宝ヶ池の沈まぬ亀 第46回

青山真治さんによる連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第46回は、ドラマ『金魚姫』(NHK BS)が放映された3月下旬から4月にかけての日記。庭の桃の花が満開となり、新しい”朝ドラ”が始まるなど、春が深まってゆくなかで続く蟄居の日々が記録されています。


46、未来も終末も人望もとうに過ぎ去って・・・



文=青山真治

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某日、気づけば家の桃が花満開になりかけていた。そんなわけで伊豆にいる間に届いていた大瀧師匠の『Happy Ending』を昼中聴き続け呆然とする。特に「イスタンブール・マンボ」という曲がやばかった。原郷に戻る感じがあった。
翌朝、朝ドラ最終回。予想はされたがタケシは生き延びることはなかった。仕方ない。ラストで作業に従事する母に呆然としつつ、昼まで待ち、父親(松下洸平)のトークを楽しみ、その流れで先週見逃した大河を見る。染谷将太の芝居がとにかくいい。お、こいつなら田楽狭間に早朝の雨の中一緒にぶっこんでもいいな、と思われる。今後とも期待大。
昼寝の後何回転目になるのか再び『Happy Ending』を。おかみさんにもう泣かないでと釘を刺されたがまた泣いてしまう。そうしてそのままほぼ睡眠。
 
某日、強烈な雨である。精神がぶよぶよになり、動くこともままならない。夜半から明け方にかけて雨音を蕭然と聞き続ける。パンデミックはパンデミックのまま。家を出る気はしないが薬がなくなりそろそろ病院にいかなければ。
早朝、『テセウスの船』最終回をオンデマンドで見る。まあこういうエンディングでよかったのではないだろうか。ハッピーエンディングしかとりあえず今は受け入れられない。でもプロットとしてはやはりどうかという感想は残った。
一日中この気圧の場合耐えられない。女優お手製の諸々の料理を食しつつ今週末もロックダウンである。『釣りびと万歳』は函館で根ホッケという意外な選択。大河はついに染谷将太が動き出した。面白し。田楽狭間が待ち遠しい。一方『鉄腕DASH』は、え、最終回? と考え込むほど総ざらえの感じで息を飲んだ。特に長瀬くんのカレーには刮目した。
で、『金魚姫』が放映された。まあ、ああいうことでした。救いは、隣で見終わったおかみさんが真剣に拍手してくれたこと。おかみさんに喜ばれることが何より。どうやら「水中シーン」に感動してくれたらしい。
 
某日、再び蟄居が三、四日続いている。まあ雪も降ったが晴天時に家にいる分はへいちゃらだし、それなりにあれこれ忙しくしている。ディラン『The Lyrics』佐藤良明訳全二冊が届き、装丁から何から何まで感動的である。まさにレコードで聴いてきたディランが日本語でここにある。
それもそうだが志村けんが死んじまった。新型コロナウイルスによる肺炎。享年七〇歳。他人が悔やんでも始まらないことはわかっているが、それにしても落ち込む。『全員集合』はずっと見ていたから突然現れたすわしんじと志村の格闘に驚かされた記憶がある。飛び蹴りとかやれるのかと、やってみたくさえあったが自信はなかった。個人的には伊東四朗さんと小松政夫さんのコメントを聞いてみたかった。年齢はお二人の方がかなり上のはずだが同時代のコメディアンで人気を二分したのは実はあの二人ではあるまいか。
それにしても小池都知事は平気で職業差別発言を公に連発するし、森喜朗は無神経にも五輪再開催日を発表するし、いったいこの国はどうなっちまうんだろう。
佐々部清監督の訃報。助監督時代、一本きりお世話になった。監督作を拝見することはなかったが、時折お会いして言葉を交わす内容から一流のヒューマニストと思われた。多分私は嫌われていただろう。これまた仕方ない。
昼にBSで『捜索者』。かなり久しぶりだが、これは4Kだったのか、デジタルリマスターだったのか、とにかくこれほど完璧な画面をテレビ受像機で見るのは初めてというもので冒頭イーサンが近づいてくる大ロングから涙腺決壊。で、あとは投げる投げる、ジョン・ウェインもワード・ボンドもジェフリー・ハンターもヴェラ・マイルズも、とにかく投げなきゃ人間じゃないというほど投げる。猿がものを投げる映画もあったがそういう理知的なことではなく反射神経として投げる。一方でマーティは自分が囮にされたことを「失敗したらどうするつもりだったんだ」と詰るがイーサンは「失敗なんて考えたこともない」と返す。然り。これも人間による会話である。今回は驚きのためにデビーの生存を確認してからクライマックスまでのイーサンの表情の推移を確認しきれなかったが、明らかにそこにエモーションの真意が隠されていたと思われたのでいずれ改めて確認。
夜半、松井秀喜のインタビュー番組。つくづく大選手だと思う。落合、清原、松井のいた巨人を見続けられた数年を誇りに思う。そしてヤンキー・スタジアムの美しさに惚れ惚れ。
 
某日、新朝ドラ、古関裕而の話だから感動は必至なのだが、初めて課題で作曲する場面は深く染み入った。音楽でも文学でも映画でも、聞いたから、読んだから、見たから、その創作は開始される、その原理をしっかり描写してくださっていた。しかし一転、何か傷んだものでも食べたのか午前中からトイレを出たり入ったり、何往復かして気絶、昼過ぎまで。気づけばBS『ダーティハリー』。またしても4Kだかリマスターだか見たこともない完璧に美麗な画面。そうしてブルース・サーティースのキャメラ。先月セラ選手のナイトシーンを褒めたがこれに比べりゃまだまだ甘い。全き漆黒の夜を再現するとはこれである。そうしてイーストウッドの、あるいはドン・シーゲルの魅力とはここに尽きる。シーゲルが普通無駄であると思われるショットをいかに多彩に撮っているか思い知らされた。さすがにハリウッド黄金時代を生き抜いた編集マンである。
 
某日、なんだか眠りこんだ一日だったが、夜半さらに眠ろうという時刻になって、これまでマサルに唆されていたと言うわけではないが、金田一をやりたい気持ちになっていたのを完全にオリジナルという方法もあるのではないかという考えがムラムラと。要はあのくらい面白い話を考えればいいんだろう? やってみますよ、やってやれないことはないはずだ。いい役者を揃えられたら絶対いける。現作業を終わらせたらそれに取り掛かろう。
 
某日、蟄居も何日めになろうか、まだ暗い四時過ぎにふと目覚めると女優もスマホを見ている。夫婦で睡眠障害かと笑う。あちらは、仕事はもちろんぱるるの散歩で毎日出かけているのだが。私のように寝てばかりいる者が振り回しているかと思うと恐縮する。
亡き母が入院し、胃ろうをあてがわれ、やがて亡くなっていった病院がクラスターを発生させ、心配だが、同時にあの病院では仕方ないと思われる部分もある。悪口は言いたくはないがそれくらい良い記憶がない。
東京もパンデミックそのもので、自宅以外にシェルターはない。なので相変わらず籠り続ける生活に変わりはないのだが、SNSで「Save the Cinema」なるスローガンが監督たちなり俳優たちなりから上がっており、それに異論を唱えるといやこれは別に映画館だけを言っているのではなく、と途端に「芸術全般」という話にすり替わる。勘弁してくれ、資本も何も桁外れに低い状態で何年間も散々映画館に集中して今や死にかかってる人もいるっていうのにじゃあお前ら今まで何をやってきたっていうんだ。ほったらかしのまんま善人ヅラしてこれはこうです、あれはああです、冗談じゃねえ、全て元から絶たなきゃダメなんだ、と深夜に独り心の中で暴れ叫ぶ。
さて今日はどうやらいよいよ緊急事態宣言。天皇は出てこない感じね。
いくつかの文芸誌が届き、それぞれに古井追悼文、先生の文章なり発言なり、柄谷さんの文もあり、1日がそれで費やされてしまう。「群像」のこれ、どこまで行くのだろう。楽しみでもあるが、俺をインタビュアーにしやがれと嫉妬してしまう。脳内が『殺し屋ネルソン』のことでいっぱいになる。しかし古井さん、やはり『水』ですか、とがっくりと同意せざるを得ない。この感じ、お分りいただけるだろうか。こんな風に我が意を得た感覚がするのは文学以外では思いつかない。私自身何度も何度も『水』を読み込んだのだ、大学時代。
どうやら樋口社長、意識を回復した模様。少しくホッとする。
夜更けにDVD『グリーンブック』。取り立ててどこがいいというわけではないが、やはりいい。青いキャデラックがスーッと入ってくるだけで、いい。見忘れかもしれないが、ドクの兄というのがどうなったのかは知らないけれどもドクの心の傷になっており、それはことによるとコンビ別れしたファレリー兄弟そのもののことかもしれないと思われ、さらには亡くなった弟の息子と自分自身を入れ替えて語っていると考えるとさすがにしんみりしてしまう。
 
某日、伊地智啓氏の訃報。面識はないが、黒澤満氏同様尊敬と信用に足るプロデューサーだった。朝から眠くて眠くてどうしようもない。せっかく女優が朝食を作ってくれたのをまともに味わえず(美味であったことは間違いないが)、食してすぐに睡眠。昼過ぎに腹痛とともに起床。
夜更けにアレン・ガーフィールドの訃報。少し前に『ことの次第』を見ていてあの人元気かな、と思っていたところだった。劇中にもあるが、己の出自であるジューイッシュとしてのアイデンティファイに苦しむ人間というのを日本では描きにくいということがある。もちろん在日朝鮮人でやればよいとは簡単な話に聞こえるが、それがどれだけ反発を食うだろうか。そしてガーフィールドのように演じてくれる人がどれだけいるだろうか。わからないが、80年代に初めて、高田馬場で『ことの次第』を見てからずっと考えている問題である。もちろんヴェンダースだってずっと考えた結果あの映画を作り得たのだ。「生存者たち」という劇中映画のタイトルは伊達ではない。
 
某日、例によって棚からひとつかみシリーズで『ストレンジャー・ザン・パラダイス』。まあこれほど身に沁みている映画もないので新鮮味もないと思いきや、途中からああもうこれは16でモノクロの映画を撮るしかあるまいと本気になって確信してしまい、各方面に連絡を取る。みんな意外にOKを出す。メカスが亡くなってからずっと気になっていたのだが、そういう映画がなければならない。というか、何かメカス的なものを繋いで行こうと思われるのだった。
 
某日、今度は元監督・関根潤三氏の訃報。まあ九十越えだから大往生だが、こういう人がいなくなるのは寂しいといえば寂しい。
家から出なくなって何日めだか、もう記憶がない。老境の映画監督も肺がんで亡くなったらしいが興味を持ったことがないのでノーコメント。
 
某日、前夜よりやりきれないほど雨がひどい。外に出てみたが、あまりに強い北風に吹き飛ばされそうになった。起きている時間はネットを見ているか朝ドラだのその再放送(『ひよっこ』)だのにうつつを抜かしている。やはりシシド・カフカは素晴らしい。しかし先週から『5時に夢中』が休止中なので何か調子が乗らない。
夜半に見たNHKの番組で九大の元院生が焼身自殺したという話を見たが、私が六年間書き続けて来た小説とそっくりで度肝を抜かれた。現実も小説も同じように奇である。
 
某日、一転晴天。心地好い。しかしTL上は不愉快な野郎たちの顔ばかり。おまけに「Save the Cinema」もまだ続いている。私より年下の監督たちにはミニシアターという呼称が当たり前のようだが、私は違う。私は名画座育ちであり、ミニシアターと聞くと山本政志監督の『てなもんやコネクション』を公開するためだけに作られた円山町のあれと、青山のビルの一角にあってヴェルナー・シュレーターを見に行ったあれくらいしか思いつかない。その意味ではミニシアターに育てられた覚えはないのだ。桜ヶ丘の初期はそうだったかもしれないが、その後のユーロスペースも、シネヴィヴァンも、テアトル新宿も、私はミニシアターと呼ぶ習慣はない。もちろん国から援助を受けることは大いに結構で、是非とも実現されるべきだろう。だが「ミニシアターを救え」というスローガンに私には全く実感がないのだ。それならばもっと救われるべきだった映画館、名画座はかつて両手で足りないほどある。疫病とかいうのではなくたんに経済の流れの中でそれらは消えて行った。無念としか言いようのない消え方だった。いまさら言っても詮無いことであることは百も承知だが。しかしこれはたんに世代の違いで済まされることなのだろうか。
すでに数日前からディランの新曲「Murder Most Foul」を一日一度は聴いているのだが、聴けば聴くほど良くなってくる。この曲に倣って今はなき名画座たちの名前を列挙したくなるくらいだ。私には80年代以降しかできないから恥ずかしいのでそれはやらないけど。
昼にぼんやりとBSで『卒業』を見つつ、先日のブルース・サーティースの親父さんが撮ってるなあと本当にどうでもいいドラマを無視して画面だけに集中していたのだが、やはりライティング技術が凄くて、やはり家業というのは凄いことだなあと感じ入った次第。ハンディの部分はどうもオペレーターを息子にやらせたのでは、と思われた。ルプシャンスキーさんとこもそうだけど、親子で築き上げる撮影技術って独自の血が通ってる気がする。
 
某日、棚からひとつかみシリーズ『ダウン・バイ・ロー』。さすがにいま見るとダラダラしているが、後半はなかなか良い。そしてボーナス・トラックのロビー・ミュラーのインタビューが泣かせる。さらに『シテール島への船出』。やはり途中で諦める。どうもこの時期のアンゲロプロスとの関係がよろしくない。若い頃に見ていたものに自信が失せてゆく。
夜更けに見た秋田の紙風船上げの祭のドキュメンタリー(NHK)に心から感動。
そんなこんなで『デッドマン』。たしか当時、金があったんだろう、劇場で複数回観たはずだが、盤ではこれが初だという気がする。前半は画面に持っていかれっぱなしだったがだんだんと耳をニール・ヤングに引き込まれ、それも全然主張してないアコースティックに持っていかれてそっちが軸になって行ったりした。いやはやこんな芸当をやってみたいものだとあらためて。せめて『EUREKA』以降、俺に「モノクロはダメ」と釘さして来た連中の鼻はあかしてやりたい。
 
某日、朝からNHK『小さな旅』で若松特集、天ぷら屋になぜかなーちんこと灘友パイセンが姿を現すので思わず画面を指差して「なーちんや!」と叫んでしまった。その興奮冷めやらぬ中でいつものように日曜の午後、六角精児氏の『呑み鉄旅』福井〜岐阜をじっくり見て、釣り番組でコブダイとイサキを堪能ののち、大河。いやはや本木パイセンに一歩も引かぬ染やんの雄姿に感動、あとは伊吹吾郎氏と堺正章氏のエグい演技合戦で笑った。『鉄腕DASH』は海岸でリーダーのソロ。鮫を捕獲するなど安定の面白さ。続いてもう一度大河を見てそれきり眠った。
 
某日、昼にNHK『巨樹百景』という番組、樹齢三千年の佐賀・武雄の大楠、川棚の枯れ木など生命の大きさに圧倒される。フランクリン・シャフナー『パットン大戦車軍団』を見始めるが、どうも気が乗らず、届いた『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』を見る。この副題がどうも腑に落ちないのだが、まあいい。これを入手したのは盟友・葛生がこれの監督が『カーマイン・ストリート・ギター』の人であるとtwitterで指摘してくれたからである。で、この人はアルトマンについてのこの作品を撮れたのはよかったね、という労作だが、次作でグッと腕が上がっているとしか言いようがない。凡庸とかそういうことではなく、ひたすらアルトマン自身の魅力が引っ張ってくれる作品である。ただ、もしかするとアルトマン作品を網羅するのは失敗だったかもしれず、むしろ数本に絞ってそのエピソードを深く語るべきだったのかもしれないという恨みは残った。いや、一人の作家を語るというのは生半可なことではない。夭折した批評家の一代記を語るに7時間半もかかった身としてはそう言わざるをえない。もちろんアメリカの作家としてこの尺は守らねばならないのはフレデリック・ワイズマンでもない限りスルーしないことは目に見えている。
 
某深夜、トイレに立とうとしてめまいがしてもんどりうってひっくり返った。頭を木製の棚にしたたか打ち付け、女優とぱるるをひどくびびらせてしまった。そのせいで眠れなくなって夜明け近くまでネット上をぶらぶらしていたのだが、ある記事でタモリさんが陽水さんの発言を引用して「人望のない人間にならないと」ということを語っていてこれがすこぶる面白かったのだが、Zoomとかなんとかで画面を介して飲み会をしようとする向きが多いが、私はそこまでして他人と向き合いたいとはかけらも思わない。家でのひとり呑みで全く構わない。全然寂しくない。むしろこの方が気楽である。猫も犬も女優もいるし。
そんなことを考えるのも昼間に一年ぶりだか二年ぶりだかに二人の卒業生と電話で話したせいかもしれない、と真夜中にまたしても降り続く雨音を聞きながら呆然と考える。長らくそうして過ごしているが、この間もずっと次の状況を考え続けている。それにいつ取りかかれるかは未詳だが、頭の中は整理し続けている。陽水さんはこうも語っていた。「そろそろ自分の棺を担いでくれる人を持ってないと」。それで若い人たちとも付き合うと。それもそれでよくわかる。そういえば梅本さんの葬儀の際、先生が「私は遺体というのはダメなんです」と棺に近づこうとしなかったことはひどく印象的だった。それもそれとして理解できる。べつにフェラーラ『4:44 地球最後の日』を持ち出しても仕方がないが、あのウィレム・デフォーの面持ちもなぜか思い出される。暗闇でふと頭を触ると頭頂葉にかさぶたができていたので、先ほどの事故はそういう程度のことであったと理解できた。
 
ともあれ我々は絶望的な状況にある。これほど自宅にいても何も変わらない。自宅が安全であるとさえ限らない。では外に出てもいいかというとそういうわけでもない。これほど何も固定して安全だということがない状況はこれまで経験したことがなかっただろう。たぶん1945年米軍がいつどんな爆撃をしてくるかわからなかった時を除いて。それも自分が経験したわけではない。これを越えて私らは何ができるのだろうか。


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撮影:とよた真帆


(つづく)


青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『こおろぎ』(06)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)、自作『しがさん、無事?』(19)など。

近況:そんなわけで何もしていないが、オリヴィエ・アサイヤスのブルーレイBOXボックスのために『イルマ・ヴェップ』評を、(たぶん)西日本新聞に吉田喜重『贖罪』書評を書きました。