映画は心意気だと思うんです。 第15回

ホラー映画をこよなく愛する冨田翔子さんが“わが心意気映画”を紹介してくれる連載の第15回。今回は現在公開中の『犬鳴村』(清水崇監督)で描かれる家族の関係性について、呼び起こされた自身の家族をめぐる記憶とともにつづられています。
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『犬鳴村』



トンネルの先には…



文=冨田翔子


初めてエスカレーターにひとりで乗ったのは、小学4年生くらいのときだった。それまでは怖いからいつも母親と手をつないで乗っていた。初めて一人で電車に乗ったのは中学生のとき。お出かけするのもいつも母親と一緒だった。服は母が買ってくれたものを着て、母は肌が弱い私のためにいろいろな化粧品を試したり、それはもう手をかけてくれた。だが、超が付く心配性だった母は、たまに極端なことを言って私を困惑させる。例えば「人間は、最後は一人なんだから、友達なんてわずらわしいだけ。作らなくていい!」とか。大人になった今ならなんとなく言わんとすることもわかるけれど、子供だった私にはちょっと早かったと思う。
 
高校受験で第1希望の学校に不合格になると、なんだか全てにやる気がなくなり、3年間の成績は落ちこぼれまくり、なにもかも嫌になって東京の大学に行くことにした。別に地元の名古屋以外ならどこでもよかったのだが、あまり遠い地方は心配だったのか、意外にも母親が「東京にしたらいいんじゃない」と言ってきたのだ。
 
高校の卒業式。アルバムにクラスメイトが寄せ書きをしあっていたが、全く興味がなかった私は卒業式から帰ると、真っさらなアルバムを実家のクローゼットに放り投げ、上京したのだった。
 
いろんな地方から人が集まる東京の大学では、「どこの出身なの? 愛知県? 名古屋って●●って食べ物が有名で▲▲ってお店があるでしょ?」などと聞かれるのだが、箱入り娘で育った私は、名古屋のことも愛知のことも全然知らないんだなと思ったものだった。ひつまぶしも食べたことがないし、“世界の山ちゃん”が何を売ってる場所なのかも知らなかった。喫茶店の“モーニング”ってほぼ都市伝説だと思っていたし…。そんな調子で、他のみんなは地元の話になるとなんだかんだ自慢気に語っていたが、私からすると、そんなに特別な場所だっけ?といった具合だった。
 
そんなある日、おもちゃをコレクションしている先輩が、愛知県にあるおもちゃの中古屋を何軒か回りたいので、レンタカーで行くという話を聞き、私も連れていってもらうことにした。帰省以外の目的で地元に行くなんて初めてで、それはとても新鮮だった。車の窓から見える名古屋市内の景色も、初めて見るというわけでもないのに、どれもこれも違う場所にやってきたような気分だった。ついでに、実家の前も通ることにした。
 
だんだん見慣れた近所の景色が広がり始めたが、やっぱり他人の家に行くみたいに、とても奇妙な心地だった。そして、車は実家のマンションの前に着き、ゆっくりと横切った。姉も家を出ていたため、母と父が住んでいたのだが、2人にばったり会うこともなく、あっという間に通り過ぎ、そして遠のいていった。
 
すると急に、私は両親をあの家に「置いてきてしまった」という気持ちが押し寄せてきて、なぜだかボロボロと泣いてしまった。なんだかひどく寂しい場所に2人を置いてきてしまったなあ、と思えたのだ。上京してからあまり帰省していなかったから、自分で思っていたより気持ちも距離も、2人から離れていたのだろうか。実家を出て、自由だ!とは思ったけど、「寂しい」と思ったことはないと思っていた。でも、心のどこかにはいつも、なんとも言えない罪悪感があったのだ。
 
その先輩が、せっかくなら名古屋名物を食べたいというので、初めてひつまぶしを食べた。母がうなぎ嫌いだった事もあって、外食でうなぎを食べたりしなかったから感動した。しかし、実は小さい頃、私はあまりうなぎの味が好きではなかった。でもそうとは言えず、食卓にスーパーで買ったうなぎが出てくると「おいしい」と言って食べていた。今は本当においしいと思うのに。
 
あの日のひつまぶしの味を、たぶんずっと忘れないと思う。今でも実家の前を通ったことを思い出すと、少し落ち込んでしまう。しかしあれから時は経ち、私も少しは大人になったので、母親からの電話にもちゃんと出るし、「元気よ、大丈夫よ、何も問題ないわ」と伝えるようになった。だから、昔ごくたまにしか電話に出なかった私に、母が開口一番「生きてたのね!」と驚くこともなくなった。


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『犬鳴村』


現在公開中のホラー映画『犬鳴村』は、そんなあの日の、実家の前を横切ったときの気持ちを思い出させる映画だった。舞台は実在する心霊スポット「旧犬鳴トンネル」。犬鳴村とは、そのトンネルの先にあるとされる村で、長らく都市伝説として語られてきた。映画はこの村をテーマに、主人公が自分の家族の血筋をたどっていく物語となっている。
 
“愛しているけど恐れている”という複雑な感情が、主人公の奏を長女とする森田家を覆っている。幼い頃から霊が見える体質の奏と母。さらに祖母は、赤子のとき玄関先に捨てられており、その出生は不明。奏の父はなぜか母に対し、きつくあたる。そんなある日、犬鳴トンネルで奏の兄と小学生の弟が失踪する事件が起こる。身の回りで起こる不可解な出来事の数々に、奏はやがて、森田家の血筋が、ダム建設のために沈められた犬鳴村に関係しているのではないかと思い始める。
 
劇中、奏が直接父を問いただすシーンがある。「前から思ってた。なんでお母さんのこと嫌うの?」。それに対し、「そんなことない」と答える父。なおも食い下がる奏に、父は険しい顔で、「俺はお前らが怖いんだよ」と告白し、「混ざっちゃいけない血だったんだ…」とつぶやく。
 
一見モラハラ夫に服従する妻のように見える両親の関係だが、息子たちが失踪し正気を失っていく母を、時に恐れ、それでも見捨てることのない父の姿に、計り知れない心の動きがあることを思わせる。そんな父の“愛しているけど恐れている”という苦々しい感情。おそらくこの気持ちは、森田家の血筋が忌むべきものだと疑う奏の心にも、横たわっていたのではないだろうか。
 
そんな奏に森田家のファミリー・ヒストリーを紐解かせるため、ある霊が奏を犬鳴村へと導いていく。それは奏が幼い頃から見えていた霊で、ハンチング帽を被った正体不明の青年だ。彼から犬鳴村の哀しい顛末を教えられた奏は、失踪した兄と弟を探すため、ついに犬鳴トンネルに足を踏み入れる。
 
この青年が、物語の序盤で弟の部屋にいた奏の背後に現れるシーンがあるのだが、その姿はぼんやりとしていてほとんど影であるにもかかわらず、とても不気味な登場だった。何かにつけて、奏につきまとう青年の霊。幼い奏が祖母の家の縁側で座っているときも、少し離れた小高い丘にある墓地にいつの間にか立っていた。彼はなぜ彼女を怖がらせるようなことをするのだろうか。
 
だが、彼は、実は奏を怖がらせようとしているのではなかった。彼もまた、“愛しているけど恐れている”思いを持つ人間のひとりであり、愛する人のために、ある行動を起こさねばならない使命があったのだ。
 
この青年や奏をめぐる運命は、とても感動的な結末を迎える。そのとき、不気味な存在としての霊は、全くちがうものとして描かれる。森田家の家族の中にあった恐れの感情は、消え去るというよりは許されたよう見えた。
 
あの日、実家の前を黙って通り過ぎたとき、後悔や自責の念が押し寄せた。本当は母に話したいけれど、話すのが怖い。そう思うこと自体が悪い事のような気すらしていた。しかし、実はもっと大らかな気持ちで、母は私を見守ろうとしていたのかもしれない。そう思った時、私は初めて許されたような気がしていた。
 
その“愛しているけど恐れている”母だが、一昨年の冬から私が他人と同居し始め、めっぽう連絡の回数が減った。一度、家を見に東京にやって来た時、部屋がきれいに片付いていたので(きれい好きの同居人のおかげだが)、安心したらしい。「あんたも少しはやらないとね…」と言い残し、帰っていった。なぜか、私が片付けていないことだけは知っていた。
 
今、東京が新型コロナウイルスで大変な状態になっているが、電話一つかかってこないことがかえって不気味なので、こちらからかけてみた。すると開口一番「かけようと思ってたんだけど、なんだか恐ろしくってかけられなかったわ~」と言われた。一体何が恐ろしいのか全くわからなかったが、ひとまず「元気にしてるから」と言っておいた。時が経つと、母と子の関係も少しずつ変わるのだろうか。
 
映画『犬鳴村』は、Jホラーを強く意識した前半の恐怖シーンの連続にも目を見張るが、後半にかけて展開するファミリー・ヒストリーの探求こそ、清水崇監督の真骨頂。主人公を巧みに時空に介入させ、核心へと迫っていく清水スタイルを、ぜひ堪能してほしい。


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犬鳴村
2020年 / 日本 / 108分 / 配給:東映 / 監督・脚本:清水崇 / 脚本:保坂大輔 / 出演:三吉彩花、坂東龍汰、古川毅、宮野陽名、大谷凜香、高嶋政伸、高島礼子ほか
大ヒット公開中!
公式サイト


冨田翔子

エンタメWebサイト編集部勤め。好きなジャンルはホラー映画。心意気のある映画を愛する。