Television Freak 第58回

家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は現在放送中の連続ドラマから『麒麟がくる』(NHK)と『猫』(テレビ東京系)、そしてドキュメンタリー番組『レギュラー番組への道 まいにち 養老先生、ときどき まる』(NHK BSプレミアム)を取り上げます。
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(撮影:風元正)


麒麟と猫と人間と


 
文=風元  正


縁あって第50回「高見順賞贈呈式・終了の会」に出席した。ご存じかどうか、高見順夫人・秋子さんが夫の死後、印税により詩人を顕彰する文学賞を設立したいと発意し、思潮社が事務局となって1971年が第1回。以来50年、詩人たちの目標であり続けてきたが、何より重要なのは11回目で思潮社が降りてから、出版社、自治体、国などの助けを一切受けずに賞を運営してきたことだ。候補作の選出から祝賀会の開催まで、煩雑な仕事を事務局の川島かほるさんを中心に詩人たちが担ってきた。資本主義にソッポを向く詩壇らしい姿勢であり、基本は手弁当だから頭が下がる。
11月30日、コロナの感染者が急増した夜、着席でみなマスクをして集まり、佐々木幹郎氏の司会、吉増剛造・公益財団法人高見順文学振興会代表の挨拶を皮切りに、会はしめやかに進められた。江代充氏の詩集『切抜帳』が受賞作で、故・高見順の声も響き、「終了の会」としての挨拶もあり、含蓄の深い話が続く。寂寥感がこみ上げてきたのは、かつては一緒に温泉旅行へ行ったことのある敬愛する詩人と、20年ぶりくらいに言葉を交わした瞬間だった。高見賞がなくなれば、この人と会う機会は、たぶん、もう、ないかもしれない。かつてはそこここで賑やかな催しがあった記憶があるが、詩壇ではいつの間にか消滅したし、小説の方も追って似た状況になっている。松浦寿輝氏が《友愛の共同体》という言葉で形容した、仕事がらみでなく何となく世間噺をするような文学の関係性の場が失われてゆく。ああ、そういうことかと合点しながら、さほど呑まずに帰宅した。
幸い、詩の世界は最近、若手がどんどん出てきて活況を呈している。物書きのバブルも終わり、詩人はかえって強いかもしれない。バウスシアターがなくなった夜、もう爆音は……と落胆したのも今は昔で、各地にYCAMのような強固な拠点が生まれているのだから、未来どうなるかわからないとして、詩壇に開いた穴ぼこをすぐ塞ぐのはむずかしい。人には心して会っておこう。
 
 朝焼けや乳房が美しいとはかぎらない
 美が第一とはかぎらない
 全音楽はウソッぱちだ!
 ああ、なによりも、花という、花を閉鎖して、転落することだ!
 
 (吉増剛造「朝狂って」より 第1回高見順賞受賞作『黄金詩篇』所収)


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(撮影:風元正)


 
『麒麟がくる』は、中世史の最新成果をドラマに取り入れた意欲作である。本能寺の変の主役として知られるものの来歴に謎の多い明智光秀(長谷川博己)を主人公に据えたのも大胆で、織田信長(染谷将太)の天下取りが本格化してドラマが俄然熱を帯びてきた。長谷川43歳、染谷28歳。光秀の年齢に諸説あるとしても史実に寄せていて、2人の関係性には真実味がある。
光秀は油売りから一代で成り上がった「美濃の蝮」斎藤道三に仕え、鉄砲に魅せられて新時代の潮流に開眼する。第14回「聖徳寺の会見」では「信長公記」に記載されている名高い会見が描かれ、斎藤道三(本木雅弘)は、初めて対面する娘・帰蝶(川口春奈)の夫・信長が約束の一宮の聖徳寺へ向かう道中を光秀と物陰で偵察していた。袴をはかず、荒縄を巻いて、茶筅髷を結い馬に乗る「うつけ者」だが、連れてきた7~800人の軍勢は、槍と弓と鉄砲で武装し、整然と行進している。威令が行届いた軍勢に度肝を抜かれた2人だったが、寺で時間をかけて正装した信長はひたすら帰蝶の話題を続け、政略結婚は上手くいっていると遠回しに伝えることに終始した。染谷の演技は、信長の自信と怯えや、抜け目ない観察眼、魂胆を見せない芝居気、そして狂気と呼ぶほかない激情を余すところなく表現していて見事である。叩き上げの道三と光秀は器量の大きさに感服するが、奇抜な表し方に面くらう方が多数派であり、道三の息子・斎藤高政(伊藤英明)がその急先鋒となって父子相克の悲劇を生む。本木が晴れやかに演じた道三の崇高な死は忘れがたい。
戦いは鉄砲の数が決め、国際都市・堺が栄えて、アジールである寺社も武力と富を蓄え、キリスト教が伝来する時代。各地の「守護大名」がばらばらに覇を競い、新興階級が勃興する「下剋上」の世に、長い治世で手足となる自らの兵を失った足利将軍家は対応できない。グローバルな視野が求められる中、道三由来の「大きな世」という観念に目覚めている苦労人の秀才肌の光秀と天才肌の信長。光秀はいつも熱っぽく正確な指針を指し示すが、「天下人」の器たる信長には俗世間の常識は通用しない。
第31回「逃げよ信長」では、越前の朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)を攻めて連戦連勝だったが、同盟を結び信長の妹・お市(井本彩花)を嫁がせていた浅井長政(金井浩人)が突然裏切り、背後から挟み撃ちを狙う。光秀は信長に情勢を伝え撤退を説くが、帝に武勇を誉められたから逃げられぬと吠える信長はあくまで攻め込むと主張し、光秀を蹴散らす。「天下静謐という大任を果たせるまで、何としても生きていただかなければなりませぬ! 織田信長は死んではならんのです!」と絶叫する光秀。信長は部屋でひとりになって懊悩し、浮かれる諸将に主の野太い唸り声が届く。信長と周囲の人間の深い溝を示す印象的なシーンだった。
勝手な印象だが、染谷の演技は能的で、長谷川は新劇調。御簾の中で信長を操る正親町天皇(坂東玉三郎)は歌舞伎調でこの世離れした美しい雲上人。主要登場人物のすべてに生死を分かつ見せ場があり群像劇として、さまざまなタイプの人と演技が堪能できる贅沢なドラマである。木下藤吉郎(佐々木蔵之介)も「猿」らしい活躍が目覚ましい。細部を語ればキリがない。
滅びゆく足利家の第13代将軍・義輝(向井理)の青年将校風な最期も印象的だったが、その弟である室町幕府の最後の将軍・義昭(滝藤賢一)が僧侶・覚慶の頃から描かれているのは興趣深い。出家者として戦乱の世の虚無と荒廃を知りながら還俗し、信長・光秀とともに上洛を果たし、「ただ死にたくないだけ」から権力者の風貌に少しずつ変わってゆく。
第35回「義昭、まよいの中で」の滝藤の演技は迫真だった。貧しき民を救いたい義昭は、好きで「勝って皆の喜ぶ顔を見たい」信長とは性が合わない。片岡鶴太郎が怪しさ満点で演じる足利家代々の家臣・摂津晴門が、信長を田舎者扱いして排除を試みる陰謀も止められず、将軍の座にありながら何も思う通りにならぬ鬱憤を駒(門脇麦)相手に爆発させる。もはや、僧侶の悟りの面影は消えた。そもそも光秀は信長と義昭の双方の家臣であり、義輝との縁がなければ打って出ることもなかった。その因縁が大造反劇を生んだのか。
戦国時代に天皇、足利将軍家、公家、寺社、町衆がどういう機能を果たしているかを有機的に見渡すドラマを初めてみた。どんな世でも戦争ばかりしているわけではなく、むしろ平時の方が長い。近衛前久(本郷奏多)も暗躍していて、近衛文麿や細川護熙の内閣を否応なく思い出した。さて、この乱世、幕末、そして2020年の今に何となく似ている気がしないか。ドラマを鏡として使って、自分自身の立ち位置を定めてみる。さて、幻の聖なる生き物「麒麟」ははたして出現するのか?
 
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大河ドラマ『麒麟がくる』 NHK総合 日曜よる8時放送
 
 

『猫』はYouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で、あいみょんが作詞作曲を担当し、DISH//(北村匠海)が歌う「猫」を原案にしたドラマである。脳に腫瘍があって医者より余命宣告を受けて、明日死ぬかも知れない金子みねこ(小西桜子)と、その日暮らしで野良猫のように生きてきたフリーター天音光司(前田旺志郎)が一匹の“猫”をきっかけに出会い、カップルとなる。港町で2人が暮らすだけで成り立たせるミニマムな形式に惹かれる。あ、「まるいち」知ってるぞ、とか魚屋の主人(渋川清彦)を眺めながら、自主映画風なアート性とは違う開かれた表現スタイルで、やはり地上波テレビの連続ドラマだと思う。
迷い猫を見つけて5000円の報酬を得ようと必死の光司は、ベンチに座るみねこが抱く猫を制止も聞かず飼い主に「見つけた」と報告し、あっさりと否定される。「君、余裕ないんだ」とみねこに笑われ、ご飯を奢って貰う。そして、みねこは親に内緒で大学を辞めたせいで行き場のない光司に、毎日仕事にゆくバス停への送り迎えと、夕食をいつも一緒に食べることを条件に同居を許す。軽やかで自然な導入が好ましい。
「いつもと同じ帰り道」を通して恋が始まるわけなのだが、いや、実は、物語についてこれ以上、何か書く気がしなくなってしまった。ひとつの事件により一変する2人の暮らしがどうなるのか、配信等もあるし、興味がある方はぜひ見て頂きたい。それくらい、びっくりしたし、心打たれた。最小限の人間関係しかないカップルが主人公だから可能となる展開である。
人気のない三崎の町を舞台に、海、空、港、猫、古びた街並みという夾雑物が限られた背景で⒉人の挙措を丁寧に撮ることにより、ピュアでプレーンな小西桜子と前向きな真摯さが際立つ前田旺志郎の切ない演技が輝く。路線バスに乗ってはしゃぐ2人の描写も楽しい。遠くない未来に死という別れが来る、という設定は若い俳優の資質を生かすらしい。どこかで感染症が大流行する現況も影を落としている印象も受ける。DISH//の歌も耳に残るし、不思議な魅力を備えたドラマである。
 
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ドラマ25『猫』 テレビ東京系 最終話12月18日(金)深夜0時52分放送


 
『レギュラー番組への道 まいにち 養老先生、ときどき まる』は、83歳になった解剖学者の日常を垣間見せてくれる番組。母の女医・静江さんが95歳まで生きていたし、まだまだ、と思っていたところ心筋梗塞を患われてひやっとした。ICUのベッドで、テレビのモニターにお地蔵さんが5人くらい並んでいる幻覚を見て、地味な“お迎え”が来たと気づいた。ついてゆけば戻れなかったが、道に迷ったらしい。
虫仲間とズームで対話し、安国論寺や由比ガ浜を散歩する。さすがに足元は覚束ないが、今時、ここまでちゃんと老いている人は珍しい。飼い猫のまるも18歳で、どちらもこの世ならぬ存在感がある。自分には至れぬ境地であると知りつつ、鎌倉で日々小さなゾウムシの分類をしながら、自然と文明について考え抜く暮らしをしている人がいることに、深く励まされている。
養老先生の「脳化社会」という考え方には感化された。人体は常時細胞が入れ替わり同じ状態であることはないが、脳を経て「情報」になれば動かない。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)。「頭の中で「俺は俺だ」と頑張っても体を見てる限り変わっていっちゃう」。“無常観”の表明だが、ナンセンス側に寄るのではなく、万物流転を受け入れるススメである。しかし、それが難しい。まず、サンドウィッチマンの漫才のタイミングを愛さなければならないらしい。
穏やかに見えるが、激しい気性と怒りを裡に秘めていて、ひょっと顔を出すことがある。生涯の中で、全共闘の学生との対立は大きな出来事であり、密かに元・東大闘争全学共闘会議代表で科学史家の山本義隆と並べて考えてみることがある。すると、どうしても山本の「正義」に付くことができない自分がいる。
まるの病気に真に狼狽していたが、とりあえず無事でほっとした。いつどうなるかわからぬ日々だが、心の底から長生きして欲しいと思う。「いつまでもつか?」。もちろん、私自身も同じことだけれど。


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 (撮影:風元正)



JRAが盛り上がっている。とりわけ、アーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトの3冠馬対決は「100年に1度」というフレコミだった。しかし、一番人気ばかり勝って予想する方としてはアヤがほとんどなくて困り物である。カレンブーケドール、何とかならなかったか(笑)。近年は外国人の超一流騎手の腕比べが見所だった競馬がC・ルメール騎手1強となり、レース内容が寂しくなったとボヤキたくなるが、馬券の売れ行きは極めて好調でむしろ無観客の方がいい。楽天競馬で買える地方競馬も順調らしく、コロナ禍を福とした珍しい業界だ。国庫や地方公共団体への税金納入という至上命題ゆえ歯を食いしばって興行を続け、人も馬も一杯一杯ながら頑張れる理由は、JRAを筆頭にしたネット投票への大量の投資である。寂しいけれど、現状ならリアル観戦は不要のようだ。
感染者が増えて、ワイドショーはまた同じような面々が展望のない話を繰り返していてさすがに飽きた。諸外国の情報も減り、概してTV番組が単調になった印象は拭えない。10年選手のバラエティー番組『火曜サプライズ』は「アポなしグルメ旅」が感染対策によりお店が突然の取材に応じるのが難しくなった影響で打ち切りとなった。大好きな徳さんの『路線バスで寄り道の旅』がどうなるかも心配になる。
かなりバツが悪かったものの、家族で1泊の温泉旅行に行ってきた。電車は指定席が満員で自由席はガラガラ。旅館は一杯だが街はやや閑散としている感じで、そぞろ歩いても何となくぐったりした。人の移動や混雑を前提とした業界への影響を体感する。撮影現場はさぞかし大変だろう。
こちらもウィルスの存在には慣れたが、意識の高さを目指す社会には到底馴染めそうにもない。不穏な空気が充満する世間に生きる日々が続く。しかし、再会した件の詩人に自分の年齢をアラ還と伝えたら、「まだ人間じゃないよ」と憫笑された。ここは「人間」になるまで何とかやり過ごし、マスクなしで再会したいものだ。
 
 行く年や昭和の酒はほの甘し


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(撮影:風元正)


風元正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。