宝ヶ池の沈まぬ亀 第42回

青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第42回は、2006年の作品『こおろぎ』がついに劇場公開され、11月から準備やロケハンが続いていたドラマ『金魚姫』がクランクインするなど、まさに師走という異称に相応する2019年12月の日記。撮影の話に加え、その過密スケジュールのなかで見た映画(『荒野の女たち』『黒衣の刺客』『不滅の物語』etc.)や聴いた音楽(湯浅湾、ザ・フー、U2 etc.)、訃報が届いた柴田駿さんやアンナ・カリーナのことが記されています。


42、So long, you, bastard! And Happy new year!



文=青山真治


某日、Pより企画の相談で昼に呼び出し。なんとなく触手が伸びる。にしてもたぶん早くて来年末あたりの話。現状としては、こちらはこちらで黙々と、だんだん固まっていく自分の企画といまそこにある危機をさらに練り上げていく所存。
しかし、とはいえ体力は戻らず。風邪がぶり返した感もあり、へとへと。かかりつけの病院に行きたいが、その余裕もなし。
 
某日、とにかくやらないと話にならないので、美打ち。昼開始で延々と6時過ぎまで。それにしても寒すぎる。この日もまたへとへとで帰宅すると、シナリオ直しをしなければならないのに、起きているのがやっと。ぱるるも寒いのか、元気がない。が、大好きな女優が帰るなり大はしゃぎ。まあそういうものだ。
 
某日、コンビニうどんを朝餉に午前中CG打合せ。午後帰宅してようやく病院へ。ここ数日心臓がヤバい感じがしていて、とにかく行かねば、と駆けつけた次第。で、帰宅して薬を飲むと俄然調子を取り戻す。利尿剤により不安だった膀胱もいくらかスッキリ。薬の世話になっている我が身を情けなく思うより、快調が一番である。その後編集室へ。エンドロールの段取りをつける。帰りにモスバーガーを贖い自宅で食す。すると6時台でもう眠い。中曽根康弘が逝った。いくらか寝て起きるとやがて家族が揃い、そのうちぱるるが何かを拾って自分のアジトに潜伏したというので、それを探索しているうち、飼い犬に手を噛まれる事態が発生。それなりに出血する。で、それなりに叱り、血の匂いを嗅がせるとなんとなく反省しているように見えるから可笑しい。
 
某日、女優は早朝からロケ。早く起きた朝は、というわけではないが、ジョン・フォード。
初見から三十年ぶり近く、その時は無字幕のVHSで、それ以降もどこか外国のシネマテークで35ミリで、さらにテレビ放送で字幕つきを、とたしか三回見た記憶があるが、しばらく前に出たDVDをようやく。『荒野の女たち』である。言うまでもなくアン・バンクロフトを中心とする美しさは何度見ても決して色褪せないのだが、ただひたすら美しいとだけ言っていても始まらず、この単純さ、簡潔さを自分に何度も叩き込むばかりだ。今後私は見たことないものではなく、何度見ても飽き足らないものばかりを見て行こうと思う。もう残り少ない人生である。このような美しさ、単純さ、簡潔さに自分がたどり着けるとはよう思いませんが、ただただ勉強し続けるしかございません。もう一度演出としての愛とエゴと友情をキャメラと被写体の距離として処理することの残酷さを磨き直さなければ、と思う。1966年という時代とどう行き違ったか知らないが、この作品の蒙った不幸とそれを乗り越える栄光とを同時に考えねばならない。大樹の根方に座ったマーガレット・レイトンにふと近づいて傍に腰を下ろすバンクロフトの静かで鮮烈な抒情。ここにも何度見ても見足りないフォードがある。朝餉はコンビニの鍋と巻き寿司。猫たちのご飯を買いに出る。


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午後、子役オーディション。金魚すくいにも天性というものが必要であると痛感。続いて特殊造形打ち合わせ。偶然にもかつて濱マイクで「マイクの木」を作ってくれた宗くんが担当だった。終了後、野本と焼肉に行き、久しぶりに美食を堪能。下北沢に移動し、ルーインで呑んでいるうちにマサルが合流。本日はパリからリスボンから青山から蒲田から、と友人たちが一斉にやってきてイベントをやっているが、それら全部に顔を出す体力があるわけでなし、ともあれ心からみなさんに祝福を、で普段の同僚と、という形で一夜を過ごし、ふらりLJに寄れば偶然にペドロとクリスと土田環、ほか御一行が。さすがに合流というわけには行かないので、離れて飲み続け、見送って、そうして我々も解散した。
とはいえ、彼らはずっと自分の仕事をし続けており、私はほとんどこの20年ばかり、他人の企画、他人の物語を受け入れてその演出に従事している。不甲斐ない気はするが、それで落ち込んでいるわけではないし、引け目に感じているわけでもない。これが私の選んだ生き方であり、自分の企画・自分の物語を語り得る映画作家はごく限られているのだから、そこでその方々と勝負する、というと大袈裟だが、そうした関係を持ちたいなどと考えたこともない。ただペドロがこうしている、オリヴィエがこうしているという話を聞くと、あるいはアルノーが、とか、この国の作家たちの話題よりもずっとファイトが湧くことはたしかだ。贅沢をいうつもりはないが、人生はそれほど長くはない。


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某日、というわけで今年最後の休日は宿酔から始まる。やがて女優がどうしても見ろというので数日間避けていた『E.T.』の最新版を見ると、とりあえず涙腺は3カット目くらいから決壊し、あとは見終わった後も延々と。これはやばいと思いつつ、小さい頃にこの映画と出会ったこと自体に心から感謝してしまう。
昼過ぎにソフィア・コッポラ『ビガイルド』を見るが、これは残念。どうしてこれをやりたかったのか、わかるようで全くわからない。何のためだったんだろう? シーゲルとイーストウッドをマッチョとして攻撃しているようにも見えない。芸術映画にしたかったということか。前作『ブリングリング』があまりによかったせいでちょっと気持ちが折れる。
 
某日、朝餉はハンバーグ。十時新宿集合で雨中墓地再探索。何となくやり方を決める。その後豪雨の中、江戸川区まで「主役」を贖いに。うまくいってくれるといいが。四谷に戻り、野本とランチを取った後で主演二人の顔合わせを。たぶんうまくいく。千駄ヶ谷へ移動、衣装合わせ。うまくいく気しかしない。帰宅するとひたすら眠い。
 
某日、払暁に急な雨音で目覚める。先が思いやられる。何もかもこの反社会的勢力そのものの政権のせいだ。ともあれ、女優による鍋を朝餉に一日を始め、九時新宿集合。本郷でもう一つの「主役」を贖い、さらに鶴見のロケセットを再確認。昼過ぎで戦線離脱。自宅へ戻ると書籍が届いている。赤坂太輔著『フレームの外へ』(森話社)である。これまで難解・難読の文とついていけないマニアックにすぎる情報によって散々うんざりしてきたのだが、最初の数ページを読めば何と驚くほどリーダブルで、これは大変な労作だろうと推測。じっくり読まねばならないと確信するのだが、何しろクランクイン直前である。何かを言えるのはおそらく年明けとなるだろう。皆さん、その前にきっちり読んでいただけたら幸いです。あ、まあ…大学の同級生です。


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夜更けにウォルシュ『戦場を駆ける男』(42)を。原題Desperate Journey。いやはやとてつもなく隙のない大活劇なのに、全く気負ったところがないのはこれが当然のように戦中の国策映画だからだろうか。もちろん同僚も死ぬが、それ以上に(ほとんど喜劇的に)ナチスは間抜けに設定され、しかしギリギリ笑いに転ばない(愛されない)ように描く、その「いい塩梅」加減が見事だ。この見事さがわかることと自分がこの時のウォルシュと現在同年齢であることは何か関係があるだろうか。あるといいと思う。
 
某日、朝十時に芝公園ロケハン→狛江→(あざみ野で昼食・「権八」そぼろ丼・量多すぎ)→藤が丘→センター北。諸々ほぼ決まる。昼食中にアフガンの中村哲氏銃撃の報。その時は命に別状なしということだったが、夜帰宅してみると死去と。呆然としつつ、度し難い義憤を感じる。べつにそれを押し付ける気は毛頭ないが、こういう日くらい黙れと。労働環境がどうのこうの、恥の概念は人それぞれだろうが、みっともないから黙れ、そもそもみっともないことをしているのに、こういう日に黙れないのはこの上なくみっともないと睨みつけてやりたくなる。義憤にかられたってかられなくたって生活が苦しいのは同じだから私は彼らを睨みつける。それを彼らが痛くも痒くも思わないのはわかっている。だから勝手に睨みつける。彼らとは決して相入れることはない。それにしてもビル・モーズレイ(『いけにえ2』の次男)まで東京にいる。ときならぬ映画都市再び。
 
某日、九時新宿集合出発。栃木県佐野→(昼食・関東「とんでん」制覇への道)→埼玉県坂戸→押上→大島→神保町。ロングドライヴに次ぐロングドライヴ。しかしこの世に山と事故が起こっているのに我々が事故に巻き込まれないのは、何より制作部の安全運転の賜物だと思われ、一日の終わりに心から感謝した。
それにしても場所とは何と魅力的なファクターか! 人物と同じくらい、台詞の何十倍も、物語の何百倍も魅力的だ。人物が場所に応じて行う運動を描写すること、これが映画の魅力のほぼ全てだ。何よりも具体的な場所とは映画特有のものだ。このことを理解するスタッフと仕事することの歓びは他に換え難い。ただ、一方に途中で投げ出すように顔を見せなくなる連中がいる。何もかも後手後手で、まずくなると現場に放り出す。映画の愉しみを味わうことなくただノルマをこなしている。そうした人々をあまりプロフェッショナルと認める気になれない、残念だが。
歩数計を見るとロケハン時と普段とでは五千歩近く違っている。普段はだいたい五千歩しか歩いていないが、昨日一万歩、今日一万五千歩といった具合。朝満員のバスに乗るのが嫌で駅まで歩いているのも理由だろう。いずれにせよ多少なりと運動になっている。
 
某日、朝餉は味噌汁とカルボナーラという変則スタイル。午前中、ブルーレイを贖っておいたキン・フー『山中傳奇』を部分的に、風俗考証のために。それにしてもいちいち長い描写の続く映画であることを思い出す。自分も初期、このようなのんびりとしたアジア・テイストを共有していた気もする。昼に出発、衣装合わせ。今回は久方ぶりにご一緒する方が多い。そういうことも楽しみとなる。と、途中で問題発覚。合成部が打ち合わせ通りにはいかないことが判明。しかも前日偶然出会った「悪役」はすでに売却済。買い手を突き止め「倍出すから売ってくれ」と交渉すべきとか冗談めかして言っていたが、実際これがないと成立しない。ともあれその後、どうにかなったらしくひと安心。夜、うどんを食し、さらに風俗考証を進めるべく公開以来の『黒衣の刺客』を見るのだが、あまりの傑作ぶりに考証どころではなくなった。先日書いた「人物が場所に応じて行う運動を描写すること」の完璧な実践。一撃必殺の、不条理な暗殺の世界が古代中国の荒涼とした山岳地帯で展開する環境は、朝見たキン・フーからの影響を感じるが、同時にそれを刷新する意志を強く感じる。長々と戦いが続くのではなく、緊張の間合いの後に「三手で決着がつく」勝負の流れと、チャン・チェンの堂々とした王の振る舞いとが交互に示される劇画的構成にもクールな刷新を感じる。師匠とも勝負を決め、もはや向かうところ敵なしとなったスー・チーの所在無さはむしろ古典的であったとしても、あくまで冷静な佇まいは感動的なまでに凛々しい。できればこれがシリーズ化されて欲しいが、おそらく金のかかりすぎた製作状況が許さないだろう。
 
某日、午前中はふと荷風の戦後が気になって、あれこれ考え込む。評判はすこぶる悪いのだが、読まないことには始まらない。偶然にも岩波が今年になって三冊文庫を出したので、これを贖う。昼からは新宿ケイズシネマにて十三年ぶりの『こおろぎ』初日である。生憎のぐずついた天気だが、まあ仕方ない。いまも一緒に仕事をしている仲間たちがきてくれる。当時の仲間も、すでに何人かは亡くなってしまったが、いまも同じように黙々ときゃあきゃあ言いながらいい加減に一緒に前に進んでいる気がする。見にきてくださった人々も非常に楽しんでくれた模様。なんとも幸せな気分に浸る。終映後、陽一郎、龍、マサルとともに「ライオン」。そこからはあまり記憶がなく、下北沢であちこち周遊した気がする。色々重要な話をしたかと思うが、記憶はのちに補填されるであろう。





某日、いつものように早起きしたにもかかわらず、時間を取り違え、美打ちに三〇分以上遅刻。初対面の「悪役」(金魚)はかなりご機嫌さんの面相。哲さん・野本と昼を食ってから衣装合わせ。とうとう松本勝が出演せざるをえなくなった。誰もが顔見知りのように振舞うが、実は一度も作品に登場したことはないのだった。本人曰く初対面から十六年が経過した由。ともあれ、やってみようではないか。終わってから世良佑樹と三人で「とん豚テジ」で祝杯。
 
某日、午前はジャケットが最高の湯浅湾『脈』。やっぱりこうなったらもう、といった心意気でできている。歌詞カードの誤植まで正装に着替えた上で真剣に問うてしまいかねないリラックスムード。ほとんどRC名盤中の名盤『ハートのエース』のC面D面、とでも呼びたいような出来栄え。何年振りも何もついこないだだ、ざまあみやがれ。
そういう現実の側の足場はどうにかなりそうなのだが、数年前のFCウエルズ特集では無字幕だったが届いたBDで『不滅の物語』を見て迷宮入りの極意を学ぼうとし、とはいえ流石にウエルズ、一筋縄ではいかない。これは駆け引きであって学んだことと引き換えに自分の一部をあちらに譲り渡さざるを得なくそこは作品内だろうと現実だろうと全て時空を超えて巻き込まれてしまう。こういうことというのはみんな経験しているのだろうか。こういうことは本当に厄介なので、五十すぎてからにした方がいいと思う。ジャンヌは誰よりもエロくてオーソンは誰よりも彼岸にいて生き死にの境涯を超えている。『ベニスに死す』の百倍くらい危険である。


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某日、朝に渋谷でお祓いののちのオールスタッフミーティングもなかなか手間がかかり、時間もかかり、スタッフ一同の苦労が忍ばれる。昼を仲よき友と共に食し、衣装合わせに。またしても久方ぶりの方と。その後編集室へ。様々なキャメラテストでの撮影を試写。金魚の動きは本当にいつまで見たって見飽きない。だいたい満足してようやく演出部で食事を。
 
某日、今日こそ今年最後の休日、先日見かけて寝落ちした『ミシシッピー・バーニング』をたぶん何度目かでやっと完遂。本当に映画としてはどうでもいいのだが、まあ見ておかねば南部についてシノゴノ言えないではないか。で、本当につまらない演出なのだが、何をやりたかったのかはだいたいわかった。まあ主役二人が大変に良いのは確かだ。
夜は『ジュリア』。ジンネマンに興味を持ったことはないのだが、ジェイソン・ロバーズの芝居がどうしても見たくて。で、演出はやっぱりいいとは思えないのだが、ヴァネッサ・レッドグレイヴの義足にやられた。あれは泣く。
その後、2時間おきに寝たり起きたりを繰り返すうちにNHKドラマ『金魚姫』クランクインの朝を迎えた。しかし絶不調。下痢で呻く。ともあれ最初のロケセットを午前中で撮り終え、合流したマサル・世良佑樹とともに徒歩で移動、喫茶店で時間を潰しつつ第二現場へ。その頃には体調も平常に戻り、ここもスムーズに終えた。マサルとは十六年のつきあい、奴が俳優になってからも十三年とかそんな間柄だが、うちの作品に出たのはこれが初めて。感慨深い。志尊淳くんが主演だが、正面から撮るとピエール・クレマンティに似ていることに気づく。両方とも正当な美形であり、似るところがあっても不思議ではないのだが。どこか怖いようなものを持っているところも似ている。


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某日、今朝は快調、現地集合。プラン通りの演出。しかし外ロケシーンで、とある理不尽な出来事からプランが一旦崩れ、もう二度とM区ではロケしない、というか23区の公園という公園でロケはしない、と誓う。そのタイトルを持つ映画で獲得したロカルノの賞に賭けて誓う。その点、夕方の狛江市は気前が良く嬉しい限り。ただしいい金取るらしいけどね。監督の突然ふっかける理不尽な要求にもめげず、スタッフは(というか撮影・中島美緒と照明・松本憲人は)素晴らしい仕事をしてくれた。
帰宅すると柴田駿氏が鬼籍に入ったと知る。絶句。世界中でお世話になった。三三七拍子だね、と『ユリイカ』の尺をからかって下さった。毎年お歳暮を下さった。ご近所だった当時、偶然夜道で出会うと枝豆を下さった。私にとっては神出鬼没の素敵すぎる怪人だった。言うまでもなくフランス映画社として数々のかけがえのない作品を見せて下さった。柴田さんがいなければどうなっていただろう。だが柴田さんのために私自身は何もできなかった。後悔しかないができることならせめていい映画を作りたい。
 
某日、まあそれからどうした、という塩梅で日々が流れたのだが、三日間都筑のマンションで終わりそうにない量のシーンを、朝五時に家を出て撮影中は延々とイライラし怒鳴り散らし、身も心もヘトヘトになって夜十時過ぎに帰宅、それから演出プランとカット割り、みたいな感じで進行。三日目はいわゆる「送り」となった。深夜一時帰宅。幸いにして明日は雨、ということで撮休。何しろ今後はまだノープランにつき個人的には助かったけれども、旅の重さに変わりはない。それにしても年末朝五時の街は若者を中心として無軌道である。鬱憤が溜まっているのかそれとも気持ちよく青春を謳歌しているのか知らないが、もはやその勢いは怖いほどだ。まあこちらが歳を食っただけに過ぎないのだろうが。三日目は某女優の最終日。この方も極めて優れた方であった。もっとシーン数があればよかったのに、と思わせる役者は当然良い役者であるのに間違いない。なお三日目にアンナ・カリーナの訃報が舞い込み、一日中アンナのことを考えていた。しかしなぜか脳内では『シャルロットとジュール』の映像が流れ続け、しかし結局似ても似つかぬショットばかり撮っていたのも映画というものの不思議さだという気がした。その夜は矢作の大将の忘年会だったが、大将もお嘆きのことだったと思われる。こちらは何年ぶりかの欠席であったが。
 
某日、休みなので仕事をしたいと思うのだが、ボケボケ。数日間の便秘が解除され、ずっと腹が鳴っている。朝はどういう理由か注文していたU2の『The Joshua Tree』と『All That You Can’t Leave Behind』を聴く。U2を好きだと思ったことは一度もないのだが、今回はなんというか気持ち良く聴けた。女優はモデルだった当時、U2を聴きながらダブリンで仕事し、海の広がりを見てあまりの寂しさに泣いた、という話を聞かせてくれた。そんなわけでこれが30周年記念盤であることになんら不思議はないのだった。午後は、次の伊豆行きのために、と贖っておいたGABY MORENO & VAN DYKE PARKSの『¡SPANGLED!』を。超絶サウンドにしばし薄暗い冬の空を忘れる。その後、オリヴェイラ『アブラハム渓谷』を三十分ほど、つまりシルヴェイラ登場あたりまで見てから、仕事開始。しかしペドロは出ているのにオリヴェイラのブルーレイが未だ出ていない(『トラス・オス・モンテス』も)というのはどうもバランスがよくない気がする。というより最良の画質でオリヴェイラの全作品が見られないことをきわめて理不尽に感じる。夕餉(ポトフ)の後、結局全篇見てしまう。確かこれはBOWシリーズだったはずだから、いわば柴田さん追悼の儀式だと気づく。で、魂を揺さぶられ、明日のためにも見てよかったと心から思う。それ以上に、たんに大傑作である。仕事は遅れてしまったけれど、見直す方が大切だった。
 
某日、朝八時に新宿の某寺へ行き、何束もの線香を野本とともに墓場のあっちこっちと移動させている様は、はたから見て何と滑稽なことかと思われたが、でもやるんだよ、とにかくそれがやりたいのだから。そうしてわが故郷の大先輩・みんな大好き「可愛いベイビー」をお迎えして、至福の数時間。七字氏もやってきてチョコレートの大量差し入れ。午後はナイターのために調布の神社へ。神様仏様という塩梅での一日。金魚すくいの撮影そのものはうまく運んだが、それにしても今回はいろいろとギクシャクする。まあ色々仕方ないで済ますしかない。杉山氏もやってきて、新旧助監督揃い踏みの一日でもあった。まだ来ていないのは是安だけだが、あいつはたぶん来ないだろう。帰宅すると、女優がぱるるの散歩中におけるカラスたちとの関係を告白、爆笑。まあエリクソンの小説に出てくるような人だと思ってもらってもそうハズレでもない。
 
某日、終日金魚屋。お久しぶりの國村隼氏。金魚屋に現れるにはあまりにもダンディー。そして一日中大量の金魚とともに過ごすのはなかなか得難くも疲れる体験ではあった。夕方終わり、十九時には家にいた。寝る前に、見なければ、と義侠心にかられ『ペンタゴン・ペーパーズ』前半を。もちろん伊藤詩織さんのこと、だけを考えているわけではないが。
 
某日、何か朝からムラムラと、年が明けたら某Pに提案された企画(原作もの)三本を一気に脚本化してみようかと考え続ける。脚本があった方が実現に近い気がするし、何より現場に近くありたいと願う。昨夏、かろうじて生き延びられたのはたむらさん追悼への意志があったからだとしか思えない。今年は二つの現場が支えだった。その意味で没後の今もたむらさんには感謝しかない。このまま現場に居続けられたら幸せだろう。
撮影は終日、とある邸宅。こういう郊外の農家を改造した家で作業するのにひどく向いている気がするのだが、なんだろう。馴染みがないからか。今年撮った二本ともそういうシーンがある。昼はトウタリング新作の鶏飯二種類のスープ。白湯と黄金。絶妙の美味。
帰宅して『ペンタゴン』後半。例によってさめざめと落涙。スピルバーグの、というかヤヌス・カミンスキーのキャメラポジションは、やはりいちいち気が利いている。参考にするのは大変だけどやりがいは大いにある。


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某日、昨日の続き。デイ中に30カット近くあるが、スタッフ(演出部)に緊張感が果てしなく欠如しており、彼らとの協調性を見失う。彼らは映画も芝居も好きではない。要するに他人に興味がない。俳優やスタッフがどう作り上げるか、その緊張や思考の流れは彼らにとってどうでもいいことである。業務はただのノルマであり、玩具にすぎない。連中に宿る愛されキャラを野放しにするつもりはない。これが当り前になれば、業界はますますダメになる。ウォルシュの精神とはこういうことか。昼は崎陽軒チャーハン弁当といわゆるテツ汁。テツさんお手製の味噌汁。美味。夜、別便で帰宅したが、運転がらみでマッティがやらかしたらしい報。大事なかったようで胸をなでおろす。WOWOWのはっぴいえんどがらみの番組、佐野さんには悪いがちいとも面白くなく、登場人物が松本さん以外不快な人物ばかり。見なきゃよかった。いろんな失望が重なり、夜、なかなか眠れない。
 
某日、雨天のため撮休。SNS上に先生による柴田さんの追悼文。JLGによる命名「ハヤオ・キホーテ」に落涙。我々にとってハヤオといえば言うまでもなく柴田さんのことである。
午後は鰻を食し、ピンフロ「Wish you are here」で精神統一(集中にはこれが一番)、未来に向けて懸案の原作を読み、しかるのち明日の準備を整える。
夜は何年振りかのM-1。漫才はもういいと感じていたが、なかなか若手に悪くないのもいる。見たことある連中より決勝に残ったぺこぱとミルクボーイは明らかによかった。ただ誰かも書いていたけどミルクボーイはコーンフレークとモナカが順番逆であるべきだったかもしれない。まあ優勝だからいいけど。夜更けて『The Covers』で田島貴男の歌う「指切り」を聴き、こういう風に歌ってもいいものをああいう風に歌った大瀧さんに改めて感服。
 
某日、どうも交通事情がこちらの行く手を阻んでいる。年の瀬なのだから当然だし、それにまつわる制作部の苦労は推して知るべしだが、そもそもこのスケジュールでは送りになることは必至であるがゆえに企画段階から「夜の橋」はステージにセットを組むべきだと我々は主張したが、プロダクションは金がないの一点張りで頑として譲らなかった。結果は浪費と疲労と集中力の欠如である。あの90年代の杜撰な製作体制を想起。気の毒なのは俳優たちである。ノイズと官僚的な仕切りにまみれる形でしか芝居を構築できない。こんなことはたくさんだと思ってきたが、そうでもない人たちがまだいたことが驚きとはいえ考えてみれば不思議というわけでもない。進歩など期待するだけ無駄だ。こちらはそのことにただ苛立つしかない。こんなものイマドキの街角でロケしてもいいことは何もない。結果、人手不足は事故を起こし、撮影時間を減らす。何度でも言っておくが、こんなプロダクションは時代遅れであり、うまくいかないことは目に見えている。読みの浅さが全てをダメにしている。そもそも年の瀬に軽いロケなどというものはありえないし、過去のスタジオシステムとは一線を画す新しいスタジオの活用法を採用しないと映画の未来はない。
……といった感想がクリスマス周辺の撮影で残ったものである。
 
ロケ先で見知らぬ実を見た。これはなんだろう? 野本はクチナシと言った。私もそのような気がする。


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某日、95年というから二十年以上気づいていなかったことになるが、The Whoの『Live At Leeds』の完全版なるCDが出ていて、これを贖い朝から聴く。興味の中心は「I Can’t Explain」のサビのツッコミがライヴではどうなっているか、ということだったのだが、誰もツッコまずに普通だった。しかしまあこれはこれで良い。それよりちゃんと歓声が聞こえるのでその方が驚いた。高校の頃、全曲コピーのために繰り返し針を落としたオリジナルは歓声の聞えないライヴ盤として有名だったのだが。そして中盤の初期メドレーを聴くと、ロジャーがなぜブライアンのロンドンの楽屋を表敬訪問したか、なんとなく理解できたのだった。最終的には初めて聴く「Magic Bus」がベストアクト、というかこのバンドはこれだよね。
午後、調布日活撮影所へ。ワイヤーワークの下見、などなど。何しろ初めての試みなので基本的に楽しくて仕方ないのだが、周囲はどうもピリピリしてる感あり。やりにくい。それにしても久しぶりに訪れた日活は驚くほど様変わり(縮小)していて、当時の私がピリピリしていた美術ルームはなくなっているし第一衣裳は場所が変わっている。かつてはえらく泥臭かったのがこじんまりと美化されているのは人が言うほどダメな気はせず、こういう形でやっていくことにむしろ未来を感じる。帰りは目黒で炒飯。帰宅すると女優からぱるるに関する奇妙な話。小袋入りの大福を盗んだが、袋を開けなければ食べられないことに気づくとこれを飼い主のところへ持参し、別のおやつとの交換を交渉し始めた、と。この娘、どこまで才能を伸ばすのか。
夜更けてビーフハート『Shiny Beast』を久しぶりに。この奥行きだ、欲しいのは。
さて、あと二日。
 
某日、前夜あまりにこの日を待ちわびすぎてイライラしっぱなしだったので、あれこれ贖ってしまい、ビーフハートを三枚というのは妥当だがディケンズ『荒涼館』全四巻をいきなり揃える必要があったか、いささか疑問が残る。が、それはともかく朝から調布日活へ。私史上初のワイヤーワーク(吊り)である。で、笑けてしまうほど楽しい。めっちゃ好み。グリーンバックが美しい。衣装がひらひらしているだけでニコニコしてしまう。映画をやっていてよかったと心から思う。完全なるフェチであると自覚する。それにしてもあとでさらに気づいたのだが、垂直軸を合成でやったのはこれで三度目、これまでも常に女性だったのはどういうわけだろう。今後一生やらなくていい気がした。で、本日は千客万来。プロデューサー陣、スタッフ陣。皆さんありがとう。
さあ、あと一日である。
 
某日、朝四時半起き、六時新宿集合にて、埼玉県は坂戸の某宗教施設へ、中国を撮りに。もちろんいい加減なものであり、このドラマそのものがだいたいいい加減である。さらに栃木県佐野市へ。中国はここでもいい加減なイメージのまんまであったが、まあそういうものである。午後二時半、クランクアップ。ああ、この地へいずれ新作とともにやってきたいものだとつくづく思いつつ全景を眺める。
暮れも押し迫ってはいるが、この日はまだ渋滞は起こらず、新宿まですんなり。下北沢・新雪園にて中華。勝龍会、合流。その後LJ。深夜、今年最後の金子信雄保存会。
長かった今年もいよいよ終わりである。
皆様、どうか良いお年を!


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(つづく)


青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『こおろぎ』(06)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)、自作『しがさん、無事?』(19)など。

近況:3月12日渋谷ユーロライブ、フランスで今絶好調のプロデューサー、オリヴィエ・ペールと対談します。彼はかつてロカルノ映画祭のディレクターで、パウロ・ブランコと組んで私にトロフィーをくれた人です。そして3月29日はいよいよ『金魚姫』オンエア。