- 2023年08月20日
- 日記
妄想映画日記 その159
樋口泰人の「妄想映画日記」は、8月上旬の退院後の日記です。術後の体力回復のための散歩だけで精一杯の日々のなか、ドキュメンタリー映画『クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル トラヴェリン・バンド』を観て蘇ってくる記憶とは。
昨日の検査の結果を受け、明日の退院が決まる。まだ体調・体力は全然万全ではないのだがもう入院している意味はあまりない。日常に体を慣らし、動かしていくうちにじわじわと回復していく。1か月くらいあればだいぶましになるだろうし、その頃にはまた新たな治療が始まる。半年くらい過ぎたら一時的な人工肛門を外して元に戻す手術もある。そこからまた人工肛門のない暮らしに慣れるまで半年くらい。半年以上休んでしまった通常の肛門が原状復帰するまでには相当大変みたいで、中には再び人工肛門に戻す人もいるらしい。いずれにしてもあと1年。来年の夏には、どうにかなっているだろう。そんな見通し。そこまでboidの運営はどうするか。やることは決まっているのだが。
夜はM・ナイト・シャマランの『ノック 週末の訪問者』。確か青山の『月の砂漠』の中で、「愛を試しちゃいけない」というようなセリフがあったはずだ。同じ意味でたとえ試す側が神であろうとわれわれの力の及ばぬ何ものかであろうと、とにかく人間を試すようなことがあってはならない。それだけは確実にそう思う。観ているうちにこちらまで試されているような気分になってちょっと参った。ゲームとしてはそれは成り立つが、リアルな問題としてそれは絶対にありえない。西欧の人との「犠牲」の感覚の違いなのかもしれない。『エイリアン4』のときもそんなことを思った記憶がよみがえってきた。シャマランの映画には時々そういった超越的な視線が表れてそれが面白くもあるのだが、今回はあまりにそれが全面に出すぎていて辛かった。




8月2日(水)
退院である。退院のときにはもっとすっきりして久々の外の空気を十分に満喫、というつもりでいたのだが、全然そうじゃなかった。すっかり落ちている体力、まだ抜けきらない違和感と痛み、入院中ほとんどの時間を寝ていたために生じる頭のもやもや感。いろんな要素が重なってとにかく何もせず普通にそこにいるだけでめいっぱいである。これはまともに日常生活が送れるようになるまで、相当な時間がかかる。9月のYCAM爆音が不安になる。1日単位で考えるとちょっと絶望的な気分になるので、10日単位で考えることにする。とはいえ、桃を食った。新鮮な果物に飢えていた。ひと息ついた。
夜はアルジェントの『ダークグラス』を観た。何も考えず観始めたのだがこの手の血まみれ描写は退院後すぐに見るものではなかった。編集のスピードも近年のアクションやホラーの切れ目のないつなぎから比べるとオールドスクールと呼びたくなるようなぶつぎれ感とまったりとした時間経過で、慣れるまで時間がかかった。ただそのおかげで最後のシーンにみなぎる主人公の新しい人生への踏み出しを、温かい目で見ることができたように思う。『サスペリア』などには見られなかった独特の祝福感というか。ようやくひどい世界が終わったという安心感ではなく、これから新しい何かが始まりそれとともに彼女は生きていく、そのことを心から祝福する気持ちが沸き上がってくるのである。もう十分に齢を重ねたアルジェントの世界とのかかわりの変化ということなのだろうか。
8月3日(木)
久々の自宅生活でさすがに疲れた。朝夕の2回の散歩でめいっぱいである。あとは何もできなかった。体中がまだヒリヒリしている。
8月4日(金)
これまでの人生の中で一番多く聴いたミュージシャンは誰かとCCRのドキュメンタリー『クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル トラヴェリン・バンド』を観ながら思ったのだが、はっきりとどのバンドとは言えないものの、CCRもその中のひとつであることは間違いない。まだシングルしか買えなかった中学時代にレコードやラジオでいったいどれくらい聴いたことか。「雨を見たかい」の大ヒットで決定的になったのが中学2年のときというのが、今回、リリースの年代を確認してはっきりしたのだが、記憶の中では確実に中学1年である。生まれて初めて自力で買ったシングル盤の中には入っていないが、その次くらいに買った思い出が。もしかするとそれは「雨を見たかい」ではなく「フール・ストップ・ザ・レイン」だったか「グリーン・リヴァー」だったのか。もはやそのあたりの詳細は捏造された記憶の中にしかない。だがとにかくCCRの音を聴くと中学時代の風景がそのまま目の前にある鮮明さを伴って現れる。あの暑い夏、あの夕暮れ、あの夜明けの空……その時の気温や体温や空気の湿り気……、それらが今まだ自分の中にあってざわめきたち、体を熱くさせる。退院後の弱った身体に力が入るのを感じる。特に映画前半の結成から1970年までのストーリーは特別新しい情報が語られているわけではないが、それ故に自分の過去と重なり合って親密でかけがえのない物語となり自分がまだ確実にその頃を生きているのだと言いたくもなる。時間は流れるものではなくこうやって静かに沸騰しているだけなのだと。その静かな沸騰とともに生きていければいい。
そしてなんと、ジェフ・ブリッジスのナレーション。あの声とジョン・フォガティの声も共鳴してその歴史をより豊かなものにする。映画の中ではビートルズと比べられているが、CCRはビートルズのような特別感、圧倒的な才能と好奇心による新しい世界への導きの音であるような何かとは違い、もっと身近でパーソナルな領域を小さく振動させて聞き手の世界を広げていくような何かとしてあったように思う。だからあえてビートルズと比べる必要はまったくないと思うのだが、後の世代のためにはビートルズと比べられるくらいのバンドだったのだと伝えることもひとつのやり方なのだろう。そして映画の後半は70年のロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ映像。今まさにそこで演奏しているCCRを見ることができるのは至福の体験であるが、実はわたしは、この力強く一歩一歩を刻み続けるライヴの音源よりも、それよりテンポが遅いスタジオ録音の、その力強い一歩一歩の後に響くリバーブの音が大好きで、彼らの音の影とも言いたくなるようなそのリバーブの響きと翳りの中でいつまでも夢見ていたいと思うのだった。もちろんこのライヴにもその名残はあって、時折聴こえてくるジョン・フォガティのギターの残響音にうっとりするばかりであった。ああしかし、彼らの曲を聞くたびに、自分の個人的な思い出だけではなく、『地獄の黙示録』やオリヴィエの『冷たい水』、ヴェンダースの『ゴールキーパーの不安』や『さすらい』などの映画の思い出も次々に蘇ってきてさらに胸を熱くするのだった。
『クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル トラヴェリン・バンド』© 2022 Concord Music Group, Inc.
ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町より9月22日(金)ロードショー!
ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町より9月22日(金)ロードショー!
8月5日(土)
1日おきに調子よかったり悪かったりということで、本日はちょっとぐったり。散歩をして昼寝して終了。映画も観始めたもののまったく集中できず、20分くらいであきらめた。まだまだ体中がひりひりしている。いったいこれで本当に回復するのかという不安も頭をもたげるが気にしても治るわけでもないので、寝る。
8月6日(日)
1日2回の30分~40分程度の散歩でへとへとになるので、睡眠はしっかりとれる。というか1日中眠い。手術前までは当たり前のように歩いていた距離が、遠い。帰り道はちょっとくじけそうになる。いろいろ思うことはあるのだが考えても仕方がないので、とにかく歩く。もうちょっとしたら、散歩を楽しめるようになるはずなのだが、今はまだ体に歩き方を教えているような状態。80歳くらいの方たちと同じようなスピードである。よそ見すると倒れそうになる。


8月7日(月)
午後から病院へ。人工肛門の専門医との面談。病気のことというよりも、取り付け方の確認やら、今後使いこなしていくためのノウハウやらといった技術的な指導である。手術前は慣れてしまえば案外らくちんなのではないかと楽観視していたのだが、いざ取り付けてみるといろいろ気になってなかなか身動きがとりにくい。1日に数度はたまった排泄物を捨てないとならないのだが、それがなかなかグロテスクで結構しょんぼりする。まあ、すべて慣れてしまえば何ともないとは思うものの、やはり人工肛門なしで生きられるならそれに越したことはないと願う気持ちがむくむくと沸き上がる。また、来年3月くらいに元に戻したときの本来の肛門の働きを取り戻すために、今から肛門括約筋を鍛えておかねばならないとのことで、自分としては結構真面目に体操をしている。
とまあ、それやこれや温泉にはどうやって入るのかとか、ボーリングはできるのかとか人工肛門についての話をしたのだが、右わき腹の人工肛門の下の方に傷口を縫い付けた個所がありそこの抜糸がされてなかったことが見つかり、急遽抜糸作業。その場であっさりとやることになるもののもちろん麻酔はなしなので、それなりに痛い。というかかなり痛い。やれやれいろいろ大変である。すっかり疲弊して帰宅。他には何もできなかった。
8月8日(火)
深夜、暑くて目覚める。どうにも具合が悪い。冷えピタシートをでこに貼り付け、しばらく涼を取り何とか再度寝たものの寝起きは当然悪い。体操をして朝食はとったものの起きていられず、再度寝て昼に起きる。その後、再び病院へ。外科の担当医との面談である。いかにもな夏の空が気持ちよくもある。面談では今後の治療の予定などが説明される。退院1週間後の血液検査の結果は良好、腫瘍マーカーも通常値に戻り、がんの取り残しもなく、現状ではフレッシュな状態。ただ、わたしの場合の再発率は50パーセントということで、そこそこの確率なので、再発防止のための抗がん剤治療を勧められる。それにはいくつかのやり方があり、効果があるやり方ほどこちらの身体への負担は大きい。治療を受けるとするとそのうちのどれを選ぶか。いったいどれくらいの効果なのかの説明としては10パーセント・プラスαとのことで、つまり、再発率が、40パーセントから30パーセントくらいになるということらしい。この10パーセント・プラスαをどうとらえるか。今の体調を考えると、あまりに身体への負担が大きいならそちらの方がよくないのではとしか思えず、憂鬱になる。来週の面談までに判断をとのことで、いったん持ち帰ることになったのだが、なんとなく答えは出ている。とにかく今は体力の回復を優先。まだ日記を書くことくらいしかできない。仕事の連絡もいくつか来ているが、お断りしたり、返事をせぬままのものもある。原稿書きならできるのだが。


8月9日(水)
へばっている。入院中の日々の血圧測定でわたしの血圧が低い、ということは判明していたのだが、本当に低い日は高いほうが85くらい。これくらいになると、動くのが辛い。足が地についている気がしない。入院前も、基本的にそういう日が多かったわけだが、これはもう病とは関係なく、単にわたしの血圧が低いためにこれまで日々具合が悪かったのだろう。20代のころからそうだったので、多分ずっとそう。メニエルでぶっ倒れているときとかはめちゃくちゃ低かったと、今更思い出した。というわけで、本日は血圧測定をしたわけではないが、体感で85。つまりくらくらである。それでも少し声が出るようになり、ようやく腹に力が入るようになってきたということなのだが、何箇所かと電話連絡。声を出すのはいいことだというのを実感する。声を出すことで気力が生まれる。それが身体のエネルギーなる。体育会系の人はこの循環をわかるはずだ。無駄でもいいから声を出した方がいい。つられて体が動く。しかし、それ以外はぐったりと寝ていた。
8月10日(木)
本日も体感血圧85。昨日よりさらにひどいかもしれない。それでも動けないわけではないので、よろよろと散歩。途中、佐伯美波から連絡が入り、たまたまそばにいるらしく、わたしも散歩ついでなので久々に会った。9月からスイスの大学院に留学という話は聞いていたのだが、出発が早まり明日11日の飛行機で長崎の実家に戻りその後スイスへということで、今日が東京最終日とのこと。留学期間は2、3年、しかしその間の生活費は、という話で相変わらずの無茶な渡欧にあきれるが、まあ、何とかなるのだろう。2、3年後の帰国時は今よりがぜん元気になって出迎える約束をして別れる。
午後は、昼寝後、YCAMとの打ち合わせ(16日にYCAMラジオの公開収録があり、そこでYCAMでの爆音のことや映画のことを話すのだが、16日はユーチューブでリアルタイム配信があり、その後、音声のみをYCAMラジオで聴けるようになるとのこと。本当にそうかどうかはちょっと自信がない。多分そんな感じなので、YCAMのHPで確認していただけたら)、そして各所連絡。疲れてまた昼寝、というか夕寝。そして日が陰ってからの散歩。これだけするともう目いっぱいである。そして、映画観て原稿書くことしかやりたくないとつぶやいていたら、パンフ原稿の依頼が来た。ありがたい。
8月11日(金)
完全にへばっていて、ほとんどの時間を寝ていた。散歩も軽め。しかし夕方くらいになってからお陰で少し力が戻ってきた感じ。声もさらに出るようになり、ダメな時は寝るしかない、ということを実感した。夜、パソコンで少し作業をと思ったら、仕事用に昨年の秋に買ったばかりのパソコンの電源が入らない。実は富士通のパソコンは以前にもひどい目に遭っていて2度と買わないと心に決めたはずだったのだが、本体重量の軽さに負けて、さらに2度と買わないと誓ったことをその時点ですっかり忘れていて、買ってからの調子の悪さでようやくかつての苦い経験を思い出すという情けなさ。ああもうほんと面倒臭いこのパソコンと仕事するたびに思っていたこちらの不満が伝わったのかもしれない。何事も愛情を持ってということはわかるが、しかしその前に富士通のやつの面倒なお知らせとか、あれしろこれしろという技術的な指示が分かりにくくて、レッツノートもVAIOもNECもこんなことは絶対なかったと、ついつい思ってしまうこちらの諦めの悪さが事態を悪化させるばかりなのであった。データ自体はクラウドに全て上げてあるので自宅のマックで問題なくできるのだが、銀行作業だけは富士通パソコンでしかできない。早急に対処しなければならないのだが世の中お盆休みである。仕事しないで体力回復に努めなさいということだと思うしかない。
8月12日(土)
うまく眠れなかったこともあり、ぐったりしたままの1日。体操と散歩はなんとかこなしたが、あとはほぼ寝たきり。なんかもう入院中より体調悪いんじゃないかと思い始めたのだが、入院中はこんな散歩も体操もできなかったわけだから少しは体力は回復してきているのだろう。ただ食欲はまったくない。果物ばかりを欲している。体のあちこちがヒリヒリとして過敏に反応している。声が再びうまく出なくなる。
8月13日(日)
気圧不安定、低血圧、胃腸の調子も悪く、諦めてぐったりしていた。とはいえ、人工肛門につけるパウチ(便をためておく袋)を注文しないとこれを切らしてしまっては大変、ということで初めての注文。しかし高い。5袋で5,500円である。ひとつで2、3日使えるので、5袋で大体2週間。つまり1ヶ月で11,000円ちょっとかかる。その他、いろんな備品も必要で、まとめると1ヶ月で15,000円以上はかかると思う。まともに働けない上に、この出費は痛い。障害者手帳をもらい、障害者割引が適用されると補助金が出るのだが、障害者手帳を受け取るまでに1ヶ月半。そこからしか補助金申請をすることができなくて、それが受理されるまで2、3週間。そしてそれが受理されて手続きを済ませてからでないと、補助金が適用されない。それ以前にかかった費用は全部自腹である。いや、これはどう見たって、障害者手帳を申請したときに遡って補助金を出すのが普通でしょと思うのだが、全国の自治体でそこまで遡ってくれるのはごくわずからしい。杉並区は申請処理済み後という全国標準のシステムだから、早くて10月から。というわけで大事に使うしかないのだが、取り替えて2日目以降になってくると、貼り付けている皮膚がかぶれてきて痒い。その痒み止めの薬も必要になり、さらにかぶれを防ぐためのパウダーも必要になるという無限地獄。とまあ、こういうことを考え始めると鬱々とするばかりである。しかし、人工肛門用の備品というのがものすごい数あって、カタログにはさまざまな商品がびっしりで、それも病院が契約している備品会社だけのカタログでそれである。こういう会社は他にいくつもあるはずで、つまり必要としている人がそれだけいるということになる。そんなことは想像したこともなかった。自分が生きているということ、その生が死と地続きであることを人工肛門という形で日々数回の排泄作業の中で具体的に実感している人が自分の想像外の多さで存在している。その事実に頭がくらくらした。まだまだ体のあちこちがヒリヒリする。
8月14日(月)
退院から10日以上が経ち振り返ってみると少しは体力が戻ってきて身体中の痛みもなんとなくマシになってきた気がする。とはいえまだずっと座っていることもできないし、立ち上がっても辛いしでつい横になってしまうのだが、そこから再び立ち上がることがなかなかできない。立ち上がったら立ち上がったで血液が一気に下方に下がり再度頭に血液が流れ始めるまでしばし時間がかかる。体はまだまだ日常の暮らしに慣れてくれなくて、一時は観始めていた映画もなかなか観られない。集中力がまったく続かなくなってしまっている。手術後1ヶ月、体調次第で気持ちのあり方も大きく変わり、コントロール不能である。今は食欲もないからあらゆる欲望から遠い状態。10日後にはどうなっているか。
とはいえネット上を賑わしている『バービー』を観た人たちの意見・感想を見ると、ああこれだけはいち早く観たいという気持ちは高まる。今年1番の期待作であるが、いくつか見かけた厳しい意見が気になって、これはboidマガジンで具体的に書いてもらって、おそらくわたしも観たら観たで絶対に盛り上がるに違いないはずのその盛り上がりを一旦距離をおいて見てみるのもいいのではないかと思った次第。ただそれにしても映画を観ない限りは原稿のお願いはできないし、とはいえ映画館の中で2時間じっと座っていられるようになるまであとどれくらいかかるか下手すると1年かかるなと思っている現状では手も足も出ない。配信が早く始まってくれるのを待つばかり。


8月15日(火)
いやあ、薬代が高い。本日病院に行って主治医と話し合い、再発予防のための抗がん剤治療を始めることにしたのだが、まだ体力が全然戻ってきていないこともあり、一番やわな、体に優しい飲み薬のみのコースを選ぶ。それでも何が起こるかわからないということで副作用の可能性の説明を再度レクチャーされるわけだが、「可能性」ということはわかっていてもこうやって説明を聞いてしまうとやはり緊張する。果たしてこの先大丈夫なのか。体重は10キロ減っていた。半年から1年かけてこれをどれだけ戻すことができるのか。主治医に「ネットではこの時期に食べない方がいいものとか食べた方がいいものとか色々載っているが、実際のところどうなのか」と質問すると、あまり気にするなとの答え。キノコと海藻を食べすぎない、くらいであとはバランスさえ保てば好きなものを食べるように。副作用の緊張が一気に解れる。とはいえ胃腸の調子は良くないので、まあそれが戻ったら好き勝手やらせていただくことにして、胃のための漢方薬も処方してもらった。
それで薬局に行くわけだが、病院側の薬局が混んでいたために自宅側の薬局に処方箋を持って行ったところ、さすがに抗がん剤は特殊な薬なので大病院のそばの薬局にしか置いておらず取り寄せになると言う。いやしかし明日から内服というスケジュールで今後の予定も組まれているので、ということで再度病院そばの薬局へ向かおうとしたもののさすがにそこからさらに15分以上の道のりは体力的にきつい。一旦家で休んでから夕方近くに出かけたところ、薬代2万円超え。人工肛門のパウチ代といいこの薬代といい、頭を抱える。がん保険には入っておくべきだった。検査するよりがん保険。とにかくこのままでは治療費で殺される。boidもお終いである。とにかくこれが半年は続くわけだ。とりあえず好きなものを食いながら今後をどうするか考えるしかない。boid関係者の皆様には、思い切りわがままを言わせてもらうことになる。