Television Freak 第50回

家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化の一途をたどる現状について、ワイドショーなどのテレビ報道を踏まえながら、古井由吉さんが小説『楽天記』に遺した「マーゴール・ミッサービーブ」という言葉とともに考察されています。また、青山真治監督が演出したドラマ『金魚姫』や井手健介さんのライブのことも。
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(撮影:風元正)



《マーゴール・ミッサービーブ/周囲至るところに恐怖あり》 



文=風元正


今年の桜は不思議な咲き方だった。例の「不要不急の外出」が集中した3連休の3月22日、近所に花見へ出かけて、3分咲きの慎ましさを愉しんだが、それから、なかなか満開にならない。宴会客もおらず、花の付きが悪くて、色が薄い。この桜の力のなさは冬が短かったせいか、と寂しい気持になっていたが、どうして、寿命が長い。4月に入っても見頃は続き、2日辺りは名残りの花と葉桜と新緑が混ざった例年にない賑やかな春の景色を味わうことができた。人出が少ないことと相まって、何かに励まされている気がして、いろんな場所で桜を見て歩いた。
相変わらず公園は子供たちで溢れ、老夫婦もまた多い。最近鍛えることを思い立った様子のジョギング初心者が多く、心の変化を実感した。老若男女、さまざまな人々が思い思いの過ごし方をしている長閑な公園は、なくてはならないインフラである。最近都心を席捲するあらゆるスペースに商業施設を押し込んだ、ゆとりのないペラペラの建物など糞喰らえだ。
かつて、言論の世界で都市の公園のような緩やかに人々が集うパブリック・スペースを確保したいという密やかな願いを持ったことがあった。ちょうど3・11の直後で、さまざまな手を尽くしてみたものの、世間様は他人の異見にじっくり耳を傾ける余裕もなく、ただ声の大きさを競っているだけだと知り、半ば呆れて撤退した。しかし、どこかに不充足が残り、テレビ番組についてよしなしごとを書き連ねて50回目になった。読み手の反響を気にしなくてもいいのがありがたい。

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(撮影:風元正)



3月17日、神保町試聴室の井手健介のライブに行った。久々に「ロシアの兵隊さん」のイントロを味わい、人の声は何よりも優れた楽器だと寿ぎながら時を忘れた。アクションを抑制し、歌と楽器の響きに自然な集中を誘うスタイルが好もしい。mmmと一緒で、彼女は自分を「ようやく散歩ができる犬」と表現して、笑った。ミュージシャンが人前で歌えない、という断念がどういう苦痛を伴うのか、想像ができない。
2人揃って、聞き覚えのあるイントロを弾き始めたと思ったら、「マイ・コロナ」だった。The Knackのバカっぽい4人の顔が並んだLPはなぜか家にある。2人で歌った「Karma Police」は心に沁み渡った。客は10人強、ちょうど「社会的距離」を確保できる状況で、快適だった。4月29日に発売される新譜『Contact From Exne Kedy And The Poltergeists(エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト)』が待ち遠しい。
試聴室での井手健介はいつもすばらしい。耳を澄ますような聴き方になるのがいいのだろう。いつまでこのような親密な距離の歌声を聴いていたい。近頃、大勢の人間を意識した音や、あるいは文章に関心を持てなくなっている。しかし、マイナーなものがいい、という話でもなく、さてこの感覚をどう伝達すべきか。とりあえず、しくじりがすぐ伝わる距離感でもあるとは記しておく。

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 (撮影:風元正)



青山真治演出のテレビドラマ『金魚姫』は快作だった。居酒屋の赤ちょうちんから始まり、赤いテーブルに突っ伏す酔った青年、夜の橋の上から飛び降りる寸前に祭囃子が聞こえて、赤い祭り灯籠がずらっと点灯する。青年は神社の境内に光る葦簀で囲われた金魚屋へ幽霊のように歩み入り、「生きがいい」琉金を掬い「ただもんじゃねえな」と褒められた。鮮やかな赤い光の連続で、冒頭は青山節を堪能する。志尊淳の痩身が闇と光に映える。
志尊は無茶な営業スタイルを強いる仏壇屋に150万借金があり、足抜けできないまま、同棲していた女性からも逃げられ、出口が見えない。仏壇屋のオフィスに掲げられた看板の「年末お仏壇大セール」の「末」の字も赤。しかし、「琉金の化身」である赤い服をまとった瀧本美織が生活の中に出現し、生者と死者と中国由来の金魚の精がごちゃ混ぜになる愉快なドタバタ劇が本筋である。
金魚の描写が素晴らしい。水槽の中で群れる和金を睥睨する琉金をポイで掬う瞬間の光、金魚鉢の中でも琉金は力に充ち、義父の会社経営者・國村隼邸の奥座敷の水槽に隠された「顔がいびつでぼこぼこしておる。そして腹は金」という黒らんちゅうの禍々しさはただ事ではない。青山真治は「水」の監督である。長嶌寛幸の音楽も飛び跳ねている。
自殺を図った橋の上に再び立ち、「覚悟なき者の前に道は開けぬ」という瀧本と「案外きれいだな、この世界」という志尊、2人の姿は美しく、主人公を救うこの世を超えた力を表現している。一方、元カノを演じる唐田えりかの慎ましやかな官能性とどうしようもない欠落を備えた風情は女優として得難い。仏壇屋のオフィスや黒らんちゅうのいた水槽は閉鎖空間だったが、ラストシーン、5年後に志尊が住む集合住宅の一室はちゃんと窓が開いている。一貫した演出意図に脱帽した。でも、どこかにいる現実の「黒らんちゅう」は決して死なないと思う。

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ご多聞にもれず、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)についての番組を見まくっている。「国難だから我慢せい」と言い放った元宮城県知事とか、「神は我とオリンピックに何故試練を与えるのか」という元首相とか、いつも薄笑いを浮かべている厚生労働大臣とか、毎日マスクとトイレットペーパーを入手するために朝6時に行列する団塊の世代(同じ人が並んでいるらしい。老い先短い身でマスクを貯め込む)の振る舞いを見て、年齢を重ねれば思慮深くなるわけではないと知った。4日の巣鴨商店街の屋台に集う人々も大胆で、いろんな態度が出揃って混乱しているが、街が静かなのは好ましい。
オリンピックが延期になり、「アベノミクスからアベノマスクへ」という転身は鮮やかだったとして、未知の事態への対応に大きな期待をすべきでないと自制しつつ、日々繰り出される珍妙な思いつきには心底くたびれてしまう。「悪夢の民主党政権」という言葉はもう使えないはずだが、近々予期される次の選挙で出される答えに、実はヒヤヒヤしている。「戦時の大統領」トランプは、感染症への対応が思い切り遅れても、2兆ドルの経済対策で再選を確実にする形勢らしい。
朝はずっと『とくダネ!』派だったが、話題集中の『羽鳥慎一モーニングショー』を見てみた。性格女優っぽい岡田晴恵教授が出ずっぱりなのと、遅ればせながら「テレビ朝日報道局員」玉川徹という人の存在を知ってびっくりした。近頃は官邸のホンネを知るために貴重な田崎史郎と言い争いをして、肺炎の死者にすべてCTスキャンをしている、という言質を取った手柄顔を鑑賞できて面白かった。「庶民目線」で権力者の手落ちを大声でまくしたてれば、すぐ意見を変える日和見でも視聴率は上がるらしい。石原良純も、父親の如く強権的な政治家への願望を語っており、ひとつの社会の縮図は提示されてはいた。最近、田崎史郎の悪相が目立つ。前はもう少し温顔だったし、あの細い眼がいびつに歪んでいなかった。
令和改元の皇室礼賛番組が続いた頃から同じ話を繰り返しているが、ワイドショーという形態の怖さが目立っている。でも、買占めを報じればみな買占めに走るのが人情でしょ、と妻に諭された。大下容子さんの大成を望んでいたのだが経験不足で、ネトウヨで知られる局アナ小松靖の強硬さばかりが目立ち、前任の橋本大二郎の懐の深い百戦錬磨が懐かしくなる。今は落ち着いた聞き手が、しっかりと専門家の意見を引き出す番組を見たい。それにしても、別の時間帯にいつもの娯楽番組が続いていたら、危機感を持てというのも無理な話か。
普段はリベラルな言動の人が政府の強権発動を望むのにも困惑する。近衛新体制から大政翼賛会への道も似たような感じだったのかな、と腑に落ちる日々だ。また来た道か、という話ではなく、大衆の喝采から戦時体制が生まれたのか、という納得である。「若い人が勝手な行動をする」と黄色い声を出すのならば、まず、自分から感染の危険のあるテレビ局から遠ざかればいい。諸外国はどうやら、強権を発動する前は勝手放題だから感染が広がり手遅れ、という状態のようで、何の代償もない「自粛」をかなりの人が守るわが国とは何かが違う。そして、SNS上にはすでに相互監視の「隣組」が結成されている。

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(撮影:風元正)

 

去年の年末から春節の時期まで、外国人旅行者の増え方は常軌を逸していた。ふらっと入れた店も満員になり、客への応対もいよいよ切羽詰まって、落ち着いた場所を求めて街をさまようことが増えた。このままオリンピックに向かうのか、と考えると暗澹として、公共交通がパンクする図が脳裏に浮かんだ。中国での感染症の流行の噂も入った頃の、そこここで咳の音がする終電頃の満員電車は恐ろしかったので、比較すれば、今の方がよほど安全な気がする。とはいえ、諸外国と密接な関わりを保って暮らす家庭は多いそうで、そちらの方は見当がつかない。
先頃亡くなった古井由吉さんに「マーゴール・ミッサービーブ」という言葉を小説『楽天記』の原稿から教わったのは30年前のことだった。エレミア書にあり、「マーゴール・ミッサービーブは、周囲至るところに恐怖あり、と予言者が迫害者に向かって叫んだという。汝の名は以後、マーゴール・ミッサービーブと呼ばれるであろう、と」と紹介されている。古代都市は常に感染症の危険に晒されていて、流行はしばしば異民族が齎すものだった。西欧の城塞都市は疫病持ちの窮民の流入を拒むために成立したし、ホッブズの「万人の万人に対する闘争」もペストの流行なしには語れない。「恐怖」は忘却されても必ず蘇る。
言葉の通じぬウィルス相手に「戦争」をしても埒が明かない。いつしか思い出したように流行する病気に落ち着くのが自然な解決だが、そのために費やす時間の中に生まれる人々の恐怖と不信と分断は計り知れない。一旦は収束に見えてもウィルスは消えないわけで、克服を誇っている武漢の観光地へ殺到する客の行列を見るにつけ、空恐ろしい。特効薬ができるまで続く2度、3度の小さな蔓延に人は耐えられるのか。夜の仕事の方々の不安に敢然と抵抗した志村けんは亡くなり、最初に「集団免疫戦略」を唱えたボリス・ジョンソンも人工呼吸器を使うことになって、ついウィルスの選択意思を感じてしまう。首相には危篤から回復して元気に先頭に立って欲しいが、「分断」の象徴の「ベルリンの壁崩壊」の成果から一抜けたを決めたのもジョンソンだった。
ちょっと前、「インバウンドは伸びるんです」と外国人旅行客相手の情報業に移った若い後輩の青白く強張った表情を思い出す。わが国に、いろんな国の言葉が飛び交う雑踏が戻る日が再び来るのだろうか。「緊急事態宣言」が出た日の夜、車が少なくて運転は快適だったが、「春の交通安全運動」の網に信号無視でひっかかってしまった。愚か者である。

  微熱の日金魚鉢にも荒野あり


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(撮影:風元正)

風元正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。