宝ヶ池の沈まぬ亀 第34回

青山真治さんによる連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第34回は、新作映画のクランクインの日から始まります。撮影二日目に届いた萩原健一さんの訃報を受け入れられぬまま続行された、約3週間にわたる撮影の模様が記録されています。

文=青山真治

34、ショーケンのいない令和を前に

某日、撮影初日。快晴。一発目は府中の釣り堀。我が組常連の「釣り担当」助監督、野本史生が毎度ながら参戦。ドイツ風の口髭を蓄え、見事に釣り指導をこなす。別に野本に一食提供するために釣りのシーンをシナリオに書いているわけではない。なぜだかわからないが撮りたくなるのだ、水辺のシーンを。

移動して飯能の穏やかな田舎にある古民家をロケセットとしてお借りしての出版社。ここは今回最もお気に入りの場所。ロケセットで狭い室内を撮るのは久しぶりのような気がして、あれこれ気になる。夜の弁当を家に持ち帰って食した。

二日目、田舎の出版社・編集部。髪を赤く染めた若手社員役・松尾渉平、遅刻。これだから若手は、と言われて他人に迷惑をかけることを何とも思っていない者はそうやって進路を決め、機会を減らすだけだ。バカ。撮影はごく順調。初のナイターも滞りなく。

帰宅して、ツイッターを開けるなり、何か不穏を覚える。さりげなく名前が出ていると予感してしまうのが最近の傾向だが、よもやまさかと疑わしい名前を見つける。

しかし、どうやら、結論から言えば、萩原健一がもうこの世に戻ってくることは本当にないらしい。長年自分が育んだ夢は夢のまま実現せずに終わることをどうあっても受け入れなければならない。それを受け入れるのに三時間ほどかかった。

萩原健一は時代精神だった。肉体という形で長い時間それをあらわにし続けた稀有な存在だった。決して象徴ではなく、と同時にこれ以上の象徴はなかった。決して言葉ではない、年齢を超えて何歳だろうと画面の中のあの体躯、あの眼、あの表情、あの身のこなしの描く軌跡こそがその時代だった。そのために自分を酷使した。それは苛酷を極める戦いだったが、それも終わった。全ては人生という、一回こっきりの実験だった。例えば先ごろ引退した同じカタカナの愛称を持つ偉大なプロ野球選手に、同様の偉大さを感じる者は大勢いるだろうし、一緒にするなと怒り出す向きもあるかもしれないが、それでもイチローは現役を引退したにすぎない。

ショーケンは二度と帰ってこないのだ。

個人的な思いはとりあえず封印しておかなければ前に進めないのでここらで沈黙するが、確かに私の中のある部分は消えた。その部分のリペアがもし可能だとしても、それには撮影終了を待たねばならない。

三日目、そんなわけでショーケンの話題には触れずに出版社二日目。寒いが時折いい日差しが落ちてくれる。順調に終わり、帰りに目黒でとんかつを食す。やや脂分過多。

四日目、一旦飯能を離れ、高層マンション立ち並ぶ臨海地区へ。ここで、信じがたいことにたった二日前に決定したキャストを迎える。滞りなく始まり終わりはしたのだが、それ相応のことをほとんど書いていない台詞を見事な情感とともに演じてくれるこのヴェテラン俳優の力を、たった1時間程度でガツンと叩き込まれてしまった。

年度末の土曜は狂躁の東京の夕刻を這々の体で帰宅。明日は撮休。

某日、どうやらぱるるがいくら吠えても起きなかったらしいのでいささか体力に不安を感じる撮休の朝。午前中はずっとぼやぼやしていたが、午後からは一週間分のコンテ作り。あちこちと連絡を取りつつ、根回し。何より気になるのは明晩の天気だが。

そして恐れていたことが物の見事に現実として目の前に。五日目、昼は穏やかな気候の下で暗い倉庫に籠ってみんな大好き「トメドリ」を千葉某所にて敢行。これは繊細な作業とともに無事済ませたのだが、そこから某所に移動開始するなりポツポツ。一天俄かにかき曇り、というやつである。毎度どのタイミングでか、必ずやってくる。稲光ガガガ、雷ドドーン、雨ドシャドシャ、風ビュウビュウ。いくら待機すれど止まず。結局P判断で明日に延期。雨中不安にかられつつ準備を遂行していた照明部には大変申し訳ないが、こればかりはどうしようもない。何しろ彼らの乗るハイライダーが避雷針と化すのだから。まだ明るいうちに帰京。さて、この間に新元号発表となったが、その「令和」というやつにいかなる個人的感想も興味もない。唯一、これを知らずにショーケンは死んだ、とだけ思う。ショーケンとはなんの関係もない時代がもうじき始まる。

明けて快晴の下、六日目は多摩某所にて結婚式場を撮った後、再び千葉某所へ。午後じゅう費やして準備するが、とにかく風が冷たく、防寒万全で臨みつつも夜の冷えは尋常でなく、顔や手など肌の露出部分が非常に応える。どうにか無事に撮りきるが、無念だがギリギリのラインで踏みとどまるに終わった。おそらくその苛酷さは画面には出ていまい。

飯能最終の七日目。この日もまた寒かったが、ここでの作業は結果として良いものになっただろうという気はする。故にもっと長く、気に入ったひとつところで撮影に集中することが質の向上につながる、などと益体もなく考える。そんなことは事前に想定などできることではないのだ。京造組含む編集部、最終日にもなった。夜、編集室にてラッシュ試写。呆気ないほど品質は安定する気がした。くどくどやるのは悪あがきの刻印。ともあれ編集したくて仕方ないのを抑えて帰路に着く。何か映画が見たいが睡魔には勝てず。

三鷹の動物病院にて八日目。気温は穏やか。某常連、一日限りの出演。旧交を温めるという感じがここまで相応しい俳優はやはりこの男ということになる。何をやっても結局想像通りにやってくれ、それが物足りないというわけでもない。お互い楽をしたいときはちょうどいい。しかしそろそろ楽をできないことをやる必要があるかもしれない。撮影終わりでスタジオへ。ほとんど立ち上がりつつあるセット見学と窓外の風景の設定会議。まだまだすべきことは山ほどあると実感。フラフラと帰宅後、近所の中華屋へ。居抜きでリニューアルしたのだが、味は全く変わり、ひどい。二度と行くことはないだろう。深夜、気づいたらまた床で寝ていた。

九日目は御茶ノ水。さすがに朝(七時半新宿集合)が辛くなってきた。昼までは割合淡々と撮って行ったが、夕方今回最大の芝居場の一つを乗り切る。思いつきも功を奏し、充実の出来。イチロー、国民栄誉賞を蹴る。爽快。帰りに千鳥ヶ淵を通過しつつ、世間が花見で盛大にやっていることを知り、新宿に着くなり人手の多さに今日が花金と知る。だからどうだというわけでもなく、いそいそと帰宅。なぜか昼からミシェル・ルグランの名前が頭から離れず、ボックスを聴き続ける。

そして十日目、斯くして赤児生まる。いや、本当に赤ん坊を撮影したのは初めてで、それは神々しいものであった。頭の中でなぜかデミの『レイチェルの結婚』が上映を始め、そうだ、そういう映画をいま撮っているのかも知れないと甘美な妄想を始めるが現実は異なる。それでもセットを下見に行き、同じくらい甘美な思いに浸る。明後日からここを撮る。帰り道には中目黒でまたもや花見客の大群に巻き込まれそうになる。我らもそれなりに花見をやってきはしたが、ああいうものには近づかないようにしてきた。狂躁という言葉が相応しいあの状況を決して好きにはならないし、それがわかっていてあそこに近づこうとはゆめゆめ思わない。帰宅してから眠気が熄まない。疲労のピークだろうか。

某日、撮休にして眠気なお熄まず。どうにかプランを立て、コンテに向かう。しかしつい時間をオーバーし、下見に三十分遅刻してスタジオに到着。見事なセットができていた。清水剛のこの労作に応えるべく、こうはどうだああはどうだと綿密に試行錯誤するが、どうもシナリオが噛み合わない。もう一度台詞の一つ一つ磨き直さなければ。時間が欲しい。

下の写真はスタッフルームの前にある廊下から見える倉庫の屋根なのだが、この夏にはここに鉄パイプで組んだ簡易のバルコニーを作ってそこで打ち合わせをしたい、という無駄な夢を見る。

十一日目、セット初日。朝から雨。しかし当然粛々と時は流れ、待ってくれはしないので覚悟を決めて撮り続ける。最大の難関は猫。これをどう攻略するかで明暗が決せられる。そしてそれはそれでどうにか乗り越えても、とにかく時間がない。一昨日からすでに「明日やる」と言い出して結局その「明日」が現実になると切羽詰まる。結局のところ問題は体力ということになるのだが、本当に明日こそはやらなければならない。

十二日目。俳優陣の好演に救われて予定より早めに撮影を終える事ができ、コンテ作りが現実に追いつかれそうな気配をどうにか振り切る。スタッフ含めて厚めの芝居場を次々に乗り切る人々を見ているのは爽快なものである、って他人事のように言うが。しかし体はなぜかぎくしゃくしていて、あわやセットから落下しかけた。よく考えると四日前の御茶ノ水の現場で長い階段を何度も上り下りした筋肉疲労がいまごろ出たのだ。我ながら寄る年波に呆れるしかない。

十三日目。予期せぬ寒波襲来。一日じゅう雨。ケーシー高峰氏、ジャン・ピエール=ボヴィアラ氏逝去。ボヴィアラには、そしてアトン社には本当に世話になった。アトンのスーパー16のおかげで35ミリへのコンプレックスに潰されずに済んだ。行きの道すがら突然西部劇への郷愁に捉われ、とある2つのショットを考案、ちょっと妙なものだが主演女優は疑問も呈せずサラッとやってのけてくれた。こういう瞬間には単純に嬉しくなる。野本再登場。夕方、終了と同時に某名優氏オールアップ。数少ない同年齢としていつでも信頼のおける大俳優である。氏の最終場面で、ある二つの映画の終幕をくっつけてみたがこれはクイズにしよう。さて、なんでしょう? もちろん見ないとわからない。

某日、撮休。一転して温暖だが風強し。家の中にいさえすれば楽勝。朝、日々の朝餉としてはごろもフーヅの青魚パウチシリーズをアマゾンで大量購入。湯に浸かり、カレーを食し(昨日の朝晩と三食連続)、昼寝で夢心地の後、小津『早春』戦友会以後を。長いシーンの終わりに、そこで終わらない付帯的ワンカットの効果についてじっくりと考える。それらと団扇の動きとは音楽的という理由で連帯している。さらに『ホース・マネー』『骨』を久々に。そんなわけで実景問題がここで再燃する。つまり『ファースト・マン』に見られるような分節不在というか分節化を必要としない語りの是非についてだが、さすがに小津を前にすると揺らぐし、ペドロにはショットこそないもののカット頭の「間」が綿密に介在する。ゆえにそれが現代性を喚起してもいる。早計な結論は避けるが、結局自分なりの方法を案出するしかないということ。ともあれ、ペドロのDVDライナーに着手。

十四日目、まだ二週間かと思えるくらい初日は遠くなりにけり。いつものことだが。ヒロイン単独の一連。猫関係の流れで、個人的には最もエモーショナルな時間。しかしこちらがあまりエモくなるのを控えると表現が薄くなってしまうので、困る。ともあれ夕食前に終わる。で、こういうことは当然久し振りだが我が家の女優も撮影中で、砧のスタジオ(小さい方)で演じていた。以前も感じたが、ちょっとだけ不思議な感覚に捉われる。

某日、今週は飛び石連休で、本日もゆっくり。朝、病院。待ち時間に備え、食卓にあった読みさしのサリンジャーを持って出るとその中の一節でアイヴァン・パッサーのことを思い出し、あああれもこれも見直したい、なんとか字幕版DVDで全集とか出ないものか、と念じる。悪いけどスコリモフスキの倍、ミロシュ・フォアマンの百倍、面白いのに。心臓、全く異状なし。東大の入学式における上野千鶴子氏の式辞が問題というか話題になっているが、卒業生たる友人たちがかつてこんなこと言われたとしたらこれはかなりの噴飯ものではないか、と心配になる内容。まあどうでもいいが。午後、ラッシュを見ようと編集室を訪ねるが、やってきた編集・田巻、タクシーで鍵を失くし、というのもジャケットのポケットに穴が空いていてそこから滑り落ちたらしく、結局一日分見ただけで時間切れ。それにしても気の毒に思っていいのかどうか、迷ってしまう。近所で待ち合わせた制作・中村哲也と撮影・中島美緒でロケハン。多摩川畔某所の両岸を日暮れまで散策。写真は、川べりの、というか神社のそばの、由緒正しい売店。桜はなぜか造花である。

さらに246某所。収穫あり。帰宅して美味なる味噌汁をいただく。夜更けて女優から日付を聞かれて答えるが、誰かの誕生日だったが誰だったかと考え込んでいるとTwitterでヴァン・ダイク・パークスが教えてくれた。ベケットだったが、なぜベケットの誕生日を覚えていたのかは不明。他にもロウエル・ジョージとアル・グリーン。さらに深夜、もしいま酒を呑んでいたら全てやめてしまったかもしれないと不意に思う。これもなぜかは不明。たんに面倒臭くなりかけてしまっているのかもしれない。そしてそれが破壊衝動というものの実態であり、これは恐ろしいことである。

十五日目、二人の女優の競演。たんに楽しいので、こういう日は監督していて幸せを感じるのだった。昼食に久しぶりのトウタリング。お子が生まれたばかりのトウタ氏、何しろめでたい人を迎えることができ、こちらもかえって幸福をいただくような一日となった。一方、俳優・高橋洋氏にもご子息誕生の報。減って増えて、そのような無常に心が震える。

某日、飛び石連休三日目。しかし朝から実景撮影。よって十六日目にカウント。一台のグランドキャビンで撮影部・録音部・助監督七字とともにあちこち動く。選挙カーがやたら喧しい。午後、一旦自宅に戻り、夕方再集合。帰宅後、夕餉はアンディ・カフェ。ぱるる、ミートローフを好む。

十七日目、現場に大橋が遊びに来る。元気そうで何より。撮影はラストシーン。あれこれ悩んだ末に白紙状態で臨んだが、かなり理想に近いショットが撮れた。この自信を失うまいと、昨日から決めていた『多十郎殉愛記』鑑賞をキャンセル。早々に帰宅。ノートルダムが燃えたが、バーミヤン破壊の時ほどの衝撃はなく、ましてや911とは比較の対象でさえない。夕餉は近所の中華を出前。そろそろ疲労が嵩張っている。

一方、隣のスタッフルームにはこんな貼り紙が。誰もが大変なのだ。

某日、最後の撮休。休みを体が承知しているかのようにとにかく鱶のように眠る。モンキー・パンチ氏逝去。劇画『ルパン三世』が私の世代に与えた影響は『ワイルド7』と並んで計り知れない。明け方『ホース・マネー』解説脱稿。現場で考えたことを書けた。新五千円札の津田梅子が裏焼きで「左前」になってるという物議。渋沢といい左前といい、不吉だから少しでも金払いをよくして景気回復というただのとんちみたいなことではあるまいか。本当にどうでもいいけど。それよりぱるるが豚耳のおやつに夢中でずっと咥えているのが楽しい。クランクアップ後に見に行く予定のガレルのことを考えているとふと「フォンテーヌ街」が見たくなり、それについてTwitterで訴えたら、パリの槻舘さんが丁寧に答えてくれた。さあ、仕事をしよう。

ここまで来てとうとう主演男優を迎える十八日目。二十二日のうちたった四日という極端なスケジュールだが、主演は主演である。これまで同様に丁寧に撮影して行く。主演女優も正式な相手役をようやく得て、プロ意識に拍車がかかる。それでもようやく落ち着いたのだろうか、初めて快活な笑い声を聞いた気がした。いかんせん猫のリンゴちゃんの調子があまりよろしくない。20テイクを超えてようやくなんとか形になるものが撮れる。これはリンゴちゃんのせいではなく、人間どもの不甲斐なさによるもので、ちょっと怒鳴ってしまった。声を荒げることはすまいと決めていたのに。いかんいかん。昼過ぎに某映画監督逮捕の報を知り、なんだか調子が狂う。そのせいではなく分量的に初の稼働時間12時間越え。それでも個人予想より二時間短かったけれど。終わりに、帰って行く男優とはすでに数日間撮影してきたかのような印象さえ受ける。

十九日目。ラヴシーンの一日。ここでも主演女優は堂々としている。日々モニターで私の確認するかぎり彼女の美しくないショットは一つもないが、この日は特にそうだった。リンゴちゃんも昨日とは打って変わってめざましい活躍。特別なことは求めていないが、人間同様にあらゆることを的確にこなしてくれ、それが人間同様に良き結果を収めることを実に麗しく思う。夕方終了後、スタッフルームで最終カットまでのコンテ割りを終えた。コンテとはシナリオを不可視の線で裁断していくことだという当たり前のことを改めて難しく感じた一本だった。再縫合=編集するのが心から楽しみというに尽きる。ただ、90分主義者としてはいまのところすでに二時間越えの印象を受けていて、やや苦しいところだが。

二十日目。午前の部、路上にて車内撮影と記者会見シーンの撮影。昼食後、南青山某ビルに移動、駐車場およびエレベーターがらみの撮影。それほど大変ということもなかったのだが、帰宅してみると異常な筋肉疲労で飯も食えず、そのまま眠る。

で、二十一日目はぱるるに起こされることもなく朝五時前に起床。で、撮影所へ行って話し合ったのだが、昨日の南青山某ビルでは、とにかくまともに録音部のラジオが通じないくらいビル内で無数の電波が行き交っており、その高周波だか電磁波だかで体がガチガチになったというスタッフ多数。まあ最初から波乱含みでネガティヴな印象しかなかったのでそういう似非科学的な話になっても不思議ではないが、いやしかしそれにしても体は辛かったことに変わりはない。もちろん早起きできる程度ではあるのだが。

午前中で長く引っ張っていた女優氏、終了。毎年テレビを見ていてこの人は素晴らしい俳優だと思える人がいるが、昨年はこの方だった。撮影所にいるとターレットが走っている。ターレットが実際に仕事しているのを都内で見られるのは市場と撮影所くらいではないか。一度は運転してみたいものだが。

そうして撮影はいよいよクライマックス。最後の最後に、特権発動的に予告したカット割りを変え、暴力的なショットを撮る。撮れたこちらはホッとしたが、周囲がどう受け取ったかは不明。それでもって、主演女優曰くの「パッとしない女」の「パッとしない話」を描いた撮影はオールアップを迎えたのだった。これも主演女優の談によるが、皆さんが挨拶がわりに仰る「丁寧に撮る」などということはこちらとしては至極当たり前であって、その中から奴らの気づかぬものを抉り出してやるのがこちらの本来の仕事なのである。その点でも主演女優、無意識過剰的に面白い人物だった。本当に編集が楽しみだ。 ビルボード用のヘンテコな写真を撮影して仕事は完結。余り物とはいえ二ヶ月ぶりに呑んだ赤ワインはすこぶる美味だった。門司の叔母から、上から三番目(亡母が長女)の叔母の訃報が留守電に。しかし今はどうすることもできない。

某日、十時間眠ってもまだねむい。日がな寝たり起きたりの一日。これから見に行く映画のことを考え、スケジュールを練っていると結局眠る。マニエリスティックなところが欠けている監督としては合成素材の撮影も「行ってもすることがない」ので欠席。郵便物を眺めてはうつらうつらしていた。舞台の稽古場にも出向きたかったが、行くと何か怒りだしそうな気がして差し控えた。夜半、久しぶりにホキモトと電話で話す。

・・・というまに数日が経つ。いや、寝てばかりいたわけでもなく、むしろ舞台稽古に行っていたし、そこではもちろんしっかり仕事をしていた。たんに日記を書くことに向かえなかっただけだが、せっかく計画した映画にもいけていない。

ずっと気になっていた『へレディタリー』をやっとDVDで。こういう、まるで自分が撮ったような、というのでもなく、では、毎日のように映画について語り合う友人が撮ったような、というのが相応しいのか、ともあれそういう映画に久しぶりに巡り合った。うまい、とか、面白い、とかいう言葉が全く出てこず、ラストカットを見終えて、ああ終わった、と唇がつぶやいてしまったのも久しぶりだ。友人としては「おい、全然怖くないじゃないか」と肩の一つも軽く殴ってみるだろうが、会ったこともないのでそうもできないのを残念に思うしかない。江良圭監督『ガクドリ』は何年前の作品だったか、たぶんあれ以来の感触である。繰り返すようだが、私はちっとも怖くなかった。ただ映画として「ああ、うん」と笑って頷ける、そういうものであった。

・・・で、この間とにかくワインがやめられなかった。人のせいにするのは良くないが、明らかにショーケンの死を受け入れられないまま撮影を続行していたせいだ。もちろんいま現在の芝居の稽古にも関係している。そうして間も無く元号が変わるという。そんなことはどうでもいいと思えば酒もやめられる気がする。ただひたすら眠いのは疲労の結果というほかない。なので、猫のようにただただ眠る。

眠る ぱるる

(つづく)

舞台『しがさん、無事? are you alright, my-me?』

5月7日(火)~12日(日)、下北沢・小劇場B1にて上演

作・演出:青山真治/出演:テイ龍進、松本勝、ノモガクジ、安保匠、藤入鹿、大鳥れい

【公演日時】

7日(火)・10日(金) 19:30

8日(水)・9日(木)・11日(土) 14:00/19:30

12 日(日) 13:00/17:00

【チケット】

全席指定4200円(前売・当日共通)

前売り券はローソンチケットJ-Stage Naviで発売中

青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。