宝ヶ池の沈まぬ亀 第37回

青山真治さんの連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第37回は、2019年6月下旬から7月下旬にかけての日記。新作映画のポストプロダクション、ある映画監督の後期作品論の執筆に取り組む日々が、その最中で見た不思議な夢の話とともに記録されています。試写で見た『火口のふたり』(荒井晴彦監督)のことや、俳優の松本勝さんたちと映画をひたすら見まくった第二回伊豆合宿の模様も。
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文=青山真治


37、革命とは、緑色のバケツの形をした恋である


某日、というこの日は前回のラストと同じ日なのだが、音楽のスポッティングを編集室で行い、全13曲、テーマも見つかり上々の成果だったが、問題は全て既成曲、というか偉大なパイセンの曲ばかりということだ。全部使ったらいくらかかるだろうか。これを元手に音楽家に新たに作ってくれと頼み込むしかない。家に帰り夕餉にステーキを食べさせてもらうと疲れがドッと出て昏睡。床の上で気づくとまだテッペンを超えたばかりという有様。これが疲れる映画なのか、それとも私の体力がなくなっているのか。間違いなく後者だろう。目覚めてアレコレと考え込む。
翌日、VFX含めた試写。かなりの精度だが、驚きはない。驚きがない方が正解かもしれない。既成曲をつけた部分を改めて聴くが、ハードルは棒高跳び並みに高い。終わって菊池さんと晩餐。穏やかな時。中目黒まで送って下北沢で勝・りたまと合流。歓談深夜におよび、りたま撃沈。そこへ球場帰りの野本が全きジョン・ベルーシ状態で登場。ヤクルト敗戦ということで、首からツバクロウの人形をぶら下げてはいるが、かなりおむずかりのご様子。ご機嫌取りに朝もやっているバーからカラオケ屋へ。すでに朝だった。で、そこからの記憶がない。どうやら甫木元空を呼び出したようなのだが、しかし彼は私を見失い、私のトートバッグを家まで届けてくれたらしい。一方の私はなぜかタクシーに乗って午後二時半ごろだったか目黒のホテル・クラスカに到着。携帯電話がなく、仕方なしに赤ワインをちびちびやりながら待っていると、五時ごろ仙頭武則登場。やがて空も再合流、携帯は空がトートバッグに入れて持ち去っていた。三人で近場のフレンチ「Un Jour」へ。やがて女優合流。四人で舌鼓を打つ。その後撃沈。

某日、たっぷり眠る。朝から雨、そして地震。ぱるるがちょっと怖がるぐらい揺れた。空が迎えにきてふたたびクラスカ集合。ランチを四人で。午後いっぱい延々と喋る男おばちゃん三人、呆れて女優(中身はおっさん)は離脱。男おばちゃん三人はそのまま夕方過ぎに駅前の魚屋に。例によって刺身で舌鼓。うまいうまいと男おばちゃんら、グルメで盛り上がる。実はその間に大変重要な話をたくさんしているのだが、具体は何も記憶せず。まあどうせなるようになるような話なのだ。逆にいえばやれることをやるだけだ。人間、おっさんだろうがおばちゃんだろうが、三人いればなんとかなる。しかし監督にとってなくてはならないのはプロデューサーと助監督なのだ。そしてこの三人は驚くことに入れ替え可能なのだ。役職に大した違いはない。かしましく喋ってさえいればなんとかなるのだ。先月見た豊原くんの芝居だって小泉今日子というプロデューサーがいなければ先に進むことはなかっただろう。そしてきっともうひとり優秀なスタッフがいるはずだ。
 
某日、結局アルコヲルが消えないまま日がな過ごし、すると勝が事務所を離脱するという連絡、こういう時都合のいい義侠心で人は動く。早速三軒茶屋で待ち合わせ、さらに釣り中の川瀬パイセンにまで動員をかけ、とにかくうまくやれ、と元気付けているのかなんだか、飲み続け、結局またしても行方不明になる。帰宅してみると、いつの間にか注文していたらしいディラン『ローリング・サンダー・レヴュー』ボックスが届いており、とはいえまあなんとかなるだろう、と聴き始める。いや、いつ終わるともしれぬものに身を任せるのはいましかないのだろうと諦めたともいえよう。梅雨明けはまだとはいえもう夏で、暑いがゆえにローリングサンダー日和でもあるかと。しかしとにかくもし今度ライヴをやる機会があったらドラムはツインで、と固く心に誓った。
しかし、どうしてこういうことをしようとしないのか、人は。この力は世間を変える。そこに年代など関係はない。
エディット・スコブさんの訃報。あんなに美しい老人を見たことがない。彼女に出演依頼したペドロは本当に才能があるし、『溶岩の家』はつくづくいい映画だと思う。

 
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某日、どうせこの辺で来るだろうと予想はついてはいたが、仙頭武則のリッケンバッカー購入によって火が点いた感じで「録音」ということにいよいよ前のめりになる。だがもちろん理系ではないので機材だの計算だの数値だの自分には無理だということはわかっている。それでもやりたいのが人情であり、マイキングをしてフェーダーをいじりたいのが人生というものではないか。マルチトラックレコーダーを買って、マイクを買って繋いで、とにかく録れば何かが解るはずだ。逆にそれをやらないと解りたくても解らない何かがある。他人に任せてはおれないものもある。

某日、論考が遅々として進まないので弱っているが、とうとう存在しない作品について書こうとしてそこである決定的な台詞を言う俳優が誰だったか思い出せず、さらにその台詞も正確な記憶がなく、調べないと、と焦るうち、待てよ、そんな作品ないじゃないか、するとこれは夢か、では起きよう、として起きるという、自分としては珍しいケースの夢を見た。とはいえもちろん論考が進まないのは現実である。書くべきことはわかっているのにそれを論証する言葉が思い浮かばないもどかしさ。夜半に降り出した雨は明け方も続いている。梅雨であり、台風である。
昼はそんなわけで論考、夜は偶然カンヌ68年のドキュメンタリーを見た。当然ながらゴダールとトリュフォーだけが偉い。偉いというのは映画のように生きていたということであって、それはレオーもラングロワも同様だが、他の人々は至って現実的に歳を取り、顔も変わる。しかし圧倒的だったのはニコラス・レイの姿。釘付けであった。
夕方、蒸し暑すぎてとうとう今年最初にエアコンの世話になる。

 某日、早朝から執筆。朝餉を摂り、さらに。昼にまるで最終回のごとき盛り上がりの大河を見て、かなり草臥れる。夕方、論考のために、かつて複数回見た作品をDVDで確認。編集部がVHSから焼いてくれたものだが、わかってはいたがさすがに画像劣悪すぎ、この作家をめぐるソフト環境の悪さに改めて呆れる。どうにか救助する方法はないものか。夕餉は無印のグリーンカレー。大抵はそこそこ美味い無印だが、これはそうでもなかった。
日がなジメついた一日だった。
翌朝も論考に苛まれる夢により四時起き、ラストスパート、三時間ほど頑張って規定文字数に達したところで力尽き、再び眠りに落ちる。二時間ほどで再起床、読み直しは夜に送り、前夜女優が宣言した家電量販店での冷蔵庫とテレビ購入を決意、十時半ごろ渋谷へ。二時間かけて双方とも無事一週間後に届く手筈を整える。遅いブランチとして渋谷で焼肉。極めて美味。帰宅するとキムさん本当に国境に現れたとの報。まあ笑うしかない。大河、真面目くさったタイトルなどやめて「火焔太鼓」にすればよかったのに。そもそもそこで時代は変わってないじゃないか。森山未來と阿部サダヲの寄席での応酬場面は、二人の反射神経が十二分に発揮されて驚嘆した。井上剛さんは本当に優れた演出家だ。夜更けにようやく「ユリイカ」ショーケン追悼号の丹生谷さんの文章を熟読。とりあえず書き終えた論考と重なる部分が多く、やはり自分が丹生谷さんに多大な影響を受けていることに改めて気づかされる。言うまでもないがあらゆる原稿は自分一人で書けているわけがなく……
 
某日、猫たちの誰かが巣立ちの幼鳥を捕らえてきたので女優が箱に入れて自然界に戻そうとするところで目覚める。スズメかと思ったのだが、結局何者かわからぬうちに箱から飛び立った模様、というマジック・リアリズム的な朝。朝餉をカレーにして病院。インスリンだけ処方してもらう。ようやく原稿を読み直しているうちに5枚(2000字)足りないことに気づく。やれやれ、という感じでカットした内容など思い出しながら修復・推敲。今しばらく苦労しそうだ。
 
某日、明け方目覚めてあれこれやるのだが、天空は一見晴れているのにポツポツと雨粒は音を立て続けている。こういう梅雨は久しぶりじゃないだろうか。朝、コンビニのぶっかけうどんに胡麻油をかけて食す。美味。昼まで原稿に向かってから会社での試写。また問題点が見つかり、腕組み。しかしともあれ原作者とプロデューサーからはおしなべて高評価。少しだけ胸をなでおろす。遅い午後にアップリンクの食堂でピタパンとオクラのサラダ。落ち着く。夕方、六本木に移動。荒井晴彦『火口のふたり』試写。スクリーンで他人の映画を見るのは久しぶりである。ロビーで荻野洋一氏に出会い、しばし歓談。作品は「70過ぎた高齢者にこんな若い映画作られたらたまったもんじゃない。悔しいけど傑作です」という代物。最初は長いかな、と訝りつつだったが、縞模様のクッションカバーと購入するテレビのメーカー、そして台詞による構成のきめ細やかさに触れて身を委ねる気になれた。人のふり見てなんとやら、だが、こうした若さのコレクションみたいなものは今の自分には無理、と途中で挫折感も味わった。それはずいぶん前にそれを失った人とつい最近捨てた者との違いというだけではないだろう。それはともかく柄本佑の演技は現代世界映画の最高水準(それは例えばケイシーとかホアキンとか、ということだ)に達しており、これを見て現在の自分が何をやりたいかも理解しかけるような次第。この国の俳優たちのレベルは非常に高い。業界がそれを認めることを恐れているだけだ。俳優個人より自分たちが優位に立ちたいから。案外俳優たちもその方が楽なのかもしれない。だが佑は自分がどこにいるかを知っているから毎回前に向かって跳躍している。三宅の映画にも感心したが今回はそこからさらに跳んだ。そういう俳優はそんなにはいない。環境の問題でもあるかもしれないが、環境も芸のうち、だ。それにしても高齢者。神代さんの没年をとうに超えているはずだが、もし神代さんがこの年齢までご存命でこの境地に達したかどうか。神代さんも草葉の陰で笑っているだろう。こうなったらあと数本、体力の続く限り撮ってもらいたい。次はこれよりさらにヴァカンス色の濃いやつを。

 
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『火口のふたり』 8/23(金)より、新宿武蔵野館ほか全国公開(配給:ファントム・フィルム)
 


某日、久しぶりに草臥れ果てて熟睡。だらだらと起床、仕事に出かける女優を見送り、自力で飯を炊き、サーモンポキとじゃこ飯。明日出す大量の資源ごみを整理し、普段作業しているテレビ前に溜まりに溜まった書類だの書籍だのを整理。それでもなお、原稿の推敲を頭で考え続ける。翌払暁、(後期)神代辰巳論、脱稿。三十年の肩の荷を下ろした気分、と言えるかどうか。何しろこの何倍ものネタがまだ体内に埋もれているやもしれぬ。午後、再び仙頭武則と会合。なにやら色々会ってきた模様。亡霊だろうと何だろうとそれはそれで面白し。夕刻、仕事場から盟友・長嶌寛幸を呼び出し品川で落ち合う。その頃には意識が薄れ、眠っているうちに仙頭は帰名。私らも三々五々。その未明、再三の推敲に飽きて編集者にリリースする。
 
某日、未明に目覚める習慣は原稿を終えても消えない。変な夢を見ることはなくなったようだが、だんだんといまが何曜日であるかという感覚がずれていく。それでも朝ドラがあるとかないとか、今日は大河で、とかそこらへんは起きた段階で目星がつく。今回の朝ドラは何しろスピッツの主題歌のホルンと、カルピスこども劇場を完璧に模した背景のアニメがあまりにも良くて、それだけで見続けられる。一方、大河はひどくバランスが悪く、もちろん大友さんのテーマ曲は何度聴いても素晴らしいのだが、劇については先週のスピードとは打って変わって今週はいいところがまるでなく、せっかくの人見絹枝回であったのに、勿体無い。森山未來が語らなかったのも残念だった。その日曜は午後から編集、菊池さんも交えて、ということはつまり音も含めて入口と出口を編纂。まだ大鉈を振るうには至れず。
午後、冷蔵庫とテレビ来たる。あっという間に作業終了。いままでどおりとしか思えないスムーズさで生活が再開し、ふとブルーレイで『散歩する侵略者』を見始めるのだが、やっぱり、思ったとおり、まったくブルーレイという映像は気持ち悪くてしょうがない。しんちゃんしんちゃん言うんじゃないよ、という気分。あの日見た夏のクソ暑さはまるで感じない。ともあれ俳優陣はすこぶる良い。で、やっぱりデタラメだと思うんだけどとてつもない。
夜、下北沢マザーズ・ルーインにて勝龍会。制作部として大橋を紹介。二軒目で出会ったピアニスト=作曲者がなぜかふと弾き始めた旋律が「ユリイカ」に似ていて、そこから「戦メリ」が浮かび上がる仕掛けになっており、ああ、そうかと自分が坂本さんから受けている影響を改めて知らされた。不思議な人だったが、愉快なひとときだった。
 
某日、起き抜けに低血糖発作でダウン。打合せを休む。一日中フラフラしながらぱるると過ごしていた。で、また夜がやってきて眠るのだが、またしても存在しない映画の夢。今回は起きてもしばらくそれが先日の続きと気づかないくらいリアルだった。要は先日まで論考を書いていた神代辰巳監督がニューオリンズで作ったドキュメンタリーという設定なのだが、『ベッドタイムアイズ』と『噛む女』の間に撮られたと思しきそれはもちろん存在しない。しないのだが、その映像はあまりにリアルに頭に残っていて、それについて私は「筆者は現実のミシシッピを知らないのだが」という意味の文章を繰り返し推敲する。これはもしかするとアムステルダムの「飾り窓」についてのテレビ番組の予告を見たせいかもしれない。というのもその文章に「世界で最も有名な赤線のひとつ」としてニューオリンズの一角(そこを神代は撮っていたわけだが)について書こうとしたからで、しかしその通りの名前がバーボンストリートでよかったかどうか自信をなくして検索する、という次第。けれど映像には老人と子供しか映っていなかった。
で、目覚めて改めて打合せのため渋谷へ。もっぱらプロットのリテラシー追求。まだ作品になっていかない。キャスティングが一歩進んでちょっと面白くなりそうな気配。昨日の今日なのでまだ発作の心配があり、さっさと帰宅。その後は日がなぼんやり過ごす。朝と昼と二度見て改めて今回の朝ドラの面白さを堪能。本日より染谷登場。素晴らしきアンサンブル。背中の動きだけで見せる貫地谷しほり、やはり天才。このところ水曜は夕刻に資源ごみの処理をして夜、『東大王』を見る習慣になっている。特に現役三年の鈴木光の才能に刮目。あの人は将来何になるのだろう。
翌朝、女優が京都ロケに出かけ、前日に買ってきてくれた寿司など食した後の午後、これは初見になる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』229分ヴァージョン。最初から全然違うので面食らうが、実はこの方が分かりやすい気もする。何よりもジェニファー・コネリーの魅力が圧倒的。朝ドラの威力でもあるのだが、少女の力をここでも感じる。インターミッションで止め、皆さんの食事など整え、新宮行きに備えてこれまで聴いてこなかったボブ・マーレィ「バッファロー・ソルジャー」を聴く。全長版を聴きたい。
見終えてそこから三部作『続・夕陽のガンマン』『ウエスタン』『夕陽のギャングたち』を連続で。どれも甲乙付け難い力作ばかりなのはわかっていたのだが、最終的に目が腫れて開かないほど。やはり最強は『夕陽のギャングたち』で、これほど悲惨で爽快な映画は滅多にないだろう。橋破壊から洞窟へ繋がるシーンをどう考えるか、間にオミットされたシーンがあるのかないのかわからないが、あの洞窟の惨殺をすでに見たスタイガーではなくコバーンの視点で見せる成り行きは、そうでなければならなかったのだろう。それは『ウエスタン』でも、ロバーズが腹を撃たれて以後ブロンソンに視点が移る展開からの繋がりであり、さらに言えば『続・夕陽』のクリントとウォラックの視点の推移とも繋がっており、それは最終的に『アメリカ』のデニーロによる三十年の語りに落ち着く。その意味では最後は完成されつつ、がゆえに衰弱の兆しを見ざるを得ず、真に「暴力」というか「革命」というか、要は「歴史」のめまいとまどろみを見せてくれたのはやはり『ギャング』であったと言うしかないだろう。阿片窟の微笑みはむしろ分かり易すぎる、ということだ。そこではなく、コバーンがロモロ・ヴァリに「もっと腰を入れろ」と機関車で石炭をくべるスコップの扱いに難癖をつけ、自分がやってみせるアクションの中に私たちはめまいとまどろみを見なければならないのではないか。
 
某日、レオーネ四作をはしごしてしまったせいで頭が呆然としたまま、下北沢のイベントへ行くことになってしまった。この「シモキタ・ヴォイス」に参加するのはすでにこれが3回目で、まあいわば慣れたものだが、今回は萩原朔美が一緒ということがあっていささか兜の緒は締まり気味。正直言って全体としてはまともすぎで、萩原様にとってはあまり愉快なものにはならなかっただろう。仕方がない。タバコを吸いに北沢タウンホールの外に出たら、古舘寛治さんに出会った。終了後、客として来てくれた松本勝と串カツを食い、迎えに来てくれた女優と勝を新宿まで送った後、目黒で中華を食い、さらに勝と再合流して二人でジンギスカン、そしてトークの終わりしなに挨拶できなかった大木雄高に挨拶すべく再度下北沢へ。いろんな人と出会って結局朝になり、帰宅。
といった塩梅で五五歳の最初の一日が始まった次第。
 
某日、というわけで在伊豆中年。今回は大部分が松本勝との二人旅。初日は寿司屋で腹を満たしたのち、Wi-Fiを手に入れるということで伊東のドコモショップへ行く。二時間以上かかったがなんとかなり、なんと携帯まで新機種(まだガラケー)に変わった。どうも連休中はキャンペーンだった模様で、非常に格安で諸々手続き。例えば東京では手に入らないユニクロのTシャツも伊豆でなら、といった次元の話かも。すっかり暗くなった時刻ではほとんどの店が開いてないのだが駅前のラーメン屋で小腹を満たす。非常に雨が冷たかった。で、それから何を見たかほとんど覚えてないが、とにかく松本勝も大量のDVDを導入しているので、手当たり次第といった環境。しかし何と言っても鮮烈だったのは『崖の上のポニョ』である。公開当時、黒沢清監督から「いや、いいよ、これは」と勧められていたがとんと無視していた。以前テレビで後半だけ見ていたが、改めて全編見直すとほぼ台詞なしで延々と進む始まりの二十分が何と言っても素晴らしい。大変な勉強になった。感動もしたのですがね。あの、ポニョのおとんとおかんは如何なものか、と不審にも思うのだが、ポニョと少年の起こす革命に心が釘付けになったのであり、玄関柱に被せられた緑色のバケツこそが恋なのだとあまりにも感じ入ったので忘れることにする。
終日雨の翌日は勝持参の『ビートルズ・アンソロジー』五本組を一気に。そして前後関係は忘れたがジョンの『イマジン』、さらにそこから怒涛のごとく『その後の仁義なき戦い』『十三人の刺客』『真田風雲録』『遊侠一匹』。途中で我が愛するカインズホームへ行き、ガスレンジを注文する。昼はトースト、夜は七輪で焼き物。夜は『幕末太陽傳』。
特筆すべきは携帯でテレビが見られるということ。とはいえ朝ドラだけのためなのだが。しかしそれを思うと、染やんの存在と『ポニョ』への共感は関係ないわけでもないかも。
四日目は勝が単独であちらこちら行くというのでこちらは部屋でお勉強。うんざりする電話がかかってきて、もはや東京へは帰らん、ここで十分仕事できるから、という気分。さらに追い打ちをかける京都アニメーションの悲惨すぎる事件。帰ってきた勝と食後、何か空気を変えるものを、ということで『タッカー』を公開以来ようやっと。言うまでもなくコッポラ=ストラーロの最高傑作であり、現代アメリカ映画屈指の傑作である。この物語にこの映像が実現できれば文句はあるまい。終始笑顔のジェフ・ブリッジスは『エリエリレマサバクタニ』のターくんマーくんそのものだった。その後『大菩薩峠』内田吐夢版第一部を見るが、途中で寝落ち。
その続きを翌日から。そして第二部、完結編と行ったらもう一日が終わりかけである。買い出しに出て戻り、夕食の支度に入るとすでに日が暮れる。りたまは21時到着という。21時といえば我々にとってすでに深夜である。だがそこまで七輪の火を灯し続け、りたまに魚や肉や野菜を焼いて食わせた後、続きまして則文祭りである。まだ入門編。とはいえ初心者を巻き込むには十分な爆発力のある『温泉みみず芸者』『エロ将軍と二十一人の愛妾』の二本立て。当然哄笑に次ぐ哄笑で寝落ち。
翌日はりたま、熱川バナナワニ園とシャボテン公園をはしごするべく出立、そして常連の編集者A来たる。焼きそばを作って勝と三人で食い、『県警対組織暴力』を見てからりたまと合流、夕食の買い出し。今宵の七輪は割と上手く行く。食後、再び『ポニョ』で号泣、さらに再び『夕陽のギャングたち』をかけるが途中で寝落ち。
というわけで、何本見たのか定かではないが、充実した第二回百本ノック合宿であった。
 
某日、帰宅して選挙。その結果と吉本の二つの会見をただぼんやりと眺めて寝不足の穴埋めに終始。そろそろ次のことに向けて生活を立て直す必要があるようだ。この選挙で争点にならなかったようだが、悲惨な事件を繰り返さないための政治的戦略は緊急に練られなければならないだろう。平成の三十年はそれを蔑ろにして来たがもう待った無しだ。イギリスのように孤独担当大臣を置くとか、それで済む気もしないのだが、少なくともそこに予算を割く必要が絶対にある。登戸や京アニもそうだし、目黒の傘刺し事件も多分同じような問題に端を発するとしか思えない。この件はまたいずれ詳しく。
今回、写真は勝のブログに任せて、二枚のみ。
 
(つづく)


青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。今年、初の作・演出『しがさん、無事』を上演。

近況:「新潮」最新号(11月号)に『君が異端だった頃』(島田雅彦)書評が掲載されます。後期神代論を寄稿した『映画監督 神代辰巳』(国書刊行会)は10月23日発売。そしてとうとう、未公開のまま『こおろぎ』が初ソフト化されるという幻の外国映画のような事件が年明けに実現しますので、乞うご期待。