妄想映画日記 その75

boid社長・樋口泰人による6月初旬の妄想映画日記は、京都、山梨、仙台、利府、広島、三郷へと移動と爆音調整の日々について。疲弊するなか、2回目開催となる利府では完売の回も

文・写真=樋口泰人

6月7月はとにかく延々と爆音。このペースに慣れたら、空き時間には原稿書いたり各所へ連絡したりできるだろうと思っていたのだが、大間違い。頑張ってそれぞれやってみたのだが、どれも中途半端。すべてやり直しに近いような状態で、爆音以外の営業はほぼ全滅の気配。まあ年齢を考えればよくやっている方だと思う。とはいえ地方爆音が続くとまともに音楽が聴けないのが一番辛い。その分爆音でいい音を聞いているからいいとも言えるが、家でレコードを聴いているのとは違う。ホテルの部屋は気が滅入る。

6月1日(金)

同志社爆音『アンダーグラウンド』完全版。あまりに昔のことに思えて、ちょっと唖然とする。なんてことだ。映画版の濃密な時間構成に比べ、上映時間が長くなった分、観客の側の日常の時間軸に沿った時間が流れ、つまり話の流れがわかりやすくもなり、また、語りの構成上は本来なら必要ない背景にあるはずの時間も流れ込み、偶然なのか必然なのか、おそらく制作者も意図しなかったであろう誰のものでもない時間と言いたくなるような、物語の無意識のようなものが現れ出る。『アンダーグラウンド』という映画が一瞬輪郭をなくし、物語が語られる前の世界へと逆流するような、そんな時間が細部に現れていた。『ツイン・ピークス』の新シリーズにもそんな時間があったが、あちらはかなり意図的だったように思う。テレビの時間をたっぷりと体内に取り入れたリンチの、物語の背後に向けての時間構成の力技にドキドキした。こちらは、ただそうなってしまったという感じなのだが、それゆえに、現れてきた物語の背後、物語になり得ない物語の力の大きさに目を見張った。ここにいかに触れるか。リンチとは違うやり方がまだまだあるはずだ。つまりまだまだ映画は健在である。

上映を抜け出して出町座まで挨拶に。『大和(カリフォルニア)』の上映が控えている。2つのスクリーン、カフェ、小さな書店の3点セットの場所。『バーフバリ』も上映中だった。周囲の商店街が素晴らしく、毎日通いたいくらいと思うのは旅人だからだろう。名物の豆餅、福豆大福などを買った。

6月2日(土)

京都から静岡経由で山梨へ。stillichimiyaやsoi48のイヴェントが塩山であるのでそれに向かうと書きたいところだが、実家の母親のお世話。正月にひどい風邪をひいて帰郷できなかったので8ヶ月ぶりくらいである。そしてこの日を逃すとまたいつ戻れるかわからない、ということで無理やり。さすがにお世話するエネルギーなどどこにも残っておらず、クタクタになったまま、とりあえずは話し相手を。町は相変わらず、家は完全に「夏の庭」と化していた。

6月3日(日)

庭掃除のついでに、梅の実を捥ぐ。大量収穫だったが、誰も喜ばず。みなさんもう、梅干しやら梅酒やらを作る気力もないとのことだった。ここでは果実は単に熟して落下して、土に戻るばかりである。

東京に戻り新宿駅のホームを歩いていると、その日の新宿でのsoi48のDJパーティに出演するYoung-Gやemレコードの江村さんたちご一行がいた。同じ電車だった。夜のパーティに顔出すことを約束してわたしは一旦帰宅したのだが、そこで力尽きた。

6月4日(月)

この週、唯一の事務所出勤。山積みの事務作業をやったがもちろんやりきれず。 帰宅したらさくらんぼが届いていた。

6月5日(火)

仙台へ。そして松島へ。松島の町外れにデヴィッド・リンチ・フリークが作ったカフェ・リンチというのがあり、「爆音映画祭 in MOVIX利府」の2回目の開催を記念して、デヴィッド・リンチに関するトークをするのである。5回シリーズで、カフェ・リンチに本物のデヴィッド・リンチを招聘するための会。その第1回目のゲストがわたし、ということである。企画してくれたせんだいメディアテークの小川くんの車で仙台から30分ほど。松島の町外れ、観光地のはずなのに町外れゆえ殺風景。赤く塗られた木の壁に大きく「LYNCH」の文字。どうしてこんなところにという問いにはこんなところだからという答え。ブラックロッジ(『ツイン・ピークス』の中に出てくる謎の闇の世界)みたいでしょと言っていたはず。ああ、確かにトイレが真っ赤である。リンチを招聘する前にすでにリンチがここにいる。

トークは、リンチを語ると言っても私がまともに語れるはずはなく、単純に、リンチが子供の頃から慣れ親しんで身体に染みつけた40年代や50年代60年代の音楽を流しながらそれにまつわる話を脈絡なく。お勉強にはならないが、いくつかのヒントを散りばめたつもりだ。ロイ・オービソン、フランク・シナトラ、スコット・ウォーカー、エルヴィス・プレスリーという大御所を並べた。

終了後、闇の中の「リンチ」はさらにリンチ度が増していた。

6月6日(水)

夜には利府に入るのだが、昼は仕事やら新聞からの電話取材やら。そして見逃していた『デッド・プール2』を。1作目より悪ガキ度は抑えめで、案外泣かせるファミリー映画になっていた。超人アクション映画にも関わらず、「運がいい」という超人の出現には呆れた。もう、なんでもやってくる。そういえば、デッド・プールがサインするシーンで、そのサインがライアン・レイノルズと書かれたことも話題になっているが、「俺ちゃん」のお遊びは、血の繋がらない仲もいいのか悪いのかよくわからないファミリーとともに、今後も果てしなく続きそうである。

6月7日(木)〜10日(日)

ルートイン多賀城というホテルでの宿泊だったのだが、どうやらこのホテルは震災の時にこの地域で唯一津波による倒壊を免れた建物とのこと。周囲の風景は、そのことを何も知らなければどこにでもあるようなものに見えるが、知ってしまうとなにかまだどこかで傷口が疼いているのが見えるように思えてくる。ホテルには多くの復興事業作業の方たちが長期滞在しているようだった。

滞在中に寺尾次郎さんの訃報が届く。人の死はたいてい不意打ちだ。自分の時もこうなんだろうかと、茫然とする。わたしにとって寺尾さんはグレイトフル・デッドの人だった。以前バウスで『デッド・ムーヴィー』を爆音上映した時、「若いころはデッド・ヘッズみたいなものだった」と笑い、デッドの赤いキャップをかぶって上映にやってきてくれた。だから日付は前後するのだが、11日のアナログばか一代で湯浅さんがグレイトフル・デッドの『Shakedown Street』を取り出して「フランス」をかけたときは本当に泣きそうになった。この曲を聴くたびにわたしは寺尾さんのことを思い出すことになるだろう。

2回目の利府爆音だが、思えば今の爆音の機材が固定したのは、1回目の利府からだった。今の爆音のスタートを切った場所といってもいい。ちょっとした感慨にふけりながらの調整だったが、思いの外すべてがうまくいく。こんなにうまくいったらきっと何か思わぬことが起きるに違いないと思いはしたが、そして確かに1回目の利府は初めてということもあり青ざめるようなトラブルもあったのだが、今回はまったくなかった。それどころか、土曜日の『グレイテスト・ショーマン』はまさかの完売で、仙台市内から車で30分ほどの郊外にあるシネコンでこれだけの動員を記録することができただけでなく、帰り際の皆さんがみんなニコニコ顔か涙ボロボロで、何人もの方たちから感謝され、こちらもホロリときた。自分が作ったわけでもない映画を上映しただけでこんなに感謝されるなんて、本当に申し訳ないというか、ありがたいというか、滅多にできない経験をした。多くの記憶がぼんやりするばかりの日々だが、この日の光景は一生忘れない。自信はないが。

そんなありがたい記憶を刻みつけ、映画祭終了を待たずして、10日午後は、取材のために仙台空港から広島へ。びっくりドンキーやCOCO'SやBig Boyに囲まれた人工的なモールの中にあるシネコンから、70年以上前の原爆の記憶が残るとはいえ、観光客も含め多くの人々が行き交う雑多な街並みの中へ。

6月11日(月)

中国新聞での取材。7月の109シネマズ広島での初めての爆音映画祭について。今回の広島は、移動距離の問題もあり、さすがに東京から機材を運ぶのはあきらめ、現地調達。したがって、セッティングしてからどんな音が出るか、見当がつかない。ミキサーのオペレーションはいつものチームでやるのだが、初めての場所、初めての機材は不安と楽しみが同居する。本社正面には、中国新聞のキャラクターなのだろう、謎の人形たちが出迎えてくれた。

取材後、新幹線で東京へ。1週間ぶりの帰宅だが、その前に「アナログばか一代」がある。この日のアナログばかを忘れて「11日なら取材大丈夫ですよ」と広島の予定を決めた後で、この件に気が付いたという次第。その時はもうすべてが確定した後で、時すでに遅し。無理すれは何とかなるという微妙絶妙なスケジュールとなってしまったのである。1週間分の大荷物を引きずりながら、下北沢へ。リトル・フィート特集である。しかしほんと、無茶なスケジュールでもやるときはやるものである。こんな音が聴けるなら、広島から飛行機で戻ってきてもいい。まあ、現実にそれはあり得ないとしても、そうまで言いたくなるようないい音を聴いた。こういうことのためにこのイヴェントをやっているのだと、改めて思う。とはいえ、詳細はすべて記憶のかなたなのだが。ただ、あの音を聴いているときの会場の空気、皆さんのうっとりとした顔は一生忘れることはないと思う。よって、さらに無茶だが7月も何とかしてアナログばかを開催することにした。

6月12日(火)

1週間分の事務仕事を延々と。すごい音がするので何かと思ったら、無茶な雨が降っていた。

6月13日(水)

昼の仕事を終え、夜は三郷へ。いったいどんな場所なのかまったくわからなかったのだが、松戸のちょっと先。埼玉と千葉の県境にある市であった。電車の駅からは車で10分くらいか。駅から歩くのはかなりつらい。40分くらいはたっぷりかかるのではないだろうか。この日は機材のセッティングのみ、という予定だったのだが、意外に早くセッティングが終わったため、急きょ何本かを調整することに。

会場はスクリーンの位置が高かったので、センタースピーカーを高い場所に置くことができた。したがってセリフや歌声はこれまでよりストレートに耳元にやってくる。また、壁に三角形の反響板が取り付けてあるため、小さな音がクリアに聞こえてくる。大きな音のシーンより、静かなシーンにつけられたさまざまな音が生き物のようにざわめき立つ。三郷の爆音は、基本的にこの音を活かしながらのものになった。他の会場よりも、少し硬めの音になったと思う。

調整の帰り、ガソリンスタンドの上にオレンジ色に光るタヌキ。ポンタカードのキャラなのだそうだ。

6月14日(木)~17日(日)

堺や利府もそうだったのだが、郊外のモールにあるシネコンの空は広い。1日中こんな空を眺めながら外でボーっとしていたい欲望にかられる。LAに行ったのはもう4年くらい前のことになる。

三郷の劇場の音に最もフィットしたのは『ワンダー 君は太陽』だったと思う。いわゆる爆音感はまったくないのだが、世界との接触と関係に戸惑う少年とその家族と友人たちの小さな心の動きが音になって、観ている側の肌に触れる。そのひりひりとした肌触りと対話をしながら映画を観る。視覚が触覚になったような気分になる。

『バーフバリ 王の凱旋<完全版>』は高音の響きが良かったので、ビートルズのインド盤のシタールの音を思い出しながらの調整となった。高音の響きを活かし、脳天直撃。バーフバリが空から降ってくるようなそんな音になった。

しかしワールドカップが始まると、落ち着いてはいられない。

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。