映画は心意気だと思うんです。 第18回

冨田翔子さんが“わが心意気映画”を紹介してくれる連載の第18回は、現在公開中の『剣の舞 我が心の旋律』(ユスプ・ラジコフ監督)を取り上げます。バレエ演目「ガイーヌ」の挿入曲として作られた楽曲「剣の舞」を、アラム・ハチャトゥリアンがどのような背景のもと作曲したかが描かれる作品から冨田さんが学んだことは何か? 冒頭で語られるうなぎの話が『剣の舞』とどのように結びつくのか? とくとご覧ください。
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『剣の舞 我が心の旋律』
 

うなぎの舞


 
文=冨田翔子

 
季節は秋から冬に移ろうかという今日この頃だが、生きるテンポが人より遅れているので、今更だが夏の思い出を書こうと思う。今年の夏は新型コロナウイルスの影響で夏のYCAM爆音映画祭が開催されなかった(※代わりに12月に開催される)。そこで、夏休みをいつ取ろうか考えあぐねた結果、あえて例年より長く取ってみた。8月初頭の頃である。
 
夏休み初日、せっかくなのでお昼を外で食べようということになった。同居人と近所をうろちょろ歩きながら、これでもないあれでもないと選り好みしていたら、ちっとも決まらない。こういうときは大抵、食にこだわりがない同居人はなんでもよく、私が希望もないのに難癖をつけるという具合だ。すると道端に「今日は土用の丑の日。うなぎを食べよう」という看板が出ているのを発見した。これだ!
 
早速店内に入ってみると、そこはうなぎ屋ではなくとんかつ屋であることが判明した。しかし当然、私の舌はうなぎ一直線。迷いなく「うな丼」を頼んだが、同居人は「ロースカツ定食」を選択した。「土用の丑の日にうなぎ食べなくていいの?」と聞くと、「ここ、とんかつ屋だし」と一言。冒険心のないやつめ。
 
カウンター席の目の前には、網焼き台が置いてある。これでうなぎの蒲焼が作られるに違いない。だが、店主は先にとんかつの準備をし始めた。冷蔵庫のケースから、とんかつ屋らしく立派な豚ロースが登場。手際よく下ごしらえし、引き出しの中に入れられた豚ロースは、そこでひっきりなしに回転され、すっかり小麦粉をまとっていた。そして、衣をつけて油の中へどぼん。とんかつを揚げるフライヤーも我々のすぐ目の前。カラッと揚げられていく様子をつぶさに観察できる。揚がったカツに、店主がリズミカルに包丁を入れていくと「サクッ、サクッ」と気持ちのいい音。美味しそうだなあ、とんかつ。あれよという間にロースカツ定食は完成した。
 
そういえば、私のうな丼はどうなったのかと思っていたら、なんと店の奥からすでに盛り付けが完成した状態で、どーんと目の前に置かれた。一体どこで焼かれてきたのか。食べてみると、よく知っているうなぎの味。細かいことはいい、土用の丑の日にうなぎを食べることに意義があるのだ。私は「どうだ」と言わんばかりに、写真を撮ってboidの樋口さんに送った。ところが、写真を見た樋口さんから一言、「(その店は)どこだ」と返事が返ってきた。「近所のとんかつ屋でうなぎを食べています(土用の丑の日ですからね)」と私が返すと、「やっぱり!」との反応。「なぜとんかつ屋でうなぎを食べている。とんかつの方が絶対美味しい」。余計なことを書いてしまった…。
 
ふと横を見ると、同居人が実にうまそうにロースカツを食べている。何気なく私はメニュー表を手に取り、卒倒しそうになった。ロースカツ定食は1200円で、うな丼は1500円。うな丼のほうが高いではないか! ガーン。目の前で揚げたカツより、店の奥から登場した、できあい(と思われる)のうなぎのほうが高いだと…? 原価か!? 原価なのか!? いや、これはむしろ牡蠣パスタに粉チーズをかけたり、ろくに中野駅にすら行けなかったりする私の生き方が問われているのか…。
 
呆然としていると、少し離れたテーブル席の宴も酣な老人2人が目に入った。店のテレビで競馬中継を観ているらしく、「おお!」と歓声が上がって、店主が「勝った? 勝った?」と話しかけている。コロナが遠く感じるような、のどかな光景。
 
「なんだろなあ……なんでもいいや」。うな丼を平らげ、腹が満たされた。
 

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■ハチャトゥリアンから信念を学ぶ
 
『剣の舞 我が心の旋律』という映画が夏に公開されたのをご存知だろうか。まだ1席空けの動員が続いていた映画館で、おそらくほとんどの人が知らずにひっそりと上映されたこの映画を、私は密かに楽しみにしていた。誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、クラシックの名曲「剣の舞」の誕生秘話を映画化した本作で、私の注目は曲の作者であるアラム・ハチャトゥリアンでも「剣の舞」でもなく、監督のユスプ・ラジコフ氏がウズベキスタン人であることだった。我が心の映画『UFO少年アブドラジャン』と同郷と聞けば、じっとはしていられない。果たしてどんな映画だろう。「剣の舞」はハチャトゥリアンがたった一晩で書き上げた曲だそうで、私はハチャトゥリアンがうんうん唸りながら必死で曲を書き、名曲誕生のドラマチックな瞬間が描かれるのを想像しながら、公開日を楽しみに待っていた。
 
舞台は第2次大戦下のソ連。疎開中のバレエ団は、10日後に開幕する「ガイーヌ」の準備に追われていた。日々変更される振り付けに苛立ちながら、不眠不休で楽譜の修正を行う作曲家ハチャトゥリアン。とうとう体調を壊して入院したり、音楽仲間の見舞いに力をもらいながら、開幕の日は近づいていく。しかし、祖国アルメニアへの思いを込めた「ガイーヌ」の結末は、「士気高揚する踊りを追加せよ!」という理不尽すぎる役人の一声で変更されてしまう。
 
かくして、風雲急を告げる中、一世一代の作曲が始まる…のだが、なんと私が想像していた作曲に苦労するハチャトゥリアンの姿はほとんど描かれず、これから書こうかという場面に「剣の舞」の冒頭のリズムが重なる。次の瞬間にはもう完成曲が演奏され、作曲の苦労どころか、肝心の剣の舞の踊りもすべて披露されることなくエンドロールに突入。「え! 終わるの! ほんとに終わるの!」と思わず心の中で叫んだほど、あっけない幕引きだった。
 
この「想像してたのと違う!」という驚きは、私が初めてアブドラジャンのズリフィカール・ムサコフ監督による日本とウズベキスタンの共同製作映画『I WISH…』を観たときと同じような感覚だった(当時10歳の私が、ハリウッドの超能力映画を期待してしまい、あまりの地味すぎる内容に衝撃を受けながらも最後まで見入ってしまった作品)。すっごいものを観たわけじゃないのに、なぜか観終わった後も、延々とハチャトゥリアンのことを考えてしまうではないか。

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『剣の舞 我が心の旋律』
 

特に何度も反芻したのは、ハチャトゥリアンが「剣の舞」の冒頭のリズムを思いつくシーンだ。
 
急遽、一晩で作曲しなければならなくなり、凍える夜道を寄宿舎へと歩くハチャトゥリアン。そこで、どこからともなくけたたましい機関車の音が聞こえてくる。だが、そこに機関車は通っていない。すると、部屋に到着したハチャトゥリアンはピアノの鍵盤をおもむろにたたき、「剣の舞」冒頭のズッチャズッチャ…というリズムを思いつく。
 
その列車の音は、大切な家族を置いて機関車でソ連へとやってきた、ハチャトゥリアンの記憶の中に刻み込まれた音なのである。そして演奏シーンでは、母たちが綿花を叩く幼少期の光景が挿入され、綿花をパンパンと叩く音も、「剣の舞」のリズムのインスピレーションになっていることが示唆される。さらにジョージア生まれのアルメニア人であるハチャトゥリアンが、かつて民族虐殺の憂き目をみた祖国への思いを強くするシーンも随所に挿入され、「剣の舞」という曲は“同胞たちの心の叫びを表現する”という強い信念の結晶であることがわかる。決してハチャトゥリアン自身が望んで生まれた曲ではない。だからこそ、そこに歴史の重みがにじんでいる。
 
体制の顔色を伺いながらの芸術活動を強いられ、従わなければ罰せられてしまう時代。名曲「剣の舞」は、そんな時代の悪しき命令によって生まれた曲だ。映画を思い返せば、虚しさと信念の間で苦悩するハチャトゥリアンの表情はいつも切実だった。映画の最後、演奏が終わりに近づく中、夜道で暴漢にカバンを奪われ、「なんだ紙くずか」と楽譜を地面にばらまかれたハチャトゥリアンが、ガス燈の明かりの中でキラキラと舞う雪に両手で触れる姿が映し出される。役人の無茶振りに見事答えたというのに、なんという寂しげなラストシーンだろうか。劇中で「アルメニア人の虐殺に世界が沈黙しなければ、ユダヤ人虐殺は防げたはずだ」というハチャトゥリアンのセリフがある。ラストに彼が雪に触れる、舞うような両手の動きは、人類の平和を祈っているようにも見えた。
 
なるほど、あっさりすぎると思ったラストには、ラジコフ監督の心意気が集約されていた。名曲誕生という結果をただ見せるのではなく、ハチャトゥリアンの人生を描こうと思ったラジコフ監督の心意気。劇中のメタファーとしての美しいフィクションも相まって、観終わったときには、どこまでも清らかなハチャトゥリアンの信念がスーッと伝わってくるのである。
 
ハチャトゥリアンを見舞った音楽仲間と交わされる談義で、作曲家ショスタコーヴィチが、こんな事を言う。「“美”を作れたのなら、それは最後まで信念を貫いたということ。周りや自分を裏切らなかったということだ」。
 
信念とは、大仰なドラマのためのものではなく、あくまで個人の崇高な魂なのだ。ハチャトゥリアンの姿にそんなことを思った。
 

 
■うなぎの会とコーヒー

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長めにとったはずの夏休みもあっという間に終わった頃、私のうな丼に納得がいかなかったのか、樋口さん主催のうなぎを食べる会が、牡蠣狂いの友人らを交えて催されることになった。場所は、東高円寺にある由緒正しきうなぎ屋さん。それはもう素晴らしいうなぎで、見た目の輝き、身の柔らかさ、うなぎ屋のうなぎとはこういうものかと感動する一品だった。当然、私がとんかつ屋でうなぎを食べたことが議題に上がり、またしても生き方を問われることになったのだが、私の食のピントがいまひとつずれているのは、牡蠣パスタにチーズをかけた時点で周知のことだった。そんな中、話題はコーヒーへとうつり、どこどこのコーヒー豆がうまかったとか、浅煎り深煎りについて語る牡蠣狂いと樋口さん。年中ネスカフェのインスタントの私は、どうにも話についていけない。家に帰って気づいたのだが、ずっとネスカフェだと思って飲んでいたコーヒーはUCCだった。
 
さらに、ちょうどそのUCCがなくなり、食に全くこだわりのない同居人によって、今度は業務スーパーで見つけた安くて量が2倍の外国産インスタントコーヒーへと変わってしまった。試しに一杯飲んでみると、味はマイルドでこれはこれで飲みやすい。心の中で、どこ産のコーヒーか当ててみようと思い、「エクアドル!」とひとり回答して食品表示を見たら、正解はベトナムだった。我ながらひどいものである。

なんでこんなにいい加減なんだろう…。土用の丑の日にうなぎを食べるとか、そんな見せかけのリア充に満足してないで、信念を持ちたい…。



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剣の舞 我が心の旋律
2019年 / ロシア・アルメニア / 92分 / 配給:アルバトロス・フィルム / 監督・脚本:ユスプ・ラジコフ / 出演:アムバルツム・カバニアン、アレクサンドル・クズネツォフ、アレクサンドル・イリンほか
全国順次公開中 
公式サイト


冨田翔子

エンタメWebサイト編集部勤め。好きなジャンルはホラー映画。心意気のある映画を愛する。