妄想映画日記 その74

boid社長・樋口泰人による5月下旬の妄想映画日記です。「爆音映画祭 in 福岡」ではスピーカーのセッティングに苦戦しつつも『バーフバリ』が満員御礼。各作品の爆音調整についても。東京に戻って社長仕事の合間にライ・クーダーの新譜、『男と女の観覧車』(ウッディ・アレン)『ビューティフル・デイ』(リン・ラムジー)、『ピーターラビット』(ウィル・グラック)を鑑賞。そして爆音映画祭で京都へ。

文・写真=樋口泰人

5月後半はイオンシネマでの爆音が諸事情で急きょ中止になったりして、少し時間の余裕ができたかと思っていたのだが、もちろんまったくそんな余裕はなかった。試写予定もスケジュール表には目いっぱい書き込んでいたにもかかわらず、結局送付されてきたサンプルを観ることができたくらいだった。昼の時間帯が打ち合わせや連絡や、書類づくりや、社長仕事やあれやこれやですぐにいっぱいになる。早起きしなさいということなのだとわかってはいる。ちょっとその気になってもいる。

5月16日(水)

福岡へ。1年半ぶりである。会場の都合などがあり、もう2度とできないかと思っていたのだが、無事開催。会場に着くと、以前よりLRのスピーカーが前に設置されていた。ステージのレイアウトが変わったため、こうせざるを得なかったのだろう。センタースピーカーはスクリーン手前にあるので、客席までの距離感が全然違う。また、前方に置かれた椅子が、あまりにLRのスピーカーに近すぎる。このままではできない。しかしLRのスピーカーは巨大すぎるため今更位置の変更は無理。まずはそれらをどうにかしないと実際の調整性作業には入れない。音響の担当者と話し、こちらの注文を聞いてもらった。担当者の思惑とは違っていたと思うが、このままではこちらのやりたいことがまったくできない。ということで、わがままを言わせてもらった。

福岡の爆音はLRの巨大スピーカーが売りになっているのだが、しかしやはり映画の音はセンター。ど真ん中の音が決まらないと、単にうるさいだけになる。今回は無理言ってセンタースピーカーも補強してもらったので、とにかくセンターのセリフの音に全力を注いでもらった。そうすれば巨大な怪物が自然についてくる。

夜は大名にある魚料理の店へ。飲み屋なのだが夜の定食もあり飲めないわたしには好都合。しかし注文しようとすると定食がない。店員に尋ねるともう定食はやめたのだとの答え。仕方ないので、ウーロン茶であれこれ注文したのだが、そういえば前回の福岡爆音の時も同じやり取りをしたのだった。1年半のショートカット、オーバーラップしたふたつの福岡がわたしを包む。

5月17日(木)

調整は順調に進む。『バーフバリ』は、本来はもう少しセンターの音を強くできたらというところだが、これ以上は無理なので、バランス重視で聴きやすく。『人魚姫』は後半になるほど盛り上がる映画の展開に合わせて前半は無理せず。『ベイビー・ドライバー』で最初ガツンとやりすぎると後半が大変なことになるのと同じ感覚。そっと入って、気が付くと世界が果てしなく広がっている、そんな感じ。『欲望の翼』は世界を一変させる音楽のムードをいかに引き出すか。LRのスピーカーの強さはこういう映画の弱みとなるのだが、それが逆に福岡で観たことの記憶として残るように。逆に『ゾンビ』はこういうスピーカーのためにあるような映画。ひたすら狂暴に。これまた福岡で観た記憶として強く胸の底に刻み付けられたら。そしていつかどこかで記憶がよみがえり、2重写しの『ゾンビ』が目の前で上映されることになるだろう。

夜は本番。『バーフバリ 伝説誕生』の絶叫上映。前説チームもやってくる。サリー・シスターズもやってくる。会場も、絶叫上映初体験どころか『バーフバリ』初体験の人がほとんどという新鮮さで、それゆえの緊張感もありつつ、前説の段階ですっかり盛り上がる。約450席の会場が満席まではいかなかったが、300名ほど。過去の爆音福岡の最高動員となる。

5月18日(金)

昼は調整の続き。『潜行一千里』は冒頭の寺のシーンが決まれば後は映っているそれぞれの場所が何とかしてくれる。声はもともと聞こえにくいし、途切れ途切れに聞こえてくる不確かさへの奇妙な信頼がこの映画がわれわれに届けてくれたプレゼントでもある。UFOシーンがいつもにまして盛り上がって聞こえたのも、そのプレゼントのおかげである。『バンコクナイツ』の場合、音のメインはセンター。LRはひたすら何かを待ち続けていればいい。何も聞こえないが何かがある。クレータのくぼみのようなLRと言ったらいいか。それだけで十分である。『イップマン 継承』の打撃音は『バンコクナイツ』の爆撃音に匹敵する何かだった。その音だけで、物語のすべてを語っていた。その痛みと衝撃から聞こえてくる物語をわれわれは観ているのだということがよくわかった。物語はそうやって引き継がれる。『狂い咲きサンダーロード』はデジタル・リマスター。通常のデジタル・リマスターのように、無理やり5.1チャンネルにしているようなことはまったくなく、声も音楽も昔付けたものをそのまま今の技術で磨き上げたという感じ。磨き上げると同時に、かつての記憶の強度を高める。そこにあったものを記憶の強度によって磨き上げると言ったらいいか。そんな音になっていた。近々響く声やいろんな音の重なり合いも、できる限り活かしての調整となった。

5月19日(土)

朝10時からの『潜行一千里』本番。いったいこの時間帯でどれだけの人が来てくれるだろうとハラハラしていたのだが、予想以上の来場があり、ほっとする。皆さん続けて『バンコクナイツ』も観てくれる雰囲気。監督が主演してしまった時点で、扉が開いたというか、おそらく映画史上かつてない形での監督の主演が、映画というものの枠組みと視界を一気に広げた『バンコクナイツ』のおかげで、この2作品の観客の皆さんも私も、みんな『バンコクナイツ』の住人に見えてくる。夜は『欲望の翼』を堪能。こうやってスクリーンでちゃんと観るのは最初のロードショーの時以来。そういえば私は数年前まで、最後のフィリピンのジャングルも、なぜかマカオだと思い込んでいて、いつかマカオに行きたいとずっと思っていたのだった。あれがフィリピンだとわかった今も、わたしのマカオはいまだにジャングルの霞の中にある。

5月20日(日)

福岡爆音最終日。クロージングは『バーフバリ 王の凱旋』の絶叫上映ということで、わたしもターバンをかぶり、インドの武器商人に扮するのだが、なんだかまだまだ思い切りが悪い。どうせなら髪の毛剃ってスキンヘッドにしたりすれば展開が見えてくると思うのだが、どう考えてもスキンヘッドが似合いそうにない。

とはいえクロージング上映は約450席の座席がほぼ埋まった。かつてない動員であった。福岡爆音チームの精力的な告知活動のたまものである。わたしはこの映画をこのように見せたいのだという主催者の強い意志と具体的な行動が、こういった結果を生む。いつも成功するとは限らないが、それでも意志と行動がなければ始まらない。つまり面白がって動く、ということだ。それだけでいい。

5月21日(月)

いつもそうなのだが、貧乏性故早く帰れば少しでも仕事ができると、帰りの飛行機を午前中の便にしてしまう。せめて福岡で昼めし食ってから帰りたかった。しかもせっかく早く帰宅しても疲れ切っていてそのまま寝てしまうわけだから、なんとも歯がゆい月曜日なのであった。自宅では、フェイジョアの花と猫様が優しく迎えてくれた。

5月22日(火)

久々の事務所で、ぼんやりしながらいくつもの事務作業をやっていたと思う。

到着したライ・クーダーの新作を聴いた。まず、音の響きの豊かさに驚いた。どうやって録音しているのだろう。そしてそれをどうやってミックスしたらこういう響きになるのだろう。デビュー以来延々とアメリカの物語を歌い、演奏し続けているライ・クーダーだが、今やこのアルバムの中でこうなるはずだったアメリカとかつてあったアメリカと現実のアメリカとこうなるかもしれないアメリカと誰かの心の中にしかない唯一のアメリカとが何層にも重なり合って響きあい、かつて誰も聞いたことのないアメリカの響きを奏で始めているといった具合なのだ。こちらはその響きの中にうっとりと入りこんでいくわけだが、もちろんそこがスウィートな天国であるはずはない。

5月23日(水)

事務作業で試写に行き損ねたウディ・アレンの『男と女の観覧車』。コニーアイランドという場所の力なのかあるいは撮影のヴィットリオ・ストラーロの力なのか、画面のゴージャス感が半端ない。小さな痴話げんかとその顛末、みたいな全然大したことはない物語なのだが、視界が一気に広がる。とはいえ寓話でもないので、それぞれの言葉や行動が抽象的な意味を持つわけではない。あくまでもある日ある場所という具体的な時空に囚われているにもかかわらず、何かその場その時が世界のすべてであるかのように見える。ウディ・アレンがいなくなってしまったら、今後誰がこんな映画を作ってくれるのだろう。

5月24日(木)

午前中から久々の四谷三丁目。事務所を引っ越して以来ではないか。1年なんてあっという間だ。某企画の打ち合わせだったのだが、打ち合わせ場所に到着するとわたしが1日間違えていたことが判明。1日早かった。しかしおおらかに対応していただき、本当に助かった。企画もうまく行くことを願うばかり。しかしスケジュール表をいくらちゃんと使っていても、書き込むときに勘違いしていたらおしまいである。

午後からも打ち合わせひとつ。いろんな企画が始まる。

リン・ラムジー『ビューティフル・デイ』。宣伝ビジュアルに使われたホアキン・フェニックスの髭面の表情から、よくある血まみれのアメリカの物語かと思っていた。確かに物語自体はそうなっても不思議ではないものではあったのだが、強迫神経症的に繰り返される過去の映像や、一貫性を見事に欠いた音楽の断片的な使われ方、それと同様に何かが常にかけているカットの断片の連なりと繰り返しが、ある想定された終わりに向けての足取りではなく、決してどこにも到達しないがゆえに常にその足元に未来を呼び寄せようとする試みとして見えてくる。彼が一歩踏み出すごとに未来がそこに召喚され、そこに響く未来の声によって彼は動き続ける。自らの欲望や感情によって動いているのではなく、あくまでもこの現在に導かれた未来に、彼は無意識のうちに自分をゆだねているのが分かる。その試みこそが「ビューティフル・デイ」なのだとこの映画は語っているように思えて、力づけられた。新しい未来を作るのではなく、未来によって今が作られている。今ここに鳴り響いている未来の声にちょっと耳を傾けるだけでいい。

5月25日(金)

記憶なし。猫様たちの写真が残っている。

5月26日(土)

一日中、原稿を書いていた。

夜は久々の池袋。シネマ・ロサでの『大和(カリフォルニア)』の再上映が始まったので、ちょっとだけ顔を出した。片岡礼子さんは相変わらずさわやかで、こちらも一気に元気になった。宮崎くんと、今後のことも含めてあれこれ話をした。宮崎くんのフットワークがあまりに軽いので、果たしてこちらが付いていけるかどうか。

5月27日(日)

ユナイテッド・シネマとしまえんにて『ピーターラビット』。『テッド』とか『デッドプール』とか『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』とか、過激なおしゃべりいたずらキャラの映画を観慣れてしまっていると、前半はちょっと物足りなく思ったが、後半の展開は上記の作品の過激さとはまた違う、前半の物足りなさがあってこそのグルーヴが生まれ、面白く観た。爆音での後半は相当盛り上がるに違いない。 MOVIX三郷での初爆音が楽しみになってきたのだが、どうやらMOVIX三郷の爆音映画祭の中で、最も前売りが動いてないとのこと。たぶんこれは、音を大きくして調整して、それぞれの音がぶつかり合い反響しあえば全然違う映画になるはずなのだ。

映画館中にウサギが飛び跳ねまくるに違いない。

5月28日(月)

午前中、越谷へ。初めての越谷は、予想より遠かった。大宮とか浦和の感覚でいたのだが、新宿からは行けず、日比谷線とか半蔵門線を使っていかねばならないというのを前夜になって知るという体たらく。越谷市役所の記者クラブにて、MOVIX三郷の爆音の取材を受けた。

事務所に戻ってからは目くるめく事務作業。

5月29日(火)

午後から税理士来社。3月決算の書類の提出期限が5月末なので、そのための最後の面談である。消費税や法人税の支払い金額も見えてきてひと息。消費税は毎年ちゃんとこの時期の支払い分をプールしておかないと本当にひどい目に合うのだが、もちろんそんなことができるはずもない。そんな零細企業が多くて徴収に苦労したのか、ある一定の金額を超えると年に2回払いとなって、前年の秋に半年分を先取りされることになる。最初の年は、まだ税額も決まってないのに先取りとはやくざなと、相当むかついたのだが、1年何とかやりくりすると、半年分の先取りのおかげでこの時期の支払いが楽になり、案外助かる。これなら毎月徴収してもらって、この時期には徴収過多の分を返還という、個人の所得税の源泉徴収みたいなやり方の方がいいのではないかとさえ思い始めている。

夜は、壱年茶虎を終了し、吉祥寺奥地に移った倉林君の店「虎茶屋」へ。この虎茶屋ももうすぐ閉めて、長野と山梨の県境に引っ越すのだというので、なんと通常なら定休日らしい火曜日にわれわれために営業してもらっての夕食となった。しかし入り組んだ住宅地の中の、看板もない家なので、たどり着くまで、そして目の前にきても迷いつつウロウロと、すっかり腹も減った。

料理は絶品すぎた。特別な材料を使っているわけではない、ごく当たり前に手に入るものたちが、ひと手間ふた手間で姿と表情を一変させる。腹の底から豊かさを味わう。

5月30日(水)

京都へ。すでに今年3回目。ぐずぐずしていたら遅くなり、到着は17時30分。すぐに『アンダーグラウンド 完全版』の調整を始める。テレビ用に作られたもののため、マスターが放映用のものしかなく、しかも作られたのが20年以上前のもののため画質音質ともによくない。音も相当きつくて不安定。2時間以上かかってようやく通常の映画のスタートライン、くらいのところまできた。この時点でそれまでの音の悪さによってすでに耳をやられてしまい、そこから先は、当日の午前中にということで終了。

テレビ版は映画版と違っていろんな説明的なエピソードも入っていてわかりやすい。1話50分という枠組みもあるため、映画なら密度も濃く、編集も手の込んだことができるところを割とあっさりと済ませている。その分いわゆるクストリッツァらしさが薄れ、わたしのようにあの濃密で騒がしい空間が苦手なものにとっては楽に観ることができてありがたい。なんだかクストリッツァじゃない人が目の前で起こっている出来事をとにかく撮影して繋いで、とにかくすぐに大勢の人に観てもらうと作ったニュースフィルムを観ているようで、逆に奇妙な緊迫感が伝わってきた。映画監督がテレビの連続ドラマを作った時の、こういった思わぬ作品の表情が好きだ。テレビというメディアの力が監督の意思を超えて思わぬところに顔を出す。だらだらとずっと見続けていたくなる。

5月31日(木)

朝から、『イレブン・ミニッツ』と『ロシュフォールの恋人たち』の調整。昼、外に出ると土砂降りだった。

『イレブン・ミニッツ』はもう言うことなし。想像をはるかに超えた音の映画だった。思わぬ音がそこかしこに仕掛けられ、目の前に移っているそのシーンの外側の世界を広げ、それゆえ目の前の出来事の緊張感や切迫感、それぞれの人物の感情の動きが手に取るように伝わってくる。そうだ、『アンナと過ごした4日間』も確かこんな感じだった、世界のすべてを見通す目を持ちつつスクリーンに映る世界の片隅の出来事が異様な密度で目の前にある。しかもそれに対してどうすることもできない。スコリモフスキ作品の権利が日本に残っているうちに、どこかで爆音スコリモフスキ特集をやらねばと、すでに心は来年へ飛んだ。https://youtu.be/y_JxjB90WB4『ロシュフォールの恋人たち』は、もう10年近く前、このデジタル・リマスターが出たときバウスでやろうとして調整したもののバウスのシステムにはまったく合わず上映を断念したといういわくつきの作品。もしかして今なら、ということで再チャレンジとなったのである。音源はモノラル。あらゆる調整がセリフや歌に影響を与える。やはり苦労したのだが、じわじわと良くなっていく。本当はもうちょっと全体から包まれる感じが欲しいところなのだが、それをやるとすべてが台無しになる。音量は通常の爆音に比べてだいぶ下げ、全体のバランス重視。聴きやすく、物語に浸れる感じになったと思う。しかし今更だが、『ラ・ラ・ランド』がオマージュをささげた映画であることを、もうちょっとちゃんとアピールしておけばよかった。おそらく『ラ・ラ・ランド』に涙している若い人のほとんどが観ていない。今後の爆音は『ラ・ラ・ランド』と2本立てとかやっていけたら。やはり心が来年に飛んだ。

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。