- 2023年02月07日
- 日記
妄想映画日記 その146
今回の樋口泰人の「妄想映画日記」は1月後半の日記です。不眠のまま社長仕事をこなすなか、明石さんを送る会や横浜と下北沢での『はだかのゆめ』の舞台挨拶へ行く日々です。自宅では江藤淳全集を読み進めたり、マーゴット・ロビー祭りの続きを。
月曜日はいろんな事務作業が山ほどあってしかも税理士の月一の報告訪問があるとなるとその前までにさまざまな書類やデータを整理しておかねばならぬ。もちろん間に合うはずはないのだがそれでもやれることはやるということで朝から事務作業。報告終わった後はその他連絡作業で夜のアナログばかに食い込みそうになるが、昼飯抜きだったのであまりに腹が減り小田急線に乗り換え前におにぎり一個を頬張った。先週から立て続きに来ている下北沢だが新しくなった駅には未だに慣れずどの階段を上ったら西南口に一番近いのかわからぬまま本日はたまたまエレベーターの扉が開いていたので吸い寄せられた。レコードが重かったのだ。本当に最近のレコードは重い。ほとんどが180グラムの重量盤を謳って音の良さをアピールするが本当にそうなのかどうか。巨漢のママキャスの1972年のアルバム『THE ROAD IS NO PLACE FOR LADY』なんてもう彼女の巨体を思うと涙止まらないくらいの薄っぺらでペラペラの盤なのだが、それでもまったく問題ない。大好きなアルバム、おそらくわたしの持っているレコードの中で一番薄い。手で持っただけでもすぐわかる。まあその薄さがいいということではないのだが。
アナログばかは久々にテーマなしの雑談会。新年会なのでこれでいい。めちゃくちゃ楽しかった。時々こんな時間を持てるだけでなんとか生きていける。そんな感覚はその場にいた皆が共有していたと思う。その後、本物の新年会。


1月17日(火)
昼から今年のboidの企画打ち合わせ。すごい企画があるわけではない。わたしの手でできることをどれだけ多くの人に伝えることができるかというやりかたを年内に定着させられたら。今決まっているもの以外、他人のペースに巻き込まれる仕事は一切断る方向。この何年かの怒りが溜まりすぎている。自分のペースを作る。と決断したものの果たしてどうなるか。
1月18日(水)
寝坊すると1日があっという間に終わる。起きてからは全速力で仕事をしたがまあ、数時間。それくらいしか働けない。昨年から取り組んでいる青山真治本の3冊目の内容がほぼ固まってきた。2冊目『青山真治クロニクルズ』の表紙案もいくつか届く。いろんな作業が予定よりだいぶ遅れているが、ゆっくりとやることをやる。きっと時間は我々を追い越し先回りした挙句どこかで再び出会うことになる。というかそのねじれた時間を今ここで生きているのだとも言える。あきらめたりいらついたりしたらそれはすぐに逃げていく。すべてに遅れがちなこのゆっくりした一歩が未来を先取りしているのだと思うことにしている。まあでも本当に機を逃して皆さんに迷惑をかけないようにしないと。
マーゴット・ロビー祭り『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』。途中で出てきたベーコン&チーズ・エッグ・サンドみたいなやつが妙にうまそうだった。以前boidがパンフを作ったダニエル・ジョンストンのドキュメンタリーをやったとき、ジャーナル・スタンダードが運営するハンバーガーショップが、タイアップでダニエル・ジョンストン・バーガーみたいなのを作ってそれはそれでうまかったのだが、昨年のこの映画の上映の際はどこかがあのサンドウィッチを作ったりしたのだろうか。できれば時間をさかのぼりたい気分である。あれを食いながらこの映画を観て続けて『ザ・スーサイド・スクワッド“極”悪党、集結』爆音で観たら最高だろうなあと妄想するものの30年ほど歳を取りすぎている。
1月19日(木)
昨夜は眠るのに失敗し、うとうとしただけで朝8時くらいに目覚めるがやはりつらくて再度ぐずぐずと寝たり起きたりであきらめて12時過ぎに起きた。こんな日もある。コントロール不能。その後各所連絡して事務所に行き、河出書房新社から出す映画化されなかった青山のシナリオやプロット企画書などを集めた本のための権利問題などの確認。いろんな話が出てさまざまな問題もあらわになるが簡単に解決はつかない。
夕食後さすがに眠くなり寝てしまい、深夜12時くらいにようやく目覚め。そこから事務作業、そして、深夜にレコードを聴くのに今のスピーカー配置だとどうしても音を大きくせざるを得ず、先日も妻に怒られてしょんぼりして小さな音で聞いていたのだがさすがにそれは耐えられないということでスピーカーの配置を変えた。これなら小さな音でもわたしにとっては十分な音量で聞こえるということでついいろいろ聞いてしまって朝。こうやって生活は乱れていく。いったい何年こんなことをやっているのだか。
レコードを聴きながら江藤淳第1巻を読み進めたところこんなフレーズに出会った。
「いわばそれは本来の意味での小説的な現実把握であつて、実際の作者と日常的な現実との関係は、一つの変形された相似形として言葉の次元に転位されようとする。そればかりではなく、作者と話者との間に意識的に設けられた距離は、話者と彼がむかいあつている転化された現実との間にも保たれていなければならない。さらに話者は、言葉の次元に一次的に転化された日常的な現実の中にいるが、彼の物語る内容は、日常性とは薄い皮でへだてられた、一種のあいまいな、詩的なイメイジに凝固して行かなければならない。「寓話」性とはこのようなもののことをいうのであつて」
(江藤淳『奴隷の思想を排す』)
こういうのを読むと、今度の土曜日(21日)の明石さんを送る会の上映作品は『あやつり糸の世界』をやってもらえばよかったと反省。あの映画の最後に流れるフリートウッド・マックの「アルバトロス」がいいんですよねえと嬉しそうに話す明石さんの笑顔は今でも忘れられない。
1月20日(金)
10時くらいかと思って起きたら12時だった。よく寝た、ということになるのだが昨日は寝たんだか寝なかったんだかわからない1日だったので、プラマイゼロ。不規則極まりなしということを考えるとマイナスである。調子は悪い。年長の白猫さまに腫瘍が見つかり来週手術ということにもなる。もう本当に勘弁してほしい。たまたま昨日阿部くんが書いた『空に住む』の原稿を読んでいたところだったのだが、こうなってくるとしばらく『空に住む』をまともに観ることができない。あの猫の名前は我が家の姫の名前でもあるのだ。もうなんだかいろんなことがこんがらがって胸が苦しくなるばかり。神保町の「猫の本棚」での「青山真治文庫」へ行く予定だったがキャンセル。
月曜日のアナログばかのときにわたしの持って行ったアレックス・チルトンのロンドン・ライヴのあんまりなヨレヨレぶりを聴いた直枝さんが「もっとちゃんとした人なんですけどね」というようなことをボソッとつぶやいたのが気になっていた。そうなんです。あのアルバムは特別。そして再びアレックス・チルトン祭り。


1月21日(土)
「伯林ペスタロッツィ通り88A番地」と題された明石さんを送る会である。ファスビンダーの『不安は魂を食いつくす』の上映と知人、友人たちのリレートーク@ゲーテ・インスティトゥート東京。いきなり寝坊して遅刻という情けない限りの状況だったのだが、デジタル化された『不安は魂を食いつくす』の鮮やかな色にびっくり。真っ赤に変色した16ミリフィルムのイメージしかなかったのだが、まあ当たり前である。思い出の時間と現実の時間はまったく相いれない。
トークの時間。自分の思い出話をするということがそれを聴く人にとってどういうことなのかまったく想像がつかなかったのだがこうやっていろんな人の思い出話を聞いていくと忘れていたことや知らなかったことが浮かび上がってくるだけでなくそれが浮かび上がってくることによってばらばらに存在してた点としての記憶が繋がっていく。これは時代順にトークの場を構成した主催者のおかげなのだが、まだ明石さんとは面識がなかった代々木のイースタンワークスのころから数えると45年ほどの時間が駆け巡り体内をぐるぐると回る。終了後、80年代初頭だから40年以上前に遊びで高円寺のスタジオに入った知り合いから声をかけられる。40年ぶりである。もちろんすっかり忘れていたのだが、言われてみれば確かに。それに加えその時にわたしがサックスを吹いている写真があると言われ、呆然とする。まったく吹けないのに何かやろうとしたのだろうか。
その後は、20数年ぶりに会う友人、10年ぶりくらいに会う友人と食事に。それぞれ妻とも共通の友人なのでみんなで忘れられた時間の埋め合わせトーク。もちろん一致しない。話は横に広がるばかり。そしてまるで失われた時間などなかったかのように10年前20年前が今ここで動き出すのである。実は時間は今ここで渦巻いているだけで流れていないのではないかと、そんな妄想。明石さんがあまりプライヴェートを話さなかったせいもあるのか。つまり点ばかりをわれわれに遺し、その点と点を結ぶ作業をするわれわれの今が10年前20年前を今ここに呼び寄せる。それは今でしかない。そうやって活性化された「今」が年寄りを元気づけるわけである。


1月22日(日)
大勢の人に会い多くの時間が体内を駆け巡り眠れぬまま朝を迎えようやく少し寝て昼に起きる。中断していた部屋の整理をする気持ちになる。
夜、江藤淳全集第2巻『新版 日米戦争は終わっていない』を読んだのだが、序文の中で円高ドル安について触れていた。昭和62年(1987年)のことである。円が対ドル150円台から130円台に突入するかという、同じ130円台でも今とまったく逆の状況。35年前は円高で35年後は円安。つまり130円台がその時の国力を示す境界線のようなものなのか。ニュースではひとり暮らしの老人たちを襲う強盗グループの件。マーゴット・ロビー祭りで観た『アイ・トーニャ』では救いようのないアメリカの貧困が描かれている。もはやかつてのようなアメリカはそこにないと1987年の江藤淳も書いている。1970年生まれのトーニャ・ハーディングはもはやかつてのアメリカではないアメリカで育ったのだ。この映画はその意味でかつてのアメリカではなくなったアメリカの物語ということになる。いや、かつてもそんなアメリカなどなくただそうあってほしいと思うアメリカがそこにあっただけなのだ。そうやってアメリカを覆っていた願いの裏側からもはや覆いきれない夢の残骸が顔を出す。『ブレードランナー2049』で描かれたアメリカの廃墟は、1980年代のアメリカでもあったということになる。廃墟としてのアメリカの80年代が2049年のアメリカの廃墟として描かれているのだと言ってもいい。いや、50年代のアメリカが自ら理想のアメリカとして世界に自らの姿を演出し始めて以降、アメリカは常に廃墟だったということにもなるかもしれない。いずれにしてもそんなアメリカの80年代から40年ほど経った今、かつてのような日本も今ここにはない。昨夜はわれわれがまだ20代のころ働いていたアート系の会社のアルバイトの時給が1,200円だった話。そのアート系の会社が大手企業に吸収されそこのアルバイト募集の時給が1,072円。東京都の最低賃金である。この時給で映画館で映画を観ることは簡単なことではない。
1月23日(月)
いつも調子のよくない左耳が悪化。世界の左半分がぼやけている。2時間ほどで目が覚め眠れなくなり、仕方なくいったん起きて仕事。午後からは役立たず。とはいえ予定の連絡などをできたはずだ。少しずつ「現在」に追いついていく。夜は気合を入れるため、火鍋に行った。少し元気になった。


1月24日(火)
やはり眠れず。またもや早めに起きて仕事をと思ったのだがあまりに具合悪く、再度寝て目覚めたら12時だった。午後から各所連絡。夜まで連絡を続け、起きるのが遅かった帳尻を合わすが耳の調子はさらに悪くなる。
1月25日(水)
眠れず。めまいが始まる。白猫さまに見つかった腫瘍の手術もある。インタビューのために午後2時までに田町に行かねばならぬが到底無理。めまい止めを飲みごまかしながらなんとか。インタビュー、面白くてつい長居をして歯医者の予約に遅刻。10日前なにも食えなかったのが嘘のように回復し、今回の治療はこれで終了。帰宅すると手術を終えた白猫さまが戻っておられる。お怒りである。撫でようとするとウーウー言って怒る。部屋の中をのしのしと歩き回ってどこにも落ち着かない。まさか腹を切られるとか思ってもいなかっただろう。でも、お怒りになる元気が残っていてよかった。そう思うしかない。わたしは、めまい止めが効き、寝てしまう。こんな日に限って、連絡の山。メールなど、読み切れず。
1月26日(木)
朝4時30分に目が覚め眠れず。あまりに眠れないのでぐったりしたところでようやく眠りについたのだが10時30分に目覚める。合計では6時間ほど寝たことになるものの「眠りは足し算ではない」と誰かが言っていた。グタグタである。耳の調子も戻らず。そしてさらに最悪に近い知らせあり。どうしたらいいのか。午後は皆さんでミーティング、今後について話す。いろんなことを思い出すたびに涙ぐんでしまう。そして自分の今後のことも考える。もうこれまでのようにはいかない。
1月27日(金)
2時間ほどで目が覚めその後朝まで眠れず仕方なく朝食を食ったら少し眠くなり仮眠の後は各所連絡。いろいろ見えてくるものは見えてくるが、果たしてこの不規則な睡眠でどこまで健康を維持できるのか。気にしても仕方のないことだが一日中腹の底あたりに不安がよどみを作る。
夜は『はだかのゆめ』の下北沢K2初日ゆえ、今月はいったい何度目になるのか下北沢へ。須藤くんと甫木元とのトーク。衣装の話、それに連なる脱皮の話と映画冒頭のセミの声。われわれを覆ういくつもの時間の層を映し出しそれをひとつの「現実」へと作り上げる映画という装置。こういった映画への視線と現実の在り方が多くの人に共有されていけば、もう少し愛にあふれた世界になると思うのだが。わたしも審査委員をやった3年前だったかのPFFで観客賞を獲った『アスタースクールデイズ』という高校生が作った映画では、確か転校生の男子生徒が仲間割れしているクラスメートたちにバカにされながらも花束を配りまくって彼が見たそれぞれの長所を告げていくというエピソードがあったのだが、そういうことである。それぞれにそれぞれが思ってもいなかった衣装を着せていくことがいつか新しい現実を作る。「はだかのゆめ」に新しい衣装を着せることでその『はだかのゆめ』がわれわれに新しい衣装を着せる。映画が作り出すその循環と変容をわれわれは生きる。ただそれだけだ。


1月28日(土)
当然のように朝まで眠れず、8時に寝て11時に起きて14時すぎに横浜。ボーっとしている。ジャック&ベティでの『はだかのゆめ』初日である。監督のトークとミニライヴということで東京なら確実に女性8割から9割で年齢層も若いといった傾向がはっきりと見えるのだが、ジャック&ベティの場合はどうなのかと思っていたら、東京の極端な構成とはちがい男女比4対6くらいに縮まり年齢層も子供から老人までさまざま。子供たちは両親が連れてきたのかと思ったら、子供たちがBIALYSTOCKSのファンで両親を引き連れてやってきたのだという。いい感じに音楽も映画も広まり始めている。ライヴの音のバランスもうまくいって会場全体に新しい風が吹く。甫木元の声はマイクを通さなくてもマイク越しでも関係なく、身体を通して出てきた「あの世」の空気を会場に降り注ぐわけだから『はだかのゆめ』はさらにその空気を吸ったそれぞれの身体の中で変容してそれぞれの身体を侵食していくはずだ。サイン会にも長蛇の列。







夜はK2にて、やはり上映後にトークとライヴ。こちらは9割近くが女性。時間の都合でライヴは生ギターに生声という超シンプルなスタイルにて。こうなってくるとますます声の力が前面に出てくる。売れるか売れないかは別にして、生ギター、生ピアノと甫木元の声だけでアルバムを作ったら絶対に面白いと思うのだが。まあそこまで極端にすると、バンド全体の活動が小さくなってしまうのかもしれない。ただそれを超える声の力がここにある。それはこの場にいた誰もが共有したのではないか。まあ、録音がめちゃ難しいだろうけど。

帰宅後、どうせ寝ても仮眠で終わってつらいだけとあきらめて、仕事をしようとしたものの余りに眠くなり気が付いたらソファで寝ていて多分90分ほど。仮眠であった。その後朝まで久々のウォーレン・ジヴォンで盛り上がりつつ、日記を書いたり。
1月29日(日)
朝9時になってようやく寝付く。13時起床。具合は思い切り悪いがまあこんなものだと思えばこんなものだ。かつては近田春夫「調子悪くて当たり前」を合言葉にしてもいたが今はそうやって開き直るというかそこを軸にして元気を出す気力もなくひたすらこの調子悪さを受け入れるのみ。調子悪くても身体はまだ動く。下北沢に向かう夕方、電車に乗り遅れそうで駅の階段を調子悪いなりのスピードで駆け下り駆け上る。K2に着くとロビーが人で溢れている。何があったのか。どうやらK2が入っているビルのオープン1周年でロビーのカフェが特別なワインと何かをサービスするパーティらしいのだった。ウーム、しかしこれはコロナ感染し放題だなと、妙に冷静になる。ヴィヴィアン佐藤さんと甫木元のトークはドキュメンタリーとフィクション、非演技と演技、生と死など、いくつもの対立項の合間の話だが、そのどちらをも行き来する通路としての映画、そのふたつの間にある浸透膜のようなスクリーン、という話になる。そして最後に親の遺した形見の話。現物としての形見は単に思い出の品というくらいの意味しかなく死んだ者と生きている者の間を行き来する存在は誰かという、まさに『はだかのゆめ』の示す人間の存在へと肉薄して終了。日曜日の夜にもかかわらずこちらの会場も大勢の方たちが来場、多分パンフもこの週末3日間で売り切れてしまった。少しずつ何かが伝わっていく。




帰宅後、仮眠。そしてもうすぐ公開される『バニシング・ポイント』を久々に観た。音がリマスターされたのだろうか。音楽の響きがパワフルで、ひた走るダッジ・チャージャーのガソリンとエンジンとなってこの白い車を加速させ自滅させる。70年代に幻視された西欧白人資本主義の未来。
1月30日(月)
朝7時にようやく寝付く。11時30分目覚め。当分このペースになるのか。事務所に行く際、自宅から新高円寺ではなく高円寺まで歩いてみた。動くうちに少しでも体を動かしておこうという配慮なのだがどうやら歩き方が悪いと逆効果でもあるらしい。靴のサイズや形状も年を取るにつけ気になってきた。ちょっとしたことが体のバランスを崩す。事務所は相変わらず寒い。夕方になると足元から冷気がやってくる。いくつもの事務作業をしているうちに体が冷え切ってしまった。まだまだ山積みの事務作業、ブルシットな官僚書類がいくつもあって、これを見るだけでも本当につまらない世界に生きているのだと実感する。そんな文句を言ってる間にさっさとやってしまうのがこの手の作業のコツではあるのだが、昼夜逆転生活になってくるとどうも頭でっかちになる。
帰宅後はzoomにてインタビュー。限りなく雑談に近いものでもあるのだが、公にできるかどうかぎりぎりのいくつものエピソードに爆笑しつつ次への力を得る。必要なのは現実的には資金なのだが、そのためにはおそらく強い願いと勇気なのだと思う。じっと待つことも含めて。
1月31日(火)
いったい自分の体はどうなっているかもはやまったくコントロール不能で、昨年の秋も2、3週間こんな風になったのだが、寝ようとしても眠れず起きると眠くて何もできずただひたすら疲労が積み重なっていく。しかも仕事は待ってくれない。昨年の予定では年が明けたら超貧乏暇ありで映画を観ながらこれもつまらないあれもつまらないとブーブー文句を言っているはずだったのだが正月のみそんな生活ができたかどうかその後は昨年と変わらず年明けからまだ映画館で1回も映画を観ていない。