宝ヶ池の沈まぬ亀 第49回

青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第49回は、パソコンが壊れた6月下旬から7月にかけての日記です。インターネットやSNSから離れ、『方丈記』から磯田道史さんの歴史書、柄谷行人さんの『世界史の実験』へと読書にふける日々が続き、それでもやはり思い至るのは映画のこと、映画作りを通して「血」よりも濃い「気」を交わした人たちのこと。


49、水より血より濃い「気」が書く筆島からのやや長い手紙



文・写真=青山真治


某日、長く寝たが前夜10時就寝で5時半起床。木曜で、ゴミ出しの準備の必要があるが、何しろ相変わらず降っている。地震があったりした前夜は映画館に行く夢を初めて見て、はあなるほどこんなもんかとなんとも言えない感じがしたが、あれは三百人劇場かどこか昔あった名画座だという記憶がある。昨日から『方丈記』に連なって歴史に入り込み、と言っても磯田本だが西郷の話を読み耽っている。前半は明らかに『西郷どん』どおりなのだが後半はどうか。パソコンはまだ修理できていない。本日は行くつもり。
 
・・・と、ここまで書いたところでPCは操作不能となった。すぐさま表参道のアップルストアへ出向き、修理へ。久しぶりの都心はかつてと何も変わらなかった・・・とは人伝に聞いていたのでさしたる驚きもなかったが、ただそら寒い。それは言わば、こちらが亡霊となりてどことも知れぬ何処かにいたような気が、今となってはそれしか残らず、それから一週間経ってこれは帰ってきたのだが・・・
正直言って話したいことが何もない。最初の数日こそ、困った、困ったと焦っていたのだが、数日を過ぎて手元にあった本、その前から読んでいた古井『山躁賦』だが、を読むうちにそちらの方へ向かい、そちらの方とは書物という意味で、としてもなぜ次が『方丈記』でその次が『素顔の西郷隆盛』だったのかは、まるで勘で動いているも同然だった(読書なんて普通にそう)のだが、三日後にはネットは要らない、書物があれば十分、というよりそれこそ最大の幸せという妙な境地に至ったのだった、いやはや・・・
 
で、その日だが、表参道の帰りに最寄り駅前で作業後、「成城石井」で昼飯としてカツカレーを贖い帰宅後これを食す。超美味。おそらくそういう系で最強であろう。で、まあ、パソコンないので何もできないから本を読みながら時間をやり過ごすしかない。そしておそらく同時に贖った酒で酔いつぶれ、さらに翌朝そのまま低血糖発作に陥り、記憶不詳。
その後も定かではないが、呆れ返ったままの女優と近場の蕎麦屋に食事に行き、脳の手術を終えた山田さんと長電話したり。
殊勝にもこの辺から今回の日記用に備忘メモを残しており、それによると「雨ひどい、やがて上がる」、これはたぶん日曜日、「西郷読了、龍馬」とあるのは磯田道史さんの『素顔の西郷隆盛』と『龍馬史』をこの間に読んでいたということであろう。その前にすでに『方丈記』を挟んで古井『槿』を少なくとも百ページは読み返していたはずだが・・・さらにこの日はナガシマと電話で重要なことを話している・・・その内容も関係しているのだがどういう理由でそれらを読みたくなったかは自分でも全くわからないものの、ただひたすら真面目に読んでいた。で、真面目ついでに未読だった柄谷さんの『世界史の実験』を手に取り、さらに読書はつづいている。
週明けは夕方女優と近所まで散歩がてら鰻の弁当を贖い、最良の美味のこれを食したが、たぶん西郷の読書記憶の延長線上。
いつしかどこかで西郷と龍馬と鴨長明と柳田が繋がっており、その連絡を側からこっそり間諜している気分だった。その中ではどうも西郷も龍馬もどこか「山人」のDNAを残しており、むしろ「山人」と連なりを持たない者に世間を動かすことなどできないだろうと思われた。そうしてこれは柄谷さんの「実験」から敷衍したものであり、実際にはないものを並べてみることである。ネット上の情報はどこまで行っても二次元で、それを三次元的に空間に吊ったとしてもあくまでそれはヴァーチャルなものであって、ヴァーチャルなものはどこまで行っても「現実」とは相入れることはない。だが書物と私の関係は極めて「現実」に即している。その関係の持続する間、ずっと「実験」している感覚を得ることができる。この喜びは他では感じ得ないものだ。もちろんBSで『スパイ・ゲーム』を見ながら、ああこれは「蘇州でコレラがクラスター」というシチュエーションから始まったか、と再認識したりするのも極めて「現実」だが、2020年夏の東京にいる私にとっては日々刻々と感染者数を増やすCOVID-19のことを考える「思考実験」の一環でもある。
そう、相変わらず曲がりなりにもテレビがなにがしかのヒントをくれるのはそれが偶然の出会いだからである。スイッチを入れてランダムにやっている何かとすれ違いながら、先ほどまで読書の中で垣間見ていたものと不思議なリンクをすることはもう何十年も経験してきたことだが、これらもすべて「現実」であって「実験」であった。
2020年夏にしてテレビ、といえばひたすら怨念の塊のような『いだてん』再放送である。いやはや金輪際オリンピックどころか国際大会の一切をこの国でやってくれるな、わしらは穏やかに暮らしたいんじゃあ!という民衆の熱い願いがそのままダダ漏れになっているような内容。今の再放送回は1940年の中止がらみで、本当にいまも変わりばえしないね、としか言いようがない。しかし泣く。パソコンなし、テレビにも倦み、ただ堕ちてゆくばかりの精神を唯一支えてくれたのは文句なしに大友さんの音楽であった。それに四谷怪談の話をしつつも故郷・下谷万年町で怪気炎を上げる唐十郎、という趣向の番組を眺めながら何年か考えてきた鶴屋南北という戯作者を改めて考える。四谷怪談といえば驚くべきことに拙作『金魚姫』の重要な舞台である橋は、どうもいわゆる「戸板返し」の現場近くだったらしい。曖昧な言い方をするようだが、向こうは全き虚構、こちらは半現実であるので曰く言いがたい。しかし唐さんの考察は実に慧眼であった。特に江戸川橋のあたりの詩想は、かつて同じ思いを覚えたことがあった身としては。そういえば「四谷怪談」の四谷は新宿通りの四谷ではなく、雑司ヶ谷の外れであったとのこと。知らなかった。
そして再放送といえば火野正平さんのサイクリングをおいて他にあるまい。滋賀から見始めた今回のステージも秋田まで届き、ついに来週は青森である。2014年夏の再放送。我々が『かもめ』を準備していた頃ではなかろうか。秋田の金照寺山という公園に大いに感動した後に病院へ行って医薬品を補充する殊勝な心がけ・・・ああ、その前にこの日は米倉伸と電話で話したのだった。
米倉は京都の元学生で舞台『榎本武揚』の映像を始め、一緒にあれこれやった。そもそもは福岡で理系の大学を出た後の芸大から撮影部だが、作品作りへの野心も捨ててはいない。そんな奴が、ある作品に、卒業後だと思うが、撮影者として全面的に加担した。
それが『ロストベイベーロスト』なのだが、監督はすでにこの世にはいない。撮影終了後、編集を待たずに亡くなってしまったので、撮影を担当した米倉と、主演の松尾渉平が完成に向けてすでに二年以上動いてきた。何度も編集を直しているのだが、ここへきてわかるのは監督不在だとどっちを向いたらいいか、なかなか判断をつけかねるという問題だろう。シナリオ改変まで手を出していいかどうか米倉もかなり苦悩したに違いないのだが、最新版を見ても最初のヴァージョンからドラスティックな変化が見られるわけではなかった。外から見ていると「こうすればいいのではないか」という発想は出てくるのだが、あくまで外部の意見なのでそれを反映できるかどうかは米倉にかかっている。こちらも手を出せない。
そもそも映画の「完成」ということを私たちはどのように決めるのだろうか。いま自分が抱えている状況も含めて、わからないとしかいえない。短絡的にいえば、監督という人称が最上としての「格」を持っているという虚構による「無責任化」の実態でしかない。基本的に映画は無責任に出来上がるのであり、それ以外「完成」という概念とは縁遠く、その点に関しては小説だろうと楽曲だろうとたぶん同じである。それを言い出すと新政府を作るだの新憲法を作るだのも五十歩百歩なのではないか。
だいたい人間の営みというのは、総じて「実験」であると断じて構うまい。
『世界史の実験』の終幕、父権と母権の合間に双系制を見出す柄谷さんの実に際どい手つきにこそ私たちは「実験」の強度を捉えることになるだろう。
 
・・・といった塩梅で一週間が過ぎ、感染者百人を超える都心に出向いて受け出し。我がパソコンは無事、というよりまっさらになって帰ってきた次第である。読書をやめる気にはならず、春に読みかけていた永井路子『岩倉具視』を再開することにしつつ同時に赤ワインを再開、買っておいたステーキの超美味に焼きあがったのを食したり、福田屋のカツ丼を出前したり、と二日に一度は舌鼓を打ちつつ、すると仕方なく読書はいったん休憩、溜まっていた仕事に黙々と従事。あっという間に週末は過ぎる。
とはいえ実はこの一週間、自分にもう何も残っていない感じはひどく強まって行き、何も、とはやりたいことという意味だが、本当に映画しか残っていないことをひしひしと感じていた。誰かと電話でそれとさして関係のないことを話すたびにこの感覚は増した。もう映画以外のことに迷わされることなく、逆にその他のことは全て映画のためにしているに過ぎないという感じ。そもそも映画に対してさえ、殊に他人の新作について求めるものはほとんどなくなっていることにうすうす気づいている。このことを割合真面目に考えていたのだが、ある夏の夕方にテレビのニュースでトニー・スコットの訃報(2012年)を知り、ネットでマイケル・チミノの訃報(2016年)を知り、駄目押しのようにジョナサン・デミの訃報(2018年)を知って、それ以降何かを欲するということがついになくなってしまったようなところがある。期待という言葉はどうも使う気がしないが、若いアメリカ映画作家たちに求めるものがないわけではないけれども、それまでのような前向きな感情はもう持てなくなっているのは確かだ。大学を去ってからのこの二年、米倉や松尾のようにいまも私に作品を見せようとしてくれる人々がいてくれることに感謝するばかりだが、そのように信じられるものはいまや希少という他はない。しかしまあ、それでもこちらは生きていくことになっている。であれば、ちっぽけなことはしまい。現況とまるで関係のない「実験」をしよう。それが生きている人亡くなった人みんなへの恩返しだと考える。
そうして明日は都知事選である。これも生きていくことの重要な「実験」である。2011年に東電めがけてデモをかけていた頃、見向きもしないどころか嫌悪さえ顔に出していた若者たちもいまやデモへ向かい、率先して一票を投じに出かけるようになった。それが成長なのか進歩なのか断じはしないが、とにかくいいことであると信じたい。
食事は一日、五十番の豚まんとかチマキとか餃子とか焼売とか。こんな日も悪くない。しかし熊本は洪水で大変なことになり、伊豆は土砂崩れで通行止めになっている。この国は土台からやり直さねばならない。
 
某日、さて投票。起きて煙草を吸っていると投票用紙の封に「シャーペン持ってこい」とか書いてあったなあと思い、するとその昔フレッド・フリスがステージに登場するなり手にした錐で寝かせたギターをぶっ刺して爆音で悲鳴を上げさせるパフォーマンスでこっちの心臓が止まるかというほど驚いたことを思い出し、投票に行くのがさらに楽しくなった。
で、まあ普通に行ってきた。ぱるるは暑かったのか、途中で徒歩を放棄。
で、まあ当然ながら現職が通過。驚きも悲しみもなく。
ただもう少し生きていようかな、とは思う。ナガシマとのメールのやり取り含めて。ともあれこれもまた「実験」であるという結果。それで文句はなし。
 
某日、再び曜日感覚がなくなり、いまどこにいるかいよいよわからなくなる。たぶん今日は木曜であろう。雨もよいである。朝焼けも来ないのにとりあえず生きるのが辛い。
やる気が出ない。どうにもならない。雨は続く。
届いた文芸誌にどうにか目を通し続けるが、まるで頭に入らない。そうして『EUREKA』キネ旬2000年代邦画二位。喜びも憎しみも遠く離れてもう何も帰って来ない。拙作を選んでくださった方々はもちろんのこと、加えて『月の砂漠』を圏内に入れてくれた荻野洋一や『サッド ヴァケイション』を選んでくださった川口敦子様に心から感謝を。
ともあれ今日は眠って明日もう一度文芸誌を読み返すことにする。
翌朝も雨は降り続き、そんななかただ「ショットとは何か」で語られるグリフィスのことばかり脳裏に漂う。しかもあの『スージーの真心』の、男が村を出て行く別れの際に微笑みながら見送るリリアン・ギッシュが背を向けて庭の奥に歩いて行き少し離れた倒木の傍でバタリと泣き崩れる、いやもしくは気を失ったのかもしれないが、あのフィックスの1ショットについてばかりだ。あれを映画史上最も哀しくも美しいショットとして決して忘れることはないが、ここから何かを見つけなければならないと毎度考える。
そしてまた「雨と鏡」だが、それがいつだったか思い出せないのだが、二人で歩いていて雨がふりはじめ、先生が「私は傘を差さないんです。雨に傘は必要ありませんね」と仰ったことがあり、その時はほんの小雨ではあったのだが、おかげで二人とも何と無く晴れやかに濡れ歩いたのだった。その時はフォードについて考えは及ばなかったのだが、確かに映画的といえばレインコートであって、傘は文中に現れるように例えば『最後の歓呼』のジェフリー・ハンターを突っつくためのものであって、その箇所を読んで連想するのはなぜか『現金に手を出すな』で照明係が踊り子の尻を次々に突っつく場面であったりして自分のダメっぷりを情けなく思わざるをえない。まあレインコートならばウォルシュだってホークスだって負けたもんじゃないが、両手を空にしなければまともなアクションなんてできやしないし、傘を差すなら懐中電灯だろう、と考えるのが筋である。鏡についてもやはり酒保の経済状況を考えたら大鏡は割られないように隠すのが筋であって、二回隠して三回目に不意をつかれて割られるというギャグもどこかで見た気もするが忘れた。
で、『組曲 わすれこうじ』についての対談に関してはいずれまた。そもそもこのちょっとやそっとでは忘れ難いタイトルの本作を読む機会さえ得ていないのだから。どうやら5月末に発表されたようだが、まあたぶん完全に精神活動自体が自粛していた頃である。
 
某日、どうしても「サイトカインストーム」という用語を暗記することができない。そのメカニズムについては何とはなしに理解しているつもりだが「見た目兄貴の嵐」とでも語呂合わせすればいいのか・・・いやまあどうでもいいが。
ちなみにこれが何曜だかわからない。で『ミネソタ大強盗団』(もちろん大傑作)をBSで見た後に、気づいたら届いていたディランの新作を聴いているのだが、やたらと変な音が入っているのが気になる。ことに「ブラックライダー」はやばい。アルバムタイトルが「やばくてええ加減にやってんで」ということなので、そうなのだが、あまりに音が良すぎてちょっとドンびく。しかし所詮私はこの酒場の末席で、というか壁にくっついただれかのチューインガムのようなものだ。で、とうとう「マザー・オブ・ミューズ」で涙が堰を打って流れ落ちるのだった。そうして寝起きに語る女優によると私は亡くなっていった、もしくは行方不明になってしまった猫たちのことを次々に語りあげて泣いていたそうだ。まあ、その他ひどいことをしたことも全く記憶はないのだが。
そこからさらに曜日が曖昧になり、男たちが酒を抱えて訪ねてきた。勝と飛鳥なのだが、その日は久しぶりに天気が穏やかで、勝のメールによれば水曜だという。最初は庭のテーブルで呑み、やがて二階へ上がり、リビングのテーブルで呑んだ。内容に関しては記憶がない。やたらと楽しそうにやっていた。で、二人が帰ったあとなのだろう、どうやら何かに怒るというかやたら不安になって声を荒げ、夜中に家の中を動き回って、狂ったようになっていた。やがて寝て起きたら森崎東監督の訃報。これで狂ってたか、と思うとそれだけではなかった。昼過ぎに女優が悲鳴をあげるので驚いた。
これであった。ただ呆然とする。
理由なんてわかるわけがないのだから考えるだけ無駄である。生きるのが苦痛である人もおり、それでも生きていくことを選ぶ者もあり、しかしどこかでその箍がはずれてしまうことがある。その微笑はどこか脆弱だった。人に安らぎを与えるのだけど、やがてどこかへふと消え入る不安を残す陽炎のような横顔だった。それが『東京公園』を支えていた創造だった。その晩、よりによって『ブラタモリ』は「伊豆大島」特集だった。あの強風の中の一連の画面がリフレインする。途中でテレビを消した。
神戸では堀禎一の三回忌。七年に一度現れる幻の池が奥領家に現れたらしい。
 
某日、強制的に睡眠をとり、目覚めてもあまり変わらない午前中を過ごした日曜、昼にふとおかみさんに御殿場に寿司食いに行くべ、と誘われ、無理やり体を起こして出かける。家を出て東名に乗って川崎あたりまではやっぱり帰ろうと提案しそうなほど吐き気がしたが、そのうち車中にあることに慣れてきて、それはロケの記憶のあまりない地域に出たからだろう、厚木を過ぎる頃にいつもの感じになった。足柄SAでトイレに寄り、御殿場の寿司を食った。相変わらず安くて旨い。で、帰りはアウトレットに寄ろうとしたがやはり日曜はひどく混んでおり、退散して海老名SAで晩飯など購入して帰宅するが、東京に戻るとまた気分は酷くなり、食欲を失ってそのままダウンした。
 
某日、起きても何も変わらず『レココレ』8月号を。ロックンロールということでいつもよりは心に響くものがあった。最近よく思い出していたリック・デリンジャー「ロックンロール・フーチー・クー」の欄で湯浅さんがフーチー・クーの意味の一つに“あの世でも現役”と書かれていていた。8時を過ぎると今年最初のミンミンゼミが聞こえた。
それなりに天気が良くて何も考えられないから、ふと思い立ちNHKオンデマンドで見逃していた『いだてん』の最後の5週分を一気に見る。このドラマの凄いのはメインに誰も勝者がいないところで、というより世界に対してこの国には苦い勝利しか持ちえないという認識を一年がかりのドラマで描いたという意味でNHKというところはやはりどこか狂ってるというか、ある意味正しいというか。しかしその狂った正しさによって私などは毎回泣き続けてしまったのだが。
しかしドラマで泣いたからといって何が解決するわけでもなく、ただもう何も見ようと思うものがなくなり、再び呆然とした時間が流れる。喪に服するということは結局こういうことだと考えるのは、父の葬儀を終えて独りであれこれと手続きをしている時、ふと手も足も止まって何もできなくなることがしばしばあったからだろうか。
 
某日、筆島が腹に突き刺さったままなので、せっかくNHKオンデマンドのしばらく見られるコースに加入したのだから、と『ブラタモリ』の伊豆大島特集を全部見る。筆島は映らなかったが、大島という火山島の真水と海水の関係を知って愕然として、自分らでも気づいていなかったあの義理の姉と弟の生の実相に、筆島がさらに深々と突き刺さる。私たちはあのとき何をしようとしていたのか。午後、仕事から帰った妻と駅前までまだ暑い道を歩き、タイ料理を食した。帰ってシャワーを浴びて、しばらくぼんやりしてから『アナザーストーリーズ』の黒澤と勝の激突を見る。まあそんなものだったんだろう。しかしどんなに短かろうと一度現場で真剣に「気」を交わしてしまった者たちの間には「血」よりも濃いものが流れる。これは実感として、ある。一度袂を分てば二度と会うこともないようなことも確かにあるが、同時に何十年経とうが決して忘れることのないものを持つ。この「気」を絶たれてまるで身を斬る痛みを覚える。意識しなくても共振してしまうことがある。そういうものだ。ところでこの番組、どうしたって黒澤側に分があるように語られていたが、勝プロが倒産しても『浪人街』と最終的な『座頭市』という力ある作品をあの時代に作っているのだからネガティヴに捉える必要はないし、黒澤にしたって『影武者』の終わりに「あと5本」と言ったが4本だったとネガティヴに語る理由なんかない。それらの点も二人の偉大な映画人を讃えるための重要なファクターである。
 
某日、夜半より降り始めた雨は朝になってもゆるゆる続く。これまで興味のなかった家康のことなど知りながらテレビを見ているとやがて日が差してくる。午後はその日差しの推移をぼんやりと眺める。気温の下がった夕方になって駅前で銀行作業。久方ぶりの「とん豚テジ」で夕餉を摂り、小玉西瓜を贖って帰宅。夜は再びテレビで歴史の勉強をしてから布団に入る。だが、どうしても眠れない。56になってからのこの数日間、なぜこんなひどいことになってしまったのか。まったく身勝手な話でしかないが、とにかく少し前から抱えていたある企画を捨てたのはそれが理由だ。あるとき絵が描けなくなりそこからおかしくなっていまの精神状態がある。そうした企画というのは私には無理だとわかった。憑依というのではなく一種の邪悪な精神が自分の中から湧き上がってある時間の自分を支配する。それがおかしくなった原因だと・・・バカバカしい。導眠剤は普段の倍になった。
とにかく人生最悪の夏である。
考えることをやめた。
満開の夏芙蓉。
メメント・モリ。


P1000050.jpg 66.6 KB



(つづく、といいんだけど)


青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『こおろぎ』(06)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)、自作『しがさん、無事?』(19)など。

近況:今後のことは何もわかりません。