妄想映画日記 その88

boid社長・樋口泰人による「妄想映画日記」その88は、メニエル病による不調のためいくつかの予定をキャンセルしつつも乗り切った2019年3月後半の日記です。山梨に帰省しての墓参りとLFBのライヴ鑑賞、渡邊琢磨さんが初監督した映画、4月4日まで開催中の「爆音映画祭 in 109シネマズ名古屋」での音調整のことなど。

文・写真=樋口泰人

3月16日(土)

さすがにぐったりしていた。猫たちとともにゴロゴロした。

3月17日(日)

ぐったりは続く。夕方、Soi48のふたりと空族の虎ちゃんとで、今後のワンメコンシリーズの具体的なスケジュールやライヴ、上映などの話。せっかくなので、なんとかいい形で広めていきたい。だがとにかく普通にやってはまったく儲からないのでそこをどうするか。この日おおよその流れは作れたが、どうやって現実化していくか。予算、収支予測はまだまだ厳しい。

3月18日(月)

宮崎くんの昨年の作品『TOURISM』のロードショー公開準備、プレス資料づくりのためのインタヴューだったのだが、起き上がれず30分遅れ。宮崎くんもカンボジアの水で食中毒を起こし、未だ調子悪いとのこと。一体空族の連中やYoung-Gはカンボジアでどうやって体調保っているのかという話にもなる。気がついたらシンガポールにいて日本にいるのと同じ感覚でシンガポールで迷子になるがそれでもなんとなくなんとかなるゆるくてちょっと優しい低空飛行の物語は、これまでの映画の物語のような波乱や大事故は起こらないが、おそらくこの感じが世界の最底辺を作り上げているのではないか。もちろん悪い人もいたりするが、それ以上に世界は優しくわたしたちを包んでくれることを、生きる担保としてどこかに抱えていけたらと思う。そんな映画をいい形で伝えていけたら。

夜はアナログばか一代。女性ボーカル特集だったのだが、内田裕也さんの訃報により、最初は裕也さんの曲を2曲。カートリッジの調子悪く片側のチャンネルからしか音が出ないという思わぬ事態となったが、それ以上に裕也さんの歌が胸に沁みた。このまま内田裕也特集をやってもいいのではないかと思ったのだが、それはそれ、汲めど尽きない女性ボーカル特集へ。もちろん終わりはない。どんどん気分は中学生になっていく。

3月19日(火)

日経新聞の取材を受ける。爆音について話すが、メニエル中なので爆音のことより今どうするかについ、意識が向いてしまう。その後事務仕事で、パソコンの画面を見ているうちに具合が悪くなる。

3月20日(水)

爆音の今後についての打ち合わせ。そしてこの秋から冬にかけてロードショーする作品の買い付け、宣伝に関する打ち合わせ。人と会って話すと話しているうちはいいのだが、その後の疲れがひどい。

3月21日(木)

通常なら、アテネでワイズマンの『臨死』を観る予定も、もちろんまだそこまでメニエル回復せず。昼まで寝て、午後、ちょっとだけ買い物へ。こういう時は必ず「映画観に行ったのにレコード買っちゃった」という秋吉久美子が四人囃子をバックに歌った歌を思い出すのだが、まあそういうことである。メニエルの時は歌ものはダメで(つまり人間と関係したくないのであるが)、歌のない音楽を。ダブやドイツプログレ関係がちょうどいい。あと、ローレン・マザケイン・コナーズの「マザケイン」が取れて、ローレン・コナーズとしてこんなに色々リリースしていることを今更知って驚いた。ぼんやり歩いていたら、吉祥寺のカレーの名店ピワンがタイ爆音でもお弁当屋さんとして出店してくれている36チャンバーズ・オブ・スパイスと組んで作ったレトルトカレーを見つけた。当然、購入して帰った。これから地方へ行くときの東京土産として、これをもって行くとしよう。

3月22日(金)

墓参りも兼ねて実家に戻るため、朝9時40分くらいのバスで山梨へ。寝不足のためふらふらしていたのだが、案の定バスに酔う。昼飯も食えず、ひたすら耐えるのみ。そのままの状態で年末に亡くなった叔父の墓参りを済ませ、夜は甲府に戻り、桜座でのLFBライヴ。バウスに招聘してライヴをしてもらって以来だから既に数年が経つ。バンド編成はその時からすっかり変わっていて、ドラムとベースがなくなり、その代わりにシンセとギター、雄也くんはヴォイスのみとなっていた。今風の説明の仕方がまったくわからないのだが、おっさんとしてはハードコアに狂ったマーティン・レヴのシンセが鳴り響く中を、甲府に降り立ったアラン・ヴェガの亡霊と対話する男の姿をずっと見続けているような、そんなライヴだった。過去への郷愁はない。今ここの足音が鳴り続けるだけ。メニエルのもやもやが一時的に解放されて宙に舞う。今のヒップホップやテクノのバンドに、似たようなことをやっている人たちはいるだろうか。最後には鷹野毅くんも飛び入りギターで参加。客席にも元ドラマーの山口くんも来ていて、なんだか思わぬ集まりになった。この奇妙な時間のねじれはお彼岸だからだろうか。終了後は空族富田くんも含め打ち上げ会場へと向かったがわたしはまだまだ体調すぐれず、そのまま帰宅。

3月23日(土)

叔父の墓とは別の、甲府のはずれにある父親の墓参り。3年ぶりくらいではないか。この間のあまりな忙しさのことを思う。もうこんな忙しさは止めにしなければ。その後、従姉妹の車で山梨と長野の県境にある長野側の町、富士見に引っ越した茶虎飯店へ。吉祥寺で最後に訪問したのは1年以上前のことか。相変わらずの美味しさ。あくまでも素材の味を最優先させて素材それぞれの食感や味を楽しませてくれつつの抜群のハーモニーを仕立て上げる料理人の繊細で愛に溢れる手さばきが、胃袋から幸せにしてくれる。久々の遠出となった母親もそれなりにしっかり食っていた。母親はここに来てかなり弱ってきたことが目に見えて分かるようになってきたため、実家にひとり暮らしできなくなるのもそんなに先のことではないことも実感して、とりあえずとにかく家族でこうやって出かけられて良かったと思うばかり。

帰りの列車の中で『ターミネーター』をリアルタイムで観た人たちがうらやまし、というようなツイートを見かけたが、リアルタイムで観た人間たちが、にも関わらず作り上げたのが今の日本社会だということを思うと、映画なんて未来のために何の貢献もしていないと思えてきて悲しくなる。いつか、誰かが1984年に戻る日が本当に来るのだろうか? そこまで待たないといけないのだろうか。いや映画の問題ではなく、単に『ターミネーター』という映画がロマンティックなだけなんだと思うばかり。大したことじゃない。

3月24日(日)

昨夜はかなり調子が戻ってきたことを実感した左耳がやはり具合悪く、いつものことだがメニエルは簡単ではないよなと思う。耳がぼんやりすると、それに連れて気持ちも塞ぐ。すべて止めたい、という思いばかりが駆け巡る。『スパイダーマン:スパイダーバース』を観に行くつもりだったが諦める。近所の金柑が見事に成っていた。

3月25日(月)

事務所仕事あれこれ。メニエルはまだまだ続く。ワイズマン『クレイジーホース』の予定だったがキャンセル。

3月26日(火)

黒沢さんの新作『旅のおわり世界のはじまり』試写の予定をキャンセル。夕方まで寝ながら仕事。夜は、以前からの約束の牡蠣食事会。こういうのだけは行ける。というか、こういうのだけ行っているうちにメニエルが治る。世間的にはすでに季節が終わったと思われている牡蠣は、うまいやつを食えばうまい。

3月27日(水)

昨夜土居くんに占ってもらった結果、今年のわたしは自爆傾向満開なのだそうだ。メニエルのせいもあってもうすべてを止めたくて仕方がなくなっていたのだが、というか、すべてを放り出す気満々だったのだが、とりあえず思い直す。牡蠣のおかげで少しは前向きになり始めている。だがまあ、この状態で仕事を続けるのはちょっと辛すぎる。さっさとお気楽ご隠居になりたい欲望はまったく消えてはいない。本日は鈴木卓爾さんの『嵐電』の試写をあきらめる。まだ長時間映画を観ていられない。

3月28日(木)

渡邊琢磨が映画を作った。初監督作品である。40分程度の作品で、これなら観ることは可能ということで、仕上げ前のサンプルを自宅で観て、午後から3人しかいない出演者のひとりである川瀬陽太くんと琢磨くんとのふたりに取材を。映画を学んだ人からは絶対に無理、という想定外の展開が冒頭から。とはいえ音楽家が作った映画といえばわかりやすすぎる。琢磨くんの話を聞いていると非常に論理的で、そして根底にある様々な欲望がその論理の枠組みの中でいくつもの声を上げ、気が付くと見事なハーモニーを作り上げている。確かなメロディはないのだが、メロディが途切れるその空白に、可聴域ギリギリの音量でメロディが漂う。なぜこんな映画が生まれたのかよくわかる気がした。5月下旬に水戸芸術館で、それなりの数の弦楽器奏者を集めて生演奏付きでの上映になるとのこと。

3月29日(金)

名古屋へ。回復は半ば。今後の爆音のために、今回は井手くんも一緒に。今後の爆音は井手くんや空族の山﨑さんなどにも手伝ってもらいつつ、展開していくことになる。わたしはいよいよ限界で、更にてきとーに好きなことだけやるご機嫌老人への道を歩み始めることになる。

とはいえとにかく13時30分くらいから調整開始。今回はアークスというスピーカーがセッティングされていた。丸の内ピカデリーの爆音でも使っていたのと同じタイプのスピーカーである。人の声が温かい。色にも「色温度」というやつがあるが、音にも「音温度」というのがあるのだろうか。そんな肌触りのいい音がする。そのため調整は順調に進んだ。夕方からの本番後もさらにもう2本。『アニー』は思っていたのと音の構成が違い、ちょっと苦労した。ああそういうことなのか、ということに気づくまでにだいぶ時間がかかった。午前2時過ぎに終了。

3月30日(土)

寝たのが4時過ぎだったのだが、10時前に寒くて目覚める。あ、このホテルはこうだったと、今更気づいたときは遅い。すでに風邪気味。喉をやられた。それでもあと4晩あるので駅の無印でとりあえずの寒さしのぎパジャマ替わりスウェットを買う。暖房つければいいじゃないかといわれそうだが、更に喉をやられるのである、そのうえでさらに毛布も借りないと。しかし、名古屋駅前はものすごい人である。昼飯を食おうにも行列だらけでうんざり。というか、わざわざ名古屋駅近くで食おうとするわたしが悪い。ぐったりしながら駅を少し離れた。

その後、某ビルの1階にあるカフェでひと休みしていたら、ものすごいうなり声が聞こえる。一度だけなら気にしなかったのだが何度も聞こえるので変だと思ってのぞいてみたら、廊下のベンチに座ったおじさんが倒れていた。救護の人も駆け寄ったが意識不明。脳梗塞かと思ったら、単に酔っ払っての出来事だった。わたしがしょんぼりすることはまったくないのだが、雨も降り始めなんとなくぐったりしてホテルに戻って、深夜作業のために寝た。

深夜の調整は4本。『スパイダーマン:スパイダーバース』は、アニメと実写の中間域くらいの印象を受ける映像がすごかった。CGの実写映画の中の現実の人間たちの演技より、ここに描かれた彼ら彼女たちの方ががぜん良かった。現実のようでもあり現実とははるかに別の場所にある映画の面白さを久々に味わった。『マンディ』はさすがにやばかった。ここまでこちらの存在を脅かすような音が詰め込まれているとは。最初、上げてもらっていた低音を下げてもらう。何度も観ることのできる映画ではない。調整終了4時20分。

3月31日(日)

調整後はそれなりに神経が昂っていて簡単には眠れないのでゆっくり風呂にはいったりしていて、寝たのは6時30分くらいか。目覚めたのは10時40分くらい。それ以降はずっとぼんやり。起き上がったのが13時過ぎ。軽く朝食をした後もまた横になり夕方まで。簡単には回復不能。

夕方、名古屋シネマテークの仁藤さんと食事。シネマテークで5月にワイズマン特集をやるとのことで、ちょうど同志社爆音前。メニエルで行けなかった借りをここで返すつもりになるのだが、「そうやって予定を入れてまた忙しくなるので気を付けたほうがいい」と仁藤さんにくぎを刺される。その後ホテルに戻って横になり、そして映画館へと向かう。

調整は23時40分過ぎにスタート。今回が初爆音となる『バジュランギおじさんと、小さな迷子』には少し驚いた。ビートルズはじめ60年代のロックやジャズ系のミュージシャンたちがインドにはまったのもよくわかると思える音作り。さまざまな音がそれぞれの輪郭を微妙に崩しつつ混ざり合ってどこからやってきたのかよくわからない響きを作り上げる。物語の単純さと音楽の複雑な響きが時間を忘れさせる。爆音インド映画祭をいずれとは思うのだが、しかし『バーフバリ』もそうだったのだが、元々設定されている音の音量レベルが他の国のものに比べて驚くほど大きいので、本国では爆音が普通、ということなのだろうか。今回も、ほかの作品より大幅にアンプの音量を下げての上映。それでも大爆音。『マッドマックス』ももちろん大爆音だが、さらに全体のバランスが良くなり、ストリングスがめちゃくちゃ気持ちよくもあり、もの悲しい。調整終了3時40分。5時過ぎに寝た。

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。
4月4日(木)まで「爆音映画祭 in 109シネマズ名古屋」開催中。5日(金)~18日(木)は同所で「マクロス爆音映画祭」も。4月の「アナログばか一代」は“ハル・ブレインとレッキングクルーたち”をテーマに15日(月)に下北沢・風知空知で開催。