妄想映画日記 その151

樋口泰人の「妄想映画日記」4月前半の日記をお届けします。4月1日でようやく新年を迎え、その元旦にはゴダールの『1PM-ワン・アメリカン・ムービー』(監督:D・A・ペネベイカー、リチャード・リーコック)を鑑賞。絶不調で向かった大阪で「ヤクルト1000」により奇跡的に回復し、うなぎを食するもまたもや調子が悪化。そんな日々の合間に「江藤淳全集」を読んでいるようです。
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文・写真=樋口泰人



4月1日(土)
ようやく新年が来た。今年は4月1日から新年と決めていた。新年度ではなく新年。昨年はいろいろありすぎたので、青山の一周忌や子供の結婚式などが終わることで何か気分が変わってくれないか、という願掛けでもある。困ったときのこういう願掛けは絶対やったほうがいい。これはこれまでの経験上の教えである。とにかく嘘でもいいから本日から新年と言い張って、それをベースに世界を見る。ということで元旦は単なる休日として過ごした。
ゴダールの『1PM-ワン・アメリカン・ムービー』。ゴダールの、というよりペネベイカーの、ということになるのか。冒頭、この映画の全体の構成を語るゴダールの言葉とは全然違うその後の構成に戸惑うのは、ゴダールの人の悪さではなくペネベイカーの人の良さのせいということになるだろうか。結局は作られることはなかったゴダールによる『1AM』のことよりも、今となってはここに映されている68年のゴダールがアメリカで過ごした時間の方が貴重なものに思えてくる。ペネベイカーの人の良さが映した68年ゴダールのアメリカ。それもまたひとつのアメリカ映画である。そして路上演奏を行うリロイ・ジョーンズたちの演奏や屋上でのジェファーソン・エアプレインの演奏などを観ていると、ああ、これをオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』みたいに55年後の再編集とかしてゴダールが自殺する前にまとめてくれていたらと思うばかり。今からでもたたき起こしたい。ゴダールさん、あんたひとつ仕事を忘れてるよ。『1+1AM』ってタイトルでどうでしょうか。
 
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『1PM-ワン・アメリカン・ムービー』
©Pennebaker Hegedus Films / Jane Balfour Service



4月2日(日)
6時に目が覚めてしまいこのまま起きたら気持ちよい日曜日になるだろうかと迷っているうちに寝てしまい、目覚めたら10時過ぎでいつもと同じ。今日は留守番なのだがそれでも昼にちょっと出かけようかと思っていたのにぐずぐずしているうちに夕方である。もっといろいろできたはずだとかは思わないことにする。ちゃんとぐずぐずした。少し体調は良くなってきた。
仕事がらみでドリュー・バリモアの『ローラーガールズ・ダイアリー』を観た。大好きな映画だがたった110分の間に愛と友情、親子の葛藤、希望と挫折があり友人たち親たちそれぞれの背景が彼女を包む。彼女が彼女であることは単に自立することではなく彼女を取り巻くあらゆるものたちとともにあることだということが彼女の周りに起こるさまざまな出来事や聴こえてくる歌や彼女が暮らす街の風景によって少しずつ語られてあなただってこんな風に生きたらきっと幸せになるしそれが世界を変えることなのだと映画がほほ笑む。毎年1回は観たい。ドリュー・バリモアの最新監督作を観ることができるのはいつになるだろうか。
そして坂本龍一さんの訃報。昨年からいろいろ聞いていたので覚悟はしていた。
 


4月3日(月)
新しい年になったからと言ってすぐにすべてが変わるわけではない。本日は調子が悪い。昼まで仕事をしたものの12時過ぎに異常に眠くなってたまらず寝てしまう。何とか事務所へ。夕方になるにつけ冷え込みこれまたたまらず帰宅。帰宅後も寝てしまう。
その後起きて江藤淳全集『犬と私』を読んでいたら、以下のような文章に突き当たった。
 
「とにかく、ぼくのさしあたっての夢は銀座のどこか文春ビルぐらいのでっかいビルをたてて、そこで世界の現代文学の粋を集めた雑誌を発行することである。日本のジャーナリズムのマーケットなどはたかが知れている。これからは世界が相手だ。ここで映画もつくればいいしペン大会もやればいい。さしあたって働き手は五人、そろっている。だれかお金を出す人はいませんか?」
 
やりたいことはこれとは違うが、boidをやりながら常々思っているのはこういうことである。無駄に金を持っている人は多数いると思うのだが、そういう人とうまくつながれるかどうか。
 


4月4日(火)
8時すぎに目覚めるが、10時くらいまでぐずぐずと布団の中。寝たのが3時過ぎだからまあ、これくらいでちょうどいい。急ぎの用件などあるがあまり気にしない。起きてからは1973年特集となるアナログばかのためのレコードを何枚か聞く。理由は忘れてしまったのだが、もう何年も前から買うかどうか迷ったときに73年前後の製作だったら「買う」ということに決めていて、それまでは聴いたことも存在すらも知らなかった人たちのレコードが何枚かある。今回はそれらも持って行こうと思う。
午後からはジェームズ・グレイの新作の試写へ行く予定だったのだがその後の予定を考えるとどう見ても無理やりで、ただ無理やり観に行かないと結局観逃がすんだよねとも思いつつ予定を変えて自宅で夕方からの打ち合わせのためのシナリオを読み直す。もう少しのところまで来ている。過去と現在と未来が循環し混ざり合ってもうひとつ別の現在を作り出すような映画になってくれたら。そんな兆しが見えてくるシナリオになってきた。オンライン・ミーティングまで少し時間ができたので散歩。ゆっくりとまっすぐ歩けるようになってきた。
深夜、明日の大阪宿泊を全国旅行支援でとっていたことを思い出したのだが、時すでに遅し。翌日に結果お知らせが来る無料PCR検査をし損ねていた。何か忘れているとずっと思っていたのだがこれだった。ただ大阪府は抗原検査(定性、定量)でもオーケーとのことで、それなら即日検査も可能ということがわかり、さっそく検査の予約をした。しかし、2か月前からは考えられないくらいホテルの料金が上がっている。まあ、普通に考えれば現状の料金くらい取らないとホテルもやっていけないだろうとは容易に想像はつく。これまでが異常だった。しかしそれに合わせてboidの収入が増えるわけではない。
 
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4月5日(水)
抗原検査を受けに新宿の検査所に行くのだが、検査所の前で若者たちが何人かスマホをいじっている。何事かと思いつつ受付をすると、スマホで入力しなければならない事項があるのだという。項目が多いし複雑でスマホがうまく機能しなくもなりいらつくがいらついたところで何も変わらず黙々と作業。しかしこういったときにいつも思うのだがスマホを持っていない人、扱えない人はどうするのだろうか。
気が付くとなんだか調子悪く体が重いうえに浮ついていてぼんやりしている。ポイントがたまっていたので新幹線はグリーン車でゆったり寝ていこうと思っていたら、7日だと思っていた原稿の締め切りが本日で「そろそろいかがでしょうか」という連絡が来て、新大阪までは執筆の時間となる。もちろんそれだけで書き終えられる量ではないので、とにかく7日の夕方までには仕上げるのでという連絡を入れ待ってもらうわけだが、いつもにもまして新幹線の中の気圧変動がきつい。ただでさえ調子悪い左耳がやられ、ぼわぼわくらくら。こればかりはなってみないとわからない辛さ、足腰もこわばり体が固まっていく。心斎橋に着いた頃は思った以上にダメージを受けていて、海外からの観光客の方たちを含めた人並と活気がさらにそのダメージを増幅させる。それでも夕食をと旅行支援のクーポンが使えるうどん屋に行ってみると満員で順番待ちの方たちも多数。弱っているときはうどんが頼りだったのにとしょんぼりしつつさすがに大阪に来て蕎麦を食う人はそんなにいないだろうということで蕎麦屋に落ち着き食べ終わり周りを見回すと日本語が聞こえてこない。ほぼ満席の店内で日本人客はわたしひとりではないかと思えるくらいだったのだが、弱っている人間の妄想なのか。
ビッグステップは前回と同じ30周年仕様だった。今回の調整作品は『オオカミ狩り』という作品で、韓国のアイドルのひとり、ソ・イングクが出演していることで話題になっているのだという。日本のアイドルの見分けもつかないわたしが韓国のアイドルのことをわかるわけもなく、まさかこの全身タトゥーの凶悪犯がそうだとは思いもせず、もうひとりの若者(チャン・ドンユン)のことなのか、名前だけでは男女の区別もつかぬ韓国音痴故、いい感じの女性警官(チョン・ソミン)がそうなのか、いやこの人だったとすると日本の女性たちが騒ぐというのは変だとか、もう、しょうもないことを思いながら観たのであった。もちろんそれとはまったく関係なく、ゾンビのようなターミネーターのような怪物が大暴走する。この足音を聞くだけでもこの映画を観る価値はあるのではないか。とはいえ何か特別なことをしているわけではない。感情のようなものをなくしてはいるものの完全な無機質ではなく、有機的なものがやってくるにもかかわらず情け容赦のない運命のシステムが作動する足音と言ったらいいのか。いやそれほど大げさなものではなく単にどたどたとしかし素早い動きの何かがやってくる、やってきたらもう逆らえないという足音を付けただけということなのだろうが、いずれにしてもこの足音がこの映画のすべてを決める。その足音の示す怪物の在り方が『地獄の警備員』を思わせたのだが、黒沢さんはなんと言うだろうか。映画自体の緻密さや大胆さは置くとして、いずれ韓国映画は実写版の『AKIRA』のようなものを当たり前のように作ってしまうのではないかという韓国映画の腕力を改めて実感させられる映画であった。
ホテルへの帰り道、あまりに体がこわばっているので遠回りをして散歩しながらコンビニによると珍しくヤクルト1000を売っていたので買ってみた。
 
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『オオカミ狩り』
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4月6日(木)
10時過ぎに目覚めるとなんだか耳の調子がいい。体も軽い。こんな目覚めは久しく覚えがないのはいったいどうしたことかと考えてみるとヤクルト1000しか思い浮かばない。以前飲んでいた時は特になんとも変化は感じられずその後話題になって買いにくくなったこともありそのままやめてしまっていたのだが何かが変わったのだろうか。まあとにかく調子はいい。原稿も続きも書いたが、帰宅してから確認しなければならないこともあり完成はできないのだが、とりあえず気持ち的には終わったことにしてレコード屋に向かう。鶴橋に行ってソルロンタンかテールスープにキムチの買い出しも考えたが夜はうなぎが控えているということで欲張らず。心斎橋にはいろんなレコード屋があって楽しい。本日は定番になってきたTIME BOMB Records。ロカビリー、サイコビリー、グラム系のレコードの充実ぶりはほかになく、クランプスの10インチ、ロバート・ゴードンが主演、音楽も担当した『LOVELESS』のサントラを仕入れた。クランプスのポイズン・アイヴィー姉さんのお尻がキュートすぎてもうそれだけで十分。最近は『ノースマン』のアニャ・テイラー・ジョイのお尻にやられていたのだがこちらも負けてはいない。クランプスのジャケットでこのキュートさはあり得ないのだがまあそれはそれというものだ。などと思っているうちに予想外に時間が早く過ぎているおかしいと思ったときにはもうぎりぎりであわてて新大阪から名古屋、そして犬山で友人と落ち合いその車で岐阜へと向かう。

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いつものうなぎ屋が目的地なのだがその日のうなぎがなくなったらおしまいの店なので急がねばならない。予約はできない。昨年のドタバタもあってもう1年以上食っていない。気持ちは焦るがなぜかカーナビはいつもとは違う道を指示している上に道路も突然の渋滞でしかも我々も1本前の道を曲がってしまいさらに大回りとなりようやくもうこの道をまっすぐ行けば目的地まだ大丈夫となったところでさらに右へ曲がれとカーナビが言う。いったいなぜ? こういう場合人はいったいどうするものなのか? もう目的地は目の前である。ナビがなくても行けるしまっすぐ行くだけだから間違いようもない。ではいったいなぜナビは曲がれと指示しているのか? まるで見当もつかないのだが見当がつかないゆえに曲がることにしたわれわれは結局単に大回りをさせられただけとなったわけだが店の看板はまだ点いている。何とかなったということで喜びもあらわに駐車場へ。いそいそと店に向かう人たちとすれ違い、車を置いたわれわれも店に向かうとなんと看板の明かりが消えている。確認したところで同じ。駐車場ですれ違った人たちで本日のうなぎは終了となったのであった。悔やんでも悔やみきれない大回り2回の15分の無駄。わたしは何のために大阪からわざわざ岐阜まで立ち寄ったのか。
しかしもう1軒あるとの提案あり。どうやら岐阜県民の間ではわれわれがいつも行く店ともう1軒とで、支持者が2派にわかれているのだそうだ。そう遠くはない場所にあるのだという。もちろんそこも売り切れという可能性もあるが行ってみなければわからない。新たなうなぎにたどり着くための試練なのだと思ったわけではないがまあここまで来たら何とかするしかない。たどり着くと見事営業中でなんと店舗も新築リニューアルオープンしたばかりの様子。とにかく腹をすかせたわれわれは肝焼きとうな丼を注文したのであった。その後は天国。ああうまい。2派にわかれるのはもうわかりすぎるくらいわかる。しかもこのうな丼このうまさで3,200円というのはおかしいというか、都会の人たちはうなぎ屋に騙されているとしか思えない。バリっと焼かれた表面の内側はふっくらというよりジューシーでしかも脂ぎっていない。なんだこれは。いくらでも食べられそう。ということでついがつがつと調子に乗って食ってしまった岐阜の夜。急いで新幹線に乗って帰宅したころには日付も変わっていた。

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4月7日(金)
さすがに疲れている。ヤクルト1000の効能も1日のみということかまあ少しずつ回復してくれればよい。原稿の仕上げをして、夜のアナログばかのレコードを選び下北沢へ。1973年の音楽というテーマである。50年前。中学3年から高校1年。その頃いったい何を聴いていたのか、中学時代はいろいろな記憶があるのだが高校に入ると途端に音楽の記憶が消えるのは「スモーク・オン・ザ・ウォーター」ばかりが流れるのでうんざりしていたからか、いやスティービー・ワンダーの「迷信」はまだ行ったことのないディスコの空気を田舎の高校生にもわかりやすく運んでくれて、みんなでジュークボックスにかぶりついていたのは憶えている。授業をさぼって麻雀に行くかボーリングに行くかちょっとその前にお茶ということで寄った高校のそばの喫茶店の風景が脳内で再生されいまでも少し胸が熱くなる。リリース年代を調べると「スモーク・オン・ザ・ウォーター」も「迷信」ともに72年リリースの曲だから山梨の田舎には1年遅れで届いたということなのか。
いずれにしても73年前後の音楽は楽しい、音楽の風景にぐっと広がり足元が揺らぐ感じ。体も頭もかつてなくぼんやりしていたが、アナログばかはたっぷり堪能した。ずっと続けたいということで次回もこの続き。わたしが間違えて持って行ったスコット・ウォーカーの67年作品を聴くためにそのうち67年特集もという話も出た。
 


4月8日(土)
雨模様でボーっとしていた。月曜日に支払わなければならない税金の金額をチェックしていたのだが、それなりの金額になっていてこの約10倍の支払いを3月にしたのかと思うとぐったりする。そろそろ自分のためだけに使いたいと切に思うがそんな日が今更来るなら今頃こんなことはしていないというようなことをいつまで思っていたらいいのだろうか。
お試しで注文していたヤクルト1000が届いた。
 


4月9日(日)
昨夜飲んだヤクルト1000は大阪の時のような効き目はなかった。あれは別の要因だったのだろうか。胃腸は少し楽になった気もするが、とにかく毎日飲めということである。
昼から江藤淳全集を読んでいると以下のようなフレーズが出てくる。
「私たちは、自分にはわからぬ網の目にとりまかれていてその向こうに行こうとすると「無」につきあたってしまう。しかし、やはり何かが実在している。」
こんなことを書く人ならもっと早くからちゃんと読んでおけばよかったと思うのだが、今だからこそこういったことで喜べるのかもしれない。少しずつできてきた時間の余裕のお楽しみとしては最高である。当分時間を持て余すことはない。
 


4月10日(月)
2度寝したら12時近くになっていた。久々に大寝坊したのはヤクルト1000効果なのか。とにかく寝坊するとその後は大変である。歯医者に行ったら中学か高校のときに治療してそのまま銀を被せてあった奥歯の根が悪くなっているらしく豪快に穴をあけられた。神経を抜いているので何をされても痛くはないのだが、もしここで急に神経が復活したらどうなるかとはらはらしつつ握りこぶしなのであった。口の中の腫れはすぐにはよくならないとのこと。入口が悪いとすべてに影響する。針とリード線とカートリッジは大事、というアナログプレーヤーの教えは人体にもそのまま当てはまる。事務所に行く元気はなく自宅作業。
 


4月11日(火)
起きたときからボーっとしていた。まるで目覚めない。大抵体調の悪いわたしだがこれほど身体が目覚めない感覚はかつて味わったことがない。半覚半睡で気持ちいいかというと残念ながら全然そんなことはない。柔らかな世界の中に自身も揺らめきつつ身を浸している心地よさとは程遠い居心地の悪さ。体の中のどこかはめちゃくちゃ覚醒しているのにそのほかのあらゆるものがままならないままふたつの打ち合わせをすませ、ふたつめの打ち合わせの井手くん、石原洋さん、風元さんと夕飯を食いつつ大学時代の話をして帰宅したら、胃腸の調子が最悪になりやはり食べすぎはよくないと本気で反省するほどの具合悪さで悶絶した。
 


4月12日(水)
昨夜の調子悪さを引きずりつつも昨夜よりましだしまったく目覚めてない感覚は消えて人間らしくなったがその分強風に乗ってやってきた黄砂にやられて起きてからくしゃみが止まらない。いやもうこれはこれで大変だとは思うもののくしゃみが出るだけましと思う。午後から高田馬場のカフェで中原の今後についての相談・打ち合わせをして事務所で仕事をしていると中原からフェイスブックメッセンジャー経由のビデオ通話が入る。病院で治療できる「病気」の部分はほぼ治ってあとは後遺症のリハビリなのだが、これが相当大変そうだ。頭は普通に動いているので体の不自由さがわれわれの想像以上にもどかしいはずだ。しかしそれでもなお、まあ、前からこんな感じだよねと相変わらず思ってしまうのはいったいなぜか? 2年前だったかのアテネフランセでの白紙委任状のトークも自宅のベッドの上から行ったわけだから、寝たきりでも動けるようになってもまったくOKな何かとともに中原は生きているのだと言いたくなる。その後湯浅さんからも連絡が来て、「ボブ・ディランがもう生きてるのか死んでるのかわからないような感じで演奏してるから樋口くんは絶対見ないとだめ」とのことで、チケットがまだ発売中の週末のライヴに行くことにする。しかし26,000円。
 


4月13日(木)
寝坊もしたことだし事務所に行くのはあきらめて自宅作業なのだが体を動かさないとどんどん調子が悪くなる。そういえばboidの事務所を借りたのが2004年でもう20年前のこと、その時もメニエルがあまりに調子悪くとにかく外に出ないとダメということで外の仕事場を決断したのだった。調子悪い日こそ事務所に行かねばということなのだがもう若くはない。調子悪いという認識と気分が身体的な調子悪さをさらに増幅させるばかりで体を動かす気持ちが湧き起こらない。だいぶ片付いたとはいえまだまだ昨年の仕事の事務作業が終わらない。
 


4月14日(金)
とにかく目の前の作業をひとつひとつということで地道にやり続けているのだがいろんな連絡が入り結局混乱して今日は何をするのが最優先だったかよくわからなくなる。周りにお願いできる作業はお願いしてできる限り自分は引き受けないようにはしているがそれでもまだまだ。いったい人はどれだけ働けば普通に稼いで暮らしていけるのだろうか。目の前の数字を見ると愕然とするばかり。よくこんな数字で15年も会社続けていられるとくらくらしつつ感心もする。まあ、元気でご機嫌ならそれでいい。
ということで夜は久々の新大久保タッカンマリの会。2年ぶりくらいか。いやもっと間が空いたか。とにかくそんな久々感も含めて堪能、食べ過ぎた。しかもボブ・ディランのチケットを思わぬ形で手に入れた。そして店の外に出るとカエルがいた。

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4月15日(土)
食べ過ぎた次の日はもう2度と食べ過ぎませんごめんなさいというくらい調子が悪い。今後しばらく外食禁止令を自分の中で出すのだが、すでにいくつかの約束がある。今ならすべてキャンセルの連絡をするのだがというくらいな具合の悪さで1日が終わる。そんななか江藤淳をぼちぼち読み続けいくつか心に刺さった言葉があるが、そんなこと今更かいと突っ込まれそうなので書き出しはしない。



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『1PM-ワン・アメリカン・ムービー』
©Pennebaker Hegedus Films / Jane Balfour Service
2023年4月22日(土)より新宿・K’s cinemaほか全国順次公開!

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。