宝ヶ池の沈まぬ亀 第51回

10月23日(金)から監督最新作『空に住む』が公開される青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第51回は、2週間以上に及んだ入院生活(詳細は前回参照)の後、退院翌日から始まる2020年8月末~9月の日記。入院中に計画した通り、毎朝のお粥炊きと自転車漕ぎ、昼は読書、夜はジョン・フォード作品他の映画鑑賞というルーティンを実行しつつ、ギターをメンテナンスに出し、久しぶりの映画館で『ヴィタリナ』(ペドロ・コスタ監督)や『幸せへのまわり道』(マリエル・ヘラー監督)を観たことなどが記録されています。
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『空に住む』 2020年10月23日(金)全国ロードショー 



51、「走行中は交通安全とタイヤの空気圧のことしか頭にないですね、ホント」



文=青山真治


某日、新たな一日。5時起床。上天気。5時半お粥炊き始め。徒歩10分。三日分の食料購入。バナナ食す。6時40分お粥炊き上がり。朝餉。美味いお粥、コンビニの筑前煮半分とサラダ、納豆卵、アオサ味噌汁。沁みる。女優の手によるお茶を流し込んで7時30分。仕事開始は8時か。このペースで行こう。本日は初日につき8時30分にかかりつけ病院に出向くため通常営業とはいかず。前夜は遅くまで石川淳未読作品探してAmazonを彷徨う。全集収録のみの『義貞記』が最大の標的。病院は問題なし。大坂なおみ、棄権撤回準決勝を制す。あの野郎辞任についてなんの感想もないのは誰もが思う通りあの野郎がいなくなったところであいつらは何も変わらずこの国も変わらずだから。しかしこちらも何も諦めていない。11時に血糖測定。ところが針を射つショットペンシルが見当たらず、再度病院へ行くも手持ちがないと。止む無くインスリン用の針を代用。しかし結果は62と過去最低値。迷っていると病院から電話。サンプルがあった。再びいただきに上がり、再測定の結果131と平常値。やはりうまく出来ている。
視界に常に動くものがいる。犬、というかぱるるである。この幸せを久しぶりに噛みしめている。私が長く不在だったことなどおくびにも出さず、いつもニコニコ近づいてくれる。すでに彼女は夏の定番「お水遊び」に夢中である。
昨日、そんなに暑くないなどと言ったが、それは静岡の話で、東京はやはりかなり暑い。というわけで相変わらずエアコンの中で昼食。できるだけ「病院食」に寄せた献立作り。
午後は長々と軽い低血糖に悩まされ、午後4時になってようやく自転車屋へ行き、タイヤに空気を入れてもらう。帰りに今晩と明日のおかずを贖う。夕方はNHKナベツネのインタビュー番組。好き嫌いはべつにしてやはり大変な男であることは確かだ。で、低血糖かと苦しんでも測ってみれば119あったりするのでよく分からない。斎藤Pからの宿題を終わらせてから夕餉。鮭、南瓜、サラダ、しらす。何より朝炊いたお粥一合が夕餉までじゅうぶん持つのが嬉しい。夜はテレビを見て過ごす。昨日以降のそれなりの疲労。女優は明日友人が来るため夜更けまで大掃除に余念がなかったが、こっちはさっさと就寝。
 
某日、お粥炊き、血糖測定、バナナ、自転車往復20分、シャワー。ここまでほぼ1時間。有効なり。ジムの自転車と違い、ハンドルさばきで上半身も頻繁に使うため、両腕や胸などの訓練にもなる。今夜は女優の友人が来てナントカGnuのライヴ配信をうちで見てその後一泊ということで朝から大掃除。私は淡々と「病院食」に可能な限り似せたお粥メインの朝餉をいただく。その後、女優は仕事へ。こちらは目黒のニトリへ赴き、机と座椅子を新たなオフィスとして購入。届くのは一週間後。昼食後、リビングに広げた店を一旦寝室へ逃がす作業。ここで女優はその体力の底知れなさを露わにし、病み上がりのダメ亭主を震撼させることになるのだが、途中で仕事を放棄し寝室に座り込んでその女優の活躍を呆然と眺めるばかりのダメ亭主はそのまま入院中に届いた文芸誌の、しかるべき連載を暗くなるまで読み続けるのだった。夕餉前に友人到着、配信をテレビ画面に出すのに難航したが、解決。三人で夕食を摂り、ダメ亭主は寝室へ退散、さらに文芸誌、『リオ・グランデの砦』のシーンを思い出して涙腺を緩ませつつ、随分見直していない『コレヒドール戦記』をいま一度、と心に誓った。そのために地下から3階までモニターとプレイヤーを運び上げた次第。病み上がりでもフォードのためなら何のその・・・いやいや、大変に疲れた。
ライヴ配信が始まり、二人が嬌声を上げて大盛り上がりする中、ふと窓外を見ると病院での最後の夜以来の月が美しく中空に舞い踊っていた。終わってから使用していたHDMIケーブルを譲り受け、早速『コレヒドール戦記』を。ドナ・リード、素晴らしい。何度でも見たい。むしろ今年後半はフォードとウォルシュだけ見続けてもいいかもしれない。
 
某日、お粥炊き・自転車・シャワー・血糖・インスリン・朝食。昨夜寝る前から読んでいた漫画(斎藤Pの紹介)全三巻を読了。悪くないが少なくともいまの私向きではない。杉山から電話。奴の入院は三泊四日ほどだったと。ともあれ同病相憐む、文字通り。
仕事場を移して宝の山(本とDVD)に囲まれるとつい目移りし入院中に立てた計画が揺らぐ。そんなことではいかん。女優の淹れたお茶を飲み、気を引き締める。
陽のあるうちはちょっとスーパーでの買い物を挟んでずっと谷崎文と向き合う。いわゆる写経。以前から細々やってきたことの続き。不意に現れる教養と暴力の魔。
夕餉前までやって晩に見るDVDをみつくろうのだが、其処へ注文してあったアイダ・ルピノが早くも届き、面食らう。本日はフォードの命日につき、未見の初期作品など見ようとしていたのだが。そう、初志貫徹。うちにある未見のフォードで最古のもの、28年の『血涙の志士』。原題Hangman’s House。馬とロバ。あるときはThe Quiet Man、あるときはThe Informer、ラストはRebeccaの如し。いったいこの人の頭の中はどうなってるんだか、知れば知るほどどんどんわからなくなっていく。いい加減といえばいい加減なプロットだが、それが何だって云うのか。そんなこと気にしながら映画見る奴なんかいないとさえ云いたげである。そんなわけで、今日からうちにある未見のフォードを一晩2本ずつ、全部見ていこうと思う。フォード強化月間である。さて、今夜の2本目は30年の『最後の一人』。原題はMen Without Women。冒頭20分ほど延々と上海のバーでの水兵と酌婦たちのやりとり。ある踊り子が踊り終わるとスカートの裾を持ち上げて袋状にし、水兵たちが其処へコインを投げ入れる。云うまでもなくHow Green Was My Valleyの原型であり、やがてEl Surへと至る仕草である。其処からあとは水兵たちが艦への酒の持ち込みにひたすら失敗する描写を経て、事故を起こした潜水艦でいかに生き残るかと云う壮絶な状況が展開するのだが、同時にかつてスパイ戦に巻き込まれて乗った駆逐艦もろとも乗員全てを死なせてしまったクォーターメインなる将校の秘密が絡んでくる。ダブルプロットのこのサスペンスはいかにもダドリー・ニコルズの脚本だが、フォードは例によってそれを極めて雑に、しかしひたすらテンポよく撮っていく。73分、テンポ命である。皆さんいろいろ見ていろいろ感想を述べるのはご自由だが、30代のフォードが史上最強であることは変わらない。なぜかなど考えることさえ無駄である。ゆえに私はひたすら楽しむ。
ちなみにラストあたりで戸外では雨が降り始めた。屋根がバタバタ。朝までには止む予報。
 
某日、雨上がり、いつも通りの朝メニュー。バナナ買い忘れエネルギーが足らず少し息切れ気味。しかしとうとう九月になり涼しい日が訪れてしまった。もちろんまだ油断はならん。午前中は谷崎写経続き。文庫版であと十ページまで到達。昼飯後、とうとう巨大箱「Ford At Fox」を地下から掘り出してきた。ほぼ見ているが確認。
・・・何だか知らないが入院中でさえ見ていたテレビに全く興味を失くした。お粥と自転車と読書と写経とフォードとウォルシュ、これらによって一日は完璧な形で費やされ、これこそ望んでいた生活である。本日の午後は読書。映画化を目指しているのでタイトルは明かせず。いまのところまだ本題に入っていない。
夕餉後、今夜のフォード、まだあった発掘未見28年物『四人の息子』。ジャック・ペニックはこの2年前『青鷲』というフォード作品(未見)がデビューらしいが、それから60年代まで全部ではないにしろ数多くのフォード作品に端役で出ている。相貌物凄き怪優、故に一度見たら忘れない。本作は『プライベート・ライアン』の元ネタとして有名らしいが、端的に言ってド傑作である。それはバヴァリアの郵便屋を捉えたヨリの1ショットで開巻することでも分かる。これ一発で筋書きが分るが、全ての描写はその分ったことを超えていく。例えば霧に包まれた戦場で母を呼ぶ敵国兵の声に近づいていく長い移動ショットの驚異的美しさ。スピルバーグがしょっちゅう真似して最近ようやく板について来た手法。このDVD、後半など特に画像の劣化がひどいが全く問題にならなかった。
続いて30年『悪に咲く華』。原題Born Reckless。『最後の一人』に続いてダドリー・ニコルズとのコンビ二作目はどこか「昭和残俠伝」シリーズを思わせるギャング映画。主役のエドマンド・ロウがそういう空気を持っている。そしてジャック・ペニックも、ついでにワード・ボンドも登場する。この強化月間、二人をあと何度見ることになるだろう。冒頭の宝石強盗から戦場の野球シーン、続いて騎馬シーンから突如戦勝パレードになって故郷ニューヨークに戻る。そして二年後、ナイトクラブでの見事なダンスシーンに見事なコーラスをつけるのは戦友たち。もちろんいろんな意味でこれがウォルシュ的な題材であることは分るが、これもまたフォード的デタラメな展開で、普通とは逆の意味で安心して見ていられた。
本日の二作、一本目の後半にエリス島が出てくるし、二本目はモロにイタリア系の話ゆえにどうしてもコッポラを思い出すが、この頃彼はまだ生れてすらいないのだった。
 
某日、退院が金曜でこのリハビリ・プログラム四日目、早くも若干の疲労を感じるようになるが、こんなことではいかん、と休日を作ろうとする自分の脆弱を戒める。ゼエゼエ言ってるうちに落ち着くだろう。午前は谷崎写経ひと段落。次に何をやるか検討し、荷風と志賀が候補、さらに翻訳関係まで導入するが、当分午前は読書に充てるべく、写経は休み。
昼食後、明日出す大量の資源ゴミをまとめ、粗大ゴミを申し込む。ヘトヘトに疲れる。
だが写経ラストスパート。激しい雷雨が来てやがて過ぎ去り、遂に大団円。近代日本文学の最高峰としか言いようがない。長い時間かけて熟読しつつの写経、つくづく勉強になった。
今夜のフォード一本目は『河上の別荘』(30)。ウォーレン・ハイマーという役者がいる。すごい売れっ子だったがコロンビア社長ハリー・コーンのオフィスをぶっ壊し、デスクに小便したためキャリアは崩壊、48年に胃をぶっ壊して40代で死んだ。たぶん飲み過ぎ。『最後の一人』にも『悪に咲く華』にも出ていた。唇がちょっと曲がったちょっとおバカを得意とする個性的な俳優。ビル・フォーサイスに似ている。ボギーとスペンサー・トレイシーと共演して一歩も引けを取らない。惜しい人を失くした。で、これにはワード・ボンドは出ているがジャック・ペニックは出ていない。相変わらずいい加減だがいい映画。剛腕投手として知られるトレイシーは昔サーカスで覚えたナイフは投げるが、ラストの野球試合では一球も投げずに終わる。で、まさかウォーレン・ハイマーがキャッチャーだったとは。ちっともスリリングでないナイフ投げでナイフを投げつけられるのはハイマーなのだ。まあその辺もデタラメといえばデタラメ魅力満載なのだけれど。原題Up the River。
二本目は『海の底』(31)。ダドリー・ニコルズ脚本三本目。突飛に暴力的なウォーレン・ハイマー四本目。原題Seas Beneath。カナリア諸島近海が舞台。どうもフォードは潜水艦や船の中を描くとき演劇的というか舞台芸術的なアプローチを求める気がする。もちろん登場人物はMen Without Womenだがこの場合のように紅一点の例外もある。帆船上のカモフラージュ的な水兵たちの「演技」は『ファイヤーフォックス』の北極圏での給油を思い出させるが、このときイーストウッドはまだ一歳である。紅一点を見送るジョージ・オブライエンの辛気臭い顔が大変良い。そして今日はジャック・ペニックを見ることはなかった。
そういえば昨日読み始めた本を企画リストから外した。エピソードがない分にはこちらでどうにかできるのだが核となる思想のようなものがないと取りつく島がない。ガチガチの思想もごめんだが、ないと映画化の指針を見失う。例えばそれは「飼い猫の死より悲しいことはない」だけでじゅうぶんなのだ。そういうとき「家族愛」みたいなことは当たり前すぎてよほど強力でなければあてにできない。フォードははっきりと「家族より大切なもの」の存在を描いている。それが何であるかはその都度違っていても明らかなのは疑似であれ何であれ「家族」だけでは話にならん、ということである。
 
某日、暗いうちに降った雨も止み、朝メニュー。本日は資源ゴミ出しも加わる。それでも大体5時半起床で8時には片付く。一つ企画を捨て新たに増やした。オリジナルだが、原作があるとも言える変則的作り。午前は読書。歴史小説は読まないが歴史関連本は趣味で読むのはご存知の通りだが、やはりうまい人とそうでない人がいて、これはそうでない派。しかし主要人物に興味があるので読む。昼食後、外へ出ると激しい驟雨。傘を持って出て助かった。わが保護観察司であるところの斎藤Pとの面会に会社へ。退院後の生活について延々と喋り、また関連本をいただいた。その後廣瀬夫妻に会う。お世話になった人に謝罪と感謝を捧げる日となった。駅前で緑茶をいただき、成城石井で食料を贖ったのち帰宅。どうも喉が痛いと思ったら今まで六日間ほとんど黙っていた人間が三時間ぶっ続けで喋り続けていたのだ。帰宅後夕餉を摂り、今夜はさすがに疲れたのでフォードは休み、黙って読書を続ける。しかし読まねばならない本が多すぎる。まあ時間はかなりあるのだけれど。
 
某日、10時に寝たら4時に起きる。よく寝た。やはり人間生活にはそれなりの疲労が必要で、それは他人との接触で得られる。明るくなるまで自転車に出られないのはこの暗さでは無燈火になってしまうから。病院でも毎日のようにこのような時間を待った。


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結果、5時半に動き出し7時半には休息できたので、朝メニュー総じて二時間かかる。本日も午前中から午後にかけて読書。歴史関連本読了。岩倉具視関係なのだが、あまり知りたいことを知れなかった。というかほぼ知っていることばかりだった。夕方近所に買い物に出たが驚くほど暑かった。参った。何やらここでいきなり人気急上昇、それともここで会っておかないと死ぬとでも勘繰られているのか、とにかく会いたいという話が次々とやってくる。健康な時は会ってないのに退院直後に約束を取りつけるというのはどうなのか。皆さん友達なので嫌とは言わないが、お手柔らかに。とにかく木曜以外は外出しませんので。
読まねばならない本が多すぎるとか言っていたら岩波文庫『太平記』全6巻などというものが届いてしまった。もうちょっとこの辺でいい加減にやめておきたい。
以前沖縄に住んでいた人が「910hPa台行かんとビビらん」と言っていたその910台にまで下がる勢いの台風10号のデカさにビビる。一昨年大阪を破壊した21号のときはなぜか四万十でテレビを見ていた。あれよりでかいらしい。九州上陸もあるようで二つの原発など心配だが、同様に心配なのは直撃しそうな韓国。先日のソウル行では台風が過ぎた後で街が本当にずぶ濡れだった。今年のプサン行きはコロナで無くなったが、まだ機会はあるか。
夕餉の後、フォード『肉体』(32)。原題Flesh。ジャケットにはWBのマークがあるが、MGM作品。だからというわけでもなかろうがプロレスの話。ウォレス・ビアリーとカレン・モーリィがとにかく良くてしょうがない。30代のものでは『香も高きケンタッキー』『四人の息子』と並んで最も好きかも。どうしてドイツと相性がいいんだろうか。ムルナウの影響ということなのか。だがボート遊びはルノワール、ラストはブレッソンの如く。カレン・モーリィが共産党員としてキャリアを失ったからか『ボディ・アンド・ソウル』とも共通点多し。もちろん『素晴らしき放浪者』と同年作である以外どれにも先行している。キング・ヴィダーの『麦の秋』も『チャンプ』も見直そう。盤はないがウォルシュ『バワリィ』も見直したいところ。YouTubeに上がっているという噂。ともあれこの余韻が惜しくて、今日は一本にしておく。
 
某日、昨日と同じ睡眠時間。で、7時半には完了。だんだん早くなっている。明日明後日が雨ということで自転車運転中も風呂でもあれもこれもとスーパーでの買い物リストを考えたが、帰って家捜しすれば全部ある、女優=主婦の秘めた能力。本人気づいておらず。退院して一週間が過ぎた。午前はまた読書。磯田道史『徳川が作った先進国日本』。江戸幕府にさほど興味はないが、ここにあることは未詳の物件が多いので。朝食があまり早いとすぐに口寂しくなる。女優がフルーツを剥いてくれ、飴ちゃんをおすそ分けしてくれた。
昼食後、座椅子(でか!)とデスク(小せ!)が届き、オフィス構想確立。これから五年、来る日も来る日もここで仕事と勉強をする・・・撮影以外は。やがて腰をいわすだろうからなるべく頑丈そうな座椅子にした。つい先日も純からどんだけ座椅子好きなんだよ、と揶揄われたが、いわゆるオフィスセットが似合うならこうはしない。私も部屋もそれは似合わないのだ。記念に一枚。

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段ボール箱持って帰ってくれと頼んだら、それはやってないと断られた。やれよ、それがサービスってもんだろ、ニトリ。で、無駄に頑丈に、でも無造作に箱を閉じたビニールテープをハサミで裂こうとしたら右の人差し指を挟んで、痛いし血が出た。だから開けて空箱持って帰るぐらいしろよ、ニトリ! 久しぶりのテレビ、大河再放送を見てから組み立て。
まともな傘がないので降り始める前に、とコンビニまで自転車を飛ばしたが売り切れ。帰るとすぐに天気雨。薄い本だったので明るいうちに読了。だが歴史小説家と歴史研究者との筆に違いは歴然。磯田氏には強いスピリットがある。夕餉を終えるともう眠い。そこへ大久保利通の本が届く。歴史がらみは今週中で終わらせたかったのに、これはという本に簡単には出合わないものだ。結局岩倉をもう一冊、大久保を二冊読む予定。かてて加えて
柳田経由の熊楠も待っている。以前も書いた気がするが、明治維新にはまるで興味ない。ただえらく際立ったキャラの持ち主たちが大勢いるので、その人々の実際というか思考回路をもっと詳しく知りたいだけ。前回書いた、実話を語るにおいて人物か出来事か、という選択肢のうち人物の方の研究というか。出来事なら南北朝と本能寺のみ興味あるが、それらについてあまりいいアプローチの本を知らない。そんなわけで今夜もフォードはお休み。女優が贖ってくれた健康的な飴ちゃんを口の中で転がしながら、読書に勤しむ。夜半、雨酷し。
 
某日、奇跡的な晴天により朝チャリ決行。その後すぐに天気雨。みすたあ、ヴェネチアコンペ決定。成功祈願。しかし行けるのか。午前中は読書。興味深いのでノートを取り始める。昼食は女優手製のゴーヤチャンプルー。卵と豆腐無しで茄子入り。激ウマ。退院後初の手料理で超満足。いつまで経っても雨が降らないので、これは、と買い出し。またも帰宅した直後に降り出す。ゲイリー・ピーコック逝去。最も愛好したベーシストの一人だが、京都で近藤さんの師匠だったという話を聞いたときは参った。ゲイリーは股間を指差し、音楽はここでプレイするんだ、トシ、と笑ったという最高のエピソード。哀悼を捧げる。
午後も読書。この勝田政治氏の大久保本、話が飛ぶように進む。簡潔を求めるあまり端折りすぎのきらいもないではないが、冗長よりはましである。夕餉後に『麒麟が来る』を見るつもりが台風報道のため中止。仕方ないが、再開2回目にして早くも、といういかにもついてない感。それにしても一日中座っての読書も腰に来る。それでも飴舐めながら読書は続く。今夜もフォードは休み。昼以来、一向に雨が降らぬを訝しんでいると19時半、ようやく降り出す。初手の勢いたるや凄まじきものあり。気圧急低下で一時気を失う。
夜更け、無性にテーブルの上の八ツ橋を食べたくなって誘惑に負けたのだが、これも負けた方。つまり井筒。大学の道すがら聖護院八ッ橋の建物をバスから眺めていたので、勝った方に馴染みがあるのだけど、まあ旨けりゃなんでもいいし、実際旨いので文句はない。
 
某日、今日も予報を大きく裏切り、朝チャリ可能。小雨の中を走る。九州ではとんでもない台風が猛威を奮っているはず。ニュースによればやや勢力は治まっているようだが。
ゆっくりと朝食を摂って、読書の続き。これまで興味なかったが、大久保/岩倉体制というのはかなり面白い。が、この二人の道半ば感は誰より、というのは西郷より、という意味だが、重いものだっただろう。彼等の死によってこの国はまさに道半ばで壊れていく。途中、ふと気持が動き、写経第二弾を始めた。終わるまで何かは告知しないことをルールにするが『春琴抄』よりずっと長いのでいつ終わるか知れた話ではない。いままで嫌いだったが、なぜ嫌いなのか検証してやろうという意地の悪い目論見もあり。もしかすると好きになるかも知れない。読むべき本も数多くあるので一日に割く時間は短めに、一章か二章分までにしておく。
出かけようと準備していると新しい炊飯器が届く。この一週間、お粥用に旧炊飯器を占拠していたため、女優が普通の白い米が食べたいと贖った。当面お粥を止めないで済む。
南青山で久しぶりの甲斐Pと中華ランチ。二人仲良くお粥。今夏ご母堂他界ゆえに南小倉のご実家に長く滞在された氏は近場の資さんうどんに足繁く通われたとか。羨むばかり。
その後六本木の試写室にて拙作を。これより画面が小さく音響も小さくなると自信が持てないギリギリのケース。どうもYouTubeとかPC画面とか向きには作れないのかもね、我々は。だが故・松本憲人の照明は本当に素晴らしい。彼との仕事を生涯誇りにしよう。生涯って、ヘタするとこれが遺作になったかも知れない男が何をか況んや。自作というのに、又はそれ故か、一本見ただけで目が本当に疲れた。118分はやはりチト長い。
今日一嬉しかった一言。樋口さんの「オトナにしか撮れない映画だね〜」。
ところで。単行本まして文庫本に帯って必要なのか? あれのせいで書棚が微妙に手狭になっている気がする。外せば問題解決だが棄てるに忍びないゆえ最初からない方がいい。なんなら文庫本は厚手の表紙さえいらない。昔の岩波とか洋書ペーパーバックのありようでじゅうぶんだと思う。単行本の再現とかオリジナリティとか無駄だ。
 
某日、また起床時刻が上がった。3時台。前夜10時過ぎに眼が閉ざされたのだが、いくら何でもまずいと焦りもう一度寝ようとしても一時間が限界。諦めて4時に起き上がると本格的には一時間後として徐々に活動開始。窓を開けると涼しい。巨大台風去り季節も移ろうがあの野郎から子泣き爺にパッケージが替わるだけの世の中は余計にひどくなる。
昨夜入院先のリハビリ担当君(理学療法士である)にお礼と現況報告のメールを出すと返事が来ていた。次に伊豆へ行く楽しみが増えた。
昨日届いたといえばシン・炊飯器。初手にお粥を炊くことに。さすが新品、弾力あり。
午前中、まず写経。そしてノート取り読書。昼食を摂った後駅ビルに出向き有隣堂で文房具を贖う。手帳をモレスキンにしてあとで気付いたが、二年分使えるのね。お買い得感あり。あと眼鏡置き場に困り、中がベルベット張りの小物入れ。名刺整理にカードホルダー。渋谷へ移動し、ヒューマントラストにて『幸せへのまわり道』。ナイアガラ・トライアングル的な邦題に泣き笑いだが、実際いい話すぎて二日連続オトナの撮る映画。トム・ハンクスのメイクがやや怖いのだが、クリス・クーパーのアル中親父がハマり過ぎてこっちで泣けた。それにしても実際のミスター・ロジャースのスタジオに作られたミニチュアの途方もない素晴らしさよ! たむらさんが若い頃やってたのもああいうものだったのだろうか。
久しぶりに山手線で渋谷往復、暑くて汗はたくさんかいたが、それほど動いてないつもりが気づくと五千歩も歩いていた。出かけることはよきことなり。まさにコロナの弊害。
帰ったらサイヨーさんから退院祝いの「お粥本」二冊が届いていた。然し土鍋でやれという料理書である。ハードル高し。
夜はメモ取り読書続き。そろそろ読むべき本が仕事場に揃った感があるのだが、ここへ来て笠原和夫傑作選を上げて来る必要がある気がする。然し置き場所がもうないのでちょっと画策せねばならない。分厚いゆえひと苦労しそう。
先日フォードは「家族より大切なもの」を描くと書いたが、やや修正して「外部から共同体(家族)に訪れる何かをめぐるドラマ」と考えるとどうだろう。『幸せへのまわり道』のミスター・ロジャースは正にそのような存在ではないか。『肉体』のカレン・モーリィはそのように捉えるべきかもしれないし『駅馬車』『静かなる男』『捜索者』など数多のウェイン、『モガンボ』のエヴァ・ガードナー、『ドノバン珊瑚礁』のエリザベス・アレン(彼女こそが家族そのものであるにも拘らず)、そして究極的に『荒野の女たち』のバンクロフト。ほとんど女性だがここにヒントがある気がする。然しそれを「ET」と呼んで差支えないかどうか、結論は急ぐまい。そういえば。どれだか忘れたが、フォードのどれか廊下と階段の関係が小津にそっくりのシーンがあった。廊下の壁に吸い込まれるように階段を上がって行く例のアレだが、小津の場合というか原節子はちょっとだけ二階を見てから上っていく絶妙な芝居があって、あれはフォードもやっていない。因みに小津の場合、ドラマは外部からの侵入者によるのではなく、基本は娘の内ゲバである。
 
某日、今朝は何もかもゆっくり。5時半起床、8時半に病院、9時半に朝餉。買い物が多いためさぞやエンゲル係数が、と思いきや計算すると九月から一日平均520円となかなかのコストパフォーマンス。退院時の血液検査結果はそれほどよろしくなく、次回に期待。
午前中は写経。続けてノート読書、と行きたい所だったが、いろいろ気が散ってダメ。一気に仕事場と階段をフローリングワイパーで拭き掃除、ついで笠原傑作選を探す。あった。さらに病院で読んだ京都特集の雑誌を二冊注文。なぜか京都へのノスタルジーが募る。岩倉具視の幽閉先が実にかつての住処からそう遠くない場所だったせいか。思えば私もあそこに自分を幽閉していたようなものだった。大学の仕事(授業)は心から楽しかった。だが大学本体との間に決定的な齟齬があった。あちらが発する殆どのことはこちらの理解を超えていた。休日も映画を見るか楽器屋に用があるか以外なるべく外出せず住処にいた。酒量は増え、低血糖発作の頻度も増した。寒くなるにつれ右膝に激痛が走った。あの年夏と冬にオカミサンが来てくれなかったらこの夏と似たようなことになっていたかもしれぬ。大学を辞めてから人伝に、そもそも青山は京都にいてはいけないはずだと、ある巫女的な人(男性だが)が云っていたと聞いた。然しいまなお京都と聞くと前のめりになる。憧れだろうか。旅行なら構うまい。旅行ではいい記憶ばかりだ。そしてこれはただの勘だが、大久保利通もそういう意味で京都と折合いが悪かったのではないか、と少し感じる。
昨夏、旅の途中で立ち寄った松阪の小津安二郎記念館が閉館になるという。何度も書くが非常に楽しかった旅なので悔やまれるものの、正直行っておいて良かった。
夕餉前に血糖計測。低過ぎではないが、なんとなく低い。で、夕餉を食い終わる直前に胃痛が襲う。七転八倒というほどではないものの横にならざるを得ない。低血糖の症状なのか、それともこの一ケ月口にしなかったナマモノが敗因か。折角真面目にやってきたのに、と我が身の愚かさを呪う。一時間ほども倒れていたか、気づけば痛みは引いている。皿洗いをして仕事場に戻ると、雷が南の夜空を派手に賑わしていた。やがて雨。
ところで。我々の読書には副読本がつきもので、読んだ書物の巻末に参考文献が列挙されていればそれを気にしないわけにはいかない。それとは別にこれはどうだという感じで任意に求める場合もある。偶々手にした司馬史観を批判する作家と大学教授の対談をちらちら見ているが、面白そうな話は見受けられない。他の批判は構うまいが、もうちょっとマシな言い方がないものか。上から目線の権化のような作家とその提灯を持つ教授の話ぶり、しかもその話がほぼ西郷解釈。こういう手合いを副読本にする気にはならない。
 
某日、4時すぎに目覚めて窓を開けるとまだ暗い空からいい風が入ってくる。それから一時間経って空は白み始めた。公園のカラスも朝の支度で一斉に騒ぎ、その向こう、二棟の高層マンションの中程に昇りたての陽光がオレンジの筋を描いて映えている。
『小説の神様』という新作が出るというのを知り、おお志賀の伝記か、いまどき殊勝な、と普通は思うだろうが予告を見たら高校生作家の話だった。しばし呆然。
7時半よりまずは写経。不思議なことが起きた。どこをどう触ったか、書いた分全部消えてしまった。慌てて「保存しない」にすると、今朝までの分は生き返った。で、また今日分をコツコツやって行くと、途中間違えて意外に重要な一行が抜けていたのを発見した。
朝、自転車がパンクした。昨日空気を入れたのに。昼頃修理屋へ行くがまだ開いてなかったのですごすご引き上げる。行く前に電話すべきだった。然し番号を知らなかった。で、電話すると此所は親切なので、時刻を指定すると了解してくれた。助かる。
昼はオカミサンのお手製ワンタンスープを食した。美味なり。食後、自転車修理へ。然しこの個体、洋物でタイヤの代替品が自転車屋では手に入らないとのこと。取り替えとなったら自分で取り寄せねばならない。とりあえず空気入れて貰い、保っている限りこれで行く。
カズモに週報へ。取り寄せ弁当のこと、アルコール外来のこと、『幸せへのまわり道』のことなど話す。すぐ近所に洋物専門の自転車屋があり、本日休業だったがもしかするともしかするかも。ドゥマゴにて廣瀬純と会う。やがて樋口泰人合流。三人で語らうのも久しぶりであった。帰宅して夕餉にしたらもう眠い。本日も五千歩以上歩いたのだった。
 
某日、自転車のパンクが気になっていたがとりあえず順調。撮影に出かけるのにとあることで女優を朝から怒らせてしまい、悄然。猛省。朝食後、気を取り直そうと歴史書読了。脂ぎった歴史小説にはこのスッキリ感はありえないだろう。映画は歴史小説より歴史書に近い。その後本日の写経。で、昼休憩。こうなったら普通に映画を観に行きましょ、という気になり、ネット上のリストを漁ってみるが、10月中旬までに見たいものは僅か五本。いや、ひと月に五本もあれば十分かもしれない。中で気になるのは『博士と狂人』。メル・ギブとショーン・ペンでこのタイトル。どうも『アポカリプト』の脚本家が本名だか別名だかで監督しているらしい。あと吉祥寺まで行けば見られるがまだその体力がない気のする『ランブル』。都心のどっかでもちっと涼しくなってからやってくれんか。
勉強にも疲れたので今年分の領収書をだいたい月別にまとめてみた。驚くほど領収書の残っていない月があり、それは仕事がなくコロナで脅された月だ。コンビニさえ行っていない。重い気分になるので再び気を取り直し、べつの歴史書へと向かう。今度は証言集。さすがに次男・牧野さんの話などちょいと鼻の奥がツンとする。
夕餉の後、不意に何かが降りてきて『ロング・グッドバイ』を読めというので再び地下へ潜入。この時マーロウが何歳か知りたくて繙いたのだが、そう簡単に調べがつく筈もない。というかこれは何年かに一度自分の身に訪れるチャンドラーブームの、その何度目かの先触れなのかもしれない。しかし再三繰り返す通り、読む物が多過ぎて今は無理。とか考える間も無く、つい手元にあった『高い窓』を数十年ぶりに読み返す。ほとんど覚えてなくて、1分近く爆笑してしまう箇所(モーニングスター氏がらみの描写)など忘れてしまっていることが恥ずかしい。ブリーズによる若い探偵フィリップスの気の毒な話とか。半分ほど読んで夕餉を挟み、やおらDVD『さらば愛しき女よ』を見始めたのだが、これが95分で『ハメット』98分、それに比して『インヒアレント・ヴァイス』148分はいかにも長過ぎ、かつ『ハメット』がいかに優秀だったか、改めて思う。『さらば〜』はシルヴィア・マイルズに尽きた。もはやこうした芝居は何処でも見ることはないかもしれない。そして音楽がデヴィッド・シャイアであることをすっかり忘れていた。寝る前についでに『インヒアレント・ヴァイス』もひっかける。
 
某日、朝の作業を終えて仕事場でSNS開いたらずらりと並ぶ、みすたあへの祝辞。銀獅子賞=監督賞。ともあれめでたい。おめでとうございます。劇場で見たい映画もう一本、またメル・ギブがらみなのだが『ブルータル・ジャスティス』。『ランブル』見たくても吉祥寺はあまりに遠いが、新宿バルト9なら、と。いまどき貴重な拳銃使用ものらしい。午前の写経後は読書。まだチャンドラー。200ページ超えてもまだ1日が終わらない。翌日が来て何十年ぶりに、こういう話だったっけ、と腑に落ちた次第。かつては理解できていなかったかもしれない。少なくとも目玉がウルッとくることなどなかったはずだが。
昼食・夕餉・大河を挟んで読了。とうとうマーロウは一度も酷い目に遭わずに済んだ。で、毒を食らわば何とやらでこのまま明日以降も長いこと読み返していない(というかすっかり忘れている)数冊も一気に読んでみることにする。当時は清水俊二訳だったがいまは全て村上春樹訳。そんなわけで歴史がらみの読書も、その後に控えた諸々もしばしお休み。
夜更けて『インヒアレント・ヴァイス』の続き。断片性という示唆。
 
某日、いつもより少し長く寝た。二日連続で重たい空はキツい。外出したいがやる気が失せる。昨日同様、写経後に読書。今日から『水底の女』。昨日「一日が長い」と云ってはみたが、だとしてだいたいどれも二章には依頼人が現れる。例外は勿論『ロング・グッドバイ』で、正式な依頼を受けるまで130ページ近くかかる。それがあの小説の異様な所というべきか。ところで。チャンドラーがミソジニストかどうか。『高い窓』で守られる女性はマール・デイヴィスだけで、あとはミセス・マードックをはじめ大抵ロクでもない女しか出てこない。マールへの擁護っぷりは宮崎駿『カリオストロ』ばりだと云っていい気がする。だがマーロウが男女の別を頑なにつけているかというとそうでもない。フィリップスとマールは殆んどコインの裏表のような細やかさで語られていると云っていい。『水底の女』の依頼人キングズリーは最初こそマーロウを侮蔑的に扱うが、図星を突かれるうちに従順に変容する。一方ミセス・マードックは最後に全てが明るみになるまで頑なさを貫き、これに対しマーロウはある種の敬意を払う。女性たちが不出来な男どもの犠牲者である事が前提である場合が多い。男性たちの多くは結局マーロウに蔑みの目で見られ、その点でも『ロング・グッドバイ』は例外的だったかもしれない。
昼を摂り、そんな『ロング・グッドバイ』NHK版でマーロウをやった浅野君も出ているスコシージ『沈黙』をBSで。劇場では見逃した。スコシージがこんなゆったりした映画作るのは珍しいと軽く驚きつつさらなる驚きは浅野君の芝居ならびに英語の良さ! さすが国際派! ひたすらそこだけ注目しつつ衣服棚の整理(遅すぎる/早すぎる、な衣替え的)敢行。
夕餉後、明日行く予定だった『ブルータル・ジャスティス』160分と気づき断念。利尿剤飲みながらの二時間半越えはさすがにキツい。夜は延々とマーロウと不気味な湖畔を散策。この感じは『影なき狙撃者』に似ていなくもない。そういえば何故か『五月の七日間』を見ようとスタンバッている。
 
某日、退院後二日後からの自転車漕ぎも三週目に突入、パンクで半分のみだった日を除いて休日なし。お粥生活も明日で一ケ月。実に生活は安定している。勿論まだまだ先は長い。
写経後、チャンドラー。今回は移動距離が長い割に150ページあたりで順当に第一日が終わった。読みながら途中で大阪への旅について深く考慮。10月末から11月なら文楽を観られることが分かる。
昼食後、渋谷へ。イシバシ楽器にて335用のソフトケースを購入。これからオーバーホールに出す予定。さすがに何年もほったらかしにして心が痛んできた。徐々に楽器を管理していこうと思う。これが済んだら次(に金がある時)はレスポールにビグスビーを装着。
帰宅後、あれこれ段取りをつけているうちに夕餉の時刻。しかしどうもおかしいと思ったら低血糖ではないがそれに近い数値。低血糖に陥ると皮肉っぽく世を拗ねる傾向が顕れる。とりあえずインスリンを打ち、食事も普通に摂る。しかしぼんやり感覚は夜半も抜けず。飴ちゃんを嘗めセブンイレブンのわらび餅を食べたら少し気分が良くなった。セブンの甘味、相変わらず高水準。寝る支度を済ませてから読書に戻る。
 
某日、朝の作業後、女優が昨日仕事帰りにコストコで贖ってきた諸々の開封、およびダンボール関係の仕分け。明日の資源ごみの準備。ジュディ・コリンズを聴きながら写経。続いてアナばか付録の湯浅編集版ドクター・ジョン。読書もそこそこに昼食後、335にワックスをかけ、磨き上げる。弾いてみると全然鳴る。


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数年ぶりの現役復帰。夢は「Roundabout」弾きながら歌うことです。
ついでに部屋と階段のワイパーがけも行う。毎週水曜にこれをやろうと思うが埃の溜まりようを見ると、動物多数いるだけに週一では追いつかないか。日曜もやろう。
ギターを触るとギターのことばかり考えてしまう悪い癖。仙頭さんが贖ったイタリアのギターが見たい。自分は金がないので新しいギターを贖う気にはならない。入院で結構払った。しかし今年は家から出てないので、それなりに多少余裕があるといえばあるようなないような(これからも使う予定なし、使うとしたら懸案中の大阪秋の陣)なので、 ならば335オーバーホール(といっても曲ったペグとブリッジの調整くらい)に踏み切る次第。どちらかといえば新品より改造の方に心が動く。レスポールにビグスビー載せるだけでなくPUも換えてみようとも。熟考。とにかくゆくゆくはそいつ持ってスタジオ行って好きなだけ爆音を出す、その希望がいまの私を支えてくれる。
今夜もいま一歩低血糖気味でなんとか食事だけはして、それ以上は何もせず読書に専念。いよいよ佳境に入る『水底の女』、暴力警官どもに痛めつけられるマーロウの記憶の素はこれだったかと納得。そして美しい悪女が次々に死ぬこともまたハードボイルドの定義であるかのように。ここにチャンドラー=ミソジニストの要因があるのかも知れず、マーロウは本格的にひどい罵声をその女たちに浴びせるのだが、まあ死んでいくその者たちの憐れを当然ながらチャンドラーは忘れない、無様に死んでいく男たちと対比するまでもなく。
 
某日、お粥を半合炊きにするといつもより麦の分量が(目分量なので)多くなり、すると味がまた変わって大変美味。昨日オカミサンが玄米を贖って来たので次は白米・麦・玄米という雑穀粥に挑戦しようと思う。写経後、外出。ともあれ昼から3つのセッションと1つのお遣いをやって帰って、ヘトヘトに疲れて、飯を食い、シャワーを浴び・・・あれ、逆かな? とにかくもうあかんというくらいくたびれきった。そんなわけでもう寝る(現在午後八時過ぎ)が、一つだけ言っておくと、特に期待とかしてないけどもしもトモダチガイとかいうものがあるとしたらそれは、相手の過去や家族のことにはあえて触れず現在から未来だけを見据えてその話を興味深いものにする事だと思われるがどうか。その意味では、あと一歩で新しいギターを贖いかねない自分にどう処すべきか、判断を持て余している。
寝るとは言ったが、結局『水底の女』読了。私にはミステリーファン曰くの「プロットの不備」というものがよく理解できないらしい。ミセス・フォールブルックとクリスタル・キングズリーが同一人物だとマーロウにわかるかわからないか、そこは本人の主観ゆえ定かには言えないのだが。それ以外概ね何の問題も無いとしか思えなかった。で、何と言っても後半のジム・パットンの活躍には目を見張るものがあったのは確かだ。映画化の際、どうだったのか知らないが、マーロウの一人称キャメラに対してジム・パットンのキャストは誰だったのか。私にはスリム・ピケンズにしか思えず、ちなみにデガルモはマイケル・マドセンで行くのはどうか。そう思うだけで活劇の血は騒ぐ。ちなみにロバート・モンゴメリー監督・主演の映画『湖中の女』、『コレヒドール戦記』の翌年の作である。整然とロングショットで捉えられるラストシーン。軍隊がいて、ダムがあり、犯人は車ごと落下し、いいことは何もないのに美しい。これもまた人生だ。
 
某日、女優はロケで午前5時出動。コロナ下の現場におけるコンプライアンスとしてそれを認めえるのか甚だ疑問。俳優部はもちろん、スタッフもそれで観客(視聴者)に向けて良質な仕事ができるのかどうか、再確認すべきではなかろうか。贅沢言ってちゃキリがないというが贅沢言うべきところは言うべきで、それによって能率が上がることはいくらでもある。穴埋めのやっつけなど危険を冒してまですることでは無い。
他人事に首を突っ込まずに写経。そして今朝から『リトル・シスター(かわいい女)』。これまた久しぶりに読むが、前作から六年も経っている。その間、何をしていたのか。たぶんハリウッドでシナリオを書いていたのか。私も七年ぶりの本篇と言われているが、その間も生きるために数多くの仕事をこなしてきた。ほっといてくれとチャンドラーが言いたくなる気持ちが手に取るようにわかる。云ったかどうか知らないが。
昼食後、ついに重い腰を上げて335をリペアに出す。楽器屋にメンテナンス出すなんて北九楽器以来、つまり三十年以上ぶり。・・・あ、どこかでテレキャスターのペグ付け直してもらったか・・・そうだ、この同じ店で125のリペアもしてもらったか。それにしても北九楽器と云えば、てな感じで数日前にネットで見つけていたリードⅡをほぼ衝動買い。赤。私史上最軽量。まだまだ指の感覚は戻らず。日々これもリハビリなり。


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夕餉を摂りすぎて満腹感の中、仮眠。19時半ごろ復活し、新宿へ。ケイズシネマにて『ロストベイベーロスト』最終日のトーク。久しぶりの人々(京造も多摩美も交えて)と顔を合わせ、それなりにゆっくり語らう。しかし私の話はどれくらい伝わっただろうか。特に世代の違う存在の扱いが社会をより深く彫琢する可能性について。米倉はそれを「飛び道具」的存在と形容したが、もはやそういう時代ではない。そこにこそ多様性が発生すると言いたかったのだが。しかし三人とも大変生き生きとしていた。これからいろいろ巻き起こるのではないだろうか。そうなってくれると嬉しい。
 
某日、朝餉として女優の贖ってきた副菜がテーブル狭しと並ぶ。それらを少しずつ取って食す。いま最も好ましいブレークファストの形。昨夜0時過ぎ就寝だったがいつもと変わらぬ起床時刻。ただし午前中は眠かった。写経、読書。昼は冷凍してあったステーキを二人で半分ずつ食す。美味である。その後、斎藤Pより大量の米が届く。安置し、在庫を整理してキッチンに並べる。一方、女優は撮休ながら部屋の模様替えならびに掃除。殆ど体力自慢。いまの私にあの頑張りは無理。作品社様から上島春彦氏による大著『鈴木清順論』恵投いただく。思えば大学時代、「イメージフォーラム」掲載(連載ではなかったと記憶している)の同論の端緒によってこちらの清順熱というか私淑も始まった次第。然し何しろ神代本を超える大著につき暫く精読は無理か。思えば『レッドパージ・ハリウッド』も事典同様に扱った挙句、長年かけて全体像を掴んだようなもの。
昨日に続いて夕餉を終えるとどっと疲労に見舞われる。本日は筋肉痛がひどい。まるで自分が筋肉隆々の人のように堅い気がする。自転車だけでそうなるとは考えられない。
夜、DVDでケイシーによる『容疑者、ホアキン・フェニックス』。えらく偽悪的なパッケージではあるが、それは何かの誤解だろうと訝しむほど中身は極めて真摯。最終的にキャメラは『ジェリー』的に個人の内奥まで潜入していく。さすがこの二人だけのことはある。個人的には多摩美で作った短編の最終作を思い出させられた。
ところで。昨日のトークに観客として来た美術デザイナーの大沼が金沢土産に持参してくれた富山・日の出屋製菓の「しろえび撰」という煎餅がやたらと美味い。あちら方向へ行く方はお試しあれ。今年もカナザワ映画祭、開催されるのだろうか?


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一日中眠くてあまり捗らなかったが『リトル・シスター』、45ページにして最初の死体が転がるというのは最速ではなかろうか。治安の悪さも、ここアイダホストリートがダントツな気がする。『高い窓』でフィリップスが殺されるバンカーヒルもかなりなものだが。
 
某日、本日より自転車は環七までの往復30分。一週間に5分ずつ増やして来て四週目になったということ。目黒通りから環七を曲がる最後の上りがなかなか清々しい。女優が女優業に専心のため午前中は洗濯から。写経・読書・昼食。そしてまた読書に戻るのだが、それにしても『リトル・シスター』、面白いのだが『水底の女』以降六年のうちに何かが変わった。磁石がくっつくような描写の吸引力は変わらずだが、出来事の速度が倍化している。結果、状況の空転ぶり甚だしいが、あえてそうしている。空転の虚無的な音を聞くことも本作の味の一部なのだ。よってあまりこの速度に乗って読むと頭がバカになるというか、一種の麻痺状態になっていく気がする。だから途中柄谷『帝国の構造』など挟んで中和させ、また続きに向かう。
BSで大河を見てから夕餉。そしてやっぱり今日も食後に眠くなる。
藤木孝さん、斎藤洋介さん、心よりご冥福をお祈りいたします。
 
某日、取材日のため朝から女優に衣装を見つくろってもらう。写経と読書。マーロウの第一日は132ページ(単行本)で終わるが、その間に死体が二つ、夥しい数の登場人物、依頼人は三度も事務所を訪れ、マーロウは年甲斐もなくその娘にキスをする。チャンドラーのモダン・タイムズ。
女優の作ったゴーヤチャンプルーで早い昼食を摂ってから、中目黒へ。『空に住む』の取材開始である。最初に動画入れて多部さんとの対話形式で三本、それから「NOBODY」、ラジオ、「映画芸術」と続いて19時近くまで合計六本、語った。「映芸」は久し振りに荒井さん、稲川さんとお会いでき、お二人とも元気そうでちょっと安心した。終了してすぐはまあ元気が持続するのだが、帰宅して食事を済ませると例によって途端に眠くなる。しばし仮眠ののち、後悔時以来長らく無視してきた『ノーカントリー』をDVDで。本当はリヴォン・ヘルムの出ている『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を見るつもりだったのだが、ワンクッション置きたくて、こうした。で、特に印象は変わらなかった。批判ばかりが能じゃないとは思うが、ひたすら肉体的官能性を欠いたコーエン兄弟の演出には反面教師として肝に銘じることばかりだ。ハビエル・バルデムもジョシュ・ブローリンも悪くない。本日の取材であれこれ思い出したのだが、私はキャストに賭け金を多く置くことが多い。ということはスタッフにもまた無理を強いる部分が多くなるということかもしれないが、たんに俳優たちにより良い仕事をしてほしいと望み、そのお膳立てをできる限り整えたいと考えている。『空に住む』の台詞は普段言い慣れない語彙が多かったけれどそれを楽しんだ、と多部さんは仰っていた。そういう部分でできるだけ新しいことをしていきたいし、難しさを回避せず受け入れてもらう方法を真面目に考えるべきだと思う。『ノーカントリー』はそれを構成の領域でやっているようだが、それはコーマック・マッカーシーのものと思われ、同時にそれに成功しているかどうか疑わしい。より少なくユーモラスなマッカーシーの台詞構成は私の趣味ではない。
 
某日、どうやら取材で疲れてしまっていたらしく、いつもより一時間遅く目覚める。遅刻だと慌てる必要はないが、いそいそと準備して朝の勤行。今日もまだ連休中と知る。写経に取りかかるが、これまた眠くてやたら時間がかかる。読書に費やす時間もろくにないままひるどきに。温野菜を牛肉で巻いて食う女優の新メニュー。美味。ようやく少し目が覚め、まともに読書ができたのも束の間、駅前茶店にて純と会合。生活のこと、取材のこと、コロナのこと、音楽のこと等々夕方まで色々話す。帰宅して一人での夕餉は昼の残り。夜は『ノーカントリー』メイキング。さらにもう一度本篇を見る。やはりどうしても全てがさらさらと流れて行く。引っかかるところがない。
それはそうと。身体中がチクチクと痛む。なんだろうか。雨のせいか。これだけ元気になったはずが、まだ本調子ではないのか。明日は終日雨らしい。初の自転車休みか。
 
某日、雨はその時刻には止み、無事自転車に出る。朝餉はカレイみりん干し。写経、三部構成の第一部終了。これだけで『春琴抄』より長い。昼飯前に階段のワイパーがけ。昼は焼売。読書は進むのだが、そうだったそうだったこういうことをしたらいいんじゃないかと思っていたんだった、と半分あたりまで来て開眼。一昔前に読んだときにこういうことがしたいと熱望したアイデアを思い出す。忘れないようにすべくメモ。さらに明朝のゴミのまとめなどやっていると、本ブログサイト編集者のKよりUSBメモリが届く。boidが何やら画策しているらしい。どうも複雑な事情を経て、この日記書籍化の噂あり。まだ具体を聞いていないので不詳。ともあれ詳細決定までぼちぼちと、この数年間に何があったか確認していよう。
気づくと雨のせいでもあるがまだ午後四時だというのにえらく昏い。数日前までまだ夏だという体感がいまやすっかり秋そのものではないか。早朝懸命に自転車を漕いだって汗が出ないのも当然。
そして今夜も夕餉を済ませると途端に睡魔が訪れる。黒沢さんの出る『クローズアップ現代+』があるというのに。こういう時は逆らわず眠る。すると9時のニュースの途中あたりで目が覚めた。かくして見ました。まああのまだ眼鏡姿に慣れません。でもね、何処に出ても変わんないね、みすたあはね。何故だかこちらが緊張して夜中というのにアイスバーを貪る始末。安心したので、さて寝よう。
 
某日、通常営業。しかし初めて自転車中、雨にやられる。朝餉はアジ干物。粗大ゴミと資源ゴミのダブルヘッダーで午前中は終わり、早い昼を摂ってから渋谷へ。ペドロ『ヴィタリナ』である。何というか感動の度合いでいうなら、ロカルノで『ヴァンダ』見た時以来の深みにハマった、超ド級の大傑作だと自信を持って言おう。見事なほど的確な、というか私の好みなのだろうが、初めてデジタル撮影を称賛できた。九割がたナイターといっていいと思うが、時折這入るデイシーンがこれまた何とも絶妙な時間の光を狙っていて、そうした光と影の推移を見ているだけで満足できる。いや、そうではなく映画とは元来そういうものである筈で、話などあってもなくてもどうでもよろしい。といってもたぶんセットでの撮影でこれまでと比較してもかなり潤沢な予算があったと想像できる。これに関しては再見して詳細に書く機会を改めて設けたい。碌に見てない2020年ベストワンはこれで決まりである。
終映後呆然と反芻しながら会社へ向かっているとS社編集者Aから電話。またしても仕事の話である。こちらも何か話があった筈だが、思い出せない。で、会社へ行って思い出す、というかこちらこそ仕事の話をしなければ、だったのだ。ちょっとわかりにくい展開だが、この話題に関してこうしたことが頻繁に起こる。そちらの方へ風が吹いている気がしてならない。ともあれ明日以降のスケジュール確認などして帰宅。夕餉は鯖のみりん干し。食後にフリート・フォクシーズのファーストを。大変上出来なカレッジ・バンド、というか学生ですけどできる限り『スマイル』に近づくべく全力で頑張りました!みたいな。もちろん好きである。そしてもはや眠い。
ジュリエット・グレコ逝去。舞台『私のなかの悪魔』最後の歌唱シーンは『恋多き女』のグレコと浅川マキさんを強く意識して演出したことを書き残しておきたい。
夜更けにまた一つ、新企画を検討し始めた。何を撮っているか最初は分からず、最後までわからないかもしれないが、それでも一個の生の崩壊を見る、というもの。
 
某日、今日こそは雨天につき初の自転車休止。リハビリで自転車漕ぎを始めてちょうどひと月ではないか。降り続く雨の中、斎藤Pのお出迎えに応えて大泉東映での試写へ。池田千尋監督『記憶の技法』。ごく丁寧に作られたものとはいえ、今まで知らなかったが、池田監督はホラーというかスリラーというかそっち方向に可能性を持っているので、そちらの企画で腕を磨くべきだと思われた。再び都心へ車で戻り、取材。昼は製作側の配給で冷やし肉うどんを。夕方まで何件かをこなして帰宅。夕餉はコンビニのハンバーグ。で、届いたプリンス『ラヴセクシー』を聴く。プリンスに関しては食わず嫌いの典型で、もちろんいくつかの作品は聴いているが、本作は初めて。で、あまりの良さに驚愕する。まあ例えば我が敬愛するロキシー・ミュージックの何曲かより明らかに優れている。しかしプリンスがロキシーに(あるいはブライアン・フェリーに)勝っているのではなく、あくまで私がプリンスに敗北したのだ。これで食わず嫌いともオサラバだが、といってえらく高価な最新版の『サイン・オブ・ザ・タイムズ』を贖うことはないだろう。さすがに出費が嵩みすぎる。まだまだ金のかかることは今後もある。ネットのセールで贖ったアディダスのウインド・ブレイカー群(4着)がどれも可愛くて、お得感に浸る。
本日は何も作業できなかったが、昨夜最後に考えたことを今夜の終わりにも考えている。
 
某日、微量の雨なので自転車再開。朝餉は豚バラ豆苗炒め。仕事に取り掛かるでもなくフリート・フォクシーズ『ヘルプレスネス・ブルーズ』を。楽曲それぞれは文句ないのだが、アルバムとしてのまとまりがもう一つピリッとしない。まあハイ・ラマズとかもそういう感じでグズグズッとなっていったが。写経もそこそこに新企画についてもやもやと考え続ける。昼に朝の残りをかき込み、何となく疲れ気味のため外出の予定を変更して午後は仕事場のマイナーチェンジ、それからプリンス考察。結果、何枚かのアルバムを購入。何度も言うが食わず嫌いであり、これから咀嚼するとは若い時期に培ったはずの関係性なしに現在の自分が音楽としてのみ向き合うことを意味する、というかそうあろうとするつもり。何のためかと訊かれても困る。
ところで。誰かが、ビートルズをそんなに好きじゃない、とか、むしろ嫌い、とか云うと、それは個人の自由だから反論する気はまるでないし、私だってビーチ・ボーイズやザ・バンドの方が好きだったりもするが、しかしもしもそんな話題を誰かが話していたら聞かなかったことにしてそっとその場を立ち去ることにしたい。一番ではないとしてもやはり好きだし、好きなものとか人とかに関して否定的な話をしたくない。呼び止められて、どう思うかと尋ねられたら笑顔で、ああ好きだよ、一番じゃないけど、と正直に返せばよい。たかが好き嫌いの話だがそれゆえに日常的なレベルで譲る気はない。
 
某日、朝餉にサーモントラウトを。美味。仕事を始めようとすると、ルイズルイス加部、竹内結子の訃報。竹内さん、自殺らしい。こないだも芦名星さんがそうだったらしいが、多かれ少なかれ誰もが逆境に襲われることがある。少なくても逆境が命を奪う事もある。逆境に打ち克つのはたぶん強さではない。むしろ偶然だったり周囲の手だったりによるところが大きい。強さも必要かも知れないが個人の力だけでは無理だ。それは人知れぬ地獄だから。然しそれも事後的にしか指摘しえないのか。全ては手遅れかも知れない。
退院一ケ月を迎えて強く思う。
午前中は写経に勤しみ、昼前に夫婦で街へ。ランチをしてから買い物に回る。人出の多い原宿にて秋冬物を数点とスニーカーを贖い、渋谷で眼鏡を物色して弁当とともに帰宅。ところが、昼の間に摂った甘味の糖分のせいか、ランチのイタリアン(美味)のせいか、一日動き回った疲労か、夕餉ののち高血糖で体調不良、地味に倒れる。
ひと月経過しても元には戻らない。普通に食事もできないか。無念。
ちなみにすでにブームは過ぎ去った感のハズキルーペを購入。眼鏡型の拡大鏡であり、乱視用の眼鏡の上にそれを載せて使用する。よく見えることについては間違いない。


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ちなみに始まったばかりのプリンス探求(これは二度目ということになるが、80年代は初めて)だが、届いた『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』を聴き、認識がまた元に戻ったのだった。この件については次回、作品群拝聴してから改めて。
とにかく今は断固ペドロを推したい。


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『ヴィタリナ』 2020年9月19日(土)~ ユーロスペースにてロードショー、全国順次公開



(つづく)



青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『こおろぎ』(06)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)、自作『しがさん、無事?』(19)など。

近況:10月23日(金)が拙新作『空に住む』初日です。東京は新宿ピカデリー。皆様、よろしくお願いいたします。