宝ヶ池の沈まぬ亀 第44回

青山真治さんによる連載「宝ヶ池の沈まぬ亀」第44回は1月末から2月にかけての日記。年明け早々に陥ってしまった心身の不調も徐々に回復し、前回とは打って変わって自宅および伊豆の別荘で映画三昧の日々が続いたようです。さらに浪花のモーツァルトことキダ・タロー先生の大全集、シーナ&ロケッツ『Live for Today !』、山口冨士夫さんのライヴ音源『Groovy Night in Kyoto 2002』といった音盤についても。

44、「キダ沼」から抜けられないか、と思いきや春来りなば映画大逆襲



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文=青山真治


某日、まあ世の中色々あるよね〜的なことに巻き込まれつつのラッシュ試写、結局は大した問題にならず済んだ。当然である。他人の恋の問題について誰がどこまで言及しても無駄である。というのも誰もが「その恋」についてど素人であるからだ。カット命令が出たら徹底抗戦するつもりだった。上出来のショットが撮れてるのになんで切らなあかんの?と。そもそも誰も「その恋」についてほとんどわかっちゃいない。わかっちゃいないことにとやかく言っちゃあいけない。
そこへいくと『カーマイン・ストリート・ギター』のリック叔父貴は、少なくともてめえの作ったギターの何から何までわかってる。にもかかわらず、店にやってくる名物ギタリストたちのプレイにとにかく喜ぶ。言うまでもなくそれらが未知の面白さに溢れてるからだが。ギターって代物は作った人間にさえ分からない可能性を当然秘めており、誰かが弾いた瞬間とんでもないことが起こるものだ。そしてこのことを「映画」と呼ばずしてどうする。ビル・フリゼールのSurfer Girlは最強である。ギターそのものがズバリ「その恋」なのだ、ギタリストがそれを抱いた瞬間にそれが始まるのだ、それをリックの叔父貴は心から楽しんで生きているのだ、もちろんゴシップとしてではなく、人間の営みの豊かさとして。倫理を頭上にかざして物申す連中も多くいるが、誰もギターのことはとやかく言わない。それで良い。これ以上ギターの値が上がったらたまったもんじゃないからね。そこに宿るものが実は「その恋」そのものだとバレちまったら元も子もないからね。
 
ゆるやかにではあるが体調は恢復していく。庭の桃も芽吹き、作品たちもその姿を立ち上がらせてゆく。
 
某日、しかし奇妙な話。夜更けに近所の行きつけのコンビニに私が現れ「俺だって頑張って生きてるんだよ」と何度か言って帰って行ったと、店長曰く。これは全く記憶にない。どうかしている。リック叔父貴のごとくチャリでスイスイと動くべきだろうか、それにしては東京は坂が多すぎる。そしてチェック試写が何度か行われたのだが、これは非常に神経を使うため精神的にはボロボロになる。ただこちらの心配をよそにほとんどのPはOKを出してくれた。私自身、初のCG+ワイヤーワークの出来栄えなど心から楽しんだ。それでも疲れ果てて近所の居酒屋で気を失いそうになる。ナガシマが慌てて連れ帰ってくれた。
 
某日、女優とともにぱるるを連れて伊豆へ。着いた時点で何もする気が起きない。ただ冬場もいい場所であることを再確認。日暮れて女優が贖ってきた惣菜など食しながら、溜まったDVDを次々に。まずはポール・シュレイダー『魂のゆくえ』。何度かはオッと声を出す瞬間もあった。しかしこれでよしとは言い難い。気持ちはわかるが。次にガス・ヴァン・サント『ドント・ウォーリー』。近年のガスヴァンで最良ではなかろうか。何よりもホアキンが素晴らしすぎる。『ジョーカー』の数百倍良い。パラリンで走りまくる不自由な自由さがすこぶる気持ち良い。ウド・キアーとキム・ゴードンなど、キャスティングの妙。ダニー・エルフマンの才能をあらためて痛感させられ、何よりポートランドの木々の美しさを堪能。


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感涙したので落ち着くために『カーマイン・ストリート・ギター』をあらためて。忘れていたがエスター・バリントがギターを弾いていることに気づく。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』以後どうしていたか知らなかったが。たぶん同世代のはず。のちに登場するチャーリー・セクストンもそうではないか。なんだか同世代の映画ばかり見ている気がする。というわけでロブ・ライナー『LBJ』でウディ・ハレルソンを。ほとんどジョージ・C・スコットにしか見えないというのはご愛嬌。いちいち下ネタで周囲を呆れさせるジョンソン副大統領は、歴史上どうだったかは知らない(たぶん極悪人だろう)が、ここではほとんど英雄的だ。妻以外誰にも愛されたフシはないがそれでもいいではないか。とんでもなくユーモアに溢れた難解なセリフの洪水で、このスピードでは誰もついていけなさそうだが、そこもまた良し。深夜、寝落ちするつもりで『ウィンストン・チャーチル』を。ゲイリー・オールドマンのためのみ。実際寝落ちするばかりであった。それでも最後まで見た。
夢の中でひどく幻聴に苛まれ、あまり眠ることができなかったが、それでも朝は来る。
女優が驚くほど手の込んだミソスープを作り、それを食す幸せ。そうするうちに庭師の皆さんがやってきて、近所総出で一隅の林について検討。まあこれが今回の趣旨だったのだが、私は寝不足のためひたすらぼんやりとおつきあい。ぱるるがあまりに大胆にあちこち駆け回るので気が気ではなかったが。終わって、あっという間に溜まったゴミをまとめて帰京。路上にてずっと米津某と何々Gnuについてああでもないこうでもないと議論し続けた。良き時間。ぱるるはほとんど寝ていた。
大英帝国のEU離脱。昨晩『チャーチル』を見ながら、ああこの戦争で掲げられた理想も終わりかけているのだなと考えていたが、翌朝には本当にそうなっていた。
 
某日、そして今日の夢は、大岡昇平『事件』リメイク企画始動ということで脚本執筆室(という贅沢なものがあったのだ)をスタッフルームに作成、あれこれ設定してるうちに「おーい誰か、現場の地図をコピーして机の前に貼ってくれ」とニコニコしながら叫ぶところで目が覚めた。現場がどこかはわかってはいないのだが。
 
某日、DVDで『青春の蹉跌』を何十年ぶりに見て、ああこれを超える映画を私たちはまだ作れてないのかと呆然としながらテレビに戻すと『あいつがトラブル』が始まって、ショーケンが例によってめっちゃ素敵なガンさばきを見せてくれて惚れ惚れとしてしまい、いや別に『蹉跌』超えとかどうでもいいやと思い至ってしまうほどに堪能したのだが、エンドクレジットにふと「中村哲也」の名前を見つけた次第。で、気まぐれにメールしたら返信で「時間があるならもっとマシなものを見ろ」と。いやいや、じゅうぶん収穫はありましたよ、センパイ。もうあんな横浜ロケはできやしませんがね。
しかし『蹉跌』で壇ふみさんが赤い水着でヨットから海に飛び込むところは『離婚しない女』で神保美喜さんが繰り返していて、それを思い出したってなんの得もないのだが、そのことも神代論の中に補遺しておきたかった。
 
某日、撮影中からの習慣でどうしても日々5時過ぎには目が覚め、何かせずにはいられないがすぐそばで女優が寝ているためできるだけ暗闇で音を立てないように行動している。その女優も7時半には起きるのでまあせいぜい1時間半の我慢というところだ。大したことではない。で、この時刻に静かにしていると伊豆に負けず劣らずの鳥の声に囲まれる。
午後から『アフリカの光』を。DVDは画面が非常に暗い。これは、何を考えてるんだ製作元は、と怒るべきところで、しかしこれまた久しぶりの再見だがこの出来は信じ難いほどクオリティが高い。この映画が日本映画で唯一アメリカン・ニュー・シネマと肩を並べうる作品であったと改めて確認できた。クライマックスの船上シーンなど、原作者・脚本家含めて作り手がどう考えていたか知らないが、ショーケンの崇高さはほとんど『ビリー・バッド』の域に至らんとしている。駅で切符を買う驚くべきショット(あれで終わってもよかった気もする)の後の、電車に乗るラストが若干トリッキーでわかりにくい気がするけれども、まあそれは神代独特のご愛嬌。ニュー・シネマなんだからそういうものだ。雪の中の女の死体なんてどう考えたらいいか誰もわからないだろう、それでも忘れられないシーンであることには変わりがない。
しかしこれを元に、女二人が男の力を借りずに日本脱出する映画が見たくなった。誰かやらないだろうか。私の仕事ではないが。それも『テルマ&ルイーズ』ではダメである。あれはちっとも好きではない。


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某日、カーク・ダグラス103歳の大往生。テレビで『大脱獄』をやっているので見た。痛快極まりない。バージェス・メレディス、ヒューム・クローニン、そしてウォーレン・オーツに惜しみない拍手。
夕方、仙さんと会合、重要な話をしてその後色々としたメンバーと合流し、新年会。笑いに満ちた時間を過ごす。
翌朝、またしてもTwitterに載った記事に泣かされる。子供達によるRockaway Beachの大合唱である。どこの国かも定かではないが、こんなに清らかで美しいラモーンズは初めてだ。ジョーイもジョニーもディーディーも、そしてトミーも天国で喜んでいることだろう。ジョニーはカーマイン・ストリート・ギターに行ったことはないだろうが、私は未だこの地上で号泣するばかりである。今後も心がくたびれたときに特効薬としてこれをみよう。





某日、スズキの仲間でオオニベという巨大魚が宮崎の石崎浜で釣れるらしい。そういう番組を見た。三日間の撮影で本当に157センチの大物が釣れていた。驚きである。
昼は編集室でCG合成の成果を見た。おもしろかった。帰りにP二人に呼び止められ、沖縄料理で食事をする。初めてのことである。これも楽しかった。久しぶりに白百合を呑む。





某日、野本とマサルの三人でレンタカーを借りて龍ちゃんのところへ行ったのだが、この日のことはちびっこと遊んだこと以外あまり覚えていない。とにかくちびっこは面白かった。あと、いつもながら龍ちゃんの料理が超美味かったこと。なんだか下北沢に車を返してそこからさらに呑んだせいでさらに記憶が曖昧に。どうやって帰ったかも覚えがない。
 
そうして翌日がアカデミー賞だったのではないか。これまた時間の経過に自信はないが、ホアキンのスピーチには心から感動したのははっきり覚えている。作品賞のプレゼンターがジェーン・フォンダだったことに呆然とした。でもまあピーターの追悼と思えばね。その後見た『グリーンブック』が予想を遥かに超えた面白さで、終始爆笑。やや中途半端だとは気になったが。吹き替え版だったのだが、そのせいもあるのだろうか。


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某日、菊池スタジオにて音響チェック第一回。まあ例によって「だてに二十年一緒にやってないんだって」状態でスムーズに進む。中目黒にてナガシマと食事。大いに盛り上がる。
 
野村克也氏、逝去。あれほど嫌っていたのに、落ち込む。結局好きだったのか、俺は。
 
ちなみにTwitterに書いた「80年代のボヤッとした映画」というのは『パリ、テキサス』のことである。そこにも「格差社会」とやらは見えていたが、それをことさら前景化するわけでもなく当たり前に世界を描いていた。そういうものがあればそれでよいというだけだ。戦時中、京城に住んでいた父は駅前に穴を掘って棲んでいた人々を見ていた。そうしたエピソードを聞いて育った者はいまさら「半地下の貧困」などと言われても動じないのだ。
 
某日、撮影に行く女優を送り出し、編集室へ行き、何を言ってるのかよくわからない難問を突きつけられ我慢できずに逃げ出し、近所のスタジオで宣材写真を撮ってもらい、若手俳優と語らう。
翌日はフランスやらあちこちへと勉強しに行ってきた卒業生たちと会食。
 
某日、そうしてようやく東京を脱出、マサルとともに一路伊豆を目指す。熱海まで新幹線で向かった後、レンタカーで伊豆高原へ。もうほとんど動けずに買い物は任せて、デッキの作動はショーケン峠『青春の蹉跌』『化石の森』(これは最初の五分でリタイア)『アフリカの光』。途中で三度目の『カーマイン・ストリート・ギター』を挟みつつの峠の夜となった。だんだんと調子よくなり深夜に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』二回目。主演二人は確かにいいが、それ以外に見るべきところなし。寝静まったあと、一人静かに『記者たち』を。『LBJ』同様、優秀な映画だと思われた。
翌朝二回目の『ジョーカー』を提供した後にこれも二度目の『ドント・ウォーリー』。やはり圧倒的に良い。しばし寝て風呂と買い物に出たマサルを待ちながらふと何十回目かの『カリフォルニア・ドールズ』で涙腺を開き続ける。で、鍋を二人でつついた後に寝落ちした私をよそにマサルは『アド・アストラ』を、次いで私が目覚めたところで『マーウェン』にとうとう逢着したのだが、これまたただただ絶句。大傑作であり、デロリアンまで出てきてある意味でゼメキスの集大成と言いたくなる。鐘楼の追跡劇など二人で呆然とする。マサルは喜びすぎて踊っていた。
 

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その後、役者の芝居のテンションとして「半ギレ」というものがあるという議論になり、それは『マーウェン』含めた各種ゼメキス作品を思い浮かべていただけると、ああ、と感じられるはずなのだが、私どもの身近で最強の「半ギレ」芝居は光石研氏であるということになり、さらに光石氏の「半ギレ」はほぼ自然なものであるが、一方で厳密に構築された「半ギレ」が存在したというところに話は及び、それは加藤武氏ということになろうと結論した。加藤氏演じる等々力警部の粉吹きこそが構築された「半ギレ」による最良の演技ではないか、と。途中でもちろん長州力氏のモノマネなど挟みながら議論は明け方まで続いた。
 
某日、朝から野鳥の声が凄い。もう伊豆は春であるとお伝えしておく。外はあいにくの雨なのだが。起き抜けの話題はオオニベ。先日野本はさすがに知っていたが、マサルは知らなかった。というわけでYouTubeで見て大盛り上がり。これでも分かる通り、でかい魚で人は盛り上がるものだ。で、再度『LBJ』を見て、現在ハレルソン頭のマサルに好評を受けたのだが、そこからが・・・。浪速のモーツァルト=キダ・タロー大全集である。正確には『キダ・タローのほんまにすべて』3枚組である。DISC1の段階で脱力、完全頭脳崩壊。久方ぶりの笑い死に。ボロボロ状態で風呂へ行き、駅前で食事の後、這々の体でベースキャンプへ。呆然とキダ先生(一九三〇年生れ、ゴダール・イーストウッド・ワイズマン、そしてうちの両親と同年齢)の沼にハマった現状を語り合った末、DISC2を聴きながら気絶。
翌朝、この際一気に「キダ沼」から抜け出ようとDISC3。これは大傑作のオンパレード(一曲目から「アホの坂田」)であり、エンディングの「キダ・タロー・シンフォニー」でようやく沼を脱出することができたのだが、まあボロボロであった。
キダ・タロー、おそるべし。

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なので映画を見続ける気力もなくなり、延々と眠り続けることとなった。林の伐採が始まり日中はチェーンソーの音とともに。
夕方雑炊を食い、マサルが単独で風呂へ行く間も一人こんこんと眠り続け、長風呂の男が戻ると夜も更けて、デヴィッド・ロウリー『さらば愛しきアウトロー』を。これを大傑作と呼ぶ気はしないが、ただただいい映画である。レッドフォード、シシー・スペイセク、ケイシー、ダニー・グローバー、そしてトム・ウエイツ。これだけのメンツを集めたロウリーは本当に大したもんだというところから、これを日本でやるとしたらそれぞれ誰だという話が始まってしまい、ケイシーの役に斉藤陽一郎を、という仮説がマサルから出て、さらに陽一郎は「半情熱」であると。つまり光石さんの「半ギレ」と陽一郎の「半情熱」があって成り立つものがあるのだ、という説が浮上した。これは面白い。
しかしこの「半」という概念の定義が難しい、halfではない、とマサルは言う。Probablyでもない、ではgood enoughか。そこに私が疑念を投じる。これはギターアンプのツマミをいじるようなことではないか。フルテンにこだわることなく、むしろ5と6の間あたり、なんならトレブルだけ7で、とかそういう調整の問題ではないか。これが「半」ではないか。で、誰それと誰それでの「半」のバランスではどうか、とあれこれ例を挙げ続けたが畢竟ベストは光石さんと陽一郎になってしまった。いやはや手前味噌になってしまうが、あの二人のコンビネーションはうまくいったとつくづく思う。そうして眠りに落ちた。
 
某日、起き抜けに満を持して『代理戦争』『頂上作戦』・・・六周目? もはや記憶も曖昧だがやはりこの二本のど傑作ぶりに変わりはない。今回は『アフリカの光』の流れで田中邦衛氏の芝居に着目したのだが、氏に関しては作り手側もあれやこれやかなり手の込んだことをやっていたことに気づく。言ってみれば別格扱いと考えていいのでないか。さすが青大将である。この二大傑作を下支えしているのはネコさん・カトたけ、そして邦衛だろう。宴会中の座敷を一周して山守に耳打ちするシーンなど、再確認しておかねばなるまい。
見終えてゴミをまとめて出し、熱海へ。駅ビルの三階でたらふく海の幸を食らい、新幹線に乗る。本音を言えば新型コロナウイルスのニュースを見て東京に帰ることを忌避していたのだが、仕事があるのでやむなく。ところが爆睡してしまったせいで品川を通り越し東京駅着。ここに意外な落とし穴があることがわかり、二人で後悔する。
どうにか帰宅して、届いたミック・ロンソンの伝記映画を見る。映画としてはひどいという他ないが、数々の証言者がミックを讃える言葉にひたすら涙してしまう。ディランが現れなかったのはいかにも残念であったが。アナログ盤『Hard Rain』に針を落とすとすぐに聞こえる「Maggie’s Farm」の冒頭、C’mon, Mick Ronson !という叫びが誰のものだったかはしらないが続くイントロのギターとともに死んでも忘れられない。残念ながら今やCDではあの叫びはほぼ聞けないのだが、といって期待してもしょうがないことは承知している。
 
某日、午後から編集室。CG部分のチェックだが、本当にたんに面白い。
さて一仕事終わったな、という気分でぼんやりする一昼夜。朝ドラやら『やすらぎの刻』やらでさめざめと泣く。籠池に懲役五年の判決。
真夜中に目覚めて『マーウェン』を反芻。向かいに越して来た女の元夫がやって来るときにテッド・ニュージェントをカーステで鳴らしていたのが忘れられない。今ならもれなくトランプ支持者だということか。ギター弾き始めの頃練習していた曲だった。いつの間にか聴かなくなった。そしてその反動か、YouTubeのラモーンズ82年のライヴで、また泣く。
 
某日、再び菊池スタジオにて音響調整。若干の手直しで済む。例によって駅前の居酒屋に向かい四人で食事。それから無謀にもナガシマと二人、タクシーで下北まで。LJは今日も賑わっていた。やがてマサルが現れ、野本が現れ、明け方までに三々五々解散。
昼近くまで寝て、再びひとり伊豆へ。庭作業には間に合わず、明るいうちにと急ぐのだが、つい寝過ごして三島まで。慌てて熱海まで戻りそこから在来線で。伊豆高原駅で早めの晩飯を食し、ベースキャンプへ。生憎の風雨。入り込んで部屋を暖めたらすぐに寝てしまう。
夜半、起き出してシーナ&ロケッツ『Live for Today !』を。これは傑作。物凄い選曲センス、アレンジセンス。鮎川さんのSGの使い方(88年NY録音)が素晴らしい。スタジオライヴとして録音しているのだろうが、その生々しさは100年後までも消えることはないだろう。続けざまに冨士夫の京都ライヴ。これまた鮮烈そのもの。2002年に冨士夫ちゃんが浜岡についてこんな言及をしてライヴをやったなんて知らなかった。俺と今井と山田さんがエストニアの映画祭の依頼に応えて浜岡原発を撮影に行ったのは大変遅れ馳せの2011年のことだ。それはそれとしてこのライヴは素晴らしすぎて言葉が出ない。外は時折大変な風音がしている。煙草を買い忘れたせいでシケモクに火を点けながら、冨士夫ちゃんのギターを堪能する。この良さはどこかで聞いたはずだ、と思い返していてDISC2の冒頭、「My Girl」が始まってわかったが、80年代の頭にクロコダイルで初めて冨士夫ちゃんを見たときの感じそのままなのだ。あの時はタンブリングスのセットだったが、マスタリング技術の充実の結果とはいえあのときよりずっと研ぎ澄まされている。ティアドロップスの時よりも。90年代の終わりから忙しくてほとんど誰のライヴにも通えなくなったけれどこの2000年代の冨士夫ちゃんはナマで見ておきたかった。無念である。
 
某日、明け方はまだ強風だったが、鳥の声のなか煙草と朝飯を買いに出る頃には日差しもよく、風も穏やかになる。しかしこんな穏やかな気候でもコンビニまでの行き帰りでへとへと。戻って『栄光の野郎ども』。スー族との戦いに備える第三騎兵隊の話。脚本ペキンパー撮影ウォン・ハウ、名花センタ・バーガー、スリム・ピケンズ、ジェームズ・カーン。無名の役者含めて全員がいい顔している。中身は陰惨さを抜いた『ダンディー少佐』、というか大枚叩いた『アパッチ砦』のリメイクという感じで、ゆえに20代半ばとは信じ難いセンタ・バーガーの色気が突出するのだが、ウォン・ハウ大先生のセンスには相変わらず平伏するしかなく、数々の殴り合いと店舗破壊に惚れ惚れとしてしまう。それにしてもペキンパーがこれほどロマンティックなシナリオを書いていたとは。私にもし右翼的な側面があるとしたらそれは騎兵隊ものの影響であり、そこにはどこか特攻隊精神的なものが隠れているかもしれないが、ことによるとそれは右翼的というよりマッチョなロマンティシズムと呼ぶ方が相応しいのかもしれない。そしてどうやらペキンパーもそうしたものを保有している気もしないでもない。
庭師が来てその仕事ぶりに圧倒される。
午後は成沢昌茂『雪夫人絵図』。先行する溝口作品と同原作とは思えないほどに凡庸かつ通俗、しかし俳優陣と撮影・成島東一郎によってやっぱり今では手の届かないクオリティに達している。とはいえ、これと例えば三隅『雪の喪章』を比較することはできない。佐久間良子様には大変申し訳ないがそれは無理というものであり、それは若尾文子と佐久間様の比較とはまるで違うレベルの話である。
さらにゼメキス『抱きしめたい』に至るわけだが、未見だったこのデビュー作にして大傑作をどう言葉にすればいいか。ロン・ハワード『ラヴinニューヨーク』に勝るとも劣らぬものである。基本的にはギャグに次ぐギャグに徹しているし、それを無敵のビートルズナンバーの数々で繋いでいるといえば言えるのだが、いや映画は本来それで良いという気持ちにさせてくれるし、何しろ若い役者たちの無欲な誠実さが本当に伝わって来る。今まで見て来たゼメキス作品で最も好きかもしれない。昨夜の冨士夫ちゃんではないが、是非とも多くの皆さんに見てもらいたい映画である。
一眠りして『愛すれど心さびしく』、つまりカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』の映画版。原作を読んだのは大学時代だが、映画はこれが初見。アラン・アーキン、ソンドラ・ロック、ステイシー・キーチ、そして偶然ながらまたしても撮影はウォン・ハウ大先生。今日は良心の名の下に泣けて泣けてしょうがない一日となった。かつて中原と『ワイズ・ブラッド』を見て語った時と近い感触を受ける。
出歩く気も失くしてカップ物の軽い夕食を摂ってからの加藤泰『懲役十八年』。初見。最良のラウール・ウォルシュやドン・シーゲルに比肩する大傑作だが、八十年代私たちはこの作品を見ることができなかった。不思議に思っていたがここまで国家権力と敵対した映画だとは考えが及ばなかった。ペキンパーに続いてまたしても特攻隊的なるものがそこに影を落とす。さらにウォン・ハウ大先生に並び立つ古谷伸大先生による驚異のキャメラワーク。
さすがにこの辺にしとこうと眠ることにしたが、もう新しい映画とか新しい刺激とかは要らないかな、と思うに至る。食い扶持としての仕事はどうしても必要だが、他人の映画は見る必要を感じない。いや、たぶんこれからも見るのだろうが、それらはいわゆる失望の生産装置でしかないだろう。それに抗して生きることはもう無理かな。
朝まで眠られるかと思いきや、深夜目覚めたせいで、ポランスキー『告白小説、その結末』を見ることに。『ゴーストライター』以降ふるわなかったが、オリヴィエのような「映画」のシナリオライターとエヴァ・グリーンという優秀な女優がいればまだまだこれほど面白い映画が作れるとポランスキーは証明した。喜ばしいことだ。他人を一切信用できない孤独な主人公をひどい目に合わせることに関してポランスキーは天才的なのだ。女性二人の主人公という私の持っていたアイデアに大きなヒントをくれるものでもあった。ただし私はそのようにはしない(できない)という確信を持った、という意味で。
 
明け方の空に冴え渡る鳥たちの声を聞きながら、もう一度冨士夫ちゃんをかける。
流行病の蔓延する田舎町に帰りたくない。皆殺しのバラード。


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(つづく)


青山真治

映画監督、舞台演出。1996年に『Helpless』で長編デビュー。2000年、『EUREKA』がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞&エキュメニック賞をW受賞。また、同作品の小説版で三島由紀夫賞を受賞。主な監督作品に『月の砂漠』(01)『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(05)『こおろぎ』(06)『サッド ヴァケイション』(07)『東京公園』(11)『共喰い』(13)、舞台演出作に『ワーニャおじさん』(チェーホフ)『フェードル』(ラシーヌ)、自作『しがさん、無事?』(19)など。

近況:3月29日よる9時、NHK BSプレミアム『特集ドラマ・金魚姫』が放映されます。お楽しみに!