妄想映画日記 その100

boid社長・樋口泰人による「妄想映画日記」なんと100回目の更新です!夏の終わりから続いた爆音映画祭の全国行脚もMOVIX昭島で今年最後の調整に。湯浅湾ニューアルバム『脈』の発売記念ライヴ、そして新作『冬時間のパリ』についてオリヴィエ・アサイヤスとのトークショーもあった12月前半の日記です。
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文=樋口泰人


12月1日(日)
昼はフィルメックス開催中の朝日ホールに行って『HHH:侯孝賢』。最初に観たのが東京映画祭だったかやはりフィルメックスだったかでの上映の時でおそらくフィルムでの上映ではなかったか。2度目が現アンスティチュフランセでベーカムでの上映。そして今回はデジタルリマスターされたDCPでの上映。2度目のいかにもビデオ上映といった輪郭のぼやけた画面の印象が強く、あの何とも言えない擦り切れ感が作品にも合っていて気に入っていたのだが、きれいになったらなったで十分にうれしい。そして上映後のトークでも監督本人が映画の中を流れる「時間」について語っていたように、まさに「時間」を映した映画だった。3度目の今回それがはっきりわかるのは、3度目だからではなくこちらの年齢のせいではないか。とはいえこの映画の中の時間は始まりから終わりへ向かって流れるものではなく、あくまでも地層のように積み重なっていくものである。街を案内する侯孝賢が街角を指さしてあそこにはあれがあってわれわれはあのとき何をしたとまるで今そこにそれがあって若き日の彼がそこを動いているのを今ここで観ているかのように説明するとき、それはまさに今そこにあるのだ。新しくなった街並みにそれが重なっていて、侯孝賢の目を通せばいくらでもそれらの重なり合ったいくつもの時代の街が目の前に浮かび上がってくる。侯孝賢の映画に映るのはそんな街並みである。時間の層が作り出した街と言ったらいいか。オリヴィエ・アサイヤスはまさにこの時、侯孝賢とともにその街を層として観たのだろう。侯孝賢と一緒に子供時代を過ごしたのだという新たな記憶がオリヴィエ・アサイヤスの胸の内に捏造される。その捏造の記憶の記録がこの『HHH:侯孝賢』という映画になったのだと言ってみたい。だからオリヴィエの『レディアサシン』(DVD発売のみ)でのカラオケ・シーンはこの映画の侯孝賢のカラオケ絶唱の記憶はもちろんのこと、なにかもっと自身の中に血肉化した、捏造された「侯孝賢」の記憶が混じっているはずだ。わたしと彼とは同じ町で育ったとかなんとか、『レディアサシン』のカラオケ・シーンは今にも語り始めそうな勢いであったように記憶しているのだが、それもまたわたしの捏造かもしれない。

 
相変わらず延々としゃべり続けるオリヴィエのトークの途中を抜け出してブルース・ビックフォード追悼上映@新文芸坐2日目。ビックフォード来日時のライヴ映像がめちゃくちゃよくて、この日世界で一番のアンダーグラウンドな空間がここにある、と世界に向かって大声で叫びたい気分になった。ビックフォードがもたらすこの最良の負の力はいったいなんなのだろうか。打ち上げでも土居くんがかかわって以降いかにひどいことが起こったかいかに儲からなかったかを次々に語るのだが、しかし全財産使い果たしてもなおまたやりたくなると。オーバーグラウンドで生きている人にはまったくわかりようもないことだろう。
 


12月2日(月)
昼から昭島へ。年内最後の爆音映画祭準備。またもや最初のセッティングに苦労した。いろいろ気にし始めるときりがない。こちらの調子がいい時はそういった細部こそその会場の特徴だと思え、それをポジティヴにとらえて調整を始めるのだが、さすがに丸々3か月を乗り切っての最後の調整だと、なかなかゆったりと構えられない。地味にひとつひとつクリアしていく。終わらない仕事はない。
 
そしてベースとなる調整を終えた後の残りの調整を井手くんに任せ、わたしはアンスティチュフランセへ。『冬時間のパリ』の上映とその後のオリヴィエとのトークである。タイトルからも想像がつくように『夏時間の庭』にも似た群像劇。今回の特集上映の中に含まれている『8月の終わり、9月の初め』の20年後のような、いよいよ中年から老年へと向かおうとするかつての若者たちの物語である。2組のカップルを中心に彼らの人間関係と彼らがかかわる出版業界のデジタル化に向けての変化、そして彼ら自身の変化が、もうこれでもかという会話の数で語られていく。そんな彼らのすぐわきにカメラがあって彼らのドタバタを写し取っていくように見えて、しかしどこか遠くから彼らのばかばかしさを冷静に眺めているようにも見える。そんな2重の視線とともに、彼らの人生の2重の役割、ふたつの立場、彼らを取り巻くふたつの状況などがあらわになっていき、それはここにいながらスクリーンの向こうを観るわれわれのふたつの立場も照らし出して、次第に自分がどこにいるのかわからなくなる。できれば映画の中と似たような結論も出口もない何かの周りをぐるぐる回るようなトークに、と思っていたらトークだけで90分を超えてしまった。
印象に残ったのは、最後のシーンのリゾート地の撮影は天候が悪くなかなか撮影できずにその日も撮影を辞めて散歩していたら突然晴れ間が出てきて慌てて撮影を始めたという話。まるで自主製作映画のような機動力。たぶんそれが、この映画の、いやオリヴィエ作品の時間とスピード感を作っているのだと思う。

 


12月3日(火)
朝9時からの昭島での爆音調整にあわせて家を出る。昨夜遅かったので大変だが、これが今年最後の調整である。どこか清々しくもある。我ながらよく働いたと思う。

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12月4日(水)
湯浅湾のアルバム発売記念ライヴ。吉祥寺スターパインズカフェにて。ようやくここまでたどり着いた。アルバムは絶品、ライヴも極上。あとは売れてくれるだけ。それが難しい。この日のA VIRGIN、PHEW、湯浅湾という流れもよかった。まだまだ捨てもんじゃないというよりこれならどこまででも行ける、という感じ。映画と比べて機動力では俄然音楽である。そしてすべてが完全でなくてもいいという立場のとり方、ダメなところをいかに見せるか聞かせるかというライヴ感がまさにバンドの生き方に直結していくシンプルな音楽の仕組みが妙に清々しくて泣けてくる。誰もが完璧に生きられるわけではない。われわれがやろうとしたり観たいと思ったりするのはショーではなくライヴなのだ。この日のライヴはそんな音楽のうれしさをたっぷり味わわせてくれた。みんなニコニコだった。打ち上げもニコニコだった。

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12月5日(木)
イーストウッド『リチャード・ジュエル』試写。『運び屋』の後にこれか、という感じの重厚感。爆弾犯人を見つけた男の物語なのだが、実際にあった事件をもとに作られていることからその顛末のサスペンスを描くというより、それらは新聞でもネットでも読んでくれというわけで、関係したそれぞれの個人の人柄や感情の細部をひたすら見つめる。物語を語るというより物語を生み出す小さな変化や動きや息遣いにただシンプルに向き合っている。これもまた映画の機動性のひとつと言ったらいいか。その小さな動きの振動と振幅が次第に大きくなって映画は終わりに向かうのだが、もちろんそこで何かが解決したとはだれにも思えない主人公の表情が冒頭のショットからあらかじめ植え付けられているような、どこまでもあいまいさを残す主人公の姿が言いようのない重さを感じさせる。いや、そんなことを思ったのはわたしだけなのかもしれないのだが。とにかくわれわれはこの映画を観たからといって彼のことを分かるわけではないし愛することができるわけではない。愛することができるのは彼を愛した人だけなのだという徹底した距離を、この映画はただ執拗に見つめている。
劇中、本来ならヒーローになるはずだった主人公を一気に貶めた記事を書いた女性記者が出てくるのだが、この野心丸出しのだれからも好かれないイケイケの女性が何ともいとおしくて、いつかイーストウッドにこの女性記者を主人公にした映画を撮ってほしいと思った。そういえばチミノの『心の指紋』だったか『逃亡者』だったかに出てきた女性弁護士だったか(もう記憶がぐしゃぐしゃになってる)もこんな感じではなかったか。イーストウッド90歳にして登場したこのタイプの女性の面白さを、若きチミノはすでにとらえていたのだなあと、思わぬ感慨に浸ったのだが、こうやって書いてみると果たしてこの記憶が正しいのかどうかもわからなくなる。バーホーベンの『エル』のイザベル・ユペールがこのタイプだった。日本映画でもこんな女性が主人公の映画はないものか。
ちなみに後に知ったのだが、実在のこの女性から、イーストウッドは訴えられているのだという。確かに役名も本名であるというから、本人にしてみればたまったものではないとは思う。



 
12月6日(金)
アンスティチュのオリヴィエ特集『8月の終わり、9月の初め』に行く予定が、事務仕事溜まりすぎていてあきらめた。サボっていってもいいのだが、結局映画に身が入らない。切り替えのうまい人がうらやましい。
夜は『冬時間のパリ』のリゾート地のシーンで流れたGURRUMULのアルバムを聴く。映画が一気に転調する、その空気の違いを始まりの第一音で宣言するような、穏やかだが確固たる音が部屋に広がる。まったく知らないミュージシャンだったのだが、調べたらピーター・バラカンさんがライヴ・マジックで招聘していた。忙しすぎるといろんなものを失う。

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12月7日(土)
さすがに疲れて寝込んでいた。『こおろぎ』の初日にも行けず。夜は友人たちと桜鍋。いつもは森下にある本店に行くのだが、この日は新宿店。こんな近くにあるのをこれまで知らなかったのだ。馬肉を堪能し終わったところで土居くんを呼び出し、土居くんは何も食べてないというので桜鍋の近所にあったスペインバルに移動して、結局みんな、さらにスペイン料理を食した。したがってこの日は馬刺し、桜鍋、スペインチーズ、イカ墨パエリアなどというなんだかわからないものになった。元気で何よりである。

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12月8日(日)
新宿K’sシネマにて『こおろぎ』。バウスでの爆音以来久々の鑑賞だったが、ひとつひとつの動きや人物の配置に圧倒されっぱなしで視覚全開。身体も脳も耳も目になっていた。『ゴダールの映画史』に倣って言えば『青山真治の映画史』とも言いたくなるような映画の記憶の果てしない展開に観たことのない映画やこれから作られるはずの映画や作り損ねられてしまった映画まで観たつもりになった。しかし長編というより短編と言いたくなる。最後の海沿いの道で主人公たちがすれ違う、あの時間がすべて。あの一瞬ですべてが起こったのだと言ってみたい。

 


12月9日(月)
書類をとりに大久保の法務局に行ったついでに、いつものビリヤニ屋でクスクスを。雑でうまい。安い。こんな感じでクスクスが食えるところはあまりない。ビリヤニもうまいのだが、いつも結局クスクスを食ってしまう。


 
12月10日(火)
延ばしてもらった原稿の締め切りの締め切りで、さすがにもう延ばしてもらうわけにはいかず、延々と原稿。諏訪君の『風の電話』の試写に行けず。原稿は何とかなった。オーソン・ウェルズとザ・フーという久々にアクロバティックな原稿を書いた。しかし『風の向こうへ』はすごい。最終的には本人が作っていないところがすごい。『イッツ・オール・トゥルー』もそうだが、ウェルズの真骨頂はこうして他人に仕上げを任せるところにあるのではないかと言いたくなる。全作品を観たくなる。時間が欲しい。
 


12月11日(水)
夕方まで事務仕事、延々と。夜は渋谷に出かけ、MUTEKという音楽とテクノロジーのイヴェントへ。1週間くらいの特集企画で本日はライゾマティクスがらみの上演がある。ヒカリエの正面くらいに出来上がったばかりの新しいビルのホールにて。どこに何があるのかわからず、ビル内もひとつの街みたいになっていて当然のように迷う。時間の余裕はあったので迷うに任せてうろうろした。ようやくたどり着いたホールは、着席してみるのかと思ったらそうではなくスタンディングで19時スタート23時30分終了という長時間のものだった。連続して行われるわけではなく5人くらいのアーティストがそれぞれの作品を上映上演する。最初のひとつはレジデンツのライトショーの21世紀版、ふたつめは裸のラリーズのオーバーヘッドプロジェクターを使ったリキッドライトショーの21世紀版。ともに今でなければできない新しさとその感触も味わえて満足。疲れたので抜け出して食事を取るとみっつめの終わりで、その後始まったよっつめはスクリーンに映る動画をスキャナーのライトのようなものが本当にスキャンしているらしくその画像データを音声データに変えて音を出しているのではないかと思えるものだった。ゼメキスの『コンタクト』の宇宙人たちは、このようにして作った音声データを地球に送っていたのだろう。そして今、地球から宇宙に向けて、地球の自然の映像から返還された音声データを宇宙に送り出している。延々とその繰り返しの潔さ。そしていつつめの真鍋大度氏の作品はたとえて言うなら脳が受け取った音声データを脳というフィルターを通して画像データに変えていく仕組みによって作られた映像。と言ってしまっていいかどうかわからないが、よっつめの平川紀道氏の作品とどこかで対を成しているように思えた。3Dに変換されたそれは圧巻だった。
ここで力尽きて帰宅したのだが、この日観た4つの作品は、例えばひとつの音源から始まって、さまざまなフィルターを通して画像となりそれがまた音声となりそれがまた画像となるような、4者が音や映像を共有しながらそれぞれの作品を作ったらどうなっただろうかという妄想が広がった。

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そして彼らがもしヘアスタイリスティックスの無声映画ライヴを観たらどんなことを思うだろうか。ひとつの映画作品から始まって、それを観た中原昌也という世界でもまれにみる貪欲さで映画や音楽を消化し続けた人間が自身に血肉化された音楽や映画のフィルターを使って音声を動画に動画を音声に次々に変換して出てきた音が、始まりの映像と合体する。1月7日のライヴをこの日集まっていた大勢の若者たちに一度でいいから観てもらいたい。何とかならないだろうか。
http://www.boid-s.com/6035
 

 
12月12日(木)
ひたすら事務作業と各所連絡。
 


12月13日(金)
やはりひたすら事務作業と各所連絡。
夜はSoi48の宇都木くん、モノラルミニプラグの牛田くんと会って、来年の企画会議。いろいろ具体的になってくる。5月をお楽しみに。


 
12月14日(土)
ぐったりしていた。
 


12月15日(日)
土曜日以上にぐったりしていた。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。