ミッシング・イン・ツーリズム 第6回

映画監督の宮崎大祐さんが自身の旅行体験を綴る連載「ミッシング・イン・ツーリズム」。前回(第5回)までのタイ・バンコク編の後、しばらくの休止期間を挟んで、今回からスペイン・マヨルカ編がスタート! 1年ほど前にシナリオ講座に参加するために約1週間の日程で滞在したマヨルカ島での出来事が記されます。そして、海外への渡航のみならず、自分が住む地域の外に出ることさえ制限されている現在において、旅について書く理由にも触れてくれています。
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文・写真=宮崎大祐
 
 
ご存知のように前回のエッセイから今回のエッセイにいたるまでに世界は大きく変わってしまった。大したことはない、騒ぎすぎだという意見も一部あるが事実として世界中の大都市という大都市が何か月も封鎖され、人々は外国との行き来はもちろん地域外や屋外への移動すらも制限され、世界は断片と化した。われわれが冷戦期以降疑いもなくはぐくんできたグローバリズムや融和共生といったイデオロギーはひと月ももたずに瓦解した。
となると、いままでのんびり旅行記のようなものを本誌に寄稿してきたわたしは絶体絶命である。なんせ世界は急に「またいつ旅行ができるかもわからない世界」へと様変わりしてしまったのだ。そんな世界で「あの頃は好きに旅行とかできてよかったね」などと思い出語りにひたったところで、それは未来への不安を過去の一点に折り返すのみで、いつまでもカラオケボックスでオザケンの曲を熱唱しているアラフォーたちと大差はない。つまり、この時期にまがりなりにも旅行記のようなものを書くからにはそれなりの覚悟がともなっていないといけない。さもないと、あっという間にあの気恥ずかしさに押しつぶされてしまうだろう。それは、カラオケボックスで散々「ラブリー」を熱唱したあとトイレに立ち、用を済ませ、部屋に帰ろうと廊下を歩いていると自室から「ぼくらが旅に出る理由」の前奏が漏れ聞こえてきたときの感情に似ている。しかし同時に、この時期だからこそ書き記さなければならない決定的な旅のイメージがあるような気もする。未来への不安を過去の一点に折り返すのではなく、過去の一点をコロナ後の未来の線へ折り返しつなげる、鏡のようなもの。だからわたしは、「ミッシング・イン・ツーリズム」を再開しようと思う。緊急事態宣言下の小部屋で、ブルガリアやペルーなど想像もつかないような国々の映像イメージをむさぼりながら、何年かあとに、「コロナのときは大げさだったな宮崎!」と笑える日が来ることを信じて。
 
 
マヨルカン・デイズ1
 
わたしはちょうど一年ほど前、スペインはマヨルカ島で行われた一週間ほどのシナリオ講座に参加した。マヨルカ島とはスペインとアルジェリアのちょうど中間、地中海に浮かぶヨーロッパ屈指のリゾート島である。当時一緒に映画の企画を開発していた人間が、「シナリオの勉強をしてこい」とわたしに往復旅行券をくれたのが発端だった。正直、あまり気乗りはしなかった。というのも、この前の月に訪れたカンボジアのアンコール・ワットでひどい食あたりにあってしまい、とうぶん海外旅行はしたくないなという保守的な気分になっていたのだ。そして、なによりもやはりなにをしにわざわざスペインの、それもアフリカにほど近いマヨルカくんだりまで行かなければならないのかがわからない。シナリオの勉強なんて六畳の部屋でしていればいいではないか。最悪サイゼだって漫喫だってある。だから、どうにか行かなくて済むようにあの手この手を考えたが、シナリオ講座のホームページがアップされ、主催者からつぎつぎと過去に関わった作品の情報や宿泊地付近の景色が送られてくるのを眺めていると、もともと南スペインは好きだったし、なにより彼女たちがシナリオ開発したという『ババドッグ』が大好きだったので、ちょっとした気晴らしに行ってみるかという気になってきた。
それから間もなくして、わたしは成田発、フランクフルト行きのルフトハンザ機内にいた。なんの下準備をせず、気づいたら三列席に真ん中のシートに座っていた。それにしても、目的意識のないフライトというのは悲惨である。それが長距離フライトだとなおさらだ。よし、映画を何本見よう、或いは寝よう、そういう踏ん切りがつかないと、なにをしていいのかわからずうつろでのっぺりとした時間を過ごすことになる。窓の外の景色に目を移しても、基本は雲か海なので、十五分以上はつづかない。目をつぶって寝る努力をしようという消極的な選択は逆に眠気を追い払い、あせりだけを呼び込む。観念してつけたメディアプレイヤーから流れる映画はこういう場合たいていつまらない。離陸して三十分ほどで、早くも世界の不運がすべて自分に降り注いでいるような気がして、一度自分を客観視するために、「病は気から。そう、すべては気分次第。もってる駒で楽しむ方法を考えよう」と自分に言い聞かせる。すると、そこからいつもの自己対話がはじまる。心の中にネガのジェンガをうず高く積んでいく。十数時間が経過し、もうひとりの自分が疲れ切って音を上げるころに機は着陸態勢に入り、飛行機は無事フランクフルト国際空港に着陸した。
フランクフルトのあたたかな春風を受けると、不思議と気分が和らいだ。以前からドイツには不思議な親近感がある。そして、この街にはニッポン・コネクションや仕事で何度か訪れていて、知人も多く、ちょっとしたホーム・タウンのような気がするからだろうか。つぎのフライトまで五時間もある。しかしいまの気分ならばどうにかなりそうだ。マヨルカ島行きのゲートの前でソーセージの本場ドイツの味とは思えないほどまずいホットドッグを食べながら、仕事のメールと格闘して過ごした。
マヨルカ島行きの小型機はドイツ人でいっぱいだった。フランクフルト発の便なので当たり前といえば当たり前なのだが、ヨーロッパのハブたる空港にしてはドイツ人率が高いような気がして調べてみると、マヨルカ島は特にドイツの富裕層に人気のリゾート島なのだという。日本からフランクフルトまでの飛行時間を考えるとロスタイムと呼べるような短い時間を上空で過ごし、パルマ・デ・マヨルカ空港に降り立った。毎回思う、ヨーロッパは狭い。東西南北で比較すると西欧だけならば日本列島と長さはほとんど変わらない。アメリカ五十州のうちのひとつ、カリフォルニア州と日本列島の面積がさほど変わらないことを考えると、おそるべきことだ。そんな広いとはいえない範囲の中にこれだけ多様な文化や人種が育ち、共生している。
清潔感のある白と空色を多用し、田舎の水族館を巨大化したような空港の外に出ると、旅行用のプリペイドスマホにやつぎばやにWeChatのメッセージが届く。実はわたしは以前中華圏で少しだけ使ったことがあるこのメッセージアプリWeChatの操作がどうにも苦手で、短文を打つのにも苦労していた。なぜWeChatなのかと聞いてみると、同じようなメッセージアプリでいうとLINEはヨーロッパであまり普及しておらず、中国では禁止されており、Facebook Messengerはさらに禁止されている国が多いからだという。デジタル・カルチャーのこうした「長いものには巻かれろ」的暴力についてはいま一度立ち止まり考えた方がいいと思う。ともかく、メッセージを開くと、どれもいまいち的を射ないメッセージだったが、おそらく「先に着いた受講生はまとまって待ち合わせ地点のホテルに向かうから、あとから着いた人たちは各自来てね」的な内容だと推測された。ここまで20時間近く自由時間があったくせに旅の下調べはなにもしていなかったので、ようやく受講しおりを取り出し、待ち合わせ地点がどこかと調べると、確かに遠い。空港から気軽にタクシーで行ける距離ではない。しかも、午後六時集合となっているがいまはまだ正午だ。白球のようなアフリカンな太陽が頭上で満面の笑みを浮かべている。結局わたしは待ち合わせ地点付近までバスで向かい、周囲を観光しながら時間調整することにした。
長めの滞在になるのでパンパンにふくれた大型スーツケースを滑らせ、ダウンタウン行きと書かれている空港用の広いバスに乗ると、予想通り車内の表記はすべてスペイン語だった。以前マドリードからバリャドリードまで日帰り旅行に出たときに、売店で「アイスクリーム」と伝えることすらままならず、難儀したのを思い出した。バスはその国、路線によってまったく支払いのスタイルが違い、その多くが停車駅を現地語でアナウンスするので厄介だ。しかし、その国に生きる人々の営みがもっとも間近で、かつ生々しく見られる交通機関でもある。空港周辺の無機質な景色が反射する白光を顔に受け目を細めながら、以前この島のサッカーチームで躍動していた城彰二や大久保嘉人のことを考えていた。赤のシャツはどこにでもある。しかし、黒のパンツを合わせるチームは当時少なかった。この段階ではこの数か月後、久保建英までもがそのユニフォームに袖を通すとは知る由もない。
しばらくするとバスはバイパスを抜け、レンガ色を基調にして原色を多用した、いかにもスペインという建築がつらなる市街地に入った。googleマップで確認するとマヨルカのダウンタウンは中央教会(パルマ大聖堂=カテドラル)を中心に扇形に広がっていて、欧州によくある宗教都市の形を成していた。マップの上を動く青い矢印を追っていると、このバスがダウンタウンの周縁を走る路線だとわかった。そこで中央教会まで通りを一直線で歩いて行けそうなほどよいバス停で降り、こきざみにジャンプするスーツケースを抑えながら、パルマ大聖堂に向け歩きはじめた。空は恐ろしいほど高く、青い。すぐに、西洋の石畳の上でスーツケースを引く困難がわたしを大地にしばりつける。通り沿いにはいかにも南国の観光都市といったようなお土産店がつらなり、店と店の間の壁面には、フォントを崩すところにまで至っていない、言葉の意味だけがむきだしになった原始的なグラフィティ・アートがギッシリと書かれていた。店先でオレンジを箱売りするスーパーの前の広場では少年たちが真っ赤なヘルメットをかぶってスケボーに興じていた。石造りの噴水の縁には灰色の老人たちが腰かけ、その様子をながめていた。
何台か馬車とすれ違いながらしばらく歩き、中央広場というにはやや小さいプラサにたどりついた。イタリアと違いスペインのプラサはいずれも小さい。少しお腹も空いてきたので、楽しみにしていたスペインのランチにしようと広場に出店していたいくつかのレストランをのぞいた。しかし、どこも料理のサンプル写真が雨風で色あせていて食欲をまったくそそられなかった。ディナーが比較的高価な欧州ではランチにボリュームを食べる方が経済的だといままでの旅で知っていたので少々悔しかったが、すべてが思い通りになる世界ではない。海外旅行で食事に困ったときのセオリー通り、バーガーキングに入る。ファーストフードは世界中のどこにいっても大外れがなく(当然大当たりもないが)、大体の場合は無料でWIFIに接続でき、場合によっては充電もできる、ちょっとした国際公共施設だ。
記憶の中でひとつの味に統合されるハンバーガーを食べて、観光客の流れに乗って海岸線に向けてしばらく下って行くと、石壁に囲まれたお城のような大聖堂にたどりついた。カテドラルの正門前ではすみれ色のハンカチをかぶった歯の抜けたジプシーの老婆がまるで人ごとのように物乞いをしていた。早速入り口へ進むと、係の男性に大荷物を持っての入場は禁止されていると身振り手振りで伝えられた。「どこかにロッカーはありませんか?」というニュアンスのことを忘れかけたスペイン語で伝えたが、毎回「ロッカー」の部分で理解してもらえず、「ロッケル」や「ロッカル」などと言ってねばってはみたものの、男性はかなしげに首をかしげるだけだった。スペイン語で「ロッカー」は「タキーラ」だと知ったのはそれからのことである。「タキーラ」であれば親しみのある「テキーラ」に近い語感で覚えられそうなので、今後の糧としよう。
残念なことに20キロ近いスーツケースをひきずってカテドラルまでやってきたのに入場できなかった悲しみは、一睡もせずに丸一日近くかけ日本からやってきた疲労をも呼び起こしつつあった。人は疲れに気づくと思考もネガティブになり、それが体力にフィードバックされ、負の連鎖がはじまる。そんなときは休む以外に方法はない。ひとまず海岸とカテドラルのあいだにある公園の石壁に腰を下ろした。ひさびさに見た地中海は相も変わらず不気味なほど美しく、濃淡のないターコイズブルーの海面をはてしなくたもっていた。どうして世界の海はここまで色が違うのだろう。例えばうちから二十分も電車に乗ればたどりつく江ノ島の海はもはや青でさえないセメントのような色だし、慶良間諸島の海はもっとエメラルドに近い青だ。それは水の透明度によるんだよ。そんなごもっともな正論を聞きたくないくらい疲れていた。眉間に広がる熱は日焼けなのか疲労から来る微熱なのかわからなくなっていた。なんとか起き上がり、スーツケースに乗っかるように海岸線まで降りていき、通りがかった白いタクシーに手を挙げた。

(つづく)


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宮崎大祐

映画監督。大学卒業後、『トウキョウソナタ』(2007年、黒沢清監督)などの作品に助監督として参加。また2011年には筒井武文監督の『孤独な惑星』の脚本を担当。同年、長編デビュー作『夜が終わる場所』を監督。同作はサンパウロ国際映画祭などに出品され、トロント新世代映画祭では特別賞を受賞。2015年にアジア4ヶ国によるオムニバス映画『5TO9』のうちの一編『BADS』を永瀬正敏主演で監督。2018年に公開された長編第2作『大和(カリフォルニア)』はタリン・ブラックナイト映画祭を始め多くの国際映画祭で上映された。2019年にはシンガポール国際映画祭とシンガポール・アートサイエンスミュージアムの共同企画で製作された『TOURISM』が公開。大阪を舞台に全編モノクロで撮影された監督最新作『VIDEOPHOBIA』が今年公開予定。
脚本を手掛けたANAオリジナルショートムービー『再見』(竹内里紗監督)がオンラインで配信中