妄想映画日記 その113

樋口泰人による2021年3月1日~10日の日記。大阪・名古屋への久しぶりの出張、Amazon Kindleで発売された中原昌也さんの『2020年フェイスブック生存記録』、そして映画『水を抱く女』(クリスティアン・ペッツォルト監督)『星の王子 ニューヨークへ行く2』(クレイグ・ブリュワー監督)『パーム・スプリングス』(マックス・バーバコウ監督)などについて綴られています。
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文=樋口泰人


3月1日(月)
2月が短かったうえに月末が週末だったこともあり、通常の社長業務をうっかりしていた。朝から慌ててあれこれ。ニール・ヤング4枚組を聞き終わる頃におおよその作業が終わり、午後からは打ち合わせその他。夕方整骨院。腰はだいぶ回復してきたが、腰をかばって歩いていたためか右ひざがまずい。高低差次第だが、階段下りがつらくてサポーターを付ける。整骨院ではわたしより15歳くらい上と思われる女性が、もうこんな身体に付き合うのは嫌だと愚痴をこぼしている。腰も背中も肩も肘もつらいのだそうだ。いずれわたしもそうなる。帰宅後はPRINCE FAR Iで気持ちだけは空中にゆらゆら飛ばす。スティーヴ・ベレスフォード、デヴィッド・トゥープ、ヴィヴィアン・ゴールドマンといったnato、ニュー・エイジ・ステッパーズの面々が参加。

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3月2日(火)
午前中の仕事を終えて吉祥寺。バウスの社長の本田さんと会うことになっているのだがその前にピワンへ。1年ぶりである。この間、吉祥寺に何度も来ていたのに気が付くと1年。まあでもとにかくピワン。しかし店の前で看板を眺めて立ち去る若者カップル。なんとこの間で水曜日に加え火曜日も定休日になっていた。愕然とするがどうしようもない。そしてそんな目で見ると吉祥寺の火曜日の昼、人が少なくないか? いろんな店が休んでないか? とはいえ昼飯は食わねばならないので別のお気に入りの店へ。しかしランチメニューがない。緊急事態宣言下の特別営業となっている模様。したがって通常のメニューから選ぶことになるのだが、注文した料理の材料がなくてできないという。そしてそのほかにもできない料理があるとのこと。見回すとテーブルもひとつおきに使用不能になっている。ガイドライン通りにテーブルの距離をとっているので満席でも通常の半分以下。地元の高円寺や阿佐ヶ谷では見られない風景で、ただでさえ家賃の高い吉祥寺でこれをやったら相当きついだろう。そういえばこういった個人的な緊急事態の際には利用していたラーメンの「さくらい」もちょっと前に店を閉じた。表通りの寂しさは気のせいかもしれないが、吉祥寺の今を示しているように思えた。

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社長との会談後は先日亡くなったU-Royの持ってなかったアルバムを買った。今夜は追悼、と思って帰宅するとバニー・ウェイラーの訃報が流れていた。

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3月3日(水)
なぜか6時前に目覚めてしまい、眠れない。とはいえ起きてもボーっとするばかり。早起きしたのに損した気分なのだが、大人なのでもろもろの事務作業を。そして大阪に向かう。心斎橋のシネマートで月末から上映する『ロード・オブ・カオス』を爆音まではいかないまでも、劇場のシステムのみを使ってギリギリまで音量を上げてのロードショー。そのための準備である。久々の大阪。というかこの3か月間、ほぼひきこもりだったので、泊りがけでどこかに行く、という感覚をすっかり忘れていた。筋肉があっという間に落ちるように、こういう感覚もあっという間だね。爆音も同様。身体を音に慣らすのに時間がかかった。初めての場所だし。ブラックメタルの物語なので、とにかく低音とギターの轟音を、いつもの爆音機材ではない手持ちの機材だけでどうやって聞いてもらうか。今回は、ふたつのスクリーンの両方で上映するということもあり、最初に調整したデータをもうひとつのスクリーンに移してそのデータで上映して聴き比べながらやった。それぞれのスクリーンの機材の違いによる音の違いも含めて面白かった。結局低音ばりばり出しすぎて、アンプがレッドゾーンに突入。爆音機材ならまだ余裕の音量だが、劇場の機材だとそうはいかない。いたわりつつ、微妙に音量を下げ、しかしどうやったら迫力出るか、深夜過ぎまで作業は続いた。いやあ、久々で面白かった。十分に堪能。
実はその前にパキスタンに行ってきた。骨付き羊肉の煮込みが無茶苦茶美味かった。もちろんビリヤニもサラダも。また行きたい。

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3月4日(木)
引きこもり後の久々の出張と音の調整でテンションが上がっているのだろう、7時過ぎに目覚めてしまう。ゆるゆると起き上がり、モーニングをやっているカフェを求めてホテルそばをうろうろするが結局心斎橋駅近くになってしまう。そこでいつもの午前中の仕事を始めるわけだが、まあせっかくだからという気分になり鶴橋へ。心斎橋からは10分ほど。改札出た瞬間から焼き肉、キムチ、海鮮の渦。ああ、モーニングとか食ってないでさっさとここにきて寿司朝食とか食えばよかったと後悔するが、とにかくキムチを買った。どこの店で買うか? という迷いは当然あるのだが、気づくと前回も買って大変おいしかった店の前に出ていて、まあ、たまにしか来ないのに失敗はしたくないという最も保守的な、しかし偶然に任せた判断をした。白菜、梅、胡麻の葉、それからたらこ。という4種類。たらこのキムチは要するに明太子なのだが、まあ、これがうまくてね。それらをバッグに入れるとそれなりに腰への重圧がかかる。せっかくだから『パチンコ』(ミン・ジン・リー著)の舞台となった生野のコリアンタウンまで足を延ばそうと思っていたのだが、現状の腰では無理。また次の機会にする。その際は鶴橋在住の知り合いがあわび粥最高の店に案内してくれる連絡も来た。お楽しみは先延ばし。見張り猫に挨拶した。

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とはいえとにかくこの目くるめく食のカオスの中にいては腹は減るばかりである。しかし14時には名古屋にいなければならない。いくつかの選択肢が浮かぶ。
まず、鶴橋から近鉄に乗って名古屋。乗ったらそのまんまなので楽であるうえに、新幹線に比べて近鉄特急の椅子は座りやすいし安上がりである。だが2時間かかる。12時には出なくてはならないので、11時には店に入る必要がある。
2番目はこちらで食わずに今すぐ近鉄で名古屋に出て、名古屋食事。鶴橋ではキムチも買ったしそれでいいじゃないか。欲張らずにこのまま名古屋に出るのが無難。しかし名古屋で何を食うか? 犬山在住の友人からはあそこのウナギ屋の味見をせよという指定も来ている。
3番目は鶴橋で食事、12時30分前に新大阪に向かえば新幹線で1時間、ちょうど14時に名古屋に着く。しかし鶴橋で何を食うか?
そんな『孤独のグルメ』的妄想と夢想と野望欲望が渦巻いた挙句、鶴橋で食事後新幹線で名古屋、という選択に至った。友人から紹介された「迷ったらここ」という駅の改札直ぐの焼き肉屋。ネットの写真を見てもめちゃくちゃうまそうなのだ。11時30分開店だからちょうどいい。店の前には何人かの開店待ち人たちがいる。しかし店のシャッターは半開きで2分後にはとてもじゃないが開店はできない感じ。ギリギリまで待つが動きなし。このまま待って名古屋に連絡を入れ待ち合わせを遅らせてもらう手もあるが、しかし今夜のわが家は猫たちとわたしだけだから、遅くなるわけにはいかない。悶々としつつ、もう1軒、狙っていた寿司屋へと向かう。もう腰が限界だったのでとにかく座りたかった。店には客はおらず独占状態。ゆでたエビやマグロのおいしさに盛り上がった挙句、初めて食す「引下」。ひっさげ、と読むのだそうだ。マグロの子供。そして今の時期は肝も食べられるということで赤貝。うるうるして満腹。

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新幹線間引き運転中の新大阪には少し早めに着いてホームへの階段下の待合室でひと休みしていたのだが、時刻表を見ると予定していた13時15分発の列車がない。確認し直すと列車は13時9分発で、現在13時7分過ぎ。焦って階段を駆け上るわけだが、ギリギリまだこの体力は残っていた。座席に座るともう、腰が痛くて眠ることもできず。おかげで寝過ごすこともなく無事名古屋。打ち合わせは無事終了。鶴橋とは別の野望妄想が渦巻いて元気になった。


 
3月5日(金)
どうしようもなくボーっとしていた。久々の出張でテンションが上がってしまったのとまだ腰が完全ではないのとで、いつもの出張後とは段違いの疲れ方。気が付くと12時からの歯医者の予約をすっ飛ばしていた。もちろんその他の予定もキャンセル。夜、厚木にはかろうじて行った。『VIDEOPHOBIA』上映中のあつぎのえいがかんkikiで、会場の機材を使っての特別音響上映をする準備である。元々が十分に音を出せる機材が入っている会場なので、ほぼ完全に爆音仕様になった。低音の振動感が半端ない。宮崎くんも大喜びしていた。あとは他のスクリーンに影響が出なければこの状態で上映。出た場合は音量を下げる。各地の映画館にもこれくらいの機材がそろっていてくれたら、音楽映画とかみんな大喜びして観てくれるだろう。防音と音響機材の充実。予算的には簡単なことではないが、本当にそれだけで映画がガラッと変わるこの感触が、世界中に広まっていってくれたら。その他、昼間にうれしい連絡が来て気分は俄然舞い上がった。

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3月6日(土)
寝坊すると起きてからがバタバタである。もろもろ物片づけ、掃除、そして整骨院。それから本日はイノヤマランドの横浜でのライヴに付き合っている妻からの指令で、高円寺ロスアプソンそばのスリランカ・カレーの店「ピピネラ」の弁当を仕入れ帰宅。そして今日届いたばかりの「ヒメ貝」(周防大島産)をもって友人夫婦が来宅して鶴橋のキムチと物々交換。少しずつひきこもりから抜け出している。ただ本日は緊急時用の代替カートリッジでかけているレコードの音がどうしても気に入らず、特に何をしたわけでもないのにどうしたことだ。早く浅川さんに連絡して壊れたカートリッジを直してもらわねば。いつまでも臨時のカートリッジで満足できるわけはない。

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3月7日(日)
結局モノカートリッジに替えて、朝からモノ祭。もう何年も聴き込んできたはずなのに改めてソニー&シェールの音に胸騒ぎして、「Then He Kissed Me」でうっとり、このまま永遠に聴き続けていたい欲望が沸き上がる。そしてジャッキー・デ・シャノンのアルバムのB面、「Time」「A Proper Girl」「Where Does The Sun Go ?」の流れ。モノサウンドの洗練の極みの音に目くるめいているうちに1日が終わる。

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夜は『水を抱く女』。これは歴史と眠りの物語としてアピチャッポンの『光の墓』と2本立て上映が面白いのではないか。原題の「UNDINE」とは水の精のことで主人公の名前でもあるのだが、ギリシャ神話から始まるさまざまな物語の原型となってきたそれが、ベルリンという場所の歴史と重ね合わされる。主人公はベルリンの博物館のガイドとしてベルリンの歴史を語り、ボーイフレンドは潜水士。一方は歴史、一方は水に潜るというわけである。だが物語はあくまでも現実の表面をなぞる。音楽はピアノ演奏されるバッハの協奏曲で、映画ファンはタルコフスキーの湿潤な諸作品を思い出すのではないか。メトロノームのようにかつかつと響く主人公たちの足音を、ときどきそのピアノが湿らせる、というわけである。どこかつぎはぎだらけででたらめと言えばでたらめ。乾いた空気と湿った空気の混在。でもそれが当たり前のように目の前にあり、当たり前のように語られていく。監督がインタビューで面白いことを言っている。
「ベルリンは辺り一帯を排水処理して整地し、沼地に建てられた都市です。そして、神話を持たない人工的で近代的な都市です。かつての貿易都市のように神話を輸入しました。沼地が排水されていくに伴い、旅商人たちが持ち込んできた神話や物語が乾いていく干潟のように、この地に根付いていったと想像しています」

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『水を抱く女』 (配給:彩プロ)
3月26日(金)より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開



3月8日(月)
昨日からの続きでモノ祭。本日はステレオ盤をモノカートリッジで聴く、というのを。中低音が広がりクリアな感じはなくなるがでも音が分厚くなって、ああもうこれでいいんじゃないかとも思う。いつ聴いても物足りなかったクリエイション・レベルがこれで聴くとなかなか良くてご機嫌になる。ステレオで作ってあったとしても恋人たちが片耳イヤホンで聴いたって楽しいしモノで聴いても別な音が聴こえるかもしれないし、要するに音は作者のためにあるのではないし聴く者のためにあるのでもないし、ただ単にどこにでも思わぬ形で転がっているということだ。

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そうこうしているうちに中原の『2020年フェイスブック生存記録』が発売になる。本当は10日発売予定で準備していたのだが、Amazonの勝手な都合でさっさと発売になってしまった。何とかAmazonを使いこなしたいと思うものの、まあ、そうはさせてくれない。あくまでも向こうの都合で事が進む。ならばこちらもそれに乗るしかないということで、これまでの準備のことは気にせず告知開始。何度か言ってきたことだが、boidの始まりは、CD-ROMマガジンを何枚も出していた。紙の本のスピード感と重さとは違うことをやりたいということで、ちょうど出回り始めた電子書籍のアプリケーションを使ってCD-ROMで自主製作したのである。通常の書籍としては企画が通らないか通ったとしても時間がかかる、自主製作するには経費が掛かりすぎる、というハードルをあっさりと何事もなかったようにクリアするお手軽なツールとして電子書籍を考えていた。ただ当時はそれでもCD-ROMという物体にしなければならなかったのと、「電子書籍」という特徴を生かして紙とは何か別の可能性をという期待もあって、「軽さ」にはまだ至らなかった。それが20年ほどしてようやく。文庫本代わりにちょうどいい感じで、とにかく文字がするすると読める。それだけで十分。その中でやれることをやるというスタンスである。
午後はそんな軽さとは正反対の重い物体のための打ち合わせ。さまざまな思いと歴史にくじけそうになりながら、もう少し。

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3月9日(火)
4月の爆音に向けての作品がバタバタと決まり始める。これまでにない形になりそうでひとりで勝手に盛り上がった。その流れで某ミュージシャンが先日行った配信ライヴの映像を見る。冒頭、いきなりのギター「ジャーン」で心をわしづかみにされる。こういうことだよね。
夜は、中原のフェイスブックで知った『星の王子 ニューヨークへ行く2』。まさかのクレイグ・ブリュワー監督で、観た人たち皆さん言っているように『ブラックパンサー』のもうひとつのヴァージョンということになるのだが、当然1作目が作られた30年前の記憶やらその間の歩みやら、1作目が作られるまでの歴史やら、ありとあらゆる時間がばかばかしくも豪快かついい加減に流れ込んでくる。だいたいこんな感じだよね、という適当さは単に適当でもあるのだが、それらの歴史や記憶が身体に染み付いた人、それらの歴史や記憶が身体を作っている人でなければ出せない適当さである。その監督の身体性が映画に現れているだけでなく、俳優たちにも伝染しているのではないか? 若い俳優たちが自らの身体を通して出てくる歴史の音、記憶の音楽、行ったこともない場所のざわめきにうっとりしつつ耳を傾け、そしてその身体を未来に向けて差し出している、とでも言いたくなるような艶やかな表情をする。もう、これ観るだけでいいじゃないか。それだけで十分だろう。そして個人的にはグラディス・ナイト。セレモニーのシーンで登場して歌う。歌も姿も「現役」である。映画のゴージャスとはこういう登場のことである。もう80歳近いのでは? 最後にはジョン・レジェンドのピアノの弾き語りまである。爆音でやりたいがAmazonの独占配信作品なので映画館での上映は難しいのか。もどかしすぎる。そういえば『ブラック・スネーク・モーン』のときも何とかバウスで、と動いているうちにやれなくなってしまったのだった。日本でクレイグ・ブリュワー特集をできる日は来るだろうか。

 


3月10日(水)
8日ぶりに事務所に行く。さまざまなものが届いている。整理するだけで大変なのだが、昼から打ち合わせが続く。Zoom会議の後は渋谷へ。これまた久々のビターズエンドの事務所に向かったのだがJRの駅から出られない。いや出られることは出られるのだが、この改札がどの方面に出るのかがまったくわからなくなる。いつものハチ公口ではなく別方向。そういえばいつも基本的に副都心線を使っていてJRでハチ公口以外へ行こうとするのは本当に久々だった。その間にすっかり風景が変わってしまった。すべてが変わったわけではなくいくつもの昔の名残とまったく新しいものとが混在していてそれが示す過去と未来との混乱に身動き取れなくなってしまったのだ。

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ああそういえば渋谷パンテオン(東急文化会館)が解体されてヒカリエが出来上がった時だったか、イメフォでのデプレシャン作品のトークに行こうとして似たような感覚に襲われ道に迷いトークに遅刻ギリギリになったことがあった。その時、トークでも現在の風景に埋め込まれているそんな記憶と未来の風景について話したような記憶があるのだがどうだったか。デプレシャンの映画にいきなり汽車が登場する、あの「心わしづかみ」の感覚とその記憶がひとつになっている。つまり時間の隙間から思わぬ形で思わぬものが現れてくる、また、それが現れることによって時間の隙間をはじめて認識する、そんな心躍る瞬間を映画がとらえられるか生み出せるかどうか。その後吉祥寺から阿佐ヶ谷ということで井の頭線に乗ったのだが気づいたら久我山で降りていた。阿佐ヶ谷では今後の企画などを話しながら「翠海」で夕食。当然どれも美味いのだが麻婆炒飯が別世界の味だった。

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帰宅後『パーム・スプリングス』。いやあ、アメリカ映画を観てアメリカに行きたくなったのはいつ以来か。監督と脚本家は学生時代からのコンビでこれが初長編ということなのだが、思い付きのばかばかしさを大事にしたまま綿密に、でもいい加減に適当に時間を織り上げていく。基本的に毎日何もすることがないすることがあっても同じことの繰り返しでちっとも変らぬ風景を延々と見ながら暮らすあの途方もない退屈がそれ自体どうでもいいものとして語られる。そこから抜け出す抜け出さないという葛藤や試みさえも永遠の退屈に押しつぶされてまっ平らな平原の中の砂粒のようなものになるのだが、それでも不意に何かが起こるわけだ。ああ、この感覚たまらない。時間の裂け目はどこにでもあって、そこを抜けるために何かをするんじゃなくて、結果的に抜けてしまったとしか言えないその一瞬のわしづかみの感覚。幸せな夜だった。

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『パーム・スプリングス』(配給:プレシディオ)
4月9日(金)新宿ピカデリー他全国ロードショー




樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。3月末にオンライン映画配信ウェブマガジン「GHOST STREAM」をオープン。4月16日(金)~22日(木)に京都みなみ会館で「【boid sound映画祭】キング・オブ・カルト特集」、23日(金)~29日(木・祝)に「爆音映画祭 in ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場」が開催。