Television Freak 第41回

家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんが、ドラマを中心としたさまざまな番組について縦横無尽に論じるTV時評「Television Freak」。今回は「素」というキーワードをもとに、『路線バスで寄り道の旅』や上野千鶴子さんを追った『情熱大陸』、第2部に突入した大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺』、さらに映画『旅のおわり世界のはじまり』(黒沢清監督)が取り上げられています。
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(撮影:風元正)



「素」の時代

 
 
 文=風元正
 
 
黒沢清『旅のおわり世界のはじまり』にようやくたどり着いた。噂は聞いていたが、あまりに「前田敦子」の映画であることに瞠目する。白状しておけば、私は2012年の第4回目総選挙に合わせて、AKB48の特集記事を組んだことがある。「マジすか学園」1〰3まで見ていたら妻が真剣な顔をして「もう止めて!」と叫んだり、それでもユーチューブ動画をさらったり、「神7」が健在だった全盛期の多幸症的世界は多大に好奇心を刺激された。熱はあっという間に醒めたが、「キリストを超えた」かどうかはともかく、興味の中心にプロフェッショナルとど素人の間を高速で揺れ動く前田敦子の存在があったことは間違いない。

映画では舞台で歌うことが夢のTVレポーター・葉子(=「あっちゃん」)が、掴まるはずもない怪魚を延々追っかけたり、遊園地の原始的な遊具でぐるんぐるんに回されたり、理不尽な境遇に追い込まれる。思い切りぶんむくれながら、カメラの中ではいつも笑顔でポジティブ。という状況そのものがAKBそのもの。謎の試練を予測不能の大胆さで切り抜けてゆく凄味は当時よりパワーアップしている。葉子を撮るベテランカメラマン役の加瀬亮の「葉子がこの映画で経験するような迷いや葛藤は、彼女自身はもしかしたら現実に超えてきているかもしれない」という「文學界」誌上での発言に、その通り、と唱和したい。

つんけんして地元の人を拒絶し苛立たしい前半部の葉子とタシュケントのナヴォイ劇場とウズベキスタンの大地で2回「愛の讃歌」を堂々と歌い上げる葉子が同じ人であること。間をつなぐのが「成長」であるかどうかわからないまま、このような出来事の方が現実によく起こっている、と納得させられる。「女がいると魚が逃げる」と不機嫌だった漁師が、クルーの熱意にほだされて「謎の生物」がいるという情報を提供した瞬間、ふっと笑う加瀬亮の笑顔は宝物のように輝いていた。


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『旅のおわり世界のはじまり』(配給:東京テアトル) 全国公開中




徳光和夫『路線バスで寄り道の旅』の魅力をどう伝えればいいのだろう。路線バスの中での徳さんの安らかな寝顔とか、ギャンブル場へすごい勢いで向かい大金をすって真っ白になる姿とか、女性ゲストの買い物や食事に付き合う時の冷淡さとか、78歳の大アナウンサーのあられもない素顔を鑑賞できる番組はほかにない。レギュラーの田中律子は華麗な介護技を見せるヘルパーさん。徳さんの常にうなぎを食べたがる癖に共感する。

6月16日放映分のスペシャル版は、この番組のファンであるマツコ・デラックスが念願の出演を果たした。上野松坂屋地下の食品売り場で待ち合わせて容赦なく都バスに乗り、乗客もびっくり。札束を握って江戸川競艇で勝負。村上佳菜子と親戚のミッツ・マングローブという2人をスナックに待たせて、2レース外してATMに走ろうとし、「まだ20万ある」と懐を確認し、最終レースで大絶叫。ようやく的中したのはご愛敬だが、これだけフリーな収録もあまり見たことがない。

徳光家の親戚ミッツが明かしたところによれば、「闇営業」で家を建てたという。ニシン漁師だった曾祖父・徳光治兵衛、203高地で闘い東京電燈に勤務した祖父・賢五郎、日本テレビの重鎮だった父・壽雄という徳光家3代の系譜を経てたどり着いたのが、この地点なのかと思うと興趣深い。前田敦子の演技といい、ここまで「素」に追い込まれる状態を鑑賞するのが当たり前になってしまうと、タレント業は大変だろう、とつい同情してしまう。




『情熱大陸』に登場した上野千鶴子のテンションもすさまじかった。例の東大入学式の祝辞は狙い澄ました炎上であるが、「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」という言葉には心から共感する。もちろん上野自身は飛び抜けた強者であるとして、それも隠さない。「いちいち怒って、面倒臭い女になってゆく」態度を貫き思い切り物議をかもしつつ、社会の保守性を揺り動かして70歳を迎える。

正直、フェミニズムは論理の展開が単調で興味を持てなかった。自分自身「男性優位社会」が大嫌いだったので、ねじれた形で似た主張を持っているから許して、という話で受け止めてきた。しかし、最近、「人間の関係は非対称なものである」というテーゼが上野の中心にあると知り、態度を改めた。赤ん坊と母親、認知症患者とヘルパー、正規と非正規、教師と生徒、そして男と女……。歳をとってみて、「自立した個人」の対等な関係などほとんど夢物語と分かると、フェミニストの主張の正しさが身に染みてしまう。

上野千鶴子の強さの源はネットワークを作る力にある。「絵に描いたような亭主関白」の父と「ひたすら我慢を重ね人生を恨んでもいた」母の間に生まれ、「家族の呪縛」から逃れながら女性学をツールとして社会を変え続け、「おひとりさまの老後」に至る。「私はチコちゃんのモデル」と語り、率直で公平な人柄で笑顔がチャーミング。いるだけで場が活性化してしまう迫力があり、活動の過程で自然にコミュニティが生れてゆく。小さな差異で仲間割ればかりしている男の政治家たちも、上野の実践力を少しは見習って欲しい。

今後は、介護保険を使いつつひとりでどう老いてゆくか、新しい生活スタイルを実践してゆくはずだ。こちらの方が先に認知症になりそうで恐ろしいが、目が離せない。


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(撮影:風元正) 




最近の『いだてん〜東京オリムピック噺』はとてもいい。視聴率は悪くともネット上の評判良、というパターンが定着し、私も女子体育の話になってから盛り上がった口だから平均的な視聴者である。序盤は《スポーツで国威発揚》が暑苦しかったが、金栗四三(中村勘九郎)の闇雲な前進力により女子たちが体育に目覚めてゆくプロセスに共感する。

人見絹枝を演じるダンサー菅原小春が傑出している。菅原はドラマ初出演だが、演技をしているというより、ほぼ「素」に近い状態で活動している。日本国内ではどれだけ活躍しても「バケモノ」呼ばわりされ深く傷つくが、「女子」の未来を切り開く可能性を秘めた身体能力に魅せられた人々の導きにより、走ることを選び取る。「アネゴ」と呼ばれ、アムステルダムへ向かう汽車の中で、のちに日本陸上界の大立者となる織田幹雄(松川尚瑠輝)の破れたシャツを縫ったりもしつつ、走る姿のスケール感は圧倒的である。そして、あの鋭い眼。芸達者の中でも異物感が際立ち、その在り方が日本初のオリンピック女性メダリスト人見絹枝の苛烈な人生の物語と重なってゆく。陸上競技では、有森裕子まで64年間女性のメダリストが出なかったわけで、その年月の長さを考えると呆然とする。

高橋是清役の萩原健一は、ただただ、出演してくれてよかった。この顔、この立ち姿になるまで68年かかったのか、と溜息が出る。たぶん、死期は悟っていただろう。対面する田畑政治役の阿部サダヲの目に本気と思しい脅えの色が浮かんでいたのが可笑しかった。作り込まれた演出のドラマだが、こちらが感応するのは菅原、萩原のほとんど「素」の姿である。

宮藤官九郎は徹頭徹尾文科系の人。だから、ビートたけし(=志ん生)という語り手を必要としたのかもしれないし、ドラマはオリンピック批判のトーンが含まれるととたんに輝きを増す。森山未來の若き日の志ん生とか思わぬ収穫もあったりするが、さて、水着姿の俳優たちが脚本家の体育会系嫌悪を中和するかどうか。前畑秀子役が7キロ増量した上白石萌歌なのか……。


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(撮影:風元正)
 



テレビ好きの吉本隆明が『素人の時代』という本を出したのは1983年だった。芸能界は「マンザイブーム」に湧いた頃で、その中心が「芸」の概念を壊したツービートのビートたけし。萩本欽一の「素人いじり」番組が全盛を極めて、『お笑いスター誕生』でとんねるずがデビューして、いきなり人気者になった頃。型に嵌って古臭く見える旧型の芸能人たちが姿を消してゆくことに快哉を叫んでいたのだが、36年経って、誤魔化しようもない「素」を鑑賞する段階に至り、むしろ絶対的に必要なプロフェッショナルに至る訓練過程をどう確保するのか、呆然としてしまう。


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(撮影:風元正)



風元正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。