宝ヶ池の沈まぬ亀 第33回

青山真治さんによる連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第33回は、新作映画のクランクイン前日までの約一ヶ月の記録。寒さが和らぎ、春の花々が綻び始めるなか、打ち合わせに顔合わせに衣装合わせ、ロケハンに台本直しにコンテ作りにと、粛々と準備が進められていきます。さらにその最中で見た映画『ファースト・マン』(デイミアン・チャゼル監督)、『運び屋』(クリント・イーストウッド監督)、『ROMA/ローマ』(アルフォンソ・キュアロン監督)、『月は上りぬ』(田中絹代監督)などについても。

文=青山真治

33、クランクインの声が久遠に響く一ヶ月

3月27日午前七時十分

某日、何だか朝から晩まで、通りすがりから仕事まで、不愉快な言辞ばかり耳にする一日で肚中不快さがとぐろを巻いていたが表に現さないのは自分がどれほど幸福だか誰にも気づかれないことから来る優越感によるのだろうか。あるいはこちらが祝福されたい人々に祝福されたからだろうか。ともあれ夕方までスタッフルームに詰めた後、今夜のちょっとした御馳走シリーズは松見坂のヴェトナム料理店「スガハラフォー」。ソフトシェルクラブの揚げたやつをレタスに挟んで食すのがやたら美味い。夜半、雨。

ヒマラヤ兄がFacebookで好きなドラマー(スネア・チューニング)について書いていたので、では好きなギタリストがあるかと自問するも、思い当たらない。その都度影響を受ける人はいるが(ちょっと前まで鈴木巨匠、その前はレオ・ノセンテリ、いまはスヌークス・イーグリン)どうも昔も今も、というのはなく、好きというのも違っている。まあ、勉強してないけどたんに好きなマーク・リボーという人もいるが。ドラマーならポール・トンプソン、ハル・ブレイン、レヴォン・ヘルムと確かに昔から好みは変わっておらず、そこにジガブーとジム・ケルトナーがここ十年以上肩を並べている。プロじゃないから言えることだが、では映画作家として胸を張ってプロと言えるか……などと相変わらずぼんやり陽気に落ち込む深夜。

某日、神代辰巳について書けという依頼が先般あり、これから長めの計画で着手。実は大学時代から助監督期間を経て監督になってからもずっと懸案事項だったし長々とメモを取ってきたが、いつしか書けなくなっていた。そのメモも散佚。『ロスト・イン・アメリカ』以後のアメリカ映画への拘泥によって断念、と原因ははっきりしているが、忘れたわけではなかったし、モノグラフィーをやるなら私の場合神代とチミノしかありえないので、とうとうその機会を与えられたということか。しつこいようだが『贖罪の奏鳴曲』以来四年長篇を撮れなかった者がようやく、というタイミングでこうした依頼が偶然舞い込むというのも何かの縁だろう。

前夜より降り続く雨の中、会社近くの不思議なレンタルスペースで某女優と顔合わせ。聡明な方。終わってから六本木ヒルズに修理に出した眼鏡を取りに行き、その足で『ファースト・マン』。全然好みではないが、ここまで落ち込まされたら否定もできないといった按配。亡娘を挟んでの妻との修復不可能なすれ違い、夫を亡くした向かいの奥さんの絶望の描写が秀逸。こういう企画のこういう描写が許される、アメリカの懐の深さ。ライアン・ゴズリングの辛気臭い顔がこれほどの適役と出会う機会はおそらく今後しばらくないだろう。しかし負け惜しみとして『最後の人』ほどには落ち込まなかった、と。宇宙空間を主要舞台とするにあたり、地上における現実と幻想は全て地続き、という判断は正しいと思われ、あれはホームパーティだったか、亡娘の幻影を見る瞬間があるが、全編中最も超越論的ショットだった。けど音楽がしゃらくさい。GSH使おうが基本プログレ好きなのだ、所詮。終映後、しばし雨上がり、中華で牛バラ肉かけご飯。夜更けに再び雨。

某日、昼近くなってようやく雨上がる。ここまでまとまった雨はいつ以来か。三月である。今年は雪かきもなく冬は終わりそうなのがなんとなく物足りない。久しぶりの休日ということで午前中から音楽三昧。YMO、ニーナ・シモン、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドと脈絡なく。当然自宅作業(本直し)は継続。昨日はあまり意識的でなかったが、一夜明けて『ファースト・マン』の語りの呼吸が気になっている。どこかに休止のタイミングがあっただろうか。それはそのように機能するカットがあったかという問いだが、こうした構成の実現は意外に難しい。ふとできてしまうこともありうるが、計算して構築するのはかなり骨が折れる気がするし、そもそもシナリオの段階、あるいはコンティニュイティの段階での入念な準備が必要と思われる。芝居が一瞬でも途切れたら失敗だ。少なくとも安易な黒画面などなかったはずだ。完全に見極めたとは言えないが、もしそうならそれはそれで凄いことだ。だからと言って好きだとは言わないが。

夜、神代論の端緒にDVDで『恐怖劇場アンバランス・死骸を呼ぶ女』。その後のことを考えると決して上出来とは言えないが、神代的モチーフは無意識にも登場している。一見非=神代的と思われる「幽体離脱」という事象こそ翻って神代的モチーフを喚起しえて興味深い。深夜にBSで『地獄の黙示録』通常ヴァージョン。どのエンディングかと最後まで見たけど、やはり空爆なし。それでも桁違いの常軌の逸し方に変わりなく。

某日、どうも本直しというのはキャメラが回る直前まで続くものだという思い込みは思い込みではなく現実なのだと思えてならない。そういう姿勢は本来好みではないが、悩ましいことである。本日、キャメラマン寺田緑郎氏の命日。午後、本直ししながらドラマを見ようと待ち構えていると階下から声がかかる。玄関先で何をしているのかと出てみると、女優が一抱えの鉢植えの植え替えに突然着手している。斯様にうちではだいたいのことが予告なく、思いつきで始まる。で、いまひとつの鉢の土がひどく硬いので男手が必要と。かくてそれから激闘すること三時間、土を掘り引っ掻き抉り、毛根を引っ張りちぎりもぎ取り、ついに元の鉢から丸ごと引きずり出すことに成功。気づけば両手両足の筋肉はガチガチ。無事植え替えを済ませた後は仕事にならず。深夜、再び雨。

某日、折角の桃の節句も朝から雨。ひとによっては花粉からの解放でもある。午前、消去法的にこれしかないかというアイデアに至り、本直しの問題はあらかた解決に至る。もちろんまだコンティニュイティ作業がある。ロケハン終わりからその洗い出し、といちいち確認しながらの復帰準備。午後、昨年分のアマゾンの領収書をプリントアウト。夕餉は無印による三食パスタ。大河『いだてん』折角のシベリア鉄道だが、一向に面白くならず閉口。地上波で吹替版『めぐりあう時間たち』。好き嫌いも良し悪しも度外視して(フィリップ・グラスはひどい)斯様な大人の女の映画が作りたいと切に願う。大人の女の映画のためには大人の男が必要だ。愛ゆえに彼女たちを救えない男どもの至らなさ。作品ではなくウルフじたいに掻き毟られた。そして〆に『3年A組』だが、なんだか往生際悪し。

某日、雨止まず。三日間ほぼ家から出ず。冬季は地下酷寒のためリビングで作業するが、そろそろ地下復活に向け朝から活動。昨日の領収書作業中にも気づいたが、一年間に贖った本の半分も読みおおせていない。リビングの座椅子の周囲に堆積するそれらのうち読了したもの直近で不要なものを地下へ運ぶとそれなりにスッキリ。問題は未読分をいつ読むかだが。そんなわけで午後、地下で確定申告作業に時間を費やしたのち会社へ。演出部顔合わせ&打合せ。期待していたロケセットがスケジュールの都合でNGとか。残念。明日の根回しをして帰宅。『激レアさん』に出たトライアングルに驚愕。物凄い倍音でテレビのこちら側まで響きが広がってくる。このキタヤマという人は只者ではない。

某日、ようやく雨上がり、快晴。ロケハン始まる。木更津の海岸、古民家、辰巳のマンション、渋谷のアパートなど。結果は芳しからず。今後に期待。

某日、ぱるるが何やらガリガリやってるのに気づき、慌てて見るとCDのジャケットを食いちぎっている。二枚連続でやられた。その上さらに、はっぴいえんどのファーストは盤を直でやられたので朝から激しく落ち込む。ぱるるが悪いのではなく口の届くところに放置している者が悪い。これまでも貴重品を何枚もやられている。落ち込んで一寝入り。もうすぐ世界は終わると確信しているから耐えられる、などと考えているのではなく、逆にそれらのものがあってもなくても、地震が来ても来なくても、あるいは自分が生きても死んでも世界は終わらないとわかってしまったから耐えられる。かつて傑作をものする海外のプロダクション、例えばwhy notに負けてたまるかと張り切ってこちらも製作したが、いまA24についてひたすら羨ましさを否定できないのとどこか似ている。羨ましくても願いは届かず、では諦めるのかと言えば、そこまで頽廃する度胸もない。やっぱり、いつか見ていろ、と思わなければやってられない。ただあまりに製作に向かう周囲の意思が彼らと比較して安易すぎるのが残念だ。ギャラが入るんだからつべこべいうなと。しかしもっとうまく、よく作れるのにこの方法ではそれをみすみす逃すことになる。本音をいえば巻き込まれたくないが、どうせやってもやらなくても世界は終わらないのだから、流れに身を任せましょう。諦めたわけではない。いまはできるかぎりのことはしましょう。それでダメだったら責任は私にある。だがどうすることが責任を取ることなのか、いまの私にはわからないし、責任がどうなろうと世界が終わることはないので、やる。

遅い午後から演出部ミーティング。外濠は埋まった。コンビニの蕎麦で夕餉。深夜になってからアンソニー・マンのことを考える。マンはDVDで見るとあまり乗れない(スクリーンだと激燃えだが)のは経験上わかってはいるが、今回のために見直すつもり。

某日、渡仏時に持参したが結局開かなかった一冊、大澤真幸『三島由紀夫 ふたつの謎』読了。相変わらず大澤さん、冴えているが、だいたい想像の範囲内。『暁の寺』の唯識論については再読する必要あり。そのくだりは面白いけど難しい。出かける準備しながらBADBADNOTGOOD『Ⅳ』。いいような悪いような。ちょっとプログレに傾くのが好みではない。それより問題はニーナ・シモンだ。この齢になってハマるとは夢にも思わなかったが、一日中シモンの歌声が頭に鳴り響き続けている。

午後、赤坂ディケイド事務所にて『しがさん、無事?』本読み第一回目。読めばどんどんデヴェロップしていくから面白い。音読を連ねることによって全体像が真に見えてくる。演劇の面白さの大半はこの具体性にある。終わってから「Eight」で中華の夕餉。久しぶりの中華にして美味。帰宅してまたニーナ・シモン。同じアルバムを繰り返し聴いているが飽きるどころか聴くほどに良さに気づく。Twitterで京造の自主映画『ロストベイベーロスト』上映の知らせがリリース。が、紹介者たちは思いを寄せるばかりで作品紹介がない。物故者である作者には当然手が出せない。これを独善と叱責すると、中心メンバーたちが即応。見直したが、最初からやれよ。

本読み休憩中

某日、快晴なれどいと寒き朝。LDHにて主演女優と顔合わせ。粛々と進み、終わり、いそいそと六本木へ。イーストウッドの新作を初日に劇場で見るのはいつ以来だろう。たしか『許されざる者』は初日だった。大学時代からそこまでは全て初日一回目で、たぶん『パーフェクト・ワールド』もそうだと思うが、その辺から曖昧になる。ということで『運び屋』は一回目でこそないが、初日。例によって実話。イーストウッド自身が実在の人物、しかも無名の存在を演じるのは初めてか。そこには「誰しもが個としての尊厳を持っている」ことの証として語られるべきだという思いがある気もする。そのくらいこの物語の主人公アールは卑小な存在であり、イーストウッド自身小さく見える、というか背中を丸めて自分を小さく見せている。三本連続の二時間未満、見事な省略法で『グラン・トリノ』とほぼ同尺。後半、アンディ・ガルシアが射殺された後だったか、朝のダイナーでブラッドリー・クーパー演じるゲイツ捜査官の隣に座るアールは自首か自白を考えただろうか、という問いを呼び起こす非常に繊細な芝居が行われる。ダイナーを出て渋面で少し足早に立ち去ろうとするのを捜査官が呼び止める。見る側はポットを忘れていることに気づいているはずだが、アールは観念しているのかそれとも空惚けようとしているのか、振り返るなり素っ頓狂な声を短く上げる。この振り返りに際して本作中最も見事な切り返し。もう一つゲイツとの見事なシーンがあって、逮捕後に後部席で開いたドアに寄りかかる捜査官との対話なのだが、そこではなんと運転席で振り向き気味のローレンス・フィッシュバーンを後ろからインサートする。ほとんど逆光でのやりとりはイーストウッド作品としては考古学的というべき何かだ。考古学といえば、フリオとアールの間に交わされた「不可能な友情」はサッドヒル以来の伝統というべきか。あっさりとフェイドアウトする感じがちょうど良い。のみならず何もかもあっさり終わっている。老境にはそれが相応しい。あと何度見るかは不明だが、たんに本人登場という理由によってここ数年間で最良の出来と言いたくなりもした。ちなみに、本作の老夫婦は我が亡き父母の晩年に似過ぎていた。

某日、朝餉後、今週の朝ドラを見てからぱるるの散歩へ。林試の森公園ではカワヅサクラが満開。1時間半近く歩いた。夕方、頼みごとがあって『3A』に出ている京造卒業生、高尾悠希に会う。帰宅後いつまでも腹が減らないので、結局夕餉を食さずに夜は更けた。家にいる間ずっとニーナ・シモンを聴いている格好。あとは舞台台本直しを割と丁寧に。

某日、連続で朝餉後の散歩。普段通らない道を行く。途中の自販機にドクターペッパーのペットボトルが売っていて思わず購入。今日も2時間近く。帰宅後、玄関回りを水洗い。舞台台本直しを終わらせて一念発起、見ておくべき映画は見ておこうということで、特にスピルバーグを支持するわけではなくNetflix未入会というごく消極的理由からイオン板橋へ。しかし遠い。ゆえに最速を割り出した。すなはち、バスで中目黒→東横特急で池袋→東上線各停で東武練馬。それでも遠かった。で、イオンに入ると、こういうものか、と。いや、おそらく近くに住んでいれば入り浸りかねない。何しろ十種類ものレストランがあり、三十本近い映画を選ぶことができる。かつて小倉のデパートのレストランフロアに中学の担任が昼から入り浸っているという話を聞いたが遊びに行く金も友達もなければそうなるのも不思議ではない。ここは遠いので私はそうはならないというに過ぎない。少なくとも批判には当たらない。というわけで『ROMA/ローマ』である。例によって特に好きとか嫌いとかいうものではない。心配したほどつまらないわけでもない。いささか単純さを欠くがこれは非アメリカ映画なのだから仕方ない。無い物ねだり。例えばジョン・ヒューストンを知っていれば海からの帰りの車は左から右ではなく右から左へ走らせただろうし、フォードの南部ものを知っていればブラスバンドこそ横移動で撮っていただろう。しかし知らないならば仕方ないことだ。フェリーニ風のトンネルの大渋滞や黒澤(三島?)風の全裸剣戟などはやれてもアメリカ映画は無理だ。もちろん海の横移動の1カットなどなかなか大したものだと思う。でもなあ、そういうこと全く考えない連中よりはずっとましかもしれんけど、もはやネオレアリスモでもないだろう。ただ年齢が近いせいか、というかキュアロンは兄と同年齢なせいか、七〇年秋から七一年夏の記憶がメキシコシティと北九州という違いはあれど何となく近く、海の旅館だとか包丁研ぎのラッパの音だとか見たことも聞いたこともないのにノスタルジーを掻き立てられた。普段そういうことに一切心を動かさない人間なので、これは稀有なことである。アルフォンソらしき弟くんが喧嘩中の兄貴に向かって部屋に飾ってあった石か何かを投げて兄貴の背後のガラス窓に穴を開ける場面など、ちょっと他人事とは思えなかった。イオンを出ると再び雨で、ぼんやりと帰路。次のシナリオと重なる細部についてもやもや考えたが、考えたって今更直すわけにもいかない。慌てず騒がず堂々と。帰宅して『3年A組』最終回。柊先生の死が結局描かれなかったのは残念だが、まあそれも地上波では難しかろう。あと、救済ではない、それなら教育だろう、先生なんだから、とも思った。いずれにせよ良いドラマだった。

某日、結局朝まで雨。朝餉はねじりパスタ。雨の影響かそれとも二日間散歩で歩きすぎたのか、右脚が久しぶりに痛い。歩けないほどではないが。午前中は舞台用の演出家ノート。午後は赤坂で本読み二回目。ノモガクジ初参加。だいたい全体のバランスは取れた。あとは立ち稽古でどれだけ膨らむか。夕餉は「Eight」再び。世間は震災8年目の話題で喧しい。梅本さんの命日でもあるが。帰宅後『激レアさん』を見て寝る。熱海の市職員の話。

某日、ハル・ブレインの訃報。今回の日記の最初からハル・ブレインの話題だった。90歳だとは知らなかった。この世に永遠に値するものがどれくらいあるか知らないが、ブライアンとハルという二人の天才によって完成されたビーチ・ボーイズの名曲たちは間違いなくその中に属している。午後、大泉へ。先日の予行演習が功を奏し、バスで中目黒→東横特急で石神井公園→バスで東映、でジャスト1時間という夢の行程。そして東映が目の醒めるほど美しくて驚愕。テレビ『音効さんスペシャル』を撮った二十数年前とは雲泥の差。助監督の質問攻めも久しぶりでうれしい悲鳴。五時に富ヶ谷へ戻り、打合せ。夜は女優がお世話になっている友人夫妻と食事。何もかもが美味であった。帰宅し、寝ようとしたところでピエール瀧氏逮捕の報。そんなこんなで世を儚む。誰かがツイッターに「どうなるんだ日本映画」と書いている。まあそれでも続いて行くのだが。

某日、メインロケハン。九時集合で新宿を起点に飯能、府中、調布、練馬、板橋と移動し、最後は青山。だんだんテンションが落ちてくるが、気にしてはいられない。前進あるのみ。そして気だるい疲れ。『山山』の松原さん、岸田戯曲賞受賞・祝!

某日、メインロケハン二日目。九時新宿出発で立川、吉祥寺、有明、木更津。途中、人生初海ほたる。一種異様な場所。異様といえばその前に立ち寄った晴海のオリンピック村も同様に異様。どこからか「過剰防衛」という言葉が聞えてくる。見てよ、俺たちはこんなに凄いんだぞ、なあ、認めろよ、認めてくれよ・・・みっともないけど。帰宅したら本直し、と気合いを入れていたが、飯を食ったらさすがに力入らず。ただ眠いばかり。

某日、尤も本直しに気が向かわないのはそれだけではない。ロケハンを受けての直しではなくこの段階での製作側の(諸々の忖度含みの)要請だからだ。マイナーチェンジはよくあるものの、直しの根拠とドラマの関係が希薄だと全体の整合性を保つのに非常に手間がかかる。シナリオは何よりもまずメカニズムである。結局台詞一つでつまずく。午後散歩に出かけ、そろそろ取り掛からねば、などと自分を追いつめても簡単にエンジンはかからない。あれこれ連絡が入って気も散るが、時間は刻々と消えゆく。結局午前二時、終えたが、どう見てもまた却下されるだろうとしか思えないものになった。夜更かし損というものだが仕方ない。このヴァージョンが最も美しい気がするが、これが正確に作品化される見込みは低い。夕餉のステーキとスープは大変美味であった。

某日、本直しを詳細に進めた結果、夜が明ける。発送後、美打ちに茫洋の状態で東映へ。というわけで財布を忘れる。最短で到着できるのは楽なのだが、寝不足の頭では主張の声が高くなるだけ。日暮れに帰宅すべくタクシー(石神井公園駅へのバスの乗り方がわからない)に乗ってから財布を忘れたことを忘れたことに気づく。慌ててスタッフルームに電話。齋藤Pが駅まで救援に来て、目黒まで車で送ってくれる。踏んだり蹴ったりな一日。

某日、床で目覚める。休日なのか何なのかみたいな一日。読みかけの本を読み終え、打合せもあって駅前まで出るがわりと早々に帰宅。風呂にも入る。脚本直しもいいのだが、なんとなく手をつけず。あまりにボーッとしすぎてWOWOWでやっていた小坂忠のライヴをほとんど見逃す。「流星都市」「氷雨月のスケッチ」「しらけちまうぜ」「機関車」「ふうらい坊」「ほうろう」(細野・小原のツインベース!)は聴けた。角度によって巨匠が佑にそっくりなのを確認。その後パリで会った沖田監督『モリのいる場所』を見つつ、希林さんなかなか裕也引っ張らないのね、などと努さんを眺めて笑っていたら、翌朝早々その内田裕也の訃報。ちょうどこの国のロック界も動くかどうかというタイミングでの逝去はさすがというべきか。どちらかといえば好きだった。付き合いたいとは全然思わなかったけど。ともあれなぎらさんのシェゲナ=イタコ芸で追悼したい。ちなみにこの日は亡父の誕生日。

そうこうしているとディック・デイルの訃報。ひたすら感謝しかない。彼があんな風に弾かなかったらギター小僧の世界はもっとずっと味気ないものだっただろう。

で、東映のスタッフルームで作業、夕餉にかづ屋でつけ麺を食し、帰宅後は女優がわざわざ品川駅に潜入してまで贖った八天堂のクリームパンを。しかしその間も結局内田裕也について考え続け、人ともSNSで語らった結果、ベスト5を決定(『餌食』『BJ』『猥歌』『プール』『十階』)し、だから83年までなのだ、一体そこで何が変わったというんだ、という二十年以上抱える謎がまたしても残ったのだった。

某日、衣装合わせ始まる。本日は主演三女優。滞りなく進むのだが、何しろ番数が多いので時間はかかる。その間に各人のキャラクターが次々に発見されていく。やはり会わないと何かを見つけることはできなくて、脚本をいじくり回すのはまさに机上の空論でしかない。終了後、一人晩飯を食う場所を探すが、何も食いたいものが思いつかず、コンビニでうどんを買って帰り、食い終わるなりゆっくりとフェイドアウト。翌朝5時起床まで一度も起きなかった。途中でこりんが乗っかってきた薄い記憶のみ・・・。

某日、静かに地下鉄サリン24年。ということは監督デビュー24年目。あの日がロケハン初日だった。しかし24年後、朝から沖縄ジュゴンの遺体写真で超バッド。撮影に備えて物凄く久しぶりに歯医者へ行き、取れかけた義歯を固定。虫歯なしとの診断にしばし感激。中目黒で京造卒業生松尾渉平と落ち合った後、衣装合わせ二日目はゲスト的三男優をお迎えして。途中で超バッドなニュース。ひたすらうんざりだが、いまに始まったことでもなく、ただ沈黙。七字に肌ケアのためのエキストラヴァージンココナッツオイルを勧められ、帰り道に贖う。すぱじろうで夕餉。インターセプターでカメラテストラッシュを見て、今日も長い一日が終わる。帰宅後、細野『HOCHONO HOUSE』。どんな時代でもどんな形態でも確実にアレを有するホチョノ・ミュージック。アレがなくちゃね。アレって何? アレとしか。

某日、朝餉のトックミソスープ。超美味。BADBADNOTGOOD編集のコンピ『Late Night Tales』。悪くない。衣裳合わせ三日目もゲスト的男優。お一人だけ。終了後、再び本直し打合せ。やはり最後まで直しを要求される。向う側はこちらの事情など知る由もなかろうが、正直コンテを考える時間を奪われるのはひたすらしんどい。コンテと同時に脚本も直っているものだが、そんな信用も残念ながらない。ないないづくしで進んで行く。気を取り直すべくヴェーラへ。これだけは、と長年見そびれていた『月は上りぬ』(55)を。小津にしか書けないと思わされるシナリオを、絹代が端役で出演しながら監督するという珍しいパターンで。実景の積み重ねがどれくらい脚本で指定されているかわからないが、小津より1ショットがいくらか短い。そこにまさに性格の違いが現れるというものだろうか。音楽・斎藤高順。47年戦後第二作として書かれ、流れたものだから疎開先が舞台という点では『武蔵野夫人』に先駆けている。奈良、ということは『麦秋』へと繋がってもいる。法隆寺の記念撮影で戦後への決意が窺われる。55年という戦後の折れ目のような年である。『東京物語』と『早春』の間といえばわかりやすいのか。笠と佐野に宿されるはずの『牝鶏』や『宗方』でも色濃く描かれた終戦の苦渋など、ここにはすでに希薄だった。一方で高峰秀子が三女(北原三枝)だったのだろう、47年において二年後の『晩春』の父娘の間の会話がほぼそのまま夫婦の会話として書かれており、そのような過程を経たことは必然的偶然というか、これまで『晩春』の形態しか知らなかったものにこのような形もありえたことにいささか驚く。つまり『晩春』は『月は上りぬ』の修正としてあるということである。幻の47年版は、だから流れて正解だったとも言える。そうして55年までの小津はある意味で実験の期間だったとも思われた。帰りに福田屋でカツ丼。イチロー引退。素直に祝福したいところだが、政府がまたぞろナントカ賞など出したがり、受賞者は断らないだろうと予想されると、ただうんざりする。ましてや妻に握り飯を何千何百作らせたなどという話を聞けば、ただ冷えるばかりで感動も何もあったもんじゃないではないか。帰宅後、早々に仮眠。更けてしばし覚醒。

某日、新宿K’Sシネマにて柘植勇人『ロストベイベーロスト』。この作品が作られた土壌としての京都造形映画学科の元教員としてではなく、一人の現代映画作家として考えることだが、我々は若者が赤ん坊を抱いて歩く映画としてペドロ・コスタ『骨』の記憶をその美しさとともに持っており、しかしその存在を理由に本作を否定しても仕方ないことが前提であるとわかっているし、この作家たちが『骨』を意識しているかどうか問うことに意味を見出すこともない。もちろん知らずにいるとしたらそれは残念なことだが、これに関わる全員が知らないということもないはずで、むしろある程度の水準に達したのはその者たちの頑張りによるとも考えられる。問題があるとしたら、それは我々がこうした事態をついこの国の文化水準の低さ、大学教育の杜撰さのせいにしがちであることだろう。少なくともある時期までの映画製作を目指す若い者どもは、その陣地として活用したとしても大学教育など決してあてにしなかった。そして現在の彼らにしても遠くはないはずだ。だから、話は戻るが、問題はあくまで知らないことを恐れない状況にある。そろそろそのことを批判・撲滅してもいいのではないか。たとえそれによって彼らが映画から離れていきこの領域が零細をかこつとしてもこのまま退廃するよりはましではないか・・・と、そんなわけで今後おっさんらはこれまで以上にブツブツ言うだろう。若いパワーを奉って媚を売りたい連中もいるだろうが、どっちがためになるか早めに見極めたほうがいい。この夜の葛生賢のTwitterではないが「作る術教える前に見る術教えた方が質は向上する」のは間違いない。

夜更けまでメインの衣装合わせと劇用写真撮影。

某日、突然異常な寒気のなか、ロケハン残。三界は敵だらけ。

某日、朝餉にダブルカレーを食し、散歩がてら出発。二度めの高層マンション見学を経て衣装合わせ。おなじみのメンツ大会。総まとめして終了。帰りにようやく、この現場初の助監督七字との夕餉。体力作りにステーキを奮発。中目黒MARUKAWAにて現場着を一万円分贖う。これも秘かな愉しみ。帰宅後、最後の(?)シナリオ直しを経て、そろそろとコンテ作りに入る。この感触をどれくらい渇望していたことか。わが最愛の娯楽とはこれである。今回は小ぶりのスケッチブックを採用した。一枚に1シーン、記していく。今後、カットの多いシーンは複数ページに渡るだろう。その溢れ出る感触が今から楽しみになってゾクゾクしている。誰にもわからないだろう。まあ、これはある種の変態行爲である。ほっとけ。

某日、そう言えば連ドラなどテレビを継続的に見る習慣が数日前からパタリと途絶えた。天気予報を見るついでに朝ドラは点いていても、もはや見てはいない。九時渋谷集合でお祓い、オールスタッフ、衣装合わせ、ロケハン・・・とイン前の残務が続く。とあるロケセットで撮影可能か否か検証のために先々のシーンを前もってコンテ割り。悩みつつ可能性を未来に託す。要するにやってみなくちゃわからない。夕餉に、東急前で沖縄そば。八重山の日々を懐かしく思い返す。

某日、イン前日。朝から食料を買い込み、昨日割ったコンテを清書し、気晴らしに大瀧師匠のラジオをYouTubeで久しぶりに聴く。昨日の八重山そばといい、何かここ数年の映画から離れていた部分がスッと抜けてさようならを告げている気がして仕方ない。ラリー・コーエンの訃報はそれとは逆のことで、一時期たしかにラリー・コーエンのようになりたいと真剣に考えていた時期があって、しかしそれがなぜだったか思い出せない。でもいまたしかに再会することに何らかの意味があるような気さえする。ゆくものくるもの、まるで大晦日のようだ。庭の桃は満開。明日はクランクインである。

(つづく)

青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)など。
近況:5月7日(火)から12日(日)まで下北沢B1劇場にて舞台『しがさん、無事?』上演。