宝ヶ池の沈まぬ亀 第40回

青山真治さんによる連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第40回は2019年10月の日記。ラグビーW杯の試合に魅了されるなか、新作映画の仕上げ作業と次回作のシナリオ作り、プレロケハンが並行して進められていきます。伊豆での『仁義なき』合宿や、原稿執筆の合間に再見した『エスケープ・フロム・L.A.』『JLG/自画像』『ハメット』などについても。


40、南軍軍曹デクラークとともに葬る過去と未来について



文=青山真治


某日、『なつぞら』ロス、始まる。しばし休息ののち、といってもPC上には休みがない状態だが、とにかく出かけたのは例の『こおろぎ』の宣伝用の取材である。インタビュアーのモルモット吉田さんがとても丁寧に見てくださっていて安心して話ができた。先日行った西伊豆の風景といい、オクラになったことも含めて、自分自身この作品には並々ならぬ思い入れがあることは間違いない。初めてヴェネチアへ行ったのもこの作品である。本当に楽しかった記憶しかない。もちろん原作者である故・畠中プロデューサーには多大なご迷惑をかけたし、公開が見送られる時期は本当に骨が折れたが。
その後、目黒で大恩人でもある某編集者とお渡しした小説について。まあ心折れる話。




某日、カラコレ。この言葉、時々耳にするかもしれないが、カラーコレクションの業界用語である。そして現代映画(デジタル)の出来を左右する最も重要な作業でもある。そんな作業を心折れたまま遂行した作品の運命や如何に。いやいや、そこらへんの変節漢ぶりについては誰にも引けを取らないつもり。もちろん優秀な技師二人に囲まれているし。見事な出来栄えだと思いますよ。
その後、経堂へ。野本と真野に呼び出され、あれやこれや。あまり進展のない話で、そのまま飲み続け、LJへ。そこへマサルが合流、深夜に及ぶ。「金子信雄保存会」結成さる。

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某日、次回作シナリオその他についての打合せ。いつもながら心折れるような展開で数時間、しかし最終的にはまあなんとか。ものがろくに食えないほど体力払底。這々の体で逃げ帰るような有様。廣瀬純よりDVD用の『こおろぎ』論、届く。圧倒的。これを読むためだけにでも購入をお勧めしたい。いやマジで。
 
某日、朝から別件プレロケハン。P、デザイナー、担当、助監督、私の五人。栃木、つくばと荒涼とした風景を転戦。昼に食った行列のできる佐野ラーメン「日向屋」、美味だが若干量多し。にしても、このスープのまろやかさはやはり他に代え難い。以前ホキモトと行った店の名前が思い出せない。で、かつての日記を繙くと「まるQ」であった。あそこも美味かった。夜は新宿に戻り、打合せ方々居酒屋へ。諸々の話に花が咲く。
 
某日、ほぼ呆然とした状態で今年たぶん最後の伊豆合宿へ、女優とぱるるとともに。東名へ向かうもやはり大渋滞、試行錯誤の挙句、第三京浜〜横横を選択、これが大正解。逗子から海岸線を行き、途中西湘バイパスの工事でやや渋滞したものの、あとはスムーズに流れた。隣の敷地含めてベースキャンプの庭の木が大半先端を失っている。多分台風によるもの。女優が結構顔色を失っていた。夕方マサルと温泉を満喫、買い物をして夕餉は崩壊した庭を前に七輪焼き。ノックは厳選シリーズ『アメリカの友人』。
翌朝はクラムチャウダーを皮切りに、買い出しに出た女優の七輪焼き。マサルと女優は庭の手入れに励む。私はぱるるの見張り。ノックは『仁義なき』二周目。帰京する女優とぱるるを熱海まで送り、帰りしなに宇佐美「ひよけ家」で鰻。前回の帰り道、ふと目に止まった家だが店といい味といいとにかく素晴らしい。しみじみと伊豆の良さを堪能した一日。東京のストレスがほぼ癒された。ともあれ金子信雄保存会的には『代理戦争』『頂上作戦』をさらに追求する必要を痛感。

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というわけで三日目は朝風呂からスタートし、さらなる『仁義なき』復習、そして拙作の肉野菜炒めとマサルの鉄板・そうめん。午後をまったり過ごす。夕方、龍ちゃん登場。いきなり米を研ぐ龍。まずはエビ玉。最高。続いてイカチンゲンサイXO醤。最高。そしてメインはリクエストしたカレー。そうなのだ、忘れていたよ、このようなカレーの深みを。食後、3人で風呂へ。満喫。ノックはベストセレクションシリーズで『カリフォルニア・ドールズ』。まあ予定通り開始三分で涙腺決壊し、結局最後まで。目玉が溶けそうなほど。見終わって龍ちゃんがカレーうどんを作ってくれる。これまた驚きの味。呆然と酔いしれつつ就寝。
四日目、龍ちゃんの酸辣湯スープで目覚める。さらにカレーの残でピラフを。そうして様々な思惑を残しつつ龍ちゃんは帰って行き、しばし茫洋とした午後ののち、ついにフモトノミオことツバクロウパイセンがここ伊豆高原に、どっさりとした釣り道具とともに降臨。早速に港にてルアーを投げるパイセンの姿などはマサルブログにて。特に釣果があるわけでもなく、風呂へ行き、夕餉に龍ちゃんの遺産を食しつつ、延々と無駄話。
五日目、目覚めるとすでにマサルとツバやんの姿はなく、港から戻ってきたマサル曰く、ツバやんいきなりなかなかの大物をゲットとのこと。ともあれ陸の住人たる者は再び茫洋とした時間を漂い続ける。昼は三人で海鮮ものの店でランチ、午後再びツバやんは港へ、残った我々には贅沢な茫洋のとき。夕餉前に風呂へ行き、その後居酒屋。帰宅してほどなく記憶を失う。深夜起き出し、暗中模索。昨夜どうして二階に移動したか思い出そうとする。わかった、二人のイビキの合唱がすごすぎたのだ。だいたいあと三人、つまり六人で雑魚寝しているようなサウンドの重なりの中にいたと想定される。
 
某日、最終日であり最大級の台風が近いということで、家じゅうの雨戸を鎖す。帰り道のことはほとんど記憶なし。野本を自宅に送り、うちに着いて、福田屋で晩餐を取ったはずだがそれも記憶薄。延々と眠り、目覚めるなり玄関先の植木を家中にしまう。
テレビでは戦時中のように養生テープで窓ガラスを米印に貼らせたがっているようだが、ネット上にあるように現在のガラスは表面に何も付着していないほうが強度を保てることは常識ではなかろうか。冷笑的になるつもりはないが、いくらなんでも情報が行き違い過ぎている。
で、台風19号がやってくるわけで、こんなことを言うのは不謹慎だが、意外と懐かしの部類にあった。つまり、子供だった時分に感じていた台風というイベントの威力そのままだったことを味わう、というか。テレビは当然かつてよりも詳細にアクチュアルに事の重大さを見せるのだけど、そもそもかつては停電してテレビも点かなかった。それを思うと私たちはかつて被災地に育ったというに等しいとさえ思われる。北九州で、ということではあるが。鋸南町の映像など見ても、どうかあのブルーシートよ、飛んでいかないでくれ、などと祈ってしまう。この台風はそんな甘いもんちゃいまっせとハナから思っていたのだから・・・
で、巨大台風はやってきて過ぎ去った。以上。
野本が伊豆より前に金沢八景あたりで釣って来たタチウオをいただく。超美味。
 
某日、ラーメンを食った佐野だけでなく長野や、かつて訪れた宮城・丸森の台風被害をテレビで見ながら呆然とする。もはやこの国の整備以外に国家予算を割く余裕はどこにもないはずだ。大河再放送を見てから『怪談牡丹灯籠』。これは素晴らしい。特に高嶋兄。一方で『八つ墓村』はどうにも具合が悪かった。ケレンが安っぽすぎるし、ユーモアが細すぎる。そもそもこの原作で何がやりたかったのか、そこがわからない。まあ自分がやるとしたら、を考えすぎてきたからなのだが。で、原稿の〆切を過ぎる。だがまだ全然書けてない。ひたすら茫洋としながら毎朝目覚めるたびその暗闇の先に(伊豆の)マサルと野本がいるという悪夢から抜け出せず、奇妙な状況。いや、笑えるのだが。
ラグビーに関してなんらいう資格もないが、日本が勝つとか負けるとか、そこで一喜一憂することが全くないのはサッカー以上。個人技も何もわからない分、一個の楕円ボールをめぐるカオティックな争奪の展開だけで涙腺が決壊する。なんだろう、あのへんてこりんな、それでいてあくまで英雄的な集団の運動は。騎兵隊か。
 
某日、久方ぶりにちゃんとした朝餉(ステーキ)をいただいた途端にこれまた久方ぶりの低血糖発作。昼過ぎまで昏倒、ようやく起き上がってBSで『エスケープ・フロム・L.A.』。いま読み込んでいる小説も近い状態だが、とにかく1カットごとに泣けてきて、台詞ひとつごとに痺れる。当然このプログラムを組んだNHKの方々の思惑通り、ピーター・フォンダの取り急ぎの追悼には最も相応しい一本。最初に出迎える警官の「ウェルカム・トゥ・L.A.」という台詞とオーラスのスネークの、いやプリスケンの「ウェルカム・トゥ・ヒューマンレイス」の呼応にひたすら感服。同時にこの「Call me Snake」と「Call me Plissken」の違いをどう考えるか。まさに人間としての品格を賭けた台詞であると言う意味で非常に難しいところだがとにかく、本当にいい映画とはこれのことを言う。
しかしさらに数日前から気になっていた腰痛が午後から異様に悪化し、夕餉の後からひっくり返る。かつてのようなピンポイントの激痛ではなく、ヘソのあたりで胴を輪切りするような疼痛に苦しむ。女優が優れ物のマットを用意してくれ、その上で気を失い、朝まで。なんとなく調子を取り戻せた。それにしても低血糖が起こると必ず別のどこかで同時に肉体的苦痛を感じる。そういうものなのか。
・・・ついうっかり書くのを忘れていたが、前日吉祥寺アップリンクへ初めて行き、荒井晴彦監督と『火口のふたり』に関するトークをやった。腰痛は吉祥寺の往復とトーク中も座りっぱなし、さらに深夜までLJでマサルと痛飲のせいかもしれない・・・いや、本当に若くない。しかしいい映画館だった。
 
某日、食欲はないものの朝からまともなので家事をちゃんとやる。午後、四谷の打合せへ。シナリオはほとんど行けるところまで来ているので、あとはこれの可能不可能を検証しそれに合わせて再調整、という流れで合意。帰宅し、まず休む。夕餉に無印のキーママタルを食した(これまた美味)後はダラダラ仕事しながら結局ぐっすり。
 
某日、即席味噌汁とパクチーとブロッコリーのサラダで朝餉、駅前で打合せ。とにかくやることをやれるようにやるのだ、という解決策があるだけだ。終わって帰ろうとすると益岡Pに呼び止められ、なんちち食堂でランチ。帰宅後は延々と仕事。BSで六角精児さんの呑み鉄を堪能(三江線という今は亡き路線の再放送)した夕餉は自作のパクチーと卵入り醤油ラーメンで済ませ、ラグビーW杯ニュージーランド×アイルランド。とにかく強いオールブラックス。押しても抜けても飛ばしても臨機応変、万能。
そうしたアスリートの美しさを否定するように来年やるつもりらしいオリンピックからマラソンがIOCより札幌へ離脱司令。当たり前だ、というか、オリンピックそのものをやめろ。大腸菌だらけの東京湾岸で何をさせるつもりか、この国は狂ってる。
 
某日、明け方から仕事。力尽きかけた六時、風向き次第で聞こえたり聞こえなかったりするのだが、寺の鐘を聴く。たぶん不動あたりのどれかだろうが、ここへ暮らして十数年、いまだに知らない。五時半過ぎに出かけてどこだか知ろうとしてもいいのだが。ただ家で朦朧としながら聴く鐘の音はどこか心洗われるようで決して悪くない。
本来作業しに夫婦で伊豆へ行く予定だったが、こちらの作業は終わらずあちらも一週間の労働の疲弊、雨天情報も重なって諦め、自宅蟄居。女優が鰻を贖ってきてくれる。

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午後は仕事。ほぼほぼ固まる。ラグビーはウェールズ×フランス。フランス有利と見て、BSの『怪談牡丹灯籠』とザッピング。佑、七之助など皆いいのだが、真千子がもうひとつ腰が定まらない。なんとかできないのか、と苛立つ。いや、これは演出とのバランスなのはわかるが。『釣りびと万歳』で原西がノドグロを二匹釣り上げたのを見てチャンネルを戻すと、ウェールズ徐々に盛り返し、反則含めとうとう逆転。一点差で勝利。唖然。
大変に美味なパスタを夕餉に、日本×南アフリカ。単純な素人考えしか言えないが、キャプテン以下これを通過点と考えず、ここに己の骨を埋めに来たといった顔でグラウンドに立つ、国歌斉唱で泣く、しかしそれでは勝てない、とピンと来た。前半の終わりあたり、後半リーチ・マイケル交代、と思わせる瞬間あったが、ベンチはそう考えないこと明白であり、それをラグビー界のモドリッチ、南アの9番デクラークに見透かされている。彼にあるのは球をどこへ出すかという明晰な技術だけで、当然試合中それ以外は不要である。なんなら自分が持って飛び込めばいい。戦場とはそういうものだ。そしてこれが日本の根性論の墓標である。痛快極まる活躍を見せたデクラークがベンチに下がり微笑を浮べる映像が映った瞬間、引導を渡された気がした。あのような仕事のできるまでスクラムハーフ流大を育てることができればもう一つ上に行けるだろう。それもこの国全体として。
二試合見ればヘトヘト、キムタクと京香ちゃんのドラマを見た後の記憶がない。それなりに良かった。でもパリの汚いところに足を踏み入れないで料理のドラマが作れるとしたらそれは嘘でしかないと思われもした。スポーツの現場同様、パリも含め都市の文化とは個人の視界ではおさまりのつかないカオスからしか生まれない、というのが誰もが持つ実感だ。ラグビーはなおさら。菊之助氏の今後に期待。彼のためにこのドラマを見続けるだろう。
 
某日、明け方からコリンがやたらとじゃれつく。ぱるるがいるので普段気にしなかったがコリンだってまだちびっこなのだ。とても可愛いことに変わりはない。未だラグビー熱冷めやらぬ中、阿部和重『オーガ(ニ)ズム』書評脱稿、上梓。非常に疲れた。大著ゆえの通し一回読みで書くのは何とも心もとない。まあしかし所詮、私の書評であり、でしかない。結局午後じゅうぼんやりする。夜半、雨が降り始め、日が変わって早朝からイングランド×オーストラリア。凄まじき試合であった。それでさらにぼんやりしてどうも頭が働かず、家事をしながら誤魔化す。午前中にこれまた大著『映画監督 神代辰巳』届くが、いまは精読の余裕なし。さらにようやく雨の止んだ頃に女優が注文したマットレスが届き、それをリビングにセッティングすると一日はほぼ終わったのだった。このマットレスに今後私が眠る予定なのは腰痛防止のためである。しかし様相としてはアジール、というと大袈裟だが、贅沢な災害避難所といえば怒られそうだし。昼にWOWOWで中島哲也監督『来る』を見る。中島作品を見るのは『下妻物語』以来だが、ストーリーテリングとして飽きさせないのは相変わらずさすが。ただこれが映画かどうかという話になると難問だろう。湯布院で『童夢』をやりたいと私に向けて告白なさった神代辰巳監督がこれを見たらどう思ったか。NHK BS『アナザーストーリーズ』で『北斗の拳』の裏話を知る。最後に集中的に読んだ漫画だった。

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某日、女優の入手してくれたマットレスのおかげで久しぶりに安眠。昼までは家事に勤しみ正午よりショーケンの主演遺作になろうかという『明日への誓い』という刑事ドラマ。前半芝居がまとまるまでは心配したが、いつの間にか落ち着いてきて、それ以降は極めて安定した出来。オーラスはほとんど『ラヴ・ストリームス』かと。というかこういう急ぎ足の滑り込み的ラストを見るといつもスチュアート・ゴードン(『ZOMBIO(ゾンバイオ)』ね)を思い出してしまうのだが。その後に見た何度見たってどこまでも大したことのない『レイジング・ブル』のデニーロの芝居に比べるまでもなく、とてつもなく高貴な演技であった。ちなみに旅に出た後のショーケンの上着は「蛇革服」であった。夜更けに仙頭武則とのエフェクターがらみのやりとり。とりあえず今夜まで休ませてくれ、という思いで無為に過ごす。とにかく今月の残りは、今年最後の原稿書き含めて働かなければならない。
 
某日、やっていることを知って思わず久しぶりに朝から『痛快!河内山宗俊』を見て、ああこの回は見たなあ、などと感慨に耽る。仕事をしながら昼になり、ケヴィン・コスナー『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を。下手くそながらまあ見ていられる。随分長い間コスナーの新作を見ていないが、監督としては凡庸ながら俳優としては悪くないはずで、見にいきたいと思ってはいた。しかしもう自分のことより他のことはやる余裕がない。ということでこうやってBSを見て家事と仕事をダラダラとやっていると一日が過ぎていくのでさすがに、これでいいのか、と午後に届いた『JLG/自画像』DVDを不意に。いやはや、よく見るとしきりに散歩には出るもののJLGさんもほとんど同じ暮らしではなかろうか、まあこの時(93年)私より八つほど上で引退同然に暮らしていたはずだが。しかしつくづく真面目に見るに足る映画は少なくなる一方だがこれもその一本。昨日は『魂のゆくえ』も届いたが『レイジング・ブル』のせいで見る気が殺がれたのは事実。一日天気は良かったが夜半より雨。台風の影響か。
 
某日、数日前に感銘を受けたネット上の映像のロアルド・ダールの書斎で、ソファに座ったダールがテーブルを膝に乗せるときにパイプ的なものをその下に敷いていたのに着目し、たまたまうちに届いていたポスター用の小包紙パイプを座椅子に掛けるとダールそっくりな状態に。こちらはその上にPCを置くわけだが。仕事をしながら夕方になり、届いた『一触即発デラックス・エディション』disc2を聴くと、この武蔵野の繊細なバンドと長谷川和彦の、若松さんとは関係のない幻の『連合赤軍』や結局舛田利雄によって作品化される『愛・旅立ち』・・・最初は『φ』というタイトルだったろうか、どういう経緯を辿ったのか私はまるで知らないが、どちらのシナリオも長谷川企画としてディレカンのスタッフルームで読んだ記憶がある・・・そうした関係が脂汗のように滲んで思い出されてならない。日本映画は明白にゴジさんとともに何かを得て何かを無くした、それはいずれにせよもう取り返しのつかない事態なのだが、四人囃子の当時の演奏は今もとことん生々しく、まるで海の波のようにそこにあって、結局やはり四人囃子はピンク・フロイドとはなんら関係のない、日本の数少ないオリジネイターであったと確信するに至るのだった。夜は昨夜に引き続き名作シリーズで『ハメット』。我が目を疑ったが、撮影がジョゼフ・バイロックというクレジット。ずっとフィリップ・ラズロップが「撮影監督」だと思い込んでいた。確かヴェンダース自身がラズロップで全部撮り直したと話したのを読んだ記憶がある。しかしこのブルーレイで見ているとどう考えてもどのカットもバイロックにしか見えない。室内の引き絵の中の影の作り方も撮影角度もバイロックか厚田かという奴である。もちろん、これはラズロップかな、という画面もある。さて、真相はどうなのか。それにしても昨日のゴダールであれヴェンダースであれ、この時期の映画からの影響からはやはり到底逃れられそうもない。ロイヤル・ダノとハンク・ウォーデンのいる場所ならそれが地獄であったって行きたいと思うのが私たちだ。しかし仕方がない。こんな美しい映画はもう二度とつくれないのだ。その絶望とともに私たちはあるということを自覚し続けている。そうしてこれからも何度も何度もこれらの映画を見るのだ。
 
某日、いつも通り明け方起床、仕事する。贖っておいたサチモスを一枚目から順番に聴きながらようやく昼過ぎに書き終え、送る。本来はそれとともに打ち合わせしなければならなかったところだが、本日はそのまま気絶。夕方起きて大河(今回もかなりの前衛であった。こちらは視聴率無視で全然構わないのだが)を見てから一念発起、ホキモト組のライヴを見に出かけるも、場所がわからず道に迷う。かつてはちらりと地図をみればピタリとそこに行き当たったものだが、最近はてんでダメだ。日も暮れてしまった鷹番界隈を汗かきながら歩き回ったが、一時間ほど経って諦めて帰宅。ミーティングを終えた時刻のプロデューサー陣と電話で話し、一応の成果を得た。その後の記憶なし。二日に渡ってニュージーランドがイングランドに負けるところも、ウェールズが南アフリカに負けるところも見たはずだが、そのまま疲れて寝てしまった。2試合とももう一度見ないと気が済まない。デクラークは日本戦ほど目立った動きはなかったように思われたが。『グランメゾン東京』第二話見逃す。
 
某日、考えてみるとこのところ数日考えて一晩で一気に書き直す、あるいは書き上げる仕事ばかりの気がするが、しかしものを書くということは多くの場合そういうもので、そうでないものを読むときはごく自然にわかり、それはそれで緊張感が違う。早く月が開けて「文學界」が届かないものか。昼過ぎまでぼんやりしてから、外に出る。朝霞まで各駅でのろのろ行く。これがたぶん最後の音調整になる。例によって何年やってると思ってるんだチームの四人。いちいちのやりとりで笑ってしまう。作業前に次の作品で「この世にない音」を作るにあたってやるべきことを話し合う。愉快なり。前日は部分で見ていくと言っていた菊池さんだが結局通しで確認することになる。するとあちこち工夫が始まり、そしてまたいつもと同じタイミングで鼻の奥がツーンとなる。しかし何度やっても映像と音響の連動による手法はわからない。正解は毎回違う。実は単純さなどということはなかったのではないか。私たちはもう二度とサイレントへは戻れないのだ。と言っても無声への郷愁などあるはずもない。帰りはナガシマの誘導で通勤急行に乗ることに成功。あっという間に中目黒まで戻り、居酒屋へ。のんびりとあれこれ語らいながらやがて眠くなる。
 
某日、首を突っ込みたいとはユメユメ思わないが、しんゆり映画祭事件。若松さんだったらどうだったか、なんて発言ほど安倍政権的な話もない。ナンセンス。あれやらないならこれ引っ込める、と同時にこれやるからあれもやって、という交渉はあったのかなかったのか。あれやるってお前らが言うまでここをテコでも動かない、みたいな座り込みは? みんな忙しいんだからそんなことはできないよね。所詮金儲け。問題にする価値もない話。
頭の中は伊豆に置いてきたエフェクターたちのこと。そろそろ迎えにいかなければな。


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(つづく)



青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『こおろぎ』(06)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。今年、初の作・演出『しがさん、無事』を上演。

近況:新作の完成とほぼ同時に次回作の準備、とデビュー二年目以来の過酷な状況の上に三ヶ月以上書けず苦しんでいた単行本用の「サッシャ・ギトリ論」約十五枚をようやく上梓。今年はやたらと書いたが、これで終了。来年は自分のシナリオに専心するつもり。12月7日(土)新宿ケイズシネマで『こおろぎ』初回(12:00〜)上映後、舞台挨拶で若干喋ります。