あいちで特集上映をした 第3回

「あいちトリエンナーレ2019」(2019年8月~10月開催)で映像プログラムのキュレーターを務めた杉原永純さんが、トリエンナーレでの仕事やその後起こった出来事について綴る連載。第3回は、トリエンナーレで初上映され、その再編集版が『A DAY IN THE AICHI 劇場版 さよならあいち』として劇場公開もされているドキュメンタリー作品について、杉原さんがカンパニー松尾監督に同作の委託制作を依頼した理由とともに書いてくれています。

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京都みなみ会館はうらやましくなる劇場の作りだった。3スクリーンのそれぞれの席数配置もとても今っぽい



『A DAY IN THE AICHI』と『新しい目の旅立ち』 



文・写真=杉原永純


2月、配給協力しているマシュー・バーニー『リダウト』と、カンパニー松尾監督『A Day in the Aichi』の劇場公開再編集版『A DAY IN THE AICHI 劇場版 さよならあいち』(以下『さよならあいち』)の名古屋、大阪、京都での上映がちょうど時期的に重なり、久々に劇場ご挨拶に出かけた。
シネマスコーレでの『さよならあいち』上映最終日翌日、松尾さんに運転してもらって京都までご一緒した際、ナビの指示通り名古屋の高速に乗ろうとしたら料金所が閉まっていて、おや、となった。理由もよく分からず通り過ぎたのだが、その日夕方のニュースで、名古屋高速の料金所も新型コロナウイルスの影響で人手が足りておらず、一部料金所を閉鎖していたと知った。
料金所が勝手に閉まっているとか、まるでゾンビ映画のような風景だった。ちょうど映画館にもコロナの影響が出始めていて、ミニシアターの動員はどこも芳しくない。そもそもミニシアターの動員は厳しいと言ってしまっていいと思うが、それに増してである。小さな劇場やアート系と呼ばれる映画が平日日中に動くことのできるシニア層に支えられていることも事実で、彼らには週1であれ月1であれ日常的に映画館に行くというルーティーンがある。逆に「非日常」になれば、当然そのルーティーンが粛々と修正されるため、その中に含まれる映画館が消える。日本ではイベントの自粛要請が一応出てはいるものの、感染が今拡大している米国では大手映画館チェーンが一斉で休館を決めたようだ。


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シネ・ヌーヴォは2014年以来の再訪。維新派の手がけた内装がとことん格好いい。
『リダウト』を少し見せてもらったが、音がとても良いことが確認できた


こんな中、ラピュタ阿佐ヶ谷で勝新主演の『御用牙』を見た。1972年勝プロダクション製作・東宝配給。小池一夫原作・脚本、三隅研次監督作。コンプライアンス完全無視のこの映画を見にきていたおおよそ20人は全て男性(渋谷でイーストウッド『リチャード・ジュエル』を見たときは男女半々だったが一桁しかいなかった…が、映画はすこぶるよかった)、大方中年以上というムンムンした空間で、殊更この映画が今必要だとか貴重だとか言わないが、ただ、いつものように、こうやってまだまだ自分が知らない映画を35ミリで見ることができることに感謝した。勝プロの映画の上映があればできるだけ駆けつけておきたい。

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ラピュタ阿佐ヶ谷ロビーに飾られた公開当時のポスター


この2020年2月末に至って、あいちトリエンナーレ2019のカタログの編集がようやく終わった。
通常美術展のカタログは、見にきた方が手にとって帰れるように、もちろんオープン日には納品されていて購入できる状態になっているのが理想だが、インスタレーションとして発表される新作は、展示オープン日が作品の完成日であり、展示ビューを残すこともカタログの重要な役割であるため、そこからやっと撮影・編集ができてくる。会期末までに間に合うようにというのが当初の目標だったが、日々刻々と変化があった世界的にも稀なトリエンナーレであったため、会期中はとにかく編集チームは変化を記録することに奔走していた。10月の怒涛のクロージングまで何とか走り抜くことが優先で、それらの膨大な素材をどう編集するかは全部終わって一息入れるまでは考える余地もなかった。仮に、あの10月のタイミングに新型ウイルスが発生していたら果たしてどうなっていたのだろうか、想像できない。


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近所の野良の顔見知りがどんどん増える。これはランボー(長男/乱暴だったらしいからランボー)とダイゴ(五男)だと教えてもらった。自分にはどっちがどっちか見分けがつかない


映像プログラムは基本的に既存の映画作品、テレビ作品を選んでプログラムしていたので、カタログに収録する情報は静的である。ただ、一本だけ、芸術監督とキュレトリアル・チームと事務局に交渉して、今回のトリエンナーレで初めて映像プログラムで委嘱作品を作る枠を設けた。それがカンパニー松尾監督『A Day in the Aichi』。今少しずつ上映をしている3時間20分版の『さよならあいち』のトリエンナーレ上映限定版として完成したのが『A Day』であり、当初は4時間超の上映尺があった。
あの混乱の前に撮影をし、混乱の最中に編集をして完成した作品である。あいちトリエンナーレで本作を残せたことが何より良かった。
愛知に住む人、愛知にゆかりのある人に、愛知で生まれ育った松尾さんがインタビューしていき、折々にご実家の春日井市に住む母親に会いにいく。特別なことは何も起きない、ある種静かなセルフ・ドキュメンタリーである。普段の領域とは全然違う公的な芸術祭で発表するこの作品のために、これまで松尾さんが禁じ手にしてきた家族や猫を多分に盛り込んでくれたことには感謝しかない。『さよならあいち』では、トリエンナーレ4時間版とはエンディングのところがまるっと入れ替わっていて松尾さんの個人的な視点が強まっている。それが何なのかはここでは書かない。是非スクリーンで見て欲しいところなので。
『さよならあいち』で松尾さんが入れてくれたエンディングはとても気に入っている。プロデューサーとしてクレジットされているのだから、この作品の魅力を大風呂敷広げて伝えなきゃと思う反面、やはり何も特別なことが起きないドキュメンタリーなんですとつい口にしてしまう。『劇場版テレクラキャノンボール2013』を好きな人には、どうしても地味に映るだろう。


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児童公園にいるソックス三兄弟の真ん中の子。天気の良い日は木の枝で寝ている


自分もうまく言葉にできていなかった魅力を最近になってようやく言葉にできてきた気がする。タイの小説家で脚本家でもある、プラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』を読んだことがそのきっかけだ。久々に充実した読書体験だった。自分はここ数年東南アジアへ行く機会は人よりは多いと思う。ただその経験をうまく言葉にできずにいた。『新しい目の旅立ち』はその感覚を、的確に捉えていた。
20歳のころ中国の雲南省を旅したとき、タイからラオスへと至る『バンコクナイツ』の道程を辿る空族とスタジオ石の旅に同行した際、そして昨年末ベトナム北東部を取材兼撮影に行った時、『新しい目の旅立ち』に描かれているような経験を片手で数えるほどにはしてきたつもりである。
『新しい目の旅立ち』は、哲学的旅エッセイであり、小説的でもある。「黒魔術の島」と呼ばれるシキホール島での滞在を経て、結果、自分は都会の人間である、と、旅する主人公プラープダー・ユンが述べる箇所は、『さよならあいち』でカンパニー松尾監督が、とある青年に出会って語り合っていくところで、最後「I FIGHT IN TOKYO」という言葉が、あの例のフォントで大写しに画面に映し出されるシーンととても近い。念の為付記しておくと、松尾さんのこの言葉は、とある青年の発言や姿勢を否定する方向で出てきた言葉ではない。彼は彼で、これから何にでもなれるし何でもできる。松尾さんは、ずっと「行き当たりばったりで」「流されてきた」と、自分との企画会議中も語っていた。愛知のドキュメンタリーを撮っていった行き止まりのところで、この言葉が自然と出てきたのだと理解している。1980年代からビデオカメラ片手に駆け抜けたからこそ説得的に映る、松尾さんの確固たる個人主義でもあるし、同時に他人の価値観を許容する圧倒的な優しさでもある。
カンパニー松尾監督に、あいちトリエンナーレでの委嘱制作を依頼した理由はいくつもある。まず「情の時代」というテーマに対して真っ先に思いついた映像の作り手であること。愛知県出身であること(は、あとで思い出した)、家族=お母さんがご実家の春日井市に住んでいること。おそらく松尾さん自身を見つめる旅の記録になるだろうし、家族のドキュメンタリーになるであることを想定していた。AVでのキャリアを重ねてきた松尾さんだからこそ見える故郷愛知の風景をこのトリエンナーレで見せて欲しいと願った、とかとか訊かれたら答えてきた気がするが、まだ何か足りないと思っていた。
松尾さんは東京で戦っているとは普段は言わない。愛知に、この撮影でかなり長い時間向き合ってやっとたどり着いたところに「I FIGHT IN TOKYO」がある。プラープダー・ユンは、黒魔術の研究者でも何でもなく、何となく(ではないにしても、それとなく流れがあって)シキホール島にたどり着き、その島ならではの経験をし、感動したり、当初の予想とのズレもあり幻滅したりもする。
旅は特別でありたいと誰でも願う。旅の経験は誰だって強く記憶に刻まれる。しかしその土地に根を下ろすことがないのが旅だから、その土地との距離や、旅の終わりが見え、離れるとき、日常に戻る瞬間にこそその人の態度が現れると思う。
その距離を、松尾さんには最も期待していたのだと気付いた。故郷だから、と、ゼロ距離で被写体を捉えることのできる作家を指名する方法もあったかもしれない。松尾さんは、愛知を撮るとしても、東京で戦い続けてきた20-30年を経て今戻ったとして、絶対に埋まらない距離があると感じていた。それがこの『さよならあいち』には残っている。
だから『さよならあいち』は愛知のみについての映画ではなく、長く離れた故郷について思いを巡らせる松尾さんの旅の記録と言ってもいいかもしれない。個人的なことを、半年以上の期間をかけて、向き合ってもらった貴重な記録だからこそ、見る人にとっての故郷とか家族とかを想起することができるのではないか。というわけで『さよならあいち』見てください。
あと、『A Day in the Aichi』の企画段階で、個人的にはとても気に入っていたのだがボツになってしまった企画があって、それは改めてどこかで松尾さんに監督してもらう機会を作りたいと思っている。

 

杉原永純

映画キュレーター。2011-2014年オーディトリウム渋谷番組編成。2014年-2019年山口情報芸術センター[YCAM]シネマ担当。「YCAMシネマ」「YCAM爆音映画祭」など映画上映プログラムを担当するほか、映画製作プロジェクト「YCAM Film Factory」にて『ギ・あいうえおス 他山の石を以って己の玉を磨くべし』(柴田剛監督)、『映画 潜行一千里』(向山正洋監督)、『ブランク』(染谷将太監督)、『ワイルドツアー』(三宅唱監督)をプロデュース。ほか、空族+スタジオ石+YCAM「潜行一千里」、三宅唱+YCAM「ワールドツアー」などのインスタレーション展をキュレーション。
近況:4月11日(土)から1週間ユーロスペースで「吉開菜央特集:Dancing Films」を劇場公開。『Grand Bouquet』を東京初上映します。上映検討してくださる方、是非ご一報ください。