特別寄稿:映画と音楽の内と外 渡邊琢磨『ECTO』によせて

「YCAM爆音映画祭2019」オープニングイベントとして8月29日(木)に音楽家の渡邊琢磨さんの初監督作品『ECTO』[サウンドトラック生演奏]の公演が行われます。水戸芸術館の委嘱作品として作られ、弦楽器の生演奏とともに上映される本作を批評家・編集者の松村正人さんが解説してくれています。ぜひ今夏、YCAMにて体験してみてください。 
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 ©2019 MITO ARTS FOUNDATION



 文=松村正人


 前世紀末に登場したコンボピアノを皮切りに、話題作、意欲作、問題作をほぼ三対三対四の割合(当社調べ)で世に問いつづけた渡邊琢磨は本名名義にもどると同時にクラシカルな作風に傾転回し映画なる形式への思考をほのめかす作品をものしてきた。2014年の『Ansiktet』とその3年後の『ブランク』はその典型だが、幕間には『ローリング』(2015年、冨永昌敬監督作品)、『美しい星』(2017年、吉田大八監督作品)あるいは『ディアスポリス』(2016年放送のドラマ版と同年熊切和嘉監督により公開した映画版がある)のサウンドトラックなどがあり、これまではその多忙さゆえ本人の体調を気づかいこそすれ、つくるものには全幅の信頼をおいていたが、今年はじめだったか、初の監督作となる映画を公開すると訊いたときはわが耳を疑ったものである。「映画」を「監督」した? 渡邊琢磨の映画への愛情と情熱は音楽にもみちみちているし、シネアストとはいわないまでも、欧州はむろんのこと、洋邦画問わず、幾多の鑑賞経験からゆたかな素養をもちあわせているのは会話の端々からもうかがえたが、それとじっさいに映画を撮ることは別問題であろう。むろん音楽家が映画を監督してはらないという法はないどころか、企画ものならいくつもある(作品名はあげません)。私ははじめそんなのだったらどうしようと思い、おそるおそる送ってもらった粗編集のラフを拝見し、某メディアの取材で3月の末に彼と話したころには不安は杞憂に終わったのだが、その一方で、舞台作品である『ECTO』の全貌は上映の場に身を置かなければとらえられないことを知り、作品の委嘱元である水戸芸術館での5月の本公演までおあずけをくった思いでその日は渡邊琢磨とわかれたのだった。

 渡邊琢磨の初監督作品は『ECTO』という。「ECTO」とはギリシャ語の「外の」にあたる形容詞で、エクトプラズムのエクト(ちなみにプラズムは「物質」の意)といえば、1970~80年代の勁文社あたりが粗製濫造していた心霊写真関連の書籍に胸ときめかせた妙齢の読者は目頭をあつくされるやもしれぬが、かくいう私も、古き良き昭和の観光写真やスナップに混ざって、巻末に――おそらく埋め草として――掲載した海外の事例のなかにエクトプラズムを鼻や口から吐き出しながら陶然とする霊能者の写真に胸をおどらせた口である。いまでも憶えているが、英国の女性霊能者のエクトプラズムに、シャーロック・ホームズシリーズの作者で晩年オカルティズムにはしったコナン・ドイルの顔がうかびあがった写真を目にしたときは激しい興奮をおぼえたものである。煙のような綿のような物質がかたどったドイル卿の相貌はきわめて明瞭だった。まるで写真のようだ。というかたんに写真を貼りつけただけではないかと気づいたのは昭和の終わりあたりだったが、平成の世も暮れかけた24(2012)年、鬼籍に入った米国の現代美術作家マイク・ケリーにも『ec-to-plasm』なる写真作品があり、なるほど「ECTO」なることばは洋の東西を問わず、ある種のひとびとを惹きつけやまなかったのだと思いもするが、話がそれた。


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©2019 MITO ARTS FOUNDATION


 渡邊琢磨の『ECTO』は霊的な存在となったふたりの人物をめぐる物語で、半(反)物質となった彼らが現世あるいは抽象世界と交錯する場面を、時制を弄びながら描く作品であり、モチーフの選択からホラー、細部にわたるデジタルな画像処理には実験映画的なニュアンスもある。とはいえ設定の多くは渡邊琢磨が音楽を担当した染谷将太監督の短編『清澄』に負っており、『清澄』に出演した染谷将太と川瀬陽太が『ECTO』でもこの世ならざるものとして回帰してくる。第三項となる佐津川愛美はことなる次元の紐帯となる霊媒的な存在であり、彼女によりスクリーンという映像空間につなぎとめられた彼らはしかし現実の近傍にありながら、ついにその境界線をまたがない。「ECTO=外の」ということばが暗喩するものがそこにはうごめいているが、このことばはおそらく映画という形式の内と外をもさししめしている。映画が時間に沿って継起する光の現象であるなら、スクリーンは物理的にその内と外をきりわける枠組みである。他方、スクリーンに耳目を転じれば、そこには視覚に訴える現象のみならず、無数の音がその両脇や後方にそなえつけたスピーカーからながれ耳をそばだたせる。そのとき音あるいは音楽は映画にとって内と外を区別する符牒ともなる。ある場面でなにかの音が聞こえるとき、その音源が画面内に映れば、その音は内の音であるし、サウンドトラックのように画面の外から演出効果的に響けばそれは外の音である。『ECTO』では出演者はセリフをかわし、作中には電子音を主体の音楽がおもにながれている。ところが物音にあたる音、一般的な映画制作では録音部が担当すべき現実音や物音は抑制的で、茨城県内某所の広漠とした自然が背景なのに内の音のあつかいはどこかアフレコめいている。これには理由があり、それはまた上述のようにこの作品が舞台作品であるゆえんでもあるが、『ECTO』は上映にさいし、渡邊琢磨みずから指揮する、10人をこえる弦楽器群の音をあててはじめて完成するライヴ作品なのである。すなわち木々の葉叢のこすれやすだく虫の音、雷鳴や暴風雨といった風景に付随する音あるいは特定のシーンの恐怖や不安を強調する音は舞台上の弦楽器群が生演奏で補完するのである。ただしそれらの音はいたずらに現実音を模倣するものでも観客の心理を誘導するものでもない、映画の内と外のあわいにあって、ときに両者を截然と区分し、ときに媒介する無色透明のフィルターとなる、そのような音の位相の即時的な変化が『ECTO』を映画でも舞台作品でもない、渡邊琢磨という異能の表現に高めている。問題となる弦楽器群のスコアがはたしてどのようなものかといえば、先般の取材で渡邊琢磨は『ECTO』の音楽をつくるにあたって武満徹の映画音楽を聴き直した旨を述べ、楽器どうしの音のかかわりにはそのことをうかがわせる側面もあるが、トーンクラスタ風の量的な書法にはリゲティを想起するところもある――となれば、作中の抽象場面を担当したTAKCOMは『2001年宇宙の旅』のキューブリックにおけるダグラス・トランブル的ともいえなくもない。おそらく渡邊琢磨は私がここで述べた以上の多層的な仕掛けを『ECTO』に施している。それらの問いはライヴの場で生成しあなたの目の前にあらわれるのである。 



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ECTO[サウンドトラック生演奏]
 日時:2019年8月29日(木)19:00〜
 会場:山口情報芸術センター[YCAM]スタジオA
 YCAM爆音映画祭『ECTO』初の弦楽5重奏版サウンドトラック演奏上映。
 映画冒頭にアンビエントバロックの習作を憑依させる冥界音響化=驚異の実験付き公演!
 演奏:梶谷裕子(1st Vl)、須原杏(2nd Vl)、角谷奈緒子(Vla)、橋本歩(Vc)、千葉広樹(Cb)

YCAM爆音映画祭2019
会期:2019年8月29日(木)〜9月1日(日)
https://www.ycam.jp/cinema/2019/ycam-bakuon-film-festival-2019/



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©2019 MITO ARTS FOUNDATION


ECTO
監督、脚本、編集、音楽:渡邊琢磨
抽象場面監督:TAKCOM
撮影:四宮秀俊/音楽制作進行:濱野睦美
制作:三好保洋/制作協力:エム・シー・ピー/映像制作:東京テアトル/プロデューサー:西ヶ谷寿一/エグゼクティブ・プロデューサー:櫻井琢郎
出演:染谷将太 川瀬陽太/佐津川愛美
©2019 MITO ARTS FOUNDATION

<STORY>
僻遠にある植物園内を徘徊するエクト(染谷将太)は自身の存在に違和感を持ち、この場所を「冥界」だと断言する男(川瀬陽太)に不信感を抱いていた。ある日、植物園に勤める研究員(佐津川愛美)とエクトが邂逅したことをきっかけに、事態は思いもよらぬ方向へと展開していくのだが…。

<COMMENT>
悪ふざけのような映像を前に、私はスクリーンの下で影絵のようにうごめく弦楽隊をじっと見ていた。そして、自身の鳴らしたい「音」をひたすら追求する渡邊琢磨の孤独で真摯な態度を感じていた。
ー 加瀬亮(俳優)

ねえ、染谷くん。ねえねえ、川瀬さん。ねえ、佐津川さん。物凄いスピードで作品に吸い込まれてく彼らの中に観客としてこっそり入れた。ああ、美しい、ああ、面白い、私はもっともっとこうゆう映画の刺激を飲み込み続けたい。
ー 柳英里紗(女優)

画は画に対して、人は画に対して、声は人に対して取って付けたようであり、その手前で、劇伴の奏者たちの動作はその音色にあられもなく自然に同期している。「人工」と「自然」はみずからの衝動に駆られるほどにひとつの外(ecto)に巻き込まれていく。この作品は映画に対する外であり映画に対するホラーである。ホラー映画がこれが本当だったらとても怖いと思わせるものであるとするなら、『ECTO』はこれが映画だとしたらとても怖いと思わせる映画のホラーである。
ー 福尾匠(横浜国立大学博士後期課程、 日本学術振興会特別研究員)

マジで、いろんな美しさのある作品だね。いろんな意味で素晴らしいタクのレコードのようだけど、今回は視覚と音(聴覚)両方があって。テンポ感、映像と音の切り取り方、謎、暗示とか、とにかく面白いよ。
ー キップ・ハンラハン(ミュージシャン)

映画の内と外のあわいにあって、ときに両者を截然と区分し、ときに媒介する無色透明のフィルターとなる、そのような音の位相の即時的な変化が『ECTO』を映画でも舞台作品でもない、渡邊琢磨という異能の表現に高めている。
ー 松村正人(編集者)






松村正人

批評家、編集者、バンド「湯浅湾」のベース奏者。1999年より雑誌「STUDIO VOICE」編集部で音楽を担当、「南部真理」の筆名で批評の執筆も行う。その後「STUDIO VOICE」「Tokion」の編集長を務め、2009年に独立。「別冊ele-king」をはじめとする多くの雑誌、書籍、パンフレットの編集、監修および執筆を手掛ける。今年、待望の単著書『前衛音楽入門』(ele-king books)を上梓。共編著に『捧げる 灰野敬二の世界』(河出書房新社)『山口冨士夫 天国のひまつぶし』(同)など多数。8月4日(日)、小岩bushbashで開催される「夏の湾祭り2019」に湯浅湾の一員として出演。