師匠も頑張っているし、長瀬智也もいる。

 雪解けや名人帰る山河あり


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(写真:風元 正)


風元正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。