妄想映画日記 その109

ぎっくり腰が治らず、これまで避けてきた鍼治療を受け、どうにか仕事と散歩を再開。『ダブル・サスぺクツ』(アルノー・デプレシャン監督)、『デッドロック』(ローラント・クリック監督)、『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』(ジョン・コニー監督)、ジョセフ・ロージー諸作品などについて記された、樋口泰人の2021年1月21日~31日の日記です。
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文=樋口泰人


1月21日(木)
腰は昨日よりもよくなっているのではないかと思ったがそうではなかった。まだ足がうまく前に出ない。座っていても寝ていても痛い。落ち着かぬまま、いくつか自宅作業。夜になって少し痛みは治まってくるが、まだ同じ姿勢で座っているのがつらい。つまり座り仕事ができない。立ちながら本を読んでみたりする。

 
1月22日(金)
起きたら少しは良くなっているはずが昨日より痛い。落ち着いて何もできないレベル。ソックスを履くのに本日の力をすべて使い果たす。さすがにまずいので近所の整骨院まで何とか歩いていくと、コロナのために予約制になっていて、夜に出直してきてほしいと。どうにもならないので予約をして戻る。あとは家でぐったり。そして整骨院再訪。これまで何があっても避けてきた鍼をうたれる。めちゃくちゃ緊張して何が何だかわからなくなったままとりあえず診療終了。当然のようにメニエルのめまいが起こる。だから鍼は嫌だって言ってきたのに。それはそれ、腰に鍼をうたれてそこに電極を付けられ電気マッサージを受けている図を、友人には電気ウニと報告する。
しかしその甲斐あってか夜中には少し痛みも和らぎ、ちょっと仕事を。中原のフェイスブック日記のまとめ。キャバレー・ヴォルテールの話などが出てきて、ああそういえば、ステレオのシステムを新しくしてから聞いてなかったと思い、『THE VOICE OF AMERICA』を聴く。音の飛び交い方が絶妙で思わずボリュームを上げてしまう。20代で聴いてた頃はこんな音には聞こえてなかった。

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1月23日(土)
本日も昼から電気ウニ。鍼というのは大雑把に言えばツボを刺激することで機能不全に陥っていた機能を活性化させるということなのだと思うのだが、見方を変えると、もう一押し、もう一回「ポン」と鍼の頭を押されたら下半身麻痺とか意識失うとか、人間の身体とのギリギリのやり取りをしているのだと思う。だからよくなるのだろうが、わたしにはそれが耐えられない。ただでさえ痛みに耐えきれずにいるのにその上でのギリギリのやり取りである。全身冷や汗。みんなこれに耐えているのか。鍼が痛いとか痛くないとかそういう問題ではない。あと1回の「ポン」でやられる、という情報が鍼先から全身に伝わり、「その後」の感覚が下半身に充満するのである。いや、いつか下半身が麻痺するという予兆のような鈍い重さが立ち現れてその重さのために逆に下半身が麻痺してしまう、そんな未来の重さに身体と心が一気に支配されてしまうのである。もう2度とやりたくない。のだが、夜になるとすっかり腰が楽になる。とはいえこれが鍼のおかげかどうかはわからない。もう5日目である。普通に良くなってもいいころだ。鍼をうたなくても良くなった可能性も十分にある。いずれにしても良くなってしまえばこっちのものである。恩知らずと言われるかもしれないが、鈴木清順を借りれば、鍼の上にちょうちょが載っただけで半身不随、という緊張感はわたしには耐えられない。

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そして中原のFB整理の続き。その中に出てきた2020年公開ヴァージョンの『透明人間』が面白そうだったので早速観ることにする。前半の心理描写と主演のエリザベス・モスの病的な顔つきに慣れるのに苦労はしたが、後半、透明人間が活動を始めると画面のどこかに彼がいるという意識のせいなのか、自分の中の動体視力が上がり集中力が倍増する。それにあの音楽。いやあ、透明人間と『メッセージ』の宇宙人は同じ種類の音が出るんだねと思いながら観ていたのだが、音楽を担当したベンジャミン・ウォルフィッシュはヨハン・ヨハンソンが降板した『ブレードランナー 2049』をハンス・ジマーと一緒に手掛けた人だとわかり、納得。しかし『ブルータル・ジャスティス』もそうだったが、いまだにこんなやりきれない空気感の映画が新しい装いで作られ続けるアメリカ映画はいったいどうなっているんだ。
その後、70年代初頭のキャプテン・ビーフハートの音を堪能。半世紀前に刻まれた溝から新しい音が次々に飛び出してきて今ここの空気が一気に動き出す。

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1月24日(日)
腰はだいぶ楽になったのだが、その代わりにメニエル含め体調思わしくなく、2日連続の鍼の影響か、あるいは気候の問題なのか。せっかく少し動けるようになったのにこれまで以上に何もまともなことができない。雪予報だったが冷たい雨。
夜はアルノー・デプレシャン『ダブル・サスペクツ』。日本では劇場公開されず、パッケージ販売とWOWOWでの放映のみで、WOWOW放映時は「ルーベ、嘆きの光」というタイトル、こちらが原題に近い。インターナショナル・タイトルは「OH MERCY!」だから、WOWOWで「嘆きの」と入れたくなるのもわかる。物語は警察署長が主人公の犯罪モノだからこんなパッケージ・タイトルになったのだろうが、ジャンルとしての犯罪映画でもアクション映画でもない。ベルギー国境に近いルーベというデプレシャンの故郷であり、移民や生活困窮者や犯罪者に溢れた町が舞台になっていて、デプレシャンが描き続けてきた「家族」の物語からははみ出してしまった人たちの物語と言えばいいか、「家族」の果ての物語と言えばいいか、いや、自身の中でかろうじてともされ続けていると同時に目の前の暗闇の中に幽かに見える光のような新しい「家族」を手探りする人々の物語と言えばいいか。警察の仕事、犯罪者の生き方、彼らを囲む人々の暮らしが誰かによってレポートされそのレポーターが次第に彼らの息遣いの一部となっていくような描写。前作に続くイリナ・ルプチャンスキーのカメラがとらえる人々の表情ではなくその皮膚の色と肌触りに、街の空気と彼らの歴史が浮かび上がる。その顔と彼らの言葉だけであらゆる時間と空間と動きとを見せていくという堂々とした語りに思わず目を瞠った。レア・セドゥは本当にそこで生きてきたほぼ人生も終わりかと思われるような女性のように見えるし、自身の悲しみを人々への愛と信頼に替えてそれでも折れそうになりながら静かな微笑みを湛える主人公の警察署長は、『ホワッツ・ゴーイン・オン』のジャケットのマーヴィン・ゲイのようだ。それぞれの心の中の小さなともしびの音のようにも、あるいはその街にたどり着いた家族を失ったものたちの魂の音のようにも聞こえるグレゴワール・エッツェルの音楽も素晴らしすぎる。
この映画に関しては、「NOBODY」のサイトにて、坂本安美による2019年フランス公開時の詳細なレポートとレビューがある。2年遅れだが坂本安美に心からのお礼を。
このレポートから見えてくるのは、映画は流通するものではなく漂流するものであるということだ。流通には契約が必要だが漂流には愛と信頼が必要である。警察署長に幸あれと祈りながら、もちろんboidも漂流者として生きることを誓う。

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1月25日(月)
昨夜の頭痛のため飲んだ風邪薬のせいか、ボーっとして宙に浮いた気分。嫌いではないが具合はいいわけではない。腰はようやく8割がた回復、まともに歩けるようになってきたので散歩がてら事務所に。ただ行くだけ、というつもりだったのだが、行けば行ったで細かい事務仕事満載で、宙に浮いた気分のままそれをやろうとしたものだから、すべてが混乱を極めそのうち寒くなってきて手足凍えて退散。そのまま整骨院へ。今日はさすがにもう鍼はなしだった。

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夜はドクター・ジョン。昨日から家にあるレコードをあれこれ聴き続けてきて2012年にリリースされたこのアルバムに行きついた。この後のルイ・アームストロングが歌った曲のカヴァー集もめちゃくちゃいいのだが、本日はこれ。ギターの響きが良くていったい誰が弾いていると思ったらブラック・キーズのダン・オーバックで、何のことはない彼のスタジオでプロデューサーも彼だった。こうやって、さまざまな音を聞いてきたはずなのにそれ以上にいろんな音を聞き逃してきたことに気づくわけだが、失われてしまうはずだった何年かが別の形で目の前に立ち現れ、あるはずではなかった今をまさに今ここに当たり前のように出現させてくれるわけだから、それはそういうことなのだろう。リアルタイムとはこういうことなのだと思うことにする。
ダン・オーバックはその後Easy Eye Soundというスタジオ名と同名のレーベルも立ち上げリンク・レイの未発表集や63歳デビューで話題になったブルース・シンガー、ロバート・フィンリーのセカンド・アルバムも含め、いくつものバンドをプロデュース&リリースしているようだし、このアルバムのベースとキーボードのふたりとともにThe Arcsというバンドも始めたとのことなのでいずれそちらも。

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1月26日(火)
腰は8割がた回復。まだソックスを履くのがつらい。歯医者の後、散歩。足と頭では物理的に流れる時間が違うという話を読んだ。頭のほうが早く時間が流れ足のほうが遅いのだそうだ。重力の影響。だとすると若いころは体力で足が頭に追い付き追い越しがんがん歩くが、歳をとるにつれそれができなくなり次第に前のめりになり躓いて転ぶ。だから頭を遅らせる必要がある。足の速度で考える。そうやって人は土に還っていく、のではなく足元に大地が広がっていると思ったら大間違い、そこは何もない空虚かもしれないではないか、というのは映画が教えてくれたことだ。もちろん空虚にも重力がある。その重力に引きずられながらゆっくりと思考してその思考と空虚が限りなくイコールになっていく。
そんなことを考えながらペルシャ料理に行きついた。絶品というわけではないが、800円でこれなら大満足である。

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その後、引きこもり仕事、そして夜はついに日本初公開のローラント・クリック『デッドロック』。ヴェンダースやファスビンダーなどより少し年上で、この映画のサントラを手掛けたCANの主要メンバーたちと同世代、30年代末の生まれ。CANの『サウンドトラックス』に収められた「Deadlock」「Tango Whiskyman」はもういったいどれだけ聴いてきたか。イントロが流れ出すだけでテンションが上がる。物語は『続・夕陽のガンマン』ということでその手の香りはバリバリなのだが、それでも冒頭からああドイツ映画だと思ってしまうのは、その後の監督たちの映画がそこからにじみ出て見えるからだ。そしてなぜかこの映画自体がその後の監督たちの影響を受けたように見えてくるというねじれた時間を体験した。最後のところ針飛びで行っては戻る「Tango Whiskyman」の持続が圧巻。針飛びを繰り返すうちに、いや針飛びゆえに繰り返すのだが、とにかく時間がどちらに流れているのかわからなくなる。

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『デッドロック』 2021年5月より新宿K’s cinemaほか全国順次公開

 
1月27日(水)
昨日少し動きすぎたのか本日は腰がまた調子悪い。それに伴って気分もすぐれず。いや、気分がすぐれず過ぎのために腰も調子悪い、と言いたいくらい気分がすぐれず。春のような暖かさで散歩がてら事務所に向かうと気分が変わるかと思ったがまったく変わらずさらに落ち込むばかり。発送作業その他。もう引退したいと思いながら何とか最後までやった。各所への連絡は全然できてない。半分くらいのメールがほったらかし。
今読んでいる小説の中にクジラの自殺の話が出てきてちょっと驚いた。あれこれ調べてみたのだが、実際にクジラが自殺しているかどうかについては目立った記述なし。座礁クジラが実は集団自殺ではないかという説もあるようなのだが。一方いるかの自殺に関してはあれこれ出てきた。本も出ている。思わずポチってしまった。並行して、Nurse With Wound、Ghédalia Tazartès。まさかこれらをアマゾンミュージックで聴くことになるとは思いもしなかった。ようやく少し気分が前向きになる。

 
1月28日(木)
いつもより早めに目が覚めてしまったので(といっても9時30分)、午前中から仕事をしつつ、ランディ・ニューマン。『CREATES SOMETHING NEW UNDER THE SUN』なんてタイトルなのに思い切り内省的な曲が続く。ストリングスとピアノの、この世のすべてを夢に変えてしまうと言ったらいいのか、ひとつひとつの物体の輪郭を緩やかに振動させて微熱を持たせてしまう信じがたい響きにあらためて驚いた。そして「I Think It’s Going To Rain Today」を聴いているうちに外はいつの間にか雨。そして雪。ランディ・ニューマンの雨の歌はどれも本当に好きだ。この曲はメラニーもママ・キャスもカヴァーしていて、どちらも愛聴している。

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夜は、『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』。ついに、ようやく、という感じの公開なのだが、以前爆音でもやったドキュメンタリーの中にも一部入っていたためか、初めて観た気がしない。というか、サン・ラーの音楽の中にこれが埋め込まれていたから、というのが正解だろう。そのうえ、お色気アリお笑いあり、しかもめちゃくちゃな展開ながらわかりやすい物語もしっかり語られるというとぼけたサーヴィス精神によって、宇宙こそ我々の住む場所というメッセージが謳われていく。半世紀近く前の映像と音だがコロナ禍でもびくともしない。冒頭、「まずは時間が終わったということを、考慮しなくてはいけない」とサン・ラーが言っていた。だから空間も終わっているのだ。つまり、「宇宙」とは時間も空間もない場所ということになる。サン・ラーはそこで生きている。

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『サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス』
2021年3月5日(金)よりアップリンク吉祥寺、新宿シネマカリテ、シネマート心斎橋、アップリンク京都にて公開!
以降 名古屋シネマテーク、川越スカラほか順次
 

1月29日(金)
寝るのに失敗し、とはいえ起きることもできず、ぐずぐずしたまま時間だけが過ぎる。とはいえ起きて各所連絡。午後からは某ミュージシャンの9枚組ボックスセットの打ち合わせ。果たして売れるのか。こういった音源が世に出ること自体奇跡みたいなものだから、それを喜んでくれる人が少しでもいてくれたら。夕方は整骨院で腰と股関節のリハビリ。歩くのがだいぶ楽になった。夜は訳あって『唇からナイフ』を、もう何十年ぶりかで観た。モニカ・ヴィッティ好きにはたまらない映画だが、今回の「訳」はそこではない。にもかかわらずやはりモニカ・ヴィッティばかりを観てしまった。しかしどうしてこの映画が成立してしまったのか、最初から最後まで普通に観ることができてしまうのはなぜか、ジョセフ・ロージーには驚かされるばかりである。

 
1月30日(土)
昼過ぎに目覚め。致し方なし。ジェイソン・モリーナ関係をあれこれ聴きながら、『恐怖の映画史』Kindle版のパート1とパート2の合体と全体の形式の統一作業、延々と。一時期、ジェイソン・モリーナはもう聴かなくても自分の中で鳴っていると思い聴くのをやめていたのだが鬱々とした日が続くとやはりここに戻ってしまう。亡くなってからもう数年が過ぎてしまった。
夜はロージーの続きで『エヴァの匂い』。バラバラの断片がつなぎ合わされているだけなはずなのに、どこかに道がある。道は土でできているとは限らないということか。水路の物語。ビリー・ホリデイの「Willow Weep For Me」が繰り返し流れるだけなのだが、それがいわゆる画面の外側の音ではなく、几帳面にもジャンヌ・モローが常にポータブルプレーヤーを持ち歩いて必ずレコードをかける。「一番好きなのは何か?」「お金よ」「何に使うんだ?」「レコードを買うの」というようなセリフもある。でも持ち歩いているのはこのレコードだけである。最後には投げて割る。ジャンヌ・モローが帰宅してレコードを投げて割るまでを窓の外から横移動とパンを繰り返し眺め続けるカメラの動きにあきれる。いずれにしてもジャンヌ・モローがレコードを聴いて服を着たり脱いだりしているだけだ。すごすぎる。

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1月31日(日)
1月も終わりである。1か月間ほぼ何もしなかった気もするが、少しは何かが動いた気もする。散歩をした。久々に長距離を歩いた。腰はこうやって歩けるくらいに回復したが、長距離はまだつらい。あとはうたた寝とか。そしてロージーの『銃殺』。前線から少し離れた兵営地が舞台だが、この建物というか穴倉というか地下壕というか、営舎の構造がアリの巣のようになっていて、ほぼそれを行ったり来たりするだけで世界の姿を見せてしまう。そしてそこでは誰もが「もう十分だ」と思っている。多分もうずっとそうなのだ。それでも脱走兵は銃殺される。という物語をうとうとしながら観た。土居くんの占いによれば、わたしの人生最悪の年は明日で終わる。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。boid配給作品の『VIDEOPHOBIA』(宮崎大祐監督)が公開中。