俚謡山脈の民謡を訪ねて 第5回

日本各地の民謡を収集・リサーチし、DJプレイやCD・レコードの再発を手掛ける2人組のDJユニット俚謡山脈(ムード山+TAKUMI SAITO)の連載が約1年ぶりに登場! 今回は第3回で展開された民謡の3つの分類に関する続報です。時代の流れとともに①俚謡→②民謡→③民謡風の歌謡曲の順で変遷していくと思われた民謡、しかしその変化には例外がある=③から①へ変化した例もあることが明らかに。その発見にいたるまでの俚謡山脈の冒険が詳細に記録されています。
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盆はうれしや(当代島盆唄)をめぐる冒険



文:俚謡山脈


町田佳聲は民謡を三つに分類し、それぞれを第一次、第二次、第三次産業に例えている、という話を連載第3回で書いた。

①俚謡(生活の中で唄われてきた労作唄)=第一次産業(農業・水産業など)
②民謡(舞台や観客にアジャストする為①の形を整えたもの)=第二次産業(加工業)
③民謡風の歌謡曲(②が当世風にアレンジされたもの)=第三次産業(サービス業)

さて、我々はこの①②③は、時代の流れの中で①→②→③と順を追って変化していくもので、不可逆であると考えていた。生活の中で唄われた①の唄は、ステージやレコードの中で②となり、更に③へ「堕して」(※1)いくと。「古いもの=良いもの」ではない、と言いつつも、時間の流れは洗練しか産まないと考えていた。

ところが当世風にアレンジされた③が生活の中に戻って①になったりするケースがあるのだ。つまり「洗練」や「堕す」の逆が起こりうるということだ。これは我々的には大発見である。今回はそのケースについて書いてみようと思う。



■謎のSP盤

事の始まりは斉藤くんが持っていた一枚の謎のSP盤だった。白いラベルに「佛教盆踊歌」とだけ記されたプロモ盤。「これ、なんだか分かります?」と、そのSP盤の音声データを再生した。その中身は同じ曲が二曲、AB面に収録され、それぞれ男と女が歌っていた。


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  ハー盆はナー盆はうれしや 別れた人も 
  (アラセー ヨホホイ)
  晴れてこの世に コラ 会いに来る


モダーンなアレンジが施されているが哀調溢れるナイスメロディである。ハテ? どっかで聴いたことあるぞ。どこだっけな~? とその場で頭をひねったところ、思い当たった。ちょうどそのころ我々が監修・制作を進めていた葛西浦安の芸能である「おしゃらく」(※2)、そのCD版のdisc-2には葛西と浦安で当時唄われていた民謡を収録している。そこに収録された1曲、浦安の盆踊り唄「盆はうれしや」と同じメロディではないか。歌詞もほとんど一緒である。我々は考えた。

「この唄は元々葛西浦安に伝わる民謡(①)で、それをモダンアレンジしたもの(③)がこのSP盤に収録されたんじゃね?」

ところが、である。この唄を調べていくと面白いことがわかってきた。まずこの謎のSP盤に収録された唄の正体は「盆踊歌」という曲で、男の方は三島一声、女の方は佐藤かつによって吹き込まれ1932(昭和7)年にビクターからレコードが発売されていた。この佐藤かつの別名は小唄勝太郎。市丸とともに「市勝時代」と呼ばれるブームを築いた大歌手である。そして三島一声も数多くの吹き込みを残す歌手だが、この小唄勝太郎&三島一声というコンビで吹き込まれた超有名な盆踊り曲がある。そう、「東京音頭」だ。


「盆踊歌」佐藤かつ

「盆踊歌」三島一声


いや~ビックリ。この「盆踊歌」は「東京音頭」のコンビで吹き込まれていたのである。佐藤かつ(aka小唄勝太郎)ヴァージョンの「盆踊歌」を聴いてほしい。イントロが「会津磐梯山」のリフを引用しているのだ。「東京音頭」のイントロは民謡「鹿児島おはら節」のリフを引用していることで知られているが、なんとこの「盆踊歌」でも同様の手法が使われていた。


「東京音頭」小唄勝太郎&三島一声

「会津磐梯山」初代鈴木正夫



■仏教音楽協会

更にビックリするのはここからだ。この「盆踊歌」は葛西浦安に古くから伝わる民謡なんかではなかった。昭和3年に設立された「仏教音楽協会」なる団体がある。盆踊り歌を含む仏教音楽の研究・創作・普及を目的に文部省内に作られたこの団体が、協会に関係がある人々(巌谷小波、小林一郎、野口雨情、北原白秋など)に作詞を依頼し、作曲家の藤井清水が作曲した「新作音頭」だったのだ。藤井清水というのは新民謡クラシックとして名高い「磯原節」の作曲者であり、町田佳聲とともに「日本民謡大観」を共同制作した人物である(完成を見ることなく昭和19年に死去)。

仏教音楽協会は、この「盆踊歌」を全国の寺院で行われる盆踊り(akaダンスフロア)に向けて普及せんとし、踊りの写真入りの説明書が付いた楽譜を出版。昭和7年のレコード発売時にリリース・パーティよろしく浅草本願寺で行われた「講習会」では、老若男女1万人(!)が十重二十重に円陣となって踊り興じたという記録が新聞に残されている。我々の前に現れた「謎の白ラベルSP盤」は、まさにDJ向けのプロモ12インチのような役割を担って作られたものだったのだ。この盆踊り(フロア)向けの新作音頭(ニュー・チューン)が各所でヒットしたことは想像に難くない。その火はおそらく浦安まで及び、我々が「おしゃらく」に収録した「盆はうれしや」が生まれたのだろう。



■浦安の「盆はうれしや」〜③から①へ〜

我々はなぜ「この唄は元々葛西浦安に伝わる民謡じゃね?」と思ってしまったのか?それはひとえに唄っているのが良い声のババアだったからに他ならない。「おしゃらく」CD版に収録した「盆はうれしや」の歌い手は吉田ますさん。録音テープの冒頭は楽しそうな笑い声から始まり、三島一声や佐藤かつのレコード・ヴァージョンには含まれない「バケツが十三銭 安いと思ったら底抜けたット」という合いの手が入った賑やかなものだ。


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「盆はうれしや」吉田ます(『おしゃらく』収録)→試聴リンク


終始「ヒャヒャヒャ」という笑い声が漏れ聴こえてくるこの録音の雰囲気は、創作された「新作音頭」(③)が完全に土着化し、コミュニティの中で「民謡」(①)になってしまったことを捉えている。そう、民謡①の定義は「作曲者の有無」よりも「生活の中で唄われているかどうか」だったのだ。(俚謡山脈的にもう一つ付け加えるとすれば「良い声」かどうかということだ。)これは元々多くの盆踊り唄や労作唄が根付いていた浦安だったからこそ、新作音頭を完全に自分たちの唄にしてしまい、あたかも古くから伝わる盆踊り唄にしか聴こえないレベルにまで「戻す」ことができたのだろう。ちなみに、歌い出しの文句(盆はうれしや)がそのまま曲名になってしまうのも、各地で民謡が移動/定着する際に良く起こる現象である。

昨今「ボン・ジョヴィで盆踊り」なるものが行われていて話題になっている。ボン・ジョヴィの「LIVIN’ ON A PRAYER」に合わせて盆踊りの振り付けで踊るというそれ自体は①でも②でも③でもない、単なる洋楽だが、もしボン・ジョヴィがかつての浦安まで盆踊り歌として行き着き、労作唄や盆踊り唄を良く知る人々のコミュニティの中に根付いたとしたら「どう聴いても古い民謡にしか聴こえないボン・ジョヴィ」が生まれる可能性があるのだ。その場合ボン・ジョヴィは「民謡」(①)になったと言えるだろう。



■当代島盆唄~①から②へ~

さて、まだ続きがある。「おしゃらく」も無事リリースされ、しばらく経ったある時、我々の前に「当代島盆唄」なるシングルがあらわれた。当代島というのは浦安の地名で、おしゃらくも盛んだった場所である。これはきっと、「坊さま」や「つけた」といった当代島にも所縁のある盆踊り唄だろうと予測して針を落としたところ、流れてきたのは全く聴いたこともないメロディであった。しかし、どっかで聴いたことのある歌詞である。


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  ハァー盆はな(ハ、ヨイショヨイショ)盆はうれしや 別れた人も 
  (アラセイ ヨホホイ)
  晴れてこの世に ハハ 会いに来る


なんとこれは「盆踊歌」aka「盆はうれしや」と同じ歌詞ではないか。一体どういうことなのか? このシングル「当代島盆唄」は市川紫峰という民謡歌手によって吹き込まれ、作曲のクレジットには市川紫とあった。カップリングされている「十三浜音頭」を唄っているのは小沢千月である。小沢千月と市川紫は盟友というべき間柄で、この二人は数多くの土地に根付いた唄(①)に三味線のアレンジを施し(②)レコーディングしている。我々はまず小沢千月さんに連絡を取り、「当代島盆唄」の話を伝え、更に市川紫さんの連絡先を聞き電話で話を伺った。

両氏の話を総合して分かったのが次のようなことだ。当時(昭和52年ごろ)各地に残る土着の民謡に三味線のアレンジを施してレコーディングすることが良く行われており、「当代島盆唄」もそういった中で題材として取り上げられた唄であること。「当代島盆唄」は古くから浦安の当代島に伝わる盆踊り唄(①)として地元でも認識されていて、浦安の市役所の民俗資料に歌詞も残されていたが曲は失われていて再現が出来なかったこと。そこで、残っていた民俗資料の歌詞を元に市川紫さんが作曲し、民謡(②)に仕上げたということだ。時系列順にまとめてみよう。


昭和7年:仏教音楽協会により創作された「盆踊歌」がビクターよりリリースされる
昭和初期:浦安で「盆踊歌」が広まり「盆はうれしや」として定着する
昭和??:「盆はうれしや」が廃れる。歌詞は民俗資料として残されるがメロディは失われる(実際は吉田ますによる当時の録音が残っていたが)
昭和52年ごろ:残されていた歌詞を元に市川紫作曲の「当代島盆唄」が作られる


小沢、市川両氏共に「当代島盆唄」が藤井清水が作曲した創作音頭であるということは知らなかった。そりゃそうだよ。地元の人間も「古くから浦安の当代島に伝わる盆踊り唄」と思ってたんだから。しかし我々はまたここで夢想してしまう。もしこの「当代島盆唄」が大ヒットしていたら? それを元にした③が生まれていたかもしれない。じゃあその③が遠いどこかの地に根付いて良い声のババアに唄われていたら? このように民謡の①②③は不可逆ではなく、どのようにでも変り得るものなのだ。考えてみれば江戸時代にも、流行り唄が民謡に転じ、また民謡が流行り唄に取り込まれることもあった。そんなエキサイティングな民謡の流転が、まさかレコードが登場した以降の時代にも発生していたとは驚きじゃねーの! やはり民謡は面白い。仏教音楽協会が盆踊りというフロアでのヒットを目論んで世に放った「盆踊歌」、それがババアの笑い声と共に土着した「盆はうれしや」、そして土地の唄を掘り起こすプロの民謡家が残した「当代島盆唄」、その全てが民謡であり最高に魅力的だ。



※1 「堕してる」
俚謡山脈用語。浅野健二著「日本の民謡」(画像挿入)(1966年)に出てくる言葉「堕す」を、我々はよく使用する。浅野先生的には「郷土色を失う」という意味だが、我々は「洋楽的なアレンジがされている」ぐらいな意味でも使う。
以下引用:民謡の本質は、やはりその生まれた土地の匂いという点にあるべきで、その土地の匂いーすなわち郷土色を失った民謡は、もはや「民謡」ではなくて最下級の「流行唄」に堕したものといってもよかろうと思う。

※2 「おしゃらく」
東京の江戸川区および隣接する千葉の浦安に残されていた芸能。念仏講で歌い踊られていた念仏踊りを起源とし、そこに遊芸人である瞽女や飴屋の唄、江戸のはやり唄などを取り込みつつ高度に発展を遂げた「民謡と民俗芸能のハイブリッド」とでも言うべきもの。


俚謡山脈

「ムード山+TAKUMI SAITO」世界各国の音楽がプレイされるDJ パーティ「Soi48」内で活動する日本民謡を愛する2人組DJユニット。日本各地の民謡を収集/リサーチし、DJプレイしたりCDやレコードの再発を手掛けている。主なリリースにMIXシリーズ「俚謡山脈 MIX VOL.1」~「VOL.4」、「田中重雄宮司/弓神楽」(監修/エムレコード)、「境石投げ踊り」(監修/エムレコード)など。ロンドンのインターネットラジオNTS LIVEに日本民謡だけで構成されたMIXを提供。農民ダイナマイト(山梨県)、大和町八幡神社大盆踊り会(東京)など各地のパーティーにDJで参加。 NHK FMで「DJ俚謡山脈の民謡沼めぐり」 が放送中。

インタビュー(DANRO)https://www.danro.bar/article/11623411
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