宝ヶ池の沈まぬ亀 第58回

青山真治さんによる2021年3月末から4月にかけての日付のない日記。北九州~岡山~小豆島~大阪をめぐった旅と、『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督)とグレタ・ガーウィグ監督作2本からフォード沼を経由してモンテ・ヘルマンをめぐった映画の旅の記録です。

58、シアーシャの振り返りから四年に一度のスプリングがブレイクする

 

文=青山真治


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『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』


 
某日、細野本の書評を書いたので未聴のソロ作をまた少しずつ聴いている。『オムニ・サイト・シーイング』『メディスン・コンピレーション』『ナーガ』そしてこれはソロではなくスケッチショウ『オーディオ・スポンジ』。この辺を同じ頃に聴いていたらまた少し自分にも変化があったのか。でもイーノやバーンと同時期なのでさほど変わりばえしない気もする。少なくとも今ほど理解できはしないだろうし、好きになれたかどうかも怪しい。「拝金主義と色欲の渦巻く時の流れに決別」し、ネイティヴアメリカン思想と切り結ぶのだから、いまの自分にはかなりフィットしていると言える。細野さん自身を街でお見かけするようになったのもこの頃ではないだろうか。ただ、私には全体に「終わりの始まり」のように聞こえ、例えばイーノの最近のものとはやはり別物で、ここを経由して『HoSoNoVa』の方へ行ったのだなあという流れがわかりやすかった。
 
某日、朝から『A LONG VACATION』発売中止のお知らせが来て、愕然。後でわかったが、レーベルにミスプリ発見されたとか。それこそ欲しいというマニアも当然あるだろう。
女優は友人らと再び旅行。留守居の身として洗濯やら何やらした後、昨夜の続きでスケッチショウ『tronika』。こうなるともう守備範囲外。撤退して『クロード・ソーンヒル未発表放送録音集1952〜1956』。やはりこういうことである。
午後、庭の桃の枝が枯れたのやら伸びっぱなしやら見映えがよろしくないということで高枝切り鋏など駆使して全面的にカットして行く。ザクザク行って、見誤って生きてる枝まで切ってしまったが、細かくしてまとめると60ℓゴミ袋一枚分くらいになった。
 

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夕餉の後でやはりここは、というニュアンスでイーノを。これはいま何をしているかといえば反省である。というより批判といったほうがいい。拙前作をテクノではなくアンビエントにしてしまう選択もあった。もちろんそれは音楽の話ではなく作品内の空気の話で、そうするとシナリオの方向が大きく変わってしまうことになり、それは本意ではなかった。ただそれでもよかったのではないかという問いは今も内在している。作品がより良くなるという話ではなく全く違うものになってもよかったのではないかということ。その意味ではイーノをやりそびれたという単純な結論があるばかりだろう。それがお門違いかどうか……まあいくら考えても袋小路である。教職を辞めた年の正月だったか、大量にCDを手に入れてイーノのアンビエントばかり聴いていたことがあった。あの時は救われた。私にとってイーノはいつか登らねばならない山の一つである。
原正人さんが亡くなられた。私のような者に声をかけて下さったプロデューサーは何人かいらっしゃるが、中でも最大の方だろう。作品が成ることはなかったが、その後の方向性に無形の示唆を与えて下さった。心よりご冥福を祈る。
 
某日、予てから「考える」という言葉にぎこちなさを感じて来たのだが、今朝の最首悟先生のTwitterで、小林秀雄は初期に「考える」を「かむかふ」と書いていたとあった。か、には意味がなくて、む、は「身」、かふ、は「交う」だとのこと。「かむかう」であればスッキリする。今後「考える」ことを「かむかう」とするか。過去形は「かむかった」になるのだろうか。「かむこうた」と口語的にくだけたほうがいい気がする。
洗濯のち外出。日比谷TOHOシネマズはかつて『レイクサイド マーダーケース』の初日舞台挨拶をやったところで、地下入口にあのバチバチいう超音波異分子排除装置(と勝手に名付けている)が今だにあり、入る時やっぱり鳥肌が立った。何ヘルツかより上の音は聞こえない年齢のはずだが。それはともかくクロエ・ジャオ『ノマドランド』である。口当たり良く仕上げた『ルート1』ということなのか。もちろん110分フランシス・マクドーマンド主演なので比較のしようもなく、ああこりゃいいショットだねえと感服することもなく、むしろ失敗のショットが多いくらいだが、だからと言って悪い映画ではない。何度か横切っていく「安楽死」という主題のありようはさりげなく、いわば可もなく不可もない作品ということだ。ただし作品全体がその「安楽死」願望と孤独死の恐怖とを天秤にかけながらの進行なので、終幕までその緊張感を嗜めるかもしれない。「安楽死」だけでなく貧困も就職難も問題として積み上げられるがそれらはどこか「終活」という言葉に括られる気もする。昨年の『幸せへのまわり道』や『ヒルビリー・エレジー』にもそんな気配を感じたが、いわば「終活映画」みたいなものが評価されるようになっているのかもしれない。あるいは画面がいちいちマジックアワーとかいう迷信に支えられているような薄暮でできているせいかもしれないが、そうだとしたら、それはそれで由々しきことであり頽廃だろうが、映画にそういう時期が訪れるのも潮時というものかもしれない。ただ、それもこれも一昨年まで戻れば、という話である。コロナ以後にこの問題が再燃する可能性もないとはいえないが。ベビーブーマーという一世代の話だから。
そこから日本橋まで歩き、それはいい運動だった。ネット予約を入れて美術館に入るのは初めてだが、三井記念美術館「小村雪岱スタイル」展。例によって絶妙な角度の俯瞰視点が並ぶが、日比谷とはまた趣を異にしてこちらは色彩豊かな世界であり、とはいえ鏡花的な渋味が基本なので絢爛というのでもない。カラフルでも渋い。ポイントを挿す青など。舞台セットのイメージ画もあって、中に荷風『すみだ川』のためのものもあった。もちろん活劇の瞬間を捉えた運動感覚が素晴らしい挿絵も多数、邦枝完二『おせん』の傘(ヒッチ『海外特派員』の先取り名画)原画も見ることができた。里見弴とも交流があり、その流れで小津とも接点があったのではないか。やはり邦枝『お傳地獄』など「高橋お伝もの」もいくつかあった。名高い谷崎『近代情痴集』も。一つ鈴木春信のものと並べて展示されているものがあって、庭を見る湯上がりの女のフルサイズ(「おせん 縁側」)だが、ねじれが美しく、そう、このようなねじれを撮りたい、と声が出そうになった。全体に文化のピークのような昂揚を感じて、やはり『ノマドランド』の薄暮だけではいかんのだと確信した。


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草臥れて美術館のカフェでエスプレッソを飲み、帰宅。夕餉は到来物の弁当。
夜はスケッチショウ『ループホール』と『フライングソーサー1947』。これでサントラ関係以外、だいたいの細野さんの活動はキャッチできたのではないか。で、やはり愛聴盤といえば最新作『あめりか』になる気がする。
 
某日、はっと気づくと一日何をしていたか記憶の曖昧な日というのはあって、深夜に不安を抱えてぼんやりしてしまう。ずっと原稿を書いていて、予定の文字数を大幅に超え、削って行く作業をしたことは覚えているし、晩に肉を焼いたことも覚えている。あと、ぱるるは病院に行ったはずだ。そうしてふと周りをみると本の配置など部屋が多少模様替えされている。そして何より寝床が夏仕様になった。これをやったことがメインだったか。原稿は、あそこをこう書き直そうと前夜考えた部分を思い出せなくてかなり悩んだが、ダメだった。酒を完全に絶ってもこういうものだ。まともに機能する脳はもう帰ってはこない。
 
某日、エイプリル・フールに、とある企画の最初の会議。P四人と私が顔を揃えた。このメンツが来年の今頃また揃えばいい。富ヶ谷「麗郷」へは久しぶり。
 
某日、昼間は宿の予約を延々。夕餉の後で田中邦衛氏の訃報。もう随分スクリーンでもテレビでもお姿を拝見していない気がして、亡くなったと思っていたわけではないが何か実感がわかない。長いお別れの方法を採られたのだろう。できることなら誰しもそれが一番麗しい気がする。『仁義なき』の槇原という役、というかその演技は他の名優たちを圧するほどに素晴らしい。他の幹部どものグダ巻きのところ酒を求めるふりをしながら一周して山守の席にそっと戻り、ご注進するあの長い芝居を振り付けた深作さんは二歳下の氏に敬意を表してか、『完結篇』の死に様は格別に壮大であった。あれらや『アフリカの光』を続けざまに見すぎたせいか、だから現実の死がピンと来ないのか。
ピンと来ないといえば、先日亡くなられた山崎剛太郎氏も同じで、仏映画字幕翻訳家として著名な方が亡くなったと報じられたのは知っていたが、それがどういう方であるかピンと来ていなかった。だがふと『ゲームの規則』だと気づいて思わずおでこを叩いてしまった。大学の授業のためだったから一七年のことだろう、学生に『ゲームの規則』を見せたくて京都の部屋でDVDを見直していたのだが、フランス語などかけらもわからないくせに字幕がわかりにくいから学生になかなか受け容れられないのではないかと勘繰り、それ以降あれはやり直すべきではないか、もっと砕けた日本語に直した方が若い者にもわかりやすいのではないかと意見してまわっていた。そして寺尾さんにもその話をし、すると寺尾さんは門外不出として新訳字幕のテスト版(それは寺尾さんの訳ではない)を渡してくださったのだ。話は長くなったが、その現行版の訳をなさっているのが山崎氏なのだった。そんな失礼なこともあったけれど、改めてご冥福を祈る。もちろん田中邦衛氏にも。
で、本日はマーヴィン・ゲイやレオン・ラッセルの誕生日でもあり、二人の最高の映像をVDPがTwitterに上げてくれていた。
 
某日、出かける準備をしつつ届いたDVDの裏など読んでいると、リチャード・ハリスの未見であるリチャード・C・サラフィアン『荒野に生きる』の撮影がロージーなどで記憶されるジェリー・フィッシャー、必ずしも評価が高いわけではなかったが、あれ、この人、と思い出されたのはここのところSNSで諸先輩方が話題に挙げていた『旅立ちの時』もそうじゃなかったか、と検索すると案の定、しかしそれだけに留まらずリヴァー・フェニックスの相手役がキース・キャラダインの娘だったはずで、どうしているのかと思いつつそういえば『北国の帝王』の音楽がレッキング・クルーの誰だったか最近何かで読んだ気がする、など、つくづく八〇年代に出会う縁の深さに改めて感銘を受けるのだった。
それとはほとんど関係がないが、同世代の(国際的な)女性たちが「年齢的に無理している」的なバッシングを受けている(インスタに上げたエリザベス・ハーレイの水着姿とか)のが理不尽なことだと嘆かわしく感じられ、ふと目にしたエミール・クストリッツァ『オン・ザ・ミルキー・ロード』を注文するとあっという間に届き、その速度に気圧されてつい見てしまったのだが、これが実にいい。クストリ先生といえば最初にカンヌに到着したその晩にホテルマルチネスのエレベーターから降りて来た先生ご一行と鉢合わせであったことから、何やら付かず離れずの関係を勝手に抱いて来たが、久しぶりに見た新作は以前にも増してジブリの実写版的な大袈裟さと慎ましさのコントラストの効いたユーモア満載で、ツィンバロムを導入する音楽センスといい、いつもながら決して悪い気はしない。自分からこんな寓話めいたことやりたいと思ったことはないが、国を挙げてクストリ先生の民話づくりを応援してる感が、それはそれで若干羨ましくもあるのだった。で、我が同年齢モニカ・ベルッチ様は相変わらずお美しくて、いったい五十過ぎてセクシーを売りにして何がいかんのか、むしろその品の良い美貌を維持するIQの高さを顕揚すべきであって、優秀な作家だけがそのIQに比肩するのだと吹聴するのが当然だろう。それにしても先生、このイタリアの名花との共演のせいか、それともマンガチックな寓話性のせいなのか、この人は誰よりレオーネに近かったのかとふと気づかされた次第。
 
某日、前夜に買い置かれたものを朝餉として、女優は本業へ、私は旅へ。初日は小倉まで新幹線の長旅。大江を読み終え、第二巻へ突入した。到着、まずは墓参。雨模様なるもやみ、傘いらず。大里の丸和で両親の好きだった蜜豆と白桃の缶詰を贖い、お供え物とする。小倉に戻ってぶらりと散歩、旦過市場は日曜なのにほとんどシャッターがおり、リニューアルされてのちが案じられる。何を食すか考えたが結局「資さんうどん」。穴子天ぶっかけなるものに「肉」のトッピングという結果だが、いささか過剰だった。
若干でかいモニターでホテルのDVDがタダだというので検索した結果『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』があり、何の気なしに選んだのだが、これは大変なものだった。デカい器は舐めてかかって正解というセオリーの見本みたいな手捌き。新人技とは思えない。グレタ・ガーウィグ、かなり才能ありと見た。ウーマンリヴというと古いけどフェミニズム的側面が多少うるさく感じられはするものの、そこではなく「著作権問題」のところで、よし、と。何より若い俳優たちもストリープもローラ・ダーンもクリス・クーパーも見事に演出が行き届いており、感服。結局ミスキャストしか呼び込まない『細雪』みたいな企画もグレタに撮ってもらったらいいんじゃないだろうか。役者事務所政治みたいなものも消し飛んでせいせいするのではなかろうか。主演の女優二人、シアーシャ・ローナンとフローレンス・ピューは久方ぶりに登場した振り返りの天才で、多少おっかなびっくりながらのローラ・ダーンとともに物語の主要な転換をフルサイズの振り返りでキメていて、その度に胸がすく。ただし各エピソード的確にコンパクトにまとめて気持ちいい(大過去とラス前の夢想は別として、過去と現在の配置)のだが、その淡白な丁寧さがもう一つ物足りなくもあり、どことなくミュージックヴィデオ風に流れてしまう局面もあってそれもやや勿体無い。三女の最期などもっと見たかった気がするし、せっかくいいシーンだったティモシー・シャラメとの恋愛もぶつ切り的に感じられ、ルイ・ガレルの再登場が既視感に塗れてしまう。ま、それが当世風なのだろうが。その意味で今の若い映画人はこのガーウィグの奮闘を見てちゃんと絶望しているのかと不安になる。我々の世代でいえばカラックスかウォン・カーウァイの登場時に似ているのではないか。あのとき我々もそれなりに絶望と挫折を味わった。
新幹線内の小冊子に掲載された「天竜区水窪町奥領家・旧大野分校の一本桜」写真に出くわした。目配せはいつでも、ある。堀君は今年も上映されるが『製茶工場』も、できれば。
 

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某日、朝6時半起床、三十分ほど海辺を散歩。駅北口ロータリーに面したホテルは二つあるが、その小さい方。朝食はバイキング。グリンピースご飯がある以外特筆すべき点はなし。千円は高い。
プランをやや遅れて九時台の新幹線で岡山へ。ホテルは若干駅から離れるが、昨日とは打って変わった快晴で、散歩も心地よし。岡山は何度目かだが、全て日帰り。宿泊は初めて。
荷物を預けて駅へ戻る。これは一旦ロケを離れて別件の取材である。桃太郎線という小っ恥ずかしいネーミングの路線は、しかもそれに似合わぬ古めかしく赤茶けた二両編成で、線路は単線である。目的地は吉備津神社。三つ目の備前一宮駅にも吉備津彦神社があるが、その一つ先の吉備津駅で降りる。田んぼを貫く松並木の山道が目印。なぜここへ来るかというと上田秋成『雨月物語』の「吉備津の釜」で語られる場所だからだ。非常に田舎である。巨大な古墳らしき小山の麓に神社はある。さほど大きくないがなかなか厳しい本殿。いい感じの廻廊もある。問題の釜は本当にあって御竃殿というのがちゃんと設えてあった。バックには巨大なしゃもじが飾ってあってちょっと笑える。
 

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徒歩で一駅戻る形で吉備津彦神社へ。「吉備の中山」と呼ばれるこの一帯は桃太郎伝説発祥の地でもある。「吉備津彦」なる将軍が「温羅」なる渡来人の侵略者を退治したという話。鬼ノ城という山城が再現されているらしいが、そちらへは行かない。ここにきた本当の理由は、秋成でも『雨月』ではなく『春雨物語』「樊噲」上の終わり近くの、小判をめぐる謎めいたやり取りのヒントを探してのことだった。探すというか来てみないことにはなんともいえない気がしていたのだった。もっとも後で厳密に原作と照らし合わせて考察すると、「吉備津の釜」も含めてそれらエピソードの舞台は現在の兵庫であり、この周辺には関係がなかった。でもまあ来たかったのだ。吉備津彦神社には鯉のぼりがたゆたっていた。
 

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二つの神社の間、三十分ほど田んぼを横切る長いクリーク沿いに散歩できた。水の中に亀も鯉も現れ、水鳥も飛来しては春を満喫していた。
電車で岡山市中心に戻り、チェックインしてまた駅で夕餉。中華。ホテルでYouTubeに上げられていたサンソン。最後に「What’s going on」の達郎カヴァーが流れる。あの穏やかなようで脈動の高まりを感じるビートを、偶然だが毎日感じている気がする。まるで地球が欲しているようだ。その後ずっと地図を見て、小説から見つけた古名の現在地を検索した。やはり「吉備津の釜」と「樊噲」は近くで並んでいた。その謎を解くにはしばし時間が必要。
 
某日、昨夕も三人連れを見かけたので朝六時半、チェックアウトに二階のフロントへ降りると派手なワンピース姿の妙齢の女性が出て行くところで、その筋のご職業の方であろうと見当はつく。フロントが出迎え班と電話でやりとりしていた。だがこちらのチェックアウトには領収書作成の能力がない、または権限がないらしい。どうなっていることやら。郵送してもらうことで落着。
駅は店が開いていない。駅ビルのよくわからないフリースペースにたむろする人々がどこかで贖ったものを食している。七時にはパン屋のイート・インが開く。そこで私も薬とパンを体に入れる。七時四十分の宇野みなと線に乗車。やはりくすんだ黄色い三両編成には通学客が多く、四、五十分かけておそらく私学だろう学校へ通う。大変だと思う。宇野駅を出て乗船桟橋まで割と距離があるが、時間ギリギリ。瀬戸内のだいたいどことも似たような高速艇に乗る。隣の豊島の二つの港に寄港したのち、小豆島土庄港に到着。高速艇用の桟橋とフェリー用が三つほど、少しずつ離れて位置しており、切符売り場は二箇所、帰りは迷うことになるか。予約を入れた港で最も大きなホテルに荷物を預け、東京にいる間に見た地図の記憶を頼りに、目的地へ。
笑ったのは自転車を借りようとして場所を告げると、道が狭いから使わないほうがいいと断られたこと。しかしテクテク歩いて意外にすんなり到着した。言われるほど道が狭いわけでもないが、確かにそこは路地の奥、西光寺南郷庵という墓地の横の建物、大正十五年四月七日に俳人・尾崎放哉はここから昇天した。放哉記念館。これが今回の旅最大の目的地であった。
 

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路地は「迷路のまち」と名指されて宣伝になっているほどそのような道の集まりだった。珍しく迷いかけながら西光寺へ。ここにも放哉関係の石碑など。
海辺まで歩く。何もない。港へ戻って昼を食す。「ひしお丼」なる海鮮もの。ひしおとはオリーブオイルともろみと胡麻油の混ぜたもので「醤」であり、醤油がわりに刺身につけるもの。まあまあ美味。
お茶をしながらうとうとしているうちに、高松からのフェリーでホキモトが来る。港でレンタカーを借りてとりあえず島一周。レンタカー屋のご主人、面白し。天候よろしからず、されど本降りにはならず。かの有名な「二十四の瞳映画村」へ行くが、時間的に閉館間際のため断念。余ったので、と売店でいただいたソフトクリームだけ食す。
その後反時計回りで島一周制覇。特に感慨はなし。
ホテルにチェックインし、晩飯後にはもう眠く、風呂も入らずダウン。
 
某日、遮るものもないが故に昇った陽光が直射しないようホテルは若干ずらして建てられたようだ。朝餉ののち、出発。ホキモトは放哉記念館へ、私は図書館横の資料館へ。「迷路のまち」で道に迷いそうになったホキモトが脱出して合流、一路山を目指し、二つの農村歌舞伎舞台を見学。大鹿村を想起。ある種のファンタジー空間として有効か。殊にそこで行われるという「デク芝居」に惹かれる。さらに山間部深く分け入り、寒霞渓へ。本当に乗って降りてまた乗って、というだけのロープウェイがあって、風景は美しいことこの上ないが、本当にそれだけだった。一億円のトイレというのがあったけれども。少し降りたところに猿がいるという場所もあったが、さすがにちょっとパス。山を降りて再び南西部へ。図書館でいくらか調べ物。もっぱら歴史関係で、それなりの収穫あり。「迷路のまち」を見下ろす高台に昇った後、ホキモトが見つけた「江洞窟」という場所へ行く。小豆島八十八ヶ所の札所の一つ。パワースポットしてかなり有名だそうで、ホキモトは蓄膿症に効くとかで拝んでいた。これで全島完全制覇。
レンタカーを返そうと営業所へ向かうと途中で見知らぬ朗らかそうな女性に声をかけられ、ホキモトはあっさりキーを渡した。まるでゼメキスのスパイもののような展開だと後から首を傾げるがもう遅い。ホテルに戻り、近所の素麺屋で遅い昼食。風呂に入り、しばし休憩してから夕餉。再び「ひしお丼」。さすがに二日連続だとね。
疲れが出て、さっさと眠る。
 
某日、図書館で見つけた資料的価値のかなり高い『小豆島の放哉さん』という書物を、起き抜けにアマゾンの中古で発見。即ゲット。朝餉をいただき、フェリーで小豆島を後にする。
高松行きのフェリーはこんな感じのイラスト入り。
 

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放哉に出会ったのはたぶん小説を書き始めて担当編集者という方々と色々話していた頃だと思う。「咳をしても一人」がずっと引っかかっていた。それ以前からあちこちの島に興味があったが、放哉と小豆島が結びついたのは多摩美の頃のはずで、だからこの旅は実現するまで七、八年かかった。さらに宮本常一や網野善彦から瀬戸内の海洋交通の可能性に興味を持ち、それが結びついた。鎖国に関する近藤等則氏との会話にもヒントがあった。
国の外へ繋がるその瀬戸内の海と島々をフェリーからじっくり観察し、また宇野から岡山、さらに大阪へ。文楽を見るということを考えたのはこれもかなり以前、秋成『春雨』研究の途中で、そうして同じ頃に政治による文楽迫害の危機が言われ始め、それゆえにいつか見なければと思うようになった。ホキモトが電話すると「予約されなくてもお席は十分あります」と哀しいお返事、それでホテルに荷物を預けてすぐに国立文楽劇場へ。近松『国性爺合戦』がどういう話か不勉強にして知り得ず、何やら赤やら白やらが川を流れて、というのが『椿三十郎』で引用されているということだけ知っていたのだが、五輪騒ぎのさなかあまりにウルトラライトなこのネタを今月の出し物に選んだ真意を測りかねた。とはいえ、瀬戸内からの繋がりとしては当然か。で、その『椿三十郎』場面を見たかったが、ホキモトがあまりに退屈そうだったので途中でやめて飯にした。難波で焼肉。あまり冷静な判断はできかね、早々に退散。パンデミックへの懸念もある。人混みがあまりに多い。路上喫煙人口も相当なもの。いまこの街を覆うのは手に負えないほど巨大なニヒリズムではないか。
それにしても足が痛い。甲といい脛といい足裏といい、筋肉痛でガッチガチだ。急に動き出したのがよくなかったのか。しばらく休ませつつ、自転車を再開しよう。
 

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夜更けにもう一度『ストーリー・オブ・マイライフ』。本作を貫いている感情は失うことの辛さである。そして言うまでもなく、人生とは失うことの連続だ。この辛さを克服する方法は、昔からただ一つ、別の形で記憶を残すことである。矛盾したような言い方だが、人生にできることはそれしかない。ただ、これは復讐ではなく、ささやかなお返しである。捧げ物と言ってもいい。そしてここでも記憶に残るのは笑顔ばかり。この作品とともにこの春が開いた気がした。
 
某日、旅も最終日だが朝餉はホテルから徒歩五分、大阪うどんの店「松屋」で肉うどん生卵乗せ。正直、旨かった。資さんとはまた違う、王道の関西うどん。もちろん安い。大阪人がどう言うか知らないが、これはおすすめであり、今後大阪出張ならなんば泊で朝は「松屋」が定番と考えたい。
十時にホテルを出て、御堂筋線で新大阪駅へ、構内のカフェに寄ってから新幹線。到着した品川駅はなんとなく騒然としていた。港南口の改札は駅員によって閉鎖され、高輪へ回された。ホキモトは明日渋谷wwwでライヴ映像の撮影とのこと。
帰宅して一息入れていると、某清涼飲料水の新作CFがネットにアップされており、多幸感と万能感の満載されたそれを一瞬美しいとは思うものの、やはりいまこれと組することはできないというか、それはあちら側のものだと考えた。あちら側、というのは聖火を掲げて宣伝カーを走らせている連中のことである。
領収書を郵送する予定の岡山のホテルから届いていないので電話すると、発行できないと断りが入る。Booking.comの手数料の関係らしい。Booking.comのサイトからプリントアウトしなくてはならない。なんとなく釈然としない。
夕餉にハンバーガーを食したが、重くてもうこういうのも無理かと老いを感じつつ、すぐに眠りこけ、また夜更けに目覚めた。そうして今年のこの、映画はいいなあ、と喜びに浸るのは何年振りかと考えた。『マリアンヌ』や『パターソン』『ダンケルク』などを一気に見たのは四年前で、つまり四年に一度やってくるのはオリンピックだけではない。
 
某日、まるで国内旅行なのに時差ボケか、というような状態で、深夜に何やら起きて明け方眠り、しかし午前五時に犬が吠え、そのままいつも通りの朝の支度をして、家族での食事を済ませると再び横たわり、気づけば午後一時、というような。その間に夢か現か曖昧な夢を見ていて、午後じゅうぼんやりとした空気の中にいた。
その深夜起きた際に『グレイス・オブ・マイ・ハート』を見て何とも知れぬ曖昧な気持になったのがケチのつけ始めかどうか。どういう過程を辿ってこうなったものか判断つきかねるが、ブリル・ビルディング時代から始まるキャロル・キングがモデルなのはロールの終わりに「For C.」とあることからも明らかで、しかし本人の名前も本人の楽曲も使えないとなると話が進むにつれて観客は戸惑うばかりだろう。だが、たぶんドン・カーシュナーがモデルであろうジョン・タトゥーロ(好演!)を責めつつ泣き崩れるプールサイドの場面など、いいところも多い。パッツィ・ケンジットのやったシンシア・ウェイルとの共作でブリジット・フォンダのやるダスティ・スプリングフィールドの歌を吹き込む場面もいい。マット・ディロンのやったのはブライアンなのか、テリー・メルチャーなのか、二人ともキャロルとは関係ないし自殺もしていないしブライアンは生きてるし、だけどこの役作りは悪くはない。これは世代を変えた『ロング・グッドバイ』のスターリング・ヘイドンだ。とはいえこういう六〇年代末にこじつけたような奇天烈な設定を方向付けたのは誰かといえばそれはプロデューサー以外になく、自ずと戦犯が見えてくる。考えてみれば冒頭、編集のクレジットを見たときから悪い予感はしていた。しかし本作がどうあれ、今一度キャロル・キングとその周辺について知りたくなり、当時高くて手の出なかった自伝を結局贖った。
夕刻にダニエル・ラノワ新譜『Heavy Sun』届く。ハモンド押しのソウルオペラか、現代の『ポーギーとベス』か。安定のドラムはブライアン・ブレイド。女性ヴォーカルが足りないのが残念。これで美奈子さん聴こえてきたら鳥肌もんだが。
さらにようやく届いたシナトラ&ネルソン・リドル『Close To You』はただ身を委ねるだけに尽きた。ある時代のアメリカ音楽の到達点ではなかろうか。
 
某日、午前五時前に犬は毎日私を起こしにかかる。女優が早朝出発につきどうせ起きる必要があったのだが。しかし足がさらに悪化、足首が機能失調。温めろ、と靴下を出してくれた女優がさらに簡易カイロをくれる。靴下二枚重ねで保温。天気はいいが急激な寒気によるものである可能性は高い。旅の間、ハーフパンツでうろうろしていたのがまずかったか。
午前中は久しぶりに『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』を見る。たんに元気が出るのだ。未見のエキストラシーンでリック・ホールとスワンパーズによる昔話がいい。自分の死の光景までスタジオと重ね合わせて喋る。これを見るといつも川と音楽の関係を「かむかふ」。もしも小倉にいた誰かが紫川のそばで、あるいは若松の誰かが遠賀川のそばで、こういうスタジオを立ち上げていたらどうだったのだろうか、と。その可能性はあった。しかし「東京に行かないと」「上京しないと」と考えなかった者は誰もいなかった。地元にそんな可能性を求めるよりさっさと出て行った方が早かった。何しろ金がなかった。あるいは金の使い道を知らなかった。金よりも才能と、聖霊の声を聞く心が必要だった。自前の場所でそれをやってみせたリック・ホールは、あるいはサム・フィリップスは誰よりもクリエイターだ。心から尊敬する。
テイ龍進より焼豚、届く。何度目か、これはうまい。毎日楽しみだ。
キャロル・キング自伝、届く。いきなりローレル・キャニオンから読み始めてみた。
大河、そろそろ動きがあるかと思い、見る。斉昭の竹中さん、この臨終の芝居は大瀧さんへのオマージュか、悪くはない。
といったところでサンソン。ポンタさんの追悼。結局その後文春オンラインの達郎インタビューで言及される音源をYouTubeで聴き直す。現在のようにシティポップと呼ばれる音楽をよしとする感性に若い頃恵まれていたら、人生少し変わっていたかもしれない。
一眠りして深夜、YouTubeでパラジャーノフ『キエフのフレスコ画』。スタンダード、2トラック、正面性の冒険。永遠のごとき十三分。
 
某日、相変わらず寒くて天気の安定しない日。病院で採血。昨日は大阪から四日目、つまり潜伏期間終了でなんとなく熱っぽいような気がして早々に眠った。昼間は『共喰い』残党の集まりがあり、お茶をした。夜になって徐々に体調がおかしくなっていき、とうとう、と覚悟して眠ったのだが、起きたら何ということもなく、ただ左足首だけ相変わらず痛む。
特に何もする気にならず、今後の予定を立てながら時間は過ぎていく。
夕餉の後『レディ・バード』。完璧なほどオーソドックスに作られたアメリカの青春映画。その揺るぎない中庸ぶりは朝の空港を飛び立つ飛行機からの実景で頂点を極める。これしかないという天候を選んだことこそ、真っ当な映画作家の証である。グレタ・ガーウィグはおそらく本作の編集中にシアーシャ・ローナンをどう撮ればよいか発見したのだろう。その発見を喜び、祝福するように飛行機は左斜め上に向けてグイグイ上昇していく。他愛のない一地方都市であるサクラメントのJKを描いていた映画は、ふとヒロインが家族と離れて東海岸へと向かうと決まった途端、そのこと自体さして珍しい状況でもないけれども、あらゆるごく瑣末な問題をあっさりとチャラにする程度には震えを伴って展開し、そうしてキャメラは上述の通りグイグイ上昇していくのである。一切の解決は父親がそっと娘の旅行鞄に忍ばせた封筒に入った紙束に導かれるのだが、それは第二作『ストーリー・オブ・マイライフ』への布石でもあるだろう。その冒頭、生まれようとする作家から古強者の編集者へと託される原稿は、父から娘へ渡された紙束を首尾よく継承したわけだ。そのとき新人映画作家は聡明にも金銭を匂わせることを忘れなかった。紙束は出生証明書であり、己の存在を世に知らしめるパスポートであり、そして契約書でもある。ちなみに編集者と父は同じ俳優が演じている。ここにおいて本作は西部劇もフィルムノワールもシチュエーションコメディもミュージカルもメロドラマもすべて巻き込んだ映画そのものとして輝くことになる。ガーウィグが選んだストロングスタイルが正当に評価されるべきはこの点においてである。何はともあれ「そいつを見せな、あるんなら信用してやろう」とこちらに言わせる何かがそれである。どこそこの大学を出たとか、誰々ちゃんとお友達とか、誰々のお弟子さんとか、そういうことはいいからそいつを見せろ、と運転席から言われてできることは、鼻先にそいつを差し出すか、ドアを開けて路上へ己が身を投じるか、助手席にいたらどちらかしかないのである。ガーウィグは最初の二本でその両方をやってのけた。さて、次はどうなさるおつもりか。つくづく楽しみになった。
 

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『レディ・バード』

 
某日、そりゃもちろん『俺たちの明日』があったり『卒業白書』があったり『今夜はトークハード』があったり『ゴーストワールド』があったり『天才マックスの世界』があったりするのだから青春映画の傑作はいつの世にも事欠かなかったけれども、地味ながらそれらと並ぶまたは頭一つ抜けかねない『レディ・バード』の記憶に一夜明けてなお浸っている。
ガーウィグの勝因は年配者を含めた俳優部の層の厚さにあり、とりわけシアーシャ・ローナンというアイルランド系の天才少女との出会いが決定的と思われる。彼女の図抜けた運動神経のよさ、極彩色の表現、活発/不活発の緩急自在は天の与えた恵みである。願わくばジェニファー・ローレンスのように特撮系アクションで消費されぬことを。もちろんジェニファーだってスカヨハだってまだダメになったと決まったわけじゃないが。
余計な心配をするよりもう一つガーウィグ作品の魅力をいえば、その存在たちが芸能または芸術の腕を持っていることである。メイキングを見ると彼女はインタビューでしばしば「その方が現代的」という言い方で自らの選択を理由づけするが、存在たちが女に限らず男も含めて芝居をしたり楽器を弾いたり踊ったり歌ったりするのも「現代的」、というよりは「若々しさ」というものだろうか。この「若々しさ」には特に時代は関係ない。ただ存在たちが生き生きしているのを見るのが我々は好きなのだ。どうでもいい比較だが、あらかじめ死の影に汚染されたような『タイタニック』の数少ない見せ場は船底のダンスシーンと楽団の演奏だった。あれを思い出してもいい。私はたぶんオーディションで歌うシアーシャの歌を一生忘れないだろう。
ところが、というものを見たのだが……
届いたのは昨日だったろうか、いわゆる十本くらいを1パックにした廉価ボックスにフォード『ドクター・ブル』を見つけ、字幕付きは見ていなかったので少し前に注文していた。で、見始めたのだが、勘違いしていて中西部の埃っぽい田舎町かと思いきや、田舎は田舎でも雪の積もる北東部、汽車は「次はニューへイヴン」と言っているからボストンに近いあたりである。休みなく働くブル先生を町中が攻める、味方はごく僅か、とはいえギスギスしすぎずあくまでそれなりに牧歌的。若きアンディ・ディヴァインがその後と同様にひたすらうざい役(ウエイター)で登場。それはいいんだが、ある血清を開発しそれに成功した後、死んだ友人の未亡人との仲に決着をつけようとするブルと未亡人の会話が、いわゆるアメリカンサイズの2ショットで持続する、その芝居の間合いだけで心から感動し、昨日から今朝にかけてのガーウィグ旋風は何だったんだ、フォードがいつも通り全部かっさらっていく、といった状況で、ひたすら呆然とする。ウィル・ロジャース三部作の中ではやや劣るなんてナメていた。さらりとやってのける凄技でいえばダントツかもしれない。
降り続く雨のせいか足首が痛くてかなわない。おまけに持っていた『小津全日記』が見当たらない。何か気分を変えるべく読むつもりで家探ししたが。誰かに渡してしまったか。しかし「ユリイカ」の13年臨時増刊を見つけ、収録された丹生谷貴志氏の文章を読むと、ここ数日頭にちらついていた『戸田家の兄妹』のラストショットが描写されていて、何だかちょっとホッとした。
 
某日、小津のことを「かむかふ」ていればフォード沼で日々拘泥することもなかろうなどと高を括っていたが甘かった。気づくと『サブマリン爆撃隊』をデッキに入れている。そうしてこの1decadeぶりの海軍ものの集大成を心から楽しんだ……で済めばいいのだがそうは問屋が卸さないのがフォード。冒頭からかましてくる。2カット目、海軍工廠の門前の前進移動からハンドル中心のクラクションを鳴らす手、クラクションの音に合わせたラッパの寄り、門前で水兵たち飛び退き……などの一連、これはもう現代映画である。奥に蒸気機関車を走らせるのは『ドクター・ブル』と同じ、轢かれそうになってもんどりうつ門番の軍曹の「起き上がって首振り」はデュークと同じ。八分ほどで駆潜艇に着任するが、その間にタバコの火のやりとりで船長、車の行き違いでヒロイン、ついでにその連れのジョン・キャラダインが紹介され、さらに主人公のプロフィールが新聞記事になって現れる。リチャード・グリーンは、タイロン・パワーとエロール・フリンを足して二で割った感じの二枚目だが、こちらが知らなかっただけで、ロビン・フッド役で有名な方。大戦を経てイギリスに活躍の場を変えたせいもあるが偉大な俳優であるらしい。実際、ただの二枚目ではなく実に見事に演じている。そうして喧嘩の強すぎるジョージ・バンクロフトやヴェテランすぎるJ・ファレル・マクドナルド、ジャック・ペニックもワード・ボンドもスリム・サマーヴィル(股間に隠した酒を割られるギャグは『ドクター・ブル』のディヴァインに続いて)もいる。ウォレン・ハイマーは『海の底』以来。生きていたら『荒鷲の翼』でもぺニックと並んでいただろうに。イライシャ・クック・ジュニアがフォードに出ていたとは知らなかった。一本きりのようだが「教授」と渾名されるその役柄、見張り台から双眼鏡で潜水艦を探す佇まいは『ジョーズ』のドレイファスに継承されただろう。そして泣き虫ルイジのヘンリー・アーメッタが絶妙。こんな面白い人なかなかいない。とまあ、かくしてフォードの集団劇は十年一日のごとく形成される。この辺が完成形でその後三十年はこの持続ということだろうか。
ところで。優れてフォード的主題である「自己犠牲」だが、ここでほとんど帰還の見込みのない作戦に乗員全員(コックだけ曖昧)が志願するのもそこへ繋がるが『ドクター・ブル』の献身ぶりも壮絶で、言うまでもなく『荒野の女たち』に至るまで医者という特権的職業をフォード的世界は有している。そうしてその特権は周囲の無理解を前提としている。だが彼らは救済を当然とし、フォードの言葉を借りるなら「人間として目覚める」のだ。『サブマリン』の艦長をはじめとする乗員たちもそのように描かれる。たとえ結婚を決めていたとしても命を賭けることについて主人公も医者と変わりはない。沈めた潜水艦の乗員のために全員が敬礼する。それを見せるのもフォードのやり方である。
話を戻すが『サブマリン』で最も驚嘆し呆れもしたのは、着岸中の甲板での撮影である。当然セットだとは思うが、まるで実際の海上に停泊中であるようにゆらゆらと揺れている。キャメラを揺らしているのかセットか判然としない(あるいは合わせ技か)が、その揺れが実にリアルというか、見事だ。撮影アーサー・ミラー、美術は『最後の一人』も担当したフォード組常連ウィリアム・ダーリング。
夜半、夕刻届いた『小津安二郎全集』をパラパラ、付録の小冊子に収録された井上和男「私的小津論」読む。
 
某日、シアーシャ・ローナンにあまりアクションなどやってくれるななどと書いたが、今日来たAmazonの広告を見てすでにおやりになっていると知った。まあそんなもんだ。
先日岡山のホテルで見かけた「その筋のご職業の方」と書いた方々のその職業が裁判で「国側」から「本質的に不健全な」ので「給付金支給を国民の理解を得ることは困難」と言われたそうだが、私はそのときもいまも今後も職業蔑視を一切持ち合わせず、法というニュートラルな場に特定の価値判断を持ち込むことにこそ度し難い不健全さを感じる者である。
そしたら上野のストリップ小屋が公然猥褻で逮捕と。このご時世に営業停止でなく逮捕の意味がまるで分からない。見せしめにさえならないだろう。
相変わらず足の痛みが治らず、うんざりした気分のまま『世界は動く』。米南部と第一次大戦の欧州戦線を行き来する百年の年代記。スケールが大きすぎたか、どうにも散漫で、フォード自身全面降伏的な告白。どうせなら三時間くらいの大作にしてしまえばよかったか。ひたすらマデリーヌ・キャロルの美しさに見惚れるばかり。ここでもまだ切り返しの手法に慣れていないフォードとジョージ・シュナイダーマンの同軸によるサイズ変更の試行錯誤が続く。ワンショットになるとその方向性(視線というか顔)の定まらなさが元のフルサイズに戻しづらくする。これを払拭するには撮影角度を変えねばならず、そのためにライトのポジションを変えねばならず、それには撮影所の構造をリフォームせねばならない。というわけで時代は変更を余儀無くされる。かくして本作のリベンジを『リバティ・バランス』で果たすのだが、あの仕掛けにそのような曲折ありとは穿った見方か。潜水艦攻撃に始まる欧州戦線はあの手この手で奔放に疾走。サブキャラとして我らがステッピン・フェチェットも活躍。『ドクター・ブル』にもあったが、雨の降らせ方がまだハッとするような定着の仕方に至っていないか。一度、この時期のフォードの、嵐を含めて雨だけに特化して考える必要がある。
夕方、「週刊読書人」掲載のJLG最新インタビューが読みたくてあれこれ。ちょっと鈍い驚きだが、ゴダールも映画作家と医者は似ている、と。驚くべきでもないのか。それにしても読みながら奥村昭夫訳を思い出す。あの訳で読み続けたゴダールはあの口調なので、これは新しいものが良い悪いではなく、たんにどこか居心地が悪くなってしまう。
しかし「結局フォードと小津とゴダール」にまた戻ったのは如何なものか。
夜更けに他人事とはいえ非常に悪意のこもった批評(とはいえない悪口)を読んでうんざりする。教養を欠いた呪詛の言葉ほど胸糞の悪くなるものはない。
清水邦夫氏、若松武史氏の訃報。
 
某日、昨日も今日も降ってこないまま晴れ間のない状態が続き、これまたうんざり。足の痛みにはロキソニン貼り薬が届いたが、あまり有効ではない。体調が悪いと全てを諦めて眠りに入るので、それだけはいい。でも明け方の夢を思い出し、それもチャラ。本当の悪夢。
少し前は右手指の皮膚がボロボロでそれはどうやら治ったが、今度は左目と両耳の周囲がボロボロになっている。撮影中助監督七字から教わったココナッツオイルを再びつけているが、どうなるか。足といい、末端にガタがきているようで、これも年齢の問題か。
外出したかったが、足の痛みと午後とうとう降ってきた雨で断念、以前から見たかった現代潜水艦映画のうち『レッド・オクトーバーを追え!』。これは助監督の頃に公開され、仲間内で『クリムゾン・タイド』としばしば比較された。評判は圧倒的にこちらが上で、もちろんコネリーファンにはたまらないわけだが、どちらも時が経って二番館で見た私は何かまだるっこしさを感じてあまり感心しなかった。もちろんコネリーは良くて、米艦に乗ったライアンの「読み」に気づいていくあたりの表情など素晴らしいのだが、何しろ冒頭の様々な前提の説明がうるさい上に「あらゆる潜水艦に乗り移れる小型艇」というのは成立するのかと不審に感じられたことを記憶していた。それらは今回も払拭されなかった。ただ、マクティアナンか脚本家が『サブマリン爆撃隊』を見ているかと思ったのは、工作員とミスリードのあった赤いツナギの乗員がライアンに煙草を勧めて火をつけてやるのと、真の工作員がコックであったことで、『サブマリン』のコックは別に裏切り者ではないが少し浮いた存在だったことは確かだから。あと、米戦艦に救助された乗員たちが水中の爆発に気づいた後全員が脱帽するのも似ていた。それはそうなのだが、やはり問題はリアリズムであって、精密に艦内を描くのはいいがキャメラポジションは難題で、カット割れるたびに撮影角度が変わる。これだとどこだかわからなくなると危惧したが案の定、そこがどこかという点においては精密さが放棄され「そこは気にしない」がお約束になっている。
一方の『クリムゾン・タイド』だが、記憶に混乱がある。これは95年公開で、両者を比較した仲間内(助監督)の話というのは監督になってからのことだったかもしれない。それはまあいいのだが、冒頭はCNNの映像で、これがリリースされたのはいつだろうか、二〇〇一年に『月の砂漠』の冒頭をああしたのはこれの影響が強かった気がする。で、調べたらDVDは最も古くて二〇〇二年なので、当時参考に見たのはレンタルVHSだろう。で、五年後ということもあり、『クリムゾン〜』チームが『レッド〜』を研究しなかったわけはない気がする。で、同じ問題に気づいたのではないか。狭い潜水艦の中で撮影角度や移動によって場所が混濁するとかいうことだ。そもそも判然としないものをどうするか。トニーさんは色分けと縦で攻めることにした。つまり通信室は緑、ミサイル室は赤、本部はノーマルとか。縦については上下も奥と手前も両方を使う。フリッツ・ラング的に素通しの階段の昇降をクレーンで追う。いわゆる縦構図には望遠を使う。これは我らが清水剛デザイナーも『ローレライ』とその前のCM撮影の際にこだわっていた。潜水艦は望遠で感じが出るんだ、と。ところで、二本は同じ冷戦ものながら劇の構造がまるで違っている。『レッド〜』はソ連崩壊前のチェイスが基本、『クリムゾン〜』は崩壊後の米側における内ゲバで成り立っている。これは前者がやや遅れてきた八〇年代の、後者が『ミッション:インポッシブル』に一歩先駆けた九〇年代ハリウッド映画であることを表している。その意味でもトニーさんに映画ファンを喜ばせる素材というのはあまりないかもしれない。『レッド〜』には聴覚の優れたソナー係(ジャック・ブラックが『エネミー・オブ・アメリカ』で似たような役をやる)が出てきたが、ああいうネタは初めの方の映画クイズじゃないけどグズグズになって終わる。そういう部分もトニーさんを贔屓にする理由だ。とはいえ、ジェイソン・ロバーズの謎がある。ラストに唐突に登場して、次の『エネミー〜』では冒頭いきなり殺される。しかしノークレジット。個人的に親しかったのか。ジーン・ハックマンの紹介ならこの二本の意味はわかる。そして、特にここが、というわけでもないのにどこかに惹かれ続けるのは、トニーさんの人柄なのだろうか。久しぶりにトニスコ祭りをやりたくなる。
 
某日、早朝からTVerで昨夜放送された『コントが始まる』初回を見る。ベストの四人ではないか。コロナヴィジョンとでも呼びたくなる異常に人気のない画面にもすぐに慣れたし、内容に即している気がする。就職とか実家とか運動とか暴走族とかバンドとかスポーツとか色々あった「青春の終わり」ものだが、今後この芸人というハコも加わるだろう、というか芥川賞からの流れが本作で確立したか。しかし元は当然「浅草キッド」。それには四十過ぎまで描かなければ結着は見えない。
VDP『東京ローズ』『ムーンライティング』届く。正に細野さんの親戚。
午後、女優とともに渋谷へ。足が辛いのでタクシー。「韓の食卓」でランチ。「老境に向けて夫婦の趣味を持つこと」について語るのだが、見事に「やりたくないこと」の共通項の方が多く、「やりたいこと」はだいたい一人ですることと判明。仕方ない、お互いそうやってこの歳まで生きて来たのだ。ふと私が二人でマッサージに行きたいと提案、かつてはしばしば二人で出向いていたが、私が呑み過ぎると無理なので行かなくなった。酒を辞めた今、手始めとしてそれが通過。早速予約を取る。パルコまでは途中薬局に寄るなどして牛歩。満を持して、浅野忠信個展を見学。毎日SNS上で新作を見ているが、原画がやはり小さいと感心する。ますますそういうもんかと思う。でかい絵を描くというのは恐ろしい時間がかかるのではないか。もちろん版画も悪くはないが手書きでどうしても欲しいものが何点か。女優は盛り上がって動画を撮影していた。ロンTとトートバッグを贖い、ホテル・コエでお茶。レコード屋を物色してからユニクロで夏の買出し。予約した恵比寿のマッサージへ行き、足の治療を試みる。全身が鬱血していることが揉まれる度にわかるほどだ。鍼を試すと激痛が走り、今まで一度も痛かった験しがないので驚く。というか足はかなり悪いということ。あと、左足と右耳は直結していることがわかった。わかっても何かいいことがあるわけではとりあえずないのだが。帰りもタクシーを使った。非常に疲れたので横になろうとすると発熱の模様。ラジコでサンソン(ポンタ追悼パート2)を聞きつつ、眠る。
 
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某日、じんわりとした痛みと違和感は残るものの、足はかなり改善された。今日いっぱい休んで、明日は伊豆に動けるだろうか。
しばし無為に過ごしたのち『キラー・インサイド・ミー』を久しぶりに。あまり思い出すこともなかったのだが、何となく気になって。しかし始まってすぐに強い嫌悪感とともに記憶が蘇り、これはやはりジム・トンプスンだから、今はもう作られることのない映画だったというところまですぐに辿り着いた。たんに女性に対する暴力がひどい。で、放火。これだけで少なくとも日本では無理だ。でも自分の感覚は当時の方がまともだったのではないか。Me Tooやらジェンダー平等やらの十年を通過したいま、この描写を冷静に分析している。かつてなら一撃とは言わないまでも二、三発ほどで死に至らしめただろうに、わざわざ体格の良くないケイシーだから気の毒なくらいに殴打は続く、といった具合に。タブー化されたいまの方が、却ってクールに考えられるのはなぜか。脇のイライアス・コテアス、トム・バウアー、ブレント・ブリスコーがそれぞれ素晴らしい。三人とも長いこと見続けて来た気がするが最近も元気だろうか。さすが、ケイシーは彼らの実力をしっかり認識していただろう。こういう役柄を造形するには俳優の協力が不可欠の気がする。彼らが自分のキャラクターを完全に把握していればテスト何回かでできるはずだ。ただし原作なしでここへ達することは至難の技。素晴らしさのほとんどが原作の通りである。そこにジム・トンプスンの天才が輝いている。
 
某日、昨夜は夕餉を作る間に全身が痛み、食べても痛み、ダウン。深夜起き出し、Pの面々に泣き言のメールを書いた。ちょっと締め切りを一週間伸ばしてくれ、と。本来なら数日前に伊豆に移動してまとめるつもりだったが、この足では、腰では無理。脚本書くのも体使うし空間も使うのだ、机と座布団あれば、なんていうわけにはいかない。
寝起きもひどくて、ぱるるが吠え始めても体がいうことを聞かない。やっと起き上がれたのは六時過ぎ。揉み戻しというのか、それが大きく来た感じである。
午前中に義母が区からのワクチン接種のお知らせを持って来たので読むが、簡単には理解できない。何をどうすればいいのか、簡潔に書いている箇所は一つもない。よくあることだが説明は何枚かに分かれて把握しづらい上、何かを書き込む用紙とごっちゃになっており、肝心であるはずの認識番号のようなものの文字が非常に小さい。私同様、義母も理解できないでいるから、とりあえずこちらで予約しておくと伝える。しかし家電の取説や役所の伝達などの文章はどうしていつもこうわかりにくいのか、作り手たちの様子が知りたくなる。だれかが言っていたが、これらは理数系や法律系の人々が書いており、彼らにはわかり易さより分業や効率が優先されるのではなかろうか。結果、わかりにくくなる。それでよしとするのがなぜかは知らないが。いいわけがない。分からない高齢者は途中で諦めるのではないか。まさかそれ待ちか。
午後は、昨夜女優が再度予約してくれた行きつけの鍼灸院へ。靴を脱いだり履いたりも苦痛を伴う状況だが、どうにか到達。鍼を打たれ、電流を流し、全身をマッサージされるとあら不思議、今まで曲がらなかった足首が動く。もちろん痛みが消えたわけではないが、自力で曲げられる。一時間半やってもらって帰りはほとんど普通に歩けた。スーパーで買出しし、帰る。さすがにまだタクシー往復だが。
夜、なぜか「どうして『晩春』で小津は野田とのコンビを復活させたのか」が唐突に気になり、色々文献を漁ってみるが判然せず。小津は戦争と地続きに『長屋』と『牝鶏』を撮っておかなければならないという考えがあったのかもしれない。つまり問題としての「戦災孤児」と「復員」。戦前戦中を通じて組んできた池田忠雄、松竹の売れっ子斎藤良輔とその二つをやって気が済んで野田、という流れは『カレンダー』『オンド』をやって『ロンバケ』で松本さんに依頼する大瀧さんと重なる。あるいは逆に、大瀧さんが小津に見える。満を持して野田と組むのは王道を目指したからであり、王道をやるなら野田という読みが小津にあったのだろうか。三五年『箱入娘』以来十四年ぶりというのは、当時の感覚で長いのかどうか。間に戦争があるのだから。
 
某日、昨夜レオス新作『アネット』の予告で盛り上がり、カンヌ審査員長がスパイク・リーと聞いてさらに盛り上がり、しかし世の中そんなにうまく行くわけがない、と複雑な心境のまま一夜明けて足の状態など確認していると、モンテ・ヘルマンの訃報が。しかしそこに記された享年九一歳に微妙な違和感。一九三二年七月一二日生と記憶していたので、九〇歳は来年のはず、ということでIMDbを見るといつの間にか一九二九年生となっている。カサヴェテスと同年齢? トリュフォーでなく? たった三年の違いだが、それは三階級特進という常套句が思い浮かぶほど印象が変わる。しかし今考えるとそちらの方がしっくり来るかもしれない。『EUREKA』のバスの運転練習のシーンは『断絶』からの引用。シネ・ヴィヴァンで『断絶』を見ていなかったら『EUREKA』そのものがあったかどうかわからない。自分のこととは関係なく、ウェルズばりの神出鬼没という意味でも世にも奇妙な偶然を起こし続けてくれた作家だったと思う。ウェルズといえば『果てなき路』についてメールインタビューした時、落下するセスナに関連して『ミスター・アーカディン(秘められた過去)』のことを聞いたのだが、彼は見ていないと答えた。あの後見る機会はあっただろうか。兎にも角にもありがとうございました、お疲れ様でした、モンテ・ヘルマン。デニスとJTとローリーのトリオは不滅です。
追悼ツイートに赤坂大輔がヘルマンとクレイマーの線がリヴェットに、という話を書いていたが、そうするとソフィア・コッポラにもハーモニー・コリンにも、そしてことによるとクロエ・ジャオにもその線は繋がっていると言いたくなる。そうやって映画の可能性を拡げていけるなら死者たちも悪い気はしないはずだ。
昼は銀行業務と買出しに出た後、昨日の中原FBに刺激され、ハッと気づいて『わが町』。これを見逃すわけにはいかなかった。いま見るとやはりこうした人物像については否定的にならざるを得ないが、時代を忠実に映すと当然、川島でなくてもこのようなことになる。尤もこのおっさん、作品内でさんざん批判されているのでお咎めなしということにもなりうる。ともあれ、三代通しでこの家族を見つめる殿山泰司と北林谷栄、そして小沢昭一が重要で、この視座と演技が年代記を締める。マキノの企画であった時の名残か、土手を走る人力車を追うキャメラが左から右へパンする間に戦争が近づき始まり終わり、タイトルが時流を知らせる。子供は大人になり、大人は老人になる。老けメイクの重要性を強く感じた。そして床屋。北林の髪結いの亭主ならぬ息子が小沢だが、たあやんはこの床屋の椅子で娘婿大坂志郎の訃報を知る。そのせいかその後それを知る娘の昏倒とともに喜劇的な省略として見ることもできる。この辺に川島の一種の厳しさを感じつつ『女は二度生まれる』の全てを包む陽気が想起される。ところでこの床屋のやりとり、手紙が来る→文盲のたあやん、隣の席の先生に渡す→一読して先生は小沢へ→小沢、見習いへ、という形で代読拒否の流れの中、視線は一度も交わされない。本作じたい「同じ方向を向いた人々」の話なのか、マラソン大会があり、たあやんと次郎坊の銭湯での潜り競争も、大人になった次郎の潜水夫の仕事も、そしてプラネタリウムも、そもそも人力車こそ、だれかと視線を合わせることの少ない環境である。ひとの事情を無視して生きたたあやん(旧弊な日本の男の価値観)を作った環境とまでは言わないが、それらはたあやんの死とともに消えていくのか、プラネタリウムに並ぶ子供らに受け継がれるのか、どうやら歴史は後者を選んだ気がするが。東急の屋上からプラネタリウムはなくなったけれども。
で、『ザ・シューティング』。『銃撃』という邦題でDVDが出ているが、意味が限定的になるのとあまり馴染みがないので原題で。久しぶりに見てもさして印象は変わらなかったが、好みなのは『断絶』や『コックファイター』だが出来は、というかヘルマンが真に評価されるべきは本作だろう。分からないものを撮ろうとして撮るというのは簡単なことではない。どこかに因果律というのは見つかるものだ。これも例外ではないと思うが、しかしどんな解釈を考えても馬の姿や砂塵の舞い上がり方の前に雲散霧消してしまい、全てどうでもよくなるほど魅了される。そして82分という尺の、勿体振りのかけらもないえもいわれぬ切れ味。後半戦で徒歩になった若手が老人に会うあそこだけ無駄ではないかと思われるが、まあ問題でもない。
しかし、だから続けて『ざくろの色』(アルメニア・ヴァージョン)か『コックファイター』どちらかを見たいのだが、一日二本が限界であるかのように睡魔に襲われるのが常で、足もやや痛くなってきたのでここらで再び横たわることにする。
 
某日、映画館も大変ではあるが、国だの都だのがどうしようもないのに輪をかけて民も自殺行為をやめようとはしていないという噂を聞くので始末に負えない。そういうわけでアップリンク渋谷が閉館を決定。これをさもありなんと思うか残念かは人それぞれだろう。私はどちらでもない。ただ未来をかむかふ。ユーロがあってアップリンクがあってライズがあった時代に勃興し全盛に至ったインディーズは、たぶん『アネット』が受賞しようとしまいと別の何かに変わっていく気がする。より細分化された状態はすでに始まっており、あるいはそれももう疲弊していると言ってもいい。再編成は今後どのように行われるか。
午前中、この日記今月分をまとめ、午後鍼灸へ。じっくりと揉まれる。結果、羽根のように脚が軽い。もうどこにでも行ける。
夕餉の後、何年ぶりかの『コックファイター』。カントリー調のアコースティックが同じ年の『サンダーボルト』を想起させて仕方なく、そうすると光まで似て見える。これが74年の、いや73年、フォードの死んだ直後の世界を覆った光だと。もう全ては還ってくることはない。もちろん若僧のように鶏が死んでも泣き喚いたりせずあっさり抛り棄てる。うっかり「忘れない」などと呟いてはならない。私の場合、それは堀禎一の記憶を掘り起こす呪文だ。ここでは誰も死ぬことがない。死ぬのは鶏だけでたくさんだ。そういう世界だから、最初は同調できていたものの価値とか世間一般の判断とかが、勝ち進んでいくにつれずれて行き、うまく掴めなくなる。まるで水中で何かを捉えようとしてできない夢をみているようだ。その最高潮がラストで、原作とは違っているが、原作者がこの異様な作品の脚本も書き、現場にまで出演者としているのだから、これは忠実な改変として見ていいだろう。何もこの男までたあやんのように自己完結の地獄に生きていくわけではない。女もまたこのおかしな世界の住人であるというだけだ。この逸脱こそこの作品の本来あるべき姿なのだ。けれど現実はいつも足に短い刃を付けている。それが技術か偶然か定かならぬまま急所を襲う。いずれにせよ一瞬の瞬きのような出来事なのだ。気をつけようもない。捉えようもない。
これから映画を作ることは、たぶんそういう覚悟とともにある。
 

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(つづく)
 


青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『こおろぎ』(06)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、『空に住む』(20)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)、自作『しがさん、無事?』(19)など。

近況:緊急なんとかが出たらどうなるかわからないというのがいまのご時世ですが、一応お知らせしとくと、4月30日(金)、シアター・イメージフォーラムにて川添彩(多摩美卒・昨年のカンヌ出品作)『とてつもなく大きな』上映後トーク、5月4日(火・祝)、ハーモニー・コリン『ビーチ・バム まじめに不真面目』公開記念トーク@DOMMUNEにそれぞれ参加の予定です。どっちも絶賛応援しているのでうまくやれるといいんだけど。